起業家は皆、素敵なクリエイター。

今月のラジオ番組「愛の元気人」95回目の収録を行った。
今回も、大雪のなかでのスタジオ行き。
確かにスタジオから見える雪景色もなかなか良いが一歩外に出れば
危険だ。
そんななか、今回も2組もゲストをお迎えする。
いずれも、最近起業した、あるいは近日開店するといった
NEWな挑戦者たち。
お一人は、自宅葬儀の専門会社を立ち上げた30歳青年起業家。
もうお一人は、20余年のキャリアを生かして起業に踏み切った、
子供靴専門店のオーナー。
みずみずしい、素敵なお話しを聞くことができた。

いずれも、つとめ先をやめて、自分の夢、ミッションのために
挑戦している人たちだ。

いつも、こういった方に出会えることがうれしい。
私の中にも、新しい風が吹く、体内にいい気が巡る。

起業家たちは、自分のミッションをどんな形で、手法で叶えようかと
いろんな情報を集めながら、自分だけの世界を作っていく。
まさに、クリエイターだ。
リスクがあっても、それを強い意思で乗り越えようとする。
そのパッションとパワーが頼もしくて、大好きだ。

人生は、やはりクリエイティブでなければならない。
そうでないと、安定をいつの間にか望み、それにしがみついて
しまうかもしれない。

現状に慣れるな。
常に新しく!

若者たちの挑戦を応援しながら、私自身のクリエイティビティが目覚める。
春に向かって、みんな、動き始めている。

起業家たちは、素敵なクリエイターだ。いざ、われも!

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長年の探し物をみつけた喜び

1994年は平安遷都1200年ということで、さまざまなイベントが執り行われた。
自治体のアニバーサリーイベントの先駆けだったかもしれない。
そのとき、つとめていた印刷会社では、では記念出版事業をということで一冊の
本を作ることになった。書籍の名前は「京の肖像」。

その企画や編集に関わった。
そのなかで、京都らしいお店を紹介するページがあり、チームで手分けして
取材した。
私が取材したのは、お酢の会社、名曲喫茶・・・などなど。そのなかに
京都大学の近所にみつけた小さなインド料理の店。ひっそりとたたずむ。
まるで、お店がヨガをしているような・・・そんな印象だった。

取材がきっかけとなり、そこの女主人と交流がはじまった。
その方は、世界的な瞑想家シュリ・チンモイの弟子として活
動されている方であることを知り、そういう方がいるんだと
自分の世界が少し広がった。
彼女は、修行に出るため、その後店を閉店したが、
それからも、何度か京都でお茶をし、年賀状のやりとりも
続いた・・が、いつしか連絡が途絶えた。

インドとNYへ行き、師匠に教えを乞うことが人生の最高の喜びだと
おっしゃっていたその横顔は深く心に刻まれていた。
清らかなお顔で、俗人の自分の生き方が恥ずかしくも思える、
そんな純粋な方であった。

最近、京都に行くことが多く、ふとその方のことが久しぶりに気になった。

何気なく、
もう存在しないはずの、昔のインド料理屋の名前を検索してみた。
関連する情報が出てくるかな?あるいは瞑想教室とかやって
いたりするかも・・・
期待半分、諦め半分で調べていたら、なんと、そのインド料理屋が
復活していた。
「え?まさか?」
サイトもあり、店主も、その彼女本人のままだった。

「ああ、元気にされているんだ~」
もう数年以上、安否も含め気になっていたため、
とてもうれしく、
なくしていた探し物をみつけた、そんな気持ちになった。

サイトを見ていると、取材した当時とは
メニューを変えておられるようであるが、
店名はそのまま「スジャータ」、

仏陀の道を若き日に歩き、人生が変わったとおっしゃってた
ことが懐かしく、
よし!会いに行こう!
と、次の楽しみができた。

その前に、手紙を出すか、電話をするか。
きっと驚かれるだろう。

彼女からいただいたハガキをずっと大切にしていた。
いつか会いたいと思っていた。
初めてお会いしてから四半世紀以上。

こんな生き方もある。と今改めて
学びに行きたい。

ネットは時々、探し物を手伝ってくれる。
その点では大変ありがたい。

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モノづくりには愛がある、、が一番。

ある職人さんと最近よくやりとりをしている。
私のラジオ番組「愛の元気人」というタイトルについて
ちょっとひっかかるといわれてしまい、発案者としては、
やはりその一言が気になるので、つい、そのわけを尋ねる・・・。

