がんばれ!くまモン!

熊本の地震が終わらない。止まらない。なんでこんなに何度も何度も揺れるんだろう。余震といっても何度も震度6規模なんて・・。しかも最初の地震は今となれば前震だったとか・・。あの地方は地震はない、少ないと思い住んできた地元のみなさんのことを思うとたまらない。怖いだろうな。本当に・・。いつまで続くんだろう・・・という状況は一番不安なはずだ。不安を抱えたり、大切な人を亡くした方へのインタビューは心が痛む、こんな時に止めておけばいいのにと思えてならない。マスコミがこういった緊急事態にネタありきではなく、正しい報道活動をし、少しでもその情報が被災地に役立つようにしてもらいたいと切に願う。そして、不眠不休で仕事されておられる皆さんに頭が下がる。この夏は、熊本城に行こうと決めていた。お城もえらいこっちゃの状態だ。熊本といえば、「くまモン」。この大人気キャラクターのおかげで内外からの観光客も増えているはずだ。みんなを元気にしてきた「くまモン」も今は出番がない。それどころじゃない。とにかく、早く余震がおさまり、被害が食い止められるように、早く復旧活動ができるように。こんなときこそ、自衛隊の皆さまにお願いしたい!!こういうときにこそ必要な存在なのだから!ずっと続く情報を見つめながら、東北の、阪神の、新潟のことを思いながら、抗えない自然の力に、どんなことをしても地震をなくすことはできない人間の非力が哀しくなる。そして、「自然には感情がないですから~」と言われた大船渡の方の言葉が思い起こされる。

改めて、何事もなく平穏無事に生きられることに感謝し、自分ができることをしたいと思う。新潟の人々も、それぞれ動き始めておられる。そして台湾からの声援も聞こえてきた。みんなの応援が聞こえていないかもしれないが、どうぞがんばってほしい!「がんばれ!くまモン!」

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大真面目な人をホグホグ

どこから見ても大真面目。硬い!と周囲から言われるような人。時々お見受けする。いわゆるガチガチの、表情が緩むことはなく、何か意見を求めると「昨年もそうだったから(前例もないことですし)、前回どおりでいいのではないでしょうか?と答えてくれる人。言葉に抑揚がなく電話で話しているとよけいに見えないので相手に誤解されてしまうこともあり、損をしているような感じを受ける人・・。でも言われたことは、きちーんとする。称賛しても、反応は薄い。きっと人前で口を開けて笑うことはないのではと思う感じ・・。と、そのようなタイプの人とチームを組んでの仕事が決定。本当に真面目でいい人だと思っているので、こちらも真面目になんでも直球で会話のボールを投げる。仕事の連絡も「ああやりましょう、こうしましょう・・、これをした方がいいと思います」とメールでボンボン投げる。かえってくる球は、事務的な返事。大丈夫かな?あんまり言うので不愉快に思っているのかな?怒ってないかな?と思えてくるが、ま、まじめな人だからおとなしいだけだろう・・と思い、後日やっとご対面。メールでやりとりしているときと変わらない。「いやー、不愛想なメールで失礼しました~」なんて打ち解けはない。静かな会話だ。相手は必ずこちらが言葉を発するまで無言で私をみつめる。・・・二人の間でなんとも言えない空気。黙っているのもおかしいので、いつもどおり元気に話しまくる。冗談のようなことを織り交ぜ、場を盛り上げようとするが、それを折り目正しくじっと聞いている。返事を丁寧にしてくれるが、議論にはならない。やっぱり議論というかもっとコミュニケーションがしたい。と、この人を崩しにかかる。「あのさ、もっとチームとして仕事したいと思うし、●●さんも思うことがあったらどんどん言ってくださいね」「はい」。また沈黙。お互い目を見ている。もう笑い出しそうだ。相手も実は目の奥で笑っているのがわかった。これで大丈夫。少なくとも嫌われてはいない感じだ。「今回の仕事、どうですか?ぶっちゃけ教えてくださいな」と切り出すと「そうですね~・・・・・」とやっと少しフランクに話してくれた。その内容に相槌をうって聞いているとなんだか表情がほぐれてきたような・・。「この仕事は私たちチームですから、助け合ってがんばりましょうね」

というと、また真面目に「はい」。その返答ぶりにも慣れてきた。真面目な人は何かその奥底に何かお宝があるようで、興味深い。芯が強いのだとも思う。とにかく大真面目な人であり、打ち解けるまでには根気が要るが、表面的な人よりずっと好感をもつ。これから一緒に取り組む仕事で、お客様だけでなくご本人にも刺激になるよう、楽しく取り組もうと思う。彼をもっと崩すのがひそかな目標でもある。いかに彼を笑わせるか。そして一仕事終わったら、笑顔で握手しよう!

