あたまの「冷蔵庫」をもつ。

最近、とあるラジオドラマ作家の先生が興味深い話をされた。
書こうと思う人は、頭の中で、自分のネタを「収納する場所」を作ることが大切。
それは、「クローゼット」ではなく、「冷蔵庫」として考えると
良いとのこと。その自分の冷蔵庫の中の管理・整理をすることが大切だ
というお話しだ。

冷蔵庫に入れるべきネタ(情報)は、
1.毎日使うもの・・・頻繁に出し入れ
2.新鮮なもの・・・時々入れ替え
3.冷凍品・・・ずっと保存されている 時々解凍する
の3つに分類されるとのこと。

書く素材を野菜や果物に例えて、冷蔵庫に収納する
という発想はなかなか、それこそが、私にとってまさしく新鮮だ。

とくに気になるのが、「冷凍品」だ。
人はそれぞれ、幼いころの思い出があり、あるものはトラウマになったり
あるものはうれしい思い出として心の隅にあったり・・
普段思い出すことがないものを、「冷凍品」と位置付ける。
使わなければ、ずっと冷凍品のままであるが、これを時々解凍して
その中身を確認することで、各ネタとして使えたり、大切な
テーマになったりすることもあるという話。
冷凍品こそが、自分のヒストリーの中から生まれた
自分にしかない貴重な素材だ。

言葉という素材は、今どきはとくにどんどん拡散し、流れていくし、
情報過多のこの時代、どの情報に触れ、どれを選び取り、自分の冷蔵庫に
収納しようと思うか、その選択自体が大変難しい作業だ。

難しいけれど、意識して、情報を自分なりにキャッチし、
整理し、活用する。
そのことに、しばし挑戦してみようと思う。

このネタ、情報の冷蔵庫は、世界にひとつしかないもの。
私だけのものになる。
どんな感性で、どんな経験で、どんな生き様で買い物をして、
保存しようと思うか、そしていつ、どんな風に料理しようと
思うか・・・。

面白い例えであり、わかりやすい。
いずれにしても、頭の中が腐らないように、気を付けなくては!

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被写体としての発見とわくわく

新潟のショーの撮影にいつも無理をお願いしているカメラマンがいる。
彼が撮る写真には、感動的かつ、永久保存ではなく、永久現役にしたいものがある。

今回のディナーショー終了後、数時間も経たないうちに、すぐに撮影した写真がたくさん送られてきた。
毎回年を重ねている身としては、どきどきはらはらの瞬間.わが身の老い度を確認するようなものだから。
そして、被写体としてはどうなんだろう?と自分を客観的に確認する緊張感もある。
怖さと楽しみの両面がある。
そのドキドキな状態で演奏写真をチェック・・・すると!と飛び上がりたくなる写真がある。

今回も、それをみつけた。

よく、こんなモデルでこんないい写真になるな~。よくタイミングをみつけてくれたな~。
彼は私のリハーサル中からずっと私の演奏を全角度から、ひきで、寄りでチェックし、
ベストなアングルをイメージ、構築する。
「もう、練習しないんですか?もっと弾いてくださいよ」
と言いながら、真剣に私を被写体として追いかける。

そんな観察眼とシャッターチャンスから生まれた1枚なのだろう。
専門的なことはわからないが、被写体として正直嬉しい。

素敵な写真。次が楽しみになってきた。
お客様が演奏を聴いてくださり、カメラマンには被写体として見ていただいて・・
わが身が「被」なる存在になる瞬間は、とても貴重で有意義だ。

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本番を決めるリハーサル

塗地

写真は本番のモノとリハーサルのもの。

本番の出来を左右するのは、リハーサルの時間。
少したっぷり目に時間をとるようにする。
直前にベストコンディションをつくるのが狙い。
本番の輪郭を創る時間でもある。
本番何時間前というタイミングは、
迷うこともなく、そのあとには本番しかないため、
腹もすわる。緊張感もうまく高めていくことができる。
リハーサルがうまくいくと、本番もうまくいく。

