無心の時間をもつ。

日々、時間や課題に追われる生活を過ごしている。
さまざまなバランスを考えたり、調整をとりながら
しかも、コロナ禍でのコミュニケーションの難しさも加わって
なんとなく、不安。ということも多いかもしれない。

直接会えないからこそ、余計に心を配る必要もあり、
そうしなければ、本当に伝わらないような気がしたり・・・。
とにかく、安心して毎日を生きていくのは、コロナ前より
よりパワーが必要と思う今日この頃。

そんなとき、無心になるひとときは重要だ。
スポーツでもいい、散策でも良い、料理でもいい、座禅、何でもいい。
自分ができること、したいことで、とにかく無心になれる、そして
自分とだけ向き合える時間を積極的にもつようにしたい。

最近の私の無心の時間は、ショパン。
40年前弾いていたあの曲をもう一度。
昔の楽譜を引っ張り出して、昔のようにと鍵盤の上に指を這わせる。
今日は即興曲、今日は夜想曲・・・と、あれこれ弾き散らかす。
あれ?こんなはずじゃなかった。昔はよく動いたのに。
と格闘しながらも、ショパンの美しい旋律、和音が流れてくると
この上なく幸せな気持ちになり、川の流れに身を任せているような
そんな感じで、さまざまな雑念も流されていくように感じる。

気が付けば、あっという間に時間が経つが、何か心が浄化された
すっきり感もある。

定期的にこまめに、意識的に無心の時間をつくる。

鬱陶しい季節も、生きづらいときも、その時間が自らを救ってくれる。




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経験と寄り添い

母の死について、多くの方から、さまざまなかたちでお悔やみ、お見舞いの言葉をいただいた。本当にありがたいと感謝している。
そして、自分自身にそのつらい経験があったり、より身近な体験として思いを寄せてくださったり、または私(や家族)の立場に立ってくださる方の言葉は、同じひと言でも、しみじみと伝わる何かがある。
経験がない、また身近ではない場合とは違う伝わり方である。

ふと思い出す。
20代会社員のとき、とある勉強会でお世話になっていた、当時60歳前後のある企業の部長さんに久しぶりにお会いしたとき、
「いや、妻が亡くなりましてね」
と言われたとき、
「そうなんですか、それはそれは…」
と言いながら、どうやっていいかわからず、なんだか中途半端な言葉になってしまったことを思い出す。
その当時、自分にとって大切な死というものが、身近でなく、また経験がなく
そういう会話にも慣れておらず、
薄っぺらい言葉になっており、失礼したな~と今でも思い出し、少し悔いがある。もっと寄り添えなかったのかな・・ということだ。
今、お会いしたら、きっと違う気持ちで、違う言葉をかけられたと思う。

長く生きる。いろんな経験を積む。それらを重ねることで、たとえそのことズバリの経験がなかったとしても、相手の立場に立つことができたら、かける言葉も変わってくる。
生きていくということは、楽しいことばかりではない。
まさに喜怒哀楽。それを重ねることで、相手に寄り添い、相手のことを思いやることができる。
今回、その大切さが身に沁みた。

言葉がキレイでなくていい、うまくなくていい。
相手に伝わる言葉は、そこに心があるかどうか。だ。
心ある言葉、心ない言葉。
不思議に、言葉からはそれが透けて見える。見られる。

