「モテルオトコ」の時代、到来。

間もなくフランクフルトで始まるインテリア、雑貨、日用品のに総合見本市に出展する企業さんが、展示商品の見本が完成した~と、出来立てを見せにやってきてくれた。出来立てのホヤホヤを「なんとか間に合った~」と雪の中、駆けつけてきてくれたことに感激する。そうだ、この商品シリーズを開発する際、NYの市場調査をお手伝いしたり、いろんな関連商品のデザイン情報をお伝えしたり・・・この何年間かの応援が懐かしくなる。
この会社では、曲げ木の技術を使って、こだわりの小物を企画制作している。すでに万年筆ケースなどは内外のショップでも展示販売され、話題を集め、そこの社長はこの商品シリーズのブランド力を高め、世界で通用するモノとして育てたいと意気込む。
そして今回見せてくれた新商品は・・・。昨今、男たちの行動が変わったことに対して必要な小物である。その昔、男たちは仕事での外交時以外、バックを持ち歩くことは少なかった。とくにおしゃれな人ほど、手ぶらで歩く~のが普通だったのでないか?まさに手ぶらがスマートだった時代。
財布が長財布になり、スマホが必需品となった今、男性も手ぶらではすまなくなったようだ。先日、アメリカでi-pad専用バッグを見て、そうか~そんな時代になったのかと
思っていたが、さらに・・・ということらしい。ライフスタイルが変わるなかに、モバイルスタイル(移動様式とも言おうか?)が変わる。ということが含まれ、そこに新たな需要が生まれる。ニッチといえば、ニッチであるが面白い。
「へ~、そんなカッコいいの、誰が持つの?」「そうですねね。たとえば、いつも高級車に乗っている人が車から降りたときにさりげなく持つ・・・・・そんなシーンかな。」なるほど。
具体的な使う人の顔から持ち物から、極端な話、飲むお酒まで・・・とかなり細かくそのイメージするターゲットの暮らしまで、かなり詳細に浮かぶ。マーケティング上、そこは大変大切なポイント。この商品の反応が楽しみだ。
個人的には、いつも何かと持ち物の多い自分の荷物をもってくれる男性が好きだが、これからは、自分の持ち物も増えるためどうなるか、そこまで気が回らなくなるかも?」モテルオトコがもてなくならないように、見守りたい。

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「移動式元気カフェ、本日営業」

ある仕事仲間より、1通のメール。「今日20時すぎお時間ありますか?よかったら少しお話ししたいのでお茶でも飲みながら・・・いかがでしょう?」彼女からのプライベートな誘いは初めてだ。ちょうど、さきほど会食キャンセルもあり、ホテルで仕事をしていたので、「はーい、お待ちしております」と返事をして、来訪を待つ。
「急にすみませーん」と申し訳なさそうな、でも笑顔で目の前に現れる。きっと会わない10日ほどの間に、いろいろあったか、あるいは何か私に言わねばならないことがあってかわからないが、ともかく1日ハードな仕事に疲れているのに訪ねてくれるとは嬉しい気持ちにもなり・・。
コーヒーを飲みながら仕事のことを話し始める。「実はなんだか疲れてしまって、元気もらいたいなと思いましたので、連絡しちゃいました」と話してくれる。
私自身は、この意外な一言がとってもうれしく、仕事でのおつきあいという関係だけでなく、人と人として、なんだか彼女との距離がより縮まった感じがした。年度末に向かい、次の1年はどうなるのかわからないが、一緒に行動した2年間がとても懐かしく、仕事そのもの、それ以外の寄り道や世間話の思い出も雪空にキラキラ光る宝物のように思えてきた。
「何もないけど、元気あります」そんな看板でも出して日々生きる。先の原稿にはジプシーと書いたが、あわせて「移動式元気カフェ」が潜在職業かな?そういえば、その前日もある方から「マーサからのメールで元気出ました」なんていう言葉もいただいていたな~。そんなことを思いながら、翌朝から雪の1日、越後の町々をフルに移動、いろんな方に会い話をし、話を聞き・・・無事ラジオの収録も済ませ、新幹線に飛び乗り、元気カフェも営業終了。このカフェは営業時間、かなり長いかも・・。

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雪国ジプシーは今日もゆく!

