コロナでNO!グッバイ

父から入所する施設より、
「コロナの感染予防のため、申し訳ありませんが、20日より面会禁止と
させていただきます」との連絡が入った。
これまでお世話になってきた他の施設では、面会は玄関先でのみ許可される
などで、絶対に会えないということはなかった。ただ、他の施設では春の時点でも、すでにWEB面会で対応しているところもあり、それぞれの状況のなかで、苦渋の判断や工夫をされていたが、私自身は、「会えない」という状況は少し他人事のように思っていた・・・。

であるが、今回は会えない。面会禁止。
渡したいものがあれば受付に預ける・・・。

20日から会えないとなると、それまでの間、
毎日でも行かなくちゃと思うのが不思議。
私だけでなく、家族親戚含め、今のうちに面会に言っておこう。という感じになる。
期間限定となると、やはり人は動く。
いつでもいいや。と思えるのは平和なしるし。今は違う。

コロナは要注意だ。もしも、羅漢したら、もし感染したら・・・。
命をおとすこともないとは言えない。

今日の面会が最後になるかもしれない。
と、そんなことを思いながら、ちょっと緊張しながら
父に接する。

いつが最後になるかわからない。
コロナでさよなら。だけは避けたい。

2020年・・・どんな年越えになるのだろう。

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「足」にお金をかける

名古屋や岐阜はトヨタ王国、車社会だ。
一家に複数台車を所有するのは、当然。であるから、黄ナンバーの軽自動車も多いけれど、それ以上に、レクサスや外車も目に付く。
車社会であるから、衣装にお金をかけるよりも、車に投資する人が多いのだろう。
車がまさに足代わり。ちょっとした外出も車で行くのが当たり前。
すぐ、「乗せていってあげるわ~」と、徒歩人は弱者のごとく、親切に声をかけてくれる。
他人事ながら、運動不足や、免許返納後がとても心配になるほどに、車ありきの
生活は便利さはもちろん理解しつつも、いろいろ気になる・・・・。

一方、移動は徒歩が基本。と、歩くのが大好きな私は、東京時代は毎日一万歩以上歩くのは当たり前であった。今もそのペースをなるべく落とさないように、名古屋でも岐阜でも、京都でもとにかくてくてく歩く。

歩くのは健康に良いだけでなく、市場調査にもなり、気分転換にもなり、歌の練習やアイデアを生む発想の時間としても、大変に有意義だ。
その歩きを支える、わが足・・。車ではなく、靴が重要だ。
外反母趾の痛みを軽減しながら、疲れないように、しかも見栄えもそこそこ・・
自分に合う靴をみつけることは大切だ。
靴が合わないのは、不幸である。

このたび、これまでよりも、ちょっとだけ高い靴を入手する。しかも出張先で、
偶然、運命的にいい靴に出会ってしまった。これを逃しては・・・と購入、しかもそれを履いて帰ってきた。(履いていた靴はそのまま修理に出した)
「靴で、そんな値段・・・」
「でも、車買うより、安いよね。靴なんか・・・」
そんな会話。
そう、車一台買うなら、靴はイメルダ夫人のように、何百足も買えてしまう。

歩く人にとっては靴は大切だ。ランナーにとってもシューズが大事なのと同じだ。

靴と車。どっちも大切な足。移動できることに感謝し、今日も新たな世界をてくてくと見つけるとしよう。

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ぼけても会話を楽しむ

親の知人たち。80歳を超えた人が多い。
もちろん個人差がある。すべての人がではないが、ぼけている人も
ちらほら・・。
自分の親においても、同じことを何度も言うのは当たり前、明らかに意味不明な
コトバを平気で、真顔で連発する。
そこにいちいち反応、反発するのはもういいか。
「ボケてると思って、ばかにするな」
こんな言葉も痛い。

ボケてきているのは母だけではない。
近所の喫茶店で、あるおばあさん。
「昌子ちゃん、お母さんどうやね。」
どうやら、まだ入院しているか、施設にいると思っておられるらしい。
「あ、もう家に帰っていますよ。まあ、元気は元気です」
と応えると、そこの店のスタッフが
「何いってんの。〇〇さん、昨日、一緒に定食食べていたやん」
と突っ込み。昨日、元気な母に会っていたのに、忘れているのだ。
しばらく、沈黙。
そして、しばらくしてまた
「おかあさん、どうやね」
と同じ質問をされるので、
「もう、帰ってますよ」
と同じように応えるが、同じ質問が何度か続き、周囲がそのたびに
「何いってんの。しっかりして~」
と突っ込む。ドラマの一コマのようだが、
この喫茶店では、高齢のお客さんが多いため、こんな会話も日常茶飯事のようだ。

