悔いなき今年を仕上げる。

本日9月1日は母親の75歳の誕生日。いやはや、無事この日を迎えることができ、良かったと今年はとくに思う。もしかしたら・・ということもあったせいもあるが、人間70年以上生きていれば、当たり前のように毎年誕生日を迎えることができるとは、やはり思い難い。
誕生日は当たり前には来ない。毎日の努力と幸運の積み重ねで毎日毎日生きている、それを365回繰り返して誕生日が来るのだから、
年老いた現在こそ、誕生日は大切にしたい。9月が始まった。ということは今年もあと3分の一しかない。自分は今年、何をしてきているか?正直、満足ややりきったという頂点までは達していない。もちろん日々の中では精一杯の営みをしているとは思うが、まだ全力を出し切っているかといえば、燃焼しきっていない感がある。今年の挑戦、今年のうちに。やろうと思っていることがまだまだ残っている。語呂合わせではないが「くい」のない1年にしようと75歳という年齢をかみしめている母のことを思いながら、自分のことをそこに重ねる。よし、今日から悔いなき今年を仕上げるために動き出すとしよう。自分の存在のルーツ、母の誕生に感謝の気持ちを抱きつつ・・。

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「シャキッ」と「グニャッ」と気持ちの関係?

週末、仕事をしながら、その合間、下手な料理をする。企業さんの新商品のお試しだったり、農家さんの野菜であったり、使わねばならない食材が常にある。そのなかで、好んで消費しているのが、新潟の野菜だ。農家さんや、田んぼ、畑、直売所・・・いろんなものがパノラマ状に頭に浮かびながら、つかの間の料理を楽しむ。実は、野菜を切っているとき、幸せを感じている。あのシャキシャキッとした音はなんとも心地よく、ストレス解消にもなり、いい音してるな~と悦に入る。一方、苦手なものは、肉屋を魚を切ることだ。実は血が苦手であるため、極力肉類は、切りたくない。たまに、切るとあの「ぐにゃっ」という感覚が不快である。ああ、いやだ、ああごめんなさい。そんな気持ちになるのだ。だから、相対的には野菜に好感をもっている。
それにしてもこの「シャキッ」と「グニャッ」はいろんな意味で正反対だ。前向きと後ろ向き?前進と堕落?というぐらい違う印象だといえば大げさだろうか。わたしは、やっぱりシャキッとした気持ち、食感が好きだ。

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本日、オンエアです

nukunuku

yorankane
本日8月30日18時より、オンエアの「愛の元気人」のゲストとのツーショットです。
クッキングライフnukunukuの渡辺まゆみさんと、よらんかね古町 二瓶 剛さんです。
それぞれとっても素敵な笑顔とトークでした。これからのますますのご活躍を期待しております。

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「新しいから」ではなく「自分に合うか」

出張が多く、外泊は年間かなりの回数になる。年間80泊ぐらいしているのかも?ホテル選びはなかなか重要だ。昔、寝るだけでいい!と思っていたときには、国内・海外ともにホテル選びは今から思えば安ければいいということで選んでいた。ひどい部屋にも何度も出会って、その旅自体が不快になることもあった。今は仕事で行くことがほとんであるため、宿は仕事場であり、旅先での生活の場。外泊しすぎて外食も飽きてくると、それこそ部屋で食事をするということも増えてくる。新しいホテルができたからという話を聞く。新しいのはいいことだ。すべてが新しくて、キレイだから安心・快適だ。ためしに泊まってみるのはいい。そして泊まってみる。うん?こんなところは今いちかなとサービス面、また部屋から見た眺め・・・など結局は新築かどうかだけでなく、総合的に判断して、次も利用するかどうかを決めるようになる。
新しいだけではダメだ。自分のライフスタイルに合っていることが大切。
あちこち泊まるのが好きという方もおられるし、その方法もいいと思うが、私はわが家のごとく過ごせることが一番だ。要するに無理が効く?家族のような感じがするホテル。
いずれにせよ、このジプシーな暮らしは、自分の生き方にとても合っている。
また、ホテル選びはもしかしたらパートナー探しと同じかも?少々古くても自分に合っているか?

