下北沢で29日より 朗読劇に音楽出演します。好評受付中です

春に向かって、新たな挑戦です。

今月末、朗読劇で生演奏をします。見たことも聞いたことがない取り組みですが、わくわくする企画です。演者もお客様もお互いにイマジネーションを膨らませ、青春のあの時代に戻りませんか?
「観覧車」がドラマに出てくるという理由と、タイトルが気に入って、即参加を決めました。ただ今、好評予約受付中です。東京公演29日~31日です。
ぜひお待ちしております。

詳細はこちら、劇団のサイトです。

https://blets.jimdo.com/next-prformance-4/

ご予約は以下の専用フォームよりお願いいたします。

東京公演

https://www.quartet-online.net/ticket/manathunoyuki?m=0lfeigh

長野公演

https://www.quartet-online.net/ticket/xwxxlar?m=0lgddea 

皆様のご来場、心よりお待ちしております。

小さな会場です。各回とも定員が限られております。どうぞお早目にご予約いただければ幸いです。

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きたきた詐欺!にご注意!

アポ電とかいう、そこで使うか?という言葉がにわか流行、なんとも気味悪い世の中だ。NHKでも毎朝、さまざまな手口の詐欺への注意喚起の報道をしているが、「気をつけましょう」と言っていても、その番組自体をその犯人たちも見てそのさらに奥の手を考える・・ということもあるので、完全防止というのは本当にむつかしいと思う。
せめて、親と毎日コミュニケーションしていれば、大丈夫かなとは思いつつ、最近は、親世代だけではなく、自分にもそういった危険が及ぶこともあるので、本当に油断も隙もないと、憂いを感じる今日この頃。

旧住所に、その詐欺ハガキが届き、現住所まで転送されてきた。
消費料金未納の最終通告・・なるタイトルの一見、公的機関からの文書っぽい内容のはがき。それを手にしたときは、一瞬頭のなかで、「未納のものなんかあったっけ?」と素朴な疑問。消費税と間違えて、税理士に確認するか?いや、消費税じゃなく、消費料金とある。そんな言葉はないはず、おかしい、むむ?もしかしてこれは??すぐネット検索すると、やはりその手の詐欺ハガキであった。
記録だけして、そのまま破棄。
絶対に記載の窓口に問い合わせなどしてはいけない。無視するのが一番。

なぜ、自分宛にそんなものが来るのだろう?その名簿はどこから?以前、別の詐欺ハガキが知り合いに届いたことを聞いたことがあった。
たった1本の電話や1枚のはがきで、人は不安に思い、うろたえ、人によっては思いもよらぬ行動をとってしまう。このたびは、命まで奪われてしまうという悲しい事件もあったようだ。

こんな社会がとても悲しい。とくにお年寄りや弱い人を相手に悪事を働く輩は絶対に許せない。
苦しくともまともに働き、まともに生活し、そこから生きる喜びを得る。
人生に近道はなし。絶対に、だまされないという意識をもたねばならない・・世の中は、悲しい。
生きづらい。今の世の中。

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ひとりの人間の影響。

昨日まで絶好調の活躍していたかに見えた人間も、ある瞬間、そのステージから転落、その名声を瞬時にして失くしてしまう、そんな人生もある。

メディアでおなじみの人であったならば、その分、何か事件・事故を起こせば
一般人より影響は大きい。経営者であれ、芸能人であれ・・・。
経済的な影響も含めて、効果もダメージも両方ある。周囲に多大な迷惑をかけてしまうことも多い。

よく考えれば、大騒ぎするほどのことでなくても、そっとしておけばよいことでも、メディアはそれが仕事だからスキャンダルなど、どうでもいいことにも喜んで群がる。それがネタであると、必死に詳細に追いかける。すべて面白半分、興味本位的に。
社会のために取り上げなくてはならない話題を探すよりも、そっちの方が
つくりやすく、注目を集めやすいからだと思われるが・・・。

事柄の影響を大きくするかどうかは、メディア次第だ。
良きにつれ、悪しきにつれ・・。
メディアの当事者たちは、そのことの意味・意義、自分たちの役割を理解しながら、仕事をしているだろうか?そうであってほしい。