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毎年、人間関係を創り直すタフな職業

新年度がスタートして、2週間が過ぎた。前にも書いたが日本には2回新年がある。1月は個人としての新年、4月は公人としての新年度というところか。働く、学ぶ環境ががらりと変わる4月はおめでたい人もいるが、そうでない場合もある。「動かねばならない」こともあったり、勤め人であるが故に、いやといえない異動があるのも、この季節だ。この10年以上、公務員のみなさんとも仕事をさせてもらっているが、毎年この時期になると彼らを尊敬する。毎年この時期に、職場環境が多かれ少なかれ変わることに慣れているのだ。民間企業であれば、ある程度流れの中での変更、異動であるため予想もしやすかったり、組織が激しく変わることは役所に比べれば少ないと思う。上司は長年上司であるし、部下もその上司をみて育つもんだ。しかし、公務員は専門職でない限りは、大きく変わることもある、2年か3年同じ職場という条件で一緒に働くことを前提とした人間関係がはじまる。もちろんそこから長く続く良き人間関係もあるし、2年や3年の異動とともに関係が切れていく場合もある。いずれにせよ、新年度は新しいメンバーでとにかく仕事をスムーズに再開させる大切な節目である。公務員のみなさんのその対応力、引き継ぎ力は大変なものだ。自分でなくてもできるようにしておく。という準備が日ごろからされているのか、昨日までまったく違う仕事をしていたのに今日から違うステージで活動できるその年度突破力は大したものだ。10年以上そのそばで仕事をさせていただき、年度末新年度の重み、プレッシャーがこちらにも伝染するようになった。もちろん職場環境が変わったり、かかわる人が変わると気分まで変わるから、年度のこのドタバタはいろんな意味でリセットなのだ。さあ、今年度も新メンバーとも顔合わせが済んだ。この1年、全力で一緒に地域の役に立てるよう進みたい。

 

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煮詰まったときは、町をてくてく

知り合いの作家は、毎日散歩をすることを習慣化されていた。今から思えば書斎にこもって書き仕事をする身に、適度な運動は大切で、散歩が手軽な運動法であったと思うが、それ以上に企画時間として最適だったのではないかと最近になって気が付いた。

時間に追われる生活ではいかに早く目的地に着くかばかりを優先しがちであるが、今日はあそこまで歩いて往復しようと決めて、歩くことや町を眺めることを目的にするとみるみる脳みそが開いていくのを実感できる。町とは建物や道だけでなく、そこに住み、働く人があって成り立つ。そしてそれは一時も止まっていない。その変化を見つめ続けることで、予想していなかった世界を発見したり、新たなヒントがわいてくる。そして歩き疲れたらカフェで一休み。そしてカフェの中で、一人ひとりのお客を観察し、その人の人生や今日一日を自由きままに想像する。そうこうしていると、乾いていた心、空っぽになっていたかに思っていた頭が満たされて、これだ!という発想につながることもある。

気分が悪い時、テンションが上がらないとき、アイデアに困ったら町に出る。無目的に過ごす時間にこそ、お宝がある。ということで、気が付けば神楽坂から神保町、さらには日比谷までてくてく歩く自分がいる。

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ときには、魔法使い?

あるビジネスマンの方と久しぶりに食事をした。どんどん出世されていくのがうれしいし、いつでも頑張って~~と声をかけたくなる。

初めての会食のときには、自分を知ってほしいからということで、パワーポイントで作った資料を見せながらご自身のことを話してくれたのが印象深い。もちろん私との会食のためにわざわざ資料を作られたのではないが、それでも「自分という人間を知ってほしいと思ったので」と言ってくださったのもうれしかった。

そして久しぶりの会食。開口一番。ビジネスマンとしての第一印象の話から始まり、話題が尽きない、止まらない。お酒もどんどん進まれて。。。その人の仕事観、人生観も見えてきてこちらも楽しくなってくる。

「おっかしいな。おれ、なんで今日、こんなにべらべらしゃべっているんだろう。魔法にかかったみたいだ。そんなつもりじゃなかったんだけど。あれー?」と何度も言いながら、どんどん話が進む。気が付けば4時間。焼酎のボトルを1本あけるなんてあまり見ない。ボトルはキープするもののはずであるが?

