あと何回。と思えば、、、。

ずっといると思うと、ずっとあると思うと、想いのままに、モノを言ったり
自分に思うがままに行動してしまうことがある。人にやつあたりすることも
あるかもしれない。
しかし、何事も有限だ。

いつまでもいない。いつまでもない。

そう思うと相手を大切にしなければ思えてくる。

全力で親とぶつかってきた日々であるが、よく考えたら、あと何回こんな風に
やりとりできるのだろう?と思うと、見方が変わってくる。
あと、何回食事ができるだろう。
あと、何回この人に会えるだろう。
そう思うと、おのずと優しくなれる…そんな気がする。

いつまでもいない。いつまでもない。

全ては有限。意識していこう。もちろん自分自身も。
と思いつつも、やはり生身であるため、それでも気を抜くと
全力でぶつかってしまうこともまだある。
あと何回。
これを呪文のように唱え続けること。
これが、私の今の課題だ。
そうすれば、何事もおおらかに、そしてやさしくなれるはず。

本当に毎日が修行の道。

カテゴリー: Essay (Word) | あと何回。と思えば、、、。 はコメントを受け付けていません

わたし流飲食店の応援。

GO TOのゴテゴテ、ゴタゴタ。今回のコロナの影響で途方もない苦労をされている観光業界や外食産業の皆さん、その業界との取引がメインの農家の皆さん・・・。皆さまにとっては、本当に大変な年末になってしまった。
どうやって、切り抜ける、どうやって生き残る?
人には任しきれない。自分でがんばるしかない。
公助はあてにならないことは、今回みんなわかった。
あとは、共助、自助。

飲食店での夜の会食は難しくなってきた。
であれば、昼の利用。しかもできる限り、売り上げに協力できるように。
ということで、可能なときの、昼呑み利用。

夜ほどではないけれど、単にランチをいただくだけではなく、
売り上げにも貢献できる。

土曜日。久しぶりの岐阜の昭和の繁華街、柳ケ瀬。高島屋の前にある
寿司屋。地元のお店だ。子どもの頃から知っている。
久しぶりにその前に立つ。
「全室個室です」と書いてあり、コロナ対策をしているという姿勢を
感じる。
個室と書かれていることで、家族連れにも安心のようだ。
加えて、工夫された手書きのメニューが掲示されて
道行く人の目に入る。寿司やは旬の情報がとくに決め手になる。

たまにはと思い、その個室利用をリクエストして、順番待ち。
しかし、みなさん週末の昼時、ゆったり過ごされて、なかなか席が空かず、
結局はカウンター席に案内される。コロナ対策で、隣の席があいているため
こちらも安心。

そこで、ゆっくりと食事をいただく。昼から少しお酒もいただいて・・・。
明るいうちのお酒はちょっと健康的だ。酔っ払いすぎることなく、
ほどよく終わる。
1時間余り、ゆっくり静かに食事をとり、
「昼ちょっと飲むのは、いいね。健康的な感じ」
とそんな感想を抱きながら、午後の用事にとりかかる。

