きっついわー、母の日。

母が旅立って、1か月が経った。
こんなに長いひとつきがあったのかと思うほどに、
わが人生でもっとも濃厚な、また非日常も非日常、経験のない
時間が進んだ・・・。
四十九日まで、なんどかお寺に足を運び、お参りをする。
ほぼ毎週、紫色の花と好きだったものなど、お供えを携えて
伺う。
あと何回、あと何回と思っていたが、もう1か月が過ぎた。
その四十九日の法要について、お寺さんと相談して日程を決める。
たまたま5月9日となった。連休後か~と思っていた。

その後、町なかを歩くと、母の日の催事が賑やかになっている。
母の日・・・。
気が付けば、その四十九日に決めた日が、母の日だった。
いやー、たまらんなー。
赤いカーネーションのディスプレイや、デパートの大きな
サインなどを見ると、目をそらしたくなる。
毎年、何かしら必ず、プレゼントしてきた。
今年は、今年からは、贈りたくても贈れない。
・・・こんな風に、母親を亡くした人にとっての、母の日は
とくに亡くなって1年経っていないなかでの、母の日は
なかなか・・・である。
白いカーネーションを・・と言うけれど、赤に対して、白
と言われた段階で、悲しみが増すだけだ。

もっと違うカタチで、母がもういない人のことも考えた母の日の
在り方を考えてほしい。と思ってしまった。

いやー、連休明けまで、華やかなお店に行きたくないな~。
過去の母の日を思い出すのが、つらくなる。
と、思う人は私だけではないはず・・。

楽しい気持ちのときは、プロモーションもいいけれど、
催事も時に、考えものかも・・・。
もちろん月日が経てば、感じ方も変わってくるだろう。
今はそれを待つのみか・・・。

母の日は良いとして、毎日その存在のありがたみを感じながら
自然にこの状況に慣れていこうと思っている。


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応援、応援、応援!

コロナの影響は、収まる様子もなく、さらに大変な状況に進んでいる。
観光地長崎で長年、伝統工芸品(べっこう)を自ら製造、店頭販売してきた
知り合いの夫妻が、観光客も減って、しかも高齢になり、先行き不透明。
やめどきが大事だと思い、今、店じまいの方向で具体的に考えているとのこと。
周囲の店舗も、シャッターが閉まったままの店も増えているようだ。
じわじわ、全国に広がり続けるコロナの影響・・・。

同時に、大阪でお好み焼きの店舗を全国展開する会社の会長から、
三度目の緊急事態宣言直後に、メールが入る。タイトルは「コロナお見舞い・・・ありがとう」。私が1週間ほど前に送ったメッセージへの返信だ。
「このたびの緊急事態宣言。怒りの持っていき場がありません!それでも
スタッフともども生きていかねばなりません。こんな折ですが、来週は
三重県鈴鹿市内に新規出店します。祈る思いです。前向いて進むしかありません。ありがとう」

すでに売り上げ9割ダウンという苦難のコロナの1年。さらに追い打ちを
かけられることになる、今回の緊急事態宣言。
このコロナ禍のなか、こんな苦しい状況でも、挑戦しようと社内一丸となっての
前進。
やるしかない。止まることはできない。
従業員やその家族を抱え、走り続けるその姿勢に頭が下がり、その覚悟を思うと
こちらもたまらない気持ちになる。
三重県にすぐ行けなくても、地元の店になら行けそうだ。

頑張る人のこと。応援しよう。
前向いている人のこと応援しよう。
お互いに励まし合いながら、とにかく前向いていこう。

私が今できること。目の前の課題は全部、全力でやりきる。
そして、応援できる人に対しては、とことん応援する。
しんどいとき。みんなで励まし合う。元気づける。

今回、母のことで、皆さんからあたたかい応援をいただき、
元気でいられる。
このことに感謝しながら、お返しの応援、応援。応援!
長崎のお店のこと、大阪、東京の企業のこと、そこで働く皆さんのこと。
そして京都のタクシードライバーのこと。。。思い浮かぶ全ての人に、
エールを送り続ける。

