日本人は無関心?

今、香港からの留学生が都内などで集会を行い、香港を応援してほしいと強く呼びかけているようだ。自分たちのふるさとの自由のため、頑張るので日本人にも注目し、関心を持ってほしい、国際世論を動かし、香港の自治を取り戻したいと思っている。せっせと日本語のチラシを配り、SNSを駆使して、日本人に支援を求める留学生の思いを察すると胸が痛む。

その様子を取り上げている報道によると、日本人の関心は低いと、学生たちは落胆しているようだ。

言われるまでもなく、言われればなお感じるが、確かに日本人はさまざまな事象に激しく反応しない。大人しい。無関心な人ばかりではないはずであるが、意思表示がない場合がある。これは香港問題にかかわらず、である。

島国であるゆえ、どこか自分には直接関係ないと思っている一面もあるかもしれないが、こんなに世界が緊密している中、知らないでは済まないだろう。

たとえばこの問題がより激化すれば、日本をとりまく環境も大きく変わる。自分たちの問題として受けとめると、反応も変わってくるはず。

無関心でいられない世界の動きに、もっと注視して、応援すべきは応援したい。世界の若者を応援しよう。もちろん日本の若者も!

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不自由になってわかる自由。

香港の現在の騒動を、報道で見るにつれ、胸がしめつけられるような思いになる。
自分の命の危険を顧みず、権力と戦おうとしている若者たち。
人が生きるアイデンティティのひとつが、国である。
自分は何人か。どこの国に生まれ、生きているか。これは生きる上で大変重要であり、自分が生まれ育った国に誇りを持ち続けることは、個にとっても、国にとっても意味がある。但し、最近は、国とは何かもだんだんわからなくなってきている今日ではある。
それは、個を脅かす、個の自由を奪われるとき、はじめて意識するのかもしれないが。
話を戻す。
香港の人々は、自分たちが自由に生きられなくなることへの恐怖から、今回の行動に出ている。民主的でない相手にそれがどこまで伝わるのか、世界がそれをどうフォローできるのか、本当に心配であるが、いい答えがみつかることを心より願う。不自由の危険から身を守る、これは戦いだ。

自由といえば、他者との闘いだけではない。
最近、父が入院し、自分で動くことができないという事態に接し、
人間の不自由について、つくづく考えさせられる。

ちょっと前までは、自由に自分の意志で、動けたのに。好きなものが食べられたのに・・・。今は自分の意志では動くことができない。
すべては他者の指示で、それにそって生きるしかできない。その不自由さ。
「なってみないと、わからん、人にはわからん」
と、父はつぶやく。
何を考えようが自由であるが、体が不自由であるから、生きるのがつらい。
自由であるときはそれが当たり前で、一生続くと思っていた・・・。
それがあるとき、一変するのである。

身体も、心も自由がいい。

今、少なくても今の私はどの状況だ。まさにこれ以上のステージはない。

絶対に無駄にするな。と今、しっかり心に刻む。
人間の一番の幸せは、やっぱり、「自由」なのである。自分の由とかく。
自分が自分である理由。自分らしく生きられる状態。
それが、自由。
改めて意識しよう。感謝して、自由を全うしたい。


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情報に飢える。

病院暮らし。これはなかなか、慣れない人にとってみれば苦痛の世界。
閉ざされた世界・・。

こうなってみて、普段の生活のありがたみが身に染みるのだと思う。
でも、普段の生活ができないから、お世話になる。それが入院だ。

そんな病院暮らしで求められるもの。
それは「情報」だ。

外で起きていることが、知りたいと余計に思うようだ。
お見舞いに来る人との会話は、とくに家族や親しい人との会話は
普段の生活に近い会話ができ、話をきくだけで想像するだけで楽しいようだ。
さらに、
各ベッドにはテレビもあるが、これはカード式で有料でもあり、
有料のわりに、いい番組も少なく、院内テレビには電波の環境も何かと
家とは勝手が違う。
だからテレビはほどほど。が良いし、情報を得るには今ひとつのようだ。