すると、
「愛」も「元気」もポジティブなので、自分にはどうも・・・
ということらしい。
また、ご本人いわく、自分は元気が人一倍あるのだけれど、
愛はないんだよね・・とのこと。

でも、「商品づくりには、愛情注いでいますよ」
これは、その人の本質をついていると思った。

愛とは何か?人によって解釈はいろいろあるが、
モノづくりに愛情を注げる人は、いい商品を創ることができ、
それがお客様に買ってもらって、使ったり食べたりしてもらえる
わけで、そこには、創り手の「愛」も、当然込められている。

だから、その人は、決して愛がない人ではない。
ただ、とてもまじめで、シャイな方なんだろうと思う。
やりとりが、そんなわけで、時々 意外な答えや反応が
あったりするが、本質がわかっていれば、いいおつきあいも
できる。

お父さまの代から受け継ごうとがんばっておられるので
できる限りの応援をしていきたいと思っている。

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失敗こそ、人生の醍醐味。

中堅の落語家と、同世代の作家の対談を聞いていて、とても面白かった。

落語に登場する人物は、失敗ばかりする人、いけてない人、残念な人が
ほとんどで、立派な人というのは、あまり登場しない。
だから、いいのだという。

人生は、失敗の繰り返し、そんなにいいことばかりない。
人生バラ色という人の話は、面白くない。
失敗ばかりしている、うまくいかない・・・そういった
人物の話の方が、面白い。
いい話というのは、自慢のようでつまらない。
失敗した話、悪い話であれば、共感もし、自分はましだなと
慰めもでき、その失敗を乗り越えたと聞けば、感動し、
自分もがんばろうと思える・・。
だから、失敗する人の話の方がいいのだという。

人生、そんなにいいことばかりじゃない。
でも、たまにいいことがある・・それがいいのだ。

人生素晴らしいというよりも、
人生、まんざらでもない。
というのが、落語家、作家の共通の表現したいテーマだ
と聞いて、とても楽になった。

とくに凡人である私には・・・。

絵にかいた餅のような世界は面白くない。

なぜ、落語が今も愛されるのか、吉本新喜劇のような
大衆芸がうけるのか・・
の答えが見えてきた気がする。

また自分の人生自体もそうだ。
失敗があるから、人生に深みも厚みもできる。
だから、失敗を恐れず、遠慮なく 自信をもって
生きていけば良い。

と思えば、いろんな挑戦を試みることは、たとえ結果がどうであれ、
意味がある。

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美辞麗句より背中に。

ここのところお世話になっている作家の先生は、
書かれる作品の内容のすばらしさに増して、仕事を愛するオーラや、
後輩の育成に対する情熱について、学ばせてもらうことが多い。

生徒の作品については、まず認める、評価する。そのあと改善策を示す。
その内容は素晴らしく、まさにこれがプロの仕事だと納得する。
テレビドラマではなく、ラジオの世界で活動されているその地道さにも好感を持つ。

作家であり、指導者であり、そして一人の人間としての生き方。
いつも授業で発せられる名言をメモしながら、その言葉を生み出すその人自身を見ている。
口から発する言葉も逸品であるが、
ホワイトボードに文字を書かれている時の後ろ姿が気になる。
この人は、本当にこの仕事が好きなんだ、
ひとつの仕事を楽しみながらエンジョイされていることに感動を覚える。
口先より背中の方が物語っている。

以前、私の授業を受けてくれた青年が、内容もいいけど、たたずまいがいいと
言ってくれたことを思い出した。そのことが本当にうれしくて、何年経った今も
時々思い出して、そこ、そこなんだよ!と自分に言い聞かせてきた・・。

