最初に会ったときは、とても緊張したけれど、交流するにつれ、いい人だな。ちゃんと仕事されているな。と尊敬と好感度が高まっているコンサルタントがいる。私にとっては自分の仕事の世界とは違う領域について助けてくれる恩人でもある。まさか、この世界の方と出会うことになろうとは思わなかったが、未知の世界の難問を解くには助っ人が必要だ。いつも専門知識を授けてくれるのはもちろんであるが、その話し方、話しぶり。とてもわかりやすく、難しいことをわかりやすく話せるのは、本当の専門家だと思い、ますます共感を覚える。何回かお会いしているうちに、その人の生き方を学んだり、生きざまに少し触れるようなときもある。
久しぶりに仕事の話のあと、会食をしながら、自分の最近の小さな挑戦の話をしたら、その方は自らのサラリーマン時代のことを語り、当時のトップのイズムと根幹が同じだといい、共感を示してくれた。そのトップのイズムとは「自ら機会をつくり、その機会で自らを変化させよ」と創業者の言葉であった。その言葉はその会社のイズムとして、出身者たちには今も教えとして刻み込まれているのだ。そうか、私はその会社出身でもなんでもないけれど、無意識にそんな風にしてきているのかもしれない。
いずれにせよ、イズムがその人の死後も当時の社員たちの胸の中にずっと残り、生きる座標軸になっている・・・イズム、それがある会社とは、やっぱりすごい。イズムか、久しぶりに会話で、そんな単語が飛び交い、四半世紀ほど若返った気もした。そう、どんどん自分から挑戦しよう!そのことが自分のためになる。イズムとは普遍であること。・・マーサイズムというと、なんだか大それた感じになるので、そう表現するのは100年早いな。うん。
イズム、ありますか?
サードCD「1,2,3で愛のうた」本日より先行予約開始です
グラン・ルー開設17周年記念のサードアルバム「あなたに捧げる1,2,3で愛のうた」を9月17日にリリースいたします。それに先立ち、本日8月25日より先行予約を開始いたします。
視聴もいただけるサイトもご用意しました。ぜひご覧いただき、来る秋のおともにお楽しみいただければ幸いです。詳しくは、下記のサイトをごらんください。
「すまんかったね」と言わせない
広島の土石流での事故から1年。4年半前の東日本大震災もそうであるが、そこで亡くなられた方のご家族の気持ちは、時間が経っても癒えることが難しいと思う。
その広島での話であるが、何年か前に、都会暮らしから実家へ帰り、親の面倒をみなければということで近くに家を建てた40代後半の男性。親のすすめで選んだ土地。そこで土石とともに流され、亡くなったという。生き残ったご両親はずっと忘れることができず、その流された場所に花壇を作り、毎日その花を手入れするということで、そこに来てお参りされているとのこと。毎日息子に会いに行くという気持ちでの行動だそうだ。事故から1年。キレイな花が咲き始めている。その花に手を合わせて拝む両親。お母さんが「〇〇くん、すまんかったね。」と詫びておられる。お父さんが「息子にあの土地をすすめたのは私たちなんで、そんなこと言わなきゃ、死ぬこともなかったのに・・」と話されている・・そんな姿が胸につまった。
このご両親は、一生、この花壇の花を手入れするという供養をしながら、息子に申し訳ないという気持ちを持ちながら生きていかれるのだろうか・・。
親に「すまんかった」と思われるのは、子どもとしては、この上なくつらい。
出来る限り、いろんな意味でそうならないように。最後、笑顔で「ありがとね」と
別れができるようにしておかねばならない。
いろんな人災、天災が人々の幸せを奪う。そのことも覚悟しながら、日々のさまざまな行動にも細心の注意を払って生きることが大切だ。
「すまんかった」ではなく、「ありがとう」で結ぶ人生、目指していこう。
時間は経過しても、改めて、被災された皆さんのご冥福をお祈りし、遺族の方にお見舞いを申し上げたい。
「のど自慢」という家族の一大行事
