本日25日 愛の元気人11月分オンエア!です


ハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」11月分、本日11月25日18時~オンエアです。
今回の「にいがた元気人」のゲストは、シンガポール料理店「ばく亭」の山崎明子さんと、
保安製品メーカー「かんえつ」の渡辺明子さんです。元気で意欲に満ちた素敵なトークをお楽しみ
ください。そのほか、「プチプチ感動体験談」、「コミュニケーションなんでも相談室」
などもお聞き逃しなく。FM KENTO 愛の元気人

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ただただ、感謝のみ。の本番へ。

「楽しみにしています。」という言葉を何名かの方からいただいた。
本当に、ありがたく、勇気がわいてくる。
「体調に気を付けて、手は適当に休ませてくださいね」
という心配の声も、何名かの方からいただいた。
行けることになったと、前夜にお電話いただく方もおられた。

昨年1年、新潟での演奏を休ませていただき、2年ぶりのディナーショー。
2年前の今は・・。
と思うと、ファンでいてくださった、すごい力強い応援団の方・・・
のことを思い出し、涙があふれる。

この2年で出会いもあったが、お別れもあった。

でも、私はおかげさまで元気に、生きている。

この2年間での新たな出会い、あたたかい交流や応援に支えられ
今日の「ありがとう新潟!」の思いを込め、ディナーショーを
行う。

セルフプロデュースがとても好きだ。
企画したことを形にして、お客様が喜ぶしかけを
創ることが好きだ。

今日もぜひみなさんに楽しんで、いい笑顔でお見送りしたい。

ありがとう!にいがた。
まっすぐに、その気持ちだけを持ち続け、新潟へ向かう。

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「人間」だから、いい距離感。

どんなに親子であっても、親しい人であっても、人間はそれぞれ別の存在、人格。

どんなに仲良くなっても、血縁、地縁含め、近しい人との間でも、
ほどよい距離感は大切だ。

あまり急接近すると、いいところが見えなくなることもある。
見失うこともある。関係が長続きしないこともある。

大切な相手であれば、相手を思い続けること、
見守ることは大切であるが、それも程よい距離がいい。

相手からは、自分が見えるか見えないかぐらいの距離にいる方が
よく見えることがあるかもしれない。

距離感。
人間とは「人の間」と書くから、間がないと、息が詰まったり
鬱陶しさを感じることもあるかもしれない。

自分自身も自由に生きたいと思って生きてきた。
みんな、基本はそうではないか。
もちろん、人間は孤独が嫌だと思う一面もある。
寄り添ってほしいとも思う一面もある。
考え方によっては、とても身勝手ではある。

が、程よい距離感が、いい人間関係を長続きさせる。

このバランス。なかなか 難しい。

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モノに宿る「メモリー」と「ストーリー」を大切に。

今年の前半は、引っ越しを前に、多くのモノを処分した。
とくに直前には、かなり思い切って処分した。
売ったり、人にもらっていただいたり、捨てたり・・・。
とにかくモノを減らさねばという思いが先行し、そのモノに向かいあう
ゆとりもなく、とにかく処分処分。
そして 引っ越しが終わり、今になって「あれ、どうしたかな?」
とそのモノの所在を思い出すが、すでにもうない。
どこにいったかすら覚えていないものもある。
もらっていただいた方の場合は、理由があってお渡ししたので覚えて
いるが、売ったものはあまり記憶に残っていない。

とにかくそのときは捨てなきゃ、荷物減らさなきゃとの勢いで、処分し続けていた。
何年も使わないもの、着ないもの、読まないものなどを整理したのはいいが、
後になって、「ああ、あれは?ああ、しまった~」と悔いる瞬間もある。
最近、そんなことが何度かあった。
そのモノには背景や思い出があったのだ。それをしばらく忘れていたのだ。

モノは不思議だ。
勢いで購入したものなどは、あまり愛着がないが、
あそこで、ここで あの人から、こんな会話で・・・
とモノを通じて、いろんな物語や思い出があふれてくるものは、
捨てられない。

もちろん気持ちが変われば、忘れたければ、処分すればよい。
が、
愛着があるもの、思い出があるものは大切にしておきたい。
そして、余計な消費をなくすこと。
モノを増やさないで、あるものを大切にしていく。
もし、ほしいと思っても、本当に大切にできるかどうかで
判断すること。

せっかく働いて購入しても、すぐに不要になるのはもったいない。
せっかく苦労して手に入れたものが、
ネットオークションなどでみたときに、なんと安っぽく、寂しく
見えることだろうかと想像してみる。

モノにも魂があるのかも。
大切にされたものには命が宿り、
捨てられたもの、売られたものは、その命がしぼんでいくような・・。
もちろんそれをよみがえらせるのが、今のリサイクルビジネスでは
あるので、それはそれで意味があるが・・。

