常にいくつもの課題をもって、日々動いている。
すぐしなければならないこと、少し先に必要なこと、自分にとって直接必要なこと、あの人の役に立ちそうなこと・・。
いろんな課題が無意識に頭の中に入っている。
そして、街を歩いていたり、どこかの店に入ったりすると、その目的以外のモノや人に出会うことがあり、このことはあれに活かせるのでは?あ、これはあれに
使えそうだ・・・とすぐチラシをもらったり、こっそり撮影したりする自分がいる。「何してんの?」と家人に言われ、「うん、これ、あの会社の●●に活かせるかもと思うので」などは、日常会話になっている。
目的を持ち、行動する以外に、ふらり何気なく出かけたところに、大きなヒントが眠っていることがある。
やはり、出かけること。ライブに動くこと。偶然出会うことで想像を膨らませることは大変重要だと、思う。
遊びながらのマーケティングリサーチは、ちょっとお宝さがしみたいで、面白い。
いつどこにでも、ヒントがある。
本音、心根で話せ聞ける間柄。
おかげさまで、いい知人、友人に恵まれている。
何かあったら、すぐに話を聞いてくれる、たわごとでもきちんと聞いてくれる。そしていつも応援してくれる。そんな仲間は、とても大切。
また、冷静に聞き、そのときは耳に痛くても、後になってそうだな~と
思わせてくれる、またあとになっても、心に響く言葉をかけてくれる仲間の
存在はうれしい。こういう関係こそが、長持ちする。
今、世の中がつながりを求めているようだが、どんなに多く、広くつながっても
薄っぺらな関係、また自分本位、利己主義のつながりであれば、すぐに終わっていく。
今、改めて自分という存在をよく理解し、本音で、素直に謙虚に向き合える関係を大切に、長くつながっていけるいい関係を探していきたいと思う。
出会いがしらだけでは、なかなか心根まで合致する関係にはならない、関係を育むには時間もかかる。でも、それがホンモノの間柄になると思う。
人間は人の間。常に人との関係で、惑い、悩む。でも、一方、人のおかげで、生きていける。
おかげさまで、ありがたい毎日だ。そのことを忘れずに人を大切にしたい。
視界は360度。ぐるっと回れば気分も一新。
毎日、同じところにいて、同じ人に会って、同じことに向かうという仕事や暮らし。
それが快適であれば、一番良いが、時として、息苦しくなったり、行き詰りそうになったら、自分の向きを変えるようにすればよい。
同じ方角を見ていると、気になることも増えてくるが、30度、45度、ときには180度向きを変えると、海が広がっていたり、上を見れば空が微笑んでいたりあるいは、足元を見ることで自分が地に立っている喜びに浸れるかもしれず、360度のどこかで救いの神が微笑んでいることもあるかもしれない。
ちょっとしんどくなったら、まずはそうしたい。
人間、見る方向が変われば随分と変わるのだ。
今のことだけ見ていれば、苦しくても、明日の方向を見れば 今の苦しみは
大したことがない。そんな風に見えてくるはず。
これしかない、この視点しかない。そんなことはない。
360度。マイワールドは全方位に広がっているのだ。
個を大切に生きるということ。
個人。ひとりひとりを大切にすることは本当に大切だ。
自由の概念と大きく重なるが、個人を大切にしながら、自由を尊重できるという考えは、今改めて心にきちんと収めたい。
人間は社会で生きる以上、いろんな役割、係を担いながら、助けながら、補いながら生きている。ひとりでは絶対生きられない。
個人が大切だといっても、俺が俺が、私が私がと自己主張ばかりするのは、本当の意味で、個を大切にしていることにはならない。
個人主義とはそれぞれがその人らしく生きるために、自分も自らを磨き、また他人のことを思いやる、理解する、そして助け合う。ということだと思う。
今、違う意味での、個人主義が横行している。これは一歩間違うと社会の分断にもなりかねないし、孤独な社会を招いてしまう。
個とは個性。自分にしかできないこと、自分ができることをみつけ、努力し続けることで、ステージも現れてくるのだと思う。
