乙女のてくてくコミュニケーション。

久しぶりに会った友人。1時間ほどお茶を飲みながら、話したあと、
カフェの前で別れるつもりであったが、
「一緒に歩いていくわ」
と、四条烏丸から京都駅まで一緒に歩くことになった。
何年ぶりかの再会でもあり、まだ話し足りないこともあったのかも
しれない。
人と一緒に歩くということは、家族以外とはあまりしないが、
自然とそういう流れになった。

話しながら歩くということは、不思議な感覚。
足も動くが、口も耳も動く。ある意味、全身運動だ。
「歩くの、速いね」「そうかな」
言葉を返し、東京時代に鍛えられたかも。そう思いながら、てくてくと進む。
「今日は15000歩ぐらいになるかな」
「いつも、6000歩は歩いてるで~」
「ええこっちゃ。歩けるのは幸せなこと」
黙って歩くのではなく、歩きながら話す。

いくつかの信号を渡り、気が付くと京都タワーが間近になる。
「なんだか、早いな。すぐ着いてしまった」
もっと、歩けたのに・・・という感じの名残惜しさ。

「じゃ、また。元気でね。介護、おつかれさん」
友人は、そこから地下鉄と阪急に乗って、帰るといった。
わざわざ、話すため、そして運動のために、一緒に歩いてくれた
冬の夕暮れ。
いい健康コミュニケーションになった。
また彼女とのいい思い出が一つ、増えた。
顔を見て話すのも良いが、一緒に前を見て歩きながらもいい。

てくてく、ぺちゃくちゃ。
いつまでも、元気でいてほしい。
いつまでも、乙女の心の元気なおばちゃんで。

カテゴリー: Essay (Word) | 乙女のてくてくコミュニケーション。 はコメントを受け付けていません

コロナで昭和コミュニケーション?

とにかくアグレッシブな知人がいる。
ある国の大衆文化の研究家でもあり、歌手でもあり・・・メディアにも出演された時代もあり、本をかいたり、大学で講座をされたり・・・とにかく、個性的で活動的で、情熱のかたまりだ!とその生きざまを尊敬していた。
とにかく、勉強熱心な方という印象であった。
20代の頃から知っていた。当時、会社員をしていた私は彼女のように活動できなかったが、独立してからは、フリーで仕事をするという立場で共通点ができた。
ライブにお互いに行きあい、刺激を交換。
私のオリジナル曲をご自身のライブで歌いたいとおっしゃっていただけたことは、うれしかった。(楽譜を渡せていないため、まだ実現していないが)
でも、ひとまわり以上も上の先輩で、そんなに気軽に話せるとは思っていなかったコロナ前。
ちょっと遠くから応援しながら、応援されていた距離感で、しばらくご無沙汰。コロナが影響していた。
この2年の間、ライブの案内なども送られず、ネットでの情報更新もなく、最近の活動の様子がまったく見えず、心配になっていた。
お元気なんだろうか?どうされているのだろう?
なんどか思い出し、確認しないではいられなくなって、ついにその事務所に電話をしてみる。恐る恐る・・・。誰か電話に出てくれるだろうか・・・。
初めての電話。これまではずっとメールでのやりとりのみ・・・。

最初、スタッフらしき人が出たあと、電話口にご本人が出た。
その瞬間、ほっとした。よかった。
それから、彼女は話し出した。最初はゆっくりとした口調であった。
もしかしたら、コロナで誰かと話すという機会が減っているのかもしれない。
と察知した。
その後、いかにコロナのなか、演奏活動を積極的にできず、自粛し続けてきたか。今も新幹線は乗らないと決めているとのことなど・・。
そして、この間、仕事に求められることも変わってきて、元に戻れない、
時代が変わってきたということを痛感した。
リモート対応ということも、なかなかむつかしい・・・。
などなど、とにかく久しぶりにお話をお聞きした。
最初は、口数が少なかったが、そのうちいつものライブのトークのごとく、
元気にいっぱい話を続けられた。ときに笑い、ときにしんみりしながら・・。
契約しているお店でのライブでは、お客様が感染してはいけない。と気にしながらやっておられるようで、おそらく普段どおりのパワーも出せないまま・・の複雑な状態なのだろう。
でも、電話だと遠慮なしに話せる。
ということで、コロナでリモートではなく、なんと1時間の長電話になった。
オンライン世代でなければ、電話コミュニケーションは確かに有効だ。
こんな長電話。もしかしたら、中学生以来かも?もちろん時に仕事でどうしても
の長電話は稀にあるが、それでも、こんなに長く話した、聞いた記憶はない。

