ホンモノのジャーナリスト探し。

ここんところ、毎週、ジャーナリズムについての講座に通い、
発信する仕事についての在り方、真のジャーナリズムについてなど
自分なりに考え巡っている。
毎回、違う講師からそれぞれの専門からの報道についての知識や
見解を拝聴しながら、今日、マスメディアから発信されている
情報がいかに表層的であり、恣意的であり、あるいは偏っており
もっといえば、本当のことが伝わっているか・・については、
大いなる疑問であることを改めて確認。ホンモノをしっかり
見極めることの難しさのなか、いかに自分自身がしっかりすべきか
ということも学んでいる。
そして、世界にはいろんなジャーナリストが存在するが、
ホンモノを見極めることの大切さや、メディアとのかかわり、
利用の仕方についても改めて学ばせてもらっている。
そんななか、災害報道の専門家の講義を受講する機会を得た。
その先生は、防災・危機管理ジャーナリストという肩書の方だ。
最初から、「ジャーナリストなんて、胡散臭いですよね」。
報道関係者としての在り様を模索されている方なんだろうと
じんわり好感が沸く。そして飽きさせない講義では、昨年の
熊本の地震後の報道についての体験談やメディアの仕事につ
いて話をされた。
報道関係者ならば、現実的には災害直後に現地に向かうが
今回、この先生は1回目の地震後、すぐ現地に向かわれ、
そして現地で2回目の、いや「本震」に遭遇されてしまい、
自らの経験も踏まえ、被災地の様子やその報道について
興味深い話をされた。
話を聞きながら、ホンモノのジャーナリストって、やっぱり
現場感覚があるかどうか。だと痛感した。
ネット社会であるため、簡単に情報を得ることができる時代、
素人も、プロもそれを活用しない手はないが、それだけでは
確信に迫ることができない。
かといって、災害を体験しようと思っても、いつ起きるか
わからないのが災害。そうできることではない。

今回の授業から、学んだことは、ホンモノのジャーナリストは
上から目線ではなく、あくまでも、現場感覚があるということ。
そして事実に加え、世の中に役立つ情報も提供できること。

マスコミの常識は社会の非常識。

こんな言葉も交え、静かではあるが、心にしみる言葉を
紡がれているこのジャーナリストに、ホンモノ感を感じながら
もっと話を聞いてみたいという気持ちになった。

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崖っぷちと、タイムレス。

石岡瑛子さん。
もう亡くなって5年が経つが、久しぶりにNHKで、在りし日の姿を見て
懐かしく思い出す。
一緒にお仕事をしたことはないが、昔、在籍していた会社では石岡さんの
写真集を印刷していたこともあり、担当する編集者から、その名と偉業を
聞き。ただただ、憧れの人であった。

アカデミー賞の衣装部門での受賞後、日本でのそのお祝いのパーティーが
スパイラルビルで開催された。本来そこに伺えるような立場でないが、
上司に連れられ、その場違いな、華やかな場に伺うことができ、
30才そこそこの私は、世界的に活躍する石岡さんを目の前で見る
ことで、大いなる刺激を受けた。
おお、世界のEIKOだ。すごいオーラだ。かっこいい。
と思う一方、石岡さんが日本に住む、お母様(その当時80代ぐらい)
をお招きされ、お母様と一緒にお祝いされていた、あの姿が印象的で
その後、何かあったら親を呼べるぐらいの人にならねばと
真剣に思っていた。
そう、仕事をして親孝行をする。という生き方のお手本は
石岡さんだったかもしれない。

と、久しぶりにテレビで拝見した、石岡さんの生前の姿から
いろんなことが走馬灯のように巡り、ああ、東京ではこんな
感動もあったと懐かしく思えてきた。

オンエアされたインタビューから
「崖っぷちに自分を追い込まなければ、新しい自分は
生まれない。」
と、広告代理店を卒業されるときの自分を語られていた言葉と、
「デザインは、タイムレスでなければならない。」
という言葉が鮮烈に心にささった。

そう、タイムレスなるもの。
このことへの希求が、軽視されているかもしれない、
この現代。
このクリエイターの生き様は、それ自体がまさに
クリエイティブだ。

ああ、おまえもそうしろ。見習え。
と、
石岡さんの在りし日のクールでありながら、情熱的な横顔を見ながら
「崖っぷち」と「タイムレス」の
言葉は何度もよぎった。

残した作品も、石岡さんの生き様もすべてが
タイムレスである。

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本日、「愛の元気人」5月分オンエアです。


本日5月27日18時~「愛の元気人」オンエアです。
今回、「にいがた元気人」のコーナーにご出演のゲストは、「いけめん米」の普及をはじめ、安心安全な農業づくりに貢献する、エヌオーエス
の赤原信之さん、ぬったりでお好み焼屋「わかつき」を営む、若槻慎吾さんです。
どうぞ、お楽しみください。
FM KENTO 愛の元気人

