伝えきれたら、悔いはなし。

1回の勉強会。何分の持ち時間であってもその10倍は準備に時間を要する。
本番は限られた時間であるが、どうせならば、とあれこれ工夫をしたい。

こういう伝え方はできないか、ああいう伝え方はどうか?と企画しながら
情報を集め、構想を固めていく。

本番のギリギリまで何度も何度も見直す。

用意できる資料は、すべて整える。

もし、時間が足りなくなった場合はこうしよう。
と、さまざまなケースを想定して、本番に臨む。

そして、本番。
お客様に伝わっている様子が、表情からわかる。
お客様が満足そうにお帰りであれば、言うことなし。

どんな労力をかけても、お客様の反応で疲れもとれる。

とにかく、やりきる。伝えきる。そうすれば、悔いはない。

時間をかけた分、よく考えた分、自分の力になる。

仕事は手を抜かないのが一番だ。

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爆買いとは別世界の銀座へ

東京滞在時に、突然3時間の時間が空いた。乗る新幹線の時間を早めるのも野暮だ。せっかくできた時間は有効活用した方が良い。今回はそうしたいと思った。
有楽町にいた私は、そうであれば・・・と丸の内から銀座に向かい、銀座から東京駅のルートを想定し、とことこと歩き始めた。
テーマは、20代の出張のときにたずねた銀座、そして私にとっての銀座らしい場所を巡るということ。

銀座大通りよりも、実は、一本外れた並木通りなどの静かな通りがいい。
30年前から、営業を続ける店舗もあるが、入れ替わりも激しく、流行の先端のお店も相変わらず多い。
そんななか、教文館という書店に足が向く。

若かりしサラリーマン時代、本屋リサーチも十分、市場調査の仕事になった。
そんなとき、よく来たこの書店。
1階、2階は本当によく通った。20年近く来ていなかったが、店内の様子は昔のままと言いたいが、客数は圧倒的に減っている。銀座の一等地にある本屋、大丈夫か。その上にあるのは、キリスト教関連書籍のフロア。

以前は3階以上には上がったことがなかった。どうも自分には関係ないと思っていたのだ。しかし、今回は、この何年かの長崎の隠れキリシタン、殉教者への思い、関心や、ザビエルへの興味もあり、一体3階はどんな品揃えになっているのだろうと興味がわき、初めてフロアに足を踏み入れた。

パイプオルガンの音が静かに響き、大変静かな、図書館のような売り場である。
キリスト教に関する専門書がずらり並ぶ。
まったく門外漢の私にとっては、驚きの世界であるが、遠藤周作や馴染みの作家の小説や、長崎に関する資料もあり、親しみもわく。
一番の収穫は、パイプオルガンの楽譜も販売していること。なるほどオルガンは、キリスト教の礼拝用の重要な道具だ。楽譜といえば、讃美歌の伴奏譜。
銀座に、こんな専門店があったのだ。知ってはいたが、初めての経験。
爆買いに訪れる外国人も落ち着いたようであるが、それとは関係なく、静かに銀座で思いをもって長く商いを、活動をしているお店があるというところが、銀座の魅力だ。
思わず、メルケルさんの翻訳本など、普段買わないものを買った。
銀座は大人の町だ。そうあり続けてほしい。

時間が急に空くのは、ラッキー。その時間は計画通りでないことにトライしたい。

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苦痛の次は、の期待。

やりたくないこと、避けたいこと、逃げたいこと・・日々いろんなジレンマがある。できれば、簡単な方に、楽な方に・・・と思うこともある。
病気の治療もそうだ。今は苦痛だけれど、痛みを軽減する、癒すためにつらい治療をがんばっている方がおられる。
抗がん剤の治療を続けている方に最近お会いして、一見、元気で笑顔で・・でも「3日前までは辛かったです」と言われ、がんばるな~と頭が下がる。
それに比べれば、私の苦痛はなんだ?何もないに等しく、それ以上にもっとよくなりたい、もっと〇〇したいための課程ではないか。
こんなものは苦痛でも苦労でも何でもない。

