「マジシャンの心友、います。」

「いやーね。実はマジシャンの友達がいましてね。」
この一言は、どこか有名な会社の社長が知り合いという以上に、
著名人が知り合いという以上に(実際にはいないけれど)、
「へえ。そんな友達がいるの!?」と、皆さん、興味津々、目を光らせて反応される。
そんな珍しい職業の人、は自分の周囲にはなかなかいないということだろう。
趣味でマジックやる人は多かれど、その道うん十年のプロ、それで食べている
というのはみんなの憧れ、夢。
でもそんなことは。なかなかできない。でもそれをやっておられるというところが
みなさんの関心事だ。
このマジシャンは、マジックアーチストとして地元から国内外へとさまざまな目線で
マジック文化の普及、啓蒙に熱心だ。
地域でのマジック教室から百円ショップでの商品開発までマルチな才能でもって
マジックの裾野を広げるべく、日々奔走されている。

年齢差はもしかしたら親子ぐらいの違いがあるが、
その謙虚でひたむきな姿勢で、またどこか少年のように
純粋で、ギネスやゴッドタレントに向かっていのちを
燃やす様からは俗に言う年齢を超越されている。
もしかしたら、その人の人生そのものがマジック的かも
しれない。

お互いそれぞれ唯我独尊の生き方をする共通点から、
常にいい距離での心友と私は思っている。
そして、
一生涯ブレない夢を抱き、努力を重ねておられる生きざまに
心から敬意を表している。

マジシャンなんだから、ある日消えてもまた
ある日現れる。
これからも人々に夢と元気を。

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おもろい人に出会える仕事はおもろい。

夏のイベントの企画を考えていたとき、
うーん、何か面白いことはないか?
ふと、岐阜の山の方で、昔やった流しそうめん体験を思い出し、
あんなイベントができたらいいのでは。
とひらめいた。

企画とは瞬間のひらめきと、妄想だ。

ひらめいたはいいが、それをどうやってやるのか?
試したことはあるが、それを主催したことはない。企画したのも初めてだ。

どうしたものか・・。
探していたら、やっぱり世の中広いもの。そして面白い人がいるもんだ。

なんと、流しそうめんのプロをみつけてしまった。
「これや!」と思った私は、サイトを見た途端、気が付いたら
そこに電話をかけていた。
電話の向こうは青年だ。京都の人だから、言葉も通じやすい。
「あのー、イベントで流しそうめんやりたいんだけど、相談にのってくれますか?」
そして、彼が翌日たまたまやっているという大阪のとあるパチンコ店の
流しそうめん会場に向かった。
なんで、こんな遠くに?電車を乗り継ぎ、乗り継ぎ、暑い日の流しそうめんイベントは
お客様には涼感漂い、とても良い。

実際にわざわざ大阪まで出向いたことで、いっきにその流しそうめんプロとは
打ち解けた。
そして、最近も、宇治まで出かけた。

7月後半に岐阜でそのイベントを決行する予定だ。

それにしても、世の中おもろい人がいる。
探せば絶対にいる。
東京暮らしのままであったら、この仕事もこのネットワークもなかった。
この夏は、なんだか不思議な展開になりそうだ。

観覧車は西にも回り始めたようだ・・。

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古巣に新たな心で。

20年前の9月、旅立った会社。
今でも、会社員の最終日、京都駅のゼロ番線で上司や部下が夜行列車に乗る
自分を送ってくれた日のことを鮮明に覚えている。

そのお世話になった会社は京都の碁盤目の西から、伏見城の近くに移転した。
いずれにしても、20年間足を踏み入れることがなかった。

そんななか、とあるきっかけから、久しぶりに訪問することとなる。
20年前から今もずっと勤務されている先輩・同僚、後輩。
自分がやめてから入社された人たち・・・。

時代を超えて、同じ巣にいた時代があるという、同窓生としての出会い、再会は
なんともいえない。

なつかしさと、感謝の気持ちとが入り混じる。
20年間とは、人が生まれて成人までの月日。決して短い時間ではない。
その時間を経て、新しくなった古巣を見直すことはとても意義がある。

この20年間で得た経験をもって、恩返しする。
自分が育った街、学校を思うように、
お世話になった会社の発展、成長を願わない卒業生はいない。
何か自分ができることで恩返しをする。
それが育ててくれた上司たちへの恩返しにもなる。

このことを静かに決意する。

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最後の晩餐は何を召します?

