次の妄想へ進もう!

ザビエルプロジェクトは、旅となり、曲となり、歌となり、メッセージとなり、行動となり・・・。不思議ではあるが、ゼロからの発想がえらいところまで行ってしまったという感じだ。当面の目標は、歌にも書いたとおり、彼が歩いた町でこのメッセージを届けること。
そのゆくえがある程度見えてきた今。次はなんだろう?とくに何か決めないといけないと思っていたわけでもなんでもないのであるが、不思議なものだ。相手から自分に向かってくる。新しい風が吹いてくるという感じだ。
ザビエルさんは450年ほど前の存在。かなり情報も残っている方だ。
でも、写真はない。写真がない分、想像力もかきたてられ、面白い。そう、情報があまりないほど、イメージを描きやすいのかもしれない。
ということで、次の妄想ターゲットとの遭遇を今、楽しみつつ・・・。
最近、見たあの石像の主人公・・。どうだろう、2000年前の人物に思いをはせるとは・・。いやはや、イタリア在住の歴史作家に習いてもっと勉強しないと。
そう、妄想には想像力だけでなく、少しの知識は必要なようだ。いずれにせよ、次なる妄想へ。それが生きる新たなパワーになる。

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模倣の意識と創造と器。

ここんところ、デザインの模倣が問題になっている。これはネット社会の影響による社会問題のひとつかもしれないと考える。
いろんな情報を簡単に入手し、調査することができ、参考にもでき、また訴えることもできる。情報化社会でなければ、もし似ている作品が世の中のどこかにあったとしても気づくことがない。しかし現代社会では、作品は著作権において保護され、そしてその主張は正当である。が、知らなかった、まったくの偶然。ということは実は少なからずあるのではないかと思う。とくに音楽の世界においては、自分自身もいつも思う。たとえば音楽において西洋式の音階は、7つの白鍵と5つの黒鍵の合計12の鍵盤しかない。その組み合わせで曲は生まれるので、どこか似ている曲というのはあまた存在するのである。意識していなくても、聴く人が聴いたら「これ、ここの部分、○○に似ているよね」ということも大いにある。そんな限られた音の組み合わせの世界で、いかに独自のものを作り出すかは、生みの苦しみでもある。もちろん日ごろからいい作品をいっぱい聴くことは想像力のプラスになる。参考にしながら、まったく違うものを生みだすには、私の場合は自分だけのテーマ、情景を思い浮かべるということがポイントだ。この思い浮かべる世界が独自のものであれば、何の模倣にもならないはずだ。小学生のころ、エレクトーンでオリジナルの曲を作った。それはジャズのある名曲のコード進行がかっこよかったのでそれを生かして作った。すると当時の先生がそのことを「あの曲のコードと同じだよね」と少し蔑むように言った。そのとき、実は傷ついた。小学生がそんなジャズコードをオリジナルに使いこなせるわけがないというのもあったのだと思う。しかし他の曲も名曲に似ているものを使っている人もいるし、子供の作曲だ、しかも何も習っていないのに、「真似る」イコール「生かす」ことは何が悪いのだろうと思った次第。ま、それから月日は経ったし、今ならばそんなこともしないが、たくさん聴く経験が増えれば知っているものは増えるわけで無意識に一部的に参考にしている部分はどうしてもあるだろうと思う。
意識して、パクろう!というのは問題外。あるいは創造性をもち、ゼロから構築したものをやすやすをコピペし、少しごまかしのお化粧をして自分の作品と言い張るのは論外。本当に潔白であれば、最後まで正々堂々としていればいい。
また、一方で、本当に大物であれば、真似されることを許す。真似されるぐらいすごい作品なんだ。あれは私のを参考にしていますが、一緒に盛り上げましょう。なんて器の大きいアーチストがいたら、もっと尊敬する。
最近一緒にお仕事しているDVD制作の会社の社長さん、とても大きい。「早くきちんとしないと誰かにパクられますよ」と心配して言うと「パクられるということはそれだけみなさんが必要と認めてくれているということ。いいじゃないですか。多いに使ってもらって世の中に広がればいいですよ」との回答。断然、こっちが大物だと思う。私の作品であると言い争う以上に、なんだかもっと広い視野でお互いに認め合い、協調できるといい。意図してパクるのは絶対いけない、が大物はもっと違う次元で創作に向かい合っているような気がする・・・。と今は思う。私も真似されるような作品作らねば。誰もしないか?

