身体のどこかに不具合がある、調子が悪いときがある。・・・仕事に支障があるときもたまにはあるだろう。そんなときは、まさに障害時である。五体満足のときと同じように行動・動作ができないのは、不便であり苦痛であり・・・。今の私はまさにそうだ。早くその苦しさから抜け出て、日常生活をおくるために、治療をしたり、リハビリをするわけだ。それで回復すれば大変ありがたいが、そうならないことも覚悟しなければならないこともある。痛いまま、歩けないまま・・・五体満足ではない状態が続くと、人はその障害をもつ人を「障がい者」として区分する。しかし、よく考えてみたら、人は誰でも障害を持ち得るし、その時間が長い場合もあるし、ずっとそのまま生きなければならないこともあるが、そういった障害を持ちながらもそれを乗り越え、がんばっている人々が、元気な人と線引きされてしまうのは、本当は違うのではないか?多少の障害は誰でももっている。区分けしたり、特別な目を向ける前に、自分の前にいる人が何か困っていないか?という目で周囲を見渡せるようになれば、健常者と障害者と分けるのではなく、目の前にいるその人が困っていれば助ければよいだけの話で、その方がかえって自然だ。乗り物でも特別な席が用意されているが、そんなものはなくても、気づき、席を譲ってあげればそれでいい。ここでも形から入ろうとする日本人の癖が出ている。いつでもだれでも障害をもつ可能性があるし、障害時を経験する。どうぞ、障害という苦痛と、社会の線引きに使うのではなく、誰でも障がい者になりうるという視点で世の中を見てほしい。無意識のうちに健常者ぶってその目線になっている・・ことがあれば、その目をもっている己こそが、正しく世の中を見ることができない障がい者かも・・。自分が痛い目にあうと、人は気づけることがある。でも、手が痛い。人はいろんな苦痛とともに生きている。
「自分を変人と思う人~?」
ある勉強会で、講師の話のあいさつで、「自分のこと、変人と思う人、または人から変わっているねと言われたことがある人、手を挙げてください♪」という問いかけに、50名中1割ぐらいの人が挙手。私も迷わず手を挙げる。「創造的な仕事をするのには、変人と言われるぐらいの個性がないといけません。みんなと一緒ではいけないのです。今手を挙げた人は自分を褒めてやってください」との説明。変人とは字のごとく「変わった人」。どこがどう変わっている、誰と比べてどんなところが変わっている・・・突き詰めていくと、変人の種類は数限りなくあり、また変人でない人は本当にこの世にいるのかなとさえ思えてくる。人と全く同じ人はいない。みんな、どこかが変わっている。日本人の好きな多数決の世界で、マイノリティだと変わっていると決めつけてしまいそうであるが、それぞれ違うと思えば、みな変人だ。とわかっているのについつい、日常の言葉のなかで「ちょっと私は変わっているので。。」とついつい言ってしまいそうになるが、本当の変人は自分が変人とは気づかないので、そんな風には言わないだろう。よって、私は決して、ちゃんとした変人ではない。ということになる。
いずれにせよ、個性を大切に、想像を大切に。人と違う価値観、美学を自信をもって生きていこう。
夫婦のお見合い成立?!の歓び
昨年秋の新潟でのディナーショーでは抽選会を行い、最後のプレゼントは「マーサとの食事会」という???な景品。きっと新潟のおいしいお酒やお花や食べ物をもらう方がうれしいかもしれないが、私なりのおもてなしのアイデアで、ここのところ何年か実施している。今回は以前ある講演でお世話になり、その後定年され、新たなお仕事をされている方の「奥様」!が当選された。その奥様とはディナーショーが初対面。それもあり、奥様とだけ食事にということではなく、ご夫妻をご招待することに。さらには、そのディナーショー当日に同じテーブルで隣の席に座った夫妻との出会いを喜んでいただいていたため、今回は出血大サービス?ということでダブルのご夫妻での合同お食事会を催すことにした。新潟は広い。お会いする場所は長岡駅前。1組はわざわざ新潟市から車でやってこられる。そして2組のご夫妻がそろい、そこに私といった不思議な組み合わせで会食を楽しむ。ディナーショーがなかったら、参加されなかったら、抽選で当たらなかったら、仕事で出会っていなかったら、今日のタイミングが合わなかったら・・・この約束は叶わなかった。ディナーショーから5か月にして実現できたことも、責任を果たせて安堵。さて、その2組の夫妻、いつの間にかすっかり仲よくなられ、とくに奥様同志がすっかりいいお友達。メルアドなどもしっかり交換され、「今度は二人で新潟市で食事しましょうね~」と盛り上がっておられ、婿たちも「次、連休に上越のイベント先に会いに行きますから・・」とすっかり夫婦同志が良いお友達になっておられる。夢のような時間でした、楽しかったですとの声もすぐ届き、ひとつのミッションを果たしたような気になる。夫婦でのお見合い。なかなか日常では意外な新たな出会いが生まれないこともあるかもしれない。こんなきっかけで、新たなご縁が生まれることはとても気持ちいい。とくに奥様たちが、まるで乙女のようにはしゃいでおられた様子が印象的で・・。
