今年春に上海で亡くなった、台湾生まれの親友。彼女への想いを曲にして、先日からスタートしたライブで歌っている。この作品をいつか彼女の旦那さんに伝えたいな~とぼんやり思いつつ、その手段を考えていたところ。夜中に1本のメールが入っている。アドレスは今はなき親友自身のメール。瞬間、彼女が実は生きていたのかと目を疑った。すると、その英文のメールは旦那からだった。へ?何?このタイミングは?メッセージには来週、来日するのでぜひ会いたいという内容。覚えていてくれたんだ。彼女が旦那に天から呼んだのかな?
彼女なしでお会いする日が来るとは思ってもいなかったし、それは寂しいことであることに変わりないが、彼女の命を彼がそのままあずかっているのだとも思えば、一緒に来日するような気持ちで迎えたいと思う。「ANNEソロジー」を伝えたい。彼は何と言うだろうか。いいお土産になればいい。とにかく、このタイミングとは不思議で仕方ないが、やっぱりつながっている。思えばなる。笑顔で再会しよう。人は人といろんな糸で結ばれている。ANNEと私は七色の糸だったのだろうか?とにもかくにも、まったぐ偶然では片づけれられない距離感に驚く。
何色の糸で結ばれている?
市場は最高の観光地、そして学び場
仕事でよく築地界隈に出かけるが、普段は時間がないため場外市場を歩くこともなく、ただ道路でやたら観光客らしき人、外国人が多いな~と遠目に見ていたが、たまたま時間があり、市場の中を通ってみる。月曜の午前なのに、なんだこの賑わいは!と驚くほどの盛況ぶり。
年末といってもまだ師走でもない、おせちでもないのになぜ?見るとほとんどが観光客であり、アジアからの観光客よりも欧米人の散策ぶりが目に飛び込んでくる。いやー、築地は今や東京有数の観光地とは聞いていたが本当だ。各店には「NO PHOTO」と英語のPOPから、英語のメニューもあり、また接客も英語という店も少なくない。またなんといっても試食がさかん。まずは食べさせる。海外のマーケットもよく歩いたが、試食をさせてくれる店は少ない。日本はやっぱりおもてなしの国なのか、珍しい食品が多いため試食なしでは売れないせいか、とにかく玉子焼やほたてまで試食させてくれる。大盤振る舞いの市場である。
混雑する狭い通路を、搬入用の車が入ってくる、そこはまさに市場という感じで、緊張感もある。調味料や乾物を扱うお店に入ってみた。やけに空いている。「久しぶりにここへ来ましたけど、昔に比べてすごい人ですね。観光客ばかりですね」と店番をしていた男性に声かけてみるとその人は「そういう人たちには来てほしくないんですよね。」と意外な返事。市場を利用するのはプロであり、地元の人であるべしという考え方だろうか?確かに一見地味な調味料のお店だと観光客や海外の人が押し寄せるということもなく、恩恵が少ないのかもしれない。
アメリカでよく見る巨大な体格の男女が半袖で歩いていた。どこから来たと聞いたら、アラスカの近くだと言った。向こうは厳しい寒さなのに、まるでリゾート感覚で市場散策か。
私も実は海外に行くとマルシェを見るのが好きだ。そこの国の食事情がよくわかり、自然と人の関係もわかるからだ。それにしても、月曜の午前のあの賑わい。ここだけアベノミクス?
ちょっと惑ったがおもてなしが光る素敵なNIPPONを発見。東は築地?西は錦?やっぱり市場は面白い。
東京ライブレポートアップしました
さる11月14日新宿ミノートル2で開催した愛の元気人ライブIN TOKYOのレポートを
公式サイトにアップしましたので、ごらんください。
ナポレオンに会いたくなる日
時々、会ったことのない、今は存在しない人にも会いたくなる日がないだろうか?
