時には大物に会いに行く!

毎日というわけにはいかないが、ここというときには、何かひらめきが生まれたときには、勇気をもって行動しよう。普段会えない人に、会いに行こう。

今回、たまたまライブでお世話になっている会場で、私が演奏しているときに
ひとりの紳士が後ろの方で聴いておられた。
1回だけでなく、何度か、、。。そしてある時、名刺をいただいたら、そこの会社のオーナー様。びっくり・・・。トップが聴いていてくださったとは・・。

前回も聴いておられ、拍手をしてくださった。演奏後、追いかけて挨拶にいったら褒めてくださって、握手もしていただいた。。

まさか、自分のことは覚えておられないだろうと思ったが、どうしてもその方に感謝を伝えたくなり、手紙を書いて、届けた。
すると、届いて2時間もしないうちに、秘書から電話があり面談のアポとなる。

そして、本当に会いに行った。いつも演奏会でお邪魔するビルの高層フロアの応接に通された。
そして、今度は観客ではない、オーナー様にお会いした。

もう90歳を過ぎておられるが、70代に見えるぐらい若々しい。
私が書いた手紙を振り返り、どんな人間かを確認してくださった様子。
「何か私にできることはありますか?」
会話のなかから、そんな一言が出て、びっくり。
この方はこうやって、世の中にGIVEをたくさんされてきたのだろう。
あまりに感動し、話をするなかで
「お人柄に感動しました」というと、「経営者というのは頭も体も大事だけれど一番大切なのは『人柄』です。これが一番」。

本当にそのままの方であった。
30分ほどの面談であったが、次へのご縁もいただき、すごい人だという印象だけが残った。
人のために尽くす。社員に寄り添い、お客様に寄り添い・・ずっと現役だ。

「疲れることを知らないんです。人からは回遊魚って言われていますよ」
レベルは違いすぎるが、何か共通点を感じ、やっぱり会うなら一流の人だと改めて思った。
今だと思ったら、本物に、大物に会いに行こう。

いつか私も人様に、「私に出来ることはありますか?」と言えるような人になりたい。出来る力、器がなければ言えない一言だ。

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しみじみと、じわじわと、くるくると。

このたびの朗読劇。3日間で6回の公演。なかなかのハードスケジュールであったと思う一方、慣れてしまえば、全然平気なもの。人間の慣れは恐ろしいが、こういった作品は慣れがないと、余裕をもって演技、演奏できないし、慣れないとお客様にも伝わらない。

そんなわけで、ちょうど慣れてきた5回目の公演のとき。私のピアノのすぐ前に座ってごらんいただいたお客様。朗読にはもちろんであるが、私の演奏にも耳を貸してくださり、終わったあと「あの場面で使っていた曲は??」と熱心に質問してくださり、「いえ、全部オリジナルです」と言ったら、たいそう驚かれ、そこからそのお客様とのやりとりがはじまる。

とくに私のテーマソング「人生は観覧車のように」を大変お気に召していただいたようで、60年代のパリの匂いがする・・など、私が描いているイメージとまったく同じことを口にされ、このお客様は、わかっておられる方だなと感心。そして、そのあと歌詞のことも気に入っていただき、たまたま朗読劇での出会いであるのに、自分がつくる曲や詩に深い関心を寄せてくださった。
そしてお求めいただいたCDを一晩中、お聴きになり、ご自身の生きてこられた道を、時代を、そして若き日に乗られた観覧車を思い出し・・涙されたとの報告を翌朝にメールで早速いただき、今度はこちらの胸が熱くなった。

心揺さぶる曲に出会えた、、、とまでおっしゃっていただけたことがとてもうれしく、しみじみ、じわじわと私の心に染み渡った。

こんな小娘?がつくった作品を、本当に気に入ってくださって、こう聞いてもらえたら・・というとおりの反応をいただき、改めて音楽の仕事っていいと思った。

いい曲を聴かせてくれて、ありがとう。と感謝の言葉までいただき、ただただ恐縮。有名にならなくてもいい、出会う人、出会うひとりひとりに向き合い、感動を伝える仕事を・・。
人生を振り返ったり、シアワセな時代を思い出したり、心の旅の行き先はさまざまなあるが、その道しるべに自分の音楽がなれるならば・・。

最近、気に入っていただける新しいお客様に出会い、泣いたり笑ったりしていただけることが本当に幸せだ。

人生は観覧車のようにしみじみ じわじわ・・感動とともにくるくる回りたい。

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箱と表現

演劇の世界では、劇場のことを「箱」とも呼ぶようであるが、まさに玉手箱であり、宝箱、夢箱である。
前回の演劇公演では、劇場での開催であったが、今回は下北沢のカフェバー。
作品の舞台が遊園地であるので、また朗読劇でもあるため、より想像が膨らむようにと、このようなカフェを作家自らが見つけて、決定。
これまで、私自身もライブハウスやレストランでもライブをしたり、演奏をしたことはあるが、このような空が見える空間は初めてで、一歩ここに入った瞬間から、ここでそんな世界が創れるのだろう、新たな世界が生まれるのだろうと、どきどきわくわく・・。
そして、空が見え、オープンテラスにもなるので、昼と夜、天候によって表情が変わるという点も大きな演出になる点も特徴だ。

