おかげさまで、公私ともに毎日、大変することが増えている。
今、いくつの仕事を抱えているのだろう・・と数えることも難しく、
それをするのも忘れて、目の前の課題に向かい、出会う人出会う人に
少しでも役立つことをしたいと思っている。
そんなこんなで毎日新しい出会いもあり、会話があり、交流があり・・
何か動くと、また次の課題が出てくる・・・。
終わらない仕事。
できれば、このまま回り続けたいと思っている。
無理なく、なめらかに、楽しく。
ただ、毎日、ひたすら観覧車を回したい。
早すぎると目が回るので、少しゆっくりめに回し続けたい。
ただひたすら、観覧車を回す
がんばれ、がんばれと、心の糸電話
入院している父。何かあってもとりあえずは病院で対応いただけるということで、こちらも普段どおりの生活をさせていただける。
現在の医療介護は本当によくシステムが整っており、また高齢化社会のおかげで同じ経験をされた方も多く周囲におられ、教えていただけることが多く、本当に
本当にありがたい限り。
出張が終わったら、早く病院へと思っているが、今はそこにいないし、ずっと一緒にもいられないことが続くだろう。
でも、いつも心の中で、父に向かって呼びかけている。
「がんばれ、がんばれ、とうさんがんばれ」
人間は、思えば必ず心でつながると思うのだ。
どこにいても、いつでも呼びかける。
「ぼけたらあかんよ。しっかりしてよ~」
涙ぐんでいる父が浮かぶ。
まだできることがある。まだやれる。
このピンチをどう切り抜けるか、活かしていくか。
心の糸電話をしながら、人生が次のステップに移っていっていることを感じる。
それはある日、突然に。
毎日何が起きるかわからない。
天災、人災もちろん避けたいけれど、いつという予報は実際にはあてにならないことが多い。
事故や病気を未然に防ぐことも、わかってはいるけれど、ということが多いかもしれない。
二、三日前に元気にしていた父が、病いに倒れたという、母から一本の電話。一瞬、現実の話ではないような感じがする。。
冷静には聞いているつもりであるが、自分の中でふわふわの不安定な感覚。
じわじわといろんなことが頭に湧いてくる。
混乱しないで冷静に冷静にと、いざというときは、こういう時だと自分に言い聞かせている自分がいる。
経験したことのない、いろんなことがこれから起きてくると思った瞬間でもある。
それは、ある日突然やってくるものだ。
だからやっぱり日頃から悔いないようしておかねばならない。
2日前 父に会いに行ったのが、今思えば、何か…不思議である。
マネージメント能力をもっと。
社会人として生きていく上で、マネージメントは大変重要だ。
芸能人には、マネージャーなる職務も不可欠な存在であるが、基本的に人は自分で自分を管理していかねば、ならない。
組織に入れば、もちろん管理職なる役職、役割があるが、それは会社の中、組織の中で働くために必要な管理であって、人生全部を見てくれるわけではない。
人は基本的に、自分のことをマネージメントしていかねば、生きていけない。
と、最近そんなことを改めて思うことが多い。
セルフマネージメントという言葉どおり、自分をどうしていくのか?あるときはコントロール、あるときは自分の背中を押すことが必要なこともある。
どんな自分になりたいのかの夢、目的に向かってどう進んでいけばよいのか?