マスメディアとマスインフルエンス。
無責任な拡散は、人権を脅かすことも・・。その人の人生を終わらせることもあるかもしれない・・。もちろん、何があっても応援するという熱烈なファンもいるかもしれないが。

とにかく、有名になるということは、表も裏も、光も闇も見られているという自覚、メディアに出る仕事をする、人前に出る仕事をするということは、みんなの憧れ、夢であり、ある種のお手本であるべき・・というのはきれいごとか。

自分に置き換えて考えてみる。
知らない人に影響を与えるほど、ビッグになる必要はない。そうしたいという思いは今のところない。
ひとりひとり、目の前の人に小さな良い影響を与えられる人であり続けたい。

とにかく。メディアを使って自己表現する仕事をする人には、より一層、その影響力ということについてきちんと考えて行動をしてほしい。
メディアに出る人以上は、みんなに夢と元気、希望を与える存在でなければ。
自覚と責任。
何かあると家族が一番、気の毒でもあり・・。
いい年をして、やっぱり親に心配かけるのは、一番避けたい。

これも含め、みんなの教訓になってしまうのも複雑だ。
とにかく、何事も自覚と責任と、影響。このことを肝に銘じよう。





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最期を想像しながらの朝寝。

先日、ベートーベンハウスに行った際、楽聖と呼ばれるまでになったベートーベンの生まれた屋根裏の部屋を久しぶりに見ながら、そのあと、その隣の部屋に展示されているデスマスクを見た。

生まれた部屋と、亡くなったときの顔。
両者を見て、このひとりの人間についての一生がよりリアルに迫ってきた。
デスマスクか・・。

朝、お腹がしくしく痛くなった。寝不足か、緊張か。
ちょっとしんどいので、横になる。
静かな朝だ。
もし、このまま痛くなり続けて、もし、このまま・・・だったらどうしようと
思っているうちに眠りについて、そして目覚めたらその痛みは治まり、安心した。

しかし、時と場合において、そのまま死んでいくことだってあるかもしれない。

ふと、このまま死んでしまうのかな・・と思ったら、死ねないなと思うことがあった。親の顔が浮かぶのだ。夢だったのか何かわからないが、母らしき老婆がなんだか踊っているのだ。あかん、あかん、死んだらあかん。とでも言いたいのだろうか。意味不明のサインを見ているうちに眠ったようだ。

あ、おいては逝けない。先にいってはいけないんだ。

V最近、「イツカサイゴ」という曲を歌いすぎているから、そんな想像もしてしまうのかもしれない。

生身ゆえ、時にはそんなこともあるけれど、おかげさまで今朝は元気にスタートです!



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無心のとき、没頭の時間を。

ああしなくちゃ、こうしなくちゃ、あれもこれも。日々、いろんな欲の中で生きている。仕事の中では、駆け引きもある。今は、DEAL という言葉が、さも世の中のためになりそうな表現をされている向きもあるが、取引は、基本的に自らが利益を得るための交渉であるから、腹黒かったり、計算高くないとできないし、ビジネスの世界では生きていけない。しかし、生きていく上で、戦略や戦術ばかり求めていると、どうも卑しい人間になりそうだ。そう、戦略・戦術とも、古い男時代の遺物のようで、DEALもそのうちおっさん業界の死語になると勝手に想像しているが・・。

と、そんな世界とは無縁の世界で生きることはできないか。もちろん現代社会において経済活動はしなければ生きていけないため、まったく純粋に、ただひたすらに清い心で生きる・・というのはかなり難しそうであるが、1日1時間でも、30分でもいいから、無心になれる、あるいは何かに没頭できる時間がもてると良いと思う。

最近、35年前にピアノを教えていただいた先生と再会したが、今も先生は「音楽はお金もうけにならないのよね」と言われつつも、「でも、私はピアノが好きだから」と、にこにこされている。なんたる幸せな生き方かと、感動する。
音楽の価値とは、戦略戦術、DEALの世界とは無縁だ。もちろんこれが「音楽業界」ともなれば、別の話であるが、そこではなく、求めたいのは、無心・没頭の世界がもたらす価値。

