コロナとの真なる戦い

ウイルスはさまざまな変異、変容を続け、私たち人間に恐怖をもたらし続けている。
形、型が決まっている存在ではないため、その対処が難しい。
ワクチンもすべてのウイルスに万能というわけではなく、まさに長期戦のウイルスと人類の格闘が続いている。
そんななか、三度目の緊急事態宣言。さまざまな反響があるのは当然だ。
まさか、GWが二年連続で、そのような事態のなか迎えることになろうとは。
本当に観光業、飲食業の皆さんにおかれては、今年こそは!との期待もあったはずでお気の毒で、心が痛む。

変異種が・・といってしまえば、そうかもしれないが、このウイルスに対する
取り組み姿勢と曖昧な行動がこういった結果を招いているのではとも思う。
この国難を乗り切っていかねばならない時期のリーダーシップの欠如、関係者の気のゆるみ、無策、計画のなさ・・このことが、国民の、とくに若い人の意識低下につながっているのではと思う。
どうせ、自分ぐらいは・・・。この事態に及んでも、大声で話し、盛り上がっている若者グループを町でよく見かける。
マスクをしているからいい。ということではない。
自分ごとではない人たち。それとこれは別と思っている人たち。
今、一番怖いのは、このコロナに慣れてしまっている人が増えていること。

このウイルスとの戦いはもちろんであるが、今、もっとも戦わねばならないのは、人間の驕り。
もっと謙虚に。人間が万能ではないということを知り、あらゆる事象の優先順位を見直して、力を合わせてこの苦難を乗り越えること。

コロナとの真なる戦いは、対人間の問題。一枚岩になれなければ、いつまでもダラダラこの状況は続くだろう。
ウイルスと戦う以上に、人間の欲に潜む膿を出すことが優先では・・。

この事態に決して慣れてはいけない。1日も早く終息できるように、自分ができることを。全員がそれを実施するしかない。
ゴールデンとはまったくほど遠い、ブラック?グレー?な連休。
去年のあの頃の緊張感をもう一度思い出し、ひとりひとりができることを。
そして早くお店が普段の営業に戻れるように・・。





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一緒にいてくれる。前より近くなる存在へ・・・。

あるご縁から、何年もやりとりが続いている、ある修道院のシスター。
宗教を越えて、人として、ひとりの女性として、その強い生きざま、仕事に向かう姿勢を心から尊敬し、台風の中、雨の中、会いに出かけた。遠藤周作が愛した外海での出会い。まさに、フランス宣教師として長崎で奉仕の生涯を送られたド・ロ神父が残された一台のオルガンが導いてくれたご縁だと思っている。
会う回数こそ少ないけれど、素朴なやりとりを重ね、今日にいたっている。
このたびの母の旅立ちについて、キリスト教では帰天と言われるが、心を込めた祈りを捧げてくださり、母は幸せだと、そう語ってくださった。
そして、ご自身の経験を踏まえて、大切な人の死は、時間とともに、その存在は近くなるはず・・と教えてくださった。実際、シスターのお父様が10年前に亡くなられ、それからご自身がそう感じておられるとのこと。
「なんか、父がずっと一緒にいてくれているような、前より近くなっているようなそんな気がするのね」
そんなことを聞いていると、時間と存在の関係は面白いものだとも思えてくる。
時間の経過は、忘却に向かうこともあるが、大切な人との思い出は、むしろより強い記憶として、心のなかで生き続けるのだろう。
生きているとつらいことがいっぱいあるけれど、今は幸せですよ。
宗教を越えて、みなさん、同じことを言われる。
そして、旅立つ人は幸せ。残された人はしんどい。
とも言われる。それはそのとおりだ。でも、それも順番なのだろう。

でも、生きているからこその幸せがもっとある。もっともっとある。
今はそれを楽しみに、今日を生きる。
いろんな方の思いに、愛に支えられて、生きているな。ありがたい。
ささやかでも、その想いを大切に。今日も、新たに生きる。



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どうせなら、人がやらないこと、やろう。

クライアント企業への企画提案に際し、そのクライアント担当者も、ライバル会社も、絶対考え着かないことを考え、提案したい、形にしようと思う。
これが、企画を生業をするプロの姿勢だと思う。