改めて、個を大切にしたい。言い換えれば、大切な自分と同じように、周囲の人のことも大切にしたい。
歴史をきちんと知り、理解することを忘れずに。
昨日で終わった世間のお盆休み。今年は台風に振り回された感も多いが、その
報道で、少しトーンダウンしたかに見えた終戦記念日。
私は、同世代の天皇陛下が式典に参列され、お言葉をお話しになるお姿を拝見し、そんな中、いろんなことが頭をよぎった。
亡くなった人たちのことを、生きている側が忘れずにしっかり覚えていれば、
その亡くなった人たちのことは消えない。風化しない。
けれども、メディアを含め、伝える機会が減っていけば、伝える人が減っていけば自然と消えてしまい・・被災された方たち、ご苦労された方々が本当の意味で
死んでしまうのだ。だから、記憶をなくさないために、記録は重要で、それに触れる体験が大切なのだ。
これは、広島や長崎の原爆資料館に行ったとき、そしてそれに関連するさまざまな文献や映像に触れたときにも、強く思った。本当に辛いものを、悲しいことを知るということは時に涙なしでは、いられない、あってはならないことが、この日本で、実験的にもたらさられた・・。間接的であれ、知ることで歴史に向き合うようになる。
自分が生まれた20世紀は、人類史上、もっとも罪深い世紀だったのだと、何も知らなければ思うことはなく、この平和が当たり丸と思って生きてしまう。
さて、このたび、原爆投下からわずか8年後に制作された、「ひろしま」という映画を初めて鑑賞した。テレビの録画ではあったが、息をのむ、目をそらしたくなる惨い原爆の様子がリアルに伝わる作品であり、改めて戦争の恐ろしさをさらに考える機会となった。
冷房をきかした部屋で見ているのが悪いような、ましてや飲料や冷たいものを食べながらなんて観ていられない・・・そんな映画だった。
これが原爆か。テレビから悪臭も漏れてきそうな、破片が飛んできそうな・・
そして目をつぶれば今も人々の呻き声や、あのやけどの傷が脳裏によみがえる。
モノクロであったのが、せめてもの救いかもしれない・・。原爆を実際に体験された被爆者の皆様にとっては、この映画を観ることでご自身の幼き頃の生体験が蘇り、たまらないだろう。体験していない私ごときがこんなにショックを受けているのだから、被爆された皆様にとっては、・・・。
本当に言葉が出ない。心からその苦労に対し、手を合わせたくなるし、お亡くなりになった方のご冥福を祈るばかり・・・。
と、たった1本の映画でも、観ると観ないは大違いだ。資料館の訪問も同じだ。
このたび展示が大きく変わったと何度かニュースで報じているが、これはこの大きな惨事を風化させてはいけない、伝えなければならないという思いからの
見直しであろう。今こそ伝え、そして知り、理解し、受けとめなくてはならないのだ。
人間って何なんだろう。8月はこんなことをしっかり考える時なのだと思う。
平和な時代に生まれ、ぬくぬくと育ってきた自分。
でも、頭までふやけないようにしたい。きちんとした頭と心をもって、
いい歴史になるようにつとめていきたい。
どんなに厳しくても、現実にきちんと向き合い、受けとめること。知ることは、理解することは、歴史の中を生きる者にとって避けてはいけないこと。
それにしても、あの映画は凄い。8年でよくあんな作品を作った人々の思いに
改めて頭が下がる。
中学生の自分と勝負!
東京を離れて2年。何が一番変わったかといえば、音楽へのリベンジ欲かも
しれない。
とにかく、音楽漬け、音楽少女の時代を過ごしたふるさとに近くなればなるほど、そのときの自分の暮らしを思い出すのだ。
そして、あの日と自分を比べる。
ピアノに関してだけ言えば、「あの頃に戻りたい」私がいる。
リストを卒業演奏で弾いた高校3年生の頃が演奏力でいえばピークだった。
そして、そこに至るまでの練習時間は半端ではなかった。
「ピアニストは1日休むと、●日分力が落ちる」と、有名はピアニストが
昔言っていたが、1日どころではない20年以上休んでいたら、どうなる?
