端っこの魅力

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長崎に興味が増し、ここ何年か島多き当県を順次回っている。
昨年は平戸を目指した、島原も雲仙も・・。長崎市以外にも特徴ある、歴史的な街が
多いのが長崎県。
今回は、五島列島。福江は便利な街らしいが、今回は教会の数が多い、上五島を目指す。
少しでも混雑しない場所へ・・。
朝5時半に家を出て、羽田から長崎まで空路、そこからは船に乗り継ぎ、目的地に向かう。
長崎の港からは、造船所を抜け、ただただ海と空、時々小さな島・・という風景を見続け
到着したのは午後3時。そう、よく考えたら、9時間かけて、日本の最果てに来たことになる。

9時間か。これなら、サンフランシスコでも、ハワイでも行ける・・。
もちろんもっと遠い日本国内もまだまだあるが、私にとってはこれまで来た最も遠い日本。

この島にはフランシスコザビエルが来日してから20年もしないうちに、キリスト教が
広まったのだそうだ。そして弾圧の時代を耐え抜いた。
江戸時代には、長崎市の外海という場所から、隠れキリシタンたちが船にのってこの島に
移り住んだのだという。
超高速船で1時半40分かかるが、そんな立派な船も、電気もない時代に、もしかしたら
何日もかけてここにきたのかもしれない。

今日、この上五島には教会が29もあるそうだ。
さつまいもを育て、それで生活を営み、祈りを捧げる日々を過ごした先人への
思いを寄せる・・。

辺境地には、真ん中にない歴史や文化がある。

もっともっと端っこへ。
                  

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涙のスパイス、たっぷりの夏。

オリンピック観戦は、時につまされる感じがして、心痛い。
日ごろの自分のぬるさ、甘さを感じるからである。
もっとがんばらないといけないな~。まだまだだな~。と比較できる存在でも
ないのに、反省しながら観てしまう。

そして、自分が戦っているのではないのに、気が付けば、「いけっ」「よっしゃ!」
とか腹の奥から声を出して応援、近所迷惑になりそうなぐらい、本気の拍手。
気が付けば他のことを忘れ、そっちに夢中になる自分がいる。
そこまでがんばったのだから、いい結果が出てくれ~と神に祈るような気持ちも。

アスリートたちがどんなに努力し、この世界のステージに立ち、自分の夢に向かい
戦っているのか。
そこに立ち、堂々と競技に臨んでいるその雄姿。それだけでも涙がにじむ。

厳しく過酷な練習を経て、本番は瞬間。やり直しがきかない。なんたるプレッシャー。

勝負に出る以上、勝たねばならぬ。
手ぶらでは帰れない。というのがアスリートたちの意地。

念願の金メダルを手にした人、金メダルを狙っていたのに叶わなかった人。
それぞれの心中を察し、いずれの場合も泣けてくる。
うれし涙と悔し涙・・・。いずれも本気に取り組んだ人だけに流れる心の汗だ。

逃げない生き方、自らの限界への挑戦について、考えさせられるこの五輪時間。

まだまだ、ぬるい。甘い。オリンピックで自分の日々に涙のスパイスをかける。

それにしても、今年は、目頭まであつくなる夏だ。

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高齢化社会の象徴。

天皇のお気持ちの表明。映像で見てはいないが、その言葉を新聞等で拝見した。
大変な勇気をもたれての行動だったろうとお察し申し上げる。
天皇という立場、役割を背負っていきるその運命にある人にしかわからない
ご苦労を背負って生きてこられていることを改めて感じるとともに、
高齢化が天皇制にも影響を与えていることも感じた。

天皇の年齢。親と同世代だ。
いつもその献身的、慈愛に満ちた活動やお言葉を映像や記事で見るたびに、
お年なのに大変だな、えらいな。と感心しながら
そのご夫妻の姿と国民にかけられるお言葉。
その言葉数は決して多くないけれども、思いやりにみちた表現に
その存在感の重さや大きさも感じる。
直接お会いしたことはないが、お会いした方たち、お見舞いを受けた
人たちにとっては生涯忘れない思い出。
その瞬間に、深い感銘を受け、元気と勇気をいただいたことだろう。

象徴としての天皇。という生き方、お仕事。
ボケていては、体力がなければそれは継続できない仕事なのだ。
今回、一人の人間として、ごくまともなお気持ちを表明された。
ひとえに周囲に迷惑をかけないように。
の配慮であり、ご自身の意志による勇気ある行動。