ぼけた人との会話。
しっかりしている人からすれば、会話がかみ合わず、違和感もある。
しかし、ぼけた老人同士の会話はどうだろう?
お互いに意味を理解しなかったり、覚えていなかったり、で
会話の中身はかみ合わないし、意志の疎通も難しいけれども、
顔見知りであるということだけで、その瞬間、同じ時を過ごしている
ということだけで、何か安心感が得られるのかもしれない。
一緒にいるということだけで、楽しいのかもしれない。

でも、その一緒にいたこと、一緒に話したこと自体も忘れてしまう
ので、客観的にみるとそのコミュニケーションもどこか切なく、むなしい。

老いるということはそういうことか。
だんだん、かみ合わない会話を聴くことが増え、
意味不明の言葉を浴びる。

会話が成り立つということは、本当にありがたく、また貴重なこと。

相手がまともであった日と同じように、直球を返しても相手には
受けとめられない。
であれば、全力で向き合うのではなく、見守る、優しく返す。
そんなあきらめも含めた、ラフなコミュニケーションの大切さを思う日々。

ぼけても人とふれあいたい。
ぼけても、会話を楽しみたい。

中身ではなく、その行為こそが、生きるために必要だ。
老いるとは、だんだん人間の本質に迫っていくことでもあると
思えてくる・・。



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コロナでお久しぶり!

コロナ感染拡大で対面のミーティングが中止、延期となった仕事も多い。
そんななか、やっと再稼働しようと再会したプロジェクト。
半年以上ぶりにお会いすることができるようになった、ある企業の皆さん。

久しぶりにオフィスにお邪魔し、ドアを開け、
「おはようございまーす!」
元気に挨拶。事務所の皆さんも出迎えてくださる。
半年前と変わらない、いい緊張感だ。
そして互いに、再会を喜ぶ。
「元気でした~?」「おかげさまで元気ですよ~」

顔が全部見えてのコロナ前。とマスクで顔が半分しか見えない、現在。
ここがまずは以前と大きく違う。
さらに声が大きくなりがちであるが、
マスク越しに元気な声を伝えるため、どうしてもそうなってしまう。
みなさん、半年前と変わらず、
再会を楽しみにしてもらっていたことはうれしい。

まずは無事に再会できたことを祝し、さらに寄り添い、いい仕事ができればと
思う。

それにしても、それがまた延期になったり・・再び、自粛の兆し・・。
気を抜いてはいけない。

そして、
それにしても、マスクを着用しての会議は、やりづらい。
表情がわからず、ぎこちなくの進行になりがちだ・・。

そんな状況ではあるが、何とか会議も進行。プロジェクトが再稼働。
止まっていたことが動き始めるのは、嬉しい。
互いに感謝し、元気に活動を進めていきたい。
と、新しい気持ちになる。

半年ぶりに会う。うれしく、なつかしく。有難みが増す。
コロナで久しぶり!は、心地よい緊張感をもたらしてくれる。

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やさしい目力、求む。

マスク。これからの季節、実はとてもいい。
夏は暑くて、しかもマスクしながら話していると、窒息しそうにになるか、熱中症になるかと思うほど不快であったのに、最近はマスクを長い時間していても
まあ、気にならない。暖かくて心地良い。
マスクをしている顔。
これが普通になりつつある。
コミュニケーション上、問題ではある。
目がどんなであっても、口元こそ、表情が出る。とくに日本人の場合は、口元に出る方だと思うため、口元が見えないと、「ほんとのところ」はわからない。

企業訪問をしたり、いろんな方にお会いするが、初対面の場合、まずは警戒されないようにと楽しい演出を考えたり、わざと関西弁であいさつしながら、場を和ませ、まず相手が笑うように心がける。
笑っていれば、その人の笑顔がわかる。

しかし笑っていないと、黙っていると怖いこともある。
怒ってるのかな。睨まれているかな。
決してそういうつもりでなくても、そう見えてしまう。
緊張の瞬間だ。

そこで思うのは、やさしい目力を養うことだ。
マスクの上から見えるハーフの顔つきが、やさしそうに見えること。
ここは大切だ。
先日、飲食業のスタッフ研修で、
マスクしているときは、目はたぬきで!とお伝えした。