この週末、土曜の夜中か「夜分、ごめんね。明日、出演決まったので、カネひとつ見てやってね~」と妹からのメール。出演とは、NHKの「のど自慢」。出演するのは妹ではなく、私の唯一の姪っ子である。どうやら学生時代最後の思い出ということで、友達と申し込んでおり、予選まで行けると聞いていたが、テレビ出演できるかどうかは前日に行うその予選で決まるとか。おそらく妹にしてみれば、自分の娘がテレビに出るというのは一大行事だろう。さらに、なぜか実家(岐阜)の両親もテレビではなく、その会場!に応援に行くという。出られるかどうかわからなくても、あらかじめ予定を空けていたのだろう。私の母はとてもはりきって、恒例の6時メールに「今日は、のど自慢の会場に行ってくるわ。冥途の土産がまた増えた」と書いてくる。そう、のど自慢。さすがにあの番組に出ようと思ったことはないが、私は3歳のときに最初の某食品メーカー主催ののど自慢大会に出たことがあったらしい。大村昆さんが司会だったようだ。そして長島温泉でのそういった大会にも小学1年ごろ出ている写真を見た記憶がある。小さなステージでも、出たら出たで、両親は近所の人たちに必ず自慢げに話していた。そう、「のど自慢ではなく、「のど自慢に出た自慢」
になっていた。それが、今回のNHK生放送の「のど自慢」であれば、その自慢はさらに拡大する。ほほえましくていい。そう、なぜ「のど自慢」は庶民のハレの場であり、家族が急に、楽しく巻き込まれる一大行事なのかもしれない。
姪っ子がテレビに映ったとき、なぜか涙があふれた。これが両親の冥途の土産のひとつになるのかな?ということ、またわが妹の子供がもう成人となり、立派に育ち・・・。だから、この番組は長寿番組なのだろう。さあ、今日から、両親の孫の
「のど自慢に出たのを観に行った自慢」がさく裂するだろう。ま、いいことだ。
疲れも吹き飛ぶ、タクシードラマ。
タクシーには、出張先でよく、都内ではごく稀に利用するが、ドライバーと自分だけという密室、しかも意図せず、どちらも相手を選んだわけでもない出会いというと
大げさであるが、タクシードライバーとお客の出会いとは、食事に好みの店に行くというのとは全く違う選択だ。偶然の偶然が重なる出会いだ。そこが面白く、また時には危険を感じ、それでもこれまで出かけた諸外国のタクシーと比べて、日本のタクシーはなんと治安が良く、安心して乗ることができるのか、さらには人のいいドライバーに出会うと、なんだかうれしい移動になったりもする。
東西線が人身事故で止まったと、出張先から戻る新幹線の車内で気づく。(メールサービスはこういうとき便利だ)重い荷物をもっての混雑した地下鉄の駅での待機はたまらん!ということで、東京駅の慣れない乗り場から、タクシーに乗る。
行先を告げてから、だいたい私が先に声をかける。「まだまだ暑いですね~」と気候に関することを言う。その反応により、そのドライバーのコミュニケーション力がわかる。対応が気持ちいい方の場合、なぜかいろいろ話を仕向ける。その投げかけに対して心地いいボールを返してくれるとますます質問してみようという気になる。
偶然出会ったドライバー、しかもこの密室。いい感じで明るく過ごせたらいい。
今回乗った車の運転手さん、なかなか丁寧で控えめで、優しそうだ。「ところで、運転手さん、どちらの生まれですか?」と聞いたら「私、新潟なんですよ」お!東京のタクシードライバーで新潟出身とは初の出会いだ。「そうですか~。私、上越から帰ってきたんですよ」「へ?そうですか~。実は私も昨日まで実家に行って帰ってきたばかりなんですよ」「あ、そうですか。実家ってどちらですか・・」という具合に
そのキャッチボールのやりとりは急にスピードも速くなり、運転手さんが嬉しそうに返してくれるのが面白くなってきた。「冬は雪かきしないといけないので2週間に一度は帰るようにしているんですよ」「おふくろつくったトマト、素人なんですけど、売っている野菜と変わらないぐらい、うまいんですよ~」どんどん相手のことが見えてくる。降りるころになって「新潟でディナーショーとかライブとかラジオとかもやっているんですよ」「へ?ど、どこでですか?」どんどん興味をもってくださる。
最後には「10月に新宿でライブしますので」と言うと、「あ、そうですか。私音楽好きなんで・・」ととりあえず、名刺を渡しておくと、「あとでホームページ拝見します」・・。乗った20分前は全く知らない人だった。もし、その車に乗らなければずっと知らない人。不思議なことに会話の中で共通点がみつかり、それが増えていくごとに距離が近くなり・・。
タクシーに乗るとは、移動だけでなく、コミュニケーションのドラマも楽しめる。
さて、またその魚沼出身のドライバーさんに、会えるだろうか?