定年というのがなかった天皇制。
でも、まさにひとりの人間である以上、その人生を悔いないように生き、
まさにそのクライマックスを迎えるのが一番の選択。

もう十分にお仕事されてきたので、もうお休みになり、ゆっくりと・・。
親たちが、老後を楽しむように、
気楽に過ごしていただく・・・のがいい。

天皇になった選ばれた人にしかわからない苦悩。
象徴という生き方について改めて考えさせられる。

どうぞ両陛下とも夫婦仲良く、お元気で長く生きていただきたい。

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エンディングよりクライマックスを。

「終活」という言葉をよく聞くようになって久しい。
なんでも「活」を付けることで
ビジネス化しようとする向きは、いかにも現代的な発想かも
しれない。
また、「エンディング」とカタカナのネーミングで、こちらも
ビジネス化へ意図が見える。
この言葉をよく耳にすればするほど、違和感を感じてしまう。

エンディングよりも、そこにいたるプロセスをもっとしっかり
するべき。生きている今が、一番大切なのに・・と。
人生に起承転結、あるいは春夏秋冬があるならば、こちらをまず
しっかり生きることが大切。エンディングとは、実はこの人生の
ヒストリー、展開の「結び」とは同義ではない。
人生をどう完結させるか・・は、遺言を書くとか、身辺整理をする
ということとは違うのだ。

私は今のところ、親に遺言を・・・というすすめはしないで
おこうと思っている。
死ぬことを想像させることが、可哀想だと思うし、それは
年を重ねれば重ねるほど、死は怖いものだと思うに違いない。
人は、いずれそろそろ・・というときには自ら何か行動を
起こすのだと思う。もちろん準備をしないで人生を終わる
こともあるだろう。

エンディングとは、本編のあとの話。

まだ元気に生きているのだから、まずはこの与えられた
今を。どう生きるか。
が優先だ。

と言っていられるのも、ひとえに親が今元気にいてくれる
からだろう。

エンディングはどうにでもなる。
そんなことよりも、いい人生を最期まで満喫してほしい。

生きている限り、
エンディングより、クライマックスを大切にしたい。

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レクイエム・サマー。

夏はバカンスシーズンであり、とくに今年はオリンピックもあり、活気に満ち、そしてそれに
負けないほどの気温の上昇・・。とにかく暑く熱くなりがちな季節。
ではあるが、原爆記念日もあり、お盆もあり・・・。
今生きている日常の雑事に追われるだけではなく、先人のこと、
身の回りで旅立ってしまった人たちのことに、思いを寄せる、思いを馳せる季節でもある。

初盆を迎えることになるとは思わなかった知人たちのことを思い出す。
つい最近、90歳を越えたご主人の最期を看取った知人のことを思う。
原爆で亡くなった広島や長崎の方や、その遺族の人たちのことを思う、
破壊された傷跡が残る町のことを思う・・。
そして・・・。まだまだある・・。

夏は鎮魂の季節なのかもしれない。
暑くなればなるほど、心静かに、自分が今おかれている現在を客観的に見る。
すべての先人に手を合わせる。
盆踊りも、精霊流しも、灯篭流しも・・・すべての夏祭りも・・。
一見賑やかで、華やかに見えるが、心は鎮魂、そして祈りのための活動である。

夏は、ハレの季節であるが、静かに目を閉じ、手を合わせる季節。
レクイエム・サマー。

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不変のスポーツマンシップに感動。

正直、オリンピックが戦後とくに政治とかかわっていることや、
経済の活性化にそれを利用しようと、スポーツに直接関係ない人たちが
騒いでいることに、違和感は感じ、東京オリンピックを巡るさまざまな動きは
心配でもあり・・

またメダルの数を競い、そのために手段も問わない国もある・・
という話も聞きたくない話だ。
勝つため、お国のため・・。なら、興味なし。
オリンピックとは、国家レベルの政治的ゲームか?とも思うと、
大変危険・・。

と思っていたなか、開催国の大統領不在のまま、開催された
リオのオリンピック。

こんなさまざまな疑惑、懸念は消えないが、それでもとにかく
一生懸命に競技に向かう選手らの姿を見ていると、
これこそがオリンピックなのだ。と感動し、安堵する。
もちろんメダルを獲るためにがんばっているのだが、
結果は後でついてくるもの。

運も含めた実力の発揮は、簡単ではない。
笑う選手もあれば、悔し泣きの選手もいる。
どちらにも感動する。拍手を送りたくなる。

とにかくやっている選手たちのがんばりざまを見ると、
私は極限までがんばっているか?と思い、
もっとがんばれるのでは?
と、意欲がわいてくるのだ。

世界中の人が、参加する、応援する・・すべての
活動を通じ、より前向きに、元気になれる・・。
そして国際交流により、世界平和に貢献できる。
これが、オリンピックの役割ではないか。

先日、上野で見た古代オリンピックの選手たちの
彫刻作品たち。その時代の選手たちは、
現代までオリンピックというものがこのように続くこと、
また
こんなに豪華で装飾的なスポーツの祭典になるとは想像もしなかった
であろう、あの古代の選手たちと、今闘っている
選手たちの一人ひとりの思いは変わっていないはずだ。

とにかく、がんばるアスリートを見ていると
泣けてしまう。

それは派手さと予算の規模とかとは、まったく違う
ところに感動しているのだ。

全ての選手のスポーツマンシップにのっとった奮闘に、
心から敬意を表したい。

がんばっている人は皆、ヒーロー、ヒロインだ!