どんなに忙しくても、どんなにハードであっても、「無心」「没頭」のひとときを大切にしたい。
純粋な気持ちで生き続けるのは難しいけれど、毎日そんなことも意識したい。

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風化しないために、出来ること

どんな大事件も大災害も、とくに自分の身に直接ふりかかっていなければ、時間の経過とともに忘れ去られていく。おそらく世の中の多くの事象がそうであろう。

でも、その被害規模に関わらずその経験が無駄にならないよう、同じ苦しい経験を繰り返さないためにも、そのことを忘れないようにすることは大切だ。全ての経験が次への教訓になるのだから。

今日であの大震災、津波から8年だ。

あの当日のことを思い出す。東京でのパニックも前代未聞であったが、日本中が世界が衝撃を受けたが、東北のみなさまのことを思うと、なんともたまらない気持ちになる。

あれから原発のことも含め、未解決の問題が山積みで、ふるさとに戻れないまま、今日を迎えておられる方も多くおられる。周りにもそんな知り合いがおられる。どんな気持ちで今日という日をお迎えかと思う・・。

オリンピックに回すお金があれば、こっちに使う方がどれだけ日本という国が良くなるかの疑問は消えないまま、時間が過ぎていく。復興が公から民に・・という報道をきくと、複雑な思いが募る。


であるが、人に何かを期待し、残念に思っていても何も変わらないので、まずは自分ができることをするしかない。
という自分も大したことは何もできない。
小さな募金活動や、ささやかな演奏活動や、現地で頑張る方への応援や・・
本当に何もしていないぐらいの恥ずかしい自分・・・。

でも、この日のことは忘れない。それぐらいはできるだろう。
家族が見つからない人のこと、ふるさとに帰りたくても帰れない人・・・
大切な人、もの・・・をなくしてしまった人・・・。

せめて、思いを寄せ、みなさんの復興を心から祈りたい。

ささやながら、今日、岐阜新聞のミニコンサートを開催。そちらでそんな思いを演奏したいと思います。

心からの復興を祈る。時間とともに厳しい現実が風化され、おきざりにならないように・・。そして。いつ我が身にもそんなことが起きるのか・・も心して、
ただただ、今日という日をしっかり生きるのに。

被災された皆様に、心から哀悼の意を捧げます。

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最小人数で店を回す、繁盛店

最近、居酒屋でも客席に設置されたタブレットを使って、お客がメニューを見て、選んで、そのままオーダーするというしくみが定着してきている。
もう10年以上前からチェーン店では導入されており、その当時は、「せっかく外食にきたのに、ネットでオーダーするなんて味気ない」とちょっと否定的で、料理を運んできてくれるスタッフにそのままオーダーすればよいのに、「ご注文はこちらからお願いします」なんて言われて、戸惑ったことも、今は昔。
その後、カラオケなどでも、同じしくみが使われ、世の中、変わったもんだと徐々に慣れてきたものの、やっぱり人に直接オーダーする方がいいなという持論は変わっていない。
 そんななか、静岡おでんを研究したいと、初めて静岡の居酒屋にたどりつく。迷ったなか、地元の人が進める、地元のチェーン店らしきお店を選ぶ。
おでん屋さんというと、もっとひっそり、カウンターごしに、店主と会話をしながら・・という感じなのかと思ったが、ちょっと違っていた。店頭に大きな鍋をおいて、もりだくさんのおでんたちがその中でスタンバイしており、豪快かつ楽しい。そんなおでん居酒屋。大変にぎわっており、予約なしでボックス席は無理、なんとか別室のカウンター席を案内され、座る。目の前に、大きなタブレット。カウンターが狭いのに邪魔だなと思ったが、メニュー&オーダーマシンだ。
それを見て、そこからオーダーする。目の前に、スタッフがいても、マシンからオーダーしないといけない空気。
最初は、「すみませーん。」とオーダーしそうになったが、他のお客さんの様子からも、手元でオーダーするのが良さそうだ。
最初、抵抗もあったが、料理がスムーズに出来上がり、テーブルに運ばれるのを見て、何の問題もないことを知る。料理を運んできた女性は、名札を見る限り、外国人だ。元気いっぱいで真面目なスタッフ。でも、料理について質問したりすると、ちょっと不安かもしれない。何より、「てんちょう~」と彼女が店長に質問すると、店長の手をとられそうだ。このお店、カウンター10名ほど、ボックス席含め、40名ほどは収容できる店なのに、なんとこの店長と外国人スタッフの2名でホールとカウンターを回しているのだ。しかもこの外国人スタッフの名札には、青葉マークもついており、入りたてということだ。
こんな忙しいお店、しかも人手不足には、この注文パネルは大変有効なのである。オーダーはマシンで受け付けるが、料理を運んでくるのは元気なスタッフ。そして、何よりも料理がおいしい!ここが一番だ。
飲食店である以上、まず美味しくなければならない。これが前提で、次はどうサービスするか。人手を割けない以上は、このやり方は大正解なのだ。
東京だけでなく、地方都市でも、この方法は定着しつつある。
無意味な動画をSNSでアップしてしまうような、人材がいるよりも、少なく効率的に回していくほうが、効率も良く経営的にも安心だ。
初めて入ったお店ではあったが、外国人の新スタッフを指導しながら、店を切り盛りしている店長に感動。(彼の風貌はボヘミアンラブソティ風である)
帰り際に思わず、彼の胸についた名札の名前で声をかける。
「ジョンさん。今日初めてきたけど、すごいね。こんな忙しい店なのに、よく二人で回されて。感動したわ。大変と思うけど、がんばってね」
すると、若き店長は意外そうな顔をして、
「いやー、そういってもらえると・・・。ありがとうございます」
店は、店長に支えられていると改めて実感。
静岡にはおでん屋さんはあまたあるが、またこの店に行こうと思った。
人材不足のお店で、がんばっているお店に心からエールを!

