都会暮らしは、いろいろ不便でもある。歌の練習も、生ピアノのレッスンも通常のマンションではできない。本番が近付くと、外の練習室、レンタルスタジオを借りることになる。レンタカー同様、レンタルの練習室も都会だからこそいいビジネスになっているかもしれない。
近所にあるスタジオは地下にあり、ほどぐらい。いかにも音楽スタジオ!という感じで渋い。ギターをもった若者、ボーカルっぽい女性が個性的なファッションで待合室で待機したりしている。そこは当日空き時間があれば、個人練習という名目で破格の価格で部屋を貸してくれる。コスト的にはとても助かる。でも、声を思いっきりだしても、ピアノをバンバンひいても、地下ならではの音の籠りがあり、どうもパワーアップしない、指の練習に適しているという感じだ。一方、長年利用している銀座のレンタルルームは、お気に入りのグランドピアノ。いつもきれいにされていて、音大生やそこでレッスンもされているため、音質も良い。そして、一番いいのは、そこが地下ではなく2階にあり、窓があるということ。窓こそ開けないけれど、空を見上げながら、声を出す、しっかり鍵盤をたたく。のびのび演奏できると、仕上がりも良くなる。地下より地上の方が家賃も高いが、パワーもアップするのが事実だ。今日はもぐる、今日は空へ。自分のモチベーションをTPOに合わせて高めるフロア選びもいい。
テンションを上げるフロア
ピアニストは指、歌手は喉、マーケッターは?・・・。
同時にいくつの職業を背負いながら、毎日走るへんてこりんなわが暮らし。あと2日でレコーディングだ、ライブだとなれば私の中のミュージシャン率は高まり、企業研修が迫れば、ビジネスマン率が高まる。いつもシーソーのような生活。でも、家事はどの仕事をしていても、同じようにするのも当たり前。家事は自分の中でバランスをとるのに、とてもいい仕事だ。でも時間がないから、企画しながら洗濯する、時計みながら干し、あわてて外出。急いで料理をする、何時までにやらなくちゃ!あるいは、あのことは大丈夫か、あそこへ連絡はしたか、次の出張は・・などいろいろ考えながら包丁を握っているうちに、思わず切り傷。「いたっ。おっと、ピアニストは包丁を持っちゃいけないんだ。」と思いながら、手当をする。冷静に冷静に・・・。そうこうしているうちに、包丁のことは気を付けるようになるが、今度は鍋の蓋でやけど。そう、鍋がアツけりゃ、蓋もアツいのにそのときはなぜか忘れ、無意識に瞬間、蓋をつかみ、「あち~~~~」すぐさま、水道の蛇口をひねり、水で指を冷やす・・。「ああ、さっきと同じ手だ」もうこれ以上何かあったら、演奏できなくなる。せめて2日間は炊事禁止令にでもしないといけないほどだ。
それぞれの職業には不可欠の身体道具がある。ピアニストには指、歌手には声、のど。マーケッターは行動力が不可欠だから体力か?いや、体力はすべての仕事に必要だ。とにかく、無事に仕事をつとめるというには、用心、注意、丁寧なケアが必要だ。
またまた反省を繰り返しながら、絶対これ以上、生傷を増やさないようにと猛省する。それにしても・・・どんくさい。
時間の流れ方と情報量。
今、長崎のある役所とのやりとりが少しはじまっている。メールを1本出しても、すぐに返事は来ない。最初はやきもきもしたが、メール返信なければ電話をすればよい。電話をすると、不在であっても「返事しなくては」というモードになるようだ。遅いな~。届いていないのかな~。コミュニケーションは双方的であると常に思っているが、投げ合う玉のスピードがそれぞれ違い、互いにカルチャーショックを受けているようなところも、最近は楽しんでいる。
静かな時間が流れている場所。人口も減少気味。とくに若者がいない。東京から行くのにも何度も電車やバスを乗り継ぎ、大変な距離と時間をかけて、やっとたどりつく。まさに別世界であり、東京暮らしに慣れている者からすれば、異国のようなタイムトリップしたような不思議な感覚にもなる町だ。