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「ピアノばあ」の夢を果たすため・・

腱鞘炎はしぶとい。長く付き合うつもりはないが、好かれたくないのであるが、
春から夏になっても去ってくれず、痛みは消えない。
日により変化するので、調子のよい時間が長く保てるように、
なるべく右手をつかわないようにとは思うが・・。
週末の料理も、固いものを切る、重い鍋を持つなど・・は厳禁だ。

ちょっと調子が良さそうな日に、久しぶりにピアノに向かう。
弾き歌いの伴奏、自作の曲でスローテンポのもの、ジャズもタンゴも
オクターブで両手をしっかり開く部分を避け、違う奏法でやれば、
まあなんとか。ちょっとごまかしてはいるが・・。
問題はクラシック!とくにショパン。
私には生きている限り、どんな年になっても、ショパンのワルツは弾けるように。
という目標がある。
そして一番のボケ防止は「幻想即興曲」だと思ってきた・・。
そう、あの中村紘子さんがコーヒーのTVCMで演奏されていた、あれだ。
高校生のときに覚えて、そのときほど滑らかではないが、
それでも暗譜して弾き続けていた大切な曲。

それなのに、今はこの曲・・・。指を鍵盤の上でくぐらせるたび、激痛。
さらにはスローテンポなのでと甘く見ていたノクターンも、
最後の高音のオクターブに飛ぶとき、痛みが走り、
思いっきり指を開かないといけないのにままならず。
思うようにならず、泣きそうになる。

悔しい!絶対に治す。

オリンピック選手たちも、かなり体を酷使されるので、故障も多い。
使い過ぎると壊れるのが人間。
そして、一部の故障は他のシグナルでもある。

それを正しく治さねば。

パソコンは一本指でも、音声入力でもどうにでもなるが、
ピアノはキーをたたくのが目標ではなく、
美しい音色を奏でることができなければ意味がない。

辛いが、絶対に治そう。ピアノは私の分身であることを、
皮肉なことにこういうときに、再認識するのだ。
家族のような存在なのかも・・。

とにかくショパンを弾けるおばあちゃん。
「ピアノばあ」になる。
長生きするなら、これしかないのだから、がんばろう。

まずは、無茶をしないこと。

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ときには、ギャンブラー的に生きる。

ある紳士のお話。今は30歳ほどのお子様の幼少期に、ひたすらギャンブル力を身に付けるよう、英才教育を施されたとのこと。お父上は60歳を越えた立派な真面目な会社役員。麻雀や将棋がこよなくお好きで若いときから仕事の合間、仕事を終えた後夜通しでも、勝負されていた時代があったとのこと。
その経験からギャンブルは人生に役立つと自ら悟り、息子にもギャンブルの魅力を切々と伝えてきたが、麻雀好きなお父さんのことをどう見たのか、それが災いしたかどうかはわからないが。その息子さんはギャンブラーとしての才覚は発揮せず、それらに親しむこともなく成人されたとのこと。

なぜ、ギャンブル力を身に付けさせたかったか。
それはいざというときに、自分で決断、判断する力を身に付けるため。
確かに、人に決めてもらうという人生は良くない。
自分でその場その場で決断し、行動していく力こそ、自立の道であると。

そして、一度決断したら、振り返らない。
あのときこうしておけばよかったとか、後悔とか反省は、なしだ。
そのとき、そのとき集中して適切なベストな決断ができるように。
それは切羽詰まったときも、そんなときこそ大切だ。

なるほど。
私はいわゆる賭け事はしないけれども、その考え方はよく理解できる。
いろんな局面、それはギャンブルと同じ。これを選ぶか、あれを捨てるか。
そう、毎日緊張感が必要なのだ。生きる道には、賭けなければならない瞬間がある。

面白い話を聴いた。
その方自身、麻雀で磨かれた決断力が功を奏して、仕事に人生に磨きをかけておられる。
普段は温和だが、いざというときは、すごいんだろうなと勝手に想像する。

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おかしいなと思ったら「宇宙の法則」?