今回も、新たな挑戦に向かう若きプランナーより、夜になってご相談の電話をいただいた。日が迫るプレゼンに向けて、あれこれアイデアを広げていくうちに、私が以前示した話を思い出し、改めて、詳しく聴きたくなったようだ。
質問に応えながら、それ以外にもあれこれ、ありえない面白いアイデアを連発する。あんなのもある、こんな考え方もある。この表現はどうかな?電話で束の間の企画会議さながら。但し、プランナーは電話の向こうで終始げらげらと笑っている。いいことだ。難しい顔をしていては、楽しい企画は生まれない。
笑いながら、考える。いいヒラメキはそんな瞬間に生まれる。

デジタル社会だからといって、いかにもデジタル技術に寄った提案はどこでもやりそうだ。
デジタル社会だけれども、だからこそ、アナログで人肌を感じる、プチ感動を伝える工夫。お客様は、みなそれを求めているはず。
今だからこそ、その読みは大切だ。
「あ、全然関係ないかもしれないけど、へんな事例もあるよ。あとでネットで見てみて~」
相談される以上、一見、唐突で変な、誰も思いつかない事例も伝えておく。

企画とは、企てること。何もないところから、何かを生み出す仕事。
人まねや、ありきたりのことをやっていては、価値は認められない。
どこまで人がやらないことを、発想できるか。その価値を伝えられるか。

結局は日ごろの引き出しの多さにかかっている。
彼女は、例の防災ドラマ「東京ヘルメット物語」を思い出して、企画に活かせないかと思ったようだ。まさにすでにこのネタが彼女の引き出しに入っていたわけだ。嬉しい限り。

世のなかに不安が多い分、わくわくドキドキ、楽しくて優しい企画を世に送りたい。
愛しき後輩プランナーたちに、そんな思いで仕事に向かってほしいと、心からエールを送る。



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だらだら空気に流されないよう。

コロナのおかげで、この1年以上、生活のさまざまな面で、行動が制限されたり
不自由を強いられている。
私自身は、まだしも良いが、思慮の浅い企画、私利私欲にまみれた、違和感満載の決断に振り回され続けている旅行・観光・サービス業の方々には、本当にお気の毒としか言いようがない。
海外渡航はもちろん国内旅行、出張でさえ、自由に組めない。動けない。
いつになったら、マスクなしの生活に戻れるんだ!!!
と、この生活に慣れそうになる自分、ふと我に返る。

相手が不安に思うならば、リスクを冒してまで行動すべきではないと思える今。
さまざまな我慢をしながら、日々生きている。
東京に住んでいるのと、地方にいて現在の東京のことをイメージするのはかなり印象が違う。東京、大阪は危険な地域になっている。そこで普通に暮らしている人が多くいるのに・・・・。
 感染者数の少ない地方の方から見れば、都会からの移動は迷惑なこと。その地域差も感じながら、日々の自らの行動を見直している。

自粛をするのはまだいいけれど、でも、ずっとこの調子だったら・・・
このだらだらした空気、緊張感のなさは、改善とは別の方向に事態を招いているようにすら思える。

だらだらしている。
いつまで、こんな日々を送るのか。
慣れてはいけないことに、今慣れてしまっている日本人がいる・・・。
皆でなんとかしなければ。という気持ちの前に、
どこか絶対的に信頼できる共通の存在、共通の目標を持てていない現在の日本に
危惧を覚える。
だらだらニッポン。
精神論だけでは、物事は解決しない。目先のやってる風では、結果的によくならない。

だらだら。ほんとうに時間の無駄だ。
せめて、自分の人生時計は、それに巻き込まれず、だらだら刻まないように、ちゃんとしたい。


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真に寄り添える人に。

今、周囲の皆さんのありがたい気持ちで、支えられている。
そんなことを日々しみじみと感じている。
「たかちゃん」。同い年で、東京で出会い、仕事で20年近くご一緒させていただき、またその間には、公私にわたるさまざまな共有の時間もあり・・・。
思えば、岐阜でのライブにも、わざわざ足を運んでくれて、親にも会ってもらったこともある。たかちゃんのお母さまの入院先までついていって、用事が終わるまで待合室で待って、その後、お店のリサーチに一緒に出かけたこともある。
自らの病に向き合い、健康管理をしっかりしながら、天職である仕事に邁進する姿。次代を生きる後輩に自らの仕事観をしっかり伝えたいと熱く生きている。
人生に素直に向き合って生きている。愚直な面もあるかもしれない、永遠の青年。
本当に、書ききれないさまざまな思い出がある、大切な「心友」だ。

