私の空とふれあう。

これは昨日の新潟市。私の大好きな風景のひとつ。手前は信濃川。その先は日本海。向こうには佐渡汽船が止まっている。冬の新潟の空は鉛色と言われているのに、この日はさわやかな青空。新潟の空は大きくて気持ちいい。
しかも気温は6℃ほどで、さほど寒さを感じない。
この風景を見ながら柳都大橋を渡り、写真にあるビルに向かって歩く。その途中に撮ったワンショットだ。
「ああ、いい気持ちだ」晴天の日に、ここを通るとき、思わずこんな言葉が出る。これから仕事場に向かうが、テンションが上がってくる。
 この景色にふれあうようになったのは、14年前か。この空は私の友達のような存在になった。仕事のこと、この町のこと。この空が自分を包み込み、見守ってくれている。感謝の気持ちで空との時間を楽しむ。
 と、そんなひとときもつかのま。
今朝は180度転換の雪模様。大雪になるようだ。もう今も積もっている。
夜が明ければ、鉛色の空が広がる1日となる。
 ああ、めったに逢えない新潟の青空を拝めてよかった。この写真のような風景のおかげで、いつも元気に通ってきた。
どんなことも、イツカサイゴになるだろうが、この風景のある町新潟は私の心のふるさとのひとつになった。だから、これからもずっとふれあいたい。
景色をみて、シアワセを感じることができるなんて、この上なき幸せ。
人多き観光地よりも、ずっと価値あるこの風景。
ここに来るために、またがんばろう!と意欲もわく。空のおかげ。

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感動メモの活用

ここ何年か、ポケットサイズのダイアリーは色違いで2冊常用している。
一冊はゴールド。おもに仕事などの予定を書き込むためのもの、もう一冊は紫紺色。感動したことを書き入れるメモリー用のポケットダイアリーだ。
この感動用のダイアリーは、書き込むときが楽しい。
最近多いのは、感動した曲名や、作家名や、学者名や、知らなかった言葉などなど。いつそれを見聞きしたのか、書いたのかがわかるので、同じメモでもダイアリー式になっていると感動もより一層記憶に残しやすい気がしている。
この感動メモ、時々真っ白の日があると、「しまった!」と思う。何も感動しない日はないはずと思うからだ。もっともこの感動メモダイアリーは持参していない。ずっとデスクにおいて、自宅でのみ書いている。
これからはこれも持ち歩き、もっと感動の言葉を、書き入れていきたい。
このように、一冊のダイアリーは計画を書き、1日1日消していく。
もう一冊はその日得たことを書き込んで、ぎっしり書き込んでいく。
スマホでも日々メモをとるが、感動したことは、やっぱり1冊の手帳に書き残したい。あとで見る、ページをめくって過去をたどる楽しみがいい。
一年かかって、感動を1冊にまとめていくのが楽しい。
こうして、1日1日を生き、気が付いたらもう1月も後半、すぐ1年が過ぎることだろう。
今日は何を書き入れようか?新たな発見を待ちわび、楽しく1日をはじめる。

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飛び降りる前に、舞台を確認

最近、新たなことに挑戦したいと思うことがある。
挑戦といっても、大きなこと小さなこと・・いろいろある。
小さなことでも、新しい取り組みは素晴らしいし、どんどんすべきであり、
それを重ねることが力になるが、
「チャレンジ」という以上、かなりの勇気が必要な場合もある。
真新しい世界に飛び込むことは、リスクもある。
したこともない世界のことであるから、できる自分を想像することが行動の決め手になる。
自分はできる、自分ならできる、よしやろう、やるしかない。
この問答を繰り返しながら、新しい世界への扉をたたく。
緊張とわくわくの気持ちをもてること自体が、もしかしたら幸せなのかも
しれない。
思い切ったことをするときには「清水の舞台から飛び降りるつもりで」
と言うが、では、飛び降りる前に、今その舞台を今改めて見てみたいと
思っている。
あの舞台から飛ぶこともできるぐらいの、気持ちを持てるならば、どんな
こともできそうだ。

思い立ったら、即決断の前に舞台を見て、行動。今年の挑戦はそれでいく。


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「やめて良かった!」もあり!