夜がダメなら、昼呑み応援。
年末年始、静かに乾杯するなら、それならまだいい。

いつまでもだらだら飲んで、大きな声になって・・・
そんなストレス解消型、憂さ晴らし型の外での飲み方はこれからなくなって
いくだろう。

酒の飲み方も、どんどん変化する。

とにかく、今はまず自分で努力する飲食店をできる限り、応援したい。

カテゴリー: Essay (Word) | わたし流飲食店の応援。 はコメントを受け付けていません

鉛筆でサイン、愛を伝える。

施設に暮らす父へ時々持ち込む、差し入れ。
コロナで面会制限があり、食べ物を差し入れても直接食べさせられないため、出来る限り、スタッフの方にお手間をかけないようにと、カステラを切ったものとか、プリンとか、食べやすいものを持参。
会えないので、手紙を添えて・・と思いながら、毎回写真付きの手紙をつくる。
今回は母と一緒に写った写真を添えて作成。今回は3回目。
母にそれを見せる。
「お父さんのこと気になっているんやったら、ここにお母さんもひと言書いたら?」
最初は、拒否していた母が、
「お父さんのこと、好きなんやったら、一言書いてあげたら?会えんし。」
とペンを渡すと、
「マジックやと、間違えたらあかん。鉛筆がいい」
と言った。へ?書く気があるんだ。
鉛筆を渡すと、母はその余白に
「敏子 がんばりましょう」
と書き始めた。
その行動に、正直、びっくりした。母が文字を書いたのを久しぶりに見たのだ。
「こんで、いいかな」
「いいやん。これ渡してくるわ」
目が見づらくなり、書くこともしなくなった母が、珍しく鉛筆を手にとったことに驚いた。
やはり、夫婦なんだなとうれしくなった。

施設にもっていき、受付で手紙を渡すとき
「ここ、母がサインしたので、そう父に伝えていただけますか?」
とスタッフに伝えた。笑みがうまれた。

母の願いが思いが、鉛筆のサインで父に伝わっているかな。
だと、いい。

自筆のサイン。やっぱりいいものだ。
大した親孝行はできないが、こんなこと続けられたら。

※添付は、サインをする前の手紙。サインしたものはすでに施設にお届け。
写っている写真は、まだまだ若く元気だったころの両親と地元ライブの会場での1枚。

カテゴリー: Essay (Word) | 鉛筆でサイン、愛を伝える。 はコメントを受け付けていません

ベートーベンはコロナを越えて

12月16日。ベートーベンの誕生日。ドイツの古都ボン。下の写真にある、自宅の屋根裏で生を受け手から、250年。彼を生んだマリアさんは、今もこのボンの墓地に眠っている。

今年は地元ではもちろん、世界中で大々的なアニバーサリーイベントが企画されていたが、ほとんどがキャンセルもしくはネット配信となった。
クライマックスのコンサートも、ネットで執り行われたとのこと。

250年の間には、スペイン風邪もあり、さらにその昔にも、さまざまな事象が起きていただろう。歴史的な事件も多くあっただろう。
今。この瞬間に生きている私たちは、コロナで残念だと思うけれど、こんな経験も何度も乗り越え、ベートーベンの楽曲は演奏し続けられている。受け継がれている。
コロナがあったからといって、途切れ、消失してしまうのではなく、このときの対応も、後になればきっと、特別な思い出になる。

私も、この12月はわが初恋のベートーベンの生家を改めて訪ね、新たな着想で、今の思いを曲にしたいと思っていたが、それが叶わぬ今、写真、映像、書籍などさまざまな資料を改めて目にしながら、自分なりの思いを綴っておこうと思う。
この冬の宿題だ。
ベートーベンならこのコロナ期をどう見ただろうか?もし、生きていたら・・と思うと、それもわくわくしてくる。

永遠なるものは、あらゆる困難を乗り越えることができる。
運命、田園、悲愴、月光、英雄・・・そして歓喜のうた。
なんと世界観のあるテーマで書き続けたことだろう。(あとで命名されたものもあるだろうが。)
普遍性あるテーマだからこそ、250年経っても、いつまでも新しいのだ。

今だからこそ、改めて感謝したい、わがベートーベン。
楽聖は、私に哲学と歴史と、音楽との接点を教えてくれた。
世界の動き方、精神世界の力強さを身をもって示してくれた。

1770年生まれのベートーベン。大哲学者ヘーゲルも同い年であったことも
改めて頭においておきたい。
ルードヴィッヒ、ありがとう。これからも愛し続けたい。
コロナを越えて、何事も越えて、人類が存在し続ける限り、存在する・・・
とてもそんな人間にはなれないけれど、大きなお手本として、小さいことから
はじめよう。

