企画女子のWEBマガジン更新

京都の企画女子たちとつくっているWEBマガジン TKGプレスに、
このたびの 葬儀体験を、ビジネス目線で書きました。
本マガジン、5名のメンバーで随時投稿推進中です!https://www.taihei.co.jp/tkgpress/

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緊急事態宣言下のおひとり様ごはん

時短の延長のみならず、酒類も提供できない。
レストランにとっては、昨年以上の大打撃。悲鳴どころで収まらない。
宣言解除のお店の状況も心配だ。コロナ収束時に、どれだけのお店が
営業続けていけるのだろうか?
応援しているお店には、待ちから攻めに転じるように、あれこれとアイデアを
出したり、お店近隣の知人友人に、出来る限りのご利用を呼び掛けたりする。
大変だ、大変だ。とただ厳しい状況に身をおくだけでは、明日はないかも・・・。と、店側の立場ではそんなことを思いながら、ついお節介をやく。

一方、客の立場に立つ。
仕事や用事が一区切りして、お腹がすいた。 最寄り駅のビル。
19時までしかお店はやっていない、でも、食事を出すお店は、ちょっと気になる。お酒は出ないから、しっかりレストランとなるとちょっと気後れするが
カフェレストランぐらいで、ひとりで食べられるメニューがそろっている店
だと、入ってみようかと思えてくる。
しかも店内はすいており、ゆったり静かに食事ができる。
不謹慎な言い方ではあるが、ちょっと贅沢な時間だ。
外で食事というと、おしゃべりするのが当然というイメージがあったが、
今はひとりでゆったり、気兼ねなく、静かにいただく。こんな夕ご飯はとてもいい。実際、この緊急事態宣言下で、これまで入ったことがないカフェレストランに足が向いたのだ。
前からゆっくり食べたかった鉄板のパスタとサラダをいただく。
広い店内には3名(3組)ほどしかおらず、ゆったり空間。何か安心。
広々としたテーブルに一人の女性がサラダメインの夕食を召し上がり、
スタッフと少し会話を交わしていた。常連さんらしい。
また、別のビジネスマンは、ドリンクを横に、本や新聞に目を向けている。
と、この空いている状態を楽しんでいてはいけないが・・・。
これまでになかった、平日夕方の風景。
今は今で楽しまねば。落ち込んでいても仕方ない。
ひとりごはんは、悪くない。
また来ようかな、今度はあれを食べようかとメニューもゆっくり見ながら
考えるのも、なぜか楽しい。

そのことをもっとアピールすると、そこに響く人もいるのでは・・・。
「ちょっとゆったり、おひとりごはん、いかがですか?」
「今日もお疲れ様です。疲れをいやす、おひとりごはん、いかがですか?」
そんな訴求が、今の自分にはすっと入ってきそうだ。

などなど、外食は以前と違うサービスのスタイルを創出していかねばならない。
もちろん、コロナには早くお引き取り願いたい。

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おひとり様コンサート。

5月10日。もともと予定されていた岐阜新聞社のロビーでのコンサートはコロナで中止。その日の午後に、「マーサさん、おひとり様コンサートは終わりましたか?」と一通のメール。先日、書いたブログをきちんと覚えていた方がおられた。そうそう、やらなきゃ!と思いながら、雑事に追われ、時間が経った。
「すいません。今日はちょっと難しくなったので、明日岐阜へ行くので1日遅れでやってきます」と、その方に返事。
そして11日。午後から岐阜での用事が終わって、実家へ向かう。
そして、母と父が用意してくれたピアノの蓋を開け、姿の見えない母に向かって、おひとり様コンサートをはじめる。
母(と父も)にちなんだオリジナル曲を中心に演奏する。
まずは、「ひと・文様」父母の金婚式の祝いにとかいた曲。
そして、2年前に書いた、「イツカサイゴ」。
幼き日の頃を思い出すナレーションとピアノで構成した「まどれーぬ」
ふるさとへの思いを綴った「みず・つち・ひと」
この4曲を弾き歌う。
途中で、歌詞とともにふと母のことが頭をよぎると、うっとなり、涙声になってしまうが、気にせず自然に。なんといっても、おひとり様コンサートだ。

曲の合間に、母が笑って、音楽に合わせて体をゆらしているような感じがした。
ニコニコした顔が浮き出てきた。
そう、いつも私がピアノを弾くとき、歌を歌うとき、どんなにそれまで怒っていても、母は上機嫌になった。