そこで学ぶ。時間の流れ方は決して一律ではないということ。そして情報の量も然りだ。
速ければ良いのでも、多ければ良いのではない。
今回のやりとりを通じ、いかに自分が日々、時間どおりにとか、計画を段取りを早く・・という相手を追いかける、せっかちな生活をしているのかと反省もする。
役所の人もきっと何者がやってきた~!何事じゃ~。とびっくりされているに違いない。
時間の流れは、風土とともに、歴史とともになのかもしれない。
ますます情報量が増え、落ち着きのない騒々しい東京の中で、遠き長崎の港を思い出し、わが暮らしの有りようを反省もする。
きっと神様が、ザビエルさんが、わが暮らしに反省を促すようにめぐり合わせてくれたのだろう。
現場で汗かく姿に触れ、うるうる。
中小企業さんとのやりとりの多くは、どこかの会議室であったり、いわゆる話をするための個室で行うことが多い。そこで企業さんの悩みや課題をいろいろお聞きし、アイデアを出したり、添削をしたり、ときには大勢で話をしたり・・ということがほとんどで、その会社の現場へ足を運ぶことは多くはない。今回、ある打ち合わせもあり、企業訪問をさせていただくことになる。1件目は豆腐の製造会社だ。家族経営されている。いつもお会いしている担当者とは気ごころも知れているが、そのご家族にはお会いしたことがない。今回その担当者のお母様、お姉様にお会いすることになり、「弟さん(息子さん)すごくがんばっておられますよ」「いやー、外では活動しているんだけど、中のことももっとやってほしいんですけどなかなか・・ですわ」と笑いながらも、本音の話も包み隠さずお話しいただき、そのことを担当者ご本人も笑いながらきいておられる。「こうやって、来ていただけると家族の意見も出るので、ありがたいですわ。いつも言わないですから・・」とのこと。第三者がいることで、いいづらいことが出ることもあるそうだ。お母様も「お話はいつも聞いております。ありがとうございます。ピアノもされる方ですよね」と、にこにこ笑って話しかけてくださる。これらのわずかの会話から、家族でがんばって経営されているこの会社のことがより透けて見えてきて、親戚のような気持ちになる。
そして2件目の訪問は、園芸用品などを作っておられる会社だ。
広報活動に大変熱心で、今やメディアにもよく登場され、すっかり有名になっておられる会社・・伺ってみると、社員の方が忙しそうに商品を作っておられる。どうやら、先日掲載された新聞記事の影響で電話注文が殺到しているようで、広報担当の専務は、伺っても鳴りやまぬ電話の応対に追われ、その注文のやりとりをしっかり聞かせていただくことになる。ご年配の方からの電話が多いので、ゆっくり丁寧に対応され、しっかり注文につなげていくその姿を見て、ああ、普段は広報だ、リリースだ、イベントだと一見、華やかな世界の話をしているが、現実はこうして手作業で商品を梱包し、荷造りをして・・・全部、自分たちでやっておられる。「昼間は作業できないので、朝早くきて一人で袋詰めしているんですわ」とエプロン姿の専務が笑いながら語ってくれる。社員とのやりとりにも心配りされながら、とにかくよく動かれる。普段見えない現場での働きぶりを知るにつれ、中小企業って家族経営って、町工場って、個人経営って・・・結局こういうことなんだ。みんな一人何役もやってがんばっているんだ!ということに改めて気づき、胸いっぱいになる。
帰りの新幹線から訪問お礼のメール、するとすぐに返事がくる。「今日はわざわざおいでいただいたのに、ゆっくりお話しできず、残念でした。でも忙しいところを見せられたので良かったです」というメッセージに、思わず笑みが出る。
地道に広報しながら、種をまき、そして花を咲かせ、刈り取る。すべての活動を自分の使命としてがんばっている姿を見て、こちらも勇気付けられる。いい方向に進むお手伝いが少しはできたかな。工場で作業される皆さんの顔を浮かびながら、そこで作られる商品への愛着も高まる。現場訪問はうるうるの旅だ。
事業により、名前を使い分け?
