親しくおつきあいいただいている書家がいる。長崎県出身で南魚沼在住。これまたなんとも不思議なご縁でつながっている。つい最近お会いしたときに、「こんなものを書いてみたんです」と見せてくれた書きたての書。見せていただくと、私の作った歌詞からの一部の言葉「それがわたしのう・ふ・ふ時間」「いつも心にハンカチを」という文字、そして観覧車からイメージした「廻」という文字がそれぞれ半紙に書かれている。以前から彼女は私が書いた詩の中の言葉を表現すると言いながら、あるときは1曲の歌詞「想人」のすべてを1枚の大きな作品にして、都内での展覧会に出品されたこともあったが、今回は、彼女なりに一曲の歌詞から言葉を選び取って、切り取っての作品だ。「ちょっと見せたくて・・」と、彼女は自分の作品を嬉しそうに広げてくれた。この言葉を気に入ってくださっているのか~とうれしく、また改めてそれらの言葉を凛とした書体の「書」で見ることで、言葉の意味が視覚的な世界として、より立体的に見えてくる。言葉とは文字でも音声でも表現できるが、一目見てわかる書のインパクトは他と違う。こうして、離れていても自分のことを気にかけ、表現してくださる存在という点でもありがたい。彼女のやさしい心が書にそのまま表れている。いずれの機会に、どこかで彼女との作品とわが言葉、音のコラボの世界を表現したい。これも小さなわが夢のひとつ。
世界には、マスメディアで騒がれていなくても、有名でなくても、地に足をつけ確実にしっかり生きている素敵な愛の元気人たちがいる。そんな人との出会いを大切に重ねたいと思う。改めて素敵な書家との時間に感謝。
想いを筆に込める、愛の元気人。
目指せ、交響曲第何番?
久しぶりに音楽仲間と会う。扱う楽器は異なるが、それぞれ演奏活動、作曲、コンサート企画まで自分でやるという点では共通する点が多い。また自らが音楽に懸ける想いも強いという点でも共感するところがあり、会う回数こそ少ないが、会うたびにお互いの生き方を確認し、認め合えるのがありがたい。
久しぶりに会って、ご無沙汰期間中の活動について話す。半年ぶりに会うことで、刺激も多い。彼は今年が音楽活動10周年という節目で独自のコンサート活動を企画、遂行している。10年もそれだけで生きているというのは尊敬すべきこと。私も自分の小さいけれど新たなマイプロジェクトが進行中だ。その報告を互いにしながら、自然とこれからの話になる。
「最近、なんかさ~。交響曲創りたいんだよね」
というと、「おんなじ。わかるわかる」
という話。実は私はここんところ、頭のなかにシンフォニーが鳴り響いているのだ。
一生における創作活動のクライマックスとして、この目標は目指すに値する内容だ。
オーケストラ楽器についての知識がないため、まだまだ勉強も経験も必要であるが、いつかやるぞ!とまたもや、妄想の世界に。
表現者として、創作者として生きることは、常に上昇志向でいられるという点で気持ちいい。
さあ、次の夢に向かいて、交響曲第何番?目指すは、究極ベートーベンか。
笑いながら、いきいきと夢を語り合える仲間がいることは、本当に幸せだ。
妄想時間が次の行動への活力になっているのを、じんわりと感じる。
未来に向けての行動に期待。
オバマさん。今月広島訪問されることが決まった。大統領就任時からの念願であり、任期が迫り今回の訪日でのタイミングが、最期のチャンスということだったのかもしれない。先日のケリー外務大臣の訪問や駐日大使の働きかけもきっかけになっているだろう。戦後70年での大きな節目、そして原爆を投下した国がその現実を直視することは大変有意義である。これまで多くの方々が、NO MORE HIROSHIMA,NAGASAKIと叫んできたことがやっと・・ということだろう。現地の皆様にとっては歓迎すべき歴史に残る日になることだろう。個人的には、広島だけでなく、長崎にも行ってほしかったとは思うが、ま、行けなくても、メッセージにはぜひ両者を意識していただければ・・と願っている。
