1000人のお客様の公演会。講演会の依頼であったが、演奏もつけてやってみるというオリジナルプログラムに。会場にピアノさえあれば、いろいろ工夫できるのが面白い。
教育関係の方向けの講演ということで、カチっとした感じも必要かつ、役立つ情報提供も、そして狙いたいのは感動をプラスすることだ。
1時間10分程度の講演なのに、ついつい思いもこもって、下調べもしたせいか伝えたいことがどんどん膨らむ。パソコンとピアノとマイクを使っての講演はちょっと手先も忙しい。
登場はマイクをもって歌いながら、ステージが明るくなると、パワポのトップがスクリーンに・・・一応、予定どおりに進行。あ、まずい!すごい照明で、まぶしくて会場が見えないのだ。これはリハーサルでは体験していなかった。会場の全席が見えていたのに・・・。
まぶしいと相手の顔が見えない。それでも一生懸命にツーウェイでやろうとがんばる。
さらに、お借りした役所のパソコンでの切り替え速度が、自分のそれとはかなり違い、
ページの切り替えに思わぬ間が空いたり・・・・・限られた時間でのリハーサルでは、うまくスクリーンに投影できるか、ページ切り替えはスムーズか・・は確認していたが、初めてのマシンと自分の話のスピードがちょっとずれているような?そんなこんなを意識しながら、緊張を隠しながら、落ち着け落ち着けと進めていく。
おっと、気が付けば予定していた前半のレクチャーだけで40分以上経過している。そろそろ演奏をしなければ・・・。頭の中がフル回転しながら、笑顔で、まぶしくて見えない会場を見えているかのように、自然にふるまって最後までやりきる。
多くのあたたかい拍手をいただき、花束やありがたいお言葉をいただく。
いっぱい用意したけれど、終わってみれば何も伝わっていないのではないかな、大丈夫かなと
心配にもなる。いつも、相手に響くこと、相手が動くことを目標にやっているので、そこがとても気になる。いただいた花束を播州赤穂の駅ホームにおいて、ためいきをつく。すると後ろから、聴講いただいた方から笑顔で声をかけていただく。あ、よかった、よかった。
何度やっても本番は毎回違うから、面白い。どこまでもオリジナルで、パワフルな愛を伝えたい・・。
なんどやっても本番はいつも違うから・・
阿吽の呼吸ですね~♪
有名な料理長がやっているような高級料亭やお寿司屋さん。ま、高級でなくても飲食店のカウンター席に座るとこちらが緊張する。そこの板前さんたちの仕事がそのまま見えるからだ。その真剣な手さばき、目配りを見ていることが楽しいので、カウンター席は親しい人との会食に最適だ。へえ、こうやって創るんだ。同時にこんなに注文入ってきたら。あれこれ段取りしながらだから大変だ、あ、鍋から火が・・・などなど見ていて飽きないものだ。
そこで大切なのは厨房内のコミュニケーションだ。もし料理長が若い人をどなりつけたり、言い合いになったりしては、料理がまずくなる。丁寧な言葉づかいで、気持ちいいやりとりこそが、食事の味を引き立てる。今回お邪魔した赤穂のお店は、夫婦ふたりできりもりされている。ほとんど余計な会話がない。でも、きちんと敬語で気持ちいいやりとり。お二人ともが一生懸命に美味しいものをせっせと作り、出し、お客さんをもてなす。地元のお客さんには親しい言葉で、慣れない遠方の客にも丁寧に、そして帰り際に地元のお菓子をお土産につけてくださる。思わず「素晴らしい、阿吽の呼吸ですね~。見ていて気持ちよかったです」というと、ご主人はちょっと照れながら「そうですか~♪」と返してくれる。夫婦一体となり、がんばって
やっておられる姿を頼もしく拝見。親しい人、信頼できる人との呼吸感は仕事の場面では武器にもなるものだ。
肌感覚は大切。~コミュニケーション スキンシップ~
バンコクに初出張する知人に現地のことを肌感覚で知りたいとの要望をいただき、現地に長く住んでいる友人を紹介する。ネットやデータ、公式の場で得られる情報もその市場、現地をとらえるには重要であるが、実際にそこに行き、そこに住んでいる人たちに触れ、そこにいる方たちと同じものを食べ、同じ時間を過ごすことで見えてくるものがある。この「肌感覚」はお互いの理解促進に、大変重要だ。今回、兵庫県での仕事ということで、早めに現地に入って、
その地域に少しでも触れてみようと試みる。学生時代のプチ・ハレの神戸、そしてあの震災・・もう20年前のことになろうとしていることをかみしめ、さらに一度も足を運んだことがなかった姫路にも下車。大阪とも違う、少し京都に近いような、ソフトな関西弁に思わず懐かしさも感じる。お城が駅に近いことで(お城が先にあったに決まっているが)そこに向かう商店街も元気で国内で増えているシャッター街とは違う。車いすに乗っている人も多くみかける。みんなが出かけやすい街なのかな。と、訪れて初めてわかることばかり。確かに私の肌に兵庫の町々、人々もしみこみ始めている。
コミュニケーション スキンシップ・・・人に直接触れることだけではなく、自分の肌にしみこませる五感の体験。秋だからこそ、よけいに沁みこみやすいのかもしれない。
駆け引きなしで、純粋に