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オリンピック、やるのかな?と素朴な疑問

失態続きのこの準備。アルゼンチンまではるばる出かけて、「Under the Control」?とかゼスチャー交えて一生懸命プレゼンしていたあのころと今を比較するとなんだったの?と思えることばかり。何ひとつ、コントロールできていないじゃない?メインの会場も、コミュニケーションの根幹的存在であるエンブレムも・・。すべてやり直し?お金も時間もとてもじゃないが、プロとはいえないお仕事の進め方。税金でやっているのだろう?いい加減にしてほしい。デザイナーや建築家の問題だけではない。これらをとりまとめていく人たちの真剣な仕事ぶりが大問題だと思う。後追い、人のせい・・。誰が責任者ですか?不透明な妙なプロジェクト。いろいろバックがあるのではと思えてしまう。もともとオリンピックには無駄に大きい施設も要らないし、大それたマークもいらない。もっと大切な準備がある、マークとは、マークのデザインが大切というよりはそれができるプロセスがどうなのか?という点が大切だ。著名デザイナーだから大丈夫ということではなく、マークとは思いの結集であり、それを見ればみんなが夢をもてるということが大切なのだ。そしてクリアな仕事がされていれば今回のようなことにはならない。オリンピックの主役はアスリートなのに、問題が周辺から沸いてくるこの点も気になる。
こんな状態で、本当にオリンピックやるのかな?やらなくていいんじゃない?この程度だったら・・・。こういった仕事も見て、開催地を決定すればいいのでは?などなど思ってしまうのは私だけか?>オリンピックって何なんだろう?そもそも・・・が気になってくる。
もうやらなくてもいいのでは?と思うのは私だけであろうか?ああ、もったいない。
戦後オリンピックは、古代のそれとは大きく目的が変わってしまった。政治的になり、商業的になり・・。
異常気象でもあるこの地球において・・今一度、原点に立ち返り、もう加熱しないでいい。時代時代に合った終息の仕方もあるだろう。オリンピックだけではないけれど。ちょっと極論になってしまったが・・。

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Enjoy Tokyo!

いやー、最近、都内を訪れる外国人は本当に増えている。京都は昔からそうであったが、とくに最近はパリを抜いての人気ぶりで、ますます過熱気味。東京は広い分だけ、京都のように集中してはいないが、それでもいたるところに外国人をみかける。
地下鉄のアナウンスも、必ず英語も入れて方がいいんじゃない?余計な効果音にお金をかけるよりも、と思うほどだ。路線図をじっと見ながら緊張して乗っている様子、自分もパリに行ったら同じだと思いながら、一緒にドキドキして、思わず声をかけそうになる。
外国人観光客にとって渋谷の交差点は面白いらしく、あの混雑の中の整然をクールといい、その様子がSNSで海外で広がっているようであるが、地下鉄の朝ラッシュはいかがだろう?あれは呑気に見て写真を撮るという風情ではないし、絶対に恐怖を感じるであろうから、見物客もいないと思うが、週末の地下鉄ならば快適だ。
そして、ミュージアムは観光客が必ず訪れるスポット。都内には数多くの美術館、博物館があり、海外からの来訪者も増えた。今回、国立博物館へ出向いたが、常設展には外国人観光客の方がとても多い。刀、甲冑、仏像、着物・・・などなどが人気だ。そりゃそうだ、日本ならではの文化歴史を象徴している。彼らは一眼レフのカメラでどれらの展示物を撮影する、あるいはスマホでカシャカシャ撮る・・・。これは一昔前はなかった。音ありの撮影、これはちょっとやめてほしいが・・。注意は行き届かない。存分に楽しみ、そして気に入った作品の絵ハガキを買い求めていく。
博物館の外は上野公園。そちらでやっていた岐阜県飛騨市のイベント。テントが立ち並び、各ブースで名物を販売。その中にあった「みたらしだんご」「五平餅」を売っている店に行列が。自分もつい懐かしくなって並ぶ、後ろにすぐ人が続く。2~3人あとに欧米人らしき観光客も。前に並んだご婦人に、「これは何ですか?」といろいろきいている。わからないけれど、とりあえずなんだろう?という感じで並んだようだ。そしてその英語でのやりとりを見て、面白いと感じた。「だんご」を知らない人にどう説明するか。そして伝わる、そしてどこから来たの?どれぐらい滞在するの?などなど楽しそうに世間話が続く。自分がもし欧米人だったら、やっぱり並んでみるだろうな。普通に英語で会話をする人たちを見かける場面をみつけ、東京も変わったと思う。
国籍を越えた、ちょっとした非日常が交差する。東京は確かに立派な国際観光都市だ。爆買いはしてくれなくていいから、日本のいいところをみつけて、いい経験をいっぱいしていただけたら。とにかく東京の週末は、国際的だ。いつまでも安全できれいな町でいることが課題だと思う。