ライブ活動などを再開しはじめたおかげで、多少は弾けるようになったが、
それでも、いざバッハに向かうと、指がまるでダメだ。
ショパンやベートーベンはまだ曲によっては勢いで、ごまかせるが
バロックはごまかしがきかない。
そのことを、今、改めて痛感し、なんとかその頃の指の力を戻したいと
思うようになった。
今さらのバッハのインベンション。小学高学年か中学生に一生懸命やって
いた教本だ。今、改めてその練習をはじめた。
55歳になった自分が、中学生の自分と対峙している。
負けへんで。絶対に間違えずに弾けるようになってやる。
そんな風に新たな宿題を課し、毎日の日課を増やしているが、なんだかわくわくもする。きっと中学生の頃は指先だけであったものが、厚みあるバッハに
なるのだろう。とにかく努力、練習ありき。逃げずに続けよう。
素敵な言葉をたくさんいただく。
読書も映画も、人生を改めて考えるには本当に良い教科書である。
最近少なくなったが、テレビ番組も歴史番組やドキュメンタリーものになると
時々役に立つ。
自分の知らない世界を知り、見聞を広げ、新たな知見をもつことはいくつになっても忘れてはいけない。
つい、最近、知って強く印象に残っている言葉を挙げてみる。
そのⅠ はたらく・・・端が楽になること。
自分ではなく、自分の周囲の人が楽になるようになるよう努めること。
それが働くの意味だそう。
素晴らしい。語呂合わせかもしれないが、働き甲斐が出る言葉だと思う
その2 優という言葉。優は、優秀。そして優しい。
そしてその優れた優しい人はどこか憂いている・・。
この「優」という言葉の深みと厚みを感じる。
そして、自分もそんな人になりたいと思えてくる言葉である。
いい言葉が頭に入ると、そのまま心に届く。心に響く言葉は、自分の栄養になる。そんな感じがする。
いい言葉、素敵な言葉をこれからも探し続けるとしよう。
つながりを求める時代。
人間は、人の間と書くのだから、何も言わなくとも、人は一人で生きるものではなく、人と人の間を大切にしながら、一緒に生きていくものだ…と思っていた。
人間社会とは、そういうもんだと思っていた。
都市化が進み、あるいは情報化が進み、従来の村意識も崩壊し、家族という制度も変化して、意識しなければ漂流する人も出てきた。
また、情報社会をうのみに生きれば、一見その中での疑似的な関係で、孤独を忘れることができ、でも実社会に戻れば独りぼっちという例も少なくない今日。
たまたま、NHKの取材番組で新宿の歌舞伎町を取り上げたものがあった。
わが青春の町のひとつでもあり、懐かしさをもって視聴した。
歌舞伎町は日本中から最近は世界から、人が集まってくる街だ。
今も昔も変わらない。そして銀座とも浅草とも違い、歌舞伎町は孤独な人たちが
集まってくる街・・のようで、不思議なコミュニティも生まれ、仲間意識が育っているようだ。
知らないモノ同士が出会い、ちょっとした縁でつながりあっていく・・。
一緒に生きていくわけでもない、そこでちょっとふれあうだけで、つながりを感じる・・・そんな若者も多いことを知り、日本社会の一面を知る。
みんな、なんやかんやいいながら、つながりを求めている。
最初はネット上でのつながりでも良いのだろう。
いいねの数、フォロアーの数、それでつながりを感じる人もいるかもしれないし、人それぞれであるが、つながりは、やっぱり肌で感じるもの。
リアルなコミュニケーションによって得られるものだと思う。
コミュニケーションクリエイターとして。心の観覧車を創ることを使命とするこの人生において、つながりをつくる・・ということについても、考えておかねばならない。
つながり。つながることは一見たやすいが、つながり続けることは難しい。
努力がいる。相手を思いやる心も必要だ。一方的にはつながれないし・・。
つながり。言葉は優しいが、実は難しい。
人の間をどう生きるのか。ということになる。