このわずか4曲を歌い終える頃、涙のせいで、目が少し貼れた。

歌は永遠だ。涙もあり。悲しみを浄化し、想いを深める。母への感謝の気持ちがピアノの音色とともに、空に届いていくような気がした。拍手は、ちゃんと聞こえた。

おひとり様コンサート。また続編をしよう。

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つながりが終わる瞬間(とき)。

母と父は携帯電話をセットで契約していた。すでに父はここ約半年、自分から電話をすることはなくなったが、母が生前、入院する前日まで電話を使っていたため、契約を継続していた。
今回、もう使う人がいなくなってしまったので、少し迷ったが、勇気をもって
父母の携帯を解約。
解約日までに、一応、ふたつの携帯のアドレス帳の内容を転載し、今後も
必要なときに連絡先がわかるようにとして、とスタンバイ。
解約日の前日に、久しぶりに父の携帯に電話に着信。まだかかってくるんだ・・。でも、今の状態では父が電話に出ることはないし・・・。
ということで、予定どおり、ふたりの携帯を解約した。
「この時点から、ふたつの電話、通話できませんので」と言われ、「はい」
と返事をし、電話機だけもらって帰る。
電話機だけでも、あると何となく気持ちが違うのも不思議だ。
父と母が使っていたこれらの携帯。ゴールドとピンク。
このガラケーから、どれだけ私や妹にメールを送り、
電話を鳴らしただろう。たんなる金属の塊となった今でも、思い出が詰まっている。デイサービス先で携帯をトイレに落としてしまった・・とこわごわ電話してきたのはまだ3か月ほど前のこと。「なんで、トイレにまでもって入るの!!」
とめちゃくちゃ怒ったときのことが、もう思い出のひとつになってしまった。

解約の翌日、父の電話に着信された相手の方に、確認の電話をする。
「父は施設に入って、もう電話ができないので、申し訳ありませんが
昨日解約してきました。もし、何か今後御用があれば、私にかけていただければ
父に伝えますので・・・」と私が伝えた相手は、前日父にかけてきた電話の本人、ではなくその息子さんであった。
もう80代を越えると、十分に電話ができない人も多い。子どもが代行する。
〇〇詐欺もあってのことだろう。

父、母と携帯。
電話やメールができた時間はとても元気であった。
もうそれで話すことも、聴くこともない。

たまらなく寂しい感じ。ひとつの時代がまた過ぎたような。
親の仕事をひとつづつ片付けるごとに、喪失感が増す感じだ。
それにも慣れると思う。
淡々と事務的な仕事をこなすように、ひとつひとつ前に進む。
心はちょっと脇において・・・。

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生きている限り、出会う。

残された人がつらい。残された人が大変。
人の死とは、そういうものだと、母が亡くなったあとに誰かが
言っていた。
確かにそんなものかなと思う面もあり、そして、
今は、それもあるけれど、それだけでもないとも思える。

今も母の姿かたちが見えないことは、考え出せば悲しくなるが
いつかその日は来ることになっていたのだから、とあきらめはつく。
そして、誰もが経験することだから、自分だけではないのだからと
思い直す。
そして、母に対しては、自分ができることを悔いなくやれたと思うので、
苦しい気持ちはなく、少しづつ時間を経て、客観的に
人生の大きな節目として、とらえることができるだろうと思っている。

残された者というか、残ったものは、亡くなった人のことを
それぞれの思い出を抱き、生き続ける。
このたびの母の死があって、初めて出会う人、言葉を交わす人もいる。
それも含め、生きている限り、さまざまな出会い、関わりを持ち、
生き続ける。
死という別れが、新たな出会いを連れてくる。
まさに、人生は観覧車のように・・・。

出会いがある、刺激がある、学びがある。これは、元気であるからこそ
得られる人生の恵みだと思う。
自分がこの先、どれぐらい生きるのかはわからないが、
いい出会いを得られるように、毎日に臨みたい。

若い日は数多くの名刺を集めるごとく、
たくさんの出会いがある方が良いと思っていたが、今はそうではなく。
尊敬できる、心から共感できる人との良質な出会いを求めたい。
数ではなく、質。

人は生きる限り、出会う。出会える。
さあ、今日はどんな?


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それぞれの母の日を。

子どもの頃から、あるいはいろんな事情で母親がいない人が、母の日をどう捉えているか、などこれまで考えることもなかった。

そんなことを知っただけでも、今回の母のことは勉強になった。
赤いカーネーションが町を彩り、楽しい感謝が溢れるのが、これまでと違う感覚で私のなかに入ってくるが、これは、ひとつの時代を過ぎたのだと思うことにする。