作家でも書家でも歌手でも、本名以外の名前で活躍する方は多い。歌手で本名の方は少ないだろう。その世界で生きる上で、イメージアップのため、ブランディング上、芸名は必要だ。なかには、複数の職業を持つ場合、それぞれにまったく違う名前を使い分け、ああ、同一人物なんだ~と世間を驚かせる人もいる。
私の場合は、普段の生活、いわゆるビジネスの場面では、当然本名「今尾昌子」である。そして20年ほど前か、電子メールが普及しはじめたときにメールアドレスというものが必要となったときに面白がって自分の名前をmahsa(マーサ)と命名、いつのまにかその名前が周囲に浸透してきたせいもあり、サラリーマン卒業後、再開した音楽活動も本名ではおかしな感じであったため、このmahsa(マーサ)という名前をアーチスト名として使い続けてきた。おかげさまで、「マーサ」「マーサさん」と呼んでくださる方も多く、メールやお手紙ではMahsaという横文字で記してくださる方も多い。アメリカ住まいの人には「これってマーシャだよね」と言われるが、「いえ、英語読みじゃないのでマーサで読んでください」と自己流の説明。と、今のところ、この2つの名前で活動してきているが、このたび新しい事業をスタートするにあたり、アーチストとしての活動なのでいつもどおり「mahsa(マーサ)」でいこうと思っていたが、その事業のパートナーさんが「いや、mahsaだと洋のイメージが強すぎるので、今回の事業は『マーサ今尾』がいいです」とこだわられる。今回のその事業は、確かにクラシックとかジャズとか・・ではなく、和と洋の融合でもあり、和のノスタルジック的世界の表現になる。であるから、音楽もmahsaではなく、マーサ今尾が担当・・というのがいいそうだ。「今尾というのはいかにもそのままなので、ひらがなだとどうでしょう?」「まーさいまお?それは無しですね・・」「いえ、そうじゃなく、『マーサいまお』です。」「うーん。音はいいですが、漢字に比べたらインパクトがないですね。私は『マーサ今尾』がいいです!」と、カタカナと漢字の和洋折衷を好まれる。私は本名の今尾という漢字はアーチスト名としてはあまり似合わないと思ってきたが、今回は和ノスタルジックを昭和の感覚で、表現していくということもポイントになるので、本事業はパートナー案を受け入れることにした。
職業で名前を変える、さらに事業により名前を変える。しかし、本質も実態も存在も、ただひとつだ。アイデンティティーは変わらない。ぶれないように、自分がその目的、場面のなかでより適切に伝わるようにネーミングしていくことも大変重要だ。
また新たな分野での自分の見え方を楽しみながら、まずは中身をしっかり仕上げていきたい。
プレゼンも演出次第
どんな仕事でも、どんな場面でも収穫、発見、感動があるものだ。たとえばある仕事で一気に数多くのプレゼンを聞かせていただく機会を得る。1日に20件近いプレゼンを聞き続けるのはパワーがいるが、とてもいい勉強の場でもある。気が付けば、それぞれに思いがこもったプレゼンについつい、引き込まれる。長年自分もプレゼンをいつもしてきた、それによって仕事をとってきた、競り合ってきた・・・などの記憶も蘇り、準備が大変だな~と心から思う。そして、いろんな人の仕事への向かい方や、もっといえばその人の人生、生き様までも透けて見えてきて、乗り出してきいてしまう。そして限られた時間で説明できなかったところを質問し、補足してもらえるようにする。プレゼン時の質問は相手のことを思って質問するのも、大切だ。そして、最後、採点するのはちょっと悩む。
今回、登場したあるプレゼンター。実は3回目の登場。3度目の挑戦だ。毎回、変わった衣装で登場されることで強い印象が残っている。今回は?やっぱり今回も着物に帽子という衣装。さらに今回はギターを持った男性と女性が一緒に登場。プ何がはじまるのだ?気になり始める。そしてれプレゼンが始まる。発表者が話し始めると同時に、ギターをもった人の手が動き、なんとBGM付のプレゼン。生演奏付きのプレゼンとは思わず笑った。会場の空気も瞬間で変わる。やるじゃん!いい感じで音楽にのってプレゼンが進む。その内容もなんだかいい感じに聞こえてくるから不思議だ。そしてギターの後ろにずっと一人立ち尽くしていた女性は最後になんと、ギターにあわせて歌い始めた。はあ?歌までついているの?