今回のにいがたでのディナーショーは、いい按排に
演奏を成し遂げることができた。
自分でもなんともいえない、達成感を感じる。
このイメージは今回はリハーサル時にすでにもっていた。

充実のリハーサルと、素晴らしい音響環境、空間
そして
なんといってもよく聴いてくださるお客様の存在により
最高の雰囲気が生まれる。

おかげさまで、無事、終了することができた。
さすがに披露と安堵が入り混じる朝。

写真の速報が届き、まずはそれをもって
ひと先ず、終了の報告としたい。

皆様、大変ありがとうございました。

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本日25日 愛の元気人11月分オンエア!です


ハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」11月分、本日11月25日18時~オンエアです。
今回の「にいがた元気人」のゲストは、シンガポール料理店「ばく亭」の山崎明子さんと、
保安製品メーカー「かんえつ」の渡辺明子さんです。元気で意欲に満ちた素敵なトークをお楽しみ
ください。そのほか、「プチプチ感動体験談」、「コミュニケーションなんでも相談室」
などもお聞き逃しなく。FM KENTO 愛の元気人

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ただただ、感謝のみ。の本番へ。

「楽しみにしています。」という言葉を何名かの方からいただいた。
本当に、ありがたく、勇気がわいてくる。
「体調に気を付けて、手は適当に休ませてくださいね」
という心配の声も、何名かの方からいただいた。
行けることになったと、前夜にお電話いただく方もおられた。

昨年1年、新潟での演奏を休ませていただき、2年ぶりのディナーショー。
2年前の今は・・。
と思うと、ファンでいてくださった、すごい力強い応援団の方・・・
のことを思い出し、涙があふれる。

この2年で出会いもあったが、お別れもあった。

でも、私はおかげさまで元気に、生きている。

この2年間での新たな出会い、あたたかい交流や応援に支えられ
今日の「ありがとう新潟!」の思いを込め、ディナーショーを
行う。

セルフプロデュースがとても好きだ。
企画したことを形にして、お客様が喜ぶしかけを
創ることが好きだ。

今日もぜひみなさんに楽しんで、いい笑顔でお見送りしたい。

ありがとう!にいがた。
まっすぐに、その気持ちだけを持ち続け、新潟へ向かう。

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「人間」だから、いい距離感。

どんなに親子であっても、親しい人であっても、人間はそれぞれ別の存在、人格。

どんなに仲良くなっても、血縁、地縁含め、近しい人との間でも、
ほどよい距離感は大切だ。

あまり急接近すると、いいところが見えなくなることもある。
見失うこともある。関係が長続きしないこともある。

大切な相手であれば、相手を思い続けること、
見守ることは大切であるが、それも程よい距離がいい。

相手からは、自分が見えるか見えないかぐらいの距離にいる方が
よく見えることがあるかもしれない。

距離感。
人間とは「人の間」と書くから、間がないと、息が詰まったり
鬱陶しさを感じることもあるかもしれない。

自分自身も自由に生きたいと思って生きてきた。
みんな、基本はそうではないか。
もちろん、人間は孤独が嫌だと思う一面もある。
寄り添ってほしいとも思う一面もある。
考え方によっては、とても身勝手ではある。

が、程よい距離感が、いい人間関係を長続きさせる。

このバランス。なかなか 難しい。

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モノに宿る「メモリー」と「ストーリー」を大切に。

今年の前半は、引っ越しを前に、多くのモノを処分した。
とくに直前には、かなり思い切って処分した。
売ったり、人にもらっていただいたり、捨てたり・・・。
とにかくモノを減らさねばという思いが先行し、そのモノに向かいあう
ゆとりもなく、とにかく処分処分。
そして 引っ越しが終わり、今になって「あれ、どうしたかな?」
とそのモノの所在を思い出すが、すでにもうない。
どこにいったかすら覚えていないものもある。
もらっていただいた方の場合は、理由があってお渡ししたので覚えて
いるが、売ったものはあまり記憶に残っていない。