カテゴリー: Essay (Word) | ベートーベンはコロナを越えて はコメントを受け付けていません

言葉を味わう。

いろんな世界、業界のことに触れることは、大変新鮮で勉強になる。
たまたまキリスト教関連の広報誌を見ていたら、
「派遣」という言葉が出てきて、目が留まった。

私たちの日常生活において、派遣といえば、派遣社員とか自衛隊の派遣とか
そんな場面で使う、耳にする。
派遣元から派遣されて、派遣先で契約時間内で
契約した仕事を行う。と、そんなイメージ。
であるから、その資格を有する人であれば、誰が行っても対応できる仕事であり、合理的な雇用、働き方、仕事のスタイルのひとつが「派遣」。
・・・と、そんな風に受け止めていた。

一方、キリスト教の世界での「派遣」とはラテン語ではmission。英語でいえば「使命」の意味である。
神様からの命を受けて、いのちをかけても、全うする仕事。それが「派遣」とのこと。この12月3日に帰天したフランシスコ・ザビエルのアジアへの布教という大きな仕事。こちらも「派遣」ということになり、また隠れキリシタンたちが時の政府に弾圧され、島流しにあったり、さまざまな極刑にされたこと・・これも神様からの派遣。何があっても信仰を貫き通すという使命なのだそうだ。

なんと、この世界での「派遣」とは重い意味なのだろう。

クリスチャンでなくても、今この言葉について改めて考えてみる。

自分は今、ここでこうして生きていること自体は派遣だろうか?
誰の命令とか、オーダーとかは別として、なぜこのように毎日がんばって生きようと思うのだろう。
自分なりの生への使命感はある。たとえば親のことをちゃんとしなくちゃとか、
世のなかを元気にしたいとか・・・。これらの思いを胸に小さいながらも、努力するということは、生きることに対しての使命感がある。
見渡す限り、どこからも頼まれていないけれど、見えない力にそうするようにと導かれているのかもしれない。
と、この「派遣」という言葉から自分の生き方について、思いを巡らすことになった。

言葉は面白い。たったひとつの言葉から、さまざまな背景や意味が見えてきて、
人がその言葉を使いコミュニケーションをしているのだと思うと、改めて
言葉とは最重要のコミュニケーションの道具であると思えてくる。

そんな風に、出会う言葉をしっかり味わい、世界を広く深く理解して、豊かに生きる糧にしていきたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 言葉を味わう。 はコメントを受け付けていません

これでいいのか?正解はなし。

親がお世話になっている施設からの郵便。毎月の必要な書類が送られてくる。
そこに父の最近の様子のカンタンな報告とともに、施設内で撮影された1ショットのコピーが貼り付けられている。
そこにある父の顔を見て、愕然とする。
施設暮らしで、コロナで会えなくなって、どんどん変化していっているような。
どんどん別人のようになっていくような・・・。
施設の方が書いてくださるコメントは、最近は穏やかに暮らしておられます・・と家族を安心させるメッセージもあり、本当にありがたい限りであるが、
穏やか=当初の元気は低下していることが想像できる。
こうして会えない間に、どんどん変わっていくのかもしれない・・。

同世代のある方が、「介護には正解がない」と言われていたことを思い出す。
確かに、その時その時は、ベストと思ってこの1年半、選択しながら進んできたつもりであるが、親にとって果たして最高であったか?と思うとおそらくそうではないはずだ。

老いて自分で自分のことができなくなると、周囲が自分のことを決めていく。
お世話されるということは、ゆだねることであり、自分の意志に反することもあるはずだ。
父はどうしたかっただろう。と思うと、本当に胸がつぶれそうになる。
家族の事情、住居の都合、身体の状況・・・さまざまな要因から、今の状態がある。いつも、これでいいのだろうか?と自問している。

今年を振り返ると、このことが一番気になることである。
介護は本当に正解はない。終わってからも手放しで喜べない・・・そういう仕事のような気がする。
長く生きることについて・・改めて考えさせられるが、
親の日々について、ご協力・応援してくださる方への感謝だけは持ち続けたい。
自分がこのように生きられるのも、皆さんのおかげだから。

カテゴリー: Essay (Word) | これでいいのか?正解はなし。 はコメントを受け付けていません

超最速の現場にエールを!

