まだまだ、あかん。

まだまだ、まだまだ。
自分のことを反省する機会はまだまだ多い。
すべては、練習量、すべては努力の量、それに割く時間・・・に尽きるが、
これぐらいで、まあノリと勘でうまくいくだろうと思っていたことが、やはり、そうはいかないということが今回もわかった。
とくにチームワークの場合は自分ひとりとは違う責任がある。
練習量が少ないと、経験が少ないと、想像が少なくなり、緊張が増す。
自分がうまく演奏、演技できないとチームワーク全体の呼吸が乱れ、作品がボロボロになる・・それだけは絶対に避けなければならない。そのためには、
ただ練習、稽古の積み重ねなのである。
ソロの場合、チームワークの場合は、それぞれ良さがあるが心得も必要。
人に絶対に迷惑をかけてはいけないのが、そして調和することで相乗効果を出せるのが団体戦だ。

人はなぜ緊張するのか?
役者たちを前に、そしてお客様を前に、両方を見ながらの演奏。また自分の腕ひとつで‥の責任は重く、ずっと集中力を保ち、絶対に・・と思うと余計に緊張してしまうものだ。
ちょっとフィギュアスケート選手の気持ちがわかる。

とにかく、ひとえに練習、経験だ。

余裕をもって取り組むためには、まぐれな成功ではなく、きちんと安定した演技にするには、地道な積み上げが必須である。

まだまだ、あかん。この気持ちが自分を駆り立て、もっとうまく・・と努力を重ねる。そのおかげで、本番を重ねるごとに慣れてきて、いい感じになってきた感じ。でも、まだまだ、あかん。気を抜くことなかれ。

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帰ってきた「まさこちゃん」!

生まれた街、自分が通った小学校区下で、地元のことを歌ったオリジナル曲を
ぜひ地元の人に聴いてもらう機会をと、コンサートのご依頼を頂いた年度末。
平日の昼下がり、会場へ50名ほどのお客さんに集まっていただいた。
題して「マーサのお元気&幸せライブトークショー」。

集まっていただいたお客様は、昔からよく知っているおばちゃんばかり。
同級生のお母さんがあまりに多いことに、
改めてここが地元であることを認識する。

不思議なことにこの、昔の近所のおばちゃんたちは、
今もおばちゃんのままである。ただ、半世紀の歳を重ねた。
だから当時20代だったおばちゃんは、今は70代。80代の方ももちろんいる。
でも、私にとっては皆さんは、おばあちゃんではなく、おばちゃんのまま。

それにしても、なんとまあ半世紀ぶりにお会いできるとは。

皆さんニコニコ顔で昌子ちゃんの登場を待ってくださる。
今日は爆笑シリーズで行こう。
ちょっと恥ずかしいが、そこは子どもの頃から慣れ親しんだ
吉本新喜劇をお手本に、派手な花の上着に、ランドセルがわりにリュックを
背負い、黄色い帽子の代わりに黒い帽子と手持ちの道具を使って、
へんな恰好で「一年生になったら」を歌いながら、元気に行進入場。
何が出てきたかとびっくりしたおばちゃんたちは爆笑の渦。
それから55歳になったまさこちゃんは、1時間全身で話し、体を動かし、
歌を歌った。
おばちゃんたちは、ずっとにこにこ笑って、私が言うままに手を動かしたり、
口を開いたり、そして爆笑。

次は何が出てくるか・・。おばちゃんたちは心からリラックスして、
昌子ちゃんのへんてこな誘いにのって、おつきあいくださった。
最後は地元愛の歌「みのり愛」を全員で歌った。
自分が数年前に作ったこの歌が、今は地元の女性(おばちゃん)たちの間で
歌い続けられている。合唱や大正琴や・・。だから、みんなうまい。
自分が作った曲を、近所のおばちゃんたちと一緒に歌えるなんて、
なんという幸せ。

半世紀ぶりにお会いした、同級生のお母さんたち。
自分の親と今もおつきあいいただいている。
きっと私の演奏やトークを見聞きしながら、
ご自身のお子さんの人生と自分のことを思い出されたことだろう・・。
おばちゃんのにこにこ顔、時折泣き顔に包まれ、無事ライブ終了。
大きな拍手とお言葉をいただいた。
「元気になった」「やっと会えてよかった」
「マサコちゃんのおかげでまた長生きできるわ」・・・・などなど。

主催者から「人を元気や幸せにすることができる仕事って、
本当にいいですね」とありがたいお言葉をいただく。
いくつになっても、ここに戻ってくれば、いくつになっても
私は「昌子ちゃん」なのだ。
ずっと呼び続けてくれるおばちゃんたちが、
この町にいてくれる時間が続くようにと願っている。