こんなクリエイティブな空間で、役者は朗読をし、私はピアノを奏でる。
お客様とは1メートルも離れていない。その表情はよく見えるが、こちらこそ、ずっと見られている。
たまらない緊張感のなかで、この箱のなかで、仲間たちとそして観客のみなさんと一緒に「ひとつの作品」を作り上げる。
役者たちの練習も10回、音楽合流の稽古はたった2回、という短期間での本番でその意味での緊張感もあったが、この素敵な「箱」のなかで、楽しく演じ、感動のドラマを作るという経験をし、またお客様にも感動を受け取っていただいた。

商品にはパッケージがあるように、演技、表現にも箱、器があり、その表情が変わる。
「真夏の雪」。おかげさまで東京公演3日間6公演無事終了。次はサクラサク信州は上田へ。
次の箱も楽しみに、新たな感動を創りに出かけたい。


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まだまだ、あかん。

まだまだ、まだまだ。
自分のことを反省する機会はまだまだ多い。
すべては、練習量、すべては努力の量、それに割く時間・・・に尽きるが、
これぐらいで、まあノリと勘でうまくいくだろうと思っていたことが、やはり、そうはいかないということが今回もわかった。
とくにチームワークの場合は自分ひとりとは違う責任がある。
練習量が少ないと、経験が少ないと、想像が少なくなり、緊張が増す。
自分がうまく演奏、演技できないとチームワーク全体の呼吸が乱れ、作品がボロボロになる・・それだけは絶対に避けなければならない。そのためには、
ただ練習、稽古の積み重ねなのである。
ソロの場合、チームワークの場合は、それぞれ良さがあるが心得も必要。
人に絶対に迷惑をかけてはいけないのが、そして調和することで相乗効果を出せるのが団体戦だ。

人はなぜ緊張するのか?
役者たちを前に、そしてお客様を前に、両方を見ながらの演奏。また自分の腕ひとつで‥の責任は重く、ずっと集中力を保ち、絶対に・・と思うと余計に緊張してしまうものだ。
ちょっとフィギュアスケート選手の気持ちがわかる。

とにかく、ひとえに練習、経験だ。

余裕をもって取り組むためには、まぐれな成功ではなく、きちんと安定した演技にするには、地道な積み上げが必須である。

まだまだ、あかん。この気持ちが自分を駆り立て、もっとうまく・・と努力を重ねる。そのおかげで、本番を重ねるごとに慣れてきて、いい感じになってきた感じ。でも、まだまだ、あかん。気を抜くことなかれ。

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帰ってきた「まさこちゃん」!

生まれた街、自分が通った小学校区下で、地元のことを歌ったオリジナル曲を
ぜひ地元の人に聴いてもらう機会をと、コンサートのご依頼を頂いた年度末。
平日の昼下がり、会場へ50名ほどのお客さんに集まっていただいた。
題して「マーサのお元気&幸せライブトークショー」。

集まっていただいたお客様は、昔からよく知っているおばちゃんばかり。
同級生のお母さんがあまりに多いことに、
改めてここが地元であることを認識する。

不思議なことにこの、昔の近所のおばちゃんたちは、
今もおばちゃんのままである。ただ、半世紀の歳を重ねた。
だから当時20代だったおばちゃんは、今は70代。80代の方ももちろんいる。
でも、私にとっては皆さんは、おばあちゃんではなく、おばちゃんのまま。

それにしても、なんとまあ半世紀ぶりにお会いできるとは。

皆さんニコニコ顔で昌子ちゃんの登場を待ってくださる。
今日は爆笑シリーズで行こう。
ちょっと恥ずかしいが、そこは子どもの頃から慣れ親しんだ
吉本新喜劇をお手本に、派手な花の上着に、ランドセルがわりにリュックを
背負い、黄色い帽子の代わりに黒い帽子と手持ちの道具を使って、
へんな恰好で「一年生になったら」を歌いながら、元気に行進入場。
何が出てきたかとびっくりしたおばちゃんたちは爆笑の渦。
それから55歳になったまさこちゃんは、1時間全身で話し、体を動かし、
歌を歌った。
おばちゃんたちは、ずっとにこにこ笑って、私が言うままに手を動かしたり、
口を開いたり、そして爆笑。

