利他の心を改めて。

メディアが伝えることも、どこまでがどうなのか?まったく本当のことが
見えづらい世の中になっているが、そんななかで利己の人が目立って、世の中は一体どうなってしまったのかと不安を感じることが多い。自分主義、、、それが当たり前になっているような。目立つことばかりが、優先され、コトの本質を問うことが軽んじられているような・・・。
自分のことしか考えない。自分ファースト。自国ファースト。
でも、最近、そんなことばかり声高にいい、やっている人はそのうち地獄におちるんだ~。と思うようになってきた。
また、利己の人は本当によくない顔になるんだな~。薄汚れた顔だ。

いかんいかん。

自分はといえば、どうせ大したことのない、己であるので、そこにこだわる理由がない。

それよりも、周囲が喜んでくれることの方がもっとうれしい。
利己の人は、その喜びがわからないのだから、かわいそうであるし、うすっぺらでかえって、貧しい感じがする。

とにかく、この時代だからこそ、利他の心を。
それが結局、幸せへの道ではないかな。と思えてならない。

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壁をつくる人、壊す人、越える人。

コミュニケーションにアクリルや、ビニールシート。
これも、なかなかつらいけれど、透明なので、まだ相手が見えるからいい。

相手の心が見えないコミュニケーションは、本当に難しい。
世のなかには、
どうしても、壁をつくってしまい、自分を見えなくする人もいる。
たとえば、ある言葉に反応して、その瞬間に人が関わってくることをシャットアウトして、自分の殻にこもってしまう、相手を受け入れない・・・。
壁をつくるとは、受け入れないということ。自分だけの世界に籠るという状態。
そして、
残念ながら、何を見てもけなしたり、文句を言ったり、・・・でだんだん人が寄ってこなくなり、最後は孤独になる。本当は寂しいかもしれないのに、つまらない意地が孤独を募らせてしまう・・・。

一方、いろんなことがあっても、自分のなかに入ってくる人、自分から相手の方に飛び込んでくる人。壁を壊す人だ。
この破壊は、一見、建設的である。
でも、気をつけないと攻撃的になってしまうこともあるかもしれないため、
壊すという発想は要注意だ。

この創る人と、壊す人の会話はなかなかかみ合わない。

つながっていたい人との壁はない方が良い。とくに家族の場合。

孤独な相手の心に入る時は、壁を壊すのではなく、壁を越えるという姿勢
でなければ・・・。壁を越えることで、いい関係が生まれる。この越え方には工夫が必要だ。

最近、さらにがんこになっていく親との会話は、まさにこの壁との闘いでもある。
なかなか、心が折れそうになるが、コミュニケーションの修行をさせてもらっていると思って、めげずにトライする。


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透明シート越しはいつまで?

道を歩いてるとき、マスクをしながら歌う。発声をする。近くに誰もいないときは、マスクを外して声を出すこともたまにはする。屋内での発声練習はなかなかむつかしい。
最近は一人カラオケなどというサービスも始まったそうであるが、開放的な空間で歌えるのが自然。
最近、いつ、ライブがコンサートができるのだろうかと思案する。オンラインではなく、ライブ・・・。目の前にお客様がいて、目が合って、心のふれあいを感じるまさにライブ・・・。

一方、お店のレジ、やイベント会場の入り口等、人が向かい合う各所に設けられた透明ビニールシートやアクリルのパーテーション。
当たり前になりつつあるこの存在が、最近とても気になっている。
もし、ライブハウスや演奏会場がそんなに広くない場合、今後は、もしかしたら透明シートを客席との間に貼って、アクリルの仕切りを置いて行われるような?そんな事態が来てしまうのだろうか?
透明で顔も見え、演奏も聴こえる・・・。
でも、その間に1枚のシートが・・・。
そんな絵を想像すると、とても悲しくなって、たまらなくなる。どこか痛々しいのだ。

いろんなことに、いつしか慣れていくのだろう。
きっといい方法がみつかるだろう。

と、本番の心配をする前に、今こそしっかり練習したり、創作せよ!
ともう一つの自分が言う。

透明だけれど、1枚ある。この存在は気になる。
でも、透明シートが発明されていてよかった。これがないと、何も見えないのだ。
などなど、ビニールシート1枚だけでも、考えること多し。
このコロナは、コミュニケーションにも多くの課題を投げかけてくれている。


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DICでいこう。

DICとは。印刷会社にいたから、インクのブランド名かと思われてしまうかも・・・かも?いや、そうではない。

今日伝えたいDICとは、最近、こだわりたいコミュニケーションのこと。
まずは、direct communication。直接届けるコミュニケーション。
伝言ゲームのようなことをやっていると、やっているうちに、意味が変わっていったり思いが違う方向へいってしまう。関節的にというのは、出来る限り避けたい。言いたいときは、直接言う。遠い相手であっても、直接届ける方法を考え実行する。どこか見えないところで言ったところで、解決にはならない。
直接言う。勇気もいるが、これが一番。誰かを介す場合は工夫が必要だ。