今回、いろんな言葉をいただくなかで、この言葉ひとつからも、さまざまな学びをいただいている。

やっぱり、寄り添う人になりたい。そういう人でありたい。
自分がそうしていただいているように。

二か月以上たった今も、ありがたいお言葉、応援をいただく。
次はお返しをする番だ。

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「輪ゴム」が、貴重品になった日

笑うに笑えない、でも笑ってしまう話。
生前の母に会った最後の日。緊急搬送され、救急医療センターの部屋で酸素マスクをつけてハーハーと息をしていた。
検査がひととおり終わって、細菌性髄膜炎の疑いあり。と告げられ、入院となる。かなり事態は深刻。重い気持ちで待合室から病棟へ移動。
そのとき、看護師さんが、大事なことを思い出したかのように、
「お母さまが身につけられていた貴重品をお渡ししておきますね」
「あ、はい。」(何?)
看護師さんが、ジブロックの袋に入ったそれを渡してくれて
「え、っとお母さまが身につけられていた 数珠と時計。それから、輪ゴム。
以上、お返ししておきますね」
と中身を見せながら、説明された。
輪ゴム!輪ゴム?輪ゴムか~。
そうだ、確かにいつも、私が幼い頃から、いつも手に巻いていた。
いつも何かに役立つから・・と。カラーゴムならばブレスレットいらず・・・。
でも、貴重品か・・・。
看護士さんもマスクの下で笑っていたかもしれない。
「輪ゴムですか~。はい、ありがとうございます」
横で必死に呼吸している母。
朝、搬送されるまで、この数珠や時計や、輪ゴムを身に着けていたのだ・・・。

それから、母の荷物を整理していると、各バックの中に、必ず輪ゴムが出てくる。
そのたびに、最後に母にあったときの看護士さんとのやりとりを思い出して、ひとり泣き笑い。

輪ゴムは貴重品だ!

母がそう言い残していったのだ。
今、確かに以前より、輪ゴムの価値を意識するときが増えている・・・。

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帽子職人への敬意から、夢コラボ

前にも書いているが、帽子に対して、そして、帽子職人については個人的な思いがある。
そして、ここ何年か注目している帽子があった。
京都のある売り場で、そのアトリエの帽子が販売されているのを見つけ、そのセンス、仕事の丁寧さに一目ぼれした。
そして、その帽子を施設で演奏するときなどに使用していたら、使いすぎて破れてしまった、。
どうしても捨てられずに、そのアトリエに直接連絡し、直してもらった。
丁寧なアフターケア、仕事ぶりに感心、感動。
そこから工房とのやりとりがはじまる。

ここなら、ちょっとわがままいっても、マーサオリジナルの帽子を作ってくれるかも?
グレーの生地に、紫の刺繍。上品でエレガントな帽子になりそうだ。
と妄想する。
そして、思い切って、そのイメージを伝えると、興味をもって今夏のシリーズの特別バージョンとして制作してくれることに。
途中何度かやりとりをしながら、楽しく待って、このたび完成した。

コロナが収まったら、コンサートでもぜひと思っている。
帽子職人を応援したい。これは私の生い立ちと関係がある。
帽子は、人をよりしっかり印象付けるコミュニケーションツールである。
1点1点大切に、創られる帽子は、もはや商品ではなく、作品だ。

この色の組み合わせ、なかなか良い。
工房のみなさんも、ノリノリ?になって楽しく考え、カタチにしてくださった。
工房の職人さんと、使い手のわくわくコラボが実現。
母にも見せてやりたかったし、帽子好きな彼女にも被せてあげたかったけれど・・・。
自分でできないものは、力を借りて具現化する、実現させる。
私はモノづくりができない。だから、コンセプトやイメージを伝える。
モノづくりのスタートにはそこも欠かせない。
工房からは、ぜひかぶったところが見たいとのリクエストがあるが、
モデルがちょっと・・・役不足かもしれないが?

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天職人との出会いを。

最近、新たな出会いが広がっている。
それが母の死がきっかけになっていることが、何とも言えないのであるが、
本当にこれがなければ出会うことがない人に、多く出会えている。
不思議なご縁としか言いようがない。

そんななかでも、葬儀を担当してくださった葬儀ディレクターの方。
やりとりの中で、すっかり打ちとけて(と勝手に思っている)、
母の葬儀が終わっても、いろんな慣習についてわからないことをメールで
教えてもらったり、その仕事ぶりをWEBマガジンの原稿に書いたり、コミュニケーションが途切れず、続いている。
もう少し突っ込んでちゃんと話がしたいと思い、また黒いコーヒーをその方にも差し上げたいと思い、喫茶店でお会いすることになった。
なぜ、葬儀の仕事をしようと思ったのか。ここが私にとっては一番聞きたかった点であった。