一見、嫌なこと。したくないことが下積みであり、それを越えると本物になれるのだ。

つらいときは、少し先のことを想像しよう。今はトンネルの途中とすれば、トンネルの先を想像して、がんばろう。

大人になって、病気ではなく、自分の成長のためにこんなプロセスをもてることに感謝したい。と書きながら、逃げたい自分を抑え込む。

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音楽と美術の大きな役割

音楽で最近、改めてすごいと思うのは、クラシックの世界だ。
たとえば、ショパンのピアノ曲を聴いていると、ある風景や情景などが浮かんでくる。ピアノを弾いている演奏者を見ているのも良いが、目を閉じると、視覚的な世界が広がるのだ。歌がついている曲であれば、歌詞があるためもっと想像しやすい分、その広がりはある種限定的だ。しかし、ピアノ音やバイオリン音、
アコーディオンにいたるまで、楽器は私にとっては三次元の想像を可能にする不思議な道具だ。
一方、美術も面白い。ある作品と向かい合っているとそこから音が聞こえてくるような気がすることがある。絵から音楽が流れてきそうな・・・そんな絵画もたまにはあるが、会話だったり、風の音だったり・・二次元なのに立体的になったり、視覚でしか見えていないのに、聴覚で感じることもあるのだ。
音楽も美術もいずれも、現実の世界ではない。現実の世界を越えた、永遠の普遍の理想の世界。もちろん作品によっては、負のメッセージのものもあるが。

見えない世界を見、聴こえない世界を聴く。

人間にはそんな風にして、自分の世界を広げることができる。芸術の凄いところはここだと思う。

毎朝、ピアノやバイオリンの演奏を聴きながら、朝の世界を開いていくのがなんとも楽しくて、シアワセを感じる。

人生、限られた時間であっても、音楽や美術にふれることにより、何倍にも何十倍にも豊かになれる。


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父の日はあと何回?

おかげさまで、今年の父の日も無事通過した。(笑)

若いときは考えもしなかったが、両親の誕生日や、母の日、父の日など、世間でいうお祝いの日を近年、より意識するようになった。

特に何もしなくてもいいかもしれないが、残り何年か?来年はないかも?と
つい思ってしまい、ささやかであっても贈りものであるとか、一緒に食事に行くなどしなければ、しておこうという感じになっている。

最近は月に何度も顔を合わせているし、改めてしなくても・・・という気持ちもあるが、改めて父に手紙を書くなどは、そういった特別の日の方がしやすい。

今回は、父に新潟のミニ地酒セットに手紙を添えた。「私たちのために一生懸命働いてくれて、本当にありがとうございます」と書いた。
もう父は引退しており、働いていないが、父の現役時代の労働により、間違いなく私と妹は育つことができた。
その頃の親の尽力に感謝しなければ・・・。
過去のことを感謝し続け、現役時代の頃を思い出してもらうことも大切かと思う。

あと何回?わからない。

間違ってもあと20回はないだろう。最後になるかもしれない。

万がいち、最後になっても、悔いがないように。

「いつも、いつもわるいね。ありがとね」
の、会話が成り立つ今日に感謝して・・・。

父はどんどん小さくなっていき、反応は鈍くなる・・・。でも、私のなかでは大きな存在であり続ける。

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前向きな人に会える仕事。

医療や介護の仕事は本当に大変だと思う。痛みや、老いの苦しみを抱えた人を治し、癒す仕事・・。もちろん技術の問題もあるが、向かい合うときのパワー、気持ちの注ぎ方も大変な労力と思う。もちろん好きでその仕事を選んでおられる方にとっては、その苦しみを軽減できたときが歓びに代わる、それがやりがいという方もおられると思うが、何の技術もない私にとっては、ただただ尊敬だ。

私の仕事は大変贅沢で、たとえば企業さんの相談会や勉強会のお仕事の場合、
なんとか成果を挙げたい、もっといい仕事がしたいという前向きな方がほとんどで、目の輝きが違う。また、人の話をちゃんと聞いて、いいと思えば生かしてくださる。そして別れるときは笑顔で、感謝してくださる。
ライブやコンサートの場合も、聴きたい、会いたい、元気をもらいたいという方しか来られないので、お客様の反応も前向き。笑おう、聴こう、参加しようという前向きな空気につつまれて、話したり演奏できるのはとても幸せなことだ。