例のGO TO トラブル いや、トラベルの一時休止で、現場が対応に追われている。旅行業界の皆さまは、本当にコロナに加え、仕切る人のブレブレ対応に振り回され、本当にお気の毒な2020年だ。
最寄りの鉄道系旅行会社は、今年30周年という節目であり、さまざまなキャンペーンを用意されていただろうに、さんざんな結果でこのアニバーサリーを終えるとは本当に・・・。

このたびのGO TO トラベルについて、1件、近日サービス利用の予約をしていた。
そして、除外と決定。
さて、その後の対応の素早さにびっくり。
ガースー氏の記者会見による一時休止の報道から、翌日午後には、利用者に
連絡が入り、手続きの案内が入る。
1日もしないうちに、キャンセルなど処理対応ができるなんて、万一のときの準備はすでにされていたのだろうか?
これら旅行会社のスタッフの皆さんの心中穏やかならぬのに、冷静にお客さんに
対応されていて、本当に頭が下がる。
今年は、いつも窓口へ行くと「大変ですよね。がんばってください」とつい
言葉をかけてしまう。

いずれにせよ、現場とお客の関係はとても近く、迅速対応だ。
それに引き換え、その仕切りをする側が、別世界に住んでいるかのようだ。

年末年始に向けて、多くの予約を受けていただろうに、本当にお気の毒だ。年末年始の結果が、また心配になってくる。いつまで続く?
線路は続くよ♪ではなく、コロナは続くよ・・はもうごめんだ。

本当に国民のために、適切な判断を迅速にしてほしい。
それができていたら、年末年始にはさしかからなかったかもしれない。
自助ができる環境を整えずに、自助を求める公人は??要らない。

カテゴリー: Essay (Word) | 超最速の現場にエールを! はコメントを受け付けていません

Where go to?改めて・・

青いポスター、ステッカーが駅や街中のいたるところで目につく。この光景にも慣れてきたこの二、三カ月。先日訪ねた京都の老舗カフェは、これまでと違う若い客層を多く取り込んで賑わっており、そしてレジでは地域クーポンの山を見つけた。クーポンとともに、新たな観光客がやってくる。昔から好んで利用していた馴染み客には、客層が変わるのは、少し戸惑いも・・。

お客さんは増え、売り上げは一時アップ。今年の厳しい営業状況において、この大盤振る舞いの販促は利用者にもお店にも有り難い。でも、この賑わいが感染につながるという皮肉な結果に・・・。

そんなこんなで、この対策は一時休止。また観光、輸送業、飲食業には再び痛手になるが、今はやむなし。当然であるが、当事者にはこの繁忙期に向け更なる痛手。本当にお気の毒だ。

しかし、今はまずは感染症拡大を収束させること。これが一番大切で、楽しみはより安全なタイミングまで待てばいい。

健全で安心できる社会に向かうことこそが、 今向かうべき道。

どこへ進みたいのか、向かうべきなのか。

まずはリーダーが明確に、自身のデスティネーションを示すべき。

間違っても支持率など、保身のため、自分たちのための対策であってほしくない。近視眼的でなく、どこへこの国は向かうのか?をきちんと示し
安心してその導きにのっていけるようにしなければ、

どこへ行く?一番問いたいのは、そこである。
とにかく、企業さんたちには、なんとかなんとか踏ん張っていただきたい。
そのためにできる応援をしていこう!

カテゴリー: Essay (Word) | Where go to?改めて・・ はコメントを受け付けていません

伝わってるな~。伝わってないな~。

いろんな人のスピーチを見るのは、勉強になる。
スピーチと言わなくても、人前で話している人の様子ややりとり・・・。

私はメルケルさんが大好きであり、尊敬している。
台湾の蔡さんも同じ。
発するメッセージがクリアで、自身の内側から思いが溢れている。
と同時に、責任と覚悟も見える。
伝わっているな~。この人も言うことなら聞こう!と思えてくる。

