ネット利用は警戒的自己責任で。

ネット通販は大変便利だ。
必要なもの、欲しいものがすぐ手に入る。
宅配業界を窮地に追い込むほどの、すごい影響力。
恐るべし存在だ。
私も日々、お世話になっている。
とくに重いもの、かさばるものの購入には、最適だと思う一方、
そんな注文のときには、宅配担当のお兄さんに、申し訳ないと
思う。(ほとんど毎日だが・・)

その便利なネット通販会社は、モノ以外のサービスも充実している。
たとえば、電子書籍の読み放題、送料無料などいろいろ特典のある
会員サービス。これも立派な商品だ。
つい便利と思ってクリックしてしまうと、会費を毎年請求されたり
もっと困るのは毎月請求が来たりするという点だ。

今回もカード会社の請求明細を見て、首をかしげるような
見覚えのない請求があった。
これこそ、そのサービス利用の更新代である。
このことは、お客側がしっかりしていないといけない。
最初無料で、しばらくすると有料になるサービスなどはとくにそうだ。
自分で手続きをするのを、忘れてしまうからだ。
仕掛ける側にすれば、忘れてもらった方が良い、自動更新が一番
ありがたいはずだ。
毎月課金…これには気を付けたい。
クレームを言いたくとも、すぐに連絡したくとも
なかなか電話ですぐに・・・というしくみにはなっていないのが
この業界でもある。

いずれにせよ、警戒しながら利用するということも大切だ。
よく調べて、安心して使うのが良さそうだ。
そして何かあったらすぐその窓口に連絡する。
そんな対応についても、知らない人がネット上で教えてくれたり
もする。
いやはや便利すぎる世の中。
便利の裏には???
本当によく考えてあるしくみだから、落とし穴には
気を付けよう。
相手が悪いのではなく、自分がしっかりするしかない。
兎にも角にも、何事も自己責任で。

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恩師のショパンはクリスマスギフト。

高校時代、ピアノを教えていただいた先生。3年間学校と、自宅レッスンとでお世話になった。
今思えば、この先生のおかげで、リストを卒業演奏で演奏できた。
また当初、私は音大ではなかったが教育学部の音楽科を目指していたため、
その入試で演奏する課題についてもお世話になった。
試験の結果は、そちらに縁がなく、そこで私の音楽時代第一期はここで終わった。

そして、京都へ行った後、音楽なしの生活になり、お世話になっていた先生とも最初は
年賀状のやりとりがあったが、転勤や引っ越しや・・・でいつの間にか途絶えた。
思い出すことがあっても、連絡先も不明になってしまい、遠い遠い思い出になっていた。
そう、35年もご無沙汰していたことになる。

そんななか、たまたま今年から始めた、岐阜新聞本社でのロビーコンサート。
あるきっかけで、同じ会場でその先生が時々出演されていることを知る。
そして、先生も、私がそこで演奏していることをお知りになり、
そして前回私のステージに来られた。まさかの先生登場で恥ずかしかった。
クラシックをきちんと?演奏していた高校時代、
まさかその生徒が30年後に、立って弾き歌いをしているとは!
久しぶりの再会は、「まあ、あんなふうに弾いて」という驚きだったかも
しれないが、先生は当時と変わらず、優しく自然体に言葉をかけ、その後
やりとりも復活。
それから、1か月。
今度は先生のステージがあり、こっそり駆けつけた。
その先生にはいろいろ教えていただいたが、先生の演奏はあまり聴いた記憶も
なく、そして60代をこえて、どんな音色を出されるのかと、興味が湧いた。
何より、ピアノのご縁でまた出会えたことへの喜びが私を会場に向かわせた。

ピアノを習ったのはもう35年程前なのに、先生はお変わりなく、若々しい。
そしてショパンの子犬のワルツ、ノクターン、幻想即興曲、バラード・・と懐かしい
名曲を演奏された。女子大生が弾いているといってもわからないほどに、純粋な
音色でありながら、どこか丸みがあり、演奏の年輪も感じる。
そして、演奏された曲たちは、
自分も35年前、まさに弾いていた曲。
私はその後、すっかり遠回りして、道草していたのに
先生は、変わらずクラシックの世界で、きちんと演奏されている。
60代後半になられた先生の演奏を聴きながら、35年前のレッスンを
思い出したら、涙があふれてきた。
なぜ泣いているのかわからなかった。
ショパンが時を止めたようでもあった。

ああ、ふるさとでの活動を始めてよかったと思った瞬間であった。

ショパンは35年前も、今も変わらない。
弾く人にとっては永遠であり、いつも新しく、美しく、そしてどこか悲しい。
いつの間にか、そういえばショパンはパリで亡くなったのだ・・と
その場所バンドーム広場を思い出していた。

