テレビなしの暮らしの良さ

世界のニュースやNHKのEチャンネルのコンテンツは好きなので、自宅にいるとついついテレビをON
にしてしまい、ながら〇〇をする習慣があるが、
テレビがない生活も、なかなか良い。
最近、テレビがない空間で過ごす機会もあり、先に書いたように、ラジオを着けて過ごす、あるいは
何もつけないで、家人と会話を楽しみながら、食事をしたり、コーヒーを飲んだり・・という
時間がとても新鮮だと感じる。
会話はないことはなく、たわいもない話もいいコミュニケーションであり、楽しく過ごせる。
あるいは、好きな本を読む、ネットサーフィン(この言葉は古い?)、音楽を聴く・・・
でもなんでもいい。
とにかく、テレビがない時間は宝である。

あるお宅には、ずっとテレビがなく、大晦日だけ紅白歌合戦を観るために、どこかのホテルに
家族で泊まるという話をきいて、とても不思議に思ったことがあったが、それも大変良い
暮らしだ。
価値のあるメディアと、有意義な時間を過ごしたい。
本当はネットも使わず、静かに好きな音楽を流して過ごす時間・・・が贅沢だと思うが、
どこでも仕事ができるのはネットのおかげでもあり、これを
ゼロにはなかなかできないのが現実ではある。

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ラジオを見直す。

先日まで通ったモノ書きを目指す学校では、ラジオ劇について
ふれる授業もあった。
テレビ、ネット時代のなか、ラジオを身近に感じない人も
いるし、私自身もしばらく前までは、ラジオといえば
小学生~高校生にお世話になったという、過去の媒体という
記憶であった。
しかし、自分がコミュニティラジオ番組を担当することになり
車社会におけるラジオの有用性について認識するようになった。
さらには、最近は自宅でも、テレビではなく、ラジオを付ける
ことも増えてきた。(生放送ではなく、ネットラジオである
ためリアルタイムで聴けていないが・・)
そんななかで、視覚のインパクトを狙う、内容的には??
という多くのテレビ番組と違い、ラジオは聴覚だけで味わう
媒体であるため、リスナーはその音・言葉だけで世界を
想像できる。なんと創造的な媒体かと。
また何かをしながら聴くことができるのも良い。

最近知り合った演劇界の仲間たちは、ラジオ劇や朗読という
ジャンルでも活躍している。
ラジオ劇なんて、昔ラジオを聴いていた時代以来の
懐かしさであるが、今も健在なのである。

ラジオ・・。メッセージが大切だ。コトバで、音楽で
人を元気にしたり、癒したり・・。
視覚の伝搬力に頼らず、せっかく音楽に親しんできた
我が人生、もっと聴くコミュニケーションを大切に
したいと、改めて思う春。
ラジオ・・。開放的で、想像的で、素朴でいい。

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素敵なカップルパワー。

自分が担当する企業相談会。ごくまれに、夫婦でおいでになる企業もある。
30~40代の経営者夫婦。
3代目、4代目と歴史ある商店、町工場。それを自分たちの世代で
切り開いていかねばならないという思いで、新しいことを
やっていこうという前向きな姿勢。
まさに世代交代前後には、こういったケースがある。
私と話をしながら、夫婦で「そうだよ、そうしようよ」
「いや、それは違うよ」などと
と顔を見合わせて話し合ったり、私の前で意見の相違で
議論したり・・。
ああ、きっと会社にいても、家に帰ってもこの延長戦で
一生懸命、一緒に考えているんだろうな・・と想像できる
カップル。
あるいは、目の前で夫婦のコミュニケーション不足を
訴え、「本当に自分勝手なんですよ~。聞いてください」と、本音を
いう妻をあきれ顔で見る夫・・・・。こう言ってはいるが
この夫婦も仲良しなんだろうな~と思えるカップル。

いずれも、このカップルたちが私は大好きだ。
姉のようにも慕ってくれるし、なんといっても
信頼していただいているのが何よりうれしい。
だから、相談会に来なくても応援している。
ふらり店によって買い物をして、世間話を
しながらエールを送ったり、ときには
食事に誘ったり・・。