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夢こそが、人を強く生きさせる

秋からの取り組みのご案内を長らくお会いしていない方々にも、近況報告を兼ねてお送りする。すると7年もお会いしていない方から丁寧なメールが届く。以前、お世話になっていた方だ。15年以上前から仕事のお手伝いもさせていただいたが、いろいろあって結果、廃業され、それからなかなかお会いすることもできず、年賀状の交換ぐらいになっていた。久しぶりの近況報告を見て、ああお元気そうでよかったな~としみじみ思う。「私ももう63歳になりまして・・・」とあり、そうか~。自分も同時に年を重ねてきているのだと実感する。
廃業、創業とも苦しみがある。そう、いろんなご苦労をされてきたのを横目で見ていた時間があった分だけ、その言葉が心に染み入る。
「でも、いくつになっても夢をもちつづけることだけは忘れずに生きていきたいと思うのです。仕事が形になったらお会いしたいと思います・・・」メールレターのこの結びに心がじわじわ温かくなるのを感じた。そうだ、少々の苦しみはつらさは、生きる上で避けては通れない、事故も病も仕事のアクシデントも・・・。それを乗り越えることこそが生きること、そしてそれが人生だ。どんなときも、どんなにつらい状態であっても、夢さえもっていれば、人は強く生きられる。その方のその生き様、本当に素晴らしい。逃げることなくいつも目の前の課題に取り組まれて・・・。すぐお会いできないけれども、これができたら会おう!という目標もいいじゃない。夢、夢。私も持ち続ける。がんばる人の前に夢は広がる。どうぞお元気に夢を実現してくださいね。その方に心からのエールをおくり、一緒にがんばりたい。

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自分を責めることがない人生づくりを

大阪の社長さんたちが、受刑者たちの出所後の就職のお世話をされ、自ら彼らを採用をされ、職場で更生の手助けをするプロジェクトのことを知った。その筆頭メンバーには、少し存じ上げているお好み焼き屋の社長さんもやっぱり入っておられた。なにわのド根性でもって、前科者を社会復帰させるということらしく、その活動には頭が下がる。過去はどうでもいい、大切なのは未来だ。その気があるかどうかだ。経営者たちは一生懸命、受刑者たちの社会復帰について考え、積極的に取り組まれている。刑務所での会社説明会なるものもやっておられるようで、驚いた。そのなかで、もっとも感動したこと。ある建設会社の専務~おそらく30代後半か~もそのプロジェクトに参加され、出所してきた若者を積極的に採用し、面倒を見ておられる。就職してもちょっと何かあると辛抱できずに逃げ出すその人たちのことを、若い経営者は諦めることなく、彼らに寄り添って、社会人としてちゃんと自立していけるようにと雇用されている。すぐ逃げ出したり、やめたりという人も多い中、雇う方は大変だ。仕事のスキル以前の問題である。社会人としてのイロハも教えていかねばならない。
なぜ、リスクを冒してまでそういった人を雇い、更生しようとするのか。それにはわけがあった。その専務さんの妹さんが過去に、留学中に交際相手に殺害されたのだという。もう、こういった犯罪で被害に遭う人がひとりでも少なくなるように、自分ができることをやろうと決めたのだという。妹の遺志である世の中の役に立つ仕事がしたい~という思いの下、今の取り組みを亡くなった妹と一緒に仕事をしているような気持ちで、取り組んでいるのだという。もし、雇用した彼らのことをきちんと更生させられずに、もしも再犯ということが起きたら・・・きっと自分は自分を責めると思う。だからそうならないように、彼らをしっかり更生させたい。そうすることで妹がうかばれる・・。と言う強い意志をもった兄である専務の言葉を聞き、胸が熱くなった。
その経営者は、むきだしで前科をもった若者と語り合う。「なんで、そんな悪いことしたんや?」愛情不足で育ち、いじめられたことが原因であったことを語りだすその若者に、経営者は黙って話を聞き、人として対話を続ける。「な、一緒にがんばろうや。もう、悪いことしんといてくれ」と静かに語る専務のことばが、若者にどう響いたか。
そう、自分の人生、最後に自分を責めることがひとつもないように、やるべきことをしなければならない。最後、自分を責めなくてはいけない人生は不幸だ。よくやった、やりきった、それ以上やりようがなかった、これでいいんだ。と自分で胸を張れるように生きることが大切だ。いつか、その建設会社の専務さんに会ってみたい。お好み焼きの社長にも!なにわの社長さんたちは、なかなか人情たっぷり、面倒見がいい。自分に誇りをもてる人生。ああ、私ももっとしなければ。