お互いの連絡先を再確認して、元気に電話を切る。
「また、いつか安心してお会いできる日に、会いに行きますね!」
そう、そんな日が来るために、今もまだ我慢、自粛しなければならないのだ。
と、そう思っている人は少なくなっているかも?
彼女は、医療崩壊を目の当たりにしながら、深刻な状況を理解しながら、
静かに忍び、生きているおひとりだ。
本当に、コロナを甘く見てはいけないと、その生活ぶりから、真面目な様子が
伝わり、背筋が伸びる。

昭和なコミュニケーションはときにいい。
顔を想像しながらの会話もいい。
昔は、それだけだったのに。
今は、世界中で、想像を要することが減った分、
創造も乏しくなっているかも。
決して良いことではない。

電話をきって、すっかり距離が縮まった。
お元気で、ほんとうに良かった。

カテゴリー: Essay (Word) | コロナで昭和コミュニケーション? はコメントを受け付けていません

第三の音の存在で。

静かな未明。マンションの窓をあけると、階下の道路から、信号の歩道者向けの音声が聞こえてくる。ピポッ、ピポッ。
また、しばらくすると、貨物列車のガタゴトという音が遠くに聞こえてくる。
世の中は、眠ることなく、いつも動いているのだ。ということを感じる瞬間だ。

先日、父が亡くなったと聞き、ちょっと動揺気味に家を飛び出し、
移動しながら、落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせていたあの時を
今、思い出す。
自分の中では、超非日常の事態であるのに、それでも信号は赤信号にもなるし、
コンビニに入ると、いつも音でお出迎え。
世間は自分と無関係に平常モードだ。ということに気づかされ、落ち着く。

さらに記憶をたどる。母が亡くなった日のこと。病院から危篤の連絡が入り、急いで電車で岐阜へ向かおうとしたが、名古屋駅は、電車の遅れでホームに人が溢れ、係員が何度も状況説明をアナウンスしていた。
一瞬を争うぐらい急いでいる私にとって、それは残酷であった。でも、この雑踏の音で、もうだめだ。仕方ない。と諦めの気持ちもうまれ少し落ち着いた。
そして、どんなときも世界は自分に関係なく動いているのだとも感じた。

どんなときにも、第三の音があることで、
われにかえることができたり、日常を感じたりすることができる。
そのことは大切だ。

人が、時に海に出かけ、波の音を聞きたくなったり、自然に包まれ、鳥のさえずりに出会いたくなるのは、第三の音だから。
自分が住む同じ世界に、自分以外のいろんなものが棲み、生きている。そして、小さな自分の存在を、より自覚できることで、目の前のことがなんでもないことだと思えてくる。
世間から見れば、親の死もよくあること。誰にでもあること。だから大丈夫とも思えてくる。

第三の音に耳を済ませよう。
朝のクラシック音楽もそのひとつ。

第三の音は、
自分をみつめさせてくれる大切なコミュニケーションツールだ。


カテゴリー: Essay (Word) | 第三の音の存在で。 はコメントを受け付けていません

プロと言われる仕事を。

どうせやるなら、プロと言われる仕事をしたい。
どうせやるなら、予想をはるかに超える結果が出るようにしたい。
と、
そう思い続けていると、そうなるために努力もするから、
力もついてくる。

ごまかしや、見せかけは、見る人が見たらわかる。
地に足の着いた、仕事をしたい。
それは、経験を積み、いろんな学びを経て、試行錯誤のなかから
生まれるもの。

仕事は相手があるもの。
趣味は自分の世界のもの。

プロとアマチュアの差はそこだと思う。
相手に喜んでもらうことが前提である。

「さすが、プロですね」時々、そんな言葉をいただくと、
素直にうれしい。

さらにがんばろう!と思う。

カテゴリー: Essay (Word) | プロと言われる仕事を。 はコメントを受け付けていません

「ありがとう」を届けたい朝。

この写真は、長崎の大浦天主堂の近くにあるカステラ屋さんのゲンちゃんが
以前私にと作ってくれたケーキ。
今日は、マイバースデーだから、この写真を選んだ。
ピアノ。これは両親が私に与えた、最高のプレゼントとなった。
二人とも旅立って、そのことを、今、より一層強く感じている。

私にピアノと、強く生きる勇気と元気を与えた父と母。
反面教師の部分も多かったけれど、今から思えば、その生きざまも含めて
ありがたいギフトだったのだと思えてくる。

昨年までであれば、
「誕生日、ありがとう!」と電話をかけるのが恒例行事。
「いくつになった?もうおばさんやな~」と母に、笑いながら
言われていた昨年の今日。

おばさんやな~と娘に言いながら、どんな気持ちでいたのだろうか?