ある企業の方から「いつも、駆け引きなく心から応援していただき、とてもうれしいです。これにぜひ応えたいと思っていますから、これからもよろしくお願いします」とのお言葉をいただき、「駆け引き」という言葉が気になった。それはGIVE AND TAKEをストレートに出す状態か?下心が透けている状態か?少なくても、自分にはその駆け引きするものすらなく、ただ好きだから、応援したいから、一緒にがんばりたいから、共有したいから・・というのが根底にあるのかなと思う。だから好きだから、ずっと長くつきあえる、向き合える。言いたいことをなんでも言い合える。聞いてもらえる。
いや、ビジネスの場面では駆け引きが必要なとき、相手ももちろんある。でも、心から応援したい相手にはそんなものは不要。いい関係を長く続けていくには、ひたむきさや純粋なきもちこそが優先される。
どんな人間関係においても、これはとても重要。どんな人とも、そうでありたい。
本当に世の中のため?いつでも確認
政治家という職業の方は、その血筋の家に生まれたから政治「家」というのだろうか?代々受け継ぐべき、その家の人しかできない特別な仕事だから?ということなのだろうか?芸術家にせよ、〇〇家というからには、その仕事自体が後世にわたり、世の中に役立っていることが必須だと思っている。しかし、最近のこの政治家と一般に呼ばれているお仕事は「政治屋」さんのごとく、それで自らの名声や繁栄が最優先のもくろみの方もおられるようであり、また何か知らないけれど、急にこの方たちの「就活」もはじまったようであるが、なんだか国のためとか、国民のためと言えば言うほど、彼らが何をもって、何を見て国だとか、暮らしだとか言っているのだろうかと大疑問に思えてくる。と感じているのは私だけではないと思う。
どんな仕事も、人の役に立たなければいけないと思う。そして、人のためを思うならば、今何をすべきかも見えてくるのだと思う。
いつもそれは人のため?世の中のため?よくよく考えていかねばならないと思う。
人の振りみながら、自分のことも見直していこう。それは、本当に世の中のため?
薄っぺらな言葉、見た目ではなく、地に足がついたきちんとした行動。これこそが人々を感動させ、応援者を増やすはずだ。
「高校に受かったみたい」な気持ち
春に胃がんがみつかり、手術をした母。あれから半年の検査となった。術後、驚くほどの回復力、前より元気になったのではないか?と周囲が首をかしげるほどに、本当に元気、元気。食事を一度に摂れないため、バッグにいつも一口チーズを入れて持ち歩くようになった習慣以外は、まったくの健康人のように見えるが、検査となるとちょっとびびってしまう。元気そうにしてはいるが、実は・・ということにならないようにと。検査当日、「病院の先生に、『検査は高校受験みたいやね。もっとも私は高校行かずに大学行ったからわからんけど・・』と言って笑わしてきたわ」という報告。生まれてどの受験もしたことがないはずのに、何を言うのかな、この人は?検査のときに冗談言えるぐらいだから、ま、大丈夫かと思いつつも、結果が出るまで、内心心配。本人も同じであっただろう。そして結果当日の夕方。「どうだった?」「大丈夫だった。」「良かったねえ。高校受かったのと同じだね」と言ったら、電話口で笑っていた母。癌の定期検査は受検のようだとたとえるのも母らしい。が、受験していないのにたとえるから、尚母らしい。これからもずっと受験生の気持ちで、気を付けて長くがんばってほしいと思う半年検診であった。
直接的、間接的どちらでもうれしい。
以前、ボランティアで通っていた認知症の病棟。毎月出かけていき患者さんの前でふれあいコンサートと称して、ピアノを弾き、歌い、おしゃべりをした。あのときの患者さんたちの反応は今も忘れることができず、瞬間ではあるけれど、音楽がその人を元気づけたり、勇気づけたりすることがあるということが実感できた。心に灯を点す、情熱を蘇らせる、記憶が戻る・・・いろんな反応があることを知った。そしてそのボランティア活動を支えてくれたひとりの友人。彼女は知り合ってから脱サラして看護師になった。本気でなければできない転身。彼女がずっと私の演奏を聴き続けてくれており、それを最近の訪問介護でも生かしてくれているという。あるお宅でのこと。そこにご高齢のご夫妻が住んでおられ、ご主人はかつてピアノが好きでよく演奏されていて、ご自宅にもピアノがあるとか。いろんなことがあって体調を崩され、精神的にも安定せず、食事もままならぬ状態であり、家族もお困りであったが、彼女がたまたま私がライブで弾いてきたのをずっと見聞きしていたため、ピアノがお好きなご主人に「〇〇さんピアノ弾きますか」と言うと「いいよ」と二つ返事で演奏されたり、ついには私がライブで弾いてきた曲の名前を挙げるとその曲を弾いてくれたり・・・ということがあったとのこと。リクエストに応えてくれた・・ということをその看護師の友人はとてもうれしそうに報告をくれ、さらにはもっとリクエストしたいから、この前演奏した曲のリストを見せてほしいと言ってくれた。奥様も歌がお好きだそうで、愛の讃歌は自ら少し歌ってくださったとか。彼女は、これからもその訪問先で、自分が知っている曲をもっと彼にリクエストしたいという。それが意欲を維持できるお手伝いになるのであれば・・と。直接的であれ、間接的であれ人を元気にすることに関われることがとてもうれしい。音楽はやっぱりハッピーコミュニケーションツールだ。その意味をこれからも伝えていきたい。
何色の糸で結ばれている?
