日本の「開かれた」神。

最近気づいたことがある。
キリスト教の教会は基本的に、祈りの場としての教会であり、信者のための
祈りの場。一般に公開される時間もあるが、
祈りの時間には、扉を閉じ、関係者は入れない。
またそんなときには、一般の人間はそこには足を踏み入れることができない。
信者のための宗教。

一方、日本の神社は、基本的にオープンスペースという印象。
祠自体には、もちろん入れないけれども、いつ手を合わせにいっても
怒られない。
京都の祇園神社などは、夜、飲んだ後にお参りにいくというのも
日常的な場面であった。
そして、誰でも彼でも日本の神様は受け入れてくれているような
おおらかさがあると、感じる。

それに比べると、
キリスト教の神は少し厳格であり、信じた人が救われると、
少し排他的な面もある。

以前、近所の神社に厄払いに伺ったとき
「どうぞどうぞ、雨のなかをようこそ、おいでになりました」
と、ちょっとおもてなしされてしまい、日本の神社って面白いと感じた次第。
いろいろ聞かれない。訪れる者を拒まない。

閉じれば閉じるほど、外から見ればよくわからないので、よけいな想像もしてしまう。
もしも、キリスト教がもっともっと権威的でなく、フラットな敷居の低い宗教で
あったならば、今の宗教戦争はどうなっていたか・・。

日本人の宗教心は曖昧かつ、中途半端なところもあり、首をかしげたくなるところも
あるが、開かれている点は、すばらしい。

ハロウィンもクリスマスもなんでも楽しんでしまう日本人。
もしかしたら、開かれた神さんのおかげで、何でも
受け入れることができているのかも・・。
うーん、日本の神さんたちは偉大だ。

カテゴリー: Essay (Word) | 日本の「開かれた」神。 はコメントを受け付けていません

「想人」との約束。

お世話になってきたある女性。こんなに強く生きる女性がいるのかと思ったわが人生のお手本のような方。
現役を退いたあと、乳がんを患い、もう数年以上が経過。とにかく母のために生きなければとあらゆる治療を試みて、がんばって生き伸びてこられた。一時は回復したかと思ったが、再発して、また治療・・。抗がん剤も放射線も・・すべて受け入れ、癌とたたかいながら、お母さまと一緒に住まい、介護を続けてこられた。
ご機嫌伺いのメールをしても返信がない・・そんなことも次第に増え、心配するだけの日々・・。
そしてこの夏、お母さまが100歳の誕生日を過ぎ、亡くなった・・。
お寂しい日々を過ごされているだろうと、心配しながらも花を送るぐらいしかできず・・。
それからしばらくの時間を経て、やっと再会できることになり、重い荷物をずるずる引っ張って
その方が住む町に向かった。そう、その人のことを数年前に想い、作った作品「想人」の歌詞に
出てくる駅にて電車を降りる。
この駅にはその方に会うために時々訪れたが、今回、エレベータがないことに気付く。
ためいきをつきながら、えいっ!と階段を重いキャリーバッグを持ち、踏ん張って昇降し、
そして改札で待つその人に会った。

顔を見るのは1年半ぶりぐらいかも。
ああ、会えてよかった。久しぶりに乾杯をし、夕食をともにし、政治から人生にいたるまで、
いろんな会話をする。
そう、わが母の胃がんの手術の日も、この町で仕事であったため、一緒に手術成功を祝い
乾杯した・・・。そんな風に、いつも私のことも心配してくれる人だ。

治療続き、薬漬けで食欲もままならなかったが、この10日ぐらいは食がすすむとのこと。
野菜もお肉もごはんも、一緒に召し上がる様子を見て、安堵する。
よかった、よかった。
でも、体が痛くて、もう遠くへはいけない。
その最寄り駅の階段が登れないという・・・。

そうか・・。
「じゃ、この町でコンサートやりますから。
だから、絶対元気でいてください。」
私はそう彼女に言った。
「そうね、雪どけの頃に・・・。待ってます」
「来れないなら、こっちが来たらいいですから」

そして、ふた周りも小さくなった彼女の肩をハグして、
「また、必ず会いますからね」
と、何度もささやき、別れた。

よし、この町で春にコンサートをやろう。
だから、絶対に生きていてほしい。
好きな人たちに、ずっと生きてもらえるならば、
何でもしたい。しなくちゃ。

大事な人のために、自分ができること。
悔いのないように、ひとつひとつ・・。
雪降る前に、雪解けの日の約束をする。

カテゴリー: Essay (Word) | 「想人」との約束。 はコメントを受け付けていません

ふるさとライブ2016のレポートを公開しました

さる10月27日(木)に岐阜で開催した、愛の元気人ふるさとライブの報告を
公式サイトにアップしました。
愛の元気人ふるさとライブ2016
多くのご参加、遠方からの応援、ご協力などなど大変ありがとうございました!
※他会場の企画は決定し次第、ご案内いたしますので、今しばらくお待ちください。

