あと何回。だからこの1回を大切に。

とくに年上の方との再会、遠方の方との再会。
長くつきあってきた人になればなるほど、身近な存在になり
この人は自分の一生とともにずっといる人と思いがちであるが、
それは間違い。
身近に思う人ほど、ある日突然旅立ってしまうこともある。

ある方が、
「この年になるとあと何回食事できるかと思うから、食事は
大切にしたいんだよね。」と1回1回の食事を大切にされたいと
言われたことをずっと覚えている。

大切な人たちと、あと何回会えるか、一緒に食べられるかは
わからない。
だからいつでも会えると後回しになりがちな身近な人との時間こそ
大切にしたい。

あと何回。あと何食?
もちろん回数ではないから、1回1食を大切にするということだ。

そして1回も、無駄のない、会ってよかったとお互いに思える
時間にしたい。

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歌は、人生の生き映し。

ライブが近づき、カバー曲の選定に、カラオケも利用する。
一人でも良いが、歌の好きな方との再会・交流として
おつきあいいただくこともたまにある。

今回、長崎出身、新潟在住の方におつきあい願う。
彼女も、歌が好きだ。
ほぼ同年代ということで、昭和のあの頃が懐かしいね。
という点でも、お互いいずれの曲も違和感なく、自然に
共感しながら聴き合うことができる。

彼女は仲間と時々ライブもされているようだ。ギターと歌。
フォークの世界は今も同世代の人に歌い継がれている。

今回、彼女は中島みゆきや、加藤登紀子や、またはカーペンターズや
松田聖子や・・・私がうたわないようなキュートな選曲も交え
歌ってくれる。

私ははじめて生で聴く、彼女の声、歌を聴いて、
彼女の人生を想像した。
いろんなご苦労、涙も悔しさも・・歌が支えてくれたのかも。
そして彼女は書家でもあるため、さすが、言葉を大切に歌う。

ぐっと泣きたくなるという瞬発的な感動ではなく、
あなたの人生、わかりました。みえました。
とじわじわ思えてくる、静かな感動に包まれ、
がんばってますね。がんばってきましたね。
と言葉もなく、心の手拍子を送りたくなった。

私の歌は、どうもカラオケ向けではないので
ご迷惑だったかもしれないが、
いい勉強をさせていただいた。

歌はその人の人生を映し出す。
どんな道をきたのか・・。なぜか透けてみえてくる。
歌う曲で人生を確認し、来た道をふりかえり、懐かしむ
ことができるから。

だから、人は歌が好きなのだと思う。

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土地勘がない・・はもう通じない?

初めていく場所はいつも緊張する。どんなところなのかの具体的な映像が頭のなかになく、
そこにいくまでもどうやっていくのは?は地図や時刻表とあとは経験を頼ってということが
以前の常識であった。
今は、ナビゲ~ションツールが人々をどんな場所にでも連れていってくれる。
GPS機能の発達は、人間の行動の効率性を上げてくれたが、同時に苦労してたどりつく
学習能力を低下されているのかも・・とも思う今日この頃。

私は初めていく場所にはできる限り、地図を見ながら、五感を働かせながら
自力でたどりつきたいと思う。その苦労が次回の訪問をスムーズにするからだ。
NAVIに頼ると、目的地しか見なくなり、その途中、プロセスを記憶しなくなり
いつでも頼らないと行動できなくなってくる。
自分で考え、汗をかくということがとても大切なのだと思う。

土地勘がある、ない・・と、そんな言葉。今も通用するのだろうか?
仕事仲間に
「私、土地勘ないので、ごめんなさい」
とつい、言ってしまうが、知らない土地でもNAVIさえあれば
なんとかなるのだから、もう土地勘は要らないのでは?
もうその手法に慣れている若い世代には、土地勘なんて死語なのかも・・。

いやいや、生きていく上で、いろんなカンは私たちを救ってくれる
はずだ。
古臭いといわれようが、なるべく自力で行動することを忘れず。
グーグルマップは正直好きではないし、
手書きで書いてくれた、その店ごとの地図の方が親切だという気持ちは
変わらない。

今日もサバイバルのためにも、生きる勘を養い続けよう。

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前を向いて、上を向いて歩こう

日本中が、いや、世界中が下を向いている。
最近、そんなことを感じ、歩きづらい、そこにいづらいと思うことがある。
都内では駅でも、車内でも、ほとんどの人々がスマホと向かい合って
いる。歩きスマホは、あのゲームの発売からしばらくして、だいぶ減ったと
思うが、駅のアナウンスは相変わらず、その禁止を促している、
そんなことまで言われないといけない世の中になったか・・・。
日本だけではない、アメリカに行けば、もっとみんな下を向いている。
その人のスマホの先には、誰が写り、誰がいて、どんなコミュニケーションを
しているのだろう。
電車の中でほぼ全員がスマホを見、うつむいている静かな空間に紛れ込むと
とても不思議な感じがする。隣にいる人がどんなパニックになっていても、
誰かがドアに挟まれる事態になっても・・・みんな自分の世界にいるため
助けてくれないのかもしれない。