この世界、1日で逃げ出す人も多いとのこと。
この方の場合は、いとこにお寺様がおられて、そういう職業があるということを若いときに聞いて、その道に入ったとのこと。
最初はもちろん知識もなく、まず先輩について教わる。現場で知る。
そこから始まるそうだが、気が付けば、もう20年近くこの仕事をされているとのこと。
独立もしようと思えばできるぐらいの実力者であるが、やはりこういう世界は
知られていなければ依頼されないため、組織の中で仕事をしているそうだ。
多くの件数をこなすのではなく、ひとりひとりに寄り添って、最後まで丁寧に
見送る・・・。
葬儀といえば、仏式が多いが、宗派が異なれば葬儀も変わるそうで、とにかくさまざまな知識が必要。日頃よりお寺さんとの会話で、さまざまな知識を得ているそうだ。
と、これまでの私にとってはすべてが未知の世界。
とにかく、このお仕事は素晴らしいと頭が下がる。
「この仕事、天職だと思っています」
こんな言葉を聞いて、本当に心からほれぼれした。(表現が適切ではないが)
何よりも、形式を重んじるのではなく、祈りの気持ちが一番大切だ言われたことに感動した。
そのおかげで、何も知らない私でも喪主をつとめることができた。

葬儀で音楽を演奏するのを、「献奏」というそうだ。
もし、ご縁あればとも思う。お経だけが送る手段ではない。
いろんな送り方がある。
そのことを、この方も心得ておられたことが、とてもうれしかった。

人生の最期に関わる仕事。
目立つ、派手な仕事ではないが、本当に素晴らしい。
素敵な人に出会えてよかった。
またお願いします。とは言えない仕事ではあるけれど・・。

天職についている人の顔つき、表情は素晴らしい。
清々しい。
いい出会いを、母がくれたのだ。

私のこのコミュニケーションクリエイターという仕事も
天職だと思っている。
言葉で、文字で、音楽で、笑顔でコミュニケーションの和を広げ
関わる人が元気になっていく、愛と元気をお届けする仕事。

違う世界でがんばる天職人とのご縁を大切にしていきたい。



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企業訪問代行人。

もう退職してそろそろ四半世紀になる・・。
急に思い立ち、父が長年お世話になってきた会社を訪問した。
母のことのお礼のためであるが、外出できない父の代わりに。
郵送ではなく、お会いしてお礼を言わねばと思ったから・・。
最寄りの駅で電車を歩いて、記憶をたどりながら会社に向かう。
子どものころ、父が働いているときに会社に遊びに来ていた記憶が鮮明によみがえる。昔は、そんなもんだ。町工場に社員の子供が付いてきて、親の仕事の終わるのを待ったり、近所の神社などで遊んで待ったり、その神社のお祭りの様子も蘇ってきた・・・。良き時代だ。
と、私が覚えているその会社はもう半世紀以上前の姿。当時は木造。
今は鉄筋になっていた。建物は変わっているが、看板には懐かしい社名。
とにかく、大人になって初めての会社訪問。
母の件でのお礼だけのつもりで、アポも取らず、会社であれば誰か在社されているはず・・と、突然訪問した。
会社の前に到着。ちょっと緊張する。
ああ、ここだった、こんな感じだった・・・と。
「ごめんください」
ゆっくりと、会社の玄関のドアを開ける。
事務所で社長さんが、電話をされていたため、外で待たせていただく。
電話が終わり、玄関に出てこられた。
社長さんは二代目。父はその方のお父様(創業者)のお世話になった。だから現社長より父が年上であった・・から、父のことは少々扱いづらかっただろう・・・。そんな思いがずっとあったことも、思い出した。
社長は、私の顔はもちろん覚えておられない。親の名前を言って初めて、「ああ、これの・・・」と、手でピアノを弾くゼスチャーをして、笑って思い出してくださった。
父が働く会社でも娘がピアノをやっていたことは、知っていただいたようだ。
立ち話ではあったが、父の様子、今回の母のことの報告とお礼。

そして、
改めて、父を50年近く雇っていただき、良い定年を迎えさせていただいたことへ感謝の言葉を告げる。そして、最近出てきた昔の給与明細のことも・・。
今尾家は、会社のおかげで無事に暮らすことができたお礼を改めて告げる。
社長さんは、突然の客に対し、得意先対応をしながら、少し手を止め、
笑いながら、話を聞いてくださった。