ピアノの音はその演奏家の内面を映し出す。
80歳まで生きるならば、絶対に幻想即興曲を弾いていたい。
これが私の夢のひとつ。
先生はもっとすごい難曲をも、こなされるだろう。

35年前から変わらぬこと。
ショパンと、演奏家と・・音楽が好きな自分と・・。

ふるさとでいいクリスマスプレゼントをいただいた。

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作品に込める本当の意味。

最近、昭和の歌謡曲は本当に素晴らしいと思う。
たまに見る歌謡ショーでは、思わず手を止める懐かしの名曲に出会え、
社会や変化や歴史を感じ、胸が熱くなることもしばしば。

子供だった当時、深い意味がわからないまま口ずさんでいたが
今改めて聞いてみると・・こういう意味だったのか・・としみじみ感動することも
多い。
記憶するときは、メロディで覚えていることが多いが、深く感動するには
やはり歌詞だ。
いい歌詞の曲が最終的には、名曲ということになるだろう。

40年ほど前、弘田三枝子という歌手がいた。
彼女が歌った「人形の家」という大ヒット曲があった。
子供の頃からも とても好きで、憧れもあった。
ほんとうに人形のような容姿で、カンツォーネのような歌い方。
聴く人の心を離さない。
この曲を、作詞家なかにし礼の自伝番組で久しぶりに聴き、
思わず手が止まり、釘付けになった。

いい曲だ、なんという情念の、愛の・・曲。いつか機会があったら
挑戦したい・・とその名曲に酔いしれていたら、
その曲の解説を作詞家本人が語った。

なんと、これは男に捨てられた女の愛の、情念の歌ではなく、
戦中、お国のために命をかけて戦ったにもかかわらず、
戦後、中国からの引き上げを許されなかった人の、国に捨てられた人たちの
哀しみを歌った曲だと知って、大変ショックを受けた。

一見、この曲は愛の曲だと思う。ほとんどの人がそう思うはずだ。
しかし、作詞家は自らの戦後の悲しみ体験を思って書いたとのこと。
一曲の制作意図には、「実は・・・」という思いがあるのだ。
露骨に、直接的に言えないこと、言ってはならないことを
このように表現する・・・。凄いなと感心した。
その曲が流行れば流行るほど、哀しみが増していたはずだ・・。
ご本人はどんな思いで書き、聴いていたのかと思うと心が
震える。

改めてこの名曲をしっかり味わい、いつか演奏してみようと思う。

それにしても、なかにし礼は、素晴らしい。
言葉を音楽にのせて表現する仕事。やっぱりあこがれる。

一曲に、いろんな思いを込めることができる。
よく生きていないと、それもできないはずだ。

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地下街メモリーと夢。

名古屋は地下街が発達している町として知られている。
すでに私が小学生の頃からそうであり、当時
毎日学校が終わったあと、名鉄電車に乗って岐阜から
通った名古屋の音楽教室。
毎日、電車で30分。岐阜から名古屋まで毎日だ。
低学年の頃から電車に一人で乗ることも多く、
その時から、移動生活に慣らされてきたのかもしれない。

最近、名古屋駅前の地下街をよく歩く。
上に上がればすぐJR名古屋駅。今は高島屋があるが
当時はなかった。
地上よりも地下が賑わっていた。
そこには当時、まだ珍しかった焼き立てパンの店と
名古屋に初進出したマクドナルドが並んでいた。
そこを毎日小学生である田舎者の私は通りながら、
「なんだろ、いいなあ」
と興味津々であった・・。

実はその店たちがもちろん改装はしているが、今も当時と
同じ場所にあり、営業を続けている。

最近、そこを通ると小学生時代の自分が現れるような
気がする。
駅前の地下街、平日は小学生はあまり通らない、大人の
町だ。
この頃から背伸びをしていたのだろう。
子供のくせに、都会である名古屋の地下街を毎日
ウォッチングしていたのだ。

「ハンバーガーなんか、食べたらあかん。あんなもん
カラダに悪い」
「コーラなんか飲むな、骨がとける、あほになる」
マクドナルドの話を親にしようものなら、こんな
返答であったことも今は懐かしい。

今、45年も前の自分と名古屋の地下街で遭遇している。
少女は、一生懸命目の前のコンクールに向かって
がんばっていた。
今、私は何に向かっていくのだ?
少女時代の自分と対話しながら、自分の行先を
考える。
地下街のメモリー。夢は地下に?