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奉仕の心を学ぶ。

先日お会いした長崎のある修道会のシスターは、私たちは「祈りと活動」をします。と話された。祈っているだけでは、世の中は変わらないという。
だから、様々な奉仕活動に取り組む。その修道会はさまざまな社会的に弱者と言われる方の支えになる活動を明治の時代から、行い続けてきたという。
奉仕。英語で言えば、サービス。相手に仕える。シスターたちは自身を神様のはしため・・という言い方をされるようであるが、召使いという役割ということだ。
おりてくる課題を、すべて神様からいただく仕事として、世の中の困っている人を助ける仕事を、喜んで行う。それが奉仕だという。
ボランティア活動、チャリティも同じだ。
最近、日常の仕事も、そういった心で行うといいのではと思う。
お金をもらうからやる。お金のためにやる。もちろんそういった考えも現実的に理解できるが、それ以上に、相手に喜んでもらうようにやる、相手が元気になるように働きかける。また、とことん寄り添って、困っている人の役に立つように努力する。
この精神があれば、お互いにもっともっと引き合い、信頼しあえて、結果もより納得できるものになるはず。

奉仕の心。相手のことを本当に大切に思って、お役に立つように努力したい。
今こそ、真のサービスについて、考え、実践したい。
モノを提供するのではなく、心も届ける。
どうせやるなら、そんな気持ちを持ちながら、日々の仕事に向き合いたい。


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コロナとの真なる戦い

ウイルスはさまざまな変異、変容を続け、私たち人間に恐怖をもたらし続けている。
形、型が決まっている存在ではないため、その対処が難しい。
ワクチンもすべてのウイルスに万能というわけではなく、まさに長期戦のウイルスと人類の格闘が続いている。
そんななか、三度目の緊急事態宣言。さまざまな反響があるのは当然だ。
まさか、GWが二年連続で、そのような事態のなか迎えることになろうとは。
本当に観光業、飲食業の皆さんにおかれては、今年こそは!との期待もあったはずでお気の毒で、心が痛む。

変異種が・・といってしまえば、そうかもしれないが、このウイルスに対する
取り組み姿勢と曖昧な行動がこういった結果を招いているのではとも思う。
この国難を乗り切っていかねばならない時期のリーダーシップの欠如、関係者の気のゆるみ、無策、計画のなさ・・このことが、国民の、とくに若い人の意識低下につながっているのではと思う。
どうせ、自分ぐらいは・・・。この事態に及んでも、大声で話し、盛り上がっている若者グループを町でよく見かける。
マスクをしているからいい。ということではない。
自分ごとではない人たち。それとこれは別と思っている人たち。
今、一番怖いのは、このコロナに慣れてしまっている人が増えていること。

このウイルスとの戦いはもちろんであるが、今、もっとも戦わねばならないのは、人間の驕り。
もっと謙虚に。人間が万能ではないということを知り、あらゆる事象の優先順位を見直して、力を合わせてこの苦難を乗り越えること。

コロナとの真なる戦いは、対人間の問題。一枚岩になれなければ、いつまでもダラダラこの状況は続くだろう。
ウイルスと戦う以上に、人間の欲に潜む膿を出すことが優先では・・。

この事態に決して慣れてはいけない。1日も早く終息できるように、自分ができることを。全員がそれを実施するしかない。
ゴールデンとはまったくほど遠い、ブラック?グレー?な連休。
去年のあの頃の緊張感をもう一度思い出し、ひとりひとりができることを。
そして早くお店が普段の営業に戻れるように・・。