「次のディナーショーの案内、待っていますね。」別れ際の言葉。こんな自分のつたないイベントでも、楽しみに待ってくださっている方がいることに感謝。そして早速、帰ってすぐに奥様同志がやりとりされ、すっかりお友達になられたご様子。今回の企画は、日頃お世話になっている旦那さんたちの奥様孝行のお手伝いがほんの少しできたかな・・・との思いも。夫婦のお見合い・・・たまにいい企画かもしれない。
これからの時代、いい仲間がたくさんいたほうが幸せかも?ここで新たな観覧車がまた回り出す。
「アテンションプリーズが苦手なんですわ!」
情報系のお仕事をされている人との勉強会は刺激的だ。ああこういうシステムで、こういったアプリで世の中をより「便利」にされようとしているのだな~。とその着眼点からも尊敬。さらにアイデアだけでは商品にならないから、その思いを実際のサービスに具現化されていることについて感心しきりだ。しかし、その専門的技術的な世界でどっぷりつかり仕事をしていると、マーケティングの基本であるそれが求められている市場を見るとか、誰に伝えたいのかといったコミュニケーションの一歩がまだできていない場合もあるようだ。この道50年。ソフトだけでなくハードまで作ってしまうというすごい会社の社長に出会う。50年とは、パソコンがまだまったく普及していないどころか、認知されていたのはごく一部の専門世界だけであっただろう。そのときから半世紀もITに携わっておられるとはすごい!しかし、その50年間、売り込んだこともなく、自分から発信したこともない・・とのこと。だから今年は営業元年として再スタートするのだと意気込んでおられる。レクチャーのあと「私は、そのアテンションプリーズというのができないんですわ」といわれる。一言で伝える、簡単な言葉で表現する。ここは出会いを創るために必要だ。いろいろ聞きながらいくつかのワードが浮かび、それを伝えると「あ、そうか!」とひらめきの顔になる。ちゃんとした内容がある、しっかり仕事をしている人はまずこのアテンションプリーズさえ、ターゲットに伝わればあとは早いのだ。興味をもった人と出会ってしまえば、あとはしっかり口説けるだけの内容があるのだから。
またまた熱心なITビジネスマンたちに出会えて、こちらもわくわく!アプリもソフトも立派なモノづくり。決して特殊な世界ではないから、やっぱりマーケティングコミュニケーションが重要なのだ。
文明社会と手荷物。
手のが痛みがとれないため、重い荷物をなるべく持たないように、リュックというかバックパックを多用するように心がけるようになった。荷物を背負うのは慣れないうちは抵抗があったが、慣れてくるといやはや、世界観も変わる。なるべく手に何ももたなくて良いようにするには、荷物をいかに減らすかで持ち物の選定はむつかしいが、背負ってしまえばこんなに快適かと、歩くのが楽しくもなる。また両手がフリーであるというのは、なんという解放感か。何十年もずっと手に肩にモノをもつことが当然であったが、背負うのは始めたら、やめられない。なぜ小学生がランドセルを背負って通学するのか。考えたこともなかったが、今は同じようなスタイル?でちょっとした「一年生になったら♪」の気分だ。
二宮尊徳さんスタイルで、休み休み本も読めそうな・・・。いやはや肩こりも軽減され、手にも負荷がかからず、背負うのはなかなか良い。手に持つよりもより重い物を運べてしまうのもすごい。
山登りをする人も、カメラマンや常に重い機材を運ばねばならない人たちも、まずはリュックだ。手をフリーに、いざというときの場合に。
もちろん何ももたない「手ぶら」がもっと快適ではあるが、ま、そうもいかない。人類はいつからカバンを持つようになったのか・・。興味深いことである。いずれにせよ、文明生活の進歩とともに、移動社会となり、便利な社会は多くの道具をもたらした。よって、移動が増えれば増えるほど荷物は多くなってきた。旅とともにバッグ市場が拡大したと推察できる。
現実を見渡すとみんな、重い鞄を持って移動している。モバイルツールの普及で重いパソコンを持って歩く人は少なくなったとは思うが、昔より荷物が増えていることは確かだ。だから、整形外科も整骨院も薬局も必要とされる。
