居場所変われども、関係は変わらず。

人生の一大事業は、親を見送ることだ。
本当にそのとおりだ。
もしかしたら、私は、母の人生を送るために、この人の子として
生まれてきたのではないかと、1週間前まで、
そんなことを考えていなかったが、
今はそんな風にも考える。

1週間前までは、目の前にいる存在。外出していても、どこかに行っていても
目の前にいる、見える存在。
今はもうそれは叶わない。
上にいる、あるいは胸の内にいる。
姿かたちは見えないけれども、確かに存在し、そして関係は変わらず。

今は、まだ時間が経ってないため、
いたはずの場所にいないことに、哀しみや寂しさも募るけれど、
おそらく、時間が経てば、新たな居場所に慣れるだろう。
人間は、そういう力をもっているはず。

母の死は、不思議なことに、
すでに、いろんな学びを私に与えてくれている。
悲しみや寂しさを乗り越えて、生きるということについて。

もう少ししたら、きっとその変化に慣れるだろう。
居場所変われど、関係は変わらず。
今は、
寂しさと悲しみに包まれている、仲良しだった近所のおばちゃんたちを
励まし、一緒に楽しく、思い出話ができるようにと思う。
今日も、母の代わりに、声をかけにいく。
もちろん、代わりにはなれないけれど。

とにかく、関係は変わらない。
そう思えば、大丈夫!な自分がいる。

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何も変わらないのだ・・と。

私の人生において、一大事が起きた。
それでも、世間は何も変わらないように見える。
駅には、町には、電車には・・・、どこもここも、何も変わらない
普段の風景。我関せずという感じで、普段の時間が流れている。

この町のどこかで、私と同じような経験に遭遇している人も多くおられることだろうが、それでも町は、個別の哀しみとは無関係に、春の賑わいを見せる。
町全体が沈んでいないことが、せめてもの救いといえる。
何もなかったように、若者たちが新しいスタートに忙しい。
ああ、みんな生きている。私も何も変わらなくていい。
そんな気持ちになる。

大切な人が長い旅に出ても、その人を忘れなければ、その人はずっと近くで生き続ける。という考え方をずっと信じている。
親友の死も、お世話になってきた大好きな人たちの死も、そのように自分のなかで受けとめてきた。

もういない、と思うとつらいけれど、何も変わらないと思えば、気が楽になる。

ちょっと留守するけど、ちゃんとやってよ。
ただ、それだけのこと。
何も変わらないのだ・・・。

今はそう思えるように、変わらない風景をいっぱい見ることにする。
私がもっと強くなれる修行のときかもしれない。



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桜散る前に、旅立ち。

告別式の朝、スマホに入っている両親と写っている写真をプリントするため
斎場近くのコンビニに行く際に、咲いていた校庭の桜。

ああ、いい季節に旅立つんだなー。
まるで、この時期を選んだかのように・・・。
プリントした写真は、妹と一緒に書いた母への手紙や、私の本やCDのジャケットなどと一緒に棺に納めた。

出棺の際、仲よくしてくださった方が、拍手と「ありがとう」の声で、
送ってくださった。
母と初めて一緒に乗ったベンツが、霊柩車とは・・・。
母は、自分の自転車をいつも「私のベンツ」と呼んでいた。

とにかく、とにかく母の願いどおりに、送りだしてあげることができたように
思う。
「お母さん、喜んで見えるよ。」
と連絡をくださった方もあり、安堵する。

そして、何より父が参列でき、最期まで見守ってくれたことがよかった。
父は突然の別れに、告別式の間、時折大声で泣いた。
「みのり愛」を歌う私の声に、父の泣き声がこだました。
長く面会できないまま、無言の別れとなってしまったが、母はきっと
父に「ありがとう、ありがとう。まさひろさん」
と言っていただろう。

桜が散る前に、母が旅立った。
81年の人生。そのうちの57年を一緒に生きることができた。
悔いなし。
母へ、心からお疲れ様でした。

※このたび、母の逝去に伴い、多くのお花や弔電、心寄せるメッセージを
お届けいただきました。母も喜んでいると思います。
私自身も、本当に励まされました。寄り添っていただき、ありがとうございました。心から感謝申し上げます。