今日は四十九日法要の日。意図して計画したわけではないが、母の日になったことは結果的に良かったと思える。
きっと、これでこの日のことを、生涯忘れないだろう。

姿が見えても、みえなくても、母という存在は永遠だ。
今日は心に広がる母を抱き、静かに祈りを捧げたい。

それぞれの母の日。きっと感謝の気持ちを捧げるという点では、世界共通だろう。母のおかげで、自分がいる。
母がいなければ、自分は存在しない。それも世界共通だ。

死ぬまで、そのことは変わらず。改めて、感謝を込めて。
今年、はじめて紫のカーネーションを選んでみた。

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「今は昔の良き日本」への警鐘。

世界を旅しているとき、台湾人も、欧米人も「おー、日本はいいところ~」
とみなさん、口々に絶賛されていた。
今も忘れない。20年ほど前のことだ。あるパリはモンマルトルの洋品店のおやじさんに、私がTOKYO、JAPANから来たというと、「OH!SONY、TOYOTA!」と笑顔で言われ、日本は観光だけでなく、モノづくりでも有名なんだ。ジャパンブランドってすごい!と思っていた。そう、とくにTOYOTA、SONYは世界のどこの町にいっても、皆さん知っており、それをもって日本に親しみをもってくれていた。
そして、何より治安もよく、人も優しくて、安心安全で自然豊かないい国・・・という印象をもってくれていた。
唯一、ブエノスアイレスで出会ったベネズエラ人からは、生まれて初めて日本人に会ったと、それだけで感激され、ただ、テレビや映画で見る日本は、超忙しそうで、超スピード社会で怖い印象だと言われたことはあったが、それ以外は、日本は世界中の憧れの国であった・・・。と私は日本人であることに、誇りをもっていた。

という話が、とても悲しいが、「今は昔。」になりそうだ。
このワクチン接種の遅れや、今だにオリンピック開催にしがみついている国の
愚策を、各国が危惧しはじめている。
世界、そして国内の反対を押し切っても、間違って開催し、新たな感染を引き起こせば、日本は間違いなく世界の笑いものになるだけでなく、迷惑をかける国、信頼できない国、国民を大事にできない国、イコール尊敬できない国。
と世界から相手にされなくなることは目に見えている。

そのことが、為政者たちには見えていないのだろうか?と疑問は尽きなく、
そこに触れると怒りも爆発しそうになる。

このままいけば、日本は昔の国。昔はいい国だったと言われ、観光でも選ばれなくなり、いろんな意味で衰退していくことだろう。
観光を心配して目先の旅行キャンペーンをやる以上に、先の観光立国をイメージすれば今、何が大事なのか見えてくるはずだ。

いつしか、隣の大国たちに主導権を持っていかれることにならないか・・・かとも心配になる今日この頃。

それでも、まだワクチンが買える国なんだから、それすら手に入れられない国に比べたら・・・という知人もいたが、それはそう。日本は有難い国。
でも、今後は心配すぎる。
コロナはリーダーシップを試すウイルスなのか?

いやはや、とにかく、国の未来に傷をつけることは、やめてほしい。
欲深い年寄りは早く引っ込んで。次代の人のことを真剣に考え、今を生きる人
に皆がならなければ・・・。

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わが背中を押す言葉に出会う旅

最近、一行日記をはじめた知人がいる。それを始めることが、コロナ禍での新たな過ごし方になっているかもしれないし、生活を変えるきっかけになっているかもしれない。少なくとも、まずテレビを見る時間は格段に減ったそうだ。

とにかく自分の言葉を記す、残すといった日々の活動はとても大切なことだと実感する。
このブログは、「よりよく生きたいために・・・」というコンセプトのもと、
日々出会い、感じ、考えるさまざまな事象について、おもにコミュニケーションの観点から書いているが、これだけが全ての手段ではない。
無意識ではあるが、もしかしたら自分が生きている小さな証しのひとつかもしれないし、この行為が毎日毎朝あることで私の生活も13年前とは変わってきている。
言葉にする。という行動は自分に向き合いという点でとても大切だ。
言葉は、何者にも代えがたい大きな力をもっている。

キラッと光る「ひと言」をたくさん残すことができたら、素敵なマーサ語録になるかもしれない。俳句や短歌は私にはちょっと柄でもない感じはしているが、曲を作り、詩を付けることはできる。言葉が付くことで、音楽はより具体的なメッセージをもつことになる。
これも良い。自分にできること、自分に似合う言葉との向き合い方。
とにかく、いい言葉を生み出す力を蓄えたいと思う今日この頃。

そして、好きな言葉をたくさんもっているのはいいことだ。
座右の銘と言われる言葉は、まだ、ない。ずっとないかもしれない。あれもこれもいいと思ってしまう方だから。

そんななか、最近、立命館アジア太平洋大学の出口学長の講演番組を拝聴しながら、最後に出てきた言葉に感動した。

Go where nobody has gone,
Do what nobody has done.

