喧嘩するほど?

世の中に、夫婦喧嘩をしない夫婦はいるのだろうか?
時折、うちは喧嘩なんかしたことがないという話をきくことが
あるが本当だろうか。と思ってしまう。
私は子供の頃から、両親がよく喧嘩し、していたかと
思うとケロッとして、別の話題で相づちをうっている場面や
喧嘩をして、母が怒ったまま、出勤する父を見送りも
しなかった、それでも会社から帰ってくるまでに夕食の
準備をぶつぶつ言いながらやっていた、そんな母の様子を
何度も見てきたせいか、
人間とは、一緒に生活をすると喧嘩をするのが
ふつうで自然かと思っていた。

そして、今は自分もそれを受け継いでいる。
口喧嘩は日常茶飯事だ。
相手がわかってくれているはずなのにそうではない
ということに立腹するのか、よくわからないが
とにかく夫婦喧嘩とは妥協のない、むき出しの
コミュニケーションかもしれない。
ひと昔前、男尊女卑の時代であれば、男に女が
立てつくことは許されなかったであろうから、
喧嘩という状態もなかった、その代わり女性が
我慢を重ねていたのかもしれないが、
きっと女性にとっては窮屈で大変な時代だっただろう。
二言目には、誰が食べさせているとか、誰のおかげで
とか言われてしまう時代だった。

今はまさに、対等だ。自由で言いたい放題だ。
とにかく、よく喧嘩をする。日課のごとくに。
でも、しばらくすると何もなかったように
笑って話し始めている。
でも、再び火がつくと収まらない。

わかってほしい、というわがままが遠慮なく
言動に出るのかもしれない。

喧嘩はしてもよい。が、さすがに疲れるので
もっと上質コミュニケーションが良いと最近思う。

それはいつもニコニコ、いつも聞き役でいること。
そして適当に聞き流すこと。
ついつい、真剣勝負に挑んでしまう私は
お子様の領域を出ていない。
連休はかなり、疲れる。
ま、喧嘩する相手がいることに感謝すると
しよう。
一人では、元気でなければそれもできないのだから。

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自分のビジュアルづくり

ひと昔前、60代ともなれば、老人といわれ、とくに日本人の場合は
グレーとか茶色とか暗い色合いの衣類を着用し、
いかにも「年寄り」という感じの人が多かった。
若くもないのに・・・とおしゃれをしない・・・とくに、おじいさんとは
そんなものであった。
そんななか、イタリアへ出張した際など、時間的にゆとりがありそうな
老人たちがいつも町の広場に集まっておしゃべりしたり、ゲームをしたり
しているのが印象的であったが、そこにきているじいちゃんたちは
赤、白、緑など明るくはっきりした色合いのシャツに身を包んで、
イタリアのおじいさんは、おしゃれだと感心していた。

最近は少しづつ日本のシニアも変わりつつある。
兄のように慕っているある会社の会長さん。
私と年齢はひと回り違うので、今年の誕生日で66歳になられるが
ボタンダウンのピンクのストライプシャツを自然に着こなし
「今日からうちは、スーパークールビズだから・・」
と色も重量も重いジャケットを着用している若者らに
もっと軽装でいいよ。とリラックスするようすすめておられる。

いやー、ピンクのシャツが似合うシニアはなかなかかっこいい。
しかも腕時計は白。
ちょっと日本人らしくない装いではあるが、とても好感を抱く。

いくつになっても、より自分を元気に素敵に見える
自分のビジュアルづくりがいつまでもモテる秘訣かも?

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社員の気持ちを思って応援!

親子の確執から、世間を騒がせた大手の家具販売店。もともと会員制ということで、最初に
名前を登録しなければ、店内のショールームを見せてもらえない。そして、最初からしっかり
担当者がつきっきりで、かなりお客にとっては気が重いというか、敷居の高い販売方法。
それでも良い商品を取り扱っているということで、1~2度お世話になったことがあったが
ぶらり見に行けないところがネックで、十年以上ご無沙汰していた。
その間、親子の闘争で、株主はじめステークホルダーにとって迷惑・・・と報じられたり
父親の経営実績、娘の時代に呼応した改革、さてどっちが??しかし、お家元騒動とはあまり
感心しないな~となどと思っていたが、久しぶりにこの店を訪問してみたら、かなり前とは
違う様相で驚いた。
広い店舗でゆったりしており、品揃えが豊富な点は変わらない。
一番の違いは気軽に入店でき、自由に店内を回ることができるという点。
何か聞きたいことがあれば、店員が対応するが、いきなり近寄ってきて説明というのは
ない。
そして店内ですれ違う店員さんも、「いらっしゃいませ」とにこやかに挨拶をされ、
いい雰囲気が漂っている。
そして商品も高級品だけでなく、若い世代にも買いやすいお手軽なもの、カジュアルな
ものが増えた。
さらには、「リユース品」という、買取した商品をキレイにして新品商品と一緒に
ディスプレイ販売して、うまくやっているという印象も受ける。