久しぶりに歌舞伎町を歩きたくなった。むき出しの人間を、みつめるため?よくわからないけれど、、、。
テレサの涙が降る街。
わが憧れの、テレサテンは台湾生まれであり、歌手としての活動を始めてからは香港を拠点にしていた。
山の上に住まいがあったようで(おそらくかのビクトリアピーク)、眼下に広がる、あのスターフェリーが行きかう港の風景を見るのがきっと彼女も好きであっただろうと、勝手に想像する。
アジアでいながら、先進的な国際都市。自由の町、HONGKONG。
彼女の成功は香港なしには成しえなかったかもしれない。
彼女が歌った曲に「香港」という作品がある。私も大好きなレパートリーのひとつで、何度も何度も聴きながら覚え、たまにカラオケにいっても、歌うのが好きな曲。(最近はもう何年も行っていないが・・・)
この曲を歌うたび、私なりの香港の思い出もよみがえり、またテレサもあの町を
愛したと思うと、心がキュンとなったものだ・・。
♪星屑を地上にまいたこの町のどこかに
思い出も哀しみさえも今は眠っている♪
で、始まるこの歌は、テレサ自身と香港の関わりを描くだけでなく、香港を拠点に行きかう人々のことを描いていると想像する。
香港は自由、でも不安定。でも、自由で開放的で生き生きとして・・・。アジアのNYともいわれる時代もあった。
なんど、香港で正月を迎えたことか、香港とマカオはアジアにいながらにして、世界旅行ができる、とびっきりの町だった。
香港の空港といえば、生き始めた頃は、町なかにあって、人々が行きかう真上を飛行機が飛んでいた。そんな日のことも、今となれば、懐かしいが、もうその名残もない。
現在の香港国際空港は、アジア最大のハブ空港。多くの人を日々アジアと世界を結んでいる。巨大な空港建設ラッシュの先駆けだった記憶がある。
今回、空港でのこの非常事態。連日のニュースを見ながら、衝撃を受ける。
激しい状況になればなるほど、香港の若者たちの悲痛さが浮かび、涙が出る。
自由を求めて、何が悪い。人として・・。
本当にがんばってほしいが、心配をしている。
世界中が心配している。
ああ、イギリスと統治下時代の香港の輝き、きらめきを思い出し
今は連絡がとれなくなった知人たちはどうなったのかと心が痛む。
テレサも天の上から、星屑とともに涙の粒を落としているだろう。
香港の民主化を心から応援し、一連の騒動が世界の協力と良心で収まることを心より願っている。
「共有」という共有ワード
ネット社会が生み出した現象、言葉のひとつにこの「共有」がある。
私が会社勤めとしていた二十数年前は、社内で「共有しておきましょう」
というセリフはあまり聞かなかった。
その後、電子メールが普及しはじめて、Ccすることで関係者同時に同じ情報を共有するということが常態化した。
そして、この数年、いや2~3年のうちに、「共有しておきます」「共有お願いします」という言葉がビジネスの会話で随分と使われるようになった。
共有する・・同じ情報を得ているという状態。メールをCcすることがたぶん、一番馴染みの方法であるが、このように簡単に情報の共有化ができるのは、助かる。
そのほか、ネットでは拡散という言葉もよくつかわれるが、個人的にはこのスモーキーな感じの言葉はあまり好まないため、意識して使わない。
それに比べたら、「共有」というのは、悪くない。
組織で仕事をするには、この「共有」は大切なこと。認識のレベルを同じにしておくことが、ビジネスでは重要なのだ。チームワークに「共有」は欠かせない。
この「共有」という言葉。もっとネットの世界に寄せると、「シェアする」という意味になるようだ。情報を分け合う。見ている知っているだけではなく、自分の発信に引用したり、投稿したり、情報をともに生かす行為自体も含んでいるようだ。
共有もシェアも信頼があっての活動。言葉や容易であるが、考えれば慎重さも大切だと思えてくる。
いずれにせよ、情報を大切に扱うようにしたい。あくまでも受け取る側のことを
忘れずに・・。