近くに住んでも、元気なうちは、それぞれが好きなように
暮らすのが良い。
必要なときには、緊急時には駆けつけるというつもりではいる。

家族では月に一度、父親のお気に入りの店で夕食をする。
いつの間にか、わが家のお決まり行事。
両親と娘2人。
生まれ育った家族が今もそのまま、みんな元気であることは
何よりありがたい。

「年寄りは頑固なんじゃ~」
と意味不明で、自分勝手なことばかり言う父に、
父に負けていない強気の母。
二人の決戦の様子は、もう見たくも聞きたくもないが、
まあ、この決戦が二人のアドレナリンを放出していることは
間違いがない。

でも、やはり二人とも間違いなく年老いてきた。
いつまでも、若くはない。
「俺の人生はもう終わりや」
と言いながら、股関節の痛みに耐えながら、テレビ通販で
何度も流れてくる商品を試してみようか・・と
生きる気は満々だ。

いずれ、いつかが最後の晩餐になるだろう。
100回も一緒に食べることはない。
そう思うと、1回1回を大切に、親が好きなように過ごせる
そして楽しかったね!と言える時間を大切にしたいと思う。

おかげさまで、まだまだ旅行にも出かける。
毎日、近所の友達に、行事に、庭の草取りにと
元気に動いている。

いつそんな日がくるかわからないけれど、
幸運の神様に感謝しながら、親の人生がうまく結べるように
応援していきたい。

ちなみに、父の好物は鯛のあら煮。きっと最後の晩餐も
それなんだろう。

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私のゴールのニンジン。

競馬でがんばる馬たちは、1等賞をとったときと、ブービーだったときは同じニンジンを
もらっているのだろうか?
がんばったら、好物をあげるからね!と言われて馬たちはがんばって走っているのだろうか?
ニンジンを目の前にぶら下げて走っている馬は実は、あまり見たことがないが、
人間にとっても、目の前のご褒美は大切だ。

大変下世話な例であるが、たとえば、ひとつの大きな仕事がある1日。
よし、今日はコレをがんばろう。そして、終わったら美味しいあそこの蕎麦を食べてから
帰ろう。
なんて、そんなことを決めてみる。
蕎麦まであと何時間。あとこれだけ・・。
ゴールまでカウントダウンしながらがんばる。
そして、たどりついたその蕎麦の美味しいことといったら・・。

このゴールに用意するご褒美は、ささやかでいい。
いつもその場所や状況で、変えてみる。

何をぶらさげるかを考えると、なぜかやる気がわいてくる。
やっぱり、私はシンプルな動物だ。

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日本のたたみ屋さんにエールを。

日本人である以上、イグサの香りに
安らぎを覚えるという人は多いだろう。
と思っていたが、
最近は畳のない住まいも増えているようで、驚く。
ライフスタイル自体が、洋式になってきているので
ある意味、やむを得ないと思うが、
畳はやっぱり、日本人の暮らしに不可欠だ。

と、最近出会った元気な畳屋さんの奮闘ぶりを
見ていて実感。

畳の良さは、「ごろん!」と寝転ぶことができること。
板の間や、カーペットの上ではなかなかできない。
小さくても、大きくても、(うちはかなり小さい)
畳空間は不可欠だ。

