つぶやきをよく聞く

自分の性格、体質、生き方などに、俗に言うSMSはマッチしないため、利用しない。先日の世界広報デーに、ローマ法皇さまも、ソーシャルメディアは世界の結束のために良い意味で使われるなら良いが、現在はこれによって分断されているとの警鐘を鳴らしておられた旨の記事に接し、心から共感。最近では、受信料を徴収する放送局ですら、ツイッターによるとなんて、一国の大統領のメッセージを真面目に取り上げたり、違和感満載の今日この頃。

呟きなら、一人で言ってろ、そんなのつぶやきでも何でもない。メディアの使い方が低俗化して、本当に嘆かわしい、と心でつぶやく我が暮らし。

話は変わるが、父に会いに行っておきまりの喫茶店に行っての帰り道。彼がふと
「もう兄弟4人も死んでしまったな・・」と、つぶやいた。
「同級生もみんななくなっていって・・・もう みんなおらんわ」
その言葉を聞き逃さなかった。
返す言葉が難しい。

80歳を過ぎて、周囲がどんどんいなくなっていく寂しさと、父は毎日たたかっているんだろうな・・でも、それは強い戦いではなく・・・。

これからも父の、つぶやきを、ひとりごとをちゃんと聞き、勇気づけたり
元気づけたりしなければと改めて思っている。
SNSではなく、肉声でのつぶやき・・。ここに素直な気持ちがある。




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自営業の素晴らしさ

サラリーマンとは、言葉の上では、給料をもらって仕事をする人という意味。
人生の長い時間を組織に捧げ、一定契約のもとでその組織の中で一歯車として
働く。組織は業績や時代の変化のなかで、人を入れ替えながら、事業の存続を図る。だから、サラリーマンのつとめには限りがある。定年という節目だ。
死ぬまでどうぞ働いて下さい。という企業はない。
だから、サラリーマンの道を選んだ人たちは、定年というゴールまでがんばって
時間と労力を組織に提供し続ける。

一方、自営業は誰から給料をもらうのではなく、自ら営む仕事。自分の食いぶちは自分で探す、自分で稼ぐ。という仕事だ。
毎月定額の収入があるというルールはなく、浮き沈みも激しく、その安定化につとめるが、なかなかそうはいかない。一方、自分で挑戦したり、判断して進む方向を選んだり、自分の意志と責任で、仕事の選択もできる。
リスク覚悟であるが、その分リターンもある。

どちらの道も努力すれば、しただけの結果が出ると思うが、この高齢化社会、年金などの不安が語られる今、とにかく健康が一番で、それさえあれば、一生働けばいい、働くのが持論。

自営業には定年がないため、仕事を続けることへの抵抗はない。

サラリーマンの方のように一度やめてから、再び自力で走り出すのはなかなか勇気も行動力も必要だ。

自営業はこのまま走り続けるしかない。
健康であれば、なんでもできる。

今になって、自営業でよかった。この時代を予測していたわけではないけれど、そんな気がしている。人任せの人生、依存、所属の人生はそこから脱皮するのが難しい。

ビバ!自営業。そんな時代になるように、努力をいとわず続けたい。

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ミッションの種まき

今日はどんな日にしようか。今日はこれをしなければならない。
おかげさまで、毎日なんとなく過ぎる日はない。
今日はこれをやる!やらねばならぬと思って一日を始めることで
あっという間に一日が過ぎる。

ビジネスミッションもあり、ライフワークのミッションもあり、
いろんな課題があって、日々新鮮だ。

今はビジネスも、アーチストワークも、バランスよく進みたい。

どちらも社会にお役に立つため、誰かを元気にするために。

先日、あるボランティアの面接に行ってきた。ある病院でのこと。
ずっと気になっていた病院だ。
少しでもそこで入院されたり、治療されている方の癒しになればと
思って・・。
すぐに大きなことにはならなくても、ミッションの種をまき続けることは
大変意味がある。
これをしなければならないから、まずこれをする。

一歩一歩進みながら、一粒づつ種をまいていく。

そう、育てていく、育っていくのが面白いのだ。

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いつまで、どこまでパワーアップできる?