いかに、手ぶらで歩くか。いかに持たないか。が健康移動の秘訣だ。
たまには、ユーミンのように。
夜仕事をしながら、テレビをBGM変わりに流しておく。チャンネルを廻していくと、思わず手が止まる番組を発見。演歌の番組だ。しかも、あの三善英史が出ている。中学生以来のご無沙汰かもしれない。明らかに自分より年上だから、たぶん60代だろうか。わあー、とその変化に驚きながらも、でも面影は30年前と同じであることにも感激する。顔には皺・・人のことは言えぬ。それよりも演歌歌手としての矜持といおうか、スタジオで歌う姿はあの時のまま。さすがにあの「雨に~」の出だしは高音なので、無理しているかなと思いつつも、それでも30年経っても同じ歌を同じように歌える歌唱力に仕事の手を止めた。そして。なぜかあの演歌の世界に強いノスタルジーを感じた。
昔はこういった男女の仲とか、なんともほろ苦い人生劇場が酒場に散らばっていたし、飲み屋のママたちには、このような演歌がぴったり合うような雰囲気があった。京都祇園、新宿は歌舞伎町・・・私にとって20代から30代にかけての酒場修行は人生道場そのものだった。そして、演歌が生きていた時代だ。
ああ、あのころが懐かしい。きっとそんな日陰の存在とか、女の存在も女性の進出とともに消滅したり、情報化社会のおかげかみんなうまくやるようになり、そんな情緒もなくなったのかもしれない。影で泣いている女も男性社会が作ったイメージだろうから。でもそれでもなぜか、その時代を思い出すと胸が熱くなる。
ああ、あのころはやっぱりなんとも情緒があったな~。色があった、においがあった。
と、三善英史の歌を聞いて思った次第。ああ。あの頃に戻りたい。酒におぼれて、つぶれて・・恨み節、呑ん兵衛男の無責任さ・・、なんだか盛り場が面白かった。みんな、飲み屋でカラオケを歌い、憂さを晴らしていた・・。今はそんな場面は少なくなっている。
演歌・・・大人になって聴き直すと、やっぱりいい。ああ、あの頃にかえってみたい。
歌舞伎町のスナックやそこのママや、今は亡くなったお客さんたちのことを思いだし、
演歌もいいな。久しぶりに歌いたくなった。三善英史さん、どうぞ長くご活躍を!
あの頃に帰りたくても帰れない、わが青春時代。ユーミンの歌のようだ。
すっかり、やっぱり昭和人だ。
できれば直接・・がいい。
熊本や大分に知り合いがいなかったか・・・と見渡しても、いない。そういえばと思いついたのが20年前お世話になっていた会社員時代の社長。確か熊本出身だと思い出す。連絡先がわからないかと探していると昔の手帳になぜか自宅の住所や電話番号。当時はすでに熊本ではなく京都にお住まいであったから、その連絡先とは京都。しかも自宅にかけるなんてことはなかったから初コールだ。なぜ、お世話になった会社の社長や上司の自宅の連絡先まで記録してあったかは謎であるが今となればそれが役に立つ。熊本出身の元社長さん、今は90歳手前ぐらいのはず。電話がつながった。元社長が出られた。お元気そうだ。「あの、私以前、●●印刷でお世話になっておりました今尾昌子です」と言うとすぐ「おっ」と思い出してくれた。そして熊本が心配で電話したことを伝えたら、おかげさまで何もないよ。大丈夫・・と答えてくれた。こんなきっかけで初電話というのもなんともいえないが・・。とにかく一安心。
他にも実家が熊本という知り合いの方には電話をした、こちらも大丈夫との返事・・。ある知人は仕事仲間が熊本にいらっしゃるそうで電話をしたらライフラインがダメで今後不安だと聞いて心配されている。またある方の元部下夫妻は被災され、避難所へ行っても満員でどうにもならず、結局家に帰ってこられていると聞き、ああ、皆さんお困りだろうなと心が痛む。その方はどこかの団体を通さず、状況を確認した上で直接その元部下さんにお見舞いを送るといわれた。そりゃそうだ。知り合いがいたり、具体的に困っている方がいたら、その人にまずと思う。直接の協力、応援が一番だ。今、自分ではツテがないから、ひとまず団体や店舗を通して少しづつではあるが協力させていただくしかないが、それでも何もしないよりはいいかと思う。直接お役に立てることがあったらぜひ!と思う。普通に生活で来ていて申し訳ない・・という気持ちがある。だからせめて自分にできること、小さくてもいいから。そろそろ「くまモン」が地元の応援のために活躍しそうだ。とにかく、熊本・大分のみなさんが安心して過ごせる時間を早く取り戻せるように。
さまざまな職業の人に会う歓び