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1年先のことを考え、しっかり行動する。

尊敬するマジックアーチストは75歳。私よりも22歳も年上で、年齢でいけば
親と同世代。
であるのに、なんと、お若いことか。
これはマジックを生業にされているため、つねに頭も体も動かし、活性化されて
いるためだろう。
また、マジシャンはその技術だけでなく、トークや歌や演奏など、総合的なエンターテイメント力
が求められるが、それにももちろん長けておられ、独自の芸風もおもちだ。
さらには、ビジネスマンとしての力も発揮され、マジック商品の開発をしながら、
世の中にマジック文化を普及され、そしてその結果、認知症にならない、健康長寿社会に
貢献する・・という、本当に理にかなった仕事を生涯現役でされており、
自分にはできない生き方と、いつも尊敬している。

久しぶりにお会いし、お互いの近況や問題意識について語ること2時間。あっという間に
時計はすすむが、充実の時間だ。
今回も心に残る話題が盛りだくさんであったが、そのなかでも、
「とにかく、1年先のことだけを考えて生きている」という言葉。

見えない何年も先のことよりも、1年先であれば具体的であり、目標も実現しやすく、
1年後を目指しているのであれば、毎日を大切に生きることができるという。
なるほど。そうだ。今の世の中、10年先を思ったところで、どうなるかわからない。
それよりも、手の届く1年後を見据えることはより、確実であり、生きごたえもある。
こうやって1年先の目標のため、1日1日しっかり生きる。これしかない。
それにしても、人生の先輩なのに、私に対しても一人の人間として
向き合ってくださるその姿勢自体に頭が下がる。

ずっとずっと1年先を見据え、何年も何年も、私に刺激を与える存在として
健康長寿をまっとうしていただきたい・・と切に願っている。

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新たなリーダーに期待すること。

お隣の国の歴史は・・なんとも哀しい。
なぜ、この国では代々の権力者が、最後には没落してしまうのだろう。
ハッピーエンドがない。国に尽くし、人生をまっとうするという
例がないようだ。みんな、悲しい結末に終わっている。
今もそうだ。
個人的には罪を犯したならば、罰を受けるのは当然だろうが、
あまりマスコミでその姿をさらしてほしくないと思ってしまう。
その落ちぶれた姿を人前に見せること自体が、まさに「見せしめ」
なのだろうが、私は追い詰められてきた、元国家元首について、
いいようのない悲しみを抱く。
この女性の宿命を思うと・・・。とことん、追い詰めるのだろうか。

一方、国民がNOといった代わりに、選んだ新しいトップが
誕生、やっと国が責任者を取り戻し、活動を再開した。
この新たなリーダーには、個人的に期待している。
今度こそ、この国を良くしてほしいと思うし。
今、偏った見方で周辺国との緊張関係が高まっているが、
北朝鮮との対話を試みようとしているなど、
新しい風が吹きそうな気がして、それらの言動行動がわが国にも
新しい風を吹かせるきっかけになるかも・・と、そんなことも
妄想する。
私だけそう思っているのかもと思っていたら、尊敬する哲学者
梅原猛先生も、新聞のコラムにそれに関することを書かれていて
安心した。

本当にわが国のために、いのちを賭けてがんばれる人。
として信じたい。
そして、日本にもいい刺激を与えてほしい。

世の中、何か間違った方向へ、自己的なリーダーたちが
進み続けていると思える。
そんななか、韓国と、そして前にも書いたが、
フランスの新たなリーダーには期待したいのだ。

おごらず、どこまでも誠実に、心身一体となって
人のため、社会のために尽くす。

そんなリーダーが必要だ。

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血の通う、コミュニケ―ションを心がける。

わがラジオ番組「愛の元気人」(毎月最終土曜日18時~オンエア)では、「コミュニケ―ション
なんでも相談室」というコーナーがあり、毎回、リスナーからいただいたコミュニケーション
に関する悩みについて、スタジオで答えさせていただいている。
番組内でリスナーの生のお悩み声が流れるという点で、とてもリアルだ。