「謝罪」について、議論がある。時間が経っても、立場が変わらない以上、その行為に理由があった以上は、謝罪することはむつかしいということか。個人的にはお互い謝罪すればいいのに。とずっと思っているが、政治的に考えたら謝罪とは駆け引きに影響する簡単には謝れないのかもしれない。
聞こえる言葉で謝罪ができなくても、その本当の言葉はオバマさん自身の心のなかにはあるのかもしれない。それはそれとして、いろんな立場を越え、人類が犯した悲劇をそのままにせず、現実を直視し、その経験を共有し、未来に向けてメッセージすることは、大いに意味がある。
現実を認め、次に繋ぐ行動を起こす。何事もやりっぱなしにしないということだろう。
被爆地の歓迎ぶりが目に浮かぶ。NO MORE HIROSHIMA,そしてNO MORE NAGASAKI。
困ったときも、「ちゃんぽん」。
長崎という町は、実は早くから医学が発達した町であったようだ。出島があったせいで、西洋医学は日本国内でもいち早く研究された町である。一方、唐人文化もさかんであったため、東洋医学も広まっていた。今ある大手の漢方系の製薬メーカーももともとは長崎での研究から始まった会社もあるそうな。それはそれとして、なんでもやっぱりちゃんぽんだと思う今日この頃。わが右手首は使いすぎのためか、腱鞘炎になってしまった。行きつけの整形外科をはしごしながら、サポーターという器具、電気治療、レントゲン、飲み薬、塗り薬、湿布・・・から指体操。動かすな、絶対安静といわれてもここだけは難しい。だからいろんなことをしながらも、回復は遅い。うーん、ならば。ということで知人の紹介で鍼灸院をたずねる。いわゆる東洋医学のお世話になる。鍼やお灸。身体の中から血流が巡り、よくなるような感じがする。外科的な西洋医学とは違い、中からじんわり来るような・・そんな感じがする。今、世の中は化学製品としての薬品があまりに多く出回っているが、薬に依存しすぎることなく、体の構造をもっと勉強して、わがからだがどうなればどうなる・・ということをもう少し考えて体質を内側から変えていきましょう。というのが東洋的な考えのような気がする。対処療法ではなく、自分の体を根本的に見直すということが大切だということ。手首が痛いのはそこだけが原因ではない。他の部位の使い過ぎも大いに影響しているのだ。うーん。どこもここも使い過ぎ。いずれにせよ、治療もちゃんぽんの今日だ。一番いいのは絶対安静。わかっているけれど・・。
異価値感の人とつきあう醍醐味。
仕事で出会った人、しかも専門分野が違う人。自分がまったく苦手な業界で生きている人など。共通の話題をたくさんみつけるのが大変そうな人とも時には時間をともに過ごす。自分と違う世界で生きている人と会話のキャッチボールを楽しむには、相手の話をまずよく聞くということが大切だ。とにかくどんどん質問していく、ときにはこちらからスマッシュボールも投げてみる。何時間キャッチボールができるかは、お互いにコミュニケーションの力やネタがないとなかなか厳しい。と、わかっていながら、時々自分の専門外の方とお会いしたくなる。何時間でも難しいコミュニケーションをしているうちに、それなりに見えてくることがあるのがうれしくなり、意外な答えが返ってくることが楽しくてついつい聞きこんでしまう。自分では買わない本を読むような、普段、絶対見ないようなドラマを観ているような気持ちになってくる。そして相手に対してもっと聞いてみたいと興味関心が募ってくると、あえて政治や宗教や、世界観についての話題などその人のイムズにかかわる質問をしてみる。一体この人はどんなことを考えていきているのかを知りたくなるのだ。すると、まったく自分と相反するものの見方をされていることを知り、へえ、世の中こういう人もいるんだ。とか、そういう見方をすれば確かにそうかも・・・とか、自分の凝り固まった、狭まった視野が広がるような気がする。