目も頭もしっかりしていれば、読書は最高だ。

そんななか、ハンディタイプの本は役に立つし、適度な文字量があるものの方が、暇つぶしにもなる。

いろんな要望を聴きながら、求めるものを持参する。

結局は本というものはこの時代にも、なかなか役に立つ。

情報に飢える。

そんなことを日頃、考えたこともなかったが、いかに普段の生活は情報を選び放題でありがたいことか。

閉ざされることでわかることがある。

さあ、今度は父にどんな情報を差し入れするか。

今からでは遅くない。暇つぶしだけでなく、少しでも心の栄養になる情報を差し入れようと思っている。結局喜ぶのは、週刊〇〇であるけれど。

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1日が短いことへの感謝

週に何度かの見舞い。
医療サービスの進化のおかげで、看護はお任せでき、本当にありがたく、
医療や介護の素人である自分ができることは、家族としての見守り、
そして今後のさまざまな準備・・。
リハビリに励む父を見舞いつつ、元気なときにこんな風に話を聞くことはなかったとしみじみ思いながら、入院というきっかけは、何かと大きな人生の転換点であることを改めて感じる

毎日きちんと提供される三度の食事。そして3種類のリハビリプログラム。週に何度かの入浴。すべて介助いただきながら、お世話になり、治療に取り組む父。
このリハビリや食事も、そんな長時間ではなく、それ以外の時間は静かに過ごすしかない。そんななか、来客、見舞い客は一番の楽しみのようだ。
今週は誰が来た、昨日は誰が・・・と話しながら、誰かが来てくれることが
暇つぶしにもなり、世界とのかかわりもでき、うれしいようだ。
病院の中だけの世界は、とても息苦しく、つまらなく、なんといっても自分が自由に動けないからそうなっている。ということを自覚する時間が多いのはつらいはずだ。
とくに、父にとって夜は長いようだ。
病院の就寝時間に寝れば、当然夜中に目が覚め、そのときいろんなことを考えるのだろう。静かな闇のなかで、よからぬことを考えてしまう・・不安も募ることと思う。
「1日が長くて、」
この一言がこたえた。
かといって、今、自分で自分のことができない、動けない身であってはどうしようもない。今はリハビリに専念するのが、彼の仕事だ

父を見舞って戻る帰り道は、いつも考えさせられ、ずしんと気持ちが重くなる。
いつ歩けるようになるのかな?これから、家族はどうなるのかな?

普段の生活が一転するということは、抱えたことのない新たな課題を抱え込むことになる。

普段の生活に、週に何度か病院に行く日を入れる。この往復でも多少の時間がかかる。でも通える距離でよかったと思いながら、

自分の現在の1日は短く、父の1日は長い。

同じ24時間なのに・・・。なんとも心苦しくてたまらない。

いつ、自分も動けなくなる日が来るかはわからない。でも、その日までに悔いないようにしておきたい。そして、そうなったときにも1日を短いと感じられる方法がないかを考えておきたい。

一日も短く、人生も短い方がいい。

単に年齢を重ねるだけの長寿社会は、どこか違う。

1日が短いといえる人生がいい。

最近、わが心情は、日々複雑だ。

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コミュニケーションが全て!

毎日、全ての場面で、コミュニケーションの重要性を改めて感じる。

これをおそろかにすることで、仕事をなくすこともある。
自分の目先のことに追われ、相手のことを忘れてしまったり
後回しにすることで、誤解も生まれ、仕事も失敗することがある。

どんなときも相手との関係を注視しながら、そこがうまくいっているか、
どうすればうまくいくか・・・を考え、そのための工夫や気遣いをしていけば
きっとうまくいく。

最近思うのは、自分のことに追われると相手が見えず、気が付けば相手を失ってしまう。コミュニケーションさえきちんをとっておけば、うまくいく。
ささいなことであるが、

何をするにもコミュニケーションであることを忘れずにいたい。

最近、そんな相談も増えている。

コミュニケーションの手段は増えているのに、コミュニケーションがとれないそんな人が増えているのだろうか。
人間は、人の間と書く。だから、コミュニケーションなしでは何もうまく
いかない。


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起業・創業をどうサポートする?