どこの国か忘れたが、100歳過ぎてから走り始め、世界記録を出した女性がいることを報道で知り、驚く。若いときからやっていたのではなく、100歳から?!そんな人がいるのかと耳を疑うが、嘘ではなさそうだ。調べてみると日本にもいらっしゃるようで、さらに驚く。

最近、20年ぶりに会った人から、「さらにパワーアップしていますね。」と言われ、戸惑いを感じた。パワーというならば、30代半ばの方が明らかにありそうで、自分の現在は、パワーアップという段階でもない感じであるが、久しぶりに会う人にはそう見えるらしく・・・。
まあ、恥じることでもなく、ありがたく受け止めるとしよう。

人間はいつからでも、新しいことを始めることができるのだろうか?
健康で、意志があれば、できるのだと思う。
走るかどうかは別としても、私も生きている限り、やりたいと思うことをやり続けようと思う。自分がやりたいと思うことをやっている以上は、powerfulでいられるのだろう。
パワーに満ちる自分であり続けるためには、常にプラス思考でいること。
まだまだ55歳。まだ若い、まだまだ若い。100歳まではちょっと道のり遠い・・。

自分には、出来る限り

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兄弟たちの成長とともに。

20年ご無沙汰していた企業。30年以上前にお世話になった会社とのご縁が復活、ここのところ、毎日のように連絡を取り合うようになってきた。

一度、離れた会社なのに、やはり長くお世話になってきたからか、変わらぬ社風にも自然と入り込むことができ、ずっとそこで働き続けている当時の先輩、後輩たちとも、あたかもずっと一緒に仕事をしてきたような感覚でやりとりができる。とても不思議であるが、相手がどんな人か?を知っているというのは、コミュニケーションをする上でとても重要だ。

四半世紀前に初々しく入社した後輩たちが、今は40代後半から50歳と、立派な幹部になっている。そんな彼らと今やりとりをしていると、成長したな、変わらないな。あ、こういう性格だったんだ、相変わらず真面目だな・・、いや、やっぱり成長したな・・と見守ること自体楽しく、今と昔を比較しながら、自分のいなかった空白の20年間の時間の長さを感じる。
再び先輩たちに見守られ、後輩たちと一緒に仕事ができるこの環境は本当にありがたいと思う今日このごろ。

おかげさまで、みんないい兄弟たち。残念ながら妹は残っていないが・・。

ちょっと違う関係になったけれど、心族であることは間違いない。

これからも一緒に成長していきたい。若いもんに、まけへんで~。という気負いもなく、いい信頼関係を紡いで。行けたらいい。

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三歩進んで二歩下がると?

子どもの頃に流行った「365歩のマーチ」。チーターこと、水前寺清子さんの
大ヒット曲。なぜか、ご本人が岐阜にまで来られてこの元気な曲を歌っておられた懐かしのコンサート風景が浮かび、日本の高度経済時代にマッチした名曲であったなと・・・と実は、長いこと思い出したことがなかったのに、最近、仕事で挑戦と反省を繰り返すなか、頭の中でこの曲が鳴り出した。

新しく挑戦をするときは、間違いなく前進だ。しかし、進みっぱなしではない。
少し前進しながら、立ち止まり、反省して、少し戻ったりもする。
イケイケは自分の成長のためにならず。
少し前進し、止まって考え、少し戻ることもあり。
この歌では、3歩進んで、二歩下がるということは、1歩は必ず前に出ているのだ。この視点が素晴らしいと改めて思う。

一気に何歩も前に出なくていい。出てはちょっと戻り、進んではちょっと戻り・・これを続けることで、着実に前進できる。

いつも進むことばかり考えていないだろうか?戻ることは悪いことではない。
毎日一歩一歩進めばよい。まさに ポコ ア ポコでいい。

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伝えきれたら、悔いはなし。

1回の勉強会。何分の持ち時間であってもその10倍は準備に時間を要する。
本番は限られた時間であるが、どうせならば、とあれこれ工夫をしたい。

こういう伝え方はできないか、ああいう伝え方はどうか?と企画しながら
情報を集め、構想を固めていく。

本番のギリギリまで何度も何度も見直す。

用意できる資料は、すべて整える。

もし、時間が足りなくなった場合はこうしよう。
と、さまざまなケースを想定して、本番に臨む。

そして、本番。
お客様に伝わっている様子が、表情からわかる。
お客様が満足そうにお帰りであれば、言うことなし。

どんな労力をかけても、お客様の反応で疲れもとれる。

とにかく、やりきる。伝えきる。そうすれば、悔いはない。

時間をかけた分、よく考えた分、自分の力になる。

仕事は手を抜かないのが一番だ。

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爆買いとは別世界の銀座へ

東京滞在時に、突然3時間の時間が空いた。乗る新幹線の時間を早めるのも野暮だ。せっかくできた時間は有効活用した方が良い。今回はそうしたいと思った。
有楽町にいた私は、そうであれば・・・と丸の内から銀座に向かい、銀座から東京駅のルートを想定し、とことこと歩き始めた。
テーマは、20代の出張のときにたずねた銀座、そして私にとっての銀座らしい場所を巡るということ。