帰ってきた昌子ちゃん・・・。これからも楽しみに待っていただけるように、より一層・・。
18歳で出ていったから・・こその「帰ってきたまさこちゃん」である。





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パンツスーツのピアニストに共感

ライブやコンサートではもちろん衣装は大切だ。それなりに、自分のブランディングも含め、なんでもいい!ではなく、こだわって装うようにする。
お客様は目でも演奏を見ている。

ある、世界的なピアニスト・・でも、私は不勉強で今回初めて知った演奏家。
ショパンが得意なようだ。しなやかな指ののびで、つやのあるいい音を出す。
コンサートに行ったのではなく、NHKの番組でその演奏をながら聴く。
まず、その音色に感心をもち、その姿に目を向けると、そのピアニストの服装が、いわゆるドレスではない。西洋人も日本でも音楽大学を出た人の多くは、ゴージャスなドレスを身にまとって演奏をするが、この方はパンツスーツなのだ。
そのことが演奏前のインタビューでも聴かれていた。なぜ、パンツで演奏するのか?するようになったのか?

そのインタビューによると、以前は彼女もドレスを着用して演奏をしていた。が、あるとき、ある曲を弾いているときに、なんか違うと感じたそうだ。
その曲は、残酷な曲。ドレスを着て弾いていては、その曲が伝わらない・・。
と感じ、演奏をするときにドレスでは合わない曲もある・・ということで、それ以来パンツスーツにしているそうであるが、なかなかかっこいい。
また、彼女は愛する音楽で大勢の観客と交流でき、一体になれることについて大変幸せを感じるとも言ったことも印象的であった。
そして、もしうまく弾けなくても、伝えたいことがあったら、お客さんには響くとも・・。気持ちが思いが大切なのだということ。
これは、普段、私が音楽以外の仕事の場面でも痛切に感じているところでもあるがまさに音楽も同じだ。
クラシックだからこうでなければならない。ではなく、自分がその曲を通じ、何を伝えたいか・・・だ。

私もパンツで演奏することもあり、大変共感。
何を伝えたいか、でお膳立てはすべて変わる。




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情熱のチームワークで創る悦び

人は何に一番感動するのか。
それは人それぞれに違うかもしれないが、仕事、作品そのもののすばらしさもあるが、それを一生懸命表現する、やり遂げようとする、そのパフォーマー。
観客に喜んでもらうために、お客様に満足してもらうために、一心不乱に汗をかき、全身全霊でステージで歌い、舞い・・。
バレエでも、演劇でも、演奏でも最近は、演者のことが気になり、そちらについ目がいく。
シルクドソレイユは、残念ながら生で観たことはないが、朝、たまたま映像で観ることができ、オーケストラとサーカスの見事な融合美を知り、さまざまな刺激を得る。
バレリーナ―たちがステージの空中を舞う、体力の限界の限界に挑戦する。
各曲の合間、パフォーマーの入れ替え時に場を盛り上げる、ピエロの存在。各パフォーマーの緊張の演技の間のリラックスタイム。大切な場面転換だ。
そして、
ダンサーたちの踊りをしっかり支えようと、心を合わせて演奏するオーケストラの面々。
これらが一体となり、シルクドソレイユの作品が完成していく。
これを見ながら思ったこと。
どんな作品も、仕事も情熱のチームワークが感動を創る。
関わる全員が観客に感動を与えることを目的として、一生懸命に自分の役割を果たす。いい加減に、妥協して取り組んでいるメンバーがひとりでもいたら、感動は生まれない。
できるできないではなく、やるかやらないか。
今、自分が直面している課題をこのシルクドソレイユに置き換えてみる。
自分はオーケストラの一員か、指揮者か。ピエロか、パフォーマーか。
この役割は課題によって変わるだろう。
ただ、どの役割もステージを完成させるためには、不可欠な存在だ。

命がけの演技を大汗をかきながら、笑顔で舞うバレリーナ―に心うたれる。
笑顔で汗をかく。
ここ、参考にして進んでみよう。

一生懸命にみんなで創る仕事。自分がどの役割になれば、うまくいくのかも
想定しながら、クリエイティブもビジネスも、ぜひシルクドソレイユを目指して取り組んでみたい。



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雪解けの春。再会の喜び


半年ほどのご無沙汰か。ずっと闘病生活を続けておられる方との再会には、
思いが募る。また会えるかな、いや、絶対会う。
頑張って治療を続けておられるのだから、絶対によくなるはず。
手術や抗がん剤治療を繰り返し、何年か。
とにかく発病以来、ずっと自らの人生にまっすぐ向き合い、やれることを
やり尽くしておられる。その勇気、努力にも頭が下がる。
もし、私が彼女だったら、そこまでやるかどうか。といつも尊敬しながら
応援しながらの歳月。
 冬は雪が降るから、静かに療養。
ここ、何年も冬は冬眠の季節のごとく、
春を待ってお会いするようになっている。
今年もそうだ。
「春になったら会いましょう」なんどその言葉をかけてきたことか・。」
そして、早く雪解けの季節が来るようにと祈り、願う冬を越す。
その約束がかなって、会うことができ、お互い大笑顔で喜んだ。