翌日、マジックにかかりました・・と反省と楽しかった時間のお礼メールをいただく。

何度か、一緒にいるとなんでもしゃべりたくなる、と言われたことがあることを思い出した。きっと肩書や損得関係がない相手だからこそそうでいられるのだと思う。

マジシャンか。とても自分で芸をすることはできないが、何もしないでも相手が魔法にかかったように変身するなら、ときにはそれも良い話。

がんばる、走り続けるビジネスマンたちの、たまに会ういい仲間でいられたらうれしい。魔法?とは面白い。きっと人の話を聞き、その人と一体感をもつそんなコミュニケーションが楽しい時間につながるのだろう。魔法の使えるコミュニケーションクリエイターなんて、ミステリアスでいい。もっとも魔法にかかるのは、お酒とおいしい料理という設定もあっての話。

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痛みもかゆみも、生きてる証拠!

どこも痛くない、かゆくない、快眠快食・・。これは一番幸せな、健康な状態。元気とは、当たり前のものではないと最近つくづく思う。しかし、生きていればどこかが故障したり、不調になったりすることは誰にもある。虫歯でも腰痛でも、どこが痛くても集中力を維持することはむつかしく、痛みをおさえるための治療には古今東西、さまざまな方法があり、それぞれが自分の体質や経験で最適なものを選びとり、なんとか痛みから解放されようとがんばる。最近では医者だけでなく、ネットでの情報も本当に豊富で、よくこんなに今自分が困っていることについてたくさん情報があるもんだと驚きもする。(多くはその道のビジネスの宣伝であることが多いが)

痛いとか、熱が出るのはまさに体とその原因が戦っている状態だ。何かがおかしいから、痛くなったり発熱するのだ。だからその原因を見極め、それに対して処置をする。痛いのも発熱も経験しない方がいいが、万一そんなときは生きてる証拠と、前向きになりたい。

今、腱鞘炎とつきあっている。早く別れたいけれど、結構しつこい奴。この痛みをなくすには、自分のいろんな生活のパターンや癖を見直したり、そしていろんな方のありがたい知恵や情報に感謝したりと・・得ることも多いのだ。そして毎日右往左往しながら、いろいろ試しながら痛みとうまくつきあううちにきっとその痛みも消えるだろう。同じ調子でいられないという状態で人は反省したり、見直しができるのだ。完全ではない自分、永遠ではない自分を知ることは、とても大切なこと。痛みは生きていくうえでのありがたいシグナル。

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注意は楽しく、ときに持ち上げて。

年を重ねると親子の力?関係が逆転する。というのはある意味そうだと思える今日この頃。親たちは戦後の時代を十分がんばって生きてきた!あとは余生を楽しく元気に過ごしてもらえればいい。と思う。親のおかげでこの世に生まれることができたのだから、親をサポートしていくのが子の役目。

しかし、時々(常に?)言いづらいことも出てくる。その言い方は大変難しく、尊厳・プライドを損ねないようにしないといけないし・・。年々子供化していき、見かねるときもあるので、いわざるを得ない。そこで言い方をいろいろ工夫することにした。

たとえば、大変お恥ずかしいが、食事中、調子に乗ると食べ物が入った状態で話す。たぶん、食べていることを忘れてしゃべっているのかもしれない。そんなときは、「食べながらしゃべるのやめて」とストレートに。そのときは聞くがまたしばらくするとまたやるので、また言う。次に、感情が高ぶってくると、箸をもって、相手を差したりすることもある。さすがにこれは恥ずかしい。でもストレートではなかなか。そこで・・「お父さんって、指揮者やった?そんな食事中に指揮してくれんでもいいしね」と言ったら、父の手が止まり、「指揮者ってあの白髪のおじい、なんっていったっけ?」とそっちの話題にいく。自分の方がおじいのくせにと思いながら、この作戦はうまくいったと心の中で笑う。そのあと、また箸が登場したので、「お父さん、またオザワセイジになっとるよ。」というと「そうか」と言ってやめる。その反応が面白くて笑える。