新潟県は起業する人が少ない県だそうだ。
言われてみれば・・・。確かにそうかもしれない。
地場産業を盛り上げるには、日本の将来を担う若者たちが、もっと気軽に
起業できる環境が必要。
とのことで、昨今、周囲でその支援づくりが進んでいる。

何をやりたいのか?がみつかれば、すぐビジネスになる。
というわけではない。プランをまとめ、事業計画書を作成し、資金集めをし、
協力者を募り、自分が目指す事業に着手する。
いろんな専門家たちが若者をサポートし、起業できるように応援する。

始めるときは、そんな力も借りながら、スタートできそうだ。

私が気になるのは、その次だ。

始めたはいいけれど、続く?続けることが可能?やり続けることができる?
まさに持続可能な事業、仕事になるように長い目で見守り応援していかねばならない。
これまで多くの事業者さんに出会ってきたが、はじめたはいいけれど・・という人が多い。
今、そこに着目する。そして私ができることを考えている。
起業したい若者を内面から支え、持久力ある創業者になれるよう、そのサポートをしたいと思っている。
愛の元気人は、今そちらも視野に入れて、動き出す。

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会社は、社長さん次第。

脱サラをした30代の自分にとって、会社とは、社長とそれ以外。それ以外の中にい続けるのは、これからの自分にとってどうか、かといってそこの社長になりたい訳でも、なれるわけでもない。では、別の自分らしい道を。と、そんなことから今日に至っているが、組織に対する見方は今も変わらない。
会社は、社長とそれ以外。

その社長を支える人がいることで経営は安定する。豊かな人材が、人財があればそれも叶う。側近をうまく使えることも経営者の手腕のひとつであるが、そういう環境が整わずに、奮闘される社長さんも現実には、少なくない。

これまで数えきれない企業の社長さん達に会ってきた。思えば、毎日人に会うというと、どこかの社長さんに必ずあっているような気がする。いろんな会社のいろんな社長さんたちである。

実にいろんな悩みをお持ちで、いつも張っていないといけないせいか、本音の話ができる人も少ないようだ。経営者同士が、実はね。と気兼ねなく話せる為に、いろんな集まりもあるし、勉強会もある。そんな場所もうまく活用しながら、社長さんたちは頑張っている。

最後は責任を負う。これが社長の仕事。逃げられないし、逃げてはいけない。
私の前には逃げないで、どう向き合うか、現実を乗り越えるかという課題に直面している方が多い。

そんな方たちの話をききながら、こちらからのアイデアや気づく点を伝えながら、社長さんたちのお困りごとの解決に役立つよう、一緒に知恵をしぼる。

日本の社長さんたちが、元気に自信をもって前進できるように、今日もまた背中を押す。この仕事は、なぜかとてもやりがいを感じる。
社長の後ろには、多くの従業員さんや家族がおられる。
まっすぐがんばる社長さんたちをこれからも、応援し続けよう!

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お名前注意報

毎日いろんなところで新たな出会いをいただき、 名刺交換も多くさせていただく。名刺の整理もままならず、ずっと月日が経過。スキャンする時代だというけれど、紙にこだわる名刺もあり、と、言い訳になるが捨てられず、たまっていく。名刺交換したあと、気になる名前だと何度も眺めてみたり、、、。

とにかくいろんな方との出会いがありがたい、一方名前を覚えるのは大変。覚えるには交流を重ねることが一番だ。何度も呼び合えば覚えて、親しくなる。最近は少し時間が経つと、しばし名前が出てこないことも多いが、それは仕方ない。

気をつけたいのは初めてメールを送る時。特にお会いしたばかりの方へのお礼メールなど。名前を間違えたまま送ってしまうこともあるし、逆に自分宛のメールやハガキでも、今井さんと書かれることも幾度もある。