私はある。あるときは、ベートーベンと話してみたくなり、あるときはマストロヤンニにも
会いたいし、イブ・モンタンやピアフにも・・・。
それぞれの世界と重なる自分がいるとき、その人だったらどう考えるだろう?どんな言葉を返してくれるだろうかと勝手に想像することで問題が解決する、豊かな気持ちになれることも
ある。最近は、人間の力の限界について考える。高齢になると肉体的な衰弱は否めないだろうが、気力があればそれを乗り越えることができるのではと思ってもいるが、「わが辞書に不可能という文字はない」と言っていたらしいナポレオン、実際はどうだったのだろうかと最近、興味深く思うことがある。不可能と思えば、やっぱりできない。失敗すると思えば、うまくいかない。できると思い込み、自分を信じて行動を興せば、自分の意志がある限り、可能になるのではないかと思いたい。
もちろん何を可能にしたいか。という夢の持ち方もポイントである。
が、世の中、正しいこと、適切なこと、そして善意に満ちていることであれば、願えば必ずかなうのではないかと信じたい。
島流しになり、生涯を終えたナポレオン。パリのパンテオン内にある棺を思い浮かべながら
彼の言葉も思い出してみる。ところで、ナポレオンというブランデー、最近聞かないな?
セブンティーンの花束
誰かが自分のことをずっと覚えていてくれることは、この上なき幸せだ。たとえば誕生日のケーキに年齢分のキャンドルを立て、お祝いしてもらうという習慣は大人になるにつれ、なくなるかもしれないが、自分の記念日、年齢や活動年数を自分以外の誰かが記憶してくれていることは最上のギフトだと思う。ライブのとき、バラの花が届く。またもってきてくださる。花束とはかわいいラッピングのブーケになっているとか、それが大きいとか、種類豊富というだけでなく、その1本1本に意味を込められているという場合にも感激する。
今回いただいたバラの花。17本のバラ。独立16周年を過ぎ、17年目を走り始めているからという意味のようだ。自分のことをずっと見守っていてくださるから、ここまで気がつき、また気が利くということなのだろう。粋というか洒落ているというか、さすがの感性。最初はやけに大きなバラの花束だな~とその大きさとダイナミックさに感動していたのであるが、持ち帰り、じっと見ていたらその意味がわかってきてこみあげるものが・・。
送り主は会社員時代の上司と、その時代からお世話になり今もずっと応援してくださっている方。いつも花束をもらってばかりだ。このセブンティーンのバラの花束に、17年前の自分を思い出し、1本1本にその後の自分の1年1年を重ねていく。いつも見守られ、支えられ・・。じっと記憶され、ずっと愛されることほど幸せなことはない。17本のバラは、百万本のバラよりも私には価値がある

予習、復習されるお客様
先日岐阜のライブのあと、ご参加いただいたお客様から「CDを聴いて復習しようと思います」
というメッセージが入る。そして東京ライブの前夜(夜中)に、「明日の予習をしました。『夜のグラン・ルー』が大好きです」というメールも朝目覚めたら届いていた。
ライブに来ていただけるだけでも大変ありがたく、その上、お誘いありがとうございますと
喜んでいただき、また予習復習までもしていただけるとは・・・。
そう、どの方にとっても貴重な人生の時間をいただき、共有させていただくのだから、その時限りだけでなく、長く余韻が残るように努めなければならない。
・・・と、真面目なお客様に支えられ、東京ライブも無事終了。今回はROMANTIC Pにとことんこだわり、いろんなロマンチック~を私なりに表現。それが伝わっていたなら、企画者としてもうれしい。今日のライブからまた復習していただける方がいたら、うれしい
どこでモノを見るかですべて違う。
上海在住の知人と数年ぶりに会う。意図的にも、意識的にも何年か中国へ足を運んでいなかった間に上海は変わったという。私が足繁く通っていた時代に比べて、落ち着いたという。
格差も昔ほどないと言う。日本のメディアが報じているほど、中国はひどくない。と知人は言う。言論統制、ネット制限などあるように思っているが、そんなのはない、みんな自由に国のことをときには批判したり、自分の意見を言っているよ。と言う。本当?と思わず思ってしまう。
香港の問題についても、あまり気にかけていないご様子だ。香港は香港で解決するでしょうという感じだ。さすが大国に住んでいるせいか?