さらに「車の運転だけどさ、オトウサン、めちゃくちゃ運転うまいと思うけど」と少しおだてながら話しかけると、「そうや、おれはプロ級や」と予想通りの切り返し。「でも、やっぱりもう80になるし、これまで以上に気を付けてね。なるべく歩いて、自転車で、電車で、ときにはタクシーもいいから。うまいけど、気を付けてたのむね。」というと、おとなしくうなづいて聞いている。

本当はいつまででも乗ってもらったらいいし、交通事故は誰にも起きることであるから、と思うが自分の年齢を意識してもらうために。

親にも誰にも直球で言うのではなく、おもしろおかしく、ときには持ち上げて言うという工夫もいいものだ。そう、相手が気持ちよく記憶して、行動してくれることが大切なのだ。

親との難解コミュニケーションは自分にとって楽しい勉強の場。これも定点観察で得るお宝だ。

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忘れてはいけない「○○シップ」

プロ野球の選手に続き、オリンピック出場予定のバドミントン選手が残念な結果になった。そのポジションに昇り続けることがむつかしく、万人にはできないことをやっている、いわば憧れ、尊敬されるべきスポーツマンが瞬時にして奈落の底だ。記者会見で自分が説明しないといけないということも、一般の人ではないから。そのときになって、コトの重大さ、己の至らなさを感じていることだろう。報道された会見の一部をたまたま見た。「スポーツマンだから、勝ち負けの世界だからギャンブルにも興味があった・・・」などという話が出て、この発言も残念。そりゃ勝ち負けに向かっていくのがスポーツ。でもお金が目的じゃ意味がないし、それは本来のスポーツマンの勝負観とは程遠いはず。人々がなぜスポーツ観戦をするか、その選手の競技だけでなく、そこにいたるそこに向かう努力や精神力に感動するからだ。とにかく、周囲の応援者、協力者に与えた負の影響は大きいし、本当に残念だ。

一方、オリンピック五大会連続出場を狙って奮闘した北島選手がこれで引退とのこと。最後まで頑張りぬいたが、残念な結果になった。最後の競技を彼が指導する水泳教室の子供たちが応援にきていたのが印象的で、負けたあとも称賛していて、感動した。この子供たちに北島選手は最後まで全力で戦うスポーツマンとしての最高の姿を見せた。本人のやりきった、すがすがしい表情もすばらしい。きっと子供たちは今回のことを一生忘れず、自分の成長のステップで師匠の奮闘を思い出し、自らも限界に挑戦するだろう。

スポーツマンには記録の前にスポーツマンシップが大切。ビジネスマンにはビジネスマンシップが必要で・・どんな仕事、生き方にもその根本に、「なぜ、それをするのか。」がないと、結局は軽薄な、自分本位のものに終わってしまう。

どんな仕事を、生き方をしようが今一度、哲学を持ち、自らの役割を心得、しっかり行動することが大切だ。ということをこの両極の例を見ながら改めて思う。

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定点観察を楽しみ、一緒に笑う。

気が付けば、こまめに田舎の実家には寄るようにしている。仕事やいろんな用事も兼ねて、寄るようにする。そう、ここ数年は1か月か1か月半に一度は両親と接しているだろう。おかげさまで、元気すぎるぐらい元気で・・でも、年齢的に車の運転もちょっと心配になり、頭の方も大丈夫かとついつい気にする。会ってみればすこぶる元気でノープログレム。離れて住んでいるから余計に気になるのだと人からは言われる。しかし、毎日一緒だと、もしかしたら変化に気付かないかもしれず、たまに会うことで小さな変化も見つけることもあるのかもしれないから・・・。いずれにせよ、老いる親の状況を見守り、応援することは子供の当然の役割となる。思い起こせば、昨年まではもめごとの種もあり、常に口論も絶えなかったが、ここんところ、それらも解決してか、親子の関係も良好だ。