夫婦でがんばる。相手を敬い、大切にする。
表現の仕方はそれぞれであるが、
みな、いい感じでカップルパワーで乗り切って
いる。

仕事の話でもなんでも共有できるのが、自営業かも
しれない。
1+1が50でも100にもなる。

最愛の人と一緒に仕事をするのは難しいときもあるかも
しれないが、でも、一番幸せだと思う。
素敵な愛のカップルパワーで日本の次代を切り開き、
町を元気にしてほしい・・・と心から願っている。

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苦しいときこそ、鏡を見る。

日々生きているといろんなことがあるだろう。
とくに新年度、新学期で新しい環境になった場合や
いろんなすれ違いでコミュニケーションがうまくいかなかった場合や、
周囲への不信感を抱いてしまったり、疎外感に包まれたり・・・。
誰かに言いたいけれど、聞いてほしいけれど、ぐっとこらえないと
いけないときや、自分でなんとかしないといけないとき・・。
そんなとき、鏡に向かってみてはどうだろう。
自分向かい合うのだ。
そして、自分に話しかける。
「気にするな、大丈夫、がんばれ、まちがっとらんよ」
などなど、自分に言葉をかける。
そして、自分の心の中は人には見えないが、顔は見える。
曇った顔をしているよりも、にこにこしている方が
周囲にもいい影響を与えることができる。
だから、苦しいときほど、自分の見え方、見られ方を
自分で確認し、修正することも大切だ。
苦しい時は、自分で励ます。自分で認める。自分で応援する。
鏡に向かうということは、自分を客体化するいい手法。
いい顔になりたい、と思っていると、心の中も鍛えられて
いくのだろう。
いつも笑顔でいるために。小さな努力は心の筋肉を
鍛えることにもなると信じている。

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イチローを見習う朝

とにかく、コツコツ努力の人として、知られるイチロー氏。
黙々と自分の夢に向かって歩んできた、みんなのヒーロー。

実は先日、彼の夢を見た。
なぜかはわからないが・・。
有名人が夢に出てくることは、あまりないが、
自分の潜在意識の中に住んでいるのかもと思ったほど。

そして、そのイチロー。
朝からカレーを食べていることで、パワフルな毎日を乗り切って
いるということも聞いたことがあり、まさか、朝からカレーか。と最初は思って
いたが、最近は違う、

時々、出張先ホテルの朝食でカレーが出ていると、怖いもの見たさのような
感じで試したことはあった。
そう、朝カレーは悪くない。自分の中でカレーのイメージが変わる。
そして、最近、新潟の駅で買った 三条カレー味のカップラーメンが
どうも気になって・・・。

夜に食べるよりは、朝の方が健康的だ!
ということで、
生まれてはじめて朝からカレーラーメンをいただく。
やっぱり、朝カレーはいい。全身のスィッチがONになる感じだ。
カロリーも思ったほか、高くない。夜までこのまま走れそう。

ということで、イチローを見習って、元気に自分にカツを入れ
元気に日々をもりきろう。

エスプレッソに飽きたら、おすすめの朝食だ。

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東京ナイトドライブ

珍しく早く相方が戻ってくる。と言っても19時半ごろである。
「今日は早いから、ドライブいってくるかな」
へ?夜のドライブ?平日の?
どうやら、私が出張しているときに、時々やっていたようだ。
ついていこうと、急いで仕事を片付ける。

そして21時すぎに、車を出す。
どこへ行くということではない、長らく住んできた東京の町を
おさらいしようという感じで、
少し走って、東京の夜景に包まれる。
そして豊洲・東雲の方に向かい、電車では、昼間では気が付かない
東京の住宅地としての大都会ぶりに驚く。
いつのまにか、高層マンションが江東区に乱立。
灯りがついて、まるで香港の夜だ。
地震がきたら、どうなるのかな。と、怖さと感動が同居する。
そして、24時間営業の大型SCへ入る。
そう、全国には24時間営業の食品スーパーがある。
夜中に買い物ができるのは、夜型の生活の人々にとって
便利でありがたいのだろう。
私にとってはコンビニの24時間営業はだいぶ慣れてきたが
大型スーパーの営業は慣れない。
外食店も含め、需要がある限り、24時間働く人がいる街だから
成り立つのだから、これもありだと納得する。
初めて入ったこのスーパーでちょっとした非日常感を味わい、
これが毎日という人もいるのだろうから、不思議。
生鮮食品が夜になると、疲れて並んでいるようにも
思ったり・・・。
いやはや、東京の夜はいろんな意味で、まだまだ知らない世界が
存在する。
できる限り、東京でしか体験できないもの、コトに迫ってみようと
思った。
良い・悪いは別として、利便性・快適のために、無限の選択肢が
あるのが都会なのだろう。