いつも同じ価値観、共通点が多い人と会っているよりも、恥もかくことがあるけれど、まったく違うレベル、世界の人に会うことで寛容になることもできる。さっきまで許せなかった世界が、ま、それもありかと思えてきたり、自分が苦手と思っている人物でもまったく違う見え方ができ、そう見ればいいんだ~ということに気付いたり・・。とにかく違う意見を述べ合ったりすることは自分の成長に不可欠だ。日本人は意見交換をしたり、違う見解を述べ合うことは苦手のようだ。しかし違うところから、見えてくることも大いにあるから、一見苦手な人、異価値感の人とも臆せず接するが良い。世の中は人の数だけ、感じ方、価値観がある。その多様性を知らないで生きるのは、いかにも寂しい。そしてその多様性を知るのはとても楽しい。
私を生きさせてくれるもの。
52歳の前半を生きる今、時々自分はいったい何なんだろう?存在意義について考える。とくに世間が休みのとき、周囲が静かになると、そんなことが気になってくる。今、私を支えてくれているものは、いろんな方の「ありがとう」の言葉、気持ち。よく考えてみれば、それに集約されると思う。そして、どうせ生きるなら・・という自分への挑戦の気持ち。新たな課題を自分に課せば課すほど、しんどくなるという見方もあるが、課しているのは自分自身だから、しんどさよりも、手ごたえを感じる喜びの方が大きい。
小さなことに感謝し、小さなことに喜びをみつける。そのことで十分充足した毎日が生きられると信じている。
「ごめんね」混じりの「ありがとう」
ドナルド・キーンさんが新聞に書かれた母親の思い出が印象に残る。今は日本人として帰化され、日本文学の啓蒙活動をされているキーンさん。日本人としては愛着を抱く偉人のひとりだと思うが、そのキーンさんを生み育てられたお母さまには後悔の気持ちが今なお消えないとのこと・・。長く離れて住み、お母さまが病に伏され、親戚の人から早く帰ってと言われていたのに自身の旅を優先した。戻ったときにはもう自分のことが分からない状態で、そしてすぐに亡くなったとのこと。あと1日早く、帰っていたら・・最後の会話もできたのかもしれない・・と今も後悔されているとのこと。
私自身も自分の中に小さな後悔はある。それは何年経っても思い出すたびに「申し訳なかったな」と思うこと。思い出すと恥ずかしいような気持にもなる。ただ、救いは両親がまだ元気でいてくれること。だからそのときの申し訳なかったという気持ちを打ち消すためにも、一生懸命今できることをやろうと思っている。相手に喜ばれる経験が多ければ、その悔いも相殺できるかもしれない。もちろん思い出は消せないから苦い経験として自分の中には刻まれたままであるけれど。相手がいるうちに、元気なうちに償う気持ちも含め、善行を重ねることで、人生自体に悔いを残さないように行動したい。と、今は思っている。
年を重ねると、母の日は「ごめんね」が混じった「ありがとう」を告げる日になっていくのかな。
いずれにしても、相手がいるうちに。悔いが残らぬように・・
いろんな朝を思い浮かべる、母の日。
早寝早起きが加速する。ときには2時、3時に目が覚める。まだまだ朝まで時間があると幸せな気持ちでまどろむ未明の時間が幸せだ。平日は4時を目安に活動開始。曜日によって入れるコーヒー豆を変える、使うカップを変える、今日のジャムは、おにぎりの具材は・・とすべてちょっとしたことであるが、毎日小さな変化を楽しみながら、そんな朝に感謝する。そして、いろんな人の朝を思い浮かべる。あの人はまだ寝ているかな、あの人はもう仕込みをしているかな、あの人は痛がっていないかな、あの人は・・・。いろんな人の朝を想像しながら、みんな今日も元気だといいなと思う。毎日いろいろあっても、朝がやってきたら、1日が始まるのだ。いつか始まらない日が来るのかと思うとたまらない気持ちになるからこそ、始まった朝に今日も感謝して・・。毎日目覚めて、毎日生きる。今日は母の日。母の存在に感謝して、今日も明日もきちんと生きる。それが一番の恩返しかな。
「ずーっと38歳」になりきる!