今年春に上海で亡くなった、台湾生まれの親友。彼女への想いを曲にして、先日からスタートしたライブで歌っている。この作品をいつか彼女の旦那さんに伝えたいな~とぼんやり思いつつ、その手段を考えていたところ。夜中に1本のメールが入っている。アドレスは今はなき親友自身のメール。瞬間、彼女が実は生きていたのかと目を疑った。すると、その英文のメールは旦那からだった。へ?何?このタイミングは?メッセージには来週、来日するのでぜひ会いたいという内容。覚えていてくれたんだ。彼女が旦那に天から呼んだのかな?
彼女なしでお会いする日が来るとは思ってもいなかったし、それは寂しいことであることに変わりないが、彼女の命を彼がそのままあずかっているのだとも思えば、一緒に来日するような気持ちで迎えたいと思う。「ANNEソロジー」を伝えたい。彼は何と言うだろうか。いいお土産になればいい。とにかく、このタイミングとは不思議で仕方ないが、やっぱりつながっている。思えばなる。笑顔で再会しよう。人は人といろんな糸で結ばれている。ANNEと私は七色の糸だったのだろうか?とにもかくにも、まったぐ偶然では片づけれられない距離感に驚く。
市場は最高の観光地、そして学び場
仕事でよく築地界隈に出かけるが、普段は時間がないため場外市場を歩くこともなく、ただ道路でやたら観光客らしき人、外国人が多いな~と遠目に見ていたが、たまたま時間があり、市場の中を通ってみる。月曜の午前なのに、なんだこの賑わいは!と驚くほどの盛況ぶり。
年末といってもまだ師走でもない、おせちでもないのになぜ?見るとほとんどが観光客であり、アジアからの観光客よりも欧米人の散策ぶりが目に飛び込んでくる。いやー、築地は今や東京有数の観光地とは聞いていたが本当だ。各店には「NO PHOTO」と英語のPOPから、英語のメニューもあり、また接客も英語という店も少なくない。またなんといっても試食がさかん。まずは食べさせる。海外のマーケットもよく歩いたが、試食をさせてくれる店は少ない。日本はやっぱりおもてなしの国なのか、珍しい食品が多いため試食なしでは売れないせいか、とにかく玉子焼やほたてまで試食させてくれる。大盤振る舞いの市場である。
混雑する狭い通路を、搬入用の車が入ってくる、そこはまさに市場という感じで、緊張感もある。調味料や乾物を扱うお店に入ってみた。やけに空いている。「久しぶりにここへ来ましたけど、昔に比べてすごい人ですね。観光客ばかりですね」と店番をしていた男性に声かけてみるとその人は「そういう人たちには来てほしくないんですよね。」と意外な返事。市場を利用するのはプロであり、地元の人であるべしという考え方だろうか?確かに一見地味な調味料のお店だと観光客や海外の人が押し寄せるということもなく、恩恵が少ないのかもしれない。
アメリカでよく見る巨大な体格の男女が半袖で歩いていた。どこから来たと聞いたら、アラスカの近くだと言った。向こうは厳しい寒さなのに、まるでリゾート感覚で市場散策か。
私も実は海外に行くとマルシェを見るのが好きだ。そこの国の食事情がよくわかり、自然と人の関係もわかるからだ。それにしても、月曜の午前のあの賑わい。ここだけアベノミクス?
ちょっと惑ったがおもてなしが光る素敵なNIPPONを発見。東は築地?西は錦?やっぱり市場は面白い。
東京ライブレポートアップしました
さる11月14日新宿ミノートル2で開催した愛の元気人ライブIN TOKYOのレポートを
公式サイトにアップしましたので、ごらんください。