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とびっきり、最後の親孝行。

正直、悔いはない。
自分なりに、母に全身、全力向かい合ってきたつもり。
当然のことながら、私が生まれたときから母はずっと存在していて、
この57年間、ずっと「いる」のが当たり前であった。
いつかその日が終わるとは、頭でわかっていても、あり得ないと
思っていた。
母は死なない。母は特別。
と思っていた。

そんな死なないと思っていた母が、全力で生き、そして
あっけなく生涯を閉じた。

18歳で岐阜を出るとき、引っ越しの日
「ピアノ、どうするんや。今尾家どうなるんや」
背中でずっと怒っていた、あの日を思い出す。

昨日のお通夜には、多くの方がコロナを考慮し、時間を分けて
弔問においでになった。
「わあ、キレイやね~」
祭壇を見て、遺影を見て、母の旅立ちの姿を見て、皆さんがおっしゃった。
そして、多くの涙・・・。

家族葬は嫌だ!と言い続けた母の希望に応えるカタチで、旅立ちをお手伝いできたことは良かった。
今日は、最期のお見送り。本当に旅立ってしまう。
父と一緒に送りたい。
それが、本当に最後の親孝行になる。

ひとり、祭壇の前でたたずむ。

今日は、彼女のリクエストで生まれた曲、地域の皆さんに歌い継がれている曲
「みのり愛」を歌い、旅立ちを送りたい。
抱えきれないほどの感謝の花とともに・・。



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旅立ちのお手伝い。

母との別れが近づいている。
もう2日しかない。
と思うと寂しくなる。
しかし、いなくなるわけではない。とそう心に決めた。
旅行好きな母は、コロナが収まるよりちょっと先に、
長い旅に出ることになったのだ。
と、そう思うことにした。

納棺の前に、湯灌をしていただいた。
入院中、入浴できなかったため、せっかくなので
シャンプーもしてもらって、きれいにセットして
もらって・・。けがしていたところも包帯してもらって・・
きれいに産毛もそって、お化粧もして・・・。
母が気に入っていた洋服と、私があげた帽子をかぶせてもらって
紫色のストールもまいて・・・。
とびっきりのおしゃれさんになった。
生前、こんな美しい母を見たことがなかったというくらいに
きれいになった。
ただ、言葉はない。
そこが違うだけだ。
おしゃれをして、彼女はこれから長い旅に出る。
今しばらく会えないけれど、きっとどこかでまた出会えるだろう。
と、そんな風に考えることにした。
人生は観覧車だから・・・そんな風に考えた方がいい。

息を引き取ってから3日の時間を過ごすことで、何かこの現実への向かい方が
みえてきた気がする。
本日のお通夜、まずはしっかり送る準備をする。
おいでいただける皆さまに心からの感謝を、母の代わりにお伝えする。
母が無事に、旅に出られるように。
どこへいくのかな?ダイナミックにイメージするとしよう。
と、超前向きにとらえようとする自分を、今はキープしたい。

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幸せな母の代理人。

人生初の経験が続く。
葬儀の準備をしながら、日程の詳細が固まり、親戚から交友関係筋まで
妹と分担をして、電話や訪問でこのたびのご報告。
電話口で泣き出す方、どうしたらいいかわからず母や仲間と一緒に集まっていた馴染みの喫茶店に集合され、そこで情報交換をされる方、「何か手伝えることは?」と連絡くださる方、いきなり安置室に駆け込まれて、「としこさーん」と
母に話しかける方、カルピスソーダのペットボトルを持ち込まれ「これ、としこさん好きやったんで」と、枕元にお供えされる方・・・・。
とにかくどの人も「世話になった」「この人のおかげで・・・・」「本当によくしてもらった」と、そんな言葉が出る。
母は、とてもいい人だったのだ。とみなさんの反応を見ながら、改めてその素顔を知る。母への賛辞を私が代わりに聴かせてもらっている。