と、ビジネスのプレゼンに生演奏が入るとは、初めてだ。その工夫にとても感動した。演出があることで、内容もよく聞こえてくるというのは本当だ。
自分も講演の最後に歌うとか、講演しながら公演するということはしているが、人様がやっているところを見ると、これまた新鮮だ。
常にあきらめず、面白いことを考え、実行する勇気に拍手。
どんな仕事も、いつも勉強になる。ありがたいことだ。
「待っている人がいるから」で「よし、いくぞう」
月曜の始発列車での出張は、緊張する。その日の起床時間が普段以上に早くなるだけでなく、せっかくの日曜の過ごし方も変えなければならない。半端ではない超早起き、しかも絶対に新幹線に遅れてはならぬという状況は、プレッシャー。その緊張を日曜に味わうのはあまり好きではないが、仕事だからやむを得ない。
そんなこんなで日曜の午後、新潟のある方より仕事の報告と相談メールが舞い込む。その返事のついでに、「明日は始発でそっちへ行きます」と書くと、「そうですか。深酒しない程度に今夜が楽しめますように。明日始発お疲れ様です。新潟で待ってる人がいるから、がんばってね」と返信が来る。待っている人がいてくれるか・・と思うと、どんなこともがんばれるものだ。たったその一言で、
人は勇気をもらったり、背中を押されたりする。急にいやいやモードが「よし、行くぞう」モードに切り替わるのだ。
その結果、真夜中の朝早起きも快適、いつも通り一仕事して、おにぎりも作り、元気いっぱい始発に乗り込む。そして長い1日にのぞぞむ。確かに待っていてくれる人がいた、またこれからが楽しみな新たな出会いもたくさんあった。面白いプレゼンにも出会い、貴重な経験満載の1日になった。
たった一言で、人は姿勢や行動、心を180度でも350度でも変えられる。
それにしても、便利な新幹線のおかげで1日はムダなく過ごせる一方、長い1日が終わったあとは疲れ切る。便利社会は、時にうらめしい。さあ、今日も待っている人がいてくれる1日を・・。
結局は「人間力」と愛。
先日、とあるセミナーのお手伝いで、おもてなしの話を少し聞くことができた。その講師の方は、日本を代表するサービス業のおもてなしを
組織的に手掛けておられる方であった。その方のお話から感じたことは、結局、おもてなしとは、かかわるすべての人の「人間関係の快」を生み出すこと。その方のお話を通じ、私なりに改めてそのように解釈をした。おもてなしする方も、される方もどちらも楽しく、わくわく、ああよかった!とならなければ、それは本当のおもてなしではない。少なくとも「やらされている」という感覚、または対応されて苦痛や不快を感じるようであっては、意味がない。人を喜ばせることが好き、「ありがとう」と言いたくなる、「ありがとう」と言われるとうれしい、また行きたくなる、会いたくなる・・・このキャッチボールが大切で、そのことがCSはもちろんのこと、従業員のESにもつながり、組織の成長にもつながる。これは、ビジネス的な計算だけではなかなか成立しない。おもてなしとは、生きがいを求める人の潜在的な欲望に火をつける役割をも、もっているのではないだろうか。
話は変わるが、人を喜ばせること、驚かせること、感動を与えることはうれしいこと。私自身がそんな風にいつの間にか、それを目指しているというかそのように思考して生きるようになってきた。
それは、どんな仕事も、関わりも、自分が投げる球に責任をもちたいと思うから。その責任とは、受け取る相手に「快」「幸」と思ってもらえるようにするということだ。そのためには、相手と真剣に向き合い、その方が欲することを探り、そこに届くようにコミュニケーションする。この道には、人間力が不可欠であり、相手を思う気持ちが大切だ。
どんな教養、知識があるよりも、家柄や経済力があるよりも、人間力と愛さえあれば、それなりに自分自身が幸せに生きていけるのではないかと最近、考えるようになった。その力を身に付けて、出会った人との「快の関係」を育み続けたい。
それを目指し、もっと努力していきたい。
改めて、「おもてなし」とは、サービス業や観光向けの言葉ではなく、普遍なる人間関係の快を生み出す基本精神である。
「一点集中力」で課題も心もクリア!