とにかくそのときは捨てなきゃ、荷物減らさなきゃとの勢いで、処分し続けていた。
何年も使わないもの、着ないもの、読まないものなどを整理したのはいいが、
後になって、「ああ、あれは?ああ、しまった~」と悔いる瞬間もある。
最近、そんなことが何度かあった。
そのモノには背景や思い出があったのだ。それをしばらく忘れていたのだ。

モノは不思議だ。
勢いで購入したものなどは、あまり愛着がないが、
あそこで、ここで あの人から、こんな会話で・・・
とモノを通じて、いろんな物語や思い出があふれてくるものは、
捨てられない。

もちろん気持ちが変われば、忘れたければ、処分すればよい。
が、
愛着があるもの、思い出があるものは大切にしておきたい。
そして、余計な消費をなくすこと。
モノを増やさないで、あるものを大切にしていく。
もし、ほしいと思っても、本当に大切にできるかどうかで
判断すること。

せっかく働いて購入しても、すぐに不要になるのはもったいない。
せっかく苦労して手に入れたものが、
ネットオークションなどでみたときに、なんと安っぽく、寂しく
見えることだろうかと想像してみる。

モノにも魂があるのかも。
大切にされたものには命が宿り、
捨てられたもの、売られたものは、その命がしぼんでいくような・・。
もちろんそれをよみがえらせるのが、今のリサイクルビジネスでは
あるので、それはそれで意味があるが・・。

それにしても、モノについてよく考えよう。
一番の幸せは、好きなもの、本、人、音楽・・・に包まれて
生きることなのかも・・。

だから、思い出と物語があるモノを大切にしていこう。

東京時代は、消費の時代だった。ひとつの時代が終わって
良かった。
いつまでも、作り続け、売り続け、買い続け・・・なくて良い。
その時代を過ぎて、心の充足について考える。

思い出、物語。を大切に。

アメリカで毎年恒例のギビングサンクスセールが始まると
売りまくって、買いまくる・・・。
このお決まりのサイクルにふと、疑問もわきつつ・・
そんな季節の到来に、改めて・・。
消費に踊らされるのではなく、出会ったものを大切にと
自戒を込めて・・・。

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表情も、腕のうち。

演奏したり、話をしたり、踊ったり・・。
世にはいろんなパフォーマンスがある。多様な表現があるが
最近、気になるのは、その演者の「表情」だ。

早朝に流し見しているNHKのクラシック音楽番組では、
これまで知ることのなかった音楽家たちの演奏に触れることができ、
楽しませてもらっているが、
腕自体も、もちろん素晴らしいが、それにとどまらず
最近はどんな顔つきで弾いているかを楽しませてもらっている。

そして、改めて表情も腕のうち、と思うようになった。

悲しそうに、うれしそうに、さみしそうに、希望に満ちて・・・
と、表情豊かに弾いている演奏家の音色には、奥深さを感じ、
また音楽自体が生きている感じがする。
あるいは、演奏者と作品が一体になり、新たな世界を創りだしているような
気になり、こちらもその世界についつい、引き込まれる。
単に、指先の、口先の、手先の演奏・演技だけでは、魂は揺さぶられないのだ。

フォーレ四重奏団なる楽団の演奏で、女流バイオリニストの演奏を見た。
なんとまあ、表情豊かに演奏されているのが、とても素敵だ。
一目で釘付けになった。
クラシックの世界にも、こんな自由に表現する奏者がいるとは嬉しい限り。

表情で弾く。これは大切だ。
もちろん技術は前提だ。下手であってはそんな表情も逆効果だ。

弾けるようになるよう練習を重ね、テクニックを磨いた上に
表情を乗せていく、魂を入れていくという順番か。

いやはや、クラシック音楽はなんと奥深いことか。
年を重ね、だんだんその味わいがわかり始めてきた感じがする。

表情も腕のうち、作品をつくる重要な要素。

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アウフヘーベン、実践。

かのヘーゲルが残した弁証法「AUFHEBEN」という考え方。日本語で「止揚」という。
歴史はまさにこの止揚する。「正・反・合」と自らにとって相反する、あるいは異質なものを
受け入れ、すべての経験を受け入れ、どんどん発展していくという考え方。