次は何が出てくるか・・。おばちゃんたちは心からリラックスして、
昌子ちゃんのへんてこな誘いにのって、おつきあいくださった。
最後は地元愛の歌「みのり愛」を全員で歌った。
自分が数年前に作ったこの歌が、今は地元の女性(おばちゃん)たちの間で
歌い続けられている。合唱や大正琴や・・。だから、みんなうまい。
自分が作った曲を、近所のおばちゃんたちと一緒に歌えるなんて、
なんという幸せ。

半世紀ぶりにお会いした、同級生のお母さんたち。
自分の親と今もおつきあいいただいている。
きっと私の演奏やトークを見聞きしながら、
ご自身のお子さんの人生と自分のことを思い出されたことだろう・・。
おばちゃんのにこにこ顔、時折泣き顔に包まれ、無事ライブ終了。
大きな拍手とお言葉をいただいた。
「元気になった」「やっと会えてよかった」
「マサコちゃんのおかげでまた長生きできるわ」・・・・などなど。

主催者から「人を元気や幸せにすることができる仕事って、
本当にいいですね」とありがたいお言葉をいただく。
いくつになっても、ここに戻ってくれば、いくつになっても
私は「昌子ちゃん」なのだ。
ずっと呼び続けてくれるおばちゃんたちが、
この町にいてくれる時間が続くようにと願っている。

帰ってきた昌子ちゃん・・・。これからも楽しみに待っていただけるように、より一層・・。
18歳で出ていったから・・こその「帰ってきたまさこちゃん」である。





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パンツスーツのピアニストに共感

ライブやコンサートではもちろん衣装は大切だ。それなりに、自分のブランディングも含め、なんでもいい!ではなく、こだわって装うようにする。
お客様は目でも演奏を見ている。

ある、世界的なピアニスト・・でも、私は不勉強で今回初めて知った演奏家。
ショパンが得意なようだ。しなやかな指ののびで、つやのあるいい音を出す。
コンサートに行ったのではなく、NHKの番組でその演奏をながら聴く。
まず、その音色に感心をもち、その姿に目を向けると、そのピアニストの服装が、いわゆるドレスではない。西洋人も日本でも音楽大学を出た人の多くは、ゴージャスなドレスを身にまとって演奏をするが、この方はパンツスーツなのだ。
そのことが演奏前のインタビューでも聴かれていた。なぜ、パンツで演奏するのか?するようになったのか?

そのインタビューによると、以前は彼女もドレスを着用して演奏をしていた。が、あるとき、ある曲を弾いているときに、なんか違うと感じたそうだ。
その曲は、残酷な曲。ドレスを着て弾いていては、その曲が伝わらない・・。
と感じ、演奏をするときにドレスでは合わない曲もある・・ということで、それ以来パンツスーツにしているそうであるが、なかなかかっこいい。
また、彼女は愛する音楽で大勢の観客と交流でき、一体になれることについて大変幸せを感じるとも言ったことも印象的であった。
そして、もしうまく弾けなくても、伝えたいことがあったら、お客さんには響くとも・・。気持ちが思いが大切なのだということ。
これは、普段、私が音楽以外の仕事の場面でも痛切に感じているところでもあるがまさに音楽も同じだ。
クラシックだからこうでなければならない。ではなく、自分がその曲を通じ、何を伝えたいか・・・だ。

私もパンツで演奏することもあり、大変共感。
何を伝えたいか、でお膳立てはすべて変わる。




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情熱のチームワークで創る悦び

人は何に一番感動するのか。
それは人それぞれに違うかもしれないが、仕事、作品そのもののすばらしさもあるが、それを一生懸命表現する、やり遂げようとする、そのパフォーマー。
観客に喜んでもらうために、お客様に満足してもらうために、一心不乱に汗をかき、全身全霊でステージで歌い、舞い・・。
バレエでも、演劇でも、演奏でも最近は、演者のことが気になり、そちらについ目がいく。
シルクドソレイユは、残念ながら生で観たことはないが、朝、たまたま映像で観ることができ、オーケストラとサーカスの見事な融合美を知り、さまざまな刺激を得る。
バレリーナ―たちがステージの空中を舞う、体力の限界の限界に挑戦する。
各曲の合間、パフォーマーの入れ替え時に場を盛り上げる、ピエロの存在。各パフォーマーの緊張の演技の間のリラックスタイム。大切な場面転換だ。
そして、
ダンサーたちの踊りをしっかり支えようと、心を合わせて演奏するオーケストラの面々。
これらが一体となり、シルクドソレイユの作品が完成していく。
これを見ながら思ったこと。
どんな作品も、仕事も情熱のチームワークが感動を創る。
関わる全員が観客に感動を与えることを目的として、一生懸命に自分の役割を果たす。いい加減に、妥協して取り組んでいるメンバーがひとりでもいたら、感動は生まれない。
できるできないではなく、やるかやらないか。
今、自分が直面している課題をこのシルクドソレイユに置き換えてみる。
自分はオーケストラの一員か、指揮者か。ピエロか、パフォーマーか。
この役割は課題によって変わるだろう。
ただ、どの役割もステージを完成させるためには、不可欠な存在だ。