ということで、私の仕事は、前向きな人に会えるという点がまずうれしい。
もっとよくなりたい、もっと成長したい、もっと人に喜ばれたいという人が自分を頼りにしてくださったり、参考にしたいと思っていただけるということが本当にうれしい。

初めてお会いした方たちの表情を思い出していたら、本当に幸せだとしみじ
み思えてきた・・。

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My Hongkong Love

もう四半世紀前になるだろうか。
今も懐かしい、初めて出張で足を踏み入れた香港の町。

ああ、こんなに国際的な都市がアジアにあるのだ、
アジアにヨーロッパがあるのだと、心躍ったものだ。
当時、知り合った香港の印刷会社の社長さんは、顔は中国系である
のに、見事に英語を操り、そして商談の後の会食では、社交ダンスも披露され、なんと洗練されているのだろう、さすがHONGKONGと感心したものだ。
現地で知り合った日本人の社長は、何十年も香港で暮らした。よく働き、週末はマカオへカジノに出向き、よく遊んだと反省を込めて話しておられたことも今は、とても懐かしい。もう香港にはいない、返還後、渡英した。
会社員最後の仕事は、アジアのマーケティングリサーチで、香港の売り場調査に出向いた。当時の返還直後の香港は、まだイギリス統治時代の匂いがあり、わくわく感もあった。

香港は、テレサテンも愛した町であった。もっとも国際的な、自由都市。
戦争では、不幸な経験も生んだが、その時代を越え、香港は世界から観光客を集め、日本人にとっても最も近いヨーロッパとして、親しみ通う都市となった。
アフタヌーンティーも、香港で知った文化。免税のショッピングを楽しんだ日々もあった。思い出は尽きない。

しかし、もう10年以上Hongkongに足を向けていない。
とくにこの数年は、足が向かない。マカオへ行くとき必ず利用していた高速船も今は利用しない。
香港は、変貌してしまった。
今も、目を閉じれば、九龍島から香港島に渡るスターフェリーが懐かしい。
本当は今も乗り、あの風に吹かれ、歴史に思いを馳せてみたい。
しかし、香港は私の愛するHongkongではなくなった。
行くことで危険を感じたり、失望を抱くのは避けたいと思ってしまう大変残念な状況、さらに悪化している。

あの22年前までのHongkongが、私のなかの香港だ。
今、自由を、いや人として当たり前の権利を求め、訴える若者たちのデモを見ると、町に咲く雨傘を報道で見ると、胸が締め付けられる思いだ。
世の中は、どんどん不自由になっている。

私の香港は、心のなかに。
あの生ぬるい風、きっと海をなぜる風は今も昔も変わっていないだろう。

一人ひとりが自由に生きる、表現できる。
この権利が侵される国は・・・、
この地の若者たちに心からエールを送りたい。
香港らしい明日が、来るように。またいつか自由な風に吹かれに行きたい。
という願いを込めて・・・。



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新たな発想を得る空間、時間

美術館は発想するのに最適な空間だ。たとえば一枚の絵画を見ることで、その国や時代、社会の様子がイメージできる。現実を離れて、自由に自分だけの世界を想像することができる。
絵画の技術的なことは素人にはわからないが、その作品からさまざまなインスピレーションを持つことはできる。
また、絵画でも写真でもなく、行動自体をアート作品とする事例もあり、
アートとは何かを考えるにいい機会を得る。
町のなかで人目を惹く奇妙な行進をしたり、空白の本を出版したり、その行動自体にメッセージがあるものもアートだそう。その行動にメッセージがあるかどうか?あれば、それは作品となる。
決して新しい手法でもないが、私にとってはこの感覚も大変新鮮で参考になる。