それにしても、モノについてよく考えよう。
一番の幸せは、好きなもの、本、人、音楽・・・に包まれて
生きることなのかも・・。

だから、思い出と物語があるモノを大切にしていこう。

東京時代は、消費の時代だった。ひとつの時代が終わって
良かった。
いつまでも、作り続け、売り続け、買い続け・・・なくて良い。
その時代を過ぎて、心の充足について考える。

思い出、物語。を大切に。

アメリカで毎年恒例のギビングサンクスセールが始まると
売りまくって、買いまくる・・・。
このお決まりのサイクルにふと、疑問もわきつつ・・
そんな季節の到来に、改めて・・。
消費に踊らされるのではなく、出会ったものを大切にと
自戒を込めて・・・。

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表情も、腕のうち。

演奏したり、話をしたり、踊ったり・・。
世にはいろんなパフォーマンスがある。多様な表現があるが
最近、気になるのは、その演者の「表情」だ。

早朝に流し見しているNHKのクラシック音楽番組では、
これまで知ることのなかった音楽家たちの演奏に触れることができ、
楽しませてもらっているが、
腕自体も、もちろん素晴らしいが、それにとどまらず
最近はどんな顔つきで弾いているかを楽しませてもらっている。

そして、改めて表情も腕のうち、と思うようになった。

悲しそうに、うれしそうに、さみしそうに、希望に満ちて・・・
と、表情豊かに弾いている演奏家の音色には、奥深さを感じ、
また音楽自体が生きている感じがする。
あるいは、演奏者と作品が一体になり、新たな世界を創りだしているような
気になり、こちらもその世界についつい、引き込まれる。
単に、指先の、口先の、手先の演奏・演技だけでは、魂は揺さぶられないのだ。

フォーレ四重奏団なる楽団の演奏で、女流バイオリニストの演奏を見た。
なんとまあ、表情豊かに演奏されているのが、とても素敵だ。
一目で釘付けになった。
クラシックの世界にも、こんな自由に表現する奏者がいるとは嬉しい限り。

表情で弾く。これは大切だ。
もちろん技術は前提だ。下手であってはそんな表情も逆効果だ。

弾けるようになるよう練習を重ね、テクニックを磨いた上に
表情を乗せていく、魂を入れていくという順番か。

いやはや、クラシック音楽はなんと奥深いことか。
年を重ね、だんだんその味わいがわかり始めてきた感じがする。

表情も腕のうち、作品をつくる重要な要素。

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アウフヘーベン、実践。

かのヘーゲルが残した弁証法「AUFHEBEN」という考え方。日本語で「止揚」という。
歴史はまさにこの止揚する。「正・反・合」と自らにとって相反する、あるいは異質なものを
受け入れ、すべての経験を受け入れ、どんどん発展していくという考え方。

たとえ、混沌という状態であっても、いずれは時間とともに、いい結果が得られるという
長期的な視点ではあるが、前向きな考え方だ。
これがヘーゲルの歴史哲学の原点にもなっているとも言われる。
私はこの「アウフヘーベン」という言葉が20代から好きで、音楽の形式でいくと1,2,3、
1,2、3と進んでいくので、前向きなワルツだと思っていたし、
わがグラン・ルー自身も弁証法的な観覧車になりたいと思っていた。

そう、単にくるくる回るのではなく、らせんのように、周りながら上昇していくイメージだ。

ある政治家は、最近この言葉を使った。
しかし、行動はそのとおりではなく、単に言葉のかっこよさとか、思いつきで使ったのか
とにかくその言葉は似合わなかった。コトバどおりにいったら、結果はまた変わっていた
のかもしれない。いずれにせよ、いろんな意味でとても残念だ。

それに関連して、最近、親しい人とこの「アウフヘーベン」について語り合う。
「これまでの歴史だったら、混沌があっても、次の明るい時代が来たし、希望も
もてたけれど、今のこの状態だと、世界にはこの先、もう破滅しかないのかも・・・。」
とても残念であるが、その見方にはとても共感している。

少なくても、社会全体が良くなろうと思えば、ひとりひとりが自分のことだけを
考えるのではなく、周囲を大切にしなければ、弁証法的に生きるには、厳しい観察眼も
必要であるが、思いやりや気遣いが大切だ。

このことなしに、個人主義、ご都合主義、自分さえよければ・・の人が
増えていく以上、社会は破滅に向かうのだと思う。
アウフヘーベンという言葉が死語にならないように、と心から願う今日。

ベートーベンやモーツアルトの創った音楽が今日も人々の心を揺さぶったり、
落ち着かせたりするように
過去の偉大な哲学者たちが遺した考え方を、大切に現代に生かすようにしなければ・・。