2時間ほど、ブランチしながら治療のこと、仕事のこと、
家族のこと、音楽のこと、ホスピスのこと・・・話題は尽きぬ。
人として、おかげさまの気持ちを持ち続けること・・。
これが病気をされて改めて分かったことだと教えられる。

「疲れてきたので、そろそろ・・・」そうだ。元気に話していても、
無理をさせてはいけない。

何度も笑顔で「またね」と言って、別れを告げる。
絶対に、また会えますように。
天国にいくのは、もうしばらく後ですよ~。
冗談を言いながらも、こればっかりは・・・と思うが、でも言う。

また会えますように。そう思わせてくれる人との時間は大切にしたい。


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無音の時間の爽快さ

まず、目覚めたらテレビのスィッチを入れたり、音楽を流したり、「ながら」で仕事をしたり、日々の時間を過ごすことは、ごくあたりまえになっている。
なんとなく音がないと寂しい、時計代わりであっても、音ありの生活が前提で暮らしている。
ではあるが、あるとき流したいものがなく、無音にする。
しかも朝4時前といったまさに、早朝。
通行量も少なく、車の音もしない。

しーん、と静まりかえった時間。

なんだか心が落ち着いてきた。
そうだ、これは座禅をする、瞑想する。と同じことだ。
音を消すだけで、本当に世界が変わってくる。

今も、無音のなかでこれを書いている。

キーボードを入力する音だけが聞こえてくるが、普段より静かにと心すると、なんだか落ち着いてきて心が澄んでくる感じ。

時は音を立てないで、過ぎていくのだ。
このことにちょっと怖さも感じつつ・・。

1日にほんの少しの時間でいい。無音の時間をつくり、自分と向かい合うことに
しよう。

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お子様に教えられること。

お子様向けイベントを毎月2回企画・実施して、準備期間も含めるとまもなく1年になろうとしている。その一区切りの前に、お子様イベントへの取り組みについて振り返ってみる。

=お子様は素直。飽きやすい。
だから、飽きられないように創意工夫が必要。
でも、工夫すればしただけ、必ず報われる。
反応に出るのだ。

お子様の目線に沿った会話を大切にする。
お子様にはひとりひとりに声をかけ、ハイタッチをしたり、握手をしたりしてきた。ふれあうことで慣れてくれる。また会話するときは座って、目を合わせる。

手を挙げる子どものやる気を大切にする。
クイズなど行う場合、答えがすでに出ていても、まだ手を挙げ、もう出た回答をくりかえすキッズもいるが、同じことでも聴くようにする。
手を挙げて発表することを認める、ほめることが大切。
遊びの場面でも、子供のやる気を削がない努力は必要。

自分が子どもの頃に歌った曲は、今も歌い継がれている。
同じ曲を歌うことで、心が通う。年代が違ってもわかりあうことができる。
接点を探そうとし続けることはとても大切だ。

などなど、キッズから学ぶことは多い。
気が付けば、お子様向けのライブでも、なんでも遠慮なく、堂々と対応
できるようになってきたようだ。

お子様に育てていただく。ありがたい仕事。チャンスある限り、しっかり
がんばろう。

みんな、新入学、新入園、そして進級おめでとう。どうぞ健やかに。

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どうせなら、いっぱい挑戦しよう。

ひとつ新しいことを始めるのは、なんだか重い感じだ。
ゼロから、イチというのは、どうも迷いもあったり、やれるかなと疑心暗鬼になってみたり・・。

ところが、ひとつ始めてみると、「じゃあ、もうひとつやろう!」
と、挑戦課題を追加したくなる。

周囲からすれば、
「どっちつかずになるし、ひとつずつにすればいいのに」
と言われるが、そうとも限らない。
もちろん内容によるが、
イチがはじまったら、ニに進むのは、意外とたやすい感じで、
「どっちもがんばってみよう」
となるのだ。