今、畳をコミュニケーションのツールとして
捉え直したいと思っている。
みんなと、ごろんとなれる、交流の時間だ。
ごろんとなれば、家族も日本も平和だ。

この「ごろん」というキーワードを広めて
いけたらいい。

おかしな事件が増えている昨今。
みんなでごろんと寝転んで、たわいもない会話をして・・・
こんな日本のコミュニケーション時間は
最上ではないだろうか。

夏に向け、にほんの畳屋さんにエールを送りたい。

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こっちの選挙に燃える人々

AKB48に始まり、現在はNGT48や、SKE48といった地域のアイドルが全国各地のみならず
海外にもそのネットワークは広がり、どうやらAKBグループとか、企業体のような組織パワーを
有しているこの集団!
正直、個人的に興味もなかったし、ひとつの社会現象としてしか見ていなかったし、
その中で育った少女が独立して活動しているのをメディアで見ると、あの中に実力がある子もいるんだ
ぐらいの認識であったが、このたびある仕事でSKEのメンバーを至近距離で観察する機会があり、
いい刺激となった。

年齢的には12~13歳から、上は29歳までというのも驚く。
そして名古屋ででもすでに10年も活動しているそうで、市民にはそれなりに定着しているようだ。
先週末には、ナゴヤドームでその総選挙なる大イベントがあり、多くのファンが駆けつけた。
確かに出張帰りにみた名古屋駅の混雑ぶりはこのイベントによるものだった。

その直後、たまたまある仕事でゲスト出演していた3名のSKEメンバーと遭遇、
至近距離で生の彼女たちを拝顔するという機会を得る。
別のイベントなのに、マスコミ関係者を前に、盛り上がる話題は先日の選挙の話題。

選挙に勝った、負けた。という話題。知らないひとにとっては一瞬、何の選挙と思ってしまう。
彼女たちの話から・・
ファンのおじさんが、翌日のサイン会で彼女らに
「おれらの力が足りんでごめんね」
と選挙結果に対して、一緒に泣いた・・・というエピソードには
驚く。
AKBにはオタクのファンというイメージしかなかったが、
おじちゃんおばちゃんに人気があるとはちょっと親近感も沸く。
もしかしたら、日本のおにいさん、おじさんたちは、感動しない政治家の
選挙よりも、
体張ってがんばっているこの少女たちの選挙に対しての方が
心を動かされ、燃えるのだろう。
ちょっとその感覚がわかる気がした。

それにしても、29歳にしてSKEでがんばる女子がいたことにも
びっくり。確かにしっかりしているはずだ。
このAKBグループという社会現象により、
芸能界が身近な存在になったのは、秋元康さんの仕掛けによるものだろう。

この存在を改めて日本を元気にするには有効!ということについての
認識を持ち、さらに新たなアイデアも沸いた。
また、この29歳の子は、いつまで現役でがんばるのだろう。
なぜか、応援したい気持ちが湧いてきた。

そのうち、この中から
もうひとつの選挙にも興味を示してしまう女子が出てくるだろうか?
それは別として、
彼女らが純粋に、日本を元気にする活動をそっと見守りたい。

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transnationalな視座で生きる。

悲しいかなアメリカのニュースで、メキシコとの国境地帯で難民の親子が
引き離され、隔離された幼い子供たちが、鉄柵の中で「DADDY DADDY」、
「おばちゃんの家に連れていって」などと泣き叫ぶ光景に触れ、
こんなことが現実にあるのかと目を疑う。
今改めて国とは、国境とは何か、自国第一主義とか何かについて、
考えさせられる。
子どもを泣かせてまで、罪のない親子を引き裂いてまで、
誰かの幸せがあるのか?と思ってしまう。

先日まで受講したジャーナリズムの講座では、ずっと世界との関係づくりについて
考えていた。
世の中がネット社会となって、いつでも誰でも自由に情報を受発信でき、交流できる時代
になった。
そうなると既成概念やこうであるとされてきた枠組、そしてもしかしたら、従来の国
という枠自体にこだわらず、もっと大きな考え方で行動することの方が時代にあっている
と思えてくる。