おかしいことが、何で?と思うことが、ここんところ世の中に蔓延しているように思える。なんとも、気持ち悪いと、感じる。
何の力で世の中が動いていくのかと、今のその流れに乗りたくない自分がいて、流されまいと踏ん張ろうとする自分がいて、でもふと、その自分がおかしいのか?とすら思うこともある。

そんな悩ましいとき、つらいときは「宇宙の法則」を思えば気が楽になる。と
人に教えられ、思わず笑った。

世の中は常に、光と闇(明暗)、生と悪が混在して、混じりあって存在している。
見えている部分だけが正しいわけではなく、見えないところに実は光があることもあり、
また世の中はそのバランスで成り立っているから、「正」だけの光だけの世界はありえない。
ただ、マスコミの操作やいろんな力で、悪を生に見せかけたり、闇を光のように見せようとする存在もいる。そういうのもあって、世の中=宇宙が成り立っている。
まさに、カオス。それが世の中。

その宇宙に「ぽつん」と存在する自分。
それが現実、事実。

その現実の中で、
おかしいものをおかしいと感じ、自分の意志をちゃんと持って生きている
・・・そんな自分でありたいと思うことが大切。

ついつい、目先の情報に触れてしまうと、つい批判したり、避難したり、
感情も含め、正義感をもち反応してしまう自分がいるが、
反応できる感性をもっていること自体は、
決して悪いことではないと認めることにしよう。
振り回されたくなければ、それらの情報に触れないようにすればいい。

いちいち目に見えているつまらない現象で悩むよりも、
自分が楽しく、幸せに思える方向に自分を誘えるように自分を導く方が
ずっといい。

宇宙はいろんな存在の力がひしめきあって、存在している。
そこにいつつも、ちょっと俯瞰して、見れば気が楽になる。

そう、「目線は宇宙人」になるということだ。

そう、すべては小さな存在だ。どろどろした世界が好きな人はそういう
星に集まるのだろう。
自分は、自分のおかれた自分の星の下で、自分がいたいと思う星で、
自分らしく生きることがいい。

宇宙の法則にのっとれば、未来からの現在も想像できる。
今は、決して予断を許さない時代だとは思う。
でも、どんな悪がはびこっても、歴史は続いていくのだ。

いずれにしても、私は今、ここに生きている。ということだけを
受け入れ、生きたい。

・・と、思ったら肩の力もスーッと抜けてくる。

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やったことがないから、やってみる。

相談会や講座を受講いただいた食品小売り業の店主と久しぶりに会う。
そこの名物の玉子焼きが久しぶりに食べたくなり、注文したら忙しい合間をぬって
上越妙高の駅まで持参してくれた。特製のお惣菜とともに・・。
そこの玉子焼き。店が有名になりたいなら何か名物があるといい・・と言ったら、
「実は、これがうちの自慢の商品なんです。」と明かされた4代目の玉子焼きなる逸品。
もともと魚屋さん。その4代目が受け継ぐ玉子焼きは、寿司屋でも使われ、
またお正月のおせちにもいい抜群なおいしさだ。

その店主と、しばし近況について語り合う。
一時はお店をやめようか、思い切った業態転換をしようかと
悩まれていたが、今は地元の「みんなの台所」として、奮闘中。
鮮魚・魚の加工食品に加え、一般の食品販売も行いつつ、仕出しにも柔軟に対応。
思い切ったリニューアルオープンから1年。売り上げも納得いく数字と
うれしい報告を受ける。
辞めなくて良かったですね~。とこちらもその喜びを共有させていただく。

そして、最近では、評判も広まってか、これまでだったらできないハードな
注文も舞い込むそうだ。
学生の合宿での食事提供とか、ホテルへの朝惣菜の提供とか・・。
考えたら大変な手間と人手もかかりそうな要望。
断ることも時には大切であるが、その店主は、断らないという。
どうしたらやれるか考えて、何とかやる。

声かけていただけるのは、日頃お世話になっている方たちから・・・だから
断れない・・。
利益がどうこうではなく、まずやる。
周囲の人たちは、そういうことを教えてくれてきたわけですからね。
自分もそうやって助けられたのだから、求められる今、
自分もそうしないと・・。とのこと。

その店主の姿勢に感動した。

当たり前のことだけをやって、継続していく、安定を求める。
だけではなく、
ちょっとどうかな?ということにも挑戦していく。
このことは大変重要だ。

やったことがないことに挑戦することで、
自分の経験の幅が広がり、またそれが次に必ず生かせるから。

声をかけていただけることは幸せなこと。
心から共感する。

私もやったことがないことに、もっともっとあくなき挑戦を
していかねばと思った。

それにしても、そこの四代目のたまご焼きは、
世界一といってもいいほどにおいしい。

私の中に、店主夫妻の仕事ぶりがインプットされているから
いや、夫婦の愛がそこに詰まっているのを知っているから・・
だろう。
がんばれ、四代目!

新幹線の改札まで送ってくれた彼と、その時間もお店を守る
奥様に心からエールを送り、想いこもった料理を東京まで持ち帰る。

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