つながることの利便性と、そこから生まれる平和な孤立化・・・。
下を向いているときは、思考回路はどのように動いているのかわからないが
少なくとも、私自身の経験では、
前を向き、世界と向き合う。ときには上を向いて空を仰ぐ・・
そんな解放された瞬間に、希望がわいたり、ポジティブな発想も沸いて
くる。

ときには、永六輔さんの、坂本九さんの、あの名曲を胸に
空気を大きく吸ってみるのが良いのでは。

人がどこを向いていようが、私自身が前に進むため前を向き、
明日に向かうため、上を向きたい。
それが気持ちいい。

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お手本をいっぱいみつけて、人生ジグソー。

マザーテレサの生きた道は素晴らしいと、心から尊敬する。かといって、
そのままに生きることは難しい。
自分ができるところ、やろうと思うところをお手本とさせていただく。
ザビエルもそうだ。なれるわけはないけれど、その生き様のほんのわずか、
生きた道の少しの接点で、私も何か共通することができたら本望だと思う。
歌の世界でいけば、エディットピアフやビルへニア・ルーへを見習いたいし
作家ならば、最近は遠藤周作の深さに感動が静まらないでいる。
作品が好きというだけではなく、そこに向かう姿勢や生きざまに惹かれ、
そしてそれらをお手本として自分なりの人生を作りたいと思う。

もういい年なんだから、お手本なんて・・と笑われるかもしれないが
いくつになっても憧れをもち、それに向かいたいと思うことは良きことだ。
そう思っていたら、ねむの木学園を運営されている元?女優の宮城まりこさんを
ニュースで見かけ、ああ、ここにも素晴らしい方が・・と。
90歳近くなっても、障がいをもつ子らを守り、育てる仕事をされている。
お手本がいっぱい。これらをどう自分なりに組み合わせ、自分なりの世界を
創れるか。こう思っているとき、とっても幸せである。

いろんなお手本を理想にしながら、自分らしいジグソーパズルとして
はめ込んでいく。なかなかひとつの形にならないかも?
このむつかしさも楽しむとしよう。

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最初はひとりからはじまる。

たまたま石津健介と青山の関係をとりあげた番組を見た。
昭和の東京オリンピックのユニフォームも手掛け、アイビールックで一世を風靡
したVANブランドの創設者。その石津氏が青山に拠点を構えたことから
次々とデザイナーたちがこの町に店を開き、そして今や青山は、ファッションストリートともタウンともいえる東京(日本)を代表する拠点になったということを
知り、あの通りが好きで、時々散策、リサーチどちらも兼ねて出かけていたため
改めてその歴史に感動した。
イッセイミヤケも、川久保玲も・・。それらは今もそこに存在している。
コシノジュンコが、石津氏に続いてすぐ出店したそうであるが、彼女がインタビューのなかで、「なんでも一人からはじまるんですよね。そのあとを我も我もと追いかける・・・・」石津氏がその一人であることを言っていた。

そう、何事もひとりから始まる。挑戦は誰かと一緒にというのは実はない。
一緒に行動しても、最初の発案は誰か一人から。である。
考え始める、思いつく、動き出す。きっかけをつくるのは、実は大きな会社や
組織ではなく、つねにひと、一人からである。

そういう意味で、人間はとても平等にできていると思う。

その一人になりたい。と、やっぱり妄想がはじまってしまう。

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茶碗を鳴らす紳士に涙と、余韻。

碗琴演奏を初めてみた、聞いた。
有田焼400年の記念イベントのひとつとしての、演奏であったが、
すでにこの碗琴は、内外で550回以上、演奏されていると聞き、驚く。

会場には、大きなテーブルにいろんな柄、大きさの有田焼が並んでいる。
昔は14個、今は31個の茶碗をつかうそうだ。
日本の唱歌などの音階は前者で間に合ったが、有田焼の友好都市ドイツの
マイセンなどで演奏する際、西洋音楽を演奏する際に、それでは足りぬと
31個まで増やした。
そう、茶碗は無秩序に並べてあるのではなく、これは高音のド、これは
低音のレのシャープといった具合に、音階順に並べてあり、演奏者は
マリンバや木琴のようにその茶碗を並べた鍵盤を、有田焼を布で覆ったスティックで順番にはじいていくのである。
ピアノやマリンバなどは、鍵盤が外れたりすることはないが、椀琴は
相手が机上の茶碗ということで、力の入れ方や方向によって、茶碗が
飛んでいったり割れてしまう可能性もあり、かなり緊張する。
そしてやさしくも、しっかりはじかないと、いい音色が出ないだろうから
その勘も重要である。
とにかくその演奏者の手さばきを見ながら、そこから出る音色をひとつひとつ
楽しむ。
意外と高く、品のいい音が出るのだ。

始めに茶碗を並べて演奏しようと思った人は凄いな~。またそれを受け継ぎ
十数年も修行されてきた今回の演奏家の方も素晴らしい。
先日も書いたが、器の可能性をここで再確認し、改めてその感性に感動。

スーツを着ながら、一人オーケストラのように、茶碗が割れないようにと
細心の注意を払いながら、唱歌からエリーゼのために・・まで幅広く演奏されて
いたその様子に涙があふれた。
ライブの緊張感と、茶碗の緊張感。
たまらないドキドキの30分。
この夏訪ねた有田の町がよみがえった。
焼き物ひとつから、いろんな文化の広がり、交流。
美濃焼なら、あんな音になるのかな?