今日は電話をかけることはできない。
けれど、改めて
「誕生日、ありがとう。代わりに、頑張って生きるね」
と心のなかで、感謝を唱える。

人生最初の、親の見えないバースデー。
慣れない気持ちではあるが、両親がいなかったら自分の存在はなかった。
自分がいるということは、そのルーツが消えることはない。

改めて、父母に感謝の気持ちが湧く、
ちょっとだけ〇〇なマイバースデー。
それを思ってか、0時1分に、「お誕生日おめでとうございます!」
のメッセージをくださった方がいる。
ありがたい。うれしい。お気遣いに心がじんわり・・。
さあ、幸せな58歳をはじめるとしよう。

また元気に、「世界でひとつの私の人生」という観覧車を回し続けたい。
誕生日、ありがとうございます♪

カテゴリー: Essay (Word) | 「ありがとう」を届けたい朝。 はコメントを受け付けていません

表情を見る、思い出す。

ライブでも、講演会でも、研修でも、何か自分からメッセージを発信する
とき、相手の反応や表情を見るようにしている。
そこが発信者にとって、一番気になるところである。
今言っていることが、今演奏している曲が、
相手にどれだけ響いているかを確認しながら、進めていくことは、大切だ。
演奏しているときは、涙ぐんでおられる方や、手拍子をされたり、カラダを
揺らしておられる方がいたら、「やったー!」と思いながら、気分よく演奏を続ける。マスクのせいで、前より表情が見えづらいが、もうそれにも慣れた。
目元やカラダ全体で反応がわかる。
研修会などで、複数の方々にお話しをさせていただくときも、
相手の様子を観察しながら、口を動かす。
反応を見ながら、話題を変えたり、もう一度言い方を変えたり、また問いかけ
などをしてみる。
とにかく、相手に「いい意味での化学変化」を生み出すことが、発信者の目的
であると思うため、つねに表情を伺うことは大切だ。

そして、
演奏会や研修会を終えたあとも、お客様や受講者の皆さんの顔や言葉など思い出して、ひとりでその時間を振り返る。
面白い発言や、さまざまな表情が私の中にインプットされ、記憶される。
そして、私は歩きながら、何かをしながら、それを思い出して、ひとり笑っている。
「あの人、あんな発言してくれたな」
「あの人、いつもと違う表情だったな~」
と、映画を観るように、もう一度、その時間を振り返ることで、見えてくる
ことがある。

ふりかえりが楽しい。そんな仕事を重ねたいと思う。
予想以上の反応、想定外の変化。これを感じたとき、
コミュニケーションクリエイターとしてのやりがいを感じる。

さあ、今日もどんな化学変化を?

カテゴリー: Essay (Word) | 表情を見る、思い出す。 はコメントを受け付けていません

ショコラはエナジー!永遠のパリ土産物語。

今日で、月めくりカレンダーの最終ページとなる。
カレンダーをめくる瞬間に、背筋が伸びる思い。
ああ、もう12月か~。
過去には、この12月が始まると、誕生月という理由も絡めて
ニューヨークやパリにバタバタと出かけた。
浮世を離れ、理想の世界に身をおいてさまざまな
発想をし、新たな1年を過ごすエナジーチャージをした。
そんな若い日々が、今は懐かしい。
ホテルから出かける朝7時でも、まだ夜明け前。そして寒い。
白い息が冬のパリの朝・・そこにあたたかいカフェオーレ。

浮かれ気分があったのか、一人旅の若い東洋女は狙いやすかったのか、
の地下鉄の改札で、スリに遭ったことを思い出す。
花の都は、犯罪の町でもあることを知ったあの瞬間。

世の中には、親切な人がいるもんだ。
地下鉄車内でバッグから財布を取られたことに気づき、
困っている私に声をかけてくれるマダムがいた。
そして、途中の駅、新凱旋門駅で一緒に下車。
警察に一緒に行ってくれて、そのあと、盗まれた航空券の再手配など
のやり方を教えてくれて・・・。そのあと、そのマダムは
元気をなくした私をマクドナルドに連れていき、
珈琲とチョコレート菓子をごちそうしてくれた。