たとえ、混沌という状態であっても、いずれは時間とともに、いい結果が得られるという
長期的な視点ではあるが、前向きな考え方だ。
これがヘーゲルの歴史哲学の原点にもなっているとも言われる。
私はこの「アウフヘーベン」という言葉が20代から好きで、音楽の形式でいくと1,2,3、
1,2、3と進んでいくので、前向きなワルツだと思っていたし、
わがグラン・ルー自身も弁証法的な観覧車になりたいと思っていた。

そう、単にくるくる回るのではなく、らせんのように、周りながら上昇していくイメージだ。

ある政治家は、最近この言葉を使った。
しかし、行動はそのとおりではなく、単に言葉のかっこよさとか、思いつきで使ったのか
とにかくその言葉は似合わなかった。コトバどおりにいったら、結果はまた変わっていた
のかもしれない。いずれにせよ、いろんな意味でとても残念だ。

それに関連して、最近、親しい人とこの「アウフヘーベン」について語り合う。
「これまでの歴史だったら、混沌があっても、次の明るい時代が来たし、希望も
もてたけれど、今のこの状態だと、世界にはこの先、もう破滅しかないのかも・・・。」
とても残念であるが、その見方にはとても共感している。

少なくても、社会全体が良くなろうと思えば、ひとりひとりが自分のことだけを
考えるのではなく、周囲を大切にしなければ、弁証法的に生きるには、厳しい観察眼も
必要であるが、思いやりや気遣いが大切だ。

このことなしに、個人主義、ご都合主義、自分さえよければ・・の人が
増えていく以上、社会は破滅に向かうのだと思う。
アウフヘーベンという言葉が死語にならないように、と心から願う今日。

ベートーベンやモーツアルトの創った音楽が今日も人々の心を揺さぶったり、
落ち着かせたりするように
過去の偉大な哲学者たちが遺した考え方を、大切に現代に生かすようにしなければ・・。

この「アウフヘーベン」実践。まず自分からだ。
謙虚に、感謝の気持ちをもちながら、ポジティブに挑戦を続けていくこと。
とにかく、まずは自分から。

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働き者のトシ子さん・・・。

「うちのトシ子が~」「うちのトシコも~」
長年お世話になっている方との会話で時折、こんなやりとりが
今となっては懐かしい。
その方のお母様もとしこさん。そしてわが母の名も「としこ」であるから
お会いしたことはないけれど、その方のお母様に勝手に親近感をもって
いた。
どうやら、その二人のとしこさんの共通点は、気丈で働き者。
子供がそばにいなくても、しっかり元気にがんばっている。
とにかくよく動き、よく人の面倒を見る・・・。
元気印のおかあちゃん。
がんばっているし、強気だけれど、本当は子供に帰ってきてほしいと
思っている・・・(と思える・・)

その知人のお母さまとしこさん・・・。
お気の毒に、東日本大震災で被災され、悲しい経験をなさった。
それから・・・いろいろご苦労があった。
震災が人生を変えた・・と間接的にお聞きして、心が痛いこともあった・・。
東北の話題に接するとき、時折、お会いしたことのない、としこさんの
ことを思い出すもあった・・。

出張先、仕事が終わって、スマホを見ると
メッセージが入っている。
「うちの母トシコが今朝・・・。87歳の生涯でした」
一瞬、見間違えたか、自分の親が亡くなったのかとも思うほどに
あわてた。
あ、Sさんのお母様が・・・。そうか・・。

お会いしたことがないのに、歩きながら涙があふれた。
旦那さん、息子さんはどんなお気持ちか‥・・・と。

トシコさん。働き者のお母さん。
心からご冥福を祈ります。

うちのトシコさんもいずれ・・・かなと思うとたまらないが
避けては通れない。
生きることは・・・切ない。

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