「もしも、私があなただったら・・」という思いで

わがラジオ番組「愛の元気人」には、「コミュニケーションなんでも相談室」というコーナーがあり、毎回お客さまから寄せていただく相談やお悩みを録音したものに対し、私がスタジオで答えるというスタイルで構成している。文字で読むだけのお悩みではなく、言葉で聞くお悩みということで、その人の声や話し方、抑揚、テンポなどでその人の状況が透けて見えるようで、とてもわかりやすい。
そして、問題はその相談内容。軽いノリで楽しく答えられるものももちろんあるが、真剣に考えたり、悩まれている内容のときは、なかなか答えもむつかしい。ましてやデリケートの問題で、さらに自分に経験がない場合はとくに・・。
しかし、答えなければ・・・。収録前にいろいろ調べることもある。こんなときネットは便利だ。しかし、そこに書かれていることは情報のひとつでしかなく、自分が答えたい、答えるべき回答とは違う。
そこで、現在までにたどりついた方法。それは、とにかく想像をよく働かせるということだ。
そのときのポイントは「もしも、私があなたの立場だったら・・こうする だろう」という視点。
できる限り、相手と同じ状況にいる自分になって、一緒に悩み、その抜け道を考える。
自分がもしも、こういう立場のこういう人だったらどうするか?かなり真剣に考える。自分のことのように考える。
自分だったら、自分だったら・・・と疑似体験する。思いきりイメージすることで答えが自分なりに見えてくる。
そして会ったことのない、そのお悩みをお持ちの方のこともお会いしたことのあるような、勝手に友達になったような気持ちも生まれてくる。
ラジオで答えるときには、最初に言う。「私にはその経験はないので、答える資格はないかもしれませんが、もしも私があなただったらと思ってこたえますね。」そのあと、自分の考えた答えを伝える。
その人に寄り添って一緒に考えようということが解への道なのだ。
本件に限らない。
もしも、私があなただったら・・。世の中みんなそんな風に思い合えたら、もっともっと世の中良くなると思えてならない。
それにしても、コミュニケーションの悩みは本当にさまざまで、そして深い。まさに生きること自体に直結している。

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わが子が誇り。と思ってもらえるように・・。

ここのところの報道で心痛む事件のひとつ。元超有名野球選手の逮捕。このことに関するニュースが流れるたびに1枚の写真が頭をよぎる。
20年以上前のこと。当時会社員だった私は、小学生向けの情報誌を企画編集しており、いろんな著名スポーツマンの実家や彼らが育ったスポーツ教室などを取材していた。
体操選手、水泳選手のお母様や先生にお会いし、その選手の子供の頃のお話しなどをお聞きしていた。中には現在は現役の選手を卒業し、業界の発展のために尽力されている方もおられる。
その選手本人ではなく、親御さんや先生に会ってきたという点が面白い仕事でもあった。
そして、その超有名野球選手のこと。今回のことで思い出した。大阪は岸和田にあるご実家をたずね、お母様にお話しを伺ったことがあったのだ。その当時、京都の会社から岸和田まで、電車を乗り継いで出かけていった。緊張して出向いた先は、確か電気屋さんだったと思う。
お仕事の合間を縫って、お母様に子育てのこと、息子さんの野球に対する情熱、奮闘ぶり・・・そんな話を聞いたのだと思う。そして最後に、お母様とのツーショット。ひとりで取材に行ったはずなので、誰がそれを撮影してくれたかは定かではない。その選手のお母様と自分との記念写真。偉い人の実家に伺い、お母さんに会って取材してきたよ・・ということが、そんな仕事がうれしく、その1枚の写真をフレームに入れて、実家の応接間の飾り棚に置いた。あれから20年ほど経つが、実家に帰り、その棚を見ては、ああこんなこともあったなと懐かしく思っていた。
あの当時、お母様は息子のことを誇りに思い、取材にも応じてくださったはずだ。
有名になることは成功かもしれないが、もし、間違いを犯すとその影響は計り知れない。
なぜか、あの報道を見聞きするたびに、あのお母様のことを思い出してしまうのだ。
そんなに有名にならなくていいから、お金儲けが上手でなくていいから、地道に生きて、小さくても子供が、家族が誇りと思ってくれる存在で一生いる方が幸せだ。
自分とはまったく別世界の話かもしれないが、実家に置いてある1枚の写真を思い出し、母親の気持ちについて、あれこれ考えてしまう。何事も他人事ではない、と。