実は、昨年秋ぐらいから、そろそろNYへ・・と思い、今月訪問を計画していた。
予定が立たない仕事が増えてくると、なかなか海越えの計画は難しくなるが
この日程ならばと思い、飛行機もホテルも予約していた。
ところが、なんとなく年末あたりから、「この時期は嫌な予感がする。やめておこう」とキャンセルを思い立った。若干の手数料がかかっても、その方が賢明となぜか思った。
そのときの主な理由は、この季節の悪天候だ。
1月といえば、NYもかなりの降雪、そして厳寒。20年前だったか、冬にJFK空港で雪によるスリップのトラブルがあり、欠航になったこともあった。
この季節、急に吹雪になることもあるし、最近はとくに異常気象であるし・・
と思い、やめた。
そしてその週の天気予報は、当たった。アメリカ全土で豪雪。
 さらに、例のトランプの壁騒動(といっては申し訳ないが)による、政府機関の閉鎖。これには空港も含まれる。
結果、行かなくてよかった。
最近、アメリカに行こうとすると、いろんなマイナス要因が立ちはだかる。
自然災害と人災で、アメリカを訪れる人に影響は出ていないだろうか?
ということで、今年最初の渡航は、キャンセルで大正解。
その分、次はメルケルさんの国に飛ぼうと目下計画中。
やめて良かった!が次回はないことを願う。



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「愛をいっぱいもらいました」

岐阜新聞でのロビーコンサートの今年分が、スタートとなった。
おかげさまで、主催者いわく、集客はまずまずのようだ。ほぼ会場の席が埋まるため、賑わい感も出て、こちらも張り合いがある。
常連さんのご参加もうれしいし、新しい方のご参加もとてもうれしい。
まったく面識のない方が来てくださることは、これまたうれしい。
口コミなのか、新聞告知を見てなのか、たまたま通られて・・・なのか、
年代も20代から80代近くまで・・と幅広く、これもまたうれしい。
今回は、バレンタインも近いということもあり、「愛をテーマ」にトークと演奏を行った。「愛」といっても、男女の愛だけではない、家族愛、兄弟愛、隣人愛、人類愛・・・いろんな愛を含む。それをテーマに演奏曲を探してみるといろんな曲が浮かんでくるのだ。
オリジナル曲も含め、約40分ほどステージをつとめた。
帰り際、お客様が「楽しかったわ」「元気になったわ」いろんな言葉をかけてくださるが、ある方が、「愛をいっぱいもらいました!」と言ってくださったのが最高にうれしかった。

バレンタインは日本ではもはや、すっかりチョコレート商戦、しかも人にあげるのではなく、自分のためのチョコ祭りの傾向にあるような気がするが、
真剣に「愛」ついて、あれこれ考えてみる機会にすると良いかもしれない。
男女の愛に限らず・・・が良いと思うが。

そうすることで、〇〇ファーストではなく、お互いに愛することで、世界中が平和になるのでは・・。そうなるように、愛をせっせと伝えなければ・・。

今回のステージを終え、愛は深いと改めて実感。

次回は3月11日。忘れてはいけない記念日だ・・。

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大学受験失敗記念日。

センター試験が開催されたこの週末。受験生ご本人も、親御さんも、先生方も本当にお疲れのことと思う。家庭に受験生がいると、その年のお正月は、緊張して気分的にくつろげない・・というご家庭も多いことだろう。
私のその時代と比べ、学生数は減っているといえども、受験熱は上昇し、塾に通わない生徒は少ないだろうし、韓国ほどではないが、大学受験は、高校生にとって、人生の最初の大きな難関かもしれない。
もちろん、中学、高校入学時の受験もあるため、その大変な時期は人により、家庭により違うが、みんなそれぞれに大変である点では同じだろう。