今回の母のことについて、入院中も応援のメッセージを届けてくれて、そして
亡くなったときも静かに心を寄せてくれて・・・。
「本当は岐阜に駆けつけようと思ったよ、でも、コロナだしね。まさこさんのご両親のこと、今もしっかり覚えています。今尾家の人は濃いね。」と印象をやさしく語ってくれながら、私に無理しないようにと「悲しいときは悲しく、嬉しいときは嬉しく。自然でいいと思います」と、そんな言葉をかけてくれる。
彼自身のさまざまな経験が、そんな思いやりの言動になるのだと確信する

今、日々、いろんな方が心を寄せてくださって、本当にありがたいと思う。

その気持ちに、ときには甘えながら、時の流れに心を任せていく。

どんなときにも、大切な人に寄り添える、そんな人に。
改めて、今回強く、強く思っていることである。

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母と永遠につながるツール。

葬儀で飾った花は、約20日間、家の花瓶のなかで咲き続けた。同じお花を差し上げたみなさんにも「あの花、よくもったね。長いこと咲いてたわ」と喜んでいただいた。花を見ていると、母のことを思い出す・・。花に枯れるな、まだ咲いてて・・と水を必死に交換した。
人と花の命は、なぜか、つながっている。と勝手にそう信じているから。

一方、葬儀の会場を照明や花に、紫色を意識して演出してもらったため、
母の好きだったイメージで、送ることができたことは、とても良かった。
おそらく参列された方には、ずっと記憶に残るセレモニーになったと思う。
世界観とは大変重要だ。最後のブランディングとは葬儀ではないかと思うほどだ。

このように、このお別れの時に「母は紫色が好きであった。」ということがしっかり人々の心に刻まれることになったが、母がこの色が好きになったのは、実は私の影響だ。
30代後半、グラン・ルーとして独立した頃から、名刺にはじまり、紫をイメージカラーとして多用すると、母も「いいなあ。その色」と言って、紫色を好むようになった。紫の小物や洋服もよくプレゼントした。色の好みは伝染するのか、そこから紫好きな母の友達も増えていた。
そして、母は晩年、前髪を紫に染めた。それがトレードマークにもなった。
「お母さんの影響で紫が好きになったの?」「紫好みはお母さん譲り?」と、葬儀に参列された方に言われたが、実は逆である。
いずれにせよ、パープルカラーは母と私の共通項になっていったことは間違いない。

そんなこともあって、母のことを楽しく思い出すために、これから、紫の花を
愛でることに決めた。
花屋に出向き、季節の紫の花を探して、飾る。
お寺と、実家と、そしてわが自宅。そして、母がよく通ったお店。
母のゆかりの場所に、紫の花を飾る。
そうすることで、母もそこにいるような気持ちになり、皆さんの気持ちも癒される。
そして、私はひとりのとき、この花に話しかける。
花を通じて、母と会話する。
そうすることで、普段通りに、そして前向きな気持ちになれるような気がする。
昨日は、写真の花、トルコキキョウを調達した。
白い花はどこか悲しいが、紫の花なら大丈夫。
紫と花。これから母とつながる、大切なコミュニケーションツールになる。

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遺された者への贈り物。

母の死は、確実に私を新たな世界に導いている。
葬儀関係、お寺、石材店といった、これまで無縁であった世界、業界の方との接点。ああ、こうやって、人の生死は社会の中で賄われていくのだということを実感。まさに、人生は観覧車のように・・・。これまで私が乗っていた観覧車は「死」に触れることがなかったため、今回のことでさらに世界が広がった感じだ。
私自身は、無宗教だ。宗教についての思いや考えはあるが、特定の宗教だけを
信仰するということはない。
どの宗教にも固有の歴史があり、生臭い面もあったり、各時代の世情、世相と深くかかわってきており、ときには人を助けるが、ときには人に不幸をもたらすこともある。
宗教戦争ほど、悲しいものはない。結局、権力闘争か・・とがっかりしたり、
男社会の権化とも思える一面も感じ続けているため、自分自身にはとくに宗教はない。
しかし、それは私自身の考えであって、母の願いは願いどおり叶えねばならない。そんなことで、ここのところ、お寺さんとの交流がはじまっている。
そして、この関わりでは、地域社会におけるお寺の役割について、考えるいい機会をいただいている。
人の一生の終わりをきちんと結び、浄土(といわれる世界)に亡くなった人が旅立ち、そして残された家族の悲しみも癒えるように・・・そんなケアをされるのがお寺さんの大切な役割である・・ということが今回わかってきた。