たれ目になっていれば、警戒心は解ける。

やる気満々、挑戦の目力ではなく、相手を包み込む優雅、優美な目力がいい。
当然、マスクとのコーディネイトも関係してくる。
キツイ色、柄のマスクに、にらみ顔・・・これは、かなり怖い。
白いマスクに、あるいは淡い色のマスクにやさしい笑顔。
これをぜひいきわたらせたい。

まずは、自分から。

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遠隔見守りは難しい。

日々の自分の仕事や暮らしも維持しながら、実家の両親の面倒を見るということは難しい。
同居することは現実的に、さまざまな点から難しいため、今の方法をとっている。
それでも、3年前に名古屋へ引っ越してきたことは、タイミングといい、本当に幸運な選択であった。
東京と岐阜を日々行き来することは難しいが、名古屋と岐阜ならば毎日往復も可能だ。

それでも、別居の場合は、遠隔操作が必要だ。
毎日連絡をとり、一日おきに実家に行き・・・介護の皆さまのお世話になりながら自分でできることをするが、緊急事態の備えはなかなかむつかしい。

このたび、警備会社の見守りサービスを導入することにした。
緊急時に出動してもらえ、いよいよのときは救急車へ・・。
また、12時間のトイレ利用がないと、連絡が入る・・・。

便利だ~。

と思ったとたん、間違ってボタンを押され、夜遅くに警備会社から連絡があったり、未明にと・・・。
結局、気が休まらない日は続く・・・

それでも、ないよりはよい。

見守りは難しい。
いろんな工夫をしながら、慣れながら・・・。

いつか終わるときのために、今 日々奮闘はまだまだ続く。

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喜怒哀楽は生きてる証し。

日々、仕事の合間の時間をやりくりしながら、地元への行き来を繰り返す。
朝の通学、通勤時間に移動することも多く、何十年か前の中・高校生だった自分のことを思い出しながら、電車に乗って、実家へ施設へと向かう。
今日はあれを食べさせよう、これを見せよう。
親への手土産や話題もそれなりに考えながら・・・。

年老いた親であるから、少しでもと思い、寄り添ってと思うが、
実際には、まだ口が達者な母とは、ちょっとしたことで喧嘩になる。
親子だからということもあるだろう、真剣に怒りが爆発しそうになることもある。よそのお年寄りに、腹を立てることはまずないが、なぜ親ならば?と自分でも不思議なくらい・・。
また不思議なことに、その口喧嘩はすぐけろり。
振り返れば、この言い合いも楽しいリクレーションだったと思い出すのだろうか。

父とは喧嘩はしない。しなくなった。怒られることがなくなった。
むしろ、最近は黙って人の話を聞き、静かに泣く。
悲しいのだろう。一緒に泣いてしまう。
少しでも楽しい時間をと、カステラを食べたり、お茶を飲んだり・・・。
ほんのささやかな楽しみが、悲しみの癒しになればと思う・・・。

生きていると毎日、いろんな感情を経験する。

生きるとは、まさに喜怒哀楽の物語。
この感情が豊かな方が、ほんとうは豊かな人生といえるのかもしれない。
もちろん、怒哀は少ない方が良い。
喜びと楽しみをどう増やしていくのか・・・。

ではあるが、実際、年老いていくと、不自由さが増す中でその喜びや楽しみの
量よりも、怒り(いらだち)、悲しみが増してしまうのかもしれない。

生きていることは・・・。
今のうちに、喜びと楽しみをたくさん、創造し、吸収していきたい。

感情があることをまず、幸せだと思いたい。

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コロナの意義

もし、今年コロナがなかったら・・・。
東京オリンピックは?景気は?インバウンドは?中国は?アメリカ大統領選は?
そして、私自身は?

いつの間にかマスクを着用することが、当たりまえになり、密を避けるようになり、今となっては、コロナが前提の暮らし・・・。これが、2020年だ。

移動の制限など、不自由もまああるが、それもやむなきこと。
医療関係者の皆さまのご苦労に比べれば、個人の不要不急の要件は
今しばらく我慢すれば済むこと。
これからの季節、さらに緊張をもって生きなければならない。
二波も、三波も阻止しなければ。
もうこれまでの経験だけで、もうたくさん。もう、これ以上の不自由は要らない。