とにかく、まずはお疲れさまでした。少し休んで、もうしばらく頑張ってほしいと思う今朝。

さて、私はこの時期になると、いつも自分の大学受験失敗のことを毎年思い出し、苦笑する。
胃腸が意外に弱く、あのシーンと静まり返った会場の緊張感が超苦手で、1回目は耐えられなかった。2回目は、寒い雪のなか、朝発声練習に出かけ、調子が悪くなった。いろんな意味で、ベストを尽くせないまま、わが受験は終わった。
しかし、もし、受験にパスして、国立大学の教育学部に進んでいたら・・・
今の私はない。絶対にない。
京都に住むこともなく、印刷会社でプランナーをすることもなく、哲学に興味をもつこともなく・・・・・グラン・ルーの発想も生まれておらず、この35年間に出会った人たちとは出会えなかっただろう。
 もちろん、パスしていたらしていたで、まったく違う道ができ、違う出会いもあっただろう。
が、今はこの人生でよかったと、一片の悔いもないということができる。

正直、受験勉強もまともにしたことがなかった私にとっては、すべてが必然だったのかもしれない。


受験生にいいたいこと。今はベストを尽くしてほしい。悔いのないように。
その方が自分を鍛えることになるから。がんばったという自信と力が身に付くから。
でも、結果がどうであれ、そこから自分次第で道は開けるから、大丈夫。
 どんな結果であれ、大人になったときに思い出すだろう。
きっと、この試験のニュースをみるたびに、自分のことを思い出す人は多い
と思う。
私自身にとってはこの失敗記念日から生まれた幸運に甘えず、これからの人生に対し、真面目に取り組んでいきたいと思う・・。受験生にとっても、その経験を経てきた大人にとっても、試験日は背筋が伸びる。




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ひとりカラオケの有効活用

前から気になっていた、カラオケのスタジオ的活用法。
 ライブの前には、ピアノのあるスタジオをレンタルして、思いっきり声を出したりしているが、カラオケルームについても、もっと早く活用すればよかった・・と、このたび、再認識する機会を得た。

 先日、ある仕事のミーティングで「ひとりカラオケ」の話題になり、ある女性が初体験されたその報告レポートを読んでいたら、そのときの彼女の不思議な冒険描写が、むずむずと私の背中を押した。
近所にカラオケルームはある、毎日のように通る。休日や週末夜はよく並んでいる。平日は入れそうだ。と思いつつ、すっと入るには、なぜか勇気がいる。でも、今回はそこを思い切った。そう、「むずむず」が勝ったのだ。
「いらっしゃいませ」と迎えられ、「ひとりなんですけど」に店のスタッフは何も動ずることもなく、普通に応対、案内どおり指定の個室に入った。
大きな窓があり、解放感。これまでカラオケといえば、夜のイメージだったのにこれはいい!気分が高揚した。平日の午後だ。窓から外を見ると、ネクタイを締めたビジネスマンたちが寒そうに歩いていて、なんだか不思議な感覚だ。なぜ、今自分はここにいるのか?いていいのか?という気分。とにかく窓から空が見えるというのも、前向きな気持ちになり、ここは自分にとっていい練習場かも?と歌う前から、この場所を好意的に受け入れる。

さて、それから、これからライブで歌うかもしれない、素材にするかもしれない曲などを選び、歌ってみる。それにしても、新しい歌を知らないな~と思いつつ、昭和の曲をひたすら選ぶ。
カラオケの伴奏は、ピアノで演奏するときの参考にもなるが、こちらの方がゴージャスだ。
しかも、マイクで歌わない会場もあるため、この練習場の方が豪華ではあるが、曲の感じをつかむには、そして何よりも不慣れな曲のメロディラインと歌詞を確認できるのはとてもいい。

 そう、とくに今回は先に書いた、ビリーバンバンのナンバーを練習したかった。何度も何度も歌い、慣れるようにした。そして、スマホで録音。

2時間ひとりで借りるのはちょっと長かったが、ドリンクバーから、会員アプリから、さまざまな機能満載で、昭和生まれの私たちが青春時にお世話になったカラオケルームからは、グーンと進化して、これはすごいわ!しかも値段も安く、これなら、頻繁に通える。
帰るときに、店のスタッフに
「いい練習場をみつけたわ。予約ってできるの?気に入った部屋を希望できるの?」
と、いろいろ尋ねてみるが、いずれも対応可能のようだ。
 今回一番驚いたのは、実は一人で来ている風の女性客に、何組かすれ違ったこと。通路に出ると、思いっきり絶唱している声も聞こえてきた。
いやー、おひとりカラオケって、ほんとうに浸透しているのだ。
これからは、ピアノスタジオと併せて、有効活用しよう。