会社の中、組織の中だけに長年勤めていると、とくに内勤のお仕事であると人間関係が固定化することもあるかもしれない。また家庭だけにいてもそうなるかもしれない。またお店を経営していても、農業をしていても、何をしていても、意識しないと気が付けば限られた人としか交流していないということに気付くかもしれない。それがいいという場合はもちろんそれでいいし、それに飽きたら変えればよい。私の場合は、もともと印刷会社で働いていた時代もあったおかげで、いろんな業界の組織を運営する、またはそこで働く人たちに出会うことができ、モノづくりをするためにいろんなクリエイターたちにもお世話になり、それぞれの仕事ぶり、仕事観、生き方にも触れることができた。そして価値観が共有できる方たちとは今日までおつきあいいただいている。
この1年間を振り返ってみても、実にいろんな職業の方に公私ともにお会いしている。キューバに魅せられているカメラマン、クリスチャンの活動をしながら仕事も99歳までがんばると燃えている社長、市長、宗教ジャーナリスト、建設コンサルタント、不動産屋さん、金融機関の女性店長、パン屋さん、カラーコンサルタント、教会のシスター、税理士、カステラ職人、イチゴ農家、マジシャン、酪農家、習い事教室の先生、美容師、料理人、ミュージシャン、福祉施設の方、タクシードライバー、書家、お花屋さん、休業中の方、地方公務員、画家、看護師、エステティシャン、海外に住むビジネスマン・・・・・・・。まだまだある。数えきれないほど、いろんな職業の方にお会いし、お話をしたり、いろんな交流をさせていただいた。違う世界を、道を生きてきた方との会話ほど刺激を受けることはない。自分には思いもよらない、想像もしなかった人生がそこにあるのだということを知ることはとても勉強になるし、いろんな生き方、人生があってこの社会が成り立っていることも理解できる。そして応援したくなる人がいっぱい生まれるということは幸せだ。これまで知り合い、関係が継続している人は、人生に対する価値観に共通点が必ずある。会うことで、交流することでお互いが相手のこと、そして自分のことを確認でき、生きる勇気や元気がわいてくる。最近会ったのは、メイクアップアーチスト。こりゃ、初めてだ。なんでも芸能人や政治家のメイクも担当してきたそうで・・。その政治家の名前もきいて安堵、納得。(?)表舞台に出ている人たちの裏にはいろんな仕事がある。自分は誰の役に立つか、立っているか、立ちたいか。そんなことを考えるにも、いろんな職業の方にこれからも会い続けたい。
まだまだ貧乏なわたし
最近、来日された元ウルグアイのムヒカ大統領。前から何かの記事で知り、ほぉー、こんな偉い方がいらっしゃるのか~といたく感動しており、いつか会いにウルグアイまで行ってみたいもんだと、勝手に心の師匠として仰いでいる。その方が著書の文庫出版を機に、日本にも学びたいとのことで初来日され、各界で報じられた。その方は「貧しい人とはモノを持っていない人ではなく、モノをほしがる人のことだ」ということをおっしゃっている。おそらく多くの方の心に刺さったのでは。むろん私の心にもグサリささった。そうか、じゃ、今度この方が中国人の爆買状況をごらんになったら、どう思われるのか?と一瞬、よけいなことも思ったが、人のことはおいといてわが身のこと。
私はまだまだ貧しいな。と正直思う。若いころから比べれば少しだけ考えるようになったかもしれないが、まだまだムヒカさんに比べたら恥ずかしいほど貧しい。今回、この言葉聞いて、もっと身を引き締めねばと思った次第。
モノよりも大切なことが何かはだいぶわかってきたつもり。お金より大切なことについても同じだ。モノがなくても、楽しく生きられる、お金をかけなくても幸せに生きられることが大切だ。おかげさまで、今の自分はとても幸せだ。そのことがわかっているのだから、もっと心豊かに暮らせるはずだ。でも、現実都会にいると、誘惑が多いのも確かだ。だから、もっと根本的にわが人生を見つめなおさねばならない。
マザーテレサに感銘を受けたと同様、ムヒカさんにも同じような感動を受ける。ご苦労があってのその言葉。重みが違う。もしかしたら、つらく苦しい経験こそが、人を真の豊かに導くのかもしれない。苦労がまだまだ少ないわが身は、まだ貧乏な人だ。
もっともっと豊かな人になりたい。この正しい意味を、若い人たちもよく理解し、そうなるための道を進んでくれたら日本はもっと良くなる。経済力とか、軍備力とか・・相対的かつ、結果人々を貧しくするための生き方ではなく、一億総●●ではなく、ひとりひとりがそれぞれに笑顔になれる生き方が大切なんだよ。と、師匠は教えてくれているように思う。
ウルグアイは、わが愛するアルゼンチンの隣国だ。ブエノスアイレスと共通する音楽文化をもっており、素朴だけれど心をうつ音色が根付いていると聞く。いつか師匠にあえるように、がんばろう。まだまだ貧しいわたし。もっと覚醒せよ。といいシグナルをいただいた。