生きるということは、何を伝えるかということ。
その伝えるために存在する手段が、「作品」である。

どんな手段で?これは音楽でも、演劇でも、街角パフォーマンスでも良い。
では、何を伝える?伝えたいことがあるから、作品になる。

美術館にいくと、私は作品を観ているようで、その後ろを見ているようなところがある。
何がいいたい?何のために?
その瞬間の想像が、自分の創造につながることがある。

著名なアーチストの作品でなくていい。とにかく、多数の表現、発信をどんどん吸収しよう。
美術館は、想像と創造の源泉だ。


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シアワセを運ぶローカル線にエール

新幹線や特急列車では、足湯付き、高級ホテル並みのサービスを提供し、移動時間自体を旅の目的にするビジネス機会も増えているようである。個人的には昔の食堂車付きの新幹線はとても懐かしかったし、車内販売、駅ホームでの駅弁売りも日本の列車文化のひとつとして親しんできた。人員削減などでこれらも無人化、自販機代用化になっていくことは寂しいが、このことと対局に、おもてなし列車は新たな市場になっているようだ。輸送機関の付加価値づくりというところか。
ローカル線は経営的に難しいと分社化され、地方の鉄道会社たちはいかに利用者を増やすかに工夫と苦労を重ねている。一方、電車オタクというありがたいファン層や高齢化社会が電車市場を支えていると思う。
私も個人的には、バスよりも列車移動が好きだ。車移動とは違う、なんともいえない旅情感が味わえる。列車、駅、車窓・・・魅力は尽きない。
このたび、ふるさとの鉄道会社のひとつ、長良川鉄道に乗る機会を得た。そして偶然、特別車両に乗ることもできた。これは週末の予約限定の特別車両とのことであったが、本当にラッキーであった。
なんとも素晴らしいデザイン。快適性も乗り心地もばっちりで、90分ほどの移動中、25の駅に停車しながら、昇降する人々の様子も見ながら、車窓も眺めつつ大変有意義な時間を過ごさせてもらった。
公的交通機関の運営。これからの高齢化社会の進行を考えると、ますますこういった機能は重要になる。が、おいそれと新しい線路を敷くわけにはいかない。
せめて、今ある路線がなくならないように、みんなで利用し、盛り上げることが必要だ。
それにしてもこんな素晴らしい電車。高級グルメは要らないから、ちょっといつもの移動が楽しくなる・・・そんな電車の旅は、私にとって宝物だ。
30年以上新幹線に乗り続けてきたけれど、最近、改めてローカル線の良さを身に染みて感じている。

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町の便利屋アライアンスに感謝

やれ、網戸が破れて虫が入ってくるから、張替してほしい。
風呂の追い炊きもしづらい・・という親からの連絡を受け、実家の近所の
昔からお世話になってきている商店に連絡をして、一度見てもらえないかと
お願いをする。
その商店は、50年前は、プロパンガスの販売会社。今はガスに関連して
水回りの工事一切から、リフォームにいたるまで、おうちの便利屋さんのごとく、業務内容を広げておられる。といっても、近隣のもともとの顧客(両親のように)から、何かのついでに「あそこがおかしい」「ここをみてほしい」と声がかかって、対応するようになったということのようだ。
もともとプロパンガス販売業が、今やおうちの何でも屋さん。ガス屋さんが網戸の修理?玄関の手すり付け?社内で対応できないことは、地域の専門業者さんと組んで、そこに依頼する。まさに、便利屋アライアンスだ。
網戸を扱う会社も、営業がいなければ仕事にならぬ。普段から各家庭に入り込んでいるガス屋さんが営業をしてくれていることになる。
専門店のアライアンスによって、高齢者が住む町は支えられている。
子が同居していれば、なんてことないことも、そこにいない、すぐに帰れないときに町の便利屋さん的存在に連絡する。
とはいえ、そのガスやさんも本当は便利屋さんではないため、お金のとれないサービスもしているような心配もあるが・・。
またガス屋の担当者は、大変親切で明るい。地域のお年寄りにはとても助かる人材なのだ。こういったつながりを見ていて、安さで勝負する量販店とは違う、もともと地域に根差す専門会社の存在感について実感する。
町の便利屋さん。暮らしの不便を解決してくれる人がいてくれることはとてもありがたい。こと、高いところに手が届かず、電気もわからない私としては、そういう便利屋さんに助けてもらって、親との別居を可能にしている一面もある。
高齢者の生活の不便。◎◎弱者といわれるお年寄りが安心して暮らせるように
地域の力を借りて、感謝していきたいと思う。

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