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予定変更した1週間という時間は、ある意味予想もしなかったギフトの時間であり、また思索の時間でもあり・・。1週間に久しぶりにお会いした、いろんな方々との会話を振り返ってみると、やっぱり自分にはじっとしている・・・暮らしは似合わないし、やっぱりいつでも動いている~風の人~が良いようだ。誰かに新しい風を送ったり、メッセージを発したり・・。そんなことが人様にとっての自分の存在感のようである。
いつでもそこにいる。それは場所の問題ではなく、親しい方々の心の中にいつもいる、そして体はどこかを舞っている、飛んでいる・・・のが私らしい・・ようだ。
また始まった1週間。まずは雪国への行脚からはじまる。いつもそこに根を生やさないように、ジプシーのごとく?いくとしよう。
立ち止まってわかるのは、立ち止まり続けることはしんどいということ。
本当に、前世は何者だったのだろう?と想像するのも楽しいことだ。
それにしても今年の最強寒波といわれる日に新潟県内を行ったり来たり・・。吹雪にも負けず、積雪にもころばず。
雪国にジプシーとは聞いたことがないが、なんとなく逞しくなりそうで、今日は雪をかき分け、新潟~長岡~新潟~東京。
写真は新潟市内のホテルからの1枚。これぐらいは降っていないと同じ。という感覚になってきたのもうれしい。

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文字や言葉で想像する力を

便利な世の中になればなるほど、欲しいモノ、情報すぐ手に入る代わりに、人はだんだん考えることをしなくなるような気がする。
すでに制作したザビエルの歴史や影響を今さらのように調べたくなり、久しぶりにネットを断ち、読書する時間が必要だと思うようになる。あるいは騒音のない静かな空間で瞑想するのも大変有効だと感じる。
たとえば、遠藤周作が残した数々のキリスト教に関する書物。信者でないという理由から若い時代は読まなかったが、長崎やポルトガルに興味を持ち始めてから問題意識をもって
それに関する情報が欲しくなった。しかもネットで簡単に検索できる情報ではなく、深い意図をもって練りに練って表現されたその描写に触れたいと思うのだ。
そして、緻密な取材、調査にもとづき描かれているであろう、キリスト教弾圧の数々の場面を読むにつれ、現代社会が今まさに争っている世界と重なって見えてくるものがあり、
信仰とは、神とはいったい人間にとって何の意味があるのか?ということをいやおうなしに考えさせられる。文字、言葉で綴られたその描写があまりに残酷で、でもそこを読まなければ日本人がやってきた惨たらしい過去の蛮行に触れる機会もない。意識がなければ、そのことを知る由もなく、単に見た目の情報だけで人は浮遊するようになる。
書物は大切だ。もっとももっと大切なのは現場を見聞きすること、現場を知っている人から聞くことも有効であるが、その経験は限定的であるから、時間空間を越えて多くの学びをくれる書物は大切にしなければならない。
想像力が欠如する、あるいは減退しているのが現代社会だ。想像力があると創造ができる。制作もできる。どうかこの短絡的で直線的すぎる世の中ではなく、もっと想像することを楽しめる暮らし・・。もっと本を読もう。できればペラ、ぺらっと1枚づつページを捲りながら、紙に向かう時間。
それにしても、言葉、文字だけで人間はさまざまな世界を表現できるものだ。音楽も然り。想像力をもっともっと養おう。その究極は妄想かもしれないが、プラスの妄想は歓迎すべきものだと思う。

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「暗号ネーミング」でハッピーコミュニケーション

ちょっとしたことで、コミュニケーションがより楽しくなるということがある。たとえばビジネスマンとの会食の場合。といっても、まだ気ごころ知れていないと、最初は難しいが、親しくしている方との会食には、それぞれ名前を付けたりすると面白い。たとえば、
ある企業の方とは、普段は大勢と会食することが多かったので、たまには「さし」でミーティングしましょう。ということで、「さしミ」と命名。その後、その方と「そろそろ、さしミを」となれば、会食しましょうか。という合図でもある。一方、私もそうであるが、年々?さっぱり系の食事がいい、もっといえば、蕎麦が好き!というMENも増えてきており、また近所にお好みの蕎麦屋があったり、その町が蕎麦どころだったりすると、蕎麦で会食ということも増えてくる。それを「あなたの蕎麦DE サミットしましょう」
とお誘いすると、なんだか誘う方も誘われる方もうれしくなって、思わず「あなたのお蕎麦でお蕎麦だよね~」というでれっとした声をかけてもらったりするのも、両社の関係良好維持にかなり貢献する。わが家ではなんでも名前をつけて、他人様がきいたらわからないような言葉が暗号のごとく通用している。たとえば「カチカチ」。これはズボンに入れっぱなしになって洗濯機に入れ忘れたカチカチに固まったハンカチのこと。よく出し忘れるので、使ってそのまま放置してあるハンカチは「カチカチ、また出てきた」という具合に会話する。ちょっとしたことをネーミングすることで、怒りがおさまったり、わくわくするのがいいのではない?と、書きながら、こんなたわいもないことでもうきうきするのが幸せだ。