今回、ある方へ張り切ってメールをしたら、変換ミスをしたまま気付かず送っており、Ccしていた人から、こっそり個別に教えていただき、ドキッ!とした。その時に限って、その間違いを、繰り返していた。そう、人に教えてもらうまで無意識に間違っていた。初めての方だけに、ちゃんとしないといけないのに・・・。
顔から火が出るほど恥ずかしく、あまり面識がない方だけにここはちゃんとしておかねば。ピンチはチャンスとか悠長に言っている場合ではない。

結局、メールだけでなく、直接電話してお詫びしたりして、時間をとってしまった。

言い訳はなし。

お名前は大事に。

急がず慌てずおこたらず。

コミュニケーションの基本、初心忘るべからずである。

ミスをすることで、人は見直したり、丁寧に行動するようになる。
慣れは怖い。
ビジネスコミュニケーションでは、まずはお名前注意報、用心しよう。

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付加価値を創るパッケージコミュニケーション

ある工場を訪問した。パッケージを企画制作する会社だ。これまで手がけた作品例を拝見すると、ああこれ!と懐かしいお酒や化粧品、ブランド品の箱がずらり。売り場を華やかに彩り、高級な商品を丁寧に守ってきた高級パッケージたち。このパッケージたちは、商品を購入した後もなかなか捨てられることはなく、思い出と共に保管されたり、違う用途で生かされたりしている。

自宅に眠っている大切にしている箱の一部が、ここで生まれたと思うと、ものづくりの裏方を支える人たちの存在を改めて思い、こみあげてくるものがあった。

今は、過度な包装は求められない傾向にある。しかし、ギフトのマーケット特にプレシャスな商品には、パッケージングは不可欠で、商品の一部とも言える。

購入した、それをもらったお客様が、ワクワクしながらその包みを、箱を開くときの、この瞬間の気持ち。時代が移っても、このニーズは消えない。

パッケージは、物を物語に変え、感動を包む。

材質、カタチ、色、ロゴを含めた、そこに込められたメッセージ。

パッケージは、商品の価値を高める貴重なコミュニケーションツールである。その技術を追求、トレンドを先読みしながら提案続ける職人社長にお会いし、嬉しい世界が、今も存在していることをとても嬉しく思った。

価値ある商品は時代を越えて。どの業界でも同じだと思いたい。

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崇高なる人を目指したい

最近、その存在を知り、心から尊敬しているピアニストがいる。

メナヘム・プレスラー。90代の現役ピアニスト。ドイツ生まれのユダヤ人らしい。戦時中にはイスラエルに移り住んだ多難の若き日を過ごした方のようだ。
ヘンデルからドビュッシーまで、幅広いレパートリーを演奏するが、
私にとって、とりわけ心に染み入るのは、ショパンの名曲の数々。ポーランド人であるショパンと、ユダヤ人のピアニストのどこかに共通点があるような、どこか悲しげな憂いを帯びた美しい響きが印象的だ。
ノクターンの遺作を聴いたときは、この演奏自体もラストになってしまうのではないかと思うほどに、命が込められ、しかも言いようのないほどの崇高な気持ちが表現されており、思わず手を合わせて聞いた。

技術も申し分ないが、心で弾く姿が神々しく。音楽と自分が一体になっている感じを受けた。

ある作家は、積極的感受という言葉を使うが、まさに音の中に演奏家が存在しているような、超越的な崇高な世界を作り出している演奏家だ。

人生の年輪がそうさせているのだろうか。

技術よりも心を。人生を。表現に自分の命を吹き込むことがいかに大切かを

教えてくれる大切な存在だ。

いつかお会いしたい。お元気でいてくださるとうれしい。

ピアノそのものがその人である。●●そのものが私である。そんな存在になりたい。生きている間に、どこかで。ぜひ直接あの崇高な世界を体感したい。

そんなことを思わせてくれる表現者は、この世に何人もいない。

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