美辞麗句以上に、その人が発する心のメッセージをしっかり受け止めたいし
発信者として私もそうなりたいと、心から思う。

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生涯クリエイティブで・・。

ピアノが弾ける、バイオリンが弾ける。
歌が歌える、演ずるのが上手い。マジックができる。絵がかける、
写真が撮れる。ドレスを縫うことができる。素晴らしい教会を設計できる・・・
そしてスケートが上手い、料理が絶品、器が作れる・・・などなど・・・
世の中には、いろんな芸や技がある。

これらは、みなクリエイティブな活動だ。

クリエイティブとそうでないことの境界線は、
その行為が人の心を動かすかどうかということ。
感動を生み出すことができるかどうか ということ。

ロボットと人間との違いは、そこではないかと思う。

クリエイティビティ。ゼロからの想像、創造。
人間ができる、人間だからできる表現を、人間のためにする。
それにより人間の心が振動し、生きる喜び、意味をみつける。

創造性とはそれを可能にすることではないか。

最近、。経済とか資本主義が世の中で優先され、
人々はモノの豊かさを今だに求め続けているが、
純粋に人の心を動かすことについて、その必要性を今こそ、
強く思う。

そして、技術だけでなく、その生き様もクリエイティブに。
できればそうでありたい。
感動を伝える仕事・・・。多くの経験をしていないと
なかなか到達できない、知識だけでは出せない力。

もしかしたら、若いときは技術力で、テクニックで勢いで勝負、

年を重ねると
もっと内から湧いてくる精神的な表現で、、、
となっていくのかな。それはとても楽しみなこと・・。
いい経験を重ねなければ・・。

頭のてっぺんからつま先まで、背中も影までも・・。
心に残る
クリエイティブな存在を目指したい。

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ポリンピックにならないように。

お隣の国で、オリンピックがいよいよ開催。
地元の人たちから見れば、念願の一大イベントだろう。おそらく・・。

先日のライブで、この冬季オリンピック開催に
ちなんで、日本で50年近く前に開催された
札幌オリンピックのときの喜びを表した
イメージソングも歌い、その時の気持ちをふりかえった。
今でも覚えている。日本中が純粋に盛り上がっていた。
前の東京オリンピックの事は、記憶にないが・・。

昔、昔。オリンピックは純粋なスポーツの
祭典であり、いつしか世界との交流、祭典となり、
地域の活性化に貢献するようになり・・・。
おそらく20成功後半ぐらいまでは
良かった・・。

しかし、その後は政治的なイベントと俗化している。
申し訳ないが、
来たる東京オリンピックも然りだ。
今も、プレゼンテーションのところでどこかの
プレゼンターが、東北のことを
「アンダー コントロール」
と涼しげに言い放った、あの光景がよみがえる。

国を挙げてのオリンピックは、一体何か?
たった2週間のことをネタに、きっかけに
何年もそのための準備で、お金が動く。
作らなくて良いものを作る、雇用を創る。
そのきっかけとしてのオリンピック。
蓋を開けたら、わいろや汚職で開催後に
ダークな印象になった開催国も少なくない。
もはや、オリンピックでも、パラリンピックでもなく、
私からすれば、ポリテックに汚染される、ポリンピックだ。

韓国の選手、その家族、応援団。
北朝鮮の選手。
いずれも彼ら本人には罪がない、関係ない。
であるのに、競技と違うところでの、精神的苦痛は
・・・と思うと、心が痛い。

今、オリンピックって要るのか?
政治利用も甚だしく、またスポンサーを巡っては
経済利用も無関係でなく・・・。

また、無駄なお金を費やす時間がはじまる。
とは思っているが、

闘う選手にとってみれば、それが自らの仕事、人生。
その奮闘に元気をもらう人も多い。このこと自体は
素晴らしい。
だから、やる以上は、純粋にがんばってほしい。

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ネット社会のプロパガンダ。

20世紀前半のナチズムの情報発信行為を例にしながら、
「あれは同じPRでも、プロパガンダですから、私たちが目指すPRとは
違います。今日の企業や組織がすべきPRは、PUBLIC COMMUNICATIONSの
PRです」
と、そんな話をもう何度も何度もしてきた。
そう、プロパガンダとは、もう昔の、反面教師の、二度と現実にあってはならない情報発信行為。
言い換えれば、扇動的な発信活動。