どこに住み、何を見て生きているかによって、モノの見方は変わってくる。
彼女は、日本に留学もし、単身赴任で生活もしてきたから、中国だけで日本を見ている中国人とはかなり違う。日本のいいところもよくわかっているのだ。どうやら娘さんも日本人と結婚した。お互いの国の違いを理解しているからこそできる国際結婚だ。
何事も知っている、体験していると、世界を俯瞰してみられるのかもしれない。
しばらく、中国に対してちょっと懐疑的な自分であったが、そればかりでもなさそうだと
少し見方が変わった。おそらく、彼女は少し昔の表現を借りれば、中国社会で勝ち組で生きてきた人なのだろう。両国の良さをわかっている人が両国を結んでいかねば。
国同士がどうであれ、友情は変わらないものだと思い、また時間を経ても国民性は変わらないものだとも痛感。
ふるさとライブのレポートを公開
さる11月6日岐阜で開催されました、愛の元気人ライブツアー IN ぎふ(ふるさとライブ)
のレポートを公式サイトにアップいたしました。
愛の元気人ライブツアー IN ぎふ
http://mahsa.jp/mclubf10.html
引き続き明日11月14日は東京で開催いたします。
64歳の新たなスタートに心からエール
仲間からの紹介で知ったある居酒屋のご主人。大の野球好き。巨人ジャイアンツをこよなく愛し、またご自身も地元で野球チームの監督をされ、世話役をされている。
いつも明るく、でもどこか哀愁をおびている横顔が気になるところもあった。話し始めると人生は野球だ~といった持論を交え、真面目な生きざまを語ってくれたり。。。。初めて会ったときから内側から伝わってものがある不思議な人。一見、どこから見ても健康なのに、実は大手術をし、その後セルフコントロールしながら、自分の命が長持ちするように自重しながら、大切に生きておられる姿に頭が下がる。
そのご主人がこのたび、長年営業されてきたお店をたたみ、転職されるという。
閉店前にどうしても、あいさつがしたくて訪れた日、他のお客さんもおられず、今後のことを少し語ってくれた。「今はいえないけれど、1年後に、これまでお金がないから結婚できないと言っている若者たちに、うちへ来いよ!といえるように、がんばりたいんです。それが私の次の夢ですね。なんといっても人生80歳ですから。これからです!」なんて、語ってくれた。
お会いしたのはわずか3~4回。たまたまアンチジャイアンツだと知らずつれていったお客さんもありで、いろいろあったけれど、私のラジオ番組に出ていただいたときのトークは最高の元気人で、リスナーからも大好評だった。
この日本社会では、64歳だといえば定年で、ややもするとこれからの人生を惑う人もおられる今日、今から目を輝かせて、がんばろう!とされているその横顔はあまりにまぶしく、素敵だ。
この方に出会えて、病気と闘いながら生きておられるその強さを見て、自分の未熟さ、甘さを痛感する。サダオさんのネクストステージに、心からエールを送りたい。またお会いしましょう。長年の居酒屋人生、本当にお疲れ様でした。
頭が低いか高いか。
ある営業マンと、年輩のおばちゃんたちとの会話をたまたま耳にする。前の営業担当がどうだとか、こうだとかそれはそれは細かく観察をされており、営業とはいつも見られている大変な仕事であることを痛感。「あの子は頭が低いでいいわ。いつでも低い」この頭が低いというのが好印象になるかどうかの決め手のようだ。一方で、ああいえばこういう というタイプはどんなに頭が良くても、筋が通っていても嫌われる傾向にあるようだ。生意気に見えたりするのは絶対☓のようだ。とくに新入社員などは上司にもお客様にもいかに「はい」と気持ちよく言えるか、素直のままでいられるかがポイントだ。お客様の自宅に伺ったとき、鞄は地面に置かない、玄関に座らせていただくとき自分はくつを脱がなくても、そのお宅の家のくつをそろえる・・などとにかく見られている、見られている。初めてお会いする人から見た自分の印象は?と思わず、襟を正してしまう。とにかく頭は低い方がいい。それは確かにそうだ。
がんばれ、若き営業マン!おばちゃんたちはきっと彼らを鍛えてくれる。