そして、Dialogue Communication 。対話である。
言いたい事だけを発信したり、言いっぱなしでなく、言葉をちゃんとキャッチボールして考えを互いに高めていく。相手が見えていることがコミュニケーションの前提だ。
対話は人間が生きていく上で不可欠だ。
これが最近、どうだろうか?何様目線かわからない、言いたい放題。対話にならない一方通行の言葉が飛び交っている。断片的に一見、通じ合っているかのような?誤解の連鎖。こんな現実も気になる。
とにかく、人間の関係づくりで大切なのは、対話だ。もっとも今は、直接対話の手法にも制約があるが、手法や制約を越えて心の対話を心がけたい。

ということで、

DIC。自分のことも相手のことも大切にしながら、真に悔いのない、良好な関係づくりを目指していこう。

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人生の結びのひと言を。

いつ、何かおきるかわからない毎日を送っている。

もしも、のとき、自分は誰に何を言うべき、伝えるべきかについて、最近考える。予期できぬ別れが、ある日突然訪れることもあるかもしれないため、お世話になってきたすべての人に伝えることは難しい。

せめて、目の前の人たちには、感謝を。
それだけである。
「ありがとう」この言葉を、笑顔で言えたらいい。
「ごめん」で終わるよりも、「ありがとう」がいい。
どこで締めくくりになるかわからないため、どんなときも、会える人に
感謝の気持ちを示しておきたい。

どこで幕引きになってもいいように、忘れないうちに、伝えたいこと、思いは
ちゃんと届けておこう。

最後の一言で、人生の結びは決まる。そう考えると、なかなか難しい。
モノやお金を遺す以上に、言葉は大切に考えなければ。

受け取る言葉は生涯、消えない。宝にも傷にもなる。

感謝を込めて、いい締めくくりを。ステキな結びを。

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プラスマインドをキープ。

この新型ウイルスがどこで生まれたのか?どうすれば未然にこのパンデミックを防ぐことができたのか。について、考えることは自分にとっては意味がない。
起きたことが、現実が全てであるし、自分にとってはこのことがプラスに見えることも少なくない。

いのちと経済のバランスを考えたり、当たり前と思ってきたこれまでの日々がもうないことに気づいたり、経済至上主義では幸せになれないことを思ったり、実は多くのものがもう要らないのかもと思ったり、人間は実は万能では無いけれど、環境に適合しようとする力があることを知ったり、いざという時が来るとリーダーと言われてきた人たちの本当の力が見えたり、、、、。これまで疑問に思えてきたことの答えが見えるきっかけになっている。

不安に思う人もいるかもしれないけれど、そう思うだけでは寂しい。どうせならこの変わる世界を楽しもうと思う。

何が大切なのかがよくわかる。

コロナに勝つとか負けるとかでなく、それありきで生きる力を身につける。

after、withといろんな言葉がつき始めているが、今はPlus。コロナがもたらした現実をプラス発想でとらえ、進みたい。
この気持ちを持ち続けることが、これから生き抜く力になると信じたい。
プラス発想、プラス志向。そのためには、今日も1日楽しめるよう、心をぐっと開いておきたい。コロナに負けるな、ではなく、結局は自分にマケルナ。
今日もプラスでいこう。

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いつか終わる!だから・・

コロナの終息は難しい、完全なる収束はない。むしろ共生しながら、新しい生き方を模索する・・そのなかで、今抱えている問題、課題もいつか乗り越える日が来る。
コロナ以外でも、生きていると、つらいことや、しんどいことが日々おきてくる。何もない、順調満帆な人生はないと思う。

そのしんどさも、同じ状態でずっと続くことはない。
人間が生きている以上、日々すべてが変化していく。老いも含め、環境も含め、何ひとつ昨日と同じということはない。

そして、日々できることをしながら、毎日をしっかり生きていることで、
その苦しみの日々も終わることがある。

どんなことも、いつか終わる。

今は、そんなことを信じている。

だから、少々の苦労はやむを得ない。いつか終わるので、それまでがんばろう。

と、コロナとの付き合い方もそれ以外も・・・。

その終わりは、いのちの終わりということもあるかもしれないが、それも含めて
いつかすべて終わる、そしてまた次の何かがはじまるのだ。

まさに人生は観覧車のように・・・。できる限り、しんどくなく、楽しいことを
みつけながら、いこう。

必ず終わる。だから悔いないように。
最近、つらいとき、しんどいときは、このことを唱えるようにする。

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コロナで気づく、暮らしの基本、本質。

コロナの影響は、ビジネス、教育、いろんな面で影響があるが、現役世代のみならず、高齢者の暮らしにも大きな変化が見られる。

介護サービスを受ける人たちも、デイサービスなどの中止で、外出もなく毎日体を動かすことが難しく、長い一日を過ごすことになる。わが母は、おかげさまで80歳を過ぎても元気で、自転車で近所を往来、みなさんとの井戸端会議も含め、食べ物の物々交換をしながら平和に生きている。洗濯、ゴミ出し、草取り、買い物、近所の喫茶店、、、。ただコロナの影響で旅行や老人会、農協などの行事イベントもなくなり、日々の暮らしに、変化がなくなったようだ。暇だから、友達と話しながら、手作りマスクをもらった、野菜とおかずを交換したなど平和な日々を過ごしている。そんな母から、