60歳までに、この言葉を胸に、新たな挑戦を続けようと思う。
素敵な言葉は人を動かすのだ。

人生は言葉により、人との関係を紡ぎ、自分自身が磨かれる。
自分の背中を押してくれるいい言葉と出会うため、良質な人たちに出会い、
良質な書物やアートに出会う・・・。そんな人生を進みたい。
世の中が軽薄で拡散の方向に向かうことに完治せず、
心豊かな人間になれるよう、今日も素敵な言葉を探す旅を続けよう。

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「あい」と「えーあい」。どっちが?

AI。人間社会には不可欠な存在である。
「あい(愛)」も「エーアイ」も。

最近、スマホに向かって、あるいはロボットに向かって話しかけている人は増えている。何度も同じ言葉を言って、「もう!」と言っている人もよくみかける。入力するよりカンタンとのことで、音声入力をする。腱鞘炎にならないし、手が自由に使える。確かに、これもひとつの手。

企業の電話応対も、最近はAIの力をフル活用している。
久しぶりに電話で宅配便の集荷の予約をしようとした。
オペレーターにつなぐ案内はなく、「今日はAIが対応いたします」と言われて、
やむなくそのまま付き合うことにする。
AIが話して、こちらが入力するのかなと思ったら、「話してください」と
AIに言われ、彼女(?女性の声につくってある)の質問に口頭で応える。
一度で認識してほしいので、ゆっくり話す。こちらが発した音が正しいか
確認できる。すると一部違っている。「今の住所は正しいですか?」
「いいえ」と応えると、「誠に申し訳ありません。ではもう一度最初から
お願いします。」と言ってくる。へえ?また最初からいうの?間違っているのは最後だけなんだけど。とイライラしながら、最初からゆっくり住所を言い直す。
今回はミスなしであった。
ちょっとストレスがたまる会話で、本当に予約できたのかは気になった。
結局、その予約を変更したかったため、今度はオペレーターにつながる窓口に電話をする。
「さっき、AIの受付で予約したものですが・・・」と、名前と住所伝えると
「電話番号は?」と聞かれ、「さっき聞かれてないです」「そんなはずはないです。電話番号お聞きしないと受付できないです。」「そりゃそうですよね。あれ~おかしいな~」ということで、あらためて最初から、今度はオペレータに連絡し、変更の予約が完了。最後に「やっぱり、人間様相手の方がいいです。安心しました」と、思わずオペレーターの方に失礼ながら「人間様」と言ってしまった。
AIは人手不足を救う手段だ。それは理解する。でも、やっぱり、人との会話がいい。「えーあい」より「あい」。心がない相手とのコミュニケーションは、ストレスフルになりそうだ。

私には、やっぱり人間様が一番だ。

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喜怒哀楽から生まれるパワー

社会学者の上野千寿子さんが、NHKの番組での学生からの質問に答えたその一言が、大変印象的であった。

「先生は、どこからそのパワーが湧いてくるのですか?」
男性の学生からの質問だったと思う。

「それは、怒りですね。例えば、最近も・・・・」
と、先日、問題になったオリンピックの元会長を名指しにしながら、、、。と言い放ったのが、とても小気味よく、また怒りは、確かに行動の強い力になると共感した。とにかく聴いていて久しぶりに心地よい、嘘のない言葉で、改めて人生の先輩として、共感はもちろん尊敬に値いする方だと感動した。突き抜けている。さすがだ。怒りは人の背中を押す。

人間には様々な感情があり、また次々と湧いてくるその感情につきあい、時にコントロールしながら生きている。アンガーマネジメントという考え方もあるが、どんな感情もそれぞれつきあい方次第なのかもしれない。

人生は、もちろん喜びや楽しみが多い方がいいが、いつもその感情だけでは生きられない。むしろ悲しみや怒りを乗り越えた時に味わう喜びの方が、より感動的だ。いつも楽しいのもいいけれど、それもきっと飽きるだろう。なんだか、人生がふやけてしまいそうだ。

今 、母のことについて、深い悲しみももちろんあるが、現実的には、「 なんでこんなに!もう!!」と一切の断捨離をせず、人任せにして逝ってしまったある種の無責任さに、怒りも込み上げている。
怒りながら、人の人生の片付けをしているのだ。

この怒りは、今の自分の原動力になっている。
とても行動的になる。さあさあ、ちゃっちゃと片付けるぞー。じっとしていても、うずくまっていても、誰もかわってくれない。さあ、早くやることやって、次は、、、と、とても積極的な自分。怒りながら山積みの段ボールを開封していく。
悲しんでいるだけでは、元気に踏み出せない。誰も代わってくれない。

怒りは人の行動に火をつける。怒りは悪くない。
もちろんそれで終わらせてはいけない。最後はJOYにしたい!達成感を味わいたい。

喜怒哀楽。小さなことに対しても、感情豊かに。
人間らしく、心豊かに生きていこう!

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