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「旅人でいてほしい」、というリクエストに

2~3年ぶりに再会した高校の同級生。音大を出た彼女は、岐阜に帰らず東京で会社経営をし、また教育活動にも文化交流にも熱心だ。
17歳の時、二人で青春切符で高山まで旅したことが今でも、懐かしい。
会わなかった時間に起きたことをいろいろ報告し合う。お互い別の道を歩んで30年以上経っても女子高生のようにわいがやな感じで話す。
「これからの生き方を模索しているんだわ」、というと「まあ子(高校生時代の呼び名)は、旅人で生きて欲しいわ。私たちが行かないところへ行っていろんな人の暮らしを教えてよ。そこに音楽もあるというのがいいよね。」と、昔、毎週日曜の朝、テレビでやっていた兼高かおるさんの番組のような事だという。「そうね。やっぱりジプシーだよね。でも動き回るにはいろんなパワーがいるから、それも常に備えないとね」と答え、そうか~と自分の将来に想像を膨らませてみる。
たまに会う時しか話さない、とそんな関係ではあるがそれでいい。お互い会うときは夢多き乙女になれる。私の関心テーマにも共感してくれるのは、一緒にクラシック音楽を学びながらも違う道に行ったという共通点もあるせいだろう。彼女が豊島園で営むドイツカフェで瀬戸内のレモネードに癒されつつ、自分の夢をまた膨らませる。旅人として生きるか。せめて心の中はいつでもそうありたいと思ってはいるが・・。

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時間割変更でご無沙汰解消

NYの仲間よりメールが舞い込む。「今回のキャンセルは正解です。ゆうべから降り積もった雪をやっと雪かきしたかと思ったら、次々と激しくまた降ってきて・・・ギフトショーに行く予定でDCから帰ってくる娘も中止しました・・」悪天候、便の欠航の可能性、この世界情勢とそんななかで不安定な体調・・・ということからどたキャンしたNY行。1週間不在の時間が戻ってきた感じで、急きょ、国内での予定を組みなおす。
普段であれば、国内外限らず、まず出張が優先になり、レギュラーで会う仕事関係の方が優先であるため、「時間が合ったら会いましょう」という約束になっている人々とはなかなか一度に会うことが難しい。が、今回はどこまで普段の不義理を解消できるかも含め、次々とご無沙汰している方にコンタクトし、どんどん予定を入れていく。もちろん急にはお会いできない人もいるが、OK即答の人も多く、あっという間に不在であったはずの1週間の予定が充実したものに変わる。さらに、いつも後回しにしていることもどんどんこなしていける。「この人に会う」という1枚のパズルがたくさんたまっていたが、それぞれのピースが自分の時間に組み込まれていく。
予想していなかった充実の1週間が進んでいく。冬はトラブルも多いけれど、その結果得られるラッキーもある。どんな事態も自分次第で楽しく過ごせるのがうれしい。
ご無沙汰だった方々と急遽連続面談でき、不義理も果たせてなんだかすっきりする。そしてもちろん行ってやるはずだった課題もできる限り片づけなければ。
時間割変更で、当初とは違う経験を積む。これもまたよし!ニューヨークの列車事故の報せに、上記のメールの知人はそこに乗っていないよな?・・・とふと気になりながら。。