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独創的なコラージュアーチストに学ぶ

そのアーチストの方とは20年以上の知り合いだ。ただし、会う回数は多くない。今回も10年ぶりぐらい。その方の作品を展示する機会があると聞き、そのグループ展まで足を運んでみる。そのタイトルは「ミロと黒いマリア像」。ダリやミロといったスペインの画家が好きだとのこと。またご自身が見た風景や素材を自分なりの独創的な想像で具現化する。写実する力とは違う、イマジネーションが不可欠な作品づくりに意欲的だ。
スペインにはまだ行ったことがないが、かのザビエル(スぺインではハピエル)の生誕地がここであるし、いずれは行かねばとは常々思っている。
この1枚を見て、フランスやポルトガルとも違う、独特な世界観を感じた。

この作品を生み出した渡辺さんは、絵の解説をしながら、実は人生観を語ってくれている。100歳をめざし創作活動を続けた先人たちに倣いたいとの意思の強い現れ。
とくにスペイン的な美しいブルーの背景色に、いい色だとそのセンスを尊敬する。
この作品を描いたあと、実際この素材があるスペインに行き、作品を検証したいとのこと。この渡辺さんは御年82歳だ。衰えることがない制作意欲自身が刺激になる。
それから久しぶりに2時間以上、画廊の近くのカフェで芸術や人生について語る。そして会社員時代に書かれた小説についても話を聞く。
書きたいストーリーに沿って素材をかなり集めまくられたことが印象的だった。
20年前にはその面白さがわからなかったが、今となれば、二足のわらじをはきながら生きておられた渡辺さんに親近感がわいてくる。
会社員をしながら、創作活動を続けておられたことが、今の充実時間につながっている。
また、売ろうとして描くのではなく、好きなものを描くのが幸せだとのこと。
芸術を仕事にすることの難しさも今は理解できる。
マカオで見聞したさまざまな現象についても意見交換をする。
中国人がいろんなものを勝手に模倣することと、いろんな素材をコラージュしながら独自の世界を創ることの違いについても語る。
ただ疑似的な世界を作ってあっと言わせたいのか、オリジナルの世界を創ろうとするのか・・。技術と芸術の差、ホンモノ、オリジナルへのこだわり・・などなど話題は尽きない。
今回話をしていて、アーチストの仕事とは、自らの手法、表現方法を通じて、結局「何を伝えたいか」が、きわめて大切なのだと改めて思った。
メッセージを発信する仕事。作品を観て人は精神世界での自由を得、幸せを得る。
やっぱりアーチストという仕事、生き方は面白い。

100歳まで作品づくりを続けるとのこと。彼の手相学?によると、私も長生き派だそう・・だから、先輩の生き方を見習いて、生涯アーチストの道を冒険するとしよう。
絵でもいい、文字でもいい、音でもいい。精神世界に訴える仕事は、人間に与えられた尊い仕事だ。次の渡辺さんの作品がまた楽しみになる。
渡邊さん1

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夢の街にある、ドリーム妄想

私が大好きなマカオのお菓子を地道に営んでいる店がある。卵と小麦粉だけを使うのであろう、この焼き菓子の素朴な味わいは、ポルトガルから伝来するものだと推察する。カステラやサブレに近い、素朴なお菓子。中華風ではなく西洋の煎餅だ。
この店を20年ほど前に、初めて発見したときは感動した。観光客がたむろするセナド広場の少し坂を上がったところで、老人夫婦が小さな店を構え、ただひたすらに煎餅を焼いていた。旦那が焼く、妻が袋詰め・・と接客。黙って仕事をしているが呼吸が合っている。この老夫婦の単調であるが、息の合った仕事ぶりをずっと眺めるのが好きだった。マカオの良き時代を感じる仕事であり、異国文化を感じる商品だ。
言葉が通じないので、会話はできない。挨拶とお礼だけだ。その夫婦が作る焼き菓子。それを食べるとポルトガル領のマカオに来たという気がした。南蛮人が持ち込んだ味だと勝手に感動していた。マカオという街が返還後、他が変わってもずっとこの店が続くことを願っていた。そしてパッケージの一部を切り取って冷蔵庫に貼って、忘れないようにしていた。
(大昔、わがサイトでもこの老夫婦のことは紹介したことがあった)

中国の発展とともにギンギラギンに変貌するマカオに距離をおきたくなって数年行かなかった。昨年久しぶりに行く機会があり、雑踏のなかを抜け、その店があった場所を探し歩いた。あるはずの場所にもうその店はない・・。その店がもうなくなったことに気づき、ショックを受けて歩いていたら、街の中心セナド広場の脇にパラソルを発見。そこで屋台としてその息子らしき人がその煎餅を焼き営業しているのを発見、飛び上がるぐらいにうれしくなった。迷わず「爆買い」した。もう二度と出会えないと思っていたから、店舗がなくなっても屋台で引き継がれていることに感動した。