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おにぎりラストウィーク

出張で泊まりの日以外、毎日つくってきた弁当。といっても、おにぎりセットだから
大したものではない。
毎日これを作るため一合の米を洗い、未明に炊飯器のスィッチを入れて炊く。
御飯の炊ける匂いは、何ともいい。朝にぴったりだ。
炊き立てのごはんをやけどしそうになりながら、「今日の具材は~」と冷蔵庫を
見回して昨日と同じ内容にならないようにとか、野菜系と動物系がバランスよく
入るようにとか・・小さなことを考えながら、ニュースを見ながら、握って
包んで、袋に入れる。夏場はよく冷ましてから包む、そして保冷剤もつける。
野菜不足にならぬようにと、野菜ジュースも切らさないように用意する。
・・・・と、そんな生活がもう何年続いたのか・・。
食べすぎにならぬようにと、こんな簡単な弁当持参生活を実践するように
なった。
出張先から最終電車で戻るときには、
「明日はおにぎり要るの?」
とメールで確認、深夜に帰宅しても翌朝居るならば米を洗った。
どんなことも習慣になれば、苦にならない。
大したことではないが、豪華な弁当は作れないが、私がせいぜいできた
弁当づくり。
このおにぎりづくりも、いったんの一区切りとなる。
本当は、最終日も持たせたかったが、その日は泊まりのため握れず。
ふと、考える。
毎朝起きたらコーヒーが入っている、食べ物がテーブルに並んでいる。
弁当が用意されている・・。
毎朝のことだと、ついつい当たり前になるが、
いずれもやがて最後の日が来る。
そんなことを思うと、一日一日のこの小さな行動も
心を込めてやらなくちゃ と思えてくる。
そんなこんなで、今週はおにぎりを握るとき、いろんなことを
考えてしまう。
もっと形よく握ればよかったかなとか、いろいろ雑でごめんなさいとか・・。
当たり前で、毎日と思うとため息が出そうになることも、
いつか最終日と思うと、大切に行動するようになる。
人は、何か新しい変化が目前に迫ってくると、
目の前のモノ、コト、そして環境を大切に思うようになるようだ。

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哀しみへの畏れと・・

よくメールを送ってくださる知人より、その方のビジネス人生で
もっともお世話になった経営者が、
このたび亡くなったというメッセージをいただいた。
知人のビジネスを成功に導く、きっかけを作ってくださった方のようだ。
よきパートナーといえる関係であったようで、いつもその会社との話も
知人から聞いていた。
ふと、第三者である私にそのことを告げる知人の心中を思った。
とても、お寂しいだろうな・・と。
長年お世話になってきた人とも、いつか必ず別れのときが訪れる。
人は年を重ねると、このことを覚悟しなければならないようだ。