「初めて会う人とうまく話せない」「人の目を見て話せません」といったことから、ときには、
家族が自分を理解してくれない、上司や部下とうまくいかないといった、まさに人生相談
といった内容のものまで、実に毎回様々な内容だ。
中には、この悩み事を公言するということだけでもすっきりするなんて人もいて、
ああ、たまっているんだな~と思うこともある。

最近では、老いた父親の介護、同居について家族の理解が得られなく困っている・・といった
内容で、他人事と思えない内容で、その方の孤立感が伝わってきて、胸がつまった。

回答は原稿なしでアドリブで答えることにしているが、どこまでも相手の立場に立って、その
方が元気になるように、より前向きになれるように、応援するという気持ちで言葉を紡ぐよう
にしている。

つい、人は自分中心になりがちだ。つい、自分優先の言動、行動をとりがちだ。
でも、相談されると、自分がその人の立場になれ、自分以外の人間を大切しなければ
と日頃の自分のことを反省できたりするものだ。

今、改めて、困っている人がいたら、血の通うコミュニケーションを心がけたいし。
もし、私が困っていても、そのようにしてくれる誰かがいてくれたら、きっと
それだけで悩みは解決できるような気がする。
心が通い合う、コミュニケーション。
これが希薄な時代。
ひと様のお悩みに接し、今の時代だからこそ、やっぱり相手を大切に、寄り添い、
人間らしく、血が通う、相手も自分も元気になるコミュニケーションを大切にしたい
と改めて思う。

自分に相談してもらえることに感謝して、丁寧に大切に応えていきたい。
(今月のオンエアは5月27日土曜18時~。相談室は18時45分前後のオンエアです)

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モンマルトルのわたしが眠っていた


「あれ~、これ。ああ~。あれだ~」部屋の片隅も片隅、引っ越ししてきてから11年以上、
一回も手を触れない場所にて見つけた1枚の額縁の絵が、これだ。
そう、これは私の20代後半の頃、パリのモンマルトル広場で描かれた。
おそらく27歳か28歳。会社員であった私は代休をとってか何かわからないが
パリに出かけていたのだ。

モンマルトルといえば、世界中から画家を目指して若きアーチストたちが集い、そこで客をモデルに
肖像画を、もしくはパリのモンマルトルの風景や、この丘から見下ろせるパリの町を描き続ける・・・
芸術家が活動する広場で有名だ。最近は行っていないが、25年前は間違いなく賑わっており、そして、将来のロートレック
も存在していたのかも・・。
そこでフランス語が話せなかったため、筆を動かす画家に興味がありながらも、言葉をかけずにきょろきょろ
広場の中を見ていた。そして、日本人らしき画家に出会った。パリで日本語が通じたのがうれしかったのを思い出す。
その人が描いてくれたのが、この肖像画だ。私の唯一の肖像画。
季節は冬。あまりに寒くてパリで帽子を買ったのかもしれない。
この肖像画、30代の頃は、ちょっと嫌だ、だから部屋の片隅に置きっぱなしにして、見かけることもなかった。
そうであるのに、今、観てみると、よく描かれている。そして自分だ~と思えてくる。
今の私に似ているというと、20代の私に怒られそうであるが、何か本質的な部分がよくとらえられていると
思うのだ。
なんだかとっても気に入ってきた。
この画家の男性は・・・。確か、名古屋出身だったような気がする。あのころ、ネット社会であったならば、
すぐ連絡とれるのであるが、その時代はそうではない。
それがまた何とも郷愁を誘う。
この画家さん、今もお元気か?まさか同じモンマルトルの丘にいるとは思いづらいが・・・
たぶん、どこかで会ってもわからないかもしれない・・が、もし、このタッチの肖像画をみたらわかるかも・・。
グラン・ルーの発想も何もない若い日の自分。この数年後に、同じパリからヒントを得て、独立するとは
思っていなかったが・・。

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ヨソモノが社内コミュニケーションの潤滑油。

ある企業さん。伝統的な木製の建築関連の製品を作られている。
10年程前に、その当時20代後半らしき若い女性が
その会社のPRをしたいということで、お会いした。
若い女性なのに、古風だな~。しかし、とんでもなく頑張り屋さんで
今どき、こんな純粋に仕事する娘さんは他にいるのかと思うほどに
本当にきまじめな人。
そして、そこの社長さんも仕事熱心な職人さん。
二人三脚でがんばってこられ、最近では職人さんも増え、若い女性たちの
入社も続いているとのこと。
そのお二人と、初めて一緒に食事をした。
神田で串焼きを食べたいというリクエストに応えて、知り合いの店で
合流。
食事もお酒も空間も良かったせいか、普段二人で話せない、なかなか
進まない、会社の今後の方向性についての議論が進んだ。
どうやら、ヨソモノがそこにいることで、客観的に時々口を挟んで
くれる人がいることで、気づきや頷きが増える。
そして、「よし、がんばろう」
と元気にお開き。
「おかげさまで、今日はいい話ができました。一緒にいていただいた
ので、普段できない話もできました」
と、社長からも、女性社員からも感謝された。