今年のわが目標のひとつに、「V100プロジェクト」というのがある。できたら公言しようと思っていた。Vとは、ワルツWALTZのスペイン語VALSASの頭文字であり、またこれをやりきれば、自分にとってのVICTORYであるためVを頭に100。そう、今年1年でワルツ100曲を書く、作る、生み出す。という自主プロジェクト。しかも達成は、今年前半でやりきろうと思っていたので、6月末を当初の締切としてスタートした。できるかな?かなり難しそうだと思いつつも、決めた以上は走るしかない。思えば、元旦長崎のホテルで書き始めたかと思うと、ニューオリンズで、マカオで、、、カフェで空港で、機内で、新幹線車内で・・と行く先々で一人の世界になれるときに一気に書き進めた。しかし、日常に戻ると、雑音も雑念も満載で、なかなかその体制にもなることができず・・。いつも道具だけは出張バッグに入れているが、五線紙ノートを開くゆとりもないまま、時間が経つ。作りだめして、またしばらく放置、そしてまた・・の繰り返しの5か月。作曲にまず必要な道具は五線紙ノートとペン、そして老眼鏡。(笑)五線紙は、ブエノスアイレスの楽譜店でいつも調達しているものを使う。それを用いることで、モチベーションアップになるのが狙いだ。作曲を打ち込みで行う方もおられるようであるが、私の場合は、静かなところで五線紙に向かえばとりあえずいい。白い紙でもあれば、五線をフリーハンドでひけばいい。とくにピアノはなくてよい。頭の中でピアノが入っている感じだ。あとで書いたものを弾いてみると、おおむねOK。ずれていない。だから、紙とペンさえあれば作曲は可能。もし、歩いている途中や買い物中や美術館などでメロディが浮かんだら、人目を避けてスマホに録って、あとで記録する。他のものづくりに比すれば、なんと、資本のかからない仕事かとつくづく思う。この才能をもっと生かさねばと思えるほどだ。しかし、よし!と気合を入れてはじめなければ、出てこない。何者も受け付けないぐらいの1点集中の状態にならねば無理だ。始まるまでにかなりのパワーが要る。そして、旅先であればその場所のことを思いながら、またはあるカフェを思い出しながら、あるいは誰かのことを思い浮かべる。具体的にイメージできるものがあれば、すぐにメロディは出る。作曲はひらめきからはじまる。そしてワルツは、日本の演歌から、シャンソン、ジャズ、ウィンナワルツ、讃美歌、アルゼンチンタンゴのワルツ、ショパンのワルツ・・・などなどいろんなスタイルにすることもでき、広がりが無限の音楽の形式だ。舞踏だけでなく、哀愁や祈りを込めることもできるのだ。最初100曲作ると決めたのは、この可能性に面白さを感じたから。そして、果たしてそれだけの命題に自分がついていけるか?という挑戦でもあった。再来週、わけあってレコーディングをすることになり、そこになんとかワルツもいくつか盛り込みたいと思い、それまでになんとか100曲を書きだそうと決め、この1週間でかなり集中した。人は土壇場になると、無理が効く。まずは、ノート4冊に書きなぐったワルツたち。もちろん似たような感じのものも中にはある。それはそれでよし。12の音しかない組み合わせ、多少似通うものは、自分の中に強く、深く入っているメロディだ。これから、磨き上げていくと同時に、使えるものはどんどん使っていく。よし、今年の課題は1つクリア。行動のクリアは、心もすっきりさせてくれる。自分を裏切らず行動できたことに安堵する。このノートは今、私にとってもっとも大切な文化遺産だ。
胃がん手術から1年のステージ。
昨年の5月。母親は胃がんの手術で胃の3分の2を摘出。その後、奇跡的な回復を遂げ、その後問題なく、以前より元気に暮らしている。