「なんか、毎日同じことの繰り返しやな。」

最近の毎朝メールにそんなことが書いてある。そうだ、コロナ前は生活に変化、バリエーションがいろいろあった。

自粛要請で、大きな変化がなくなったことで、本来の暮らし、当たり前のことに否応なしに気づいたようだ。

確かに、生きるとは、毎日の繰り返し。同じようなことの繰り返し。目覚めて食べて、、、そして眠りにつく。単調な1日の中でも小さな変化や発見があるだけで、うれしくなったr、ハレ気分になれる。

コロナは人間に生きる本質を教えてくれる。母の何気ない一言でこちらも気づきをもらった。

イベントがなくても、人生は楽しく生きられる。

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不思議な解放感。

緊急事態宣言が解除された翌日。駅前のレストランや飲み屋さんは
早速普段の営業モードに切り替わった。但し、「テイクアウトできます」
の文字が必ず店頭にあるのと、窓を開けっぱなしにしている。そして店内スタッフは間違いなくマスクを着用。
この3点は、自粛営業になる前の店の様子と変わった点だ。
いずれも密にしてはいけない。お互いを守る、そのための工夫。
明らかに世の中がじんわり変わり始めていることをこの風景から感じる。

また営業開始となってもすぐには以前のようにはならないからと
店の前で、野菜を売ったり、厨房スタッフが外に出て呼び込みをしたりと
これも前にはなかった光景。

ちょっと違和感はあるけれど、それでもみんなが動き始めているのは
じんわりうれしい。

そして、信号を渡る人も、道を歩く人も、先週より元気で笑みが戻った
そんな感じ。食品売り場はちょっと密になり、お、気を付けないと
逆戻りする。と思いつつ、それぞれが気遣って、近づかないように
配慮しているのを感じる。

とにかく町に灯がともって、店のディスプレイが夏のものに代わって、
お掃除をして、元気に「いらっしゃいませ」の声が聞こえてくる
のがうれしい。
今はスタンバイ、準備で忙しいから、見えないバックヤードで皆さん
忙しく動いていることだろう。

とにかく空気が変わったのを感じる。

ひとりひとりにのしかかっていた錘がとれたような、ああ、終わった。
という解放感だろう。
あまりこれまで感じたことのない空気。
貴重な機会とよく覚えておこう。


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動き始めるなら、アンダンテで

今週になって、名古屋の町が動き始めた。そんな感じがしていた。
小売店も少しづつ営業を再開しはじめたり、これまでずっと閉まっていたカフェも時間短縮ではあるが、営業しているのをみつけたり・・・。臨時休業の文字を見ると寂しいような、何とも言えない気持ちであったのが、営業中というサインを見ると安心したり・・・。1件1件の判断や思いを勝手に想像していた。
名古屋はもともと地下街が有名であるが、これまでほとんど見ることのなかったシャッター通りになっていた状態が、眠りから覚めたように、少しづつ営業している店が顔を出し、通行客こそ少ないが、ゆったりした生活のリズムを感じるようになった。徐々に普段に戻ってきている。
やっぱり、町はこれでなくっちゃ・。となぜか安心する。
名古屋でいえば、4月12日より時が止まったように町全体の自粛がはじまった。百貨店もSCも臨時休業のまま・・・。無理やり動きを止められているような、緊急事態とはこういうことか・・。そのなかでオープンしている店もマスク姿の接客姿に、ビニールシート、アクリルの仕切り・・・。この風景にもいやおうなしに慣れてきた・・・・。
でも、もう1か月。もう、そろそろ・・。

そんななか、昨日、首都圏、京阪神を除き、緊急宣言も解除となった。
全国の夜明けは、もうしばらくの辛抱だ。在住されている方にはお見舞い申し上げるとともに、もう少しがんばってくださいね。とエールをおくりたい。
徐々に日本中がより動き始めるだろう。
でも、二度と同じ事態を招かないように、注意して過ごさねばならない。
うまいこと、このまま進んでいかねばならない。元どおりではなく、新たな環境とつきあっていかねばならない。

それにしても、町が動き始めるのを見ると安心する。人が働いているのを見ると安心する。いのちも、経済も大事だ。
いきいき人々が生活している日常に戻れたらいい。
今回学んだことを生かして、そろりそろりと動いていこう。
そう、音楽用語でいえば、アンダンテ。ゆっくり歩くような速さで。
決して走ってはいけない。


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