今回、旧暦の正月を迎えるシーズン。再び現地に足を運ぶ。その息子らしき人は同じ場所で営業しているのだろうか?神様に祈るような気持ちで、正月気分で賑わう装飾華やかなセナド広場、その片隅に屋台がないかを探した。すると長蛇の列ができている店をみつける。なんと、その煎餅屋だ。
やっぱり現地の人や中国の観光客にとっても、おいしいのだ!納得しながらその列に並ぶ。休むことなく、鉄板に小麦と玉子を混ぜた生地を置いて焼き、袋詰めし、接客する。すべてをひとりでやっている。食べ物を作っているため、お金を触ると手が汚れるので、お客が店主に指定された場所にお金をおいて、おつりをもっていく・・というセルフ方式だ。横から強盗がこないか、ちょっと気になるが、行列ができる店にそんな悪事をはたらく輩は寄りつけないのだろう。

日本では滅多に並ばない。でも、今回は並ぶ。20分以上待って、やっと買うことができた。
「日本からまた来たよ。」というと、ひたすら煎餅を焼き続ける息子は少し笑った。そして「加油!」(がんばって!)と言って商品を受け取り、そこを去る。本当はもっとその仕事風景を見ていたいが、見ているだけでも邪魔になりそうだ。
とにかく人気の店だ。ずっと焼いて、ずっと売っている。1日この作業と接客を続けたら、何センチものお札が積まれるはずだ。
屋台なので、その場所代は多少払うにせよ、かなり利益率のいい商売と見た。
原材料は卵と小麦。鉄板2つ。包材。焼くための燃料。ひとりで商売をしている。
たくさん稼いだ日の翌日、急に休むこともできるのだろう。とにかくずっと働いているその息子を見ていて、彼の夢はもしかしたら?と想像した。
一生懸命働いたあとは、何か別のことをする?カジノに行く?いや、行かないだろうな。
いつか大きな店を持つのかな・・・。

一攫千金もよいが、地道に地道に働いて叶える夢。
マカオでは、その両方が見える。

まさに夢の町。ザビエルが目指した夢、煎餅屋の夢、カジノに通う人たちの夢。
人それぞれその形は違うけれど、夢は夢。
さて、私の夢は?地道にいく、わが道をいく、プロセスを楽しみ生きていきたい。マカオせんべいや

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夢の町に潜む、わがドリーム。

アジアのラスベガスとして活況を呈するマカオは、ポルトガル領土からの返還後、さらにカジノビジネスを加速、島と島を埋立地でつないでしまうという、信じられないことをやり、そこにどんどん巨大ビル群を作り続け、大陸から多くの観光客を招き入れている。
私が愛する、ポルトガル文化の名残を残すマカオの一面とはあまりに対照的で、ここに来るたびに世界史を一度に垣間見たような不思議な感覚になり、それ自体はとても興味深い一方、いつも考えさせられる。
偽物を創ることは何のためらいもないのか、ないだろう。どこかの国の何かを模した巨大建造物がいくたびに増えており、今回はエッフェル塔もどきを創っており、驚く。
何のためにここにそれをただ、創るのだろう。平和を祈念してとか、交流のためとかではなく、
目立つため、理由は何であれ凄い!と思わせるために、作り続けている。作れば作るほど、現実の町、世界とは遠ざかっていく不思議な空間だ。

このカジノ街の中のあるテリトリーには大きな看板に「CITY OF DREAMS」と書いてある。そのカジノタウンのニックネーム。夢の町。夢が複数形だから、いろんな夢が叶う街と言いたいのだろう。
一攫千金を狙ってやってくる人にとって、確かに、ここは夢の町だ。そして、勝てば一夜にして大金持ち、まさに夢の実現か。
20年ほど前、香港によく出張していた際に、知り合いの社長がかつては、週末になると毎週香港から、マカオまで飛行機で飛び、カジノ三昧、儲けていい思いをし、やがて負けて借金を負ったという話を聞いたことを思い出した。昔はこうだったんですよ~と武勇伝のように語っておられたのがやけに印象に残っている。(その方は最後には清貧の暮らしを求め、英国のシェイクスピアの故郷の近くの街に移り住んだ・・・ということを今なぜか思い出した)