常に自分との対話が不可欠である。
他者とのコミュニケーションで悩むこともある。ときには怒りがこみあげることもある。人間だから、それは自然なこと。でも、感情をむき出しにするのではなく、うまく収めていく。アンガーマネジメント。これも大変必要だ。
日々、人は職業によって、いろんな葛藤があり、それに対して、適切に生きていかねばならない。
マネジメント能力。これは大人が大人として生きるための必要な力。
まだまだ足りないと思いながら、毎日、自分と対話している。
やがて、かなしきふるさとの・・


ふるさと岐阜といえば、長良川の鵜飼いが有名だ。
その独特な漁のはじまりは、1300年以上前といわれるから、驚きだ。
信長が、この鵜飼いをおもてなしにと奨励したそうで、長良川の鵜飼いが
岐阜の観光地として知られるようになったのは、信長のおかげかもしれない。
しかし、この鵜飼い。他の観光地でもそうかもしれないが、地元の人にとっては、いつでもある、いつでも見られるものという位置づけで、実際に屋形船に乗って鑑賞する人は少ないかもしれない。外からお客さんが来られたらお連れする、接待としてもてなすには最適の鵜飼い。
かくいう、私も船にのって漁火に揺れる古式ゆかしきその漁を見たことはない。
今回、その鵜飼いをやっている対岸にたまたま居合わせた。
近所の方、通行客の人が足を留め、堤防に腰をおろして、前方で執り行われる鵜飼いの様子を水面に移る明かりとともに遠目に眺め、拍手を送っていた。
この角度からの鵜飼いの様子は初めてみた。
総がらみという、鵜飼いのクライマックス。六艘の鵜飼い船が鵜を追い込んでいく場面だそう。
6つの船の漁火が、夜の水面に鮮やかに映り、それはそれはとても美しく、幽玄でもあり、松尾芭蕉の有名な17文字が浮かんでくる。
おもしろうて やがて かなしき鵜飼いかな
まさにこの句のとおり、鮮やかな漁火は、まもなくだんだんと静まり、暗さの中に沈んでいく・・・鵜飼いの盛り上がりのあと、深い夜がまた訪れる。
人生の陰と陽を思わせる、この美しき世界。
思わず、涙ぐみそうになるわがふるさとの名画のような、初秋の一コマ。
信長の時代も、江戸時代も・・そして苦難の明治を越えて、今も・・・。
日本人の心を表す、美しいこの鵜飼い。
昼も、夜も美しいこの長良川。
岐阜城からこの岐阜の町を信長も愛でていたと思うと、やっぱりロマンを感じるのである。
やがてかなしき・・・。人生はそういうもの。
そのやがて・・・がくるまでに、おもしろくなるようにしていくしかない。
生粋のおもてなし人たち。
京都の人って、やっぱりすごい。
さりげなく、おもてなしをされる。
私の周りにはそんな方が多い。
久しぶりにお会いする人、頻繁にお会いする方、どちらも
ちょっとしたお土産を持参される方が多い。
この1週間 何組かの京都人と面談、再会の機会をいただいたが、
共通していたのは、京都のお菓子や珍味を持参されたこと。
いずれも、京都ブランドのこじゃれた、あるいは老舗の一品。
しかも大きすぎず、バッグにそのまま入りそうな・・・というサイズへの
配慮もなかなかだ。
他で変えないものをお持ちいただく方、「ちょっと変わった売り方している店が
あったよ」と話題と一緒に変わったパッケージに入ったものを持参される方、打ち合わせの最後にさりげなく「はい」っと渡してくださる方・・・。ある方は相手が大勢であっても、必ず京都の老舗のお菓子を1つづつ配布される。
その心遣いが、とても憎い。
そんな京都人とのおつきあいが長いせいか、私も誰かと会うときにちょっとしたものを用意するのが習慣になっている。最近行った場所のもの、珍しいもの、応援しているお店のもの・・。いずれにしても、話題が大切だ。
それにしても、京都にはお菓子がいーっぱいあるため、贈るには困らない。
名古屋といえば・・。
最近は、名古屋の駄菓子ですとかいって、しるこサンドを差し上げるがせいぜい・・。これはこれで好評であるが、選択肢は、京都に断然負ける。
京都は、本当におもてなし世界一の町かもしれない。
ちょっと小粋で、こじゃれて、品があって・・・、見るだけで、いただくときの気持ちだけで、とても幸せな気持ちになれる。
パッケージ含めてのデザインセンスも抜群だから、もらってとてもうれしい気持ちになれる。さりげない、ちょっとしたおもてなしの気持ち。
京都には学ぶことがまだまだ多い、そしていくつになってもわくわくする魅力が詰まっている。
「コンサルタントは嫌いです!」
お会いする社長さんたちとの会話で、時折こんな言葉が飛び出す。
さも、いいことを言い、言葉巧みに、一見説得力ある物言いをするが、そのあと
「やるのは、あなたたちですから!」と言ってくるところに違和感があるとおっしゃる。
コンサルタントの定義づけを明確にしないといけないが、専門家としての知恵を相手に提供する人、あるいは特定分野の専門的な知恵を提供できる専門家とでもいうのであれば、自分もそういう分野の仕事もしている。