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「これから、何になろうかな?」いつでも夢を。

ある日曜の午後だったか、「うーん、これから何になろうかな?」とひとりつぶやいたら、家人がきいていたのか笑い出した。「普通、50もすぎて今から何になろうだって?」「おかしいかね?」笑いながら、「いやー、いいんじゃない。普通はそうは思わないだろうけど」
と言われて、そんなに変なことを言ったのかなと自分が自然に発した言葉を反芻。しかし、最近いつもそう思っている。もっと何かしなくちゃ、このままじゃだめだ、何になろう、何にしよう。そう、心は少女のように夢を追い求めている。何がしたいかといえば、人に感動を与えたい、元気を与えたい。それに尽きる。笑いでも涙でもなんでもいい。人が素直になれる心の状態、浄化されたキレイな心になれる瞬間に出会いたい、自分がその黒子でいたいということだろう。ありきたりがいや、人と一緒が嫌だと思うから、なかなかやっかいではあるが、ここのところ私の希望は「これから、何になろうかな」と真剣に思える人生に対するあきらめない意欲だ。これがある限り、元気に生きられるような気がする。最期の最後まで「さあ、何になろうかな?」とつぶやける人生がいい。

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徐々に?すっかりおばさん?

言いづらいことを相手に伝えることは、とてもパワーが要る。
おかしいなと思うこと、不快なこと、どうしても言わないとこちらに迷惑がかかること・・・世の中にはいろんな「撃退したいこと」
があるけれど、往々にして自分の都合でそう思うのである。自分が不快、自分が迷惑と感じるのであって、相手にはそれはわからない。
でも、その不快感をそのままにしておくと、人間関係が悪くなったり、仕事がはかどらなかったり、もっといえば、相手のためにもならない!とかいう正義感も芽生えてきて、おせっかい心も生まれるのである。
最近、自分はそんなとき黙っておられず、うやむやにはしたくないぞ。という思いで、その発信元、対象である人に伝えることがある。
もちろん単なるクレームとか、文句とは思われたくないし、今後のこともあるから、という意味も込めて、ときには面識のない相手に電話で、ときには自分の半分ぐらいの年齢の若い人にも言うべきことは言おうと思っている。
ある若い人に「こういうときはこうしないと周りが困るよ、仕事をうまくやるにはこうした方がいいよ」と進言した。すると彼女はそれを理解してくれたようだ。「教えていただき、ありがとうございます。これからも何か気づいたらなんでもおっしゃってください」とのこと。
いや~。言いづらいことは、そう言いたくないものだ。気づいたら言うのは、すごいパワーが要ることなんだよ。と心の中で思いながら、でも自分自身、それを最近結構やっているな~。疲れを知らないおばさん?おばさんは、恥じらいのない人のことか?いや、安定感がある人か?わからないけれども、素直に実直に生きたいだけだ。自分の中にため込むだけでは何も解決にならないのだから。

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懐かしく思う、とっておきエアメールの時代

小学校の頃、一緒に合唱した海外の人々。ソウルやウィーン、またルーマニアの合唱団というのもあった。公演時に住所を慣れないローマ字で交換し、そのあと手紙を出し合った。残念ながらその文通は2回ぐらいで終わっていたが、届くかなというドキドキ感と、返事がきたときのあのエアメールのスタンプ付きの封書は、今思い出しても懐かしく、そのときの彼ら彼女らに今も会いたくなる。ああ、ずっと交流しておけばよかった。電子メールもなかった時代だ。懐かしい。ルーマニア合唱団の仲間からのお手紙はかわいらしかったな~。イラストが描いてあって、みているだけで海外旅行しているような気分だった。
と、40年ほど前の体験を思い出す。今はネットの時代だ。出会った人と、出会わない人とも簡単に出会える。その感激は依然より薄いかもしれない。が、海外で出会った日本人に久しぶりに会いたくなるときがある。自分の中に違う風を送りたいときだ。メルアドを忘れても検索すれば出てくるという恐ろしい時代・・・でも、元気にがんばっている様子がサイトの更新記録で確認でき、安心もする。
ネットがなければ、こんな風に久しぶりであっても、思いのままコンタクトすることは難しい。エアメールは1通1通が宝物だった。心をこめて手紙を書き、緊張して住所を書き、切手を貼って いつもと違うポストに入れる・・あのドキドキ感が今はない。ときどき思い出そう。海外に、世界に大きな夢や想像を膨らましていたころを。

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高校野球は、日本人を元気にする!