カジノは個人的には別世界だ。夢とはそういうこと?お金持ちになること?とやはり思えてならない。もちろんそのプロセスを楽しむ娯楽としては悪くはないだろうが。とにかく人間の禁欲がはじけるこの空間は非日常すぎる。
夢とは、お金を稼いで豪華な生活をすること?
とにかく、夢を求めてここに中国から人々が集まってくる。
そのパワーは銀座で爆買いをする人たちとはまた違う質を感じてしまう。
(本テーマは次に続きます)
マカオエッフェルmakao1

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ザビさんに報告。

あまりにフランシスコ・ザビエルのことを親しげに、あたかも会ったかのように語り続けているせいか、ある人がその世界の偉人のことを「ザビさん」と言うようになった。いろんな人の心に、浸透しているのだなと思う。
このザビさんは、キリスト教、そして結果的に西洋文化を東洋に伝えた。伝えるもの、こと、形、時代は違えど、彼こそがコミュニケーションクリエイターだったかもしれないとまたまた勝手に思い、その人自身が何かモノを作ったりはしていなくても、「伝える」人がいて伝わるべきものは伝わるわけで、伝道者という職業、生き方はやはり尊いものだと改めて思う。
マカオの近くの上川島というところで、12月3日亡くなった。その地にほど近いということで、ポルトガルの領土であったということもあってザビエルのことは死後、いろんな形でこの地に根付いており、ザビエルの名を冠する教会も複数ある。
そして、繁華街の中心、セナド広場を少し外れた坂の上にある、聖ジョセフ教会はまさにザビエルらがつくったイエズス会による由緒ある教会で、そこにはなんとザビエルの遺骨が納められている。
実は昨年、ライブツアーを企画する時点、そしてザビエルサミットからはじまる国内ザビエル縁おっかけ活動をはじめる前に、ここに来ていた。インドのゴアではなく、このマカオにザビエルの一部が遺っていることに感動、生きていたザビエルをはじめて実感したのであった。そして、今回は報告にやってきた。
誰もいない教会で、ひとりその遺骨に向かって~フランチェスコの夢~を歌う。もちろん小さな小さな声で。
ザビさん、次なる展開はどうしますかね?と、人が聴いたら、この人??と思うことを自然にする。
この1年間、思わぬ形でいろんなことがおきた。そんなことが450年も続き、繰り返されているのだ。
歴史とは、世界とはそんなものよ。ただ、自分が生きているこの短い、瞬間に何をするかということだけだ。
恐れず、おごらず。やっぱりザビさんは大切な心の支えだ。報告を得て、次への構想があれこれわいてくる。
ザビエル遺骨ザビエル遺骨

マカオ聖ジョセフ教会

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「アンソロジー」を新年快楽のギフトとして。

昨年秋、東京でのライブにサプライズで登場した、今はは亡き友Anneの旦那とその友人たち。台湾人Anneのことを思って創った「アンソロジー」を直に聴くため、そのことだけを目的としたサプライズ訪日だった。
そして彼らはCDを何枚か買って帰国した。おそらくAnneを知る友達に配ったりするつもりだったのだろう。
後日「この音源をネットでも流してよいか」とその旦那chenさんからの問い合わせメール。彼はこの曲を友達に広く聴かせたいと 思ってくれたのだ。ありがたいこと。でもCD音源そのままではちょっと困る。とくにいろんなことの価値基準、考え方が違う国で拡散し始めると・・・という懸念もあり、では自分のライブの音源をyou tubeにアップするようにするからちょっと待ってとお願いし、快諾をいただく。
ちょうど新潟でのディナーショーで演奏を録画してもらった。そのときの画像の一部を仲間が超多忙のなか、サポートしてくださって念願のアップとなった。
早速、台湾に住む友にメッセージを送る。お待たせしました。お年玉といっても通じないが、新年の小さな贈り物です。との言葉を添えて。喜んでくれたらうれしい。中華圏はこの週末に向け、にぎやかなお正月モードになる。
アンソロジー 2015年11月27日新潟モノリスライブより

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時間という存在の不思議

同じ時間を生きることはない。生きている限り、刻一刻と時間が経過していく。
毎秒ごとに、ああいってしまった・・という間もなく、時は過ぎていく。
時間という価値を最初に考えた人はいったい誰なのか?
最近、よく考える。
悲しいこと、うれしいこと、いろいろ起きるが、時間とともにその感情の重さは違うものに変化していくことに気づく。
どんなに悲しくても、時間とともに、違う見方ができるようになり、そしていい「思い出」になっていくのだ。
1か月前の悲しみはだんだん薄く、細くなる。もちろん関係によっては、そう簡単にはならず、ずっと悲しみが続くこともあるだろう。それでも、きっと時間とともに、変わってくるのだと思う。
それが生きているということだろうか。
人間が生きるにあたり、時間という軸があって本当に良かった。それがなければ、生きづらい。
もっとも、時間という軸がないと、どうもこうも生きられないとも思うが。
どんなことがあっても、時の経過とともに、人間はどん底からでも、沼地からでも這い上がって、生きていけるのだと思う。
すべては時のおかげだ。
二度と戻らぬ時を、今日も大切に生きていこう。
1か月前までの悲しみと、2週間前の悲しみと、今の気持ちが少しづつ変化しているような感触をもちながら。
すべての感情は、ただ自分が今生きていること、生かされていることへの感謝につながると信じたい。