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一緒にいてくれる。前より近くなる存在へ・・・。

あるご縁から、何年もやりとりが続いている、ある修道院のシスター。
宗教を越えて、人として、ひとりの女性として、その強い生きざま、仕事に向かう姿勢を心から尊敬し、台風の中、雨の中、会いに出かけた。遠藤周作が愛した外海での出会い。まさに、フランス宣教師として長崎で奉仕の生涯を送られたド・ロ神父が残された一台のオルガンが導いてくれたご縁だと思っている。
会う回数こそ少ないけれど、素朴なやりとりを重ね、今日にいたっている。
このたびの母の旅立ちについて、キリスト教では帰天と言われるが、心を込めた祈りを捧げてくださり、母は幸せだと、そう語ってくださった。
そして、ご自身の経験を踏まえて、大切な人の死は、時間とともに、その存在は近くなるはず・・と教えてくださった。実際、シスターのお父様が10年前に亡くなられ、それからご自身がそう感じておられるとのこと。
「なんか、父がずっと一緒にいてくれているような、前より近くなっているようなそんな気がするのね」
そんなことを聞いていると、時間と存在の関係は面白いものだとも思えてくる。
時間の経過は、忘却に向かうこともあるが、大切な人との思い出は、むしろより強い記憶として、心のなかで生き続けるのだろう。
生きているとつらいことがいっぱいあるけれど、今は幸せですよ。
宗教を越えて、みなさん、同じことを言われる。
そして、旅立つ人は幸せ。残された人はしんどい。
とも言われる。それはそのとおりだ。でも、それも順番なのだろう。

でも、生きているからこその幸せがもっとある。もっともっとある。
今はそれを楽しみに、今日を生きる。
いろんな方の思いに、愛に支えられて、生きているな。ありがたい。
ささやかでも、その想いを大切に。今日も、新たに生きる。



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どうせなら、人がやらないこと、やろう。

クライアント企業への企画提案に際し、そのクライアント担当者も、ライバル会社も、絶対考え着かないことを考え、提案したい、形にしようと思う。
これが、企画を生業をするプロの姿勢だと思う。

今回も、新たな挑戦に向かう若きプランナーより、夜になってご相談の電話をいただいた。日が迫るプレゼンに向けて、あれこれアイデアを広げていくうちに、私が以前示した話を思い出し、改めて、詳しく聴きたくなったようだ。
質問に応えながら、それ以外にもあれこれ、ありえない面白いアイデアを連発する。あんなのもある、こんな考え方もある。この表現はどうかな?電話で束の間の企画会議さながら。但し、プランナーは電話の向こうで終始げらげらと笑っている。いいことだ。難しい顔をしていては、楽しい企画は生まれない。
笑いながら、考える。いいヒラメキはそんな瞬間に生まれる。

デジタル社会だからといって、いかにもデジタル技術に寄った提案はどこでもやりそうだ。
デジタル社会だけれども、だからこそ、アナログで人肌を感じる、プチ感動を伝える工夫。お客様は、みなそれを求めているはず。
今だからこそ、その読みは大切だ。
「あ、全然関係ないかもしれないけど、へんな事例もあるよ。あとでネットで見てみて~」
相談される以上、一見、唐突で変な、誰も思いつかない事例も伝えておく。

企画とは、企てること。何もないところから、何かを生み出す仕事。
人まねや、ありきたりのことをやっていては、価値は認められない。
どこまで人がやらないことを、発想できるか。その価値を伝えられるか。

結局は日ごろの引き出しの多さにかかっている。
彼女は、例の防災ドラマ「東京ヘルメット物語」を思い出して、企画に活かせないかと思ったようだ。まさにすでにこのネタが彼女の引き出しに入っていたわけだ。嬉しい限り。

世のなかに不安が多い分、わくわくドキドキ、楽しくて優しい企画を世に送りたい。
愛しき後輩プランナーたちに、そんな思いで仕事に向かってほしいと、心からエールを送る。



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だらだら空気に流されないよう。

コロナのおかげで、この1年以上、生活のさまざまな面で、行動が制限されたり
不自由を強いられている。
私自身は、まだしも良いが、思慮の浅い企画、私利私欲にまみれた、違和感満載の決断に振り回され続けている旅行・観光・サービス業の方々には、本当にお気の毒としか言いようがない。
海外渡航はもちろん国内旅行、出張でさえ、自由に組めない。動けない。
いつになったら、マスクなしの生活に戻れるんだ!!!
と、この生活に慣れそうになる自分、ふと我に返る。

相手が不安に思うならば、リスクを冒してまで行動すべきではないと思える今。
さまざまな我慢をしながら、日々生きている。
東京に住んでいるのと、地方にいて現在の東京のことをイメージするのはかなり印象が違う。東京、大阪は危険な地域になっている。そこで普通に暮らしている人が多くいるのに・・・・。
 感染者数の少ない地方の方から見れば、都会からの移動は迷惑なこと。その地域差も感じながら、日々の自らの行動を見直している。