どんなチョコレート商品であったかは定かではないが、
ショコラが好きなパリの人々には当時から必需メニュー
だったかもしれない。
見知らぬ東洋人の小娘を助けてくれたマダムは、ほんとうに
どこまでも人がいい。

「ここから見えるあのビルに、航空会社があるから
そこでチケット再発行してもらったらいいわよ。」
挨拶以外フランス語を知らない私が、彼女と英語で会話したのか
それも怪しいが、とにかくそのときは、よく理解できた。
人は生存がかかると、何か普段使わない力が湧いてくるのかも
しれない。

そして、
「ショコラはエナジーよ!」
と言って、元気を出して!と励ましてくれた。
その後、シャンゼリゼ通りで別れた。

と、今、今年最後の1枚をめくり、大好きなパリの絵柄が
変わったとたん、その彼女のことを思い出した。
あ、ルコントさん、お元気だろうか?
メールもない時代。別れ際にいただいた名刺。
帰国する前に、空港から名刺に記載の番号に電話をして、
「Merci!」
と言った記憶も蘇る。

これは、もう30年ほど前のことだ。
いい思い出。
素敵なパリの思い出。

今年もパリとの再会は、叶わなったが、私の中には
あったかい思い出がいっぱいだ。
12月初めに思い出した、ギフトストーリー。

ショコラはエナジーよ!

さあ、今年も最終ラウンドだ。
エナジーたっぷりで、快速・快適な時間を!



カテゴリー: Essay (Word) | ショコラはエナジー!永遠のパリ土産物語。 はコメントを受け付けていません

元気をテイクアウト!はいかが?

11月29日。岐阜新聞でのミニコンサート、年内の担当分を無事終了。
コロナが落ち着いてくれて、予定どおり開催でき、良かった。
コロナ前と違うのは、ステージと客席の間の仕切りアクリルシートの存在。
嫌だけれど、仕方ない。演奏できる機会があるだけ、まだありがたい。
今回のコンサート、実は父も参加。またまたお寺からお骨をお借りして、
特等席に置いて、演奏開始。
そんなことは誰もご存じないけれど、常連さんからは、「お父さんもお母さんも見ておられるよ。喜んでみえるよ」と口々に言われた。
「そこに来てますけど」ステージ前には話せなかったので、終わってから懇意にしているお客さんにこっそり告げると、「やっぱそうか。そうかなと思った」
と誰も驚かず、好意的でありがたい。

そんな両親のことを思ってつくった曲も披露。
なんだか、落ち着いてしっかり演奏できた気がする。見守られているせいかもしれない。そして、拍手もいっぱいいただいた気がする。二人の分も入っていたのだろう。
父とのお出かけは、おそらくこれで終わりかも。
でも、実行できてよかった。コンサートに行きたかった父の気持ちに応えられたかと思う。

これからも、この活動は続ける。
今回も満席で開催でき、新しいお客様も増えてきたことがうれしい。
「ずっと何回も来ています。最初来たときから、ファンになりました!」
と最高のお言葉をいただき、うれしさがこみあげる。
常連さんからも、ほっこりゆったり癒されました。歌もピアノも最高だった、元気をもらったと、さまざまに感想をいただき、両親も喜んでいるだろうと確信した。
「よかった、よかった」父にしてあげたかったことを、ひとつクリアできたことも大きな安堵。そして、お客様の大きな拍手が私の新たな活力になったことも間違いない。
2022年は、もっともっと、こちらの活動も推進していく。
「元気をテイクアウトいただけるように・・・」そんな演奏活動を続けていきたい。両親の願いとともに・・・。
当日の配布資料の一部をここに・・・。

コロナ感染が再拡大せず、世の中の生の演奏活動が、続けられるように・・・。


カテゴリー: Essay (Word) | 元気をテイクアウト!はいかが? はコメントを受け付けていません

「お父さん、一緒に来たよ!」

「ちょっと、また変なこと思いついたんやけど」
と、妹に言う。彼女は、時々私がそういうことを言うので、とくに驚かず
「何?」と聞いてくれ、
「いいねえ~」と合意を得て、実行することにする。