急に伺って、ゆっくり話すのはお仕事の邪魔になるので、なんどもなんどもお礼を言いながら、失礼することに。

別れ際に、
「あのー、私、ピアノも今もやってますけど、それで食べているんじゃなくて、実は中小企業の・・・」
と現在の職業のことをひと言告げた。そして、
「もし、社長さんのお役に立てることあったら、父がお世話になった恩返しとしてさせてもらいますので、何かあったら連絡ください。これ、名刺です。携帯も書いてあります」
気が付いたら、こんなことまでしゃべって、名刺も渡していた。

「へえ、そうですか、そうですか。それはそれは、どうもどうも・・・。」
社長さん、びっくりされただろう・・。へんな奴状態だったかもしれない。
とにかく頭を何度も下げて、失礼した。

ああ、父の代わりに、御礼が言えた・・・。

子どもの頃、親に連れてこられた時の父の職場は、とても大きく感じたのに、
今になってみると、ああ・・・と、
これまで自分が訪問してきた多くの中小企業、町工場と同じだ。
きっといろんなご苦労があるはずだ。
コロナでどうなっているんだろう・・。

とても、そんな会話を今日はできなかったけれど、直感的に、
うん十年ぶりに拝見した、社長さんを見て、何かできればと思った。

また機会があれば、ぜひお話が聞けたらと思う。
父がお世話になった会社だから、長くがんばっていただきたいと。

会社の外観の写真を撮った。
次回、父に見せようと思う。
企業訪問代行人。無事、業務完了。はじまり??

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自販機とサービス業

自動販売機は現代社会の産物かと思っていたら、なんと紀元前3世紀から存在していた?そして、産業革命など、コインの流通など、経済・産業史の大きな節目ごとに、発展して、今日に至っているようだ。(ネット検索によると、ではあるが・・)
今や、世界でも自販機がもっとも発達しているのは日本で、その売り上げは世界のトップクラスらしい。
確かに町のいたるところに、飲料の自販機が点在している。
タバコの自販機こそ、減ってきたが、飲料の自販機はさらにバージョンアップし、販促機能だけでなく、防災機能を備えたり、ベンダー企業のさまざまな工夫には余念がない。
そして、飲料やお菓子のみならず、最近では「出汁」の自販機を近所でもみかけたし、世界のニュースでも、ピザの本場ナポリに、ピザの自販機が登場して賛否両論という話題もあった。
このコロナ禍では、自販機もさらに変革の時代に突入?なのかもしれない。
最近、ある外食産業に携わる企業さんから、売り上げが上がらないので、自社商品を自販機でも販売しようとも考えるがどう思うか?という相談を受けた。コロナで売り上げがなかなか増えないので、24時間売れる自販機を導入しては?とのことであった。
気持はよくわかるが、自販機を活用することは、商品によっては瞬間話題にはなるが、継続性があるか?また、自らの店の脇にそれを置くことで、お店で作り立てを作って提供している商品へのマイナスの影響はないか?
サービスという手法をそっちに向けて本当に良いのか?
サービスする人材がいるのに、自販機か?他にできること、まだあるのでは?
などなどいろんなことが気になってくる。ということで、
今回、改めて自販機について考えるきっかけを得た。

確かに、小学生の頃、カップヌードルの自販機を初めて見て、使ってみたときの感動は忘れない。
でも、今、この食文化が発達した今、その自販機を見てもどうだろう?
確かに懐かしさゆえ、使ってみたいかもしれないが。

コロナ禍。お客様が来店できない、外食しづらい環境のもと、各社、本当に知恵を絞り、実行されている。
自社の強みを最大に発揮しながら、そのマーケットを良く見ながら手法を選ぶ。
そして、やるなら迅速に。
そんなことを思いながら、改めて自販機というチャネルの可能性を自分なりに
見直している。
自販機が一番似合うのは、やっぱり、駅。そんなイメージがある。
そして、地方出張から疲れて帰って、最終の地下鉄を待つ駅のホームの自販機で買ったアイスクリームの美味しかったことを、今、懐かしく、思い出す。