一方、トランプさんのスピーチ。こちらは、内容的には賛成、共感しないけれど、
彼を信じている人からすれば、引き込まれる力がある。
コトバ自体、平易でわかりやすく、こちらも自分の言葉だから、響いている。
信じている人には、「この人の言う通り」となるのだろう。

一方、日本の政治家たち。とくに表舞台によく出られる人たちのスピーチは
なぜか、伝わってこない。
どこ見て話しているんだろう。読んでるな~。考えて話しているのかな。
他人事みたいだ・・・。
と、内容が中に入ってこないで、コロナ社会で普及したアクリル板のように、
遮断されている感じ。話し手と聞き手が一体にならない感じがある。
お飾りのスピーチ。借り物の言葉。
政治家はコトバの仕事であるから、ここがきちんと発せられていないことは
致命的だ。

それはそれとして。
伝わっているな~。伝わってないな~。

私自身は、もちろん前者を目指すし、後者の事例もみつけたら、前者になれるよう導きたい。もちろんクリアな思いの人に限定したいが。

伝わってるな~。
危機の時代は、とくにここは、大切だと思えてならない。

伝わってこそ、人は動く。



カテゴリー: Essay (Word) | 伝わってるな~。伝わってないな~。 はコメントを受け付けていません

コロナと地縁。

さらに加速する高齢化社会。親世代の生活の変化が著しい。
元気に団体旅行へ出かけ、日々も車で、自転車でとそれぞれ元気にお出かけしていたお年寄りたちが、このコロナで急に行き場を失った。
そこから急にデイサービスなどの利用をはじめる方も増えてきたかもしれない。
もっとも、福祉施設もコロナを見ながらの運営で、利用者が多いから万々歳というわけにはいかないだろうが。

一方、医療機関の経営が危ぶまれている。コロナ患者の受け入れだけでなく、コロナで病院に行きづらくなったという点もあり、地域の医療機関は、待ちの医療から、応援に力を入れ始めている。
おうちにお医者さんが来てくださるなんて、大変ありがたい。
母のもとにも、週に一度、主治医の先生が往診に来てくださる。
家族にとってもありがたい限り。

子どもと同居していない、あるいは子どもがいないお年寄りにとって、地域社会は暮らしのすべてである。
実家の近所のある喫茶店は、母がずっと利用してきていることもあって、そこの弁当を毎日自宅にお届けいただき、週に一度は喫茶店に連れ出してくれる。
特別なサービスをしてくださっている。飲食の提供だけでなく、見守りもしてくれている。本当にありがたい。
それに加えて、デイサービスやヘルパーさんの活用。
ここに関わってくださっている皆さんも、地域の方々。
さらに、ご近所さま、近くに住む親せきのおじさん、おばさん。
ゴミ出しの日から、庭の掃除から・・親ができなくなってきていることを手伝ってくださるようになり、私も自分で無理なときは、自然にお願いするようになった。「いつでも言ってね」と、この一言が本当にありがたい。

元気で若かったときは、それぞれ自分の好きなように生きていたが、
身体が自由に動かなくなることで、周囲の支えがなければ生きられない。
そんなときに、ほどよい地域との関係は不可欠だ。
田舎の人の目が苦手であった若い日もあったが、今は、実家のご近所さまの
おかげだと、自然に挨拶も出る。

とくにコロナ後は、地域の中で生きる。
ということがますます重要になる。
母のこの1年を見ていて、改めてご近所の皆さまに、頭が下がる。
毎週日曜は、母がその近所の喫茶店にお出かけし、近所のおばあさん同士
語らう日。
今日もその日だ。会える友達がいるだけ、彼女は幸せだ。

地域とは、地縁とは本当に大切。母にとって、かけがえのないお守りだ。
長年のかかわりから生まれる絆が、高齢化社会を支えているといえるかも
しれない。
これは、都会にはない現象だ。
経済活動とは別に、心で助け合う。お互いさま。
コロナで見えてきたことのひとつが、この地縁への感謝。





カテゴリー: Uncategorized | コロナと地縁。 はコメントを受け付けていません