地下鉄が止まったことで、不思議な新たな出会い。
タクシー・コミュニケーションはやっぱり、面白い。
そういえば社内に花をいつも飾って、時間に合わせてBGMを変えている新潟の個人タクシーのあの方は、お元気かしら?と書いていて懐かしくなってきた。
静かに見守る、待つという応援
お世話になった知り合いは、病されていたときに「空元気出していこう」と、最後の暑中見舞いに書いてこられた。
元気が出ない、もう元気はない。でもせめて、「から元気」をという。いつも元気、元気に走り続けてきたその人だから、そういわれたのだろう。よく理解できた。でも、そのあと病気が進行して、そのまま戻らぬ人となった。「空元気でいこう」という言葉は、今も忘れることができない。
どんなに親しくとも、しんどそうな時に、がんばってね。元気でね。と声をかけることは、時において相手にとってやさしさではなく、苦痛になることもあるかもしれない。
今、病と戦う知り合いがいる。10年以上のおつきあいになる。発病後も、時々のメールのやりとりで自分なりの言葉をかけさせていただき、ときには会いに行き・・・食事をしながら、いろんな話をして・・。病気を意識させないように、せめてもと 以前と同じように楽しい時間を過ごすようにしてきた。「寝たきりじゃないから、幸せですね。そろそろ終活もしなくちゃ」とまじめに言われて、返す言葉に困ることもあったが。
最近、ちょっとしんどい様子が伝わってくる。そして、「メールもしばらくお休みします。元気になったらまた必ず連絡しますから。」との結び・・。
静かに祈り、待つ。心の中でがんばって!と言いながら。
大切な人たちが、空元気も出せなくなる・・・。なんとも言えない。
自分の無力さを感じつつ。
静かにそっと見守る。思いは通じるだろう。必ず、通じてほしい。絶対に。
成長するために難問が来る・・と信じて
平坦な道、退屈な時間。この繰り返しだったら、人生はどうなるのか?と思うが、そんな人生はあまり想像もしたくない。悲喜こもごも、浮き沈み、観覧車も回るけど、そこをジェットコースターが走る・・なんてこともあるのが人生。
また予測できないことが起きるのが人生。ちまたでは、想定外とかいうが、ある意味、そんなもんじゃないのか。人間は万能ではない。想定内に・・というのは、人間のエゴであり、自己満足だと思う、もちろん備えることは大切であるが、その事態に結局はいかに対応するかしかない。
そう、対応力こそが人間を強くするのではないかと最近思えてならない。
もういやだ!と投げ出したくなることもたまにはやってくる、なんで自分が?と思うような理不尽なこともある。しかし、逃げてはいけない。逃げると必ず後悔がつきまとうだろう。逃げずにその門をくぐってみる。
経験しないと、潜らないとわからないことばかりだ。
そして一度経験すれば、同じことが来たらもう大丈夫。そのことが世間でいう想定内になっていくのだろう。
最近、何かあったら、「絶対逃げるもんか、絶対やってやる」としんどければしんどいほど、そう思い込むようにする。
ダメだとか、できないとか思うのは自分の成長を妨げ、言い訳をしたり、人のせいにすると自分の心を逆に痛めつけることになる。
もっとしんどいことをやっている人がいる、もっと大変な状況を生きてきた人がいる。
自分なんかまだまだ。そう、まだまだ成長できるんだと、無理やり前向きになると、なんだか前向きになっていくものだから、人間は不思議。これも対応力のひとつ。