カテゴリー: Info | ふるさとライブ2016のレポートを公開しました はコメントを受け付けていません

雪降る前に、「君に会いにいかなくっちゃ・・・」

時々、井上陽水の「傘がない」が、頭の仲で流れる。
「行かなくっちゃ、君に会いに行かなくちゃ・・・」
ここのフレーズが好きで、そしてよく頭の中をなんともいえない
あまくけだるい声が往来する・・。
そう、大切にどうしても人に会いに行かねばならないと思うときに
このメロディが流れるのである。

今回は、乳がんと戦うある女性。
もう数年、手術、治療を続けておられる。
抗がん剤の影響で、元気がないという。
10年前はパソコンでメールをやりとりしていたが、
最近はもっぱらショートメール。
その数も減りつつある。

この夏、100歳まで生きてほしいと母娘二人で
過ごす時間を最優先されていたのに、お母様が
亡くなった。
さぞかし、さみしくされていることだろう・・。

その人には、2年前の私の母の胃がんの手術の日、
その成功を一緒に喜んでいただいた・・・
だからこそ、行けるときに行かなくちゃ、
応援しなくちゃ・・。

夕方勉強会が終わってから、電車を乗り継いで
その人が済む町に向かう。
地方の在来線は、本数が少ない。
雪が降る前に、行かなくちゃ。

久しぶりに会い、
再会を喜び合う。

今、会わねばならない人に。
タイミング逃したら、会えなくなるのは
嫌だから・・。

なぜか、冬の到来が私を急がせる。

カテゴリー: Essay (Word) | 雪降る前に、「君に会いにいかなくっちゃ・・・」 はコメントを受け付けていません

知ることの大切さ。

先日、生まれてはじめて自衛隊の基地に入った。
ふるさと岐阜にある、航空自衛隊の基地だ。
年に一度の「航空祭」というイベントをやっているとたまたま知り、
どんなものかを足を運んだ。
なんと、大勢の観客が県内外から押し寄せ、会場は大混雑だ。
名鉄電車や岐阜周辺のホテルもこのために満員・満室。
この状況にまず驚く。
航空機が好きな人、イベント好きな人、自衛隊関係者・・・さまざま
な来場者層、男女も年代も幅広く、とくに地元の人からすれば
毎年恒例の自衛隊のお祭り!といったところか。
広大な敷地に普段まず見ることがない、大型の戦闘航空機やヘリコプター。
後者は最近は被災地で活躍する場面をよく目にするが
それ以外の航空機は、羽田や成田の空港では見ることがない。
これらの航空機が空を飛び、その技術力を見せる。
いかに国を守るために、いろんな隊員が努力しているかを知るには
いい機会だ。
そう、自衛のための自衛隊。
この機会を利用し、自衛隊入隊への勧誘も積極的だ。
かっこいいと思って興味をもつ若者も少なからずいるはずだから
絶好の広報の機会でもある。

このような大きな戦闘航空機を見て、これが間違っても戦争のために
飛ぶことがないようにと思ったら、この隊員の家族の方のことが
頭をよぎった。

国を守る。積極的防衛。
この地にきて、そのことを考えるのもいいことかもしれない。
実際に、国民のために訓練を積み、がんばっておられる方々に
敬意を表する。
絶対に、戦争には使われないように。
他の来場者の方もきっとそう思われたに違いない。%e8%88%aa%e7%a9%ba%e7%a5%ad%ef%bc%92img_4560

カテゴリー: Essay (Word) | 知ることの大切さ。 はコメントを受け付けていません

プレイヤー。として生きる。

単なる批評家でなく、プレイヤーであれ。
最近、政治塾を開講された小池さんはそのような言葉を残されたようであるが、
「プレイヤー」とはいい響きだ。
人のことを批判したり、かっこいい言葉を並べることはたやすいけれど、実際に
自分が行動するということは、責任をもって生きるということと同義であり
これは大変難しいことだ。
こうしたいという夢があるならば、使命を感じるならば、自分がやるしかない。
人が感動の涙を流すのも、応援したくなるのも、みなプレイヤーに対してだ。
一生懸命やっている人のことを応援したくなる。
そして、自分も一生懸命やろうと思えてくる。

身を削ってがんばる人だから、人がついていく。
そんな人にならなければならない。

カテゴリー: Essay (Word) | プレイヤー。として生きる。 はコメントを受け付けていません

同じ地面の上を歩いたかも。

Nプロジェクトは継続中だ。
井口という地名を、「岐阜」と命名した信長の足跡をたどる。
写真は、現在発掘中の信長の450年前の住居跡。
まさにこの週末、現場で石をひとつひとつ手作業で見分けている
作業員の方たちの姿をみかけ、現実感を味わう。
ここは千畳敷という地名になっている。
信長が濃姫とともにここに住まい、ルイスフロイスなど客人を
迎え、もてなした地がここだ。
ザビエルのを遺志を継ぎポルトガルから来日、そしてのち
壮大な日本史を編纂する西洋の客人が、ここを訪れたとは、
ここに立ち、屋敷を眺めたとは・・・。
今、自分が立っているこの地面を、歩いた可能性も大いにある。
歴史のロマンを秋空のもと、存分に味わうと、新たな発想も
じわじわと湧いてくる。
創作には、歴史を肌で感じることも大切だ。
それにしても、感動・・。
この地に生まれた誇りを取り戻す瞬間でもあった。
%e4%bf%a1%e9%95%b7%ef%bc%91