そして、このように多くの方が悲しんでもらえるなんて、母は本当に幸せだと思った。
コロナ禍の葬儀は、なかなかむつかしい。
どこまで声をかけるのか・・・。
どれも初めてだらけではあるが、母にとって、母の人生はいい人生だったのだと思えたことが、うれしい。

幸せな母の代理人として、皆さまからのありがたいお気持ち、お言葉を受け留め、いい見送りをしなければ。
葬儀の日取りを少しだけ、余裕をもたせてよかった。


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あまりにあっけなく。

電話が鳴るとドキドキしてきたこの一年半。
とくにこの2週間は、いつも着信を気にしていた。
会話もしている、と聴いていたため、母は元気になり
復帰すると信じ切っていたところ、
ゆうべ19時ごろ、病院から電話。
この時間の電話は危険信号だと察知する。
呼吸も、脈も危ない・・・このままだと・・・と言われ
「すぐ来れますか?」と言われ、慌てて準備をして
名駅まで珍しくタクシーに乗り、JRに乗ろうとした。
こんな時に限って電車が遅れる。満員電車の中、
イライラしているところ、先に到着した妹が泣き声で
電話してきた。
「今、電車の中だから」と言って切ったが、もうその様子で
母が旅立ったのがわかった。
そのまま急いで病院に駆けつけた。
母の手とおでこは、まだほんのり、あたたかかった。
「お母さん、お母さん、起きなあかんて」
「お母さん、お母さん、また喧嘩するんやろ」
としばらく枕元で言葉をかけながら、
「もう楽になったね。本当にお疲れ様でした」
とそんな風に言葉が変わっていった。
人生初の、人を送るという経験。
悲しんでいる間もなく、次の段取りに追われて、
バタバタとすべきことをして、帰宅する。
戻ってから写真を探す。何かあったら・・と思っていたこの一枚が
本当に役に立ってしまうとは・・・。

反面教師と思ってきた母。でも、かけがえのない母が、あまりにあっけなく
旅立ってしまった。
コロナの影響で、面会もできず、それはちょっと本当に残念であったが
仕方ない。
悔いはないとしよう。
でも・・・。
しばらく気丈に進むとしよう。

お母さん、ありがとう。お母さん、お疲れさまでした。
ゆっくり休んでくださいね。おやすみなさい。


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コロナ禍の再見。

実家の近所の老人施設でお世話になっている父。かれこれ半年経過。
もう4か月ほど直接会えていない。
でも、そのおかげで、コロナに感染しないで無事に暮らしている。と思えば、
やむを得ない。周囲のさまざまな対応に頭が下がる。
会えなくても、懲りずにできる限り、足を運び、プリンや柔らかいお菓子を
持参し、時に手紙を持っていく。
そろそろ、面会再会か?桜の開花とともに、そんな期待を抱きつつ、
今週も足を運ぶ。
たまたま、ドアの付近の部屋に父がいることがわかり、玄関まで職員さんに連れてきてもらった。
偏食、運動不足、もう何か月もおひさまにも当たっていないせいもあり、
健康?とは言えなさそうであるが、それでも元気、安定している様子。
なんといっても、会えない間の家族は、施設のスタッフの皆さんだ。
皆さんに本当によくしていただき、父が孤独にならないように支えてくださっている様子が、父がドア越しにスタッフと会話している様子を見て、感じる。
「お父さん、お父さん、元気?もうすぐ会えるでね。もう春やで。」
傍から見たらおかしいほどに、なんどもなんども大きく手を振る。そして
「聞こえる?聞こえる?」
と何度も、訪ね、ドア越しに看護師さんが「聞こえるよね?ね」と父に言葉をかけてくれ、父は静かにうなづく。
年々、昔の元気と勢いはなくなり、ただ静かに穏やかに暮らしているが、状況は
変わっていくものだと言い聞かせる。
もう帰っていいよ。という感じで手を振ったので、父が部屋に戻るのを手を振って見送った。父も何度か、答えて手を振った。
今回は、涙は出なかった。もうこういう状態に慣れてきているのか。
今度こそ、直接会って、差し入れを持っていきたい。
手をふる。
中国語で再見(サイチェン)はさよなら、という意味ではなく、また会いましょう。という意味ですよ。と、20年前通っていた台湾で、仕事仲間に教えてもらったことを思い出す。
そう、手を振りながら、またね。またね。と言っているのだ。
まだまだ親との別れの日は来ない。と信じながら・・・つい、力がこもる
コロナ禍の再見。