という点などなどで、大変「変わった!」と実感。

今回、対応してくれたスタッフも、大変親切で、気持ちが良い。
この何年か、世間を騒がせた当社、そこで働く人は大変だったろう。
おそらく右往左往しながら、いろんな命令が飛び交う中の辛抱もあったかも。
と勝手に想像しながら、このスタッフたちを応援したい気持ちになる。
「とても入りやすくなりましたね」「買いやすい商品も増えましたね」
というと、スタッフはとてもうれしそうに笑った。
自分が働く会社が社会から批判されたりすると、働いている人も
つらい。その苦労を経て、評価されるようになると、働きがいが
増すだろう。
世代交代、業態変革、いろんなチャレンジを伴う大変な流通業、
どうぞお客様に寄り添ってがんばってほしい。
この会社、なかなかいい。これを機会に応援したいと思った。

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いいことも悪いことも含めて、全応援。

先日、乗客を無理やり引き下ろしたことがSNSで発覚、拡散、
世界中から非難が続いているアメリカの大手航空会社。
実は、私は約25年、そこの会社を優先し利用してきた。
自分では、大好きな会社であり、あの事件をニュースで知ったときには
信じられないと思うと同時に、まあ、この世の中、何か起きても不思議ではない
し、きっと何かそうなった理由があったのだろうと思ったのと、
何かのコミュニケーションのズレと、このネット社会という環境だからこそ
ここまでの大きな騒動になったのでは・・・などなどいろんなことを
思っていた。
結果的に、被害者になってしまわれたその乗客の方は
本当にお気の毒であり、その後も心配であるし、
またこの会社も長年の信頼を瞬間にして失った。
この会社だけでないが、アメリカの航空会社の
乗務員の客さんとのコミュニケーションは、日ごろより日本の
航空会社とは大きく異なり、フレンドリーかつカジュアルであるため
それが悪い方へ出てしまい、こんな事態になってしまったのかもしれ
ないと想像する。
日本ならこんなことにはならないはずだ。

さて、その航空会社は顧客へどんな対応をしてくるのかなと
思っていた矢先、社長名でのお詫びと今後についての対策について
の案内メールが届いた。
今後、このような事態になった場合、常客へはどうするのか、
正しい判断を機内のスタッフが行うためにどうするのか・・
について、改善点が示されていた。
87000人が働くこの航空会社が、ひとつの事件から改善策を
具体的に見直し、実施することには大変なパワーが必要と
思うが、ぜひ信頼回復のためにがんばってほしいと思う。
あの会社が、私に新たな世界観を与えてくれたことは間違い
ないし、同時多発テロのときも助けてもらったし、個人的には
本当に親切なスタッフに空港で助けていただいたことをずっと
覚えているから・・。

どんな大きな会社であっても、そこで働く人ひとりひとりの対応により
応援したいか、嫌いになるかが決まるもの。
社員全員が同じ気持ちで、お客様優先で、お客様目線で対応すること
・・・は組織が大きくなればなるほど変わってくる。
私はこの会社が好きだから、今回のことも含め、がんばってほしいと
応援している。
ネット社会だからこそコミュニケーションがうまくいかないことも
多い今日、
企業にとっても難しい時代であることは間違いない・・。

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歴史のロマンよ永遠に。


原城という存在は歴史好きの方にはおなじみかもしれないが、私はつい最近まで島原城とごっちゃになっていた。
これは17世紀前半におこった、島原の乱の舞台となったところ。悪政への抵抗が原因だったらしいが、その理由を隠す意味か、結果的に
キリスト教徒が多く結集したため、キリスト教徒の反乱ともいわれた。
歴史の授業でも名前だけは覚えた、この一揆、かの天草四郎の活躍でも知られる。
この反乱は幕府側が勝ち、多くの人々が亡くなり、一揆軍を助けようとしたポルトガル船が追放され、
鎖国の一因ともなったという日本の歴史にとっても大きな事件が、まさに約400年前にここで起きたとは・・。
今はとにかく静か、来客もほとんどない、この城跡。ところどころに古びた墓碑などが点在する。

そのなかで、一揆軍の象徴か大きな十字架、天草四郎の像と墓碑もみつけることができた。(ただし、四郎は
ここでは亡くなってはいないが・・)
そして、小さな石像をみつけた。宣教師と天草四郎と農民であろうか?
海を向いて、ポルトガル船の助けを待っているのであろうか?いろんな想像が掻き立てられる。
広大な城跡には、今はつつじが咲き、農家が畑仕事をして・・・。時代の移ろいと、ここに確かに城があったのだという
感動を静かに感じる。
天草四郎については謎も多く、この籠城の日付も文献によって違う。城跡で今回見た資料では12月3日から立て籠ったとも
記載されているが、文献により違う記録・・。まあ、良い。