命がけの演技を大汗をかきながら、笑顔で舞うバレリーナ―に心うたれる。
笑顔で汗をかく。
ここ、参考にして進んでみよう。

一生懸命にみんなで創る仕事。自分がどの役割になれば、うまくいくのかも
想定しながら、クリエイティブもビジネスも、ぜひシルクドソレイユを目指して取り組んでみたい。



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雪解けの春。再会の喜び


半年ほどのご無沙汰か。ずっと闘病生活を続けておられる方との再会には、
思いが募る。また会えるかな、いや、絶対会う。
頑張って治療を続けておられるのだから、絶対によくなるはず。
手術や抗がん剤治療を繰り返し、何年か。
とにかく発病以来、ずっと自らの人生にまっすぐ向き合い、やれることを
やり尽くしておられる。その勇気、努力にも頭が下がる。
もし、私が彼女だったら、そこまでやるかどうか。といつも尊敬しながら
応援しながらの歳月。
 冬は雪が降るから、静かに療養。
ここ、何年も冬は冬眠の季節のごとく、
春を待ってお会いするようになっている。
今年もそうだ。
「春になったら会いましょう」なんどその言葉をかけてきたことか・。」
そして、早く雪解けの季節が来るようにと祈り、願う冬を越す。
その約束がかなって、会うことができ、お互い大笑顔で喜んだ。

2時間ほど、ブランチしながら治療のこと、仕事のこと、
家族のこと、音楽のこと、ホスピスのこと・・・話題は尽きぬ。
人として、おかげさまの気持ちを持ち続けること・・。
これが病気をされて改めて分かったことだと教えられる。

「疲れてきたので、そろそろ・・・」そうだ。元気に話していても、
無理をさせてはいけない。

何度も笑顔で「またね」と言って、別れを告げる。
絶対に、また会えますように。
天国にいくのは、もうしばらく後ですよ~。
冗談を言いながらも、こればっかりは・・・と思うが、でも言う。

また会えますように。そう思わせてくれる人との時間は大切にしたい。


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無音の時間の爽快さ

まず、目覚めたらテレビのスィッチを入れたり、音楽を流したり、「ながら」で仕事をしたり、日々の時間を過ごすことは、ごくあたりまえになっている。
なんとなく音がないと寂しい、時計代わりであっても、音ありの生活が前提で暮らしている。
ではあるが、あるとき流したいものがなく、無音にする。
しかも朝4時前といったまさに、早朝。
通行量も少なく、車の音もしない。

しーん、と静まりかえった時間。

なんだか心が落ち着いてきた。
そうだ、これは座禅をする、瞑想する。と同じことだ。
音を消すだけで、本当に世界が変わってくる。

今も、無音のなかでこれを書いている。

キーボードを入力する音だけが聞こえてくるが、普段より静かにと心すると、なんだか落ち着いてきて心が澄んでくる感じ。

時は音を立てないで、過ぎていくのだ。
このことにちょっと怖さも感じつつ・・。

1日にほんの少しの時間でいい。無音の時間をつくり、自分と向かい合うことに
しよう。

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お子様に教えられること。

お子様向けイベントを毎月2回企画・実施して、準備期間も含めるとまもなく1年になろうとしている。その一区切りの前に、お子様イベントへの取り組みについて振り返ってみる。

=お子様は素直。飽きやすい。
だから、飽きられないように創意工夫が必要。
でも、工夫すればしただけ、必ず報われる。
反応に出るのだ。

お子様の目線に沿った会話を大切にする。
お子様にはひとりひとりに声をかけ、ハイタッチをしたり、握手をしたりしてきた。ふれあうことで慣れてくれる。また会話するときは座って、目を合わせる。

手を挙げる子どものやる気を大切にする。
クイズなど行う場合、答えがすでに出ていても、まだ手を挙げ、もう出た回答をくりかえすキッズもいるが、同じことでも聴くようにする。
手を挙げて発表することを認める、ほめることが大切。
遊びの場面でも、子供のやる気を削がない努力は必要。

自分が子どもの頃に歌った曲は、今も歌い継がれている。
同じ曲を歌うことで、心が通う。年代が違ってもわかりあうことができる。
接点を探そうとし続けることはとても大切だ。

などなど、キッズから学ぶことは多い。
気が付けば、お子様向けのライブでも、なんでも遠慮なく、堂々と対応
できるようになってきたようだ。

お子様に育てていただく。ありがたい仕事。チャンスある限り、しっかり
がんばろう。

みんな、新入学、新入園、そして進級おめでとう。どうぞ健やかに。

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