人は大切な人を亡くした場合、悲しみをどう乗り越えられるのだろうか。
正直、
まだ今の私には、そこまで覚悟ができていない。
だから、哀しみというものが怖くもある。

しかし、人生は喜怒哀楽という。
哀しくても、そのあとにはきっと楽しい思い出となっていくのだろう。
そうであってほしい。

年を重ねると、いろんな覚悟が必要だ。
諦め、達観・・・よくわからないが、
いろんな経験を重ねることが、乗り越える力になっていくのだろう。

出会いも、別れも突然だから、困ってしまうが・・。
日々、後悔なきように、大切な人にはしっかり
恩返しをしておきたい。

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NHKへの期待。

4月からはじまった、近所の大学でのジャーナリズムの講座。学者やメディアの業界で
キャリアを積んだ方々の貴重な話を聴くことができ、自分の仕事にも生かせる点で
楽しく毎週キャンパスに足を運ぶ。
今回はNHKで長年番組編成に関わってこられた方の講義。
番組の構成、著作権の問題などにも触れながら、NHKの番組の作り方、
視聴者との関係についても幅広く話を聴いた。
人気番組であった「プロジェクトX」の放送開始時に向けて、番組がどう作られ
そしてモニター(視聴者)の声により、どう大幅に変更され、放送されたか
という実例も見ながら、NHKが意外と、視聴者の声をきちんと聴いてきた
ということを知る。
政治とのかかわりについても、本来は国に向かうのではなく、
国民・視聴者に向かいあうべき、放送局として努力をしてきたという点も
知り、本来のあり方を知り、少し安堵もする。
国営放送ではなく、ニューディール政策の理想に基づいて、誕生した視聴者とともに
創る放送局としてのNHK。
昨今は、ちょっとどうなの?という向きについても、局で働く現場の人々も
感じながら、自分の与えられた範囲で努力しているという。

NHKは国営放送ではない。
そしてスポンサーに媚びを売って作る番組ではなく、世の中にとって
必要なことを、わかりやすく伝える番組をつくるのが使命であるし、
受信料によって成り立っている局であるのだから、視聴者はモノを
いう権利もあるのだ。
だから、いうべきことはどんどんいえばいい。
おかしいことは、おかしいと言えば、必ず検討される。

世界に売れるコンテンツを有する、NHK。そして
デジタルアーカイブの技術も先進的だ。
過去のコンテンツを自在に取り出せるだけでなく、

最近はアナログ~デジタルの移行時に、どうしても
局で記録保存できなかった番組の映像素材を
視聴者から提供してもらうべく、
「番組発掘プロジェクト」をやっているということを
知り、これはまさにNHKならではの活動だと
感心した。

報道は今だけでなく、未来に向かわねばならない。
瞬時に報じるだけでなく、その素材を生かし、
次代に残し、100年経っても
「100年前の日本はこうだった・・・」
と報じる義務があるのだ。

いやはや、毎朝4時から「世界のニュース」で
はじまる毎日を過ごすことができるのは、
NHKのおかげだ。

改めて、情報を受信する側も、きちんとした意志と
向学心、判断力をもってきちんとメディアと
向かい合う必要性を感じた。

NHKには、さらにがんばっていただきたい。
ジャーナリズムのあるべき姿を示し続けて
ほしい。
期待し、応援したい。

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ハンカチが濡れる日

演劇仲間の新作出演が続いている。
この業界は意外と地道であり、そして活発だ。
二人の役者からの案内。まったく同じ上映スケジュール。
しかも行ける日が1日しかない。
よし、この日で2か所を巡るぞ。両方観るぞ。
実は、演劇は映画以上に観るパワーが必要だ。
コンサートと演劇、映画は違う脳を使う。
特に演劇は、あくまでもライブであり、役者の生の
演技を(巨大ホールでない限り)目の当たりにするので
緊張もするし、ストーリーを追いかけるのに頭も使うので
観るには覚悟が必要なのだ。
しかも1日2本。
しかも横浜と高円寺。14時、19時 2つの会場の開演時間に
合わせて、スマホ片手に移動する。

1日2本の演劇鑑賞。
頭の中では、いろんなことを考えながら、感じながら
自分の作品のヒントをたくさん得ようと欲張っている。
頭ではそうであるが、気が付けば、声をあげて泣きだしたく
なるようなことも多く・・
鼻をすする音も、遠慮しなければならないが、我慢ならず・・。

今回横浜で見た、「螺旋とくも」は人間の性悪について、
そして幸せについて、祈りについて、神の存在について。
高円寺でみた「KUDAN」は福島原発後の被ばく牛を
飼育する牧場をとりまく、動物と人間関わり、人間の
身勝手さ・・・。
について描いた作品で、いずれも人間とは何か?
生存とは何か?について問いかける、強いメッセージ性に
あふれる力作だ。
作品自体に心揺さぶられる言葉、場面が多く、ついつい泣く。
さらに、役者の熱演ぶりに「いいぞいいぞ、がんばれ」
と思いながら、その奮闘ぶりに泣けてくる。

久しぶりに、ハンカチが濡れる1日であったが、
頭も心も豊かになり、
やっぱり、伝える人でなければ、発信する仕事でなければと
改めて思った次第。
自分が伝えたいことを伝えたいカタチで表現を
している仲間の存在を知ることで、
とても安心できるものだ。
たまには、こんな1日もおすすめだ。

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