そんななか、改めてコロナと向き合ってみる。

私にとっては、このコロナのおかげで、いろんな変化が見えたこと、
また懸念していたいろんなことが、この感染症騒動のおかげで、なくなったこと
が、実はとてもうれしい。
キャパを越えて、数字だけを目指して進んできた時代の不確かさを確認でき、とてもうれしい。
日本人が日本の観光の良さを実感できることが素晴らしい。
本当に必要なものが何であるか・・・を見つめ直す機会ができてありがたい。
緊張感ある日々がいかに貴重であるかも、経験でき良かった。
そして、今も元気に、そして今回の経験を活かし、しなやかに生きていきたいと
願う自分がいること、基本的に何も変わらず、自分らしくいられることが
良かった。

バブルも権力もはじけ、新しい世界が始まったことも良かった。
もし、コロナがなければ、世界は変わらなかった。
反省もふりかえりもなしに、考えることをせず、流されていったと思う。

緊急事態に人がとる行動。
本当に賢明なのか、自分勝手なのか・・。が透けて見える。

コロナはいろいろあぶりだしてくれた。見せてくれた。そのきっかけをくれた。

もしかしたら、人為的に生まれたウイルスかもしれないけれど、
調子に乗っていた今の人間社会に、この苦難は必要な試練だったのだとも
思う。

とにかく、謙虚に。賢明に。
どんな事態においても。

コロナはそれぞれに対し、大きな、多くの学びを与えた。
言い訳に使わず、経験から新たなに踏み出していこう。



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届く季節がやってきて・・

11月に入ると・・送られてくる1枚のはがき・・・。
これらが届くと、1年も終わりに近づいてきていると思うと同時に
このハガキを送ってくださる方の気持ちを思い浮かべる。
それは、喪中はがきだ。
これが届くと、どきっとして、不安になって・・厳かな気持ちになる。

このたびいただいたハガキには、ある方のお母さまが今年104歳で亡くなられたと書いてある。

そして、そこに

大正、昭和、平成、令和を生き抜いた、辛抱強く優しい母でした・・。

と書いてあるのが、心に深く沁みた。

そのお母さまのことはお会いしたことはないが、本当にそういう
方だったのだろう。
亡くなられてから、10か月が経ち、今、改めてこのハガキを出される時
どんな風にお母さまを思いだしておられることだろう。
今こそ、寂しく思うものだろうか。時間とともに、親との別れの気持ちは
どうなっていくのだろうか・・・。
そんなことをあれこれ、考える。

喪中はがき。いつか差出人になることもあるだろう。
そのとき、自分は親のことを、どんな一行で、記すのだろう。
今はあまり考えたくないけれど。
いつか、両親のいいところだけが、心の星のように光ってみえるのだろう。
でも、それはもっともっと後でいい。

今は、全開、体当たりで良いから・・・・。


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私のキャンペーンギフト。

アメリカ大統領選挙。このキャンペーンには世界中の注目が集まっている。
それだけアメリカという国は、やはりすごいのだ。影響力があるのだ。
もっとも、あの強烈な現役大統領の言動には、良くも悪くも目を離せない
不思議な力があるからかもしれないが・・・。

さて、しかし、もうこんな不安なアメリカ社会はうんざりだ。
早く平和に、元どおりに夢と希望に満ちた明るく元気なアメリカになってほしい。フランスからNYへ送られた自由の女神がほほ笑むように・・。
と、早くこのキャンペーンが終わることを祈る毎日。

そんななか、NYから連日さまざまな情報が届く。
アートから食品、ファッション、登録してある店舗や企業、美術館から
毎日届く情報を見る限り、人々の生活は普段通りだ。
一歩外に出れば選挙でコロナで町が落ち着かないが、日々の生活は続いている。
メディアの報道だけでなく、
日々ニューヨークから、来る情報は大変貴重だ。少し癒されるし、
町に出かけなくても、安全にNY気分を楽しむこともできる。

本来であれば、ブラックフライデーなどクリスマスに向け大きな
セールも始まることが話題になるのであろうが、今、NYの町は
コロナの余波に備え、例年とは少し違う。
しかし、オンラインショッピングやネット上でのビジネスはより
活発である。


もしかしたら、アメリカ人のなかでは、この一大イベントである
選挙が終わったら、ぱーっと買い物しよう!と思っている人もいるかもしれない。
何かのご褒美的な感じで・・・。
まさにキャンペーンギフト。
かくいう、私自身がそんな思いだ。

NYの良識が勝利することを願い、NYの皆さんの想いが実現したら、そのお祝いとこれからのNYにエールを込めて、ネットオーダーをしようと思っている。
大好きなアメリカに戻ることを願って・・・。

やっとそのネットショッピングもできそうだ。
まさに、キャンペーンギフト。
自由の女神がほほ笑んでくれたようだ。


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