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それぞれの春が始まる。

新幹線のチケット予約をいつもお願いしている店舗。
コロナの影響で、この旅行業界も本当に大変な状況で、緊急事態宣言中は
閉店している時期もあり、心から心配していた。
顔が見えないなら、声が聞こえる方がよいため、ネットではなく
電話で予約し、チケットを送付してもらっていた。
宣言も解除され、久しぶりに店舗に受け取りに行く。
名古屋に移ってからの3年、
すっかりなじみになっており、スタッフにも「いつも、ありがとうございます」
と気持ちよく声をかけてもらう関係に。
昨年からは、店舗に行くと、毎回対応くださる担当の方に、
「大変ですね。がんばってくださいね」
と、声をかけてきた。
そして、今週になってまたチケットを受け取りに行く。いつも電話対応もしてくれる馴染みの男性スタッフが応対してくれる。用事が終わりかけたころ、
「あのー、私、3月末で転勤になります。法人担当になります。本当にいつもありがとうございました。お世話になりました。」
突然、そんな言葉をかけられ、
「そうか~。ああ、もうそんな季節やね。さみしくなるね。でも、また帰ってきてくださいね。法人営業もがんばらなあかんしね。会社も大変だろうけど、
元気にがんばってください。あなたのこと、忘れないよ。えっと名前は・・・」
と話しつつ、名札を再度見て
「あ、イトウです。ありがとうございます」
こんな会話で、なんだか春を感じ、じんわりしながら、店を後にした。

コロナも影響しての転勤かもしれないな~。
でも、がんばっていれば、またどこかできっと会える。
こんな会話が、全国各地で聞かれる今週。
コロナがなければ、もっと盛大に送迎できるだろうに。
それぞれの春。
今日は京都で、新たな春を迎える人たちとも会える予定。
どんな言葉を送ろうか、とびっきりの笑顔で・・が良い。

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五感が目覚めるゴーアウト。

緊急事態宣言も解除されてか、町に人があふれ始めている。
季節性もある。冬眠、巣ごもりから目覚める春でもある。
リバウンドにつながる密集地への外出は見合わせたいが、
リサーチ兼ねて脇道の町歩きは、おすすめだ。
いいアイデアが出ないとき、 何か違う目線で物事が欲しいとき。
ちょっと風に吹かれてみる。季節の変化を感じながら、体内の空気を
入れ替える。
図書館に行く、本屋に行く、ただひたすら歩く。
たとえば女性向けの企画を考えているときは、女性が集まっているお店に
出向き、うろうろする。女性の心理と行動を観察する。但し、密集の中には入らず、脇から眺める。観察をする。並ぶ人の心理を想像する。
お店を彩るPOPや、ポスター、デジタルサイネージから、町をゆく男女の
ファッションまで・・。あるいは人々の会話まで・・・。
その時々のテーマに合わせて、それにつながる世界を、ソーシャルディスタンスでウォッチングする。
マーケティングリサーチのひとつとして、
30年前は、海外に出向いて、日本にはないものを探してきた。
あの頃の感動は今も忘れない。そう、出会い、発見に感動があったのだ。
今はネットで多くのモノ、ことが探せてしまう。でも、あくまでも二次元の
モニター越しの世界である。手を触れることはできない。味わうこともできない。カンタンにみつかることに慣れてしまい、感覚もマヒしがち。
検索することがリサーチの全てではない。
五感で感じる感動は、直接見る確かさは、ネットで得る情報とは大違いだ。

だから、今でも企画に困ったら、外に出る。
ひとたび市場に出れば、何かを得ることができる。

中に籠って、パソコンでの企画も便利にできるが、
感じる時間を大切にしよう。偶然の出会いも楽しもう。
感じることは、ヒラメキに通じるから。
今日も、わずかであっても、時間をみつけて、ゴーアウト。
道に咲く桜との出会いも楽しみながら・・。

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