有田焼を初めて焼いた人が、音まで考えたかどうかはわからないが、
芸を受け継ぎ、用途を自由に広げる。
すべて五感のなせるわざ。
400年前の九州の異国文化の交流を懐かしみ、
やっぱりザビエルのことも重なってくる。

そして翌日も、この碗琴演奏のことを思い出しながら、茶碗を
洗っていたら、手が滑って、ふたつに割れた。(買ったばかり・・)
演奏者が「有田焼は粉々にならないんですよ。ふたつかみっつにきれいに割れる」
と演奏の合間に言われていたが、こんなところで実証するとは・・。

それぐらい余韻の残る名演奏だったのだ。

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夫婦喧嘩礼賛

わが両親はたぶん、ボケていない。と毎月、確信する。
それは、彼らの夫婦喧嘩の生中継?を見てそう思うのである。
それはそれは、本当にテレビの世界の二次元と違い、
目の前で繰り広げられると、声の大きさ、相手を罵倒する言葉、
意味不明のやりとり・・。こちらの血圧まで上がってきそうな
緊迫感が伝わる。お互い言い合っているだけで、聞く耳は
どちらももっていない。
聞くに堪えず、仲裁役はかなり難しく、いつの間にか
こちらが爆発してしまう。その爆発にびっくりして、しばし
その喧嘩がうやむやになり、中断ということもあるが。

いずれにしても、あの双方に向けての怒りはボケ防止に
役立っているはずだ。
そして、改めて「喧嘩」という文字に注目すると、
口に宣伝、口に華。
自分をしっかりPRしながら、そしてその意味のない
言葉の応酬は自分中心かもしれないが、言葉が咲き乱れる?華なのだ。
(決して客観的には、美しい花ではないが)

と思うと、ま、喧嘩できなくなったらそれはそれで心配かも
しれない。
喧嘩できるのは、仲のいい証拠かもしれず、
元気の証拠であることは間違いない。
いつか、そんな日々を思い出すこともあると思うと、
今は、
好きにさせておくがいい。

ある人が、
うちの親は喧嘩する元気もない。それに比べたらいいですね。
と言ってくれた。

そう、喧嘩できる相手、喧嘩できる時間。
それがあるということ。
幸せと健康長寿のバロメーターであることは
間違いない。

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結果を残す、プロセスを残す。

人生という道を死ぬまで進み続けたら、結局最後に何が残るのだろう。
その人が創った作品、仕事の産物、はたまた財産?
いずれも残そうと思えば残せるものであるが、私が最も興味があるのは
「作品」だ。自分の命が絶えても、見たり聞いたり読んだりしてもらえるものが
残せたら、後世の人にそれを通じて、自分のメッセージを残す
ことができそうだ。
一方、作品といった最終形だけでなく、
それに向かいジタバタとがんばっている、その「プロセス」も
残すことができる。というか、すでに残しながら生きている。
その過程、その様、その姿勢を、周囲は見ている。
それを、その人の「生きざま」と呼ぶ。
人は、その生き様からも学び、影響を受けるのだ。

だから、決してとびっきりの作品とまで至らなくても
そこに向かっていること自体に価値があることを
忘れないでいたい。

久しぶりに再会した、親しいビジネスマンとの食事
で得た会話。
いずれにしても、お互い一回きりの人生だから
楽しみながらがんばりましょう!と心から握手。

そう、毎日残しているんだ。
そう思うと、無駄に過ごしていられない。

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どんな器の人間になるか?

最近、椀琴という言葉を知った。
何でも茶碗を並べて演奏する。茶碗の琴、珍しい楽器のことだ。
有田焼でそれをやっている人がいるというので、大変興味深く、
近日拝聴してみようと思っている。
人間は、もともと生活用具を楽器として、感情を表現したり、それを奏でることで、偶然生まれる音色に感動を覚えたり・・と、音楽を生活のなかで楽しんできたようだ。

器をたたく。器をはじく。どんな音がするんだろう。

器というのは、見て楽しむ、入れて役立つ、そして時に聞いて癒されるもの。
いろんな役割があり、その時代でいろんな表現があり、興味はつきない。

そこで、その器。

人も器でたとえられる。
その人が器に合った人かという評価もよくされる。

今、著名であっても、メディアに露出していても
その器でない人が、器があるかのように、演じられている
こともあるため、
そのことをちゃんと見極めることが大切だ。
穴が開いていないか、混ざりものではないか。
偽物なのに、情報操作で本物っぽく見せようと
されてはいないか・・など。

そう、器を見る目を養わねば。

一方、ひとりひとりが器でもあるから、
器としての自分をいつも磨き続けなければ
ならない。

大きい器でなくていい。
大量生産ではない器がいい。
できれば、触れたら、はじいたら、いい音が響く
そんな器になれたらいいな。

その椀琴、コミュニケーションクリエイターとしては
興味津々。

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