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「愛の元気人」8月分、本日オンエアです!

majikonウインズ
本日8月29日18時より、ハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」オンエアです。
今回のゲストコーナー「にいがた元気人」には、新潟男子のおもてなしで全国の女子との縁を結ぶ婚活活動に取り組む、まじコン.comの近藤希以子さん、元小学校教員でその経験を生かし、現役の教師のサポート活動を行う、スマイルうぃんずの小川久美子さん・渡辺順子さんです。新潟でそれぞれの分野で奮闘する皆さんの元気トークをぜひお楽しみください。
パソコンからも、スマホからもお聴きいただけます。(専用アプリをダウンロードください)

FM KENTO 

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親孝行も平等に

この1年と3か月、毎朝6時に母親へメールを送り続け、体調を確認しながら、元気に生きる!エールを交換してきた。意味不明の変換ミスが多い返信でも、一生懸命返そうとしているのが、ほほえましく、安堵もする。
それは、彼女が1年前に胃がんになったことがきっかけであった。病気に負けないで強く生きてほしいというつもりでの、遠隔地に住む娘からの勝手な働きかけであった。あくまでも、病気がきっかけであり、何もなかったらこんなことはしていなかっただろう。
一方、この間、少しづつ気になってきたこと・・。父親との対話だ。
両親とは昔からコミュニケーションがむつかしかった。対話にならない、すぐけんかになった。それが嫌ということもあり、18歳のとき家を出たという一面もある。
しかし、父と今いろいろうまくコミュニケーションしなければならない。しかし、どうしても母親に比べると、必要な用事があったときだけになってしまう。電話をするとやっぱりけんか腰になってしまう・・。何かあったら先に連絡して!このことを何百回いってもそのようにならない。と、行動を変えてくれない父に対して、いらいらする自分がいた。
しかし、よく考えたら、相手が変わらないならば、自分から変わればいいのではないか?
自分からコミュニケーションできない人ならば、こちらかからすればいいじゃないか。母親には毎朝メールしているのに、父には用事があるとき、しかもいい話ではないときばかりの連絡だ。あ、これでは父は変わらない。それ以上に、不公平な親コミュニケーションをしているような気がしてきた。
ということで、これから毎朝父に電話しようと決めた。6時に母にメール、7時までに父に電話。さあ、またひとつ毎日の仕事が増えた。
でも、そういうことが大切だ。あと何十年もできないことだ、やればいい。できるじゃないか。
「お父さんは、自分から電話くれないので、これから私が毎朝電話するわ」と言ったら、父は黙っていた。
そしてその翌朝、6時半父から珍しくメールがきた。「おはよー。何もとくに問題ありません」・・・・父が少し変わった?
それはそれとして、父という存在はもしかしたら、とても寂しい存在かもしれない。と思い直した。私が知りうる父の人生を振り返ると、もっとしてあげることができるのではと思えてきた。両方いて親である。両方いてくれたから今日の自分があるのである。またまた忙しくなるが、自分が行動を変えることで親子のコミュニケーションもよりよくなれば・・。ま、喧嘩できているうちが幸せであるが。
いずれ、別れの日がくるだろう。その日まで後悔することがないように、気づいたことは改善し、行動し続けたい。

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人身事故のない国に

いやー、たまらない。ここんところ、電車の人身事故に間接的ではあるが、巻き込まれ、とても迷惑している。
出張先から帰ると電車が止まっている。(最近は便利で、メールサービスで先にわかるのはちょっと便利ではあるが)
荷物も多いので、超混雑のほかの電車に乗る気力も体力もなく、やむなくタクシー。余計な出費だ。
さらに、今回の出張。通勤時間の出発であったためこれも良くなかったが、出かける1時間前に人身事故との知らせ。
まさか・・。でも本数が減っているだけで動いてはいるようだ。ということで駅まで行く。本数が減ったせいで、来る電車には
すし詰め状態に人が乗っている。うわ~荷物持って乗れないな。と言っている場合でなく、混んでいる電車の中、なんとか体をねじ込んでバックも人様の迷惑にならないよう抱えるようにして乗る。呼吸困難になりそうだ。この混雑がいやで脱サラしたようなものなのに。でも、なんとか大手町まで行ってくれ~。この異常に混雑した電車は事故後でもあるためドアの開閉も慎重、ゆっくり出発し、のろのろと動く。ああ、このままうまく行くか・・・新幹線間に合うか・・。早く出たつもりでも、ちょっとピンチな感じだ。竹橋でいよいよ地下鉄は止まった。ああ、だめだ。私は電車を降り、荷物をかついで階段から地上に出てタクシーを探したが、大勢の人が同じ状況であり、また雨の通勤時間で車はない。仕方ない。雨のなか、ガラガラと荷物を引っ張って東京駅まで歩く。予約をとっていた新幹線には間に合わない。ああ、どうしよう、切符は?どうしようか。考えながら、今日はセミナーなので絶対に遅れることはできない、またこんな状態で人前で話す、落ち着け落ち着け・・・いろんな自己問答をしながら、汗と雨でぬれたまま東京駅へたどりつく。乗るはずだった新幹線はもうすでに出発しており、切符は無効になり、それでも駅で交渉して、自由席で次の電車に乗ることができた。
くたくたになり 電車になだれ込んだ。誰に向けたらいいかわからない怒りと、なんとか間に合うことがわかった安堵でしばらくぼーっとする。
(もっともその乗った新幹線でまた何かあればわからないが、そのときはまあ、そんなに同時にそんなことも続かないと勝手に信じている)
新潟に無事着き、予定どおりセミナーを行うことができ、今日の話題ということで、そんな体験もネタにもした。

