「平和」と言わなくても良い社会を

お盆はもともと仏教の行事であり、さらに日本の
祖先を祀る伝統的な習わしが一体となり、
現代にも続いているが、それが真夏でもあり、
お盆休みとして、全国隅々に定着している。
日本固有の夏の歳時記である。
年末年始とお盆が日本の二大休暇。

お盆は実家に、故郷に戻って祖先を思って
お参りしよう。というのが一般的である。

そして、80年前このお盆の時期に、終戦を迎えた。
戦争で命を奪われた方、戦争体験をもつ
先人への祈りを込める日にもなった。

今年もその終戦記念日を迎えた。節目の年だ。

この日は大阪にいたが、大きなお寺の参道では
縁日のようなイベントもされて、寺町に賑わいを
みつけたが、お店が立ち並ぶ現代的なエリアでは、
とくにお盆を意識した取り組みは少ない。
人混みの夏休み。

若い人たちは、いつお盆の意味を知るのだろう。
8月15日が何の日が知らない人もいるのではないか。
若い人が集まる難波や心斎橋を歩きながら、
お盆や終戦とは無関係の時間を過ごす人々を
見ながら、いろんなことを考える。
ふるさとに帰らなくても、お墓に出向かなくても
良いけれど、この日は親のこと、その前の時代を
生きた人たちのことに心を寄せてくれていたら
いいな。

20年後、終戦記念日はどんな日になるのだろう。
間違っても戦争に関わることになっていては
ならない。

一昨日他界された千玄室さんは、
特攻隊の経験から、絶対に戦争はしては
いけないと、戦後は、茶道を通じて世界平和、
交流を続けてこられた。
「平和という言葉は本当は好きではない。
戦争が歩かれ、この言葉がある」という
ことも言われていたそうで、平和と言わなくても
良い時代にならなければならない・・・。
おっしゃるとおりだ。
昨日は、半年ほど前、お元気な姿をお見受け
し、その存在感に強い印象をもった千さん
のご冥福を遠くで祈りながら、平和という
言葉が要らなくなる世の中の到来を祈った。

今日は京都は五山送り火だ。
お盆もクライマックス。
普段通りに過ごしながらも、心は先人に親たちに
改めて感謝の祈りをささげる。



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