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売れる本、好きになる本。著者の志も評価軸

最近、急にブレイクしているように見受けられる、フランス人経済学者のピケティ教授。
「21世紀の資本」という著作で、経済格差を生み出すのは労働による賃金でなく資本であり、この資本をもつ富裕層への税制改革こそ、格差是正にはまず必要だ。ということを書いているらしい。これまで格差といえば、目先の給料、労働による所得が問題になっていたが、確かに長き歴史を振り返ってみれば、本当のお金持ちとは、働かなくても食べていけるような地主だったりしているわけで、素人の私にもなるほど、と思う部分が多々ある。まだ解説やインタビューにしか触れておらず、本書は読んでいないが、長い年月をかけて世界各国の税制を調べてこられたというその緻密さと地道な姿勢に頭が下がる。そして、この教授は、今回のこの出版を通じ、経済学というのは、一部の専門家が議論するものだとされてきた・・というこれまでの常識を変え、より多くの人が経済学に興味をもち、意見をもてる、その議論の材料になればいいと思っている・・・という発言をされた・・実はこの点に共感を抱いた。
本とは、確かに人々の刺激になったり、議論の素材になったりするものが良い。人々に問題提起をし、読者が考えるという行為を促進させてくれる本こそ、ホンモノだ。ただ700ページの本を持ち歩く気にもならず、重い本はインテリアになりがちなので、こういうものこそ、電子書籍に向くのかな?この教授の自然な語り口が著作への興味にもなる。動機がいい、志が高い、そしてどこかに庶民的な空気を漂わせている点も興味あるところだ。いずれにせよ、よくある一過性のブームにならないように願っている。本書はうーん。一般向けというならばもっと薄くて分冊にしてもらっても・・・いいのですが・・。

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同次元では解決しないこと

親がおかげさまでとても元気で、今だに電話でも、顔を見ても親子喧嘩をする。まあ、一種のスポーツかレクリエーションという感覚かもしれないが。昔は親という圧力になかなか勝つことができなかったが、今はこちらは理屈で返すのと、鍛えられたおかげで口で負かしてしまう・・こともあるが後味は良くない。激しい言葉と言葉は次第にエスカレートして、その過程は決して爽快ではない。そしてあとで、大いに反省をする。ああ言い返したらダメなんだ。もう年寄りなんだからいじめたたらダメだ・・と。「ああ、そうなんだ~へえ~。それで~。そうだね。でね・・・」とやんわり、やさしく対応すれば、ケンカにならず素直に聞いてもらえるということに気づく。と、親子喧嘩はまあいい、根っこがつながっているから根本的にはなんとか着地できるはず。しかし、国と国はそうはいかない。これは自国を守るための外交である。共存共栄であるが、まずは自国を防衛し、発展させるためにいかに他国とつきあうかということだ。だから、よっぽど考えてコミュニケーションしないと解決なんてしない。目には目を、歯には歯を。では仲良くはできない。
自分が理解できない難しい相手であればあるほど、同じ次元でやりあっても何も通じないはずだ。今回の一連の事件のことについて「もしも」と考えてみる。もしネットがなかったら・・よかった。そして、誰も騒がなかったら、自分が自分が~と言わなかったら、どうなっていただろうか?同じ土俵に乗っていいのは、同じベースがある、同じ条件で向かい合える相手の場合。そうでない場合は、同じではないステージで粛々と・・・ということも必要なはずだ。また表層的なパフォーマンスは感動を生まない。
ネット社会はいろんなものを同質化し、人間の感覚を狂わす事もある。

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拡散する社会に、あえて目を向けず

どんな情報も画像も動画も、瞬間にして世界に向け、広く発信できる時代。何の予告もなく、一方的に匿名性をもって。。顔の見えない無責任性もつきまとう。
情報には蓄積されるものと、拡散されるものがあるが、最近はネット社会により、拡散が容易だ。その善悪を問わず、情報の質を問わず、クリックひとつで拡散できてしまう。
恐ろしいとしか言いようがない。と思っている。
ニュースといわれるものも、もともと存在していたマスメディアだけでなく、それらは今やニュース源としてミドルメディア、パーソナルメディアと言われるものに転用され、人々が目にするニュースは実は記者がきちんと取材したものではなく、あたかも・・・というものが多くなっており、またネット上で見つけた情報を記事にするマスコミもあり、ホンモノのネタをみつけるのも難しい時代だ。
そしてその結果、どこへ行っても同じような記事がころがっている。不気味な感じさえしてしまう。
テロに関するニュースは、もう見ないと決めた。その動画も、画像ももう見なくていいではないか。チャンネルを変えたり、ページをめくったり、閉じたり、クリックしたり・・。
見ない、聞かない、読まない方が冷静に考えられるときもある。自分の冷静な思考が妨げられないように。心の中がざわざわする今日、情報にのって自分自身が拡散していかないように、しっかり地に足を付けている必要がある。改めて、拡散社会は情報の生ごみ箱のようだ。恐ろしいとも思える。

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