涙がじんわり にじむとき
涙って、不思議だ。ぽろぽろ、しくしく、じんわり・・・。声を出して泣くということは大人になるとあまりないと思うが(とくに日本人の場合)、それでも時々、意に反して涙は静かにあふれる。(女優であれば、意図どおり?にということになるのかもしれないが)
たとえば、ある行動について相手から返事がなかなかない。もうだめかな、もういいか、やることやったし・・・とあきらめつつ、でも諦められないこともある。自分ではすべてやり尽くしたのだから・・・・。結果が出ない自分を責めようもなく、がんばったことで自分を励ます・・自分で自分を慰める。と、そんな時間をやり過ごし、あきらめかけて気持ちの整理をした直後に、待っていた返事がくる。思わず「やった~!」との思いとともに全身の力が抜けると同時に、なぜか涙が勝手に湧いてくる。
そして、なんだか天にも上りそうな気持になってくる。
うれしいという素直な気持ちが涙になるのか、言葉にいえない気持ちだからこそ涙が出るのかわからないが、いいようがない最高の、もしくは最低のときに涙は「心の代名詞」のように登場する。
ある人が私のブログを読み、涙が出るほどうれしいとか、通勤電車で涙がにじんだ・・・と感想を寄せてくださる。忘れていたもの、あるいは普段蓋をしているものの蓋がパカッと空いた瞬間に、涙はにじむのか・・。共感の確認が涙になるのか・・。
いずれにせよ、涙は正直だ。うれし泣き。大人になってもときにいい。
大人の涙。子供のころテレビで見た歌手のレコード大賞の受賞など・・。かなり印象に残る絵だ。化粧がおちるほどに泣ける姿は感動を誘う。涙は、さまざまな努力の末の心の汗か。
ちなみに、私は人に笑っていただいたり、ときには泣いてもらうことが・・そんな仕事が好きだ。時と場合によってそれを意識し続けたい。
涙は心の鎧が解けたときに流れるのだろう。それだけ人は普段いろいろ踏ん張って、食いしばって生きているのだ。
だから、ときに涙がじんわり・・。もいい。がんばる人の静かな涙は、美しい。
環境変化を求め育ち、そしていいオンナになる。
15年ほど前の食品関係の見本市。その展示商談会は今も続いているが、一般よりも業界向けの商談の場として内外から多くの来場者を集め、活況を呈していた。その場で偶然出会ったその人。九州の焼酎メーカーの営業としてブースに立ち、積極的に来場者に声をかけていた。若いな~。元気があるな~。そのときは「焼酎女子」という印象。なぜか磁石のように引き寄せられ、笑顔で名刺交換をしてから彼女との交流がスタートした。見本市で出会ってから商談ではなく友人になってしまうという例も少ないが・・。当時お酒を売る仕事をしていた彼女は、鹿児島拠点にがんばっていたが、ある日突然「看護師になります。」といって専門学校へ入るとの報せ。そして住み込みで勉強をして努力の結果、見事、看護師になった。へえ、焼酎の営業してから、医療の現場へとは凄い転身。そして「マーサさんもいるし、東京へ出ます」そんな言葉を聞いたか聞かないかは、もう定かではないが、なんと本当に東京へ引っ越してきた。看護師という仕事はどこででもすぐ働けるからその点は動きやすいのかもしれない。その間、涙も笑いもある再会もあり・・。そして私の各地へのライブへも参加してくれて、思えば、東京のみならず、京都へも新潟へも足を運んでくれたことも懐かしく・・・。