わがふるさと岐阜のチームは、早い時期に敗退してしまい、さびしい限りであるが、新潟の日本文理高校が準決勝まですすんだ。
新潟は全国でも有数の野球立国である。朝野球がさかんであり、大人も子供も野球が大好きだ。前にもブログに登場したが、野球人生!というマスターが経営している居酒屋もあり、野球が人々を健康に元気にする…新潟に行きはじめてそのことを学んだ。
タクシーの運転手さんとも、その話題から会話がはじまる。先日もちょうど試合時間かな?というときに車に乗ったので「勝ってますかね?」といったら、「さっきまで勝ってましたよ。ちょっとラジオ付けましょうか?」と運転手さんがラジオのスイッチを入れた・・・するとちょうど、大逆転される瞬間で、私たちがきいている2~3分の間に3点を一気に入れられ、逆転されてしまった。「ああ、ラジオつけなかった方がよかったですかね。消しときますか」とラジオをOFFにし、負けたか~と思って残念に思い、その日ホテルに戻って夕刊をみると、なんと9回裏で再び大逆転、さよなら勝ちをしていたのだ。新潟日報では号外も出たそうで、びっくり!負けたと思っていたのに、どっこい!である。サッカーのドキドキとまた違う、野球という日本人の気質に合うチームスポーツ。また粘る新潟人にはこれまたうってつけのスポーツかもしれない。ビジネスマンたちも、彼らのがんばりはげみに頑張る。高校野球はプロじゃないからいい点があり、若者の夢の途中というところがまたいい。今回の準決勝は残念な結果ではあったが、よく頑張った。
高校野球は時代が変わっても、変わらぬ日本の夏の風物詩だ。
がんばれ、ニッポン!なぜか勝っても負けても泣いてしまう。がんばる人が大好きだ。

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挑戦する気が湧きあがる、季節の変わり目

あまり暑いと、何もやる気がおきない日もある。友人からのメールでは、久しぶりに郊外のアウトレットへ行って、買い物でもと思っていたのにあまりの暑さに、どうでもよくなり、収穫なしで帰ってきた・・・という報告もあり・・・。確かに暑すぎるといろんな意欲、欲望が枯渇するのかもしれないし、こうしようああしよう!と人間が前向きになるには、それなりの最適な条件があるようだ。南国~インドネシアのことだったと記憶するが~そこへ行った作家がそこに魅了され、そこに住みつき、そこで小説を書いた。タンナピナピとかいうタイトルだったが南国へ行くとだらりとして、なんでもいいや。という感覚になってしまう・・そんなちょっとした退廃的なことを意味していたのだと思う。とにかく、暑すぎると前向き、行動的にはなりづらいものだ。
そうはいっても、季節は移る。ここのところ、少しだけ秋の到来を感じることがある。あ、この風は・・・。心躍る瞬間だ。その瞬間に、何かやる気が湧きあがるのである。これまで止めていたやりかけのこと、もう少し後でと思っていたこと、躊躇しためらっていた新たな行動・・・いろんなことが具体的にやらねば!という体制に替わるのである。やっぱり秋以降は、私にとってのシーズンインだ。この気持ちが萎えないうちに、今からどんどん前に進もう。今年もあと3か月しかないのだから・・。と、急に自分の背中を押してみる8月最終週だ。

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「じじい」の定義

ある70歳を越しておられる方からのメールのタイトルに「生涯じじいと言われたくない〇〇より」と書いてあり、驚いた。どんな意図でもってそれを私宛てのメールのタイトルにしておられるのかを考えた。別にそんなことを書かなくても、常に精力的に生きておられる方なので、そんなこと思ってもいないし、周囲も思っていないだろうに。だからあえてそんなことを書く必要もないし、書かない方がいいのにと思ってしまった。若々しくあるようにがんばっているけれども、やっぱり年をとってきていることを一番自覚するのは自分であるため、自分に強く言い聞かせることで、老いを跳ね返したい・・そんな意志の表れなのだろうか。なんとも言えない気持ちになった。一方、癌を患いながらも元気に仕事されている男性。こちらも同じ世代であろう。久しぶりにお会いしたら「もういいかげん、じじいなんだから、じじいはじじいらしくしなきゃいかんのですわ~わはは~」といいながら、仕事上、的確な発言をされ、そのオープンさと自然さに好感をもった。
お年寄りが「おじいさん」と呼ばれたい呼ばれたくない、いつまでも「お兄さん」と言われたい人もいるだろう。また「じじい」はなんだか見捨てられたような感じだからそう呼ばれたくない・・・とかそんな人もいるだろう。好感をもって「あのじじい」とは呼ばないだろうから、好感をもたれる人でありたいということかもしれない。人にどう呼ばれたいかと常に意識する・・それは、どう見られているかと同義であろう。自分の場合は「おばさん」と言われることは見た目は少ないけれども、見えないところでは「あのおばはん」と言われているかもしれないが、それは自分がそう見えているからだろう。「私をおばはんと呼ぶな!」と言う前に、言われたくなかったら、まず自分がそう見えないように努力するのがいい。それにしても、自然体の方がいい。もうシニアといっても世の中「じじばば」だらけなのだから、すべて自然体でよいのでは。いろんな年輩の方にお会いするなかで、いい年輪とは・・・とつい、思ってしまう今日この頃だ。

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