自粛をするのはまだいいけれど、でも、ずっとこの調子だったら・・・
このだらだらした空気、緊張感のなさは、改善とは別の方向に事態を招いているようにすら思える。

だらだらしている。
いつまで、こんな日々を送るのか。
慣れてはいけないことに、今慣れてしまっている日本人がいる・・・。
皆でなんとかしなければ。という気持ちの前に、
どこか絶対的に信頼できる共通の存在、共通の目標を持てていない現在の日本に
危惧を覚える。
だらだらニッポン。
精神論だけでは、物事は解決しない。目先のやってる風では、結果的によくならない。

だらだら。ほんとうに時間の無駄だ。
せめて、自分の人生時計は、それに巻き込まれず、だらだら刻まないように、ちゃんとしたい。


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真に寄り添える人に。

今、周囲の皆さんのありがたい気持ちで、支えられている。
そんなことを日々しみじみと感じている。
「たかちゃん」。同い年で、東京で出会い、仕事で20年近くご一緒させていただき、またその間には、公私にわたるさまざまな共有の時間もあり・・・。
思えば、岐阜でのライブにも、わざわざ足を運んでくれて、親にも会ってもらったこともある。たかちゃんのお母さまの入院先までついていって、用事が終わるまで待合室で待って、その後、お店のリサーチに一緒に出かけたこともある。
自らの病に向き合い、健康管理をしっかりしながら、天職である仕事に邁進する姿。次代を生きる後輩に自らの仕事観をしっかり伝えたいと熱く生きている。
人生に素直に向き合って生きている。愚直な面もあるかもしれない、永遠の青年。
本当に、書ききれないさまざまな思い出がある、大切な「心友」だ。

今回の母のことについて、入院中も応援のメッセージを届けてくれて、そして
亡くなったときも静かに心を寄せてくれて・・・。
「本当は岐阜に駆けつけようと思ったよ、でも、コロナだしね。まさこさんのご両親のこと、今もしっかり覚えています。今尾家の人は濃いね。」と印象をやさしく語ってくれながら、私に無理しないようにと「悲しいときは悲しく、嬉しいときは嬉しく。自然でいいと思います」と、そんな言葉をかけてくれる。
彼自身のさまざまな経験が、そんな思いやりの言動になるのだと確信する

今、日々、いろんな方が心を寄せてくださって、本当にありがたいと思う。

その気持ちに、ときには甘えながら、時の流れに心を任せていく。

どんなときにも、大切な人に寄り添える、そんな人に。
改めて、今回強く、強く思っていることである。

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母と永遠につながるツール。

葬儀で飾った花は、約20日間、家の花瓶のなかで咲き続けた。同じお花を差し上げたみなさんにも「あの花、よくもったね。長いこと咲いてたわ」と喜んでいただいた。花を見ていると、母のことを思い出す・・。花に枯れるな、まだ咲いてて・・と水を必死に交換した。
人と花の命は、なぜか、つながっている。と勝手にそう信じているから。

一方、葬儀の会場を照明や花に、紫色を意識して演出してもらったため、
母の好きだったイメージで、送ることができたことは、とても良かった。
おそらく参列された方には、ずっと記憶に残るセレモニーになったと思う。
世界観とは大変重要だ。最後のブランディングとは葬儀ではないかと思うほどだ。

このように、このお別れの時に「母は紫色が好きであった。」ということがしっかり人々の心に刻まれることになったが、母がこの色が好きになったのは、実は私の影響だ。
30代後半、グラン・ルーとして独立した頃から、名刺にはじまり、紫をイメージカラーとして多用すると、母も「いいなあ。その色」と言って、紫色を好むようになった。紫の小物や洋服もよくプレゼントした。色の好みは伝染するのか、そこから紫好きな母の友達も増えていた。
そして、母は晩年、前髪を紫に染めた。それがトレードマークにもなった。
「お母さんの影響で紫が好きになったの?」「紫好みはお母さん譲り?」と、葬儀に参列された方に言われたが、実は逆である。
いずれにせよ、パープルカラーは母と私の共通項になっていったことは間違いない。