そこで出会った人々との交流も持ち前の明るさで積極的で・・・どんどん東京でも仲間を増やしていき、仕事のキャリアも積まれた。南米への興味という点でも、共感。北米は水が合わないと言っていたが、探検家のごとくどこへでも行き、新しい挑戦を厭わないという点はあっぱれなぐらい・・。彼女が勤めていた病院で、ボランティア演奏を1年させていただいたことも今となってはありがたい思い出・・。そんな彼女と何年かぶりに食事をし、近況を交換する。今はスペイン語を習い、ラテンな人たちとの交流を行い、なんとまあサルサも始めたと言い始める。昔、ライブでタンバリン演奏を突然ふって、迷惑かけた思い出がよみがえり、笑ってしまう。環境が変わると、どんどんいろんなことへの興味も増え、活動も広がるようだ。
現在の仕事は都内での訪問看護。いろんなお宅を回って、お年寄りたちのお世話をされている。いろんな人に出会った、学んだ、楽しんでいるその経験が彼女の全身に現れている気がした。おおらかさは変わらないが、気が付けば、自然に「全身」で話すようになっていた。おそらく国籍の違う人との交流、お年寄りとのやりとりのなかで、「ちゃんと伝えたい!」という強い意志がそのコミュニケーションスタイルになってきたのだろう。
15年前の彼女とは違う、とても成長された大人の彼女と出会った気がした。
「マーサさんはやっぱりオネエチャンですね。」と言ってくれる。意識したことはなかったが一回りも下の彼女、これからがますます楽しみだ。
彼女の生きるステージの変化を追いかけながら、彼女の成長と充実した人生をわがことのようにうれしく思ったりする。
妹たちががんばってくれると、おねえちゃんもがんばれる!という感じ。
お互いに自然に背中を押し合って・・・。
次の転身も、心のどこかで期待しながら・・・。グラシアス。
結びはA(エー)か、Am(エーマイナー)か
CD楽曲の最終確認を行う。だいぶ客観的に聴けるようになる。真剣に集中して聴くと精神的にしんどくなるため、ヨガをしながら、とかその音楽にあわせて体を動かして聴いていると、だんだんその作品が意外といいじゃん!という感じになってくる。
曲の最後が実は大切だ。私の場合は、Aマイナーな女だといつも思っている。自分で創る曲はなぜかイ短調の曲が多いのだ。そう、マイナー派である。しかし、マイナーな曲だって最後までマイナーでなくてはならない、とそんなことはない。どんなにマイナーな曲でも最後をAで終わると、薄闇の中に薄日がさしてきたような、そんな感じにもなるのだ。その終わり方は自在だ。
さて、今回の音確認。自分の作ったワルツに乗って調子よく体を動かしていた。やっぱりAマイナーの曲だ。このままいくと、Aで終わると明るく終われるな~と思ったとたん、その曲はAマイナーで静かに終わった。あ、マイナーで終わっていたのか。
そう、この1コードは実は曲の締めに重要だ。マイナーで終わるにも、Aで終わるにも意味があるのだ。
たったひとつのコードでお客様の気持ちも変わるはずだ。
ひたすら演奏して録っていたときと、今の気分が変わっているせいもあるのだろう。ま、アドリブワルツということで、どっちもあり。
さて、人生、Aで終わるか、Aマイナーで終わるか。
本人的にはAで明るく終わりたい。そして周囲にとって少し余韻をもって最初Aマイナーそして時間が経ってAに変わる・・・なんて結びがいい。
コードの付け方ひとつで人生も明るくもどうにでもなる。