人はやろうと思ったら、自分が限界と思うまで、どんどんイケると思う。
そう思った方が、自分のキャパが広がる気がする。

ということで、この春は、ひとつの挑戦でなく、ふたつ(以上)の
新機軸を自分の中に作る。
そうでないと、人生の時間がもったいない。結局は、貧乏性なだけかもしれないが。。。。


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やってきた人こその泪と言葉。

地道に、ひたむきにやってきた人の言葉は響くんだ。
口先だけの人間が発する言葉とは、ひとことの重みが全く違うんだ。
このことが、今回もよくわかった。

また、努力を重ね、プレッシャーと戦い続けた人の泪は
本当に美しいということも、今回よくわかった。

イチローの引退。
日本で9年、アメリカで19年の26年間・・。
名古屋生まれの野球少年は、45歳まで現役でプロの現役をつとめ、そして
引退。
まさに平成とともに、イチローの選手生活も終わりを迎えたという、このタイミング。

私は、彼の野球はもちろん、でもそれ以上にインタビューの時の彼がずっと好きだった。
一見、クールだけれど、情熱がこもっていて・・。
いつも目が涙目でも、しっかり前を見開いて、力強く話す、イチローの表情と言葉はとても素敵だ。
彼の言葉を聞いていると、じわっときて、たまらなくなる。
そんなことも多かったが、今回もそうだ。

そして、名言をさりげなく言うのも、さすがだと思う。

「他の人よりがんばったとは絶対言えないけれど、自分なりにがんばってきた」

今回、この言葉が一番響いた。
「自分なりに」という点がとくに。

そうだ、努力は自分なりにできることを、でよい。
とにかく努力あるのみだ。

また、彼は野球を愛したからこそ、そこまで努力できたのだともいった。

好きなことに打ち込める仕事ができることは、本当に幸せだ。
これも努力あっての結果だ。

いつか引退するとはみんな思っていたし、ここまでよく頑張られたと
心から拍手を送りたい。
私は、結果もすごいけれど、彼の生きざま、がやっぱり好きだ。

やってきた人の言葉と泪。

まだまだだ。自分に言い聞かせ、イチローに心からの拍手を送ろう。

まさに平成のヒーローに!

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リーディングドラマの手ごたえ上々

自分で参加するくせに、実は、朗読劇なるものを、劇場できちんと観た経験はなかった。演劇はわかるし、朗読もテレビなどでは見たことがあるが・・
ライブでいえば、音楽ライブも、演劇も、寄席もその空気は自分なりに把握しているつもり。観客として、演者として。どちらもライブは同じ空気のなかにいるということでの緊張があることは、わかっているが、
いずれにせよ、朗読劇は初めて、朗読劇で演奏というのも初体験だ。
でも、イメージはできていた。こんな感じだろう・・と・・。


今月29日よりいよいよ、その初の朗読劇中演奏を行う。行ける練習は2回のみ。
そのうちの一回目に参加した。
役者たちがほぼ読み合わせし、流れも整い、全体がつながってきた頃に、演出としての演奏が加わる。
台本を片手に、作家と一緒に「ここはこの曲、ここはあれにしよう」と、劇中に私のオリジナル作品のパーツをはめ込んでいく。ありがたいことに、これまで作った曲から選べるということで、助かる。
作家が自分のイメージどおりの作品に仕上げるために、私の曲を選ぶ。その曲を奏で、場面のイメージに合っていることが確認できると、作家がとても嬉しそうに微笑む瞬間がたまらない。
もともとそのためにつくった曲ではなかったが、そのために用意されたかのように場面に良く似合うのは、不思議。
作家のセリフと、私の演奏がなかなか良いハーモニーを奏でる。

朗読劇は役者の演技が言葉中心になるため、音楽は必須だと改めて感じ、今回の試みに手ごたえを感じる。

初顔合わせの役者たちとも、なかなかいい感じでコミュニケーションがとれ、もう何回も一緒にやってきた仲間のようになる。
今回の役者も粒ぞろい、なかなか味があって、うまい。
そして、彼らも演奏が入ることを、大変喜んでくれた。このことがとても心強い。音楽が入ると、全然違ってくるのだそうだ。立体的になるというかそんな感じだろうか?

今回上演する劇場は、立派なホールとかではなく、下北沢らしいカフェである。しかも空が見えるカフェだ。
作品に合っている。
ぜひ、みなさんに御覧いただきたい。
不思議な空間で、今年度のせわしない時期に、三連日の上演となる。開催日により、劇の後に私のミニライブも行う予定。劇中で演奏した曲から何曲か歌う。

「真夏の雪」素敵な作品になる。
予約は、こちらよりお願いいたします。

東京公演

https://www.quartet-online.net/ticket/manathunoyuki?m=0lfeigh



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