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表情変化を楽しむ闘い

どなたかの紹介を得て、その紹介者とともに、面談に来てくださる社長さんたちがいる。
自分から「よし、ここへ行こう!」との思いでおいでになる方は最初から、積極的であり、
言葉もはっきりされており、限られた時間の面談、忙しい合間をぬってきたんだから、
元を取ってやるぞ!ぐらいの気迫に満ちている方もおられる。
が、いかにも連れてこられている、しぶしぶ来られたような場合は、かなり違った空気から
のスタートとなる。
同席者がいると、確かに緊張もする。なんとなく重い。
ではあるが、名刺交換がはじまれば、こっちのもん?。いかに楽しく話をしていただき、
それに応えるか。
一生懸命、その方がおっしゃる一言一言に耳を傾け、相づちを打ちながら課題が見えて
きたところで、こちらからの提案をしていく・・。
話をよく聴いている間から、社長さんたちの顔色が変わっていく。
お、血流がよくなってきているようだ。
と同じくして、会話に笑いも生まれる。そして話が流暢になってくる。
ちょっとしたきっかけで、人は話し始める。
そして、それに対して、出てくるアイデアをボンボン出していくと、社長さんはうれしそうに
ききながら、メモをとられる。
「よー、そんだけ出てきますなあ」
初対面であれ、何であれ、話していれば浮かんでくる。
そして、すっかり打ち解けて、やる気に満ち満ちて・・・。
なんだか整理できたようだ、今せねばならないことが見えてきたようだ・・。
お別れのときは、笑顔だ。
1時間の面談は、私自身の闘いでもある。
絶対に顧客満足を達成しなければならないといつも思う。
その人にどこまで向き合い、その人の会社に役立つことをどれだけ
出せるか。
お客様のビフォアアフターの表情の差があればあるほど、その後の結果も期待できる。
これからも、ひたすら表情の化学変化を求めてつとめていきたい。

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シューカツ?イマカツ?

久しぶりに再会した友人。10年ぶりか。
会社員時代、お互い元気印だという点で気が合い、
その後も細く、長くつながっているという関係だ。

その間、結婚離婚・ダンサーとしての活動、さらに
外国語教師を目指しての猛勉強・・・・・。
そして50歳を越えて次のステップに向かうための新たな勉強を開始。
病を抱えながらも、持ち前の強い精神力と努力で
克服され、10年ぶりの再会は、最初の出会いのとき
のように元気いっぱいで、いきいきした笑顔
を見せてくれた。
そんな彼女。今年、お父様が亡くなり、そのことがきっかけとなり
自分の仕事、自分の人生を冷静に考えはじめたとのこと。
そして、よりよく生きるために、
今から自分の最後をどうしたいか・・をきちんと整理し、周囲にも
伝え、毎日を悔いなく生きるのが良いとの考えに至ったという。
まさに、今からの終活だ。
年老いてからのそれではなく、50歳を過ぎた今だからのシューカツ。

彼女は、最近遺言を書いたと、すっきりした顔で言う。
そのなかには、延命治療について、葬儀について・・・ももちろん
含まれている。
葬式も予約したと言ったのには、ちょっと驚いたが、
彼女らしいとも思った。
全部、人に迷惑をかけないため、自分らしく人生を閉じるための
早期対策だ。

一方、そんな話題を他の同世代の仲間に打ち明けると、
「まだ終活はいいかな。まず、今やりたい夢に向かって
挑戦することが先ですね。」と、
今すべきことは他にあるという。

それも理解できる。

生きる限りは挑戦を続ける。
と同時に、いかに人に迷惑をかけずに一生を結ぶか
は確かに考えておくべき大切なこと。

いずれにしても、明日でいい。ではなく
自分が大切だと思うことを止めておかないで、
今日すべきことは、行動するということが大切だ。

婚活、就活、終活・・・いろんなカツがあるが、
私は、今活をまず、忘れずに生きたい。

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音の可能性にもっと注目

人間に備わっている五感の世界には、はてしない可能性がある。
現代社会は映像・画像が容易に撮影・編集でき、誰もが発信・配信できる
という点で、見る・見える行為は、現代コミュニケーションの主流である
が、「見えること」が当たり前ではなく、とてもありがたいコミュニケーション
手段であることを忘れてはいけない。五感でもっとも短距離・短時間に
物事を直線理解できるのが視覚であると思う。
目を開ければ、開いていれば、見える。見えるということは、大変ありがたいこと。

一方、耳から入る情報は、緊急音などはもちろんすぐ耳に入ってくるが
いろんな音が混ざり合っている社会の中では、耳を澄まさないと
入ってこない音もあり、また耳を澄ますことで、いろんな想像が
湧き上がるという点で、無限の可能性がある。

音楽に親しんできてよかったと思うのは、響く音色からいろんな世界
が見えてくること、タイムトリップもできるという点。
音の世界で、この世にないものをイメージできるのだ。
ラジオの仕事をしてきてよかったと思うのは、ラジオはテレビの世界
よりも地味ではあるが、聴く人が意識して聴いてくれること、
対話性を感じられること、そしてやっぱり想像が膨らむという点だ。