カテゴリー: Essay (Word) | 同じ地面の上を歩いたかも。 はコメントを受け付けていません

「地球の果てでも行きますよ~。」

新潟でお世話になっている新潟の夫妻。もう7~8年、お互応援団として、あたたかいおつきあいを
続けていただいている。
夫婦で一緒に仕事をしようと60歳からの新たなスタートをされた直後、脳梗塞で倒れたご主人。
一時はどうなることやらと、ただただ心配するだけの日々が続いたが、リハビリに専念された結果、
夫婦でのお出かけができるようになった。
その外出のお試しとして、まずは私の新潟でのディナーショーへの参加。
車椅子での公の場への参加はかなり緊張もされた、でも楽しんでいただけた。
その翌年も新潟のディナーショーへ。どんどんお元気になっている、会話もできるようになった。
そこで、私がフランシスコザビエルの冒険の話をし、自作の曲を演奏したらなぜか感化され、
「私たちもがんばらなくっちゃ。今度は長崎のコンサートも行ってみたいと思います」と、
ご夫婦で飛行機の旅に挑戦。病後初の遠出。
結果、なんと長崎は当日雪で、この夫妻を歓迎することになったが、
雪の坂道、グラバー邸前で車椅子で立ち往生になった・・・という話も今は懐かしい
思い出となった。

車いすであろうが、その気があれば、周囲の応援を得てどこでも行くことができると、
夫妻はどんどん自信をつけられ、今度は、岐阜ライブまで駆けつけてくださった。
8か月ぶりにお会いしたご主人。長崎では車いすに乗っておられたが、なんと今回は杖をついて
自力で歩いておららた。新潟、長崎、岐阜・・。私のライブを追いかける旅がすっかり板に
ついた模様。
ご主人がライブの合間に言葉をかけてくださる。「地球の裏でも行きますから」
そんな冗談も言えるようになったということが、心からうれしく・・。
その後、奥さまからお礼のメール。
「もし、ポルトガルやスペインでコンサートされるんだったら、行くって言ってます。
行く気十分ですよ」
このご夫妻の元気回復のきっかけに、楽しみのひとつに・・・なっているのであれば
最高にうれしい。
ますますお元気に。ますます夫婦仲、むつまじく・・。
追っかけしていただけることに、感謝を込めて・・。

カテゴリー: Essay (Word) | 「地球の果てでも行きますよ~。」 はコメントを受け付けていません

本日、「愛の元気人」10月分オンエアです。

takahashikobayashi
ハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」今月のゲストは、
新潟農家の応援団シーディングの高橋社長(左)と、がん患者さんのための相談サロンを開設されたラリエンスメディケアの小林社長(右)です。
情熱あふれるトークをどうぞお楽しみください。そのほかプチプチ感動体験談やなんでもコミュニケーション相談室もお聞き逃しなく。
10月29日(土)18時~19時
愛の元気人 FM KENTO

カテゴリー: Info | 本日、「愛の元気人」10月分オンエアです。 はコメントを受け付けていません

またもや奇跡?ザビエルのおかげ?

一昨日前の岐阜でのふるさとライブ。ソロしかも昼・夜、しかもそれぞれ二部制。
といったハードプログラム。リハーサルも含めたら12時間を要する。
これまでもやってきているので、それ自体は問題がなく、パワーの消費配分もわかりつつあるが、
今年は腱鞘炎がなかなか治らないせいで、不安と憂鬱、集中力に欠ける準備期間となった。

しかし、不思議なもので本番が迫ってくると、自分で自分を追い込むようになる。
そして、本番当日。
昼の部、最初は右手に不安があると思い、加減していたのでその意識が演奏を邪魔した。
しかし、本番に入ってしまうと、手どころではない、いろんなことに気を配らねばならない
状況のなかで、気が付けば右手はいつもどおり、動いていた。
激痛が走ったはずの、オクターブの激しい演奏も、何ら問題なく弾けてしまい、
まったくいつもどおり、いやそれ以上に調子がいい感じで、ノリノリになっていた。
夜の部は、さらに調子を上げ、恒例のアルゼンチンタンゴのメドレーもいい感じだ。
弾いているときは、痛みがあるとかないとかも感じない。
ただ、弾けていることに驚きを感じつつ、最後まで走り続けた。

おかげさまで、無事終了できた。

スポーツ選手の怪我と試合のことを思いだし、プロ根性とは何かということも
頭をよぎる。

しかし、不思議だ。自分が痛いということも忘れると痛みがなくなる?
集中力が痛みを逃がす?
もしくは、ザビエルさんか、空の応援団が私の本番の力を与えてくれたのかも
しれない。

まる1日、かなり酷使をした右手であるが、このまま痛みがフェイドアウトして
くれたらいい。
しかし、不思議なことがおきるものだ。
「本番」とは、力を振り絞ることができる、究極の非日常時間だということを
改めて知った。

カテゴリー: Essay (Word) | またもや奇跡?ザビエルのおかげ? はコメントを受け付けていません