税務上も、企画コンサルタントとなっている。
しかし、「コンサルタントです」と言って、名刺交換をすることはしない。
あくまでも、コミュニケーションクリエイターであり、その中にコンサルティング業務も含まれているだけのこと。
言いっぱなし、やるのはあなただから!の言い捨ては、知恵を授けてもらった側としては、じゃどうやったらいいの?という話になる。
もちろん実践するのは、主体は企業である。
でも、どうしたらいいかわからないならば、わかるところまで、できるところまでサポートできた方がより具体的な成果が出やすい。
寄り添うという言葉は、ここでも当てはまる。
自分の理屈だけを述べてあとは知らない・・ではなく、相手にあわせた処方箋を描き、時々サポートしながら見守る期間も大切だ。
コンサルタントが好き。という人にはあまりあったことがない。
これからも、名乗らないまま、本来の仕事を続けていきたい。
お役に立ってこその仕事である。
瞬時に触れる異国文化・・

これは、ニューオリンズのデザイナーから来たメルマガにの中の画像。
一度訪ねた彼女の家にあるアトリエで撮影した、彼女の作品(商品)たち。
時々、自身の新作紹介やプロモーションで送ってくれる異国からのメルマガ。
彼女らしい色彩のおしゃれな世界に触れることができるので、とても楽しみだ。
朝でも、夜でも届くとうれしい。たまに返事もする。時差を楽しみながら見るのも良い。
この友人以外からも、NYはじめ各地からいくつかのメルマガが時折届く。
ショッピングなどはしないが、ファッショントレンドやセールスプロモーションを知るのに参考になる点でも有益だ。
そして、外国からのメルマガは、小さな旅のよう。
WEBに自分から行くのではなく、わざわざ届くところが嬉しかったりもする。
色彩といい、デザインといい、とても新鮮。
疲れ果ててパソコンに向かっているときに送られてくると、疲れも吹っ飛ぶ。
異国からの便りは、大いなる気分転換にもいいものだ。
センスの良いニュースレターは、見る側の心を満たす。
この画像を見ていたら、久しぶりに彼女に会いたくなる。ハリケーン大丈夫かと気になりながら・・・。
当たり前のことをきちんと。
今、ちまたで話題?のSDGsなるもの。知っておかねば、取り組まねばとビジネスマン、企業は注目のご様子。
大きなカラフルなバッヂを付け、背筋をぴんと伸ばして、新幹線に乗り込むおじさま、お兄様たちは、この取り組みに意欲的な企業、組織に所属する人、そして政治家か・・。
ある人は、これは政府のマーケティングだ。という、大変まともな見解。
2030年までに取り組むべき目標として、17の目標があり、それぞれ何に取り組むのかについて企業や学校も実践中。但し、まだ中小企業にはいきわたっていない模様。まずは利益中心でまっすぐ突き進んできた大企業からの取り組み。
もちろん、私が知る企業の中では、このようなお題目がない頃から、環境にも配慮し、ユニバーサルな視点で取り組んできた素晴らしい企業もあり、今さら新しいことは何もないという印象も受ける。
そう、SDGsは、当たり前のこと。人として地球に生きていくならば当然しなければならないこと。その当たり前ができておらず、自分を優先する人、企業が増えているから地球が壊れてきているのだ。
人として当たり前のことをきちんと。そこがまず大切。特別なことは何もない。
当たり前のことを忘れてしまっている現代人への警鐘なのだ。
特別なことじゃない、やって当たり前のこと。そこを忘れないでいたい。
長持ちする喜び。
前にも述べた、新聞コラムの話題。先日で、最終回となったが、新聞は形を残すメディアであるので、その話題は今もまだ続いている。
よく新聞を読んでいて、いい記事があればその記事を切り抜く、あるいはコピーして、人に見せる、渡す・・・。これは、新聞社の立場からすると本来はすべきことではないが、実際、新聞のそういった活用は日常的だ。
今回、私が担当した記事のコピーを、親は(なぜかカラーコピーもとって)、
クリアファイルに入れて持ち歩いていた。
「コピーどこでとったの?しかも、カラーも?」
どうやら、ご近所の方たちが、写真が載っているので、とカラーコピーをとって
くださったり、ある方は毎週掲載されると10部コピーして「はい、今週のですよ」と渡してくださったそうで・・。
新聞社の方には申し訳ないのであるが、購読していない方もいるため、コピーを
さしあげると喜ばれるらしい。
82歳の父は、毎朝新聞を読んでいるが、私のコラム掲載日を楽しみにして
どんな話題を書いたかもしっかり覚えていた。ボケていないことも確認でき
良かった。
今しばらく、親たちの周囲との話題には、この件ももれなくついてきそうだ。
新聞や本など、印刷物は拡散しない。ちゃんとここにある。
その確かさが、今、ありがたい。
歓びの余韻。喜びや小さな感動が長持ちする。
その瞬間で、人々は元気になれる。
これも含め、いい経験をさせていただいた。