彼女をいち早くカムバックさせたのは、地元のお仲間の皆様のおかげだ。入院時から退院後、その後も家族のように、心配し、励ましていただいた。彼女が喜んで取り組んでいるものに、「農協の女性部活動」というのがあるが、清掃ボランティアから農作物の栽培、調理販売イベント、音楽療法、旅行・・・と、活動の範囲は幅広いが、70代を中心としたおばさんたちが、その活動を軸に、日々の生活をしている。いい意味で昭和の田舎のオンナのコミュニティが健在だ。退院後、すぐにこの活動の輪に戻り、それはそれは元気になった。病気をしたせいで、前より一層、生きていることに感謝するようになり、活動もより熱心になる。
その活動の大きな発表会が年に一度、各都道府県で開催される。この1年、胃がんを乗り越え、さまざまな活動(とくに音楽活動)をやった経験から、ぜひ地元を代表して、活動発表してほしいと母が活動発表の要請を受ける。え?この母が何百人の前で、スピーチ?原稿どおりに?時間どおりに?
そんなこと、できるかな。大丈夫かなと思ったのは、本人だけでなく、私も同じ思いであった。母は本番に向けて、周囲から応援をいただき、一生懸命に準備した。原稿づくりやパワーポイントはもちろん、農協のスタッフたちが担当するが、母はとにかく原稿が時間通りに、うまく読めるように練習した。普段の岐阜弁のしゃべりではなく、標準語で原稿を読まねばならないのだ。生まれての初体験かもしれない。緊張の連続であったに違いない。一世一代の大ステージかもしれない。客席が真っ暗な会場で、何百人が注目するなか、壇上で手元の原稿を見て話す。自分の左にはスクリーンに写真などが投影されることになっている。ビジネスマンではなく、ふつうの田舎のおばはんが、である。
当日、心配で?駆けつけた。母の番になった。客席で、地元のいつもの応援団までが緊張しているのが感じ取れた。
母の発表がはじまった。あちゃ?いつもと違うぞ。あがってしまったんだ・・・。とにかく心配。がんばれ!と心の中で叫ぶ。それと同時に1年前の入院のことその後のことがステージに立つ母と重なった。1年経ってよくこんな大舞台に立つことができて・・と思うと涙があふれた。そのとき、発表の中で自身の健康のことに触れるフレーズにきた。彼女が「皆さん、私をよく見てください。私は体重29キロです・・。でも、この活動の仲間のおかげで元気にがんばっています・・・」というと、会場からどよめきが・・。胃がんで減った体重をここで公表して・・。母はもともととても痩せており、40キロを超えたことは一度もなく、今回の病でさらに痩せていた。会場でもうるっときた人がいたそうであるが、こちらはずっと涙が止まらず・・・困った。発表自体はいつもの母らしくなく、今一つで借りてきた猫みたいなところもあったが、なんとか、無事にやり通した。
客席に母が戻る。彼女を応援してくれた皆さんも、発表が今いちだったことはわかったようだ。練習のとき、リハーサルのときは良かったようだ。仲間の中の一番高齢者のおばあさまが、「よかったてー。マイクが悪かっただけや」と一言、母を励ました。この一言に感動した。
うまくいかなかったことを、「マイクのせい」にする優しさ。さすが88歳の年季が入っている方だ。素晴らしき愛、友情、思いやりだ。
私に「うまくいかへんかったわ」とこぼした母。昔の私の幼き頃のピアノの発表会の逆のようだ。ともかく、大勢の仲間の友情のおかげで、母は1年で見事カムバック。
きっとこの発表会の経験から、彼女はさらにパワーアップすることだろう。でも、「がんばったね」と、29キロのボディの背中を抱いたら、ぐっときた。こんなに痩せても、がんばっている母は、・・・やっぱり私の母である。負けていられない。