この「アウフヘーベン」実践。まず自分からだ。
謙虚に、感謝の気持ちをもちながら、ポジティブに挑戦を続けていくこと。
とにかく、まずは自分から。

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働き者のトシ子さん・・・。

「うちのトシ子が~」「うちのトシコも~」
長年お世話になっている方との会話で時折、こんなやりとりが
今となっては懐かしい。
その方のお母様もとしこさん。そしてわが母の名も「としこ」であるから
お会いしたことはないけれど、その方のお母様に勝手に親近感をもって
いた。
どうやら、その二人のとしこさんの共通点は、気丈で働き者。
子供がそばにいなくても、しっかり元気にがんばっている。
とにかくよく動き、よく人の面倒を見る・・・。
元気印のおかあちゃん。
がんばっているし、強気だけれど、本当は子供に帰ってきてほしいと
思っている・・・(と思える・・)

その知人のお母さまとしこさん・・・。
お気の毒に、東日本大震災で被災され、悲しい経験をなさった。
それから・・・いろいろご苦労があった。
震災が人生を変えた・・と間接的にお聞きして、心が痛いこともあった・・。
東北の話題に接するとき、時折、お会いしたことのない、としこさんの
ことを思い出すもあった・・。

出張先、仕事が終わって、スマホを見ると
メッセージが入っている。
「うちの母トシコが今朝・・・。87歳の生涯でした」
一瞬、見間違えたか、自分の親が亡くなったのかとも思うほどに
あわてた。
あ、Sさんのお母様が・・・。そうか・・。

お会いしたことがないのに、歩きながら涙があふれた。
旦那さん、息子さんはどんなお気持ちか‥・・・と。

トシコさん。働き者のお母さん。
心からご冥福を祈ります。

うちのトシコさんもいずれ・・・かなと思うとたまらないが
避けては通れない。
生きることは・・・切ない。

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今さらながら、コミュニケーションの原点へ。

人はいつから、うつむくことが多くなったのか。
手のひらの中の、自分の狭い世界と対話することを
好むようになったのか。
顔を上げれば、目の前に、素晴らしい世界があるというのに。

コミュニケーションの原点は、人と向かい、人と交わり、人とともに生きる。
ということだと思う。
今は、その「人」はどこに?
目の前の人ではなく、手のひらのなかの見えない人とやりとりすることに
違和感を感じない人が増えている。

人とつきあうことは、生身同士であり、ときに面倒で ときに腹も立つ
かもしれないが、生身だからこそ、関係が修復できたり、もっと仲良くなったり
できる。顔の見えない言葉は、本来、通じ合うのが難しいはずだ。

そんななか、最近社会を驚かせている猟奇事件。
SNSで知り合い、短時間で連続殺人まで成し遂げてしまった犯人。
この人物のことを、ある評論家は
「すごいコミュニケーション力の持ち主だ」
と言っていたが、その言葉には複雑な思いがある。
ある意味当たっているが、だからいいわけでは、決してない!

コミュニケーションはそんなところで使うべきではない。
コミュニケーションは人が幸せに生きるために、助け合うために
ある人間だけに与えられた伝達という行為なのだ。

いま、社会全体がコミュニケーションの意味を間違って
解釈しているむきもある。

人間として、ちゃんと生きる。
人間として、ちゃんと通じ合える関係をつくる。
この基本を今一度、問い直したい。

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易い方に流されることなかれ。

小手先で生きてはいけない。
もっと道を究めるための努力をしなければならない。

この社会は、とりあえず・・の選択や誘惑が多く。
簡単に用意された選択肢を選ぶことで、
「とりあえず」生きることもできる。
この「とりあえず」ばかりやっていたら、
人生はどうなるのかな。
と最近思うことがある。
目の前のにんじん、すぐ手が届く簡単なもの
を求めることに慣れるのではなく、
たとえ今はしんどくても、自分の目指す道を
きわめていく方が、人生としては生きごたえがある。

情報が多すぎて、それこそ、とりあえず
困ったらリサーチ、気になったらリサーチが
できてしまうが、
このこと自体に慣れてしまうことも危険だ。

自分の人生、楽しいとラクをするはちょっと違う。
真に楽しい道は、苦労もあるからその満足感を
味わうことができるはず。

易き方向に流され、やすい人間にならないように。
焦りそうになるときほど、そのことを
心に留めつづけたい。

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「しか、ない」より「も、ある」が断然幸せ。

よくコップに入った1杯の水を例えに、物事の価値観について
言われるが、
「こんな少ししか、入っていない」
「こんなにも、入っている」
どちらの目で物事を見ることができるかにより、
自分自身の幸せ度が変わる。
人間は、欲深い動物だから、
「たった、これだけ?」
「これしか、ないの?」
と思いがちであるが、それよりも、
「こんなにある」(十分である)
という目線をもつ方が、明らかに幸せだ。

仕事のさまざまな面で、目標数値をもって臨むことは
とても重要ではあるが、いつもそこからばかり現状を見ていると
しんどくなることもある。

最終的には
現実をまっすぐに見つめ、
こんなにある、こんなにできた、こんなにある。
と、この一点に感謝のきもちを傾けるのが
気持ちいい。

ないものねだりよりも、今あるこの状況を
自分へのギフトとして有難く受け止め、
そこでベストを尽くそう。
と思えば、心がとても軽く、すっきりする。

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