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空港は挑戦と冒険に向かう第一ゲート

マカオへ行くにあたり、台北でトランジット。便の都合で、1泊空港の近くで泊まっての移動。
台北の国際空港、日本でいえば成田のような存在である桃園空港に降り立つ。いつもはすぐ台北市内へ向かって車に乗るため、空港自体をゆっくり味わうこともないが、今回はトランジットだけに寄ったせいか、バタバタと市内へ移動しないため、少しだけゆっくり空港を見る。するといろんな思いでがよみがえる。
もう15年前になる。台湾出張がはじまった頃。
当初は羽田空港から中華航空だけが国際便を飛ばしており、あの小さな国際線ビルに向かった。プレゼンといっても、パワーポイントもまだなかった時代は、大きなパネルに資料を切り張りして・・持参した。荷物が多すぎる、大げさな出張だった。その後、パワーポイントもメールも使って、台湾の仕事のやり方もまったく変わった。しかし、弁当の見本やいろいろ日本の商品をミーティングのために運ぶことは最後まで変わらなかった。
・・・と、そんな私の30代後半から約10年続いた台湾出張時代。
懐かしくて、懐かしくて涙がこぼれそうになる。いつまでこんな仕事をするのだろう、若いからできるんだとそのころも思いながら、踏ん張っていた。
通訳付きであっても、伝わるプレゼンをするということについて、あれこれ勉強させていただいた。あの頃からの異国コミュニケーションの訓練が、今日にも生かされている。
飛行機を降り、入国審査をし、荷物をピックアップし、税関を通り、そしてシャトルバスに乗るまで、このように、わが台湾時代を細かく思い出した。空港に着いたとき、よし、今回もやるぞ~と。自分で自分を鼓舞した瞬間。
疲れ果てた帰路は今から思えば、余計な買い物をストレス解消にしていたことも今は懐かしい。
などなど、がむしゃらだった台湾時代を懐かしく思い、あの仕事が今日にすべてつながっていると、お世話になった皆様に感謝の気持ちでいっぱいになる。
台湾は、女性のリーダーになり、元気になるだろう。もともと、女性がふつうにがんばれる国だ。
空港。港もしかり。ここは挑戦者、冒険者の出発点だ。
30代のときとまったく内容は違ってきているけれど、また新たな挑戦をしようと思えてくる。

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人生は泣き笑い劇場。

人間って、おかしな動物だと自分自身を見ていてつくづく思う。
どんなに悲しくても、それと関係なく日常生活を営むのだ。
眠る、起きる、食べる、飲む。買い物にも行く。泣いていたはずなのに、まったく
違うことができてしまうのだ。それでも、生きている。という感じだ。
もやもやしていても、少しお酒を飲むことで、心を浄化したりすることもある。
すべきことがたくさんあること、会う人がたくさんいることで
悲しみや寂しさが紛れたり、知らぬ間に前向きになれたりする・・。
どんなしんどくても、おかしなことがあると、ぷっと笑える。
かと思ったら、突然いろんなことを思い出して、泣き出したり・・。
私の毎日はまさに豊かな「喜怒哀楽」劇場のようだ。

1月を振り返ると、悲しいことも、うれしいことも、まあそれなりにあった。
心晴れない日もあったが、それも多くの人に見守っていただき、応援いただき・・・
こうして1年の12分の1が過ぎた。
今言えることは、「それでも生きている」ということ。
人生はそれぞれ何かしらの役割をもって、演じ続ける泣き笑い劇場だ。
あまりにいろんな人が登場して、去っていき・・・。
子供のころから、喜劇が好きだった。喜劇は泣き笑いだ。
ほとんどがたわいもないこと。
それを大げさに感じたり、人とすれ違ったり・・。
いろいろあっていいじゃないか。
それでも、私は生きている。
2月から新しい道に向けて、模索の旅がはじまる。
さあ、これからも豊かな泣き笑いでいくとしよう。

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