目に入ってくる情報を無条件に受信することに慣れるのではなく、
ときには耳を澄まして自分をとりまく音を意識して、選んで
聴いてみたい。
そして、いろんな世界を大きく想像してみたい。

音コミュニケーションは、人により受け止め方、膨らませ方も
異なる点、自由度がある。可能性がある。

今改めて、人間のもつ五感の可能性を見つめ直してみたい。

自由で創造的なコミュニケーションは、耳を澄ませることから
はじまる。

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今年、まだ挑戦できる。

もう今年は終わり?そんなことはない。
来年何をするか考える前に、まだ今年も半月以上あるのだと思うと、
まだ新しいことを始めても良さそうだ。

とくに、まだ今年やりきっていない感があるならば、何かしたほうがいい。
一週間あればできること、1日あればできること、いろいろある。
今年がちゃんと着地せずして、来年のことばかり、年末年始の心配ばかり
しているのは、順番が違うという感じだ。

今年したかったことはできているだろうか。
自己点検をして、まだいけると思えば、迷わず進もう。
走りながら、歩きながらでも反省も、計画もできるのだから。

ということで31日までに新たなことに挑んでみようと思っている。
まだ今年は終わらない。

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生涯、何に力を注ぐのか。

ノーベル賞という存在が、なぜこんなにも世界的な権威を持ち続けているかは
不明なところはあるが、毎年各部門の受賞者を巡り、さまざまな予想・憶測が
飛び交い、毎回いろんな反応、話題があり、注目を浴び続けている。世界にとって
人類にとっての普遍性ある行動と功績。これは受賞しようがしまいがどっちでも
尊いことであるが、少なくとも受賞することで世界中が注目することで、その
運動が加速し、影響が広がるという点では大変有意義だ。
まさに、今回の平和賞のように。

私はあのサーローさんが国連で演説をされたときにも、今回の受賞講演のときも
心が震えた。
この核廃絶への思い、被爆者の切なる思いを世の中の権力者とりわけ核兵器を
武器として世界の緊張を高めている国に対して・・。
広島や長崎の経験は二度と繰り返してはいけない。
と、被爆者たちが生きている間に、みなさんの苦労苦難を無駄にしないために
核を地球から失くさねばならない。
あの力強い演説に、心うたれる人は多いことだろう。

さて、彼女の演説を聴きながら、私の人生は?これから何に注力していくべきか。
内面から湧いてくる、自身の経験から生まれる動機以上に、強いものはない。

被爆者の方々の活動を心から応援しながら、自分も世の中をあるべき方向に
近づける、まさに人間貢献・社会貢献の人生にしなければと改めて思う。

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傾聴の年末は、宝もの。

年末になると、今年会えなかったから、ゆっくり話せなかったから
などの理由で、再会の時間をもつことが多くなる。
いつまでもご縁をつないでおきたい人とは、たとえコーヒー一杯
であっても、今年中にぜひご一緒したい・・と思うものだ。

今回、都内の午後、3組のアポを入れる。
いずれも自分より年上、大先輩の素敵な紳士たち。
ある方はもう四半世紀のおつきあい、
ある方は、15年ぐらいのおつきあい、
ある方は、今年出会ったけれど、長いおつきあいのような感じがする。

いずれも自分にはできない立派な仕事を
勤めあげられ、定年などの節目をクリアされ、
さらに現在も自身のキャリアを生かし
現役で活躍されている。

それぞれとの会話時間を楽しむ。
いろんな生き方、人生を聞かせていただき
それぞれの充実した生き様に
心から感動する。

日本の父ちゃんはえらいな。
もちろん父ちゃんを支えてきた母ちゃんも
えらいけれど。

私が積極的に会いたい紳士は、
生涯現役を目指しておられたり、
いくつになっても自分の夢を
追い求め努力されている人たちだ。
決して
会社人生にしがみつかずに、
次のステップにどんどん進まれていく
方たちだ。

地域の、企業のためにお世話される方、
息子のビジネスを助けながら、そろそろ次の挑戦をと
考えておられる方、仕事の傍ら、スペイン語を
身に付けて、巡礼の旅に出かけたい、その次は海外での
ボランティア活動もやりたいと
燃える方・・・。
いずれも、ほほえましくて頼もしくて、大好きだ。
出会うときも、別れるときも両手でしっかり握手。

傾聴する時間をもつことはとても大切だ。
人生の先輩を大切にしたい。
もちろんそういう先輩を選びたい。

また今後は選ばれる先輩にも
なっていかねばならない。と、
素敵な先輩たちの背中を見ながら
そう思う。

再会。対話。傾聴。握手。
年末にふさわしい対話時間。
もうあまり時間がない・・。

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