情報化時代でもない。情報がすべて正しく記録されていたわけでもない。
現代社会が異常なのかもしれない。
だんだん、過去の詳細がわからなくなっていくところにも、ロマンを感じる。
いろんなことが風化していくなか、それでもその時代、こんな人がこんな風にがんばっていたんだ。
ということを知るだけでも、十分に刺激になるし、
悲劇こそ、よりロマンを感じるのは何だろう・・。
ザビエル、フロイスそして信長、今度は天草四郎か・・。
どの人物も謎と悲哀と魅力が共存している。

再び来ることができるかどうか、この原城。
しっかりこの絵を残しておこうと思った西の果て。
何千人の叫び声が遠くで聞こえてきそうだ。

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本日「愛の元気人」4月分 オンエアです。

8年目のスタートとなった、愛の元気人。4月分の放送は4月29日18時~です。
今回のゲストは、結婚式の便利屋さんとして活躍されるブライダルプロデュースあい&あいの小林和信さんと、
女性ならではの目線を企業・個人向けの相談・対応に日々奮闘されている司法書士の関川治子さんです。
どうぞ、お楽しみください。
FM KENTO 愛の元気人

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南蛮船が初入港した「ここ」で思いを馳せる

16世紀半ば、クリスチャン大名で知られる大村純忠が長崎に横瀬港を開いた後、兄の有馬定信は、現在の南島原の口之津を開港。
そして、1567年ポルトガル船がここに初入港し、南蛮貿易がはじまり、ザビエル来日後の宣教活動も本格的に始まったとされている。
その口之津という港。「くちのつ」という読み方にはなかなか慣れない。
遠藤周作の著作にも時折登場しており、どんなところなのかとずっと思いを寄せていた。
そして、明治時代には三井三池炭鉱の輸出中継地点としても繁栄し、人手不足から働き手として与論島から多くの移民が訪れたり、一方、石炭の輸出船にこっそり乗せられ、アジア諸国へ売られていった女性たち~からゆきさん~もここから出て行ったとの事実を今回初めて知る。普段接することのない日本史の片鱗に出会うこととなったのは、当地にある資料館。手作りのこの展示物はこの口之津の歴史を静かに語っており、その見ごたえに驚かされる。
ここで日本を代表する繁栄の地となった時代が2回もあったのだ・・。今、この港町の静かさからは想像も難しい。

今は静かな港。きっともともと静かな場所だったのだろう。
深い海で風も少ないため、船の出入りがしやすく、ポルトガルからの大型の船も行き来しやすい良港。

日本の歴史を変えたポルトガルからの客、宣教師ルイスフロイスやバチカンに少年使節団を送ったヴァリニャーノたちも、この港に降り立ったという点が興味深い。

初めて降り立った日本。そしてフロイスは後年、長崎市で生涯を閉じることになるが、この口之津に来たとき、どんな思いだっただろう。と450年以上前のこの港の
様子を勝手に想像してみる。
わがふるさと岐阜にも足を運んだルイスの宣教の旅が、ここから始まったのだ。

思いを寄せている場所に、ときには無理して出かけることでロマンを感じ、新たな想像を膨らませる時間が自分にとっての宝物だ。

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やっぱり「1・2・3」で生きる。


ここのところ、「1・2.3」にまたまたご縁がある。
まずは、佐賀の有田焼の代表ブランドのひとつ、深川製磁。こちらの食器は全国のデパートで見かけるが、
産地は有田である。創始者の深川忠治が1894年に工房を立ち上げ、1900年のパリ万博に佐賀総代で
出品し一躍有名になり、有田焼は世界のブランドとして知られるようになったらしい。
その深川製磁、今年が創業123年だという。
この案内DMが先日届き、「やっぱりおしゃれな会社だ」と感動した次第。
一般には企業の周年事業とは100周年とか、150周年とか、もしくは125周年とするのが多いなか、こちらでは123周年。
ここの商品のデザインが大変気に入っているが、発想が面白い。今回、1年ぶりに工房を訪ねる。
普段の平日は、静かな工場内であるが、周年事業イベント期間だからか、万国旗で場内を飾っているのも面白い。
これから連休にかけて、有田・波佐見とも多くの訪問者を迎えるのだろう。
123年、業界のリーダーとして前進してきたこの深川製磁への興味が再び高まった。