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恐るべし、デイサービス。

運転免許を返納し、体力気力と不安な日を送っていた父にデイサービスをすすめ、通い始めてもう半年ほどか。
週二回の半日の外出ではあるが、決まった日に行く場所がある、やることがある、会える人がいる。そして体を動かし、口を動かす。世間との大切な交流の場として、重宝している。
デイサービスはお年寄りの駆け込み寺のようだ。
送迎サービスから、体調管理のサポートから、そして話し相手まで・・・。
家族にとっても、本当にありがたい。

何より本人が喜んで出かけていき、みるみる元気になったことがうれしい。
免許を返納したあと、生きがいを失くしていたかに見えた、父がなんともいい感じで、若返った気がして・・・。
おまえに夫婦のコミュニケ―ションも改善?

わが家だけでなく、他の家庭でも、デイサービスのおかげで、99歳のおばあさんが、みるみる若返って元気になったというのを見聞きし、驚いた。
もう先が短いかもしれないと、もう一度会っておかねばという気持ちで会いに
出かけたら、大変若返り、お肌のツヤもよく、会話も成り立つ。
100歳近いおばあさんが、デイサービス担当の若きス男性スタッフをお気に入りで、その人に会いに行くのが楽しみで・・・なんて、話を聞くと、福祉のお仕事をされている方は、本当に大したもんだと感心、感謝だ。

一方、お年寄りがこの素晴らしい福祉制度により、どんどん元気に長生きされることはうれしい反面、長生きされる家族の負担についても考えてしまう。

人は命を与えられている間、生きなければならないのだから、どうせ生きるならば元気に楽しく。そして、できれば、自分の場合は・・・とあれこれ考える。
働ける間は、働く。動ける間は、動く。いずれにしても、楽しい人生をつくるのは自分であり、それは今からの積み重ねでしかないが、
まずは、親たちが元気に人生を終えられるように、笑顔で楽しく人生を結べるように・・・。


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花なし、雨の墓参りもよし。

もうすぐお彼岸だ。でも、その日にお墓に行けない人も多くいるだろう。

雨の平日、お墓まいりにつきあう。
お墓にいく道すがら、花屋もなかったのもあるが、
「雨だから、何もなくていいよ。線香も濡れるし、今日は何もなくていい」
へ?そんなでいいのかな?と思いながらも、ま、いいかとついていく。