人身事故に慣れっこになっているのが怖い今日。
「またか~」そのたびに、いろんな声がネット上で拡散するのも、不思議な感覚だ。
ホームから落ちてしまう事故なのか、自分で飛び込むのか知らないが、どっちにしてもやめてほしい。
まったく関係ない人たちが、多大な迷惑をこうむる。
テロも、それも 社会に迷惑をかけるというという点では同じだ。

先日ある人と食事をしているときに、ぽろっと言ったことばが忘れられない。
「生きていたらいいんですよ。どんなことがあっても生きていたら。一番許せないのは、自殺する奴です。それだけは許せない。まわりにどれだけ迷惑をかけるか、残されたものがどんなに大変か・・・」その方には何か最近あったのかこしれないが、本当にそうだと
思った。死にたかったら、誰にも迷惑をかけない場所でそっとやってほしい。

人身事故という言葉に、人々がある意味ショックを受けなくなり、日常の一コマ~電車の故障と同じように 受けとめつつある社会が
おかしい。
私にとっては、安保とか、オリンピックよりも、今こういう現実がある社会を救う、問題を根本からなくす方が優先すべき課題ではないかと思う。一度、政治家のみなさん、この満員電車に乗ってみなはれ。
と話が飛んだが、人が多すぎる東京、ちょっと考えなければならない。
次回からは、もっと早く移動しなければ・・・。これでも十分早め早めに移動しているのだが・・。
人身事故、なくなる世の中。もう、東京のような都会では無理なのか?これ、何かおかしくないか?

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そう簡単には・・。

知り合いの画家。50代早めに脱サラされ、専業アーチストとしての道を歩まれてもう
20年近い。細々とではあるが、切れない関係だ。
世界を旅しながら、あるいは幻想的な想像の世界でも描かれる。不思議なパワーがご本人の中に潜んでいるような
感じがする。サラリーマン時代は、幻想的な小説も書かれていたという稀有な存在。いつの間にか、内外で素晴らしいキャリアを
積まれており、本当に某企業の○○部長だった人だろうかと不思議な方、。
私が創った「フランチェスカの夢」を聴いてくださって「これを聴いたら、ハピエル城を思い出しました。いつかそこで
コンサートができたらいいですね。」とのコメント。ハピエルとはザビエルのことで、そこはザビエルの生家である。
夏にお会いしましょうと言う約束から時間が経ち、結局会えないまま夏が行きそうだ。
実は2か月前に奥様が亡くなられたという。そろそろ落ち着くかと思ったのに、そうではないものですね~。という
メールの行間から伝わるものがある。しばらく間をおこう。
すると、1枚のハガキ。美術界の名誉ある賞を受賞された絵がそこに印刷されている。
「愛の元気人ライブツアーが終わったら、声かけてくださいね。素晴らしい経験をお祈りしています。昔、弾いてくれたタンゴのピアノ素晴らしかった、今も焼き付いていますよ」とメッセージ。この画家さんにとって、この夏はどんな思いの季節であっただろうか。
ふと考えてしまった。そう簡単には、人は忘れられず、切り替えもできないということもあるだろう。そう簡単にはいかない。それも人生。奥様が空からずっと見守ってくれますように。アーチストだからきっと悲しみとともに、そして悲しみを乗り越え、何かを表現されながら、その感情をアウフヘーベンしていかれるのではないか・・・。お元気に生きていただきたい。

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