一方、カラオケは10代後半から、お世話になってきた。
いろんな場面で、いろんな交友関係で・・・。ああ、青春を思い出すな~と
ちょっとセンチメンタルジャーニー、タイムトリップをひとり楽しむにも
ひとりカラオケは良いかも。
このテーマは引き続き研究していこうと思うほど、感慨深い体験であった。





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兄弟愛が育む、不滅のメロデイ

つい最近、久しぶりに「ビリーバンバン」のテレビ生出演を偶然見つけた。
 最初は、「まだ、現役なんだ~」と、白いブランコなどのヒット曲をよく聞いた小学生時代を思い出し、懐かしさで画面に目を向ける。
すると兄さんが、車いすに乗って、弟だけが立ってギターを弾き、バックバンドに支えられ、演奏しているのに気づき、それを知った瞬間から、目が離せなくなった。
弟は昔と同じように、ギターを弾きながら、透明感ある少し物憂げで優し気な声で歌い、兄はマイクをもちつつも、演奏そのものをするというよりも、弟の演奏を応援し、盛り上げようとしているのが伝わった。おそらく声が以前のように出せないのかもしれない。でも、車いすに乗った兄の存在は、あまりにも大きく、
弟の歌声を聴きながら、涙が頬を伝った。
兄弟で50年、音楽活動を続けてきて、数年前に兄が倒れ、そして復活。
お兄さんは、まだ まひが残っているようであるが、
病気の人を元気づけているような、そして視聴者に「50周年ライブで全国に行きますから、みなさん健康第一で、体を大切に」と、一生懸命話しているのを見て、車いすからあふれるパワーに感動・・・・。
元気いっぱい、若さいっぱいのかっこいいアーチストもいいけれど、老いも含め、さまざまな障害を乗り越え、一生涯、アーチストであり続けるその兄弟から伝わってくるパワーは底知れない。
 アーチストには、その表現する作品への評価もあるだろう。でもそれだけでなく、そのアーチストの生き方そのものが人々に与える影響こそが、実は大きいと思う。そういう意味で、ビリーバンバンは兄弟で生み出す愛のメロデイが、心からしみてくるのは、人として・・の部分も大きいのだろう。
改めて、白いブランコも、そして大好きな「さよならをするために」を歌いたくなった。子どものときはそう思わなかったのに、年を重ねて、好きになってきている。

どうぞ、ビリーバンバンの素敵な兄弟、これからも助け合って、ご活躍ください。一生涯、アーチスト。一生涯、現役。これが私も目指す道。


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惜しまれて引退が、いい。

この度の稀勢の里の引退記者会見は、多くの日本国民が何度も目にしたのではないか。
初場所4日目の引退とは・・。
当日のすべてのニュースのトップを飾るほど、注目の話題なのだろう。
 私も何度か、この会見を目にした。前日行われた、どこかの潔白表明のための記者会見とはまったく違う、感動的な会見であった。
 まず、この力士は、なんと良い顔をしているのだろう。としみじみ思った。
イケメンであるとかそういう薄い話ではなく、いい意味で日本人らしい、品のある、男らしく、そして優しく、透明感のある顔だち、そして表情。
そして、記者からの質問によく考え、丁寧に答えようとする姿。いろんな思いがこみあげて涙をこらえての場面には、こちらもうっときた。
悩みながら、苦しみながら、いろんな人の顔が浮かびながら、横綱なんだからというとてつもないプレッシャーと戦い、そして怪我と戦い、この2年間を生きてきたのだろう。
そして、引退。
本当は、負けてもいいから、千秋楽まで戦ってほしかった。そこまでやってほしかったと思うのは、無責任だろう。ご本人が決めていたのだから、これでおしまいなのだ。
 彼の引退の言葉を聞きながら、心から拍手を送った。
これまで、負けたり、休場の報せをきくと、「も~、横綱のくせに」とか正直思ったことがあったが、本当につらかったんだろうな、ごめんね!謝りたくなり、また、なんともそのひたむきさに心うたれ、これからもっと応援したいと
いう気持ちでいっぱいになった。