10年前に出会った彼女が成長し、次代を担っていくこと
それは部下をもち、組織を束ねる力を養っていくこと。そんな
段階に来たのだ・・。これからがますます楽しみだと思える
会食ミーティングとなった。

いつも一緒に仕事をしている少人数の会社であれば、
一人一人の距離が近すぎて、言わなきゃいけないことが
後回しになったり、改めての話がなかなかしづらいことも
あったり、家族のように言わなくてもわかるだろうというお互いへの
甘えもあるのかもしれないが、
ヨソモノが聞き役、突っ込み役、頷き役としているだけで
社内コミュニケーションは改善されることもあるもんだ。

だから、こういう仕事も必要なのだ。
ヨソモノだからの良さを、これからもじんわりと
発揮していきたい。

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捨てられないコレクションとの決別。

断捨離とは、モノではなく、過去の自分との別れである。ということを
最近、実感しつつある。
保管しているもの、捨てられないもの・・・。
場所さえあれば、気が付かないうちに、溜まっていくものだ。
最近、いろいろ捨て始めているのであるが、一番捨てづらい、捨てがたい
ものが、ペーパーバッグやパッケージの類。
国内外で入手したいろんなデザインの紙袋や箱たち・・。
商品自体ではないが、私の仕事柄、この資材類は私にとっては
商品と同じくらい、いやそれ以上の価値があり、デザインの資料としても重宝であり
・・・そんなわけで、気が付けばどんどん溜まっていった。
時々は、整理してきたものの、それでも買い物をすれば、自然と
増えていく。
海外のものであれば、なおさら、貴重なお宝・・。
その袋をみて、パッケージを見て、その店はもちろん旅や出会い、
そのときの自分をも思い出すのである。
以前、母親が、旅行に出かけたあと、泊まった宿のパンフレットだけ
でなく、箸袋やコースター・・・などなど持ち帰って大切に
していた習癖?を改めて思い出す。

忘れたくないから、思い出として、他の人から見ればごみ以外の
何者でもないものを大切にとっておく。
その気持ちはわかるけれど、長寿になればなるほど、とっておいたら
キリがない。
やはり、時々捨てる日を決めて、新たな思い出をとっておく枠を
広げておくのが良さそうだ。
いろいろ処分をすると、過去より未来が見えてくることもある。

そんなことを考えながら、捨てたくない紙袋の選別を最後まで
引き延ばしている今日この頃だ。

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空からの依頼を大切に。

今年もまた、自分主催の企業勉強交流会を開催した。
あまりに盛り上がり、写真を撮ることも忘れたが・・。
毎年新たに出会う企業含め、過去に行政主催の勉強会に参加された企業
たちの、活動報告・最新の取り組みについてのPRの場であり、同じ
勉強会に参加した仲間(OB)同士の交流の場である。
20代から60代後半、職業も地域も異なり、これはかなり面白い
異業種交流であるが、やる気があり、前向きであり、新たな何かを
求めてきているという点では共通している。
大した準備もしていないが、それでもどんな集まりでも、やろうと
思うとそれなりに準備と覚悟が必要だ。
声をかけた以上、反応がどうであれ、やり抜かねばならない。
途中で「やっぱ、やめるわ」は許されない。
どんな活動でも、立派な仕事、自分に課せられたミッションである。
手抜きは厳禁だ。
自分から何かをするということ、依頼を受けてではなく、自分から
始めること。
これは自分のための大切な仕事である。
目先の利益ではなく、大げさにいえば、自分がここに生きているという
ことへの証づくりであり、世の中への恩返し。どんな小さなことで
あっても・・。

最近、自分からはじめる活動は、実は 空からの依頼、発注ではないかと
思うようにする。
自分に与えられた、神様からの仕事。と思うようにする。

思いつくということ自体、与えられているのかもしれない。

前向きで清らかな気持ちでいると、あれこれと湧いてくる。

これからも、空からの依頼には正直に答えていこうと思う。
なぜなら、それをやりきった後には、笑顔や感謝の言葉に
出会えるから・・。
みんなが幸せに、元気になれることならば、骨を折るべし。

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