帰省しての楽しみのひとつは「荷造り」だ。田舎から東京へ野菜やいろいろなものを箱詰めして、東京のわが家に送るため宅配便に出そうとする。箱詰めは得意だ。どんどん入れる野菜などをもってくるのは母、「まだ入る、まだいける」と、調子にのって箱に入れるのは私、そして最後の荷造りは父という分担。そしてその箱詰めされた段ボールを車まで運ぶときは父はすでにそこにいないため、母と私で大きな箱を運ぶはめになる。しかし、今、腱鞘炎である自分の腕は重いものを持てない。力が入らずすぐ落としそうになる。すると77歳の母がどこからそんな力が沸くのかと思うほどに、その箱をひとりで運ぼうとする。私も持とうとするが力が入らず段ボールを地面に落としそうになる。しかも雨が降り始め、地面に落とすわけにはいかない。というパニック状態なのに、こんな重い箱を持とうとしても力が入らない間抜けな娘である自分と、かぼそいくせにその箱を持ち上げる老婆の母の光景がおかしくて、なんだか笑えてきた。するともっと力が入らない。母もつられて笑う。「なんや、箱落ちてしまうやんか~。しっかり持て~」と言いながらも笑い続ける。無事にその箱は、翌日東京に届く。その重い箱をひとりで開封しながら、昨日の笑えた場面を思い出す。そして、ひとりでまた笑う。おかんはすごいな~。あんなところで力が出るんだな~。でもその必死さがおかしかったな~。と

こんな小さな出来事が、人生にとっては大切な思い出になるのだろう。親の定点観測は、定期的に顔を見て、何かを一緒にすること。健康状態を見ることはもちろんであるが、それ以上にいい思い出をたくさん作る。。。そんなことが、できる限り、長くできるといい。

それにしても、重すぎて笑うしかなかった段ボールには感謝の野菜がてんこもりだ。この重さは愛の重さに匹敵している。

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OH! MY GOD!なKYOTO(恐都)

京都へはだんだん、足が遠のいている。30年前に初めて一人暮らしをしたときに、憧れを抱いていた京都。ずっと好きな街であったし、若き日の出会いも別れもすべて宝物。そしてなんといっても一人で歩き、自転車で走り回ること自体が楽しく、路地や商店街も含め、日常と非日常、古と今が混在している京都の普通の風景がいつも新鮮で、たかが通勤であっても、通学であっても毎日「あ、京都だなー」とそこにいるだけで幸せを感じていた時間が懐かしい。

今は外国人の数が多すぎて、町がごった返している。とくに玄関口である京都駅はおぞましい状況だ、大きなカバンを背負い、ひっぱり歩き、突然立ち留まり、スマホを見たり、地図を広げ、ときに食べ歩きをされ、話をしながら行く先を調べている、ツーリストたち・・。駅ビルのドーナツ売り場で母国にはない日本のドーナツを見て、とてもうれしそうに買い求めている欧米人の列も印象的。ただいま、インバウンドを推奨しているわが国であるが、こんな混雑ぶり、誰がうれしいのだと思ってしまう。これ以上来たらどうなるのか?恐ろしい。必要最低限、会うべき人と駅近くのひそかなミーティングスポッで会い、用事だけ済ませて、次へ移動したくなってしまう。今回もそうだ。駅だけで済ます。

昔から知っている人ほど、かつての京都が好きだった人ほど、今の京都の大混雑ぶりは歓迎できないだろう。

どの売り場へ行っても混雑、混雑。きっとお土産天国のKYOTOは何かと珍しく、面白いのだと思う。東京よりも、観るべき場所がコンパクトに詰まっているため、寄りやすく、廻りやすく、外から見た日本の文化、歴史スポットがいっぱい、クールジャパンの発信地?そして昔からおもてなし上手という点では外国人観光客には最適な訪問地であるとは思うが、

大切なお客を、応援団を失くし、ともすれば町全体が品のない、新京極の超拡大版のように変質していく・・・。それでいいのか?わが第三のふるさとは・・・。

住民の方の戸惑いを痛感する。OH!MY GODと思わずにいられない、KYOTO。生きているうちに静かに訪れたい・・・はもう無理かも?大変危険なインバウンド政策だ。

平安建都1200年のタイミングで、作った1冊の本のタイトルを思い出す。それは「京都の肖像」。そうこの町の肖像はこれから一体?とても心配。

また行きたい街、もう行きたくない街。街の質の変貌が客層を変え、客層の変化がまた質を変える。

ああ、オリンピックが近づくのが怖くなってきた・・。

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