 惜しまれながら引退する。これは大変勇気がいることだと思うが、素晴らしい
人生の選択だと思う。
別の業界では、いつまでもその座にい続けたい人もいるようであるが、
ごまかさず、居座らない。見極めて、座を去る。この勇気には感動を覚える。

これからの活動に期待したい。まだ若い。ご自身の経験を活かして、強い後輩たちを育ててほしい。

 引退と聞いてから、好きになる。こういうこともあるもんだ。
自分は悔いなし、人に惜しまれる。
これはいい生き方だ。見習いたい。

とにかく、一生懸命やること。ひたむきにやること。
そのことが、道をつくるのだ。

稀勢の里、大変お疲れさまでした。そして、ありがとうございました!




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赤坂メキシカンにグラシアス!

時々、思い出していた。あの美味しいタコスと、異国情緒に満ちた空間。そこはメキシコ、ラテンワールド。不思議なマスターと懐の深いママが営むメキシカンレストラン&ライブハウス。
 仕事で知り合った知人からの紹介で知った、いかにも赤坂な隠れ家的スポットであった。
「ピアノがあるから、ライブやりなよ。」「でも、グランドピアノじゃないから」「何、贅沢いってんだよ(笑)」と、懐かしき会話。
そんな感じでマスターにすすめられ、そして当時、ライブありのコミュニケーションサロンを定期開催していた私は、このお店でマーサ倶楽部開催の機会を得た。
このイベントも15年前のこと。
それ以外にも、知人のマジシャンとここでマジックライブを何度かやった。
 そう、昨日のことのようだが、そんなに時間が経ったのかと改めて思い出す

 その後、ラテン音楽への興味が深まり、アルゼンチンタンゴの魅力を知ったのもこの店との出会いがきっかけだった。ピアソラの演奏も何度かここで聴いた。また、ブエノスアイレスに行ったときにアルゼンチンの国旗を1枚買ってきてとマスターがと依頼され、本当に買ってきたらたいそう喜ばれた。
伺ってはご無沙汰し、ご無沙汰しては伺い・・。

最後にお会いしたのは数年前だろうか。
自分のCDとマスターのそれを交換した。私が書いた曲の歌詞を見て
「長いな~」と一言。
今思えば、マスターと交わした最後の会話は、もしかしたら、それかもしれない。
なんとなく気になっていたのに、引っ越しもして、赤坂に行く機会が減った。
ふと、またあのタコスが食べたいと思い、店のホームページを確認したら、
見ない間に公式サイトがフェイスブックに代わっていた。あ、もしかして・・。
 そして、いろいろ検索していくと、当たってほしくない予感どおり・・。
そのマスターは帰らぬ人になっていた。
 ああ、引っ越す前に会いに行っておくべきだった。引っ越してからでも、行っておけばよかった。預かっていた資料もあったのに・・。
 TOKYOにいて、ラテンの世界を本格的に体感できた、そして自分の世界が広がったのは、赤坂のあの店の存在のおかげだったと、今改めて思う。
 マスターは、有名なラテンユニットの創設メンバーだったとのこと。
昭和の良き時代に、日本にラテン文化を広めた立役者だった。

 ちょっとシニカルで、いつもかみ合わない会話のようであったが、今となっては懐かしい。多くの人にラテンを伝え、ラテン文化のコミュニケーションの場を提供してくれた。そして、ママが作ってくれるタコスも絶品。

店は今も受け継がれているようだ。近々、赤坂に、萩マスターの影に会いに行きたいと思っている。

今、15年前のアンベさんでのライブのレポートを久しぶりにチェック。懐かしい人たちの面影を見ながら、15年の月日をかみしめる。

アンベの萩マスター、アディオス。そして、グラシアス!

2005年開催マーサクラブレポートhttp://www.mahsa.jp/mclubf10.html

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