気が付けば、現代社会はネットという手段が加わることにより、より加速的、拡散的、かつ
無責任的にプロバガンダの時代に突入している。
世界の大国がほとんどそうかもしれない。
ヒトラーの時代もそうだったようだ。気が付かないうちに、みんなそれがいいと思うように
なっていた・・・。そうなるように仕組んでいく、あるいは思考停止にするのが、
恐ろしいこのPR。

中立でなければならない、むしろ立場の弱い人(社会的弱者)を守る、どんな人も
社会で等しく元気に生きられるように応援すべきマスメディアも今や変わり果てた。
なんで、今、その話題を選ぶのか?
と毎日思う。
だから見なくても良い、見ては毒になる・・そんなメディアも少なくない。

知り合いのジャーナリストは、最近こんなメッセージを寄せてくれた。

新聞の役割って、
悲劇を二度と繰り返さない
とか、
いま、世の中で困っているひとをさらに生み出さない
といった点で、
弱者の視点を普遍化し、問題提起することなんだと思います。

・・・・・・・
そのとおり。
なのに、部数を競う新聞やとくにテレビは、プロパガンダへの道まっしぐら・・。
と私には感じられる。

やはり、受け手として、きちんとした受信力を身に付ける必要が
これまで以上に必要だ。

プロパガンダの次が、戦争・・というステップにだけは
絶対ならないように。

と、そんなことを危惧している合間に、オリンピックが
始まるらしい。

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哲学をどうする?

55歳からの生き方について、模索している。
35歳になるまでに、「心の観覧車をつくる」というライフコンセプトを
考えた。そして、そのまま20年歩いてきた。
今も、これからも、この方向性は変わらない。
コミュニケーションを通じて、関わる人が幸せになるように行動する。

そして、さらにここで、新たな柱を立てなければ、とも強く思っている。

まさに観覧車が20年という大きなサイクルを回ってきたように、原点に戻りつつ
また新たに回り始めたい。

20年前と比して、コミュニケーション環境は変化し、人は易き方向に流れ、
足元が不安定な気がする。
眼前の欲望に心踊らされ、しっかり考え、人生を意義あるものにするということに
ついて、とても気になっている。

哲学が必要だ。なぜ生きるのか、なぜ愛するのか。人はそもそもなんなのか?
これを難しそうに、上から目線で唐突にいいだしても、伝わらない。
このことを私なりにわかりやすく伝えることは意味がありそうだ。

自分がすべきことが、だんだん見えてきた。
少しづつ 光が見えてきたような気がする。

で、哲学をどうする?
私の場合、こうする!を具体化していこうと思う。

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目を閉じて、地球の裏の彼に。

ときに、テレビや街角のお店から、バンドネオンの音色が流れてくると、手も足も止め、耳を澄ます。
そして、目を閉じると、あのブエノスアイレスの真っ青な空が心一杯に広がってくる。
ピアソラの弾く音色がよみがえり、たまらない気持ちになる。

写真はピアソラのお墓の写真だ。
もう一年半前になろうか。念願の訪問。

季節が日本と逆になる当地では、夏前に咲く、ナジャランカの花がとても美しく・・。
青い空にピアソラが弾く、バンドネオンが響き渡りそうな、そんな場所にたたずんでいた
ことを思い出す。

あるメロディから、目を閉じるだけで、現実以外の再会やタイムトリップを
体験することができる。
音楽の力とは、まさしくマジックのようだ。

ああ、必ず弾く、必ず行く。もう一度。
ふと、ピアソラに寄せた曲を創りたくなる。日本は冬、むこうは・・・・夏。

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