母が亡くなって、真っ先に連絡したのは葬儀社とお寺さん。
何も知識がないなかを、この道のプロが指南、そして流れにのってことが運ぶ。
おかげさまでなんとか役割を果たすことができた。
そして、新たな発見もいろいろあった。
今回の母の葬儀関係で感動したことのひとつは、お経の声だ。母がよくしていただいたお寺の住職がお読みになったお経は、本当にいい響きであった。その響きだけでも母が浄土に行けそうな気がした。お経とは、キリスト教でいうところの讃美歌にも通じる、音楽的要素がある。なんてことを感じながら手を合わせ、
拝聴していた。
また、それを聴きながら小学生の頃、公民館でいやいや通わされたお経教室のことも蘇る。母に行かされたな~。それにしても、ああ、このご住職、いい声だな~。お経読むには、声が命だ。
また、読経後、ご説法される時にも、ユーモアたっぷりの話し方に、お人柄を感じた。この方なら安心して色々相談できるな~と思えた。

また、この葬儀前後の段取りについては、ご住職だけでなくお寺を切り盛りされる、坊守さんの存在も改めて知りながら、お寺という仕事はこういう役割分担で回っているんだ。と感心したり・・。

そんなことから四十九日、納骨の日を迎えるまでに、お寺さんとのやりとりが続く。
母が生前お世話になった、おつきあいがあった方たちだからこそ、信頼して
お願いできるという面も大きい。
どんな仕事であっても、仕事ぶりだけでなく、人として見る、視る。
その興味関心から、つながりが生まれ、関係が育まれる。

知らなかった世界との出会いは、母の死が与えたこと。
これは、悲しみ、寂しさと引き換えであるが・・・。

「母」の存在を介して、これからも新たな出会いが続くことだろう。

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父と一緒に。

母の告別式後、初めて父と合う機会を得た。
さまざまな手続きの中で、父の直筆サインが必要となり、
施設の許可をもらい、久しぶりの入室。
長らく、文字を書くこともしていなかった父に対し、
うまく手続きが進められるように、サインの練習をして
おいてもらうよう、施設の皆さんにお願いしてあった。
父は前日に、一生懸命、自身の名前や、自宅の住所を書く
練習をしたとのこと。
おかげで、手続きは無事に前に進めることができた。

その用事のあと、父と私の二人の時間を少しだけいただいた。
告別式でバタバタと別れて以来の再会であり、その後のケアも
フォローもできないままであった。
「・・・寂しくなったね」。どんな言葉をかけていいかわからず、
出た言葉のあと、父も私も堰を切ったように泣いた。
そして、持参していた父と母のツーショットの写真や、私の生まれて間もない頃に両親と一緒に写っている写真を1枚づつ、一緒に見る。
「これ、どこかわかる?」半世紀以上前の写真だ。
「岐阜駅やないか」「そう、甲子園に行くバスに乗る前だって」・・・
父はちゃんと覚えていた。しっかりしていた。
写真を見ながら、一緒に、母の在りし日のことを思い出す瞬間。
「これが、去年の11月。ここで撮った写真。これがおとうさん
がお母さんに会った最後の写真。」父は、じっと黙って写真を
見ていた。
「お母さん、疲れていたね」
そう、その写真は、元気な頃の写真とは全く違っていた。
「お父さん、お母さんの分も生きて。もう一人しかおらんのやで。
お願いします・・・」
と父に伝えた。
「コロナやで、もう行くわ。また来るね。早くワクチン打ってもらってね」
静かに父の手に触れ、別れた。
・・・・・・・
そんな父と二人の時間。
このとき、親が生きているということのありがたさを、強く強く感じた。
父と一緒に。
母の分まで。
こんなことを桜が咲く前には、考えたこともなかったが・・・。