銀座大通りよりも、実は、一本外れた並木通りなどの静かな通りがいい。
30年前から、営業を続ける店舗もあるが、入れ替わりも激しく、流行の先端のお店も相変わらず多い。
そんななか、教文館という書店に足が向く。

若かりしサラリーマン時代、本屋リサーチも十分、市場調査の仕事になった。
そんなとき、よく来たこの書店。
1階、2階は本当によく通った。20年近く来ていなかったが、店内の様子は昔のままと言いたいが、客数は圧倒的に減っている。銀座の一等地にある本屋、大丈夫か。その上にあるのは、キリスト教関連書籍のフロア。

以前は3階以上には上がったことがなかった。どうも自分には関係ないと思っていたのだ。しかし、今回は、この何年かの長崎の隠れキリシタン、殉教者への思い、関心や、ザビエルへの興味もあり、一体3階はどんな品揃えになっているのだろうと興味がわき、初めてフロアに足を踏み入れた。

パイプオルガンの音が静かに響き、大変静かな、図書館のような売り場である。
キリスト教に関する専門書がずらり並ぶ。
まったく門外漢の私にとっては、驚きの世界であるが、遠藤周作や馴染みの作家の小説や、長崎に関する資料もあり、親しみもわく。
一番の収穫は、パイプオルガンの楽譜も販売していること。なるほどオルガンは、キリスト教の礼拝用の重要な道具だ。楽譜といえば、讃美歌の伴奏譜。
銀座に、こんな専門店があったのだ。知ってはいたが、初めての経験。
爆買いに訪れる外国人も落ち着いたようであるが、それとは関係なく、静かに銀座で思いをもって長く商いを、活動をしているお店があるというところが、銀座の魅力だ。
思わず、メルケルさんの翻訳本など、普段買わないものを買った。
銀座は大人の町だ。そうあり続けてほしい。

時間が急に空くのは、ラッキー。その時間は計画通りでないことにトライしたい。

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苦痛の次は、の期待。

やりたくないこと、避けたいこと、逃げたいこと・・日々いろんなジレンマがある。できれば、簡単な方に、楽な方に・・・と思うこともある。
病気の治療もそうだ。今は苦痛だけれど、痛みを軽減する、癒すためにつらい治療をがんばっている方がおられる。
抗がん剤の治療を続けている方に最近お会いして、一見、元気で笑顔で・・でも「3日前までは辛かったです」と言われ、がんばるな~と頭が下がる。
それに比べれば、私の苦痛はなんだ?何もないに等しく、それ以上にもっとよくなりたい、もっと〇〇したいための課程ではないか。
こんなものは苦痛でも苦労でも何でもない。

一見、嫌なこと。したくないことが下積みであり、それを越えると本物になれるのだ。

つらいときは、少し先のことを想像しよう。今はトンネルの途中とすれば、トンネルの先を想像して、がんばろう。

大人になって、病気ではなく、自分の成長のためにこんなプロセスをもてることに感謝したい。と書きながら、逃げたい自分を抑え込む。

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音楽と美術の大きな役割

音楽で最近、改めてすごいと思うのは、クラシックの世界だ。
たとえば、ショパンのピアノ曲を聴いていると、ある風景や情景などが浮かんでくる。ピアノを弾いている演奏者を見ているのも良いが、目を閉じると、視覚的な世界が広がるのだ。歌がついている曲であれば、歌詞があるためもっと想像しやすい分、その広がりはある種限定的だ。しかし、ピアノ音やバイオリン音、
アコーディオンにいたるまで、楽器は私にとっては三次元の想像を可能にする不思議な道具だ。
一方、美術も面白い。ある作品と向かい合っているとそこから音が聞こえてくるような気がすることがある。絵から音楽が流れてきそうな・・・そんな絵画もたまにはあるが、会話だったり、風の音だったり・・二次元なのに立体的になったり、視覚でしか見えていないのに、聴覚で感じることもあるのだ。
音楽も美術もいずれも、現実の世界ではない。現実の世界を越えた、永遠の普遍の理想の世界。もちろん作品によっては、負のメッセージのものもあるが。

見えない世界を見、聴こえない世界を聴く。

人間にはそんな風にして、自分の世界を広げることができる。芸術の凄いところはここだと思う。

毎朝、ピアノやバイオリンの演奏を聴きながら、朝の世界を開いていくのがなんとも楽しくて、シアワセを感じる。

人生、限られた時間であっても、音楽や美術にふれることにより、何倍にも何十倍にも豊かになれる。


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