四十九日の法要後、お寺に預けてある父のお骨を、しばし外出させて
いただくことに。
「じゃ、まずは、あそこへ」
ということで、二年前、父が倒れる前日まで毎日通っていた、近所の喫茶店に
向かう。生前、なんとかもう一度、連れてきてあげたいと、介護タクシーの
予約まで考えていたが、実現せず。亡くなった夜、葬儀場へ向かう車にお願いをして、この店の前を通り、父の亡骸に「お父さん、ほら、来たよ」と声をかけ、その後、実家の前を通って・・会場へ向かったのが、昨日のよう。

そして、ふと、浮かんだのが、このお出かけだ。
お骨は世間様を驚かさないように、エコバッグに入れ、さりげなく移動。
「こんにちは~。ご無沙汰しています~」
妹と二人へ店内に。
コロナの影響が続いてか、その時間はちょうど、お客さんがいなかった。
「あのー、お父さん連れてきました~。一緒に来ました~。」
父のことを本当によくしてくださったマスター以下、お店の皆さんが
瞬間???となったが、
「ここに」
と言うと、皆さん、
「ああ、来てくれたんや~」
といって、エコバッグの中の父に、皆さん声をかけ、歓迎してくれた。
そして、以前と変わらず、コーヒーを飲みながら、しばしの時間をともに
した。
店の雰囲気もスタッフも変わらないが、変わったのは賑やかさと話題。
両親が生きていたころは、その話声で賑やかだった。その後、二人が
通えなくなり、代わりに時々私たちが訪ねるときの話題は、介護の大変さ・・・。
それが、今は、すべて思い出話になった。

そろそろ、次の目的地にということで、おいとますることに。
「納骨したら、またお墓にいますので、宜しくお願いします」
と言うと、みなさん、エコバッグの中の父を抱きしめたり、
「ヒロさん、小さくなってしまって~」と、別れを惜しんでくれた。

妹と、二人で、なんだかいいことをした気持ちになり、次はお墓へ。
母に父のお骨を見せながら、
「もうすぐ、そっちに入るので、もう少し待ってて~」
これもかなり変な会話であるが、妹と私はそういう感じで一緒に
親孝行もどき。

もっとこうしてあげたら良かったのでは・・と言い出したらキリがない。
今できることを。

「お父さんと一緒に・・」もう少し、このまま・・という気がしている。

カテゴリー: Essay (Word) | 「お父さん、一緒に来たよ!」 はコメントを受け付けていません

ポジティブ スリーピング!

「今日は、寝るぞ!」
本当に久しぶりに、これが睡眠。と思えるほど、しっかり休ませてもらった。
ここしばらく、ずっとショートスリーパーのライフスタイルが続いていたが、
本当に久しぶりに8時間ほど眠った。寝る子は育つというが、成人にとっては
長い睡眠時間かもしれない。
数年前に亡くなった、台湾人の親友は、「わたしは寝ないとダメなの」と
毎日7~8時間寝ていたようであるが、一日の三分の一も寝るなんて信じられないと思いつつも、アーチストであった彼女の豊かな創造生活の源泉は、睡眠優先暮らしにあったのかもしれないとも思っている。

私の睡眠といえば、もともと短くても平気ではあった。そして、さらに
ここ2年は、常に親の様態が気になりつつ、寝てはいるけれど、という状態。
そして1日24時間の帳尻を合わせるのが、睡眠時間になるため、少ない睡眠で
いかに元気をキープするか・・の日々であった。
たまに夢を見ると、寝すぎ!警告のアラームが体内に響き、さっと
目が覚めるのであるが、本日もそうだった。

普段は頭は休んでいない状況が続いており、連続した日々が流れていくのであるがが、今回は本当に眠ることによって、ちょっといつもと違う、新たな朝を迎えた感じ。パワーがみなぎり、いつものラジオ体操にも力が入る!

さて、今日もめまぐるしく1日が始まる。
睡眠をとることで、どこかすっきりしている。やる気が自然にみなぎってくる。
もろもろ抱えている、さまざまな課題が、いったん、浄化されたような感じも
する。
やっぱり、寝るっていいね。と、その親友に語りかける。

日に一度、カラダをOFFにしてあげることで、睡眠により、新たな命が生まれる。そう、よく眠った朝は、プチプチを音を立てて、新たな細胞が生まれている感じ。

ときにポジティブスリーピングは良い。
眠れない夜はないが、たまには、よし!寝るぞ!の日をもうけよう。

次は元旦かな?
それまで、ポジティングムービングでいくとしよう!





カテゴリー: Essay (Word) | ポジティブ スリーピング! はコメントを受け付けていません