もちろん、たとえば貿易のように、現実のモノを動かそうとすると、
そこには物流機能が必要で国をまたぐ場合、現実の国と国の話になるため、
関税の問題も避けられず、どうぞご自由にというわけにはいかないが、
発想や思想、文化、文字、言葉、音楽といった精神的なものについては、
自由に発信できそうだ。もちろんこれも著作権など関わる場合は、
別であるが、商売でなく、人と人の交流、情報の受発信と言う場合には
もっと新しい価値観でやりとりしたいものだ。

時代はNATIONALISMから、INTERNATIONALISMへ、
GLOBALISMに、そして 今やTRANSNATIONALTISM に移った。

このトランスナショナルなモノの見方では、国同士という単位ではなく、
それを越え 人々が行きかう。国を越えて自由に発想し、言動する。
同じ国籍でなくても、相手のことが理解できる、痛みがわかる、人として
内外の人と交流できる、関係をつくることができる、「世界人」の時代。

今、世の中のさまざまな地域で、これとはま反対のナショナリズムが支持を
集めている部分もあるのは残念でならないが、
情報発信する仕事をする人たちは、せめてこの視座をもち、自立した生き方を
していかねばならない。

目を大きく見開き、耳を澄ましていこう。
世界、地球にとって本当に良いことを探すには、
トランスナショナルであることを忘れずに。

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新しい仕事は、白いジグソーパズル。

新しい仕事、新しい関係づくり。
経験がないこと、相手をよく知らない場合の仕事などは、なかなか骨が折れる。
決まったことをやるのはある意味、楽だ。ルーティンワークという仕事もあり、
これはこれで大変であるが、慣れてきたら楽しくもある。

クリエイティブな仕事は、ルーティンというわけにはいかない。
自分が考えた企画、自分が提案したアイデアを具体化していくときは、
イメージ力がかなり必要で、
完成図を描き、修正しながら進むことになる。

最近、新しい相手との新しい仕事は新しいジグソーパズルであると
思うようにしている。
真っ白なジグソーパズルだ。
そこに自分のプラン・アイデアを描く。

そして、一回バラす。これが思っていた形に再生できるかどうか?
うまくつなぐことができるか?
一度ばらしたら、完成図をまず想像する。
それに向けて、いろんなピースをひとつひとつはめていく。
「むむ?これは大きすぎた」
「なんだか形が違うみたい。これじゃないな~」
「あ、このピースうまくはまった。よしよし、次は・・・」
という感じに、恐る恐るピースを手にしながら、台紙にはめ込んでいく。
最初のトライは、時間がかかる。
でも、おそらく2回目、3回目となってくると、パズルの色が変わっても、デザインが
変わっても、だんだん早くなってくるだろう。

そう、クリエイティブな仕事は、自分でつくるジグソーパズルだ。
創造力と根気が試される。
ああ、早く1枚仕上げたい!
いずれにしても、ホンモノのジグソーパズルのように楽しみたいもの。

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人災も、天災もノーサンキュー。

安心安全な暮らしを・・・と、あまりに続く人災への恐怖から
そんなことを昨日の投稿で書いたら、その後に
今度は大阪で大きな地震が・・。
休み明け、大都会の出勤時間がえらいことになった。

人災を怖がっていたら、今度は天災がやってきてしまった。
こっちもあるぞ、忘れるなと言わんばかりに。
本当に、天のプロデューサーがいるのかと思うほどに、
なぜこれまた月曜の朝に・・・。

理屈を越えて、想定外はないのだということを
今回も思わざるを得ない。

次々に襲ってくるさまざまな災いを乗り越えて生きなければ・・・・。
人生には実に、いろんなハードルが用意されていることを痛感する。
まさに、この世はサバイバルゲームのようだ。

何が起きても、落ち着いて冷静に行動しよう。

スマホに気をとられすぎていると、いざというときに逃げ遅れるかも。
とにかく、四方八方をよく見ながら、気を付けて
日々過ごすしかない。

大阪の皆様、心からお見舞い申し上げます。
1日も早い復旧をお祈りしております。

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