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町工場と職人に感謝と敬意を・・・。

父は地元の学校を卒業後、縁あって、隣町の制帽会社へ。丁稚奉公というかたちで帽子づくりをカラダで学び、定年するまでの半世紀近く、ミシンを踏んで、
数多くの帽子を作り続けた。20代の半ば、そこで母と知り合い、結婚したようだ。自宅から車で1時間半か2時間はかかる岐阜県の山あいの縫製工場にもよく出張し、パートさんたちと帽子づくりに励んだ。「今日は、金山だ。」「今日は神岡だ」と今思えば、遠いところへ週に何度も車で移動していた。いつも母がつくった弁当を鞄に入れて・・・。
高度経済成長の昭和の後半、スポーツも盛んとなり、ユニフォームとしての制帽はアパレル産業と比例し、繁栄した。大手のスポーツウェアの企業から大量注文が入っていた時代もある。時間内で仕事が終わらない分は、家で両親が内職をしていた。そう、昔住んでいた家の奥には、工業ミシンのある薄暗い仕事場があった。昼は会社で、夜は家でと、帽子づくりをせっせと続けた父。
そして、球技が好きで野球観戦はもちろん、自らも60代まではソフトボールをやっていた。若き頃は、社会人野球のような活動もしていたようだ。

昭和40年代後半から50年代。ファッションとしての帽子も流行り始め、父も若いころは、婦人帽づくりにも着手、今ではちょっと想像しづらいが、マダムがおしゃれな洋装にコーディネイトするようなハット類も作り、業界のコンテストのような場にも出品したことがあったような・・・。帽子業界花盛りの時代だ。
そんな帽子職人の父。手先は器用。でも口はかなり下手。コミュニケーション苦手が職人の道に向かわせたのか、職人を長くやっていくうちにコミュニケーションは要らないとなったのかわからないが、とにかく、営業ではなく職人向きの父であった。言葉足らずでひと言で片づける会話で、家庭内の喧嘩は絶えなかった。
それはそれとして、とにかく父はその会社で帽子職人職人として定年まで働き、がんばりぬいた。帰宅後の愚痴を吐きながらの晩酌の様子がなぜか、思い出される・・・。

最近、そのときの給与明細の束が母の荷物から出てきて、胸がいっぱいになり・・・。
この町工場の帽子職人の仕事のおかげで、私はピアノやエレクトーンをはじめることができた。帽子に食べさせてもらい、帽子で大きくなり・・。
そう、生涯、帽子には足を向けて寝ることはできない。

つい最近、父が暮らす施設を訪問した際、瞬間面会できた父の頭に、青い帽子をちょこんとかぶせた。
以前は、海外出張すると各地の球団の帽子などをみつけては買い、父へのお土産とした。そのときの、NYヤンキーズのものだ。
帽子をかぶると、父が昔に戻ったように感じた。父は少し反応したように見えた。少しは昔を思い出したのだろうか?
父と帽子と、球技。
近々、父がお世話になった会社をたずねようと思っている。
父がお世話になったおかげで、今日自分がこうしていられる。
扱いづらい職人を解雇もせず、長く雇っていただき、そして定年後も安定した暮らしができてきたのも、この会社のおかげ。

帽子を見ると、いろんなことが思い出され、胸がいっぱいになる。
町工場でものを作る職人の人生。

世界中、日本中にそんな職人さんは多くおられることだろう。
その職人ひとりひとりに、人生が、感謝のドラマが詰まっていると思う。

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バラをシェアして心つなぎ、次へ向かう。

母の命日から、ずっと紫色の花を選びお寺にお届けし、実家と自宅にも少しづつ飾っていた。気が付けば、トルコキキョウを多く飾っていた。
あわただしく時間が過ぎ、四十九日法要もおかげさまで執り行い、お世話になった方でのお礼もしながら、時の流れを改めて感じる。

ふと、いつも立ち寄る花屋で、今回はバラに目がいく。
ひとつの節目。そろそろいつもの元気と情熱の世界に心をシフトさせてみようかな。と思い、そのバラを求める。
赤色、ピンク、そして写真にはないが、薄いオレンジ。
そして、お寺と実家にはピンクとオレンジを。自宅には赤とピンクを少々。
同じ花をシェアすることで、三位一体?どこかつながっているような気がする。

赤いバラの中の一輪のピンク。情熱のなかに、ほんのり優しさがにじんでいる。
さあさあ、もうそろそろ!と自分に火をつけたい、そんな気持ちに正直に、という思い。

明日で二か月。あっという間ともいえるが、ものすごく長い時間であったとも
感じている。
今思うことは、時間の経過は、生きる上で救いにもなる。
そして、花の存在も同じだ。
やさしさとしなやかさを忘れずに、そして強く。
ここから、また心新たに生きていこう。




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ともに生きる、学ぶ「マーサの会」楽しくスタート!