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日常に「高級」をワンポイント。

コロナの影響もあるのかもしれない。
家で食事をとることが増え、外食しない代わりに、ちょっといいものを、ということで日常使いのものをワンランク上のものにする。そんなケースも多いようだ。
コロナ禍で、パン屋さんやケーキ屋さんは順調ときく。
中でも、高級食パン屋さんは、地方にいっても、駅前などで見かけるほどに
増加、今や、パンの主要カテゴリーのひとつになってきている。
たとえば、銀行のATMスペースに出店したり、ビル1階の隅っこで、開業している人も少なくない。焼き上がり時間には、人が並んでいるお店も多い。

私がずっと気になっているのは、高級食パンの「高級」の意味。
高級があるなら、中級や低級もあるだろう。
高級って何だろう?
普段自分がいただいているパンはどこに当てはまるのか?
ちなみに小麦の味がしっかりするシンプルがバケットやパンドミーを常用しているが、これらは高級?おそらく今の流行りからすればそこには該当しないだろう。
毎日食べているものは高級ではない。特別な日、非日常的に戴くのが高級だ。
ここで言う高級は、生クリームが入っていたり、いろんなものが入って
値段もこれまでの食パンの2倍以上のもの、また毎日食べると飽きてしまうものでもあるかもしれない。

また、以前、食パンを人に贈るなんてなかったけれど、最近は
高級パンは立派なギフト品になる。ケーキをさしあげるような感覚かもしれない。
最近、いただいた湯種の高級食パンは、確かに持っても食べてもぎっしりして、生、トースト、いずれでも楽しめる重宝なパンであり、もったいない、もったいないと思いながら、美味しくいただいた。

でも、
高級って、自分からいうと、なんだか気恥ずかしいけど?
ルイヴィトンは、自分のことを高級とは言わないだろう・・・。とも思ったりする。
しかし、「高級」という言葉は高級に憧れる人、庶民にとって幸せのアイコン。
ともあれ、
「高級食パン」市場は、コロナ禍も手伝って、日本でしっかり定着した。

今やどこでもここでも・・で、そのうちバブリーに終わらないかと心配もする。
どんなものでも、どんなことでも、しばし、幸せになれるひとときは、
必要だ。
「高級食パン」、とてもアジア的、日本的な存在だ。


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「まずやる、すぐやる!」が、心に響く!

外食業界が大変だ。
そういいながら、皆さん、生き残るため、さまざまな工夫をしている。
時短のなかでの戦いは厳しいものがある。
お客の心理として、20時で終わりか、21時で終わりか・・では
全く違うというのだ。そりゃそうだ。21時まで営業していると思えば
18時半からでもゆっくり食事できる。でも、20時で終わりとなれば、
かなり意識し、早めに仕事を終えたりしないと時間が足りない。
そこまでしてまで、外食したいか?ということになる。

そんななか、今は弁当、テイクアウトへの対応に力が入る。
コロナによって弁当がこんなに売れるとは思わなかったというほどに
弁当市場は競争がかなり激化している。
これまで弁当を売っていないレストランが弁当を売ることで、
売れなくなっているお店も存在するはずだ。狭いパイを食い合っている。
短時間での激しい競争だ。
どうせ食べるなら美味しいものをということで、レストランの弁当は
好調のようだ。

話は戻るが、問題は夜時間。テイクアウト用商品にでも、外食らしさを
出してはどうか?
たとえば、お店で接客しているのと同じように、商品にメッセージを入れる。
そうすることで料理は生きた存在になり、食べる楽しみが増える。
そんな話をしていたら、早速それを実践してくれた人がいた。
この行動の速さがうれしかった。

いいと思うことは、まずやる。すぐやる!
その積み重ねで業績も必ずよくなるはず。
外食とは、お食事のご提供であり、人がサービスするところに良さがあるはず。
そのことを、今できるカタチで実行する。スピードが最重要だ。
まだまだやれることはある。よくなろう、よくしようと思う気持ちと行動。
その持続が成果を生み出すと信じている。
丁寧に伝える言葉と、おいしさは比例して・・。
もちろん料理も、とってもおいしかった。

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