そんなこともあって、母のことを楽しく思い出すために、これから、紫の花を
愛でることに決めた。
花屋に出向き、季節の紫の花を探して、飾る。
お寺と、実家と、そしてわが自宅。そして、母がよく通ったお店。
母のゆかりの場所に、紫の花を飾る。
そうすることで、母もそこにいるような気持ちになり、皆さんの気持ちも癒される。
そして、私はひとりのとき、この花に話しかける。
花を通じて、母と会話する。
そうすることで、普段通りに、そして前向きな気持ちになれるような気がする。
昨日は、写真の花、トルコキキョウを調達した。
白い花はどこか悲しいが、紫の花なら大丈夫。
紫と花。これから母とつながる、大切なコミュニケーションツールになる。

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遺された者への贈り物。

母の死は、確実に私を新たな世界に導いている。
葬儀関係、お寺、石材店といった、これまで無縁であった世界、業界の方との接点。ああ、こうやって、人の生死は社会の中で賄われていくのだということを実感。まさに、人生は観覧車のように・・・。これまで私が乗っていた観覧車は「死」に触れることがなかったため、今回のことでさらに世界が広がった感じだ。
私自身は、無宗教だ。宗教についての思いや考えはあるが、特定の宗教だけを
信仰するということはない。
どの宗教にも固有の歴史があり、生臭い面もあったり、各時代の世情、世相と深くかかわってきており、ときには人を助けるが、ときには人に不幸をもたらすこともある。
宗教戦争ほど、悲しいものはない。結局、権力闘争か・・とがっかりしたり、
男社会の権化とも思える一面も感じ続けているため、自分自身にはとくに宗教はない。
しかし、それは私自身の考えであって、母の願いは願いどおり叶えねばならない。そんなことで、ここのところ、お寺さんとの交流がはじまっている。
そして、この関わりでは、地域社会におけるお寺の役割について、考えるいい機会をいただいている。
人の一生の終わりをきちんと結び、浄土(といわれる世界)に亡くなった人が旅立ち、そして残された家族の悲しみも癒えるように・・・そんなケアをされるのがお寺さんの大切な役割である・・ということが今回わかってきた。

母が亡くなって、真っ先に連絡したのは葬儀社とお寺さん。
何も知識がないなかを、この道のプロが指南、そして流れにのってことが運ぶ。
おかげさまでなんとか役割を果たすことができた。
そして、新たな発見もいろいろあった。
今回の母の葬儀関係で感動したことのひとつは、お経の声だ。母がよくしていただいたお寺の住職がお読みになったお経は、本当にいい響きであった。その響きだけでも母が浄土に行けそうな気がした。お経とは、キリスト教でいうところの讃美歌にも通じる、音楽的要素がある。なんてことを感じながら手を合わせ、
拝聴していた。
また、それを聴きながら小学生の頃、公民館でいやいや通わされたお経教室のことも蘇る。母に行かされたな~。それにしても、ああ、このご住職、いい声だな~。お経読むには、声が命だ。
また、読経後、ご説法される時にも、ユーモアたっぷりの話し方に、お人柄を感じた。この方なら安心して色々相談できるな~と思えた。

また、この葬儀前後の段取りについては、ご住職だけでなくお寺を切り盛りされる、坊守さんの存在も改めて知りながら、お寺という仕事はこういう役割分担で回っているんだ。と感心したり・・。

そんなことから四十九日、納骨の日を迎えるまでに、お寺さんとのやりとりが続く。
母が生前お世話になった、おつきあいがあった方たちだからこそ、信頼して
お願いできるという面も大きい。
どんな仕事であっても、仕事ぶりだけでなく、人として見る、視る。
その興味関心から、つながりが生まれ、関係が育まれる。

知らなかった世界との出会いは、母の死が与えたこと。
これは、悲しみ、寂しさと引き換えであるが・・・。

「母」の存在を介して、これからも新たな出会いが続くことだろう。

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