これまで、お墓まいりで、天気の悪かったことは一度もなかった。

傘をさしてのお墓まいり。敷地内には自分たち以外誰もいない。
相方は車から洗車ブラシを持ち、両親の墓石に向かう。
「今日は、これだけでいい」

一年ぶりだ。

いつもながら、息子が親の墓を掃除するのを、私は助手のように後ろに立って
必要なことは手伝いながら、それ以外はじっと相方の背中を見守る。
墓石に書かれた、命日の記録を見て、ああ、もうこんなに月日が経ったのかと
在りし日のさまざまな場面を思い出し、相方に出会ったのも、親御さんが亡くなったのも、すべて平成であったことを、今さらのように、思い起こす。
気が付けば、十数年も経っているとは・・。人生はこんな風に過ぎていってしまうのだとも・・。
「〇〇さん、一年ぶりに息子さん、きましたよ。」
とひとり相方のご両親に心の中で声をかける。

墓石は、洗車ブラシでみるみるきれいに洗われ、雨が仕上げのリンスみたいになってぴかぴかになった。
「はい。」
一通り掃除を終え、一緒に手を合わせて、古くなった花をもって、退散する。

首都圏から引っ越して、お墓も遠くなったが、それでも一年に一度は訪ねる。
今回、花も線香もなかったけれど、息子が掃除しにきてくれて、きっと空の上から喜んでおられるのだと思った。

雨のお墓参り。
なんともいえない、静かな時間。
いい親孝行の後ろ姿を見ながら、
ひとつ空との1年ごしの、約束を果たしたような気がした。

また、いつか。そのうち。
相手を記憶していれば、相手は心のなかに生き続ける。
ふたりのいい笑顔がよみがえる。感謝をもって、ちょっと早い春の雨彼岸。








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ひとり余韻の反省会

ついつい、日々の課題に追われ、毎日を予定通りにこなすことが当たり前になっている。しかし、時にはひとつの取り組みについて、ひとりでゆっくり振り返り、それを成し遂げることができたことについて、そしてそのためにご協力、応援いただいた全ての方々に、静かに思いを馳せ、改めて感謝の気持ちをもつことは、とても大切なことだ。そして、それができてこそ、ひとつの活動がはじめてひと区切りということになる。「やった!よかった!」というだけでは、本当の意味で、やったことにはならない。

昨年12月1日、山口のサビエル記念大聖堂にて、ザビエルに寄せるオリジナル曲「フランチェスコの夢」を演奏することができた。あの美しい教会で、しかもアカペラでの演奏・・。多くの方に聴いていただき、拍手をいただいた。
信徒でもないのに、山口にゆかりがないのに、いろんな意味で「ないない尽くし」であったのに、地元出身の方はじめ、いろんな方のおかげで、その思いが叶った。
そのときは、「やった!」という興奮的な達成感であったが、時間が経つにつれ、改めてしみじみと思い出すことが多く、もう一度、ちゃんとお礼に行かなくちゃと思い立ち、再び、山口に向かった。

小雨降る3月初め、3か月ぶりの、サビエル記念大聖堂。懐かしい感じだ。
あの日は1000人以上の人が集まっていたが、今日は数名ほどの来館か。天気のせいというのもあるかもしれない。でも、この静けさこそが、教会本来の姿である。
今一度、ザビエルの歴史を展示解説している資料館を見ながら、ザビエルについて復習、そして大聖堂に上がって、美しいステンドグラスの光を受け、初めてここに来たときのこと、12月の本番前日のときのこと、本番のときのこと・・どんどん緊張が高まったことを思い出し、3か月前の自分を思い出した。

ああ、忘れてはいけない。ここに来なければ、少し薄らいだかもしれない自分の貴重な経験が改めて鮮やかによみがえった。
今回は、声を出さず、心の中で、ひとり、その曲を歌い、祈った。
いろんな方への感謝の気持ちが一層、膨らんだ。

「山口のみなさん、ありがとうございました」と心のなかで、皆さんの顔を思い浮かべた。
そして、教会の中で外で、その姿を見せているザビエルの像(作品)に向かって「ザビエルさん、またお会いしましょう。本当にありがとうございます」
と声をかけ、手を合わせる。

短い時間、雨降る、山口へはるばる、この大聖堂へのお礼まいり。(まさしく・・)
ひとり反省会でもあり、感謝の時間であり、次のステップへの充電の時間でもある。

余韻を味わいながら、雨のなか、教会から駅に向かった。だんだん、この町に親しみがわいてきた・・。きっとザビエルさんもそうだったんだろうと思いながら・・。



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