障がい者アートの活動支援を続けていくなかで、また新たな出会いが生まれる。
障がい者という線引きも、なんだか違和感を持ち続けて、生きてきたせいか、
そんな区別も要らないのではとずっと思っている。

もちろん、一緒に社会で生きていく仲間として、お互い理解し、助け合うことは大切だ。でも、それは、障がいがあるから・・ではない。
どんな人間であっても、それぞれ特徴、個性があるわけで、それを理解せずして
組織であってはその力は生かせないし、本人も周囲も残念な結果になってしまう。
相互理解があることで、信頼が生まれ、その関係から仕事も、それ以外もうまく
いく、そしてお互い幸せな気持ちになれる。

そんな思いを根底に持ちながら、皆さんとのコミュニケーションの場を新たに提案、実施することになった。
障がい者雇用を進めている企業は増えているが、それぞれの社員のコミュニケーション力、とくに発信力という点ではまだまだ手付かずの世界かもしれない。
(一般の社員でも然り)
そんなことで、みんなで楽しくコミュニケーション力を身につけ、自信をもってもっともっと社会参加できるようになるといい、私もそこに入って、一緒に学びたい・・・。
そんなことから、企業で働く障がい者のみなさんとはじめた、「マーサの会」。
もともとは「マーサとしゃべろう会」。
楽しく話そうよ。いろいろ一緒にやってみよう。
そこからコミュニケーションの楽しさを知る、それを暮らしに、仕事に生かすのが狙い。
今回はもちろんコロナ対策もしっかり、ゆったり空間で。初めての開催ということで、観覧車の話(ハッピーコミュニケーション)をしながら、私のことを知っていただく。次に、自分のことを伝える「名札づくり」。相手に呼んでほしい名前を書いて、名札にする。そして発表。皆さん真剣に取り組み、しかも相手の話をよく聞かれる。笑いや、拍手も。会場はあたたかい雰囲気に包まれる。マスクをしているが、皆さんの目がキラキラして、身を乗り出しているのがよくわかる。
反応が良いと、こちらもつい力が入る。
次は、前夜に徳島から届いた旬の風物「すだち」をモチーフにした話題。すだちを全員に配って、見て触って、匂いを嗅いで・・・。(送っていただいたOさんに感謝)そう、ひとりでいただくより、みんなで楽しませていただこう。と会場まで持ち込んだ。
「これ、何だ?」から始まって、「どんな食べ方がおいしい?どんな風に食べてみたい?」をテーマにみなさんから意見を出していただく。すだちとかぼすを同じと思っているような回答から、食べたことがないかも?という声から、焼き魚に絞ったら美味しいとか、お酒に合うとか、ソーメンに合うとか・・・・。それぞれの意見や体験談に、みなさん熱心に耳を傾ける。とても楽しいホットな話題のコミュニケーションだ。
この話をしている間に、それぞれ間もなく訪れる夏の訪れを予感したかもしれない。そろそろおなかもすいてきた・・・。
話題も出尽くしたところで、宿題は「すだちを使ってみる」。それぞれ今日の皆さんから出た使い方を参考に、自由に使って、実際にすだち時間を楽しんでもらう。次回、その結果を報告いただくのが宿題。
というわけで、マーサ会1回目は無事終了。
企業で働く、障がい者の皆さんの課外授業のような、クラブ活動のような・・。これまでにないカタチでの学べる交流時間。何かに触れるコミュニケーション時間。発見、気づき、感動を得て、元気に職場でも活躍してくれたらうれしい。
不定期ではあるが、次は7月に行う。企業と協力しながら、ハンディある人もそれを気にせず、元気に一緒に仕事ができる環境づくりを応援したい。

こんなマーサの会。今の時代にいいと思う。コロナ禍でもできることを、こつこつと。賛同いただき、一緒に推進してくださる企業の皆さまに、そして熱心に参加してくださる皆さんに感謝を込めて。
「楽しかった」の声をたくさんいただいて、とてもうれしい。やってよかった。
ここからはじまる。皆さんと素敵なアウトプットも・・・。



マーサの会1回目の様子(写真協力 (株)モスシャイン)
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