そして、そのあと、平戸に向かいて、ザビエルの銅像の前に立つ。
江戸時代の殉教の地に、後年建造された、フランシスコザビエルの教会敷地。
そう、ザビエルとのご縁は「1・2・3」。
1年ぶりのこの銅像との再会。
「そろそろ、次の挑戦ですなあ」
とザビエルが語り掛けているように感じる。
「1・2・3」で、また走り出しますよ!とザビエルに約束する。

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誰のために歌い、話すのか。

どんなことも一種類ではなく、複数の情報源から情報を得たり、複数の経験をして、
比較しながら学ぶということは大変有意義だ。

このたびは歌謡ショーなるものを連夜見せていただいた。
同じ宿泊施設で、同じ料理で、でも出演する歌手が違う。という設定。
一人目は先の投稿に出てきた熟女のはる美さん。演歌の世界まっしぐらの永遠の38歳。
二人目は、どうやら元アイドルの地元の歌手のようだ。
今では40歳ぐらいになっているのだろうか。
二人のわずか30分のショーを見ながら、いろいろ思うことがあった。

誰のために歌い、誰のために話すのか。ということだ。

前者はとことん、リップサービルも交え、ホテルの宣伝も含め、おもてなしをする歌手
といっても良いぐらい、「お客様ファースト」のステージ。
後者は自らのプロフィールを細かく話しながら、元アイドルの誰それと同級生だったとか
そういった自分の話を中心にしながら、巷でよく知られているヒット曲を中心に歌いまくる
という手法。お客さんは、歌手が歌う曲を「あ、知っている」という点で楽しんでいる。
歌手も、ステージも十人十色、その人の歌だけでなく、内面もそれぞれ違うということが
唄を通じて伝わってくるのが興味深い。

人生をいかに生き、いかに人と接し、人を愛し、歩んできたか。
それがステージで見える。

もちろんステージに立つ以上は、それぞれ苦労なしにはあり得ない人生を
歩んでこられたのだと思う。

その上で、

誰のために歌い、誰のために話すのか。

このことは、歌手もサービス業であるということを実践する上で
大変重要なこと。

はる美さんのショーだけを見ていては気づかなかったことを
他の人のショーも見ることで、改めて、はる美さんの魅力に
気づかせてもらった。

ステージに立つ人は、アーチストであるが、お客様が目の前にいる以上
やっぱりサービス業なのだ。

誰にために、誰のために。そして最後は、何のために歌うのか・・。
とても勉強になる、連夜の歌謡ショーであった。
なかなか、経験できないことを、ザビエルゆかりの地、平戸で
させていただいた。

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「年なんか、ほんとうに関係ないからね!」と宣う38歳

平戸のホテルで出会った、演歌歌手は「はる美」さんという。
観光客が多く泊まるその施設では、夕食時にカラオケで歌謡ショーなるものを
演っており、そのアトラクションが名物でもあるようだ。
どこか懐かしい昭和のショー。はる美さんはそこで歌っている。
昨年、たまたま彼女のステージを観たのがご縁で、それから文通がはじまった。
大分から4時間かけて、平戸まで来られているとのこと。
「昌子さんもこっちへ来る日がわかっていたら、ここでやったら?」
とありがたいお声もかけてくださる。同業者とも思ってくださって、ありがたい。
いやはや、ご年配のお客様が多い大食堂での演歌ショーは、なかなかの圧巻で、
なんといっても懐かしく、親たちの世代にはたまらないだろうと思う。
さて、その彼女のステージを久しぶりに魅せていただいた。
いやはや、普段着と180度違う、きらきら衣装をまとい、髪もテレビの
歌謡ショーでみるような金髪アップ、THE ではなく、ド・演歌の世界。
はる美さんは、ずっと東京で活動をしてこられ、最近、大分の実家に戻られたが
今も変わらぬ現役歌手だ。
実際の年齢は私よりはるか上であるが、ステージ上では本当に若々しく、歌声も
パワフルだ。演歌歌手というのは、アイドル歌手とは違い、おなかから声が出さねば
ならないが、はる美さんはさすが、よく声が出ている。
お客様のことをよく考えた、おもてなしトークも共感する。

彼女がステージを終えたあと、客席をまわり、お客一人一人に声を
かけるのも彼女のやり方だ。そして私のところに来たとき、笑い
ながら、
「ね、年なんかさ、本当に関係ないから。」
とささやく。
そう、ステージ上で彼女は毎日、永遠に38歳なのだ。
だから、私も同い年を目指す。
「また、お会いできますように」
再会をお互い喜び合って、またそれぞれ元気に走り出す。
演歌か~。いいな。世界にはシャンソンも、ファドも、タンゴもあるが、
日本の演歌は、元気になる素がいっぱいだ。
はる美さんの元気な歌声で、私のなかにまた新たな火がついた。

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