応援してくれた人たちとの別れ。

父の従兄・・・「いとこ叔父」と言うそうであるが、いつも
「〇〇(地名)のおじさん」と呼んでいた。
父と同世代であるので、80代後半。
(父も生きていたらこの秋で89歳・・)
私が子どものころから、時折自宅に顔を出しては、
「元気にがんばってるか?」「まーこ、がんばれよ。」
とピアノやエレクトーンの練習に励んでいた私に
いつも、エールを送ってくれたおじさん。
人の話を傾聴できる、尊敬できる貴重な人であった。
「そうか、そうか」
今、思い出しても、笑顔で頷いてくれた優しい顔を思い出す。
高齢になり、自由に動けなくなり、だんだん会える機会も
なくなり、何年か電話で話したきり・・・・。
いつか、出前コンサートをしてあげたいと思っていたが、
いつか、は来なかった。
この7月に亡くなったとの報せをこの週末に聴く。
親たちがいなくなると、親世代の人々の動静はわからなく
なる。
訃報を聞いてから、改めて優しかったこのおじさんのこと
を思い出す。
ほんとうに、いつも励ましてもらっていた。
応援してもらっていた。
地元のコンサートへも何度かきてもらった。

お供えのお花にメッセージを添えた、
「いつも応援していただいて、本当にありがとうございました。
感謝を込めて・・・」

会わねばと思う人とは、やっぱり会いに行っておかねば。

私にはありがたい叔父さんたちがいる。
小さい頃から応援していただき、大きくなった。
おかげさまの人生。
ひとりづつ、ひとりづつ、と別れなければならないのが
なんとも切ない。

今回の訃報を届けてくれた叔父からは、従兄の死(叔父にとっては
従兄)ことを伝えたあと、「虚しいです」と一言。
この一言への思いは、言葉にならない。

熊田のおじさんに、心から感謝を。

今は、父母と再会して、わいわいやっているだろうか。

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