見られる仕事をしている以上、老いぼれているわけにはいかない。人に元気を、幸せを、夢を与える仕事をする人は、見た目が大切だ。かといって美容整形をする必要はない。生まれもった自分の魅力を存分に出し切って、笑顔で元気で!コミュニケーションの力でもって若々しさを保つ。この努力こそが大切だ。
先日出会った演歌歌手の方は、夜のステージで見たときと、朝・昼に普段着で見かけたときと明らかに別人のように見えた。いくつなんやろ?と素朴に思い、こっそり聞くと、「38歳!で通してます」と即答。そういわれると「本当は?」とつい聞きたくなる。すると、同業者に近いと思ってもらえたのか、「ほんまは・・・歳。でも絶対に人には言わない。ということで38歳」と打ち明けてくれた。すごいな~。私なんぞは自分の年を隠してもどうせ同じことと思い、そのまま言っているが、やっぱり夢を売る仕事は、そうでないといけないのか。
これから、私も35歳になりきるかな~。ま、それはともかくとして、いきいきがんばっている人は、若々しいのだ。そこが大切。アンチエイジングではなく、自然体で笑顔絶やさず元気に進めばよい。しかしあの歌手の方の実年齢を聞くと、よけいにがんばらなきゃ!と背筋が伸びる。まだ10年以上走らなければと・・。
巡礼の町で昼、夜の顔。
昨日のブログに書いた、宿泊先での歌謡ショーの話。同じホテルに2泊するということで、ショーも2回見ることができる。ショーの存在は行ってから知ったのであるが、かなり私にとってはインパクトある経験であった。そのショーを見た翌朝も、前夜の歌手が気になっていた。こういったホテルには連泊するお客はいるのだろうか?ショーは今日もある?同じステージ?歌手は、同じ衣装を着る?着ないよな?同じだったらダメだな。曲は?同じ曲を歌う?連泊する客がいたら、それもいけないな~。と、とにかくステージに立つ歌手のことが気になって仕方ない。
と、そんなことを思いながら晴天の平戸での滞在。1月後半、雪の日に約束を果たせなかった生月島の資料館などに顔を出し、半年ぶりの平戸での交流、再会を現地の人とともに喜ぶ。ザビエルさんのおかげで、この生月、平戸との縁ができたのだと思うと今でも不思議で感動が消えない。今回泊まっているホテルは平戸城や平戸大橋が見える田平という地区にあるが、そこにはナポリから宣教になってきた神父が殉教した史跡もあり、巡礼の旅人もいることも知る。
今回、宿泊しているホテルはその史跡公園の真上に位置する。
夕方近くになり、その宿に戻る。すると駐車場で元気なおばちゃんが、「いらっしゃいませ。お泊りですか~」と声をかけ、誘導してくれる。他のホテルスタッフと比べてちょっと派手な感じな人だ。朝もお見送りのときにロビーにいてお客さんに話しかけていた。実は前回来たときもその派手で元気なおばちゃんの存在が気になっていた。
そこで私が相方に「あの人、ここの社長かな。何もんやろ」と声かけてみると「あの人、昨日の歌手だよ」と一言。へえ???驚き桃の木。昨日の赤いドレスの歌手が、このおばちゃんと同一人物?信じられず、思わずそのおばちゃんに声をかけた。「あのー、もしかして、昨日夜ステージされていたら歌手の方ですか?」すると、少し笑いながら「あらあ。お客様連泊?そうです。私があの歌手です」といわれ、びっくり!なんとまあ、歌手をしながら朝と夕方は送迎係も担当されているのだ。「私、ここの女将さんかと思っていたんですよ」「いやー、何でもやらねば生きていけません。」そこから、その歌手であり送迎係の方との交流が一気にすすんだ。
私はその後、彼女の2回目のステージを再びしっかり拝見、拝聴。同じ歌手のステージを続けてみることはなかなかできない経験だ。彼女は昨日とまったく違うブルーのドレスに身を包み、送迎のときは眼鏡をかけておられたが、ステージではコンタクトだ。とにかく別人!こんなに人間は昼と夜の顔を作り分ける?使い分けることができるのだと感心もした。
そして歌う曲もすべて昨日と違う。もしかしたら連泊している客がいるとわかったのでという変更もあったかもしれないが、とにかくその日のお客に合わせて、全身全霊を込めて短い時間のステージを務められた。
ステージ終了後、また客席におりてお客さんに声をかける。昨日の客と今日の客は違うということを毎日感じ、もまれながら生きてこられている苦労がなぜか透けて見えて、そのふるまいに感動してしまう。彼女が私の席にやってきたときには、もうお友達感覚だ。そして名刺も交換し、これからも!という話になる。
地方に行く、いろんな場面に出向き、感動を、元気を与える人の仕事ぶりを見せていただくことで、自分のこれからの道をどう進むのかが見えてくる。
いろんな生き方があるよ。兼業歌手。みんなそうだ。それだけで生きている人はほんの一握り。「私ももう何度もやめようと思ったのですが、こういう出会いがあるので、やめられんのですわ~」と、その言葉が心に強く残る。
わかる気がする。しんどいけど、つらいけど、でもやろう!と思える仕事なのだろう。
大分から平戸へ期間限定で巡業へ出られている。ステージでは、年下かなと思ったが本当は年上の方だった。若輩者の私は、まだまだやらねばならない!
巡礼の地で巡業。一日に何役もしながらがんばっておられる演歌歌手に心からエールを送りたい。また新たな縁ができた。これもザビエルさんのおかげ。