アメリカを見習いたい点

隣の大国の中間選挙。日本でも盛り上がった。
自分の国のことではないのに?経済への影響が気になるからだろう。
いいも悪いも、大統領のおかげ?で、高い関心が集まった選挙戦。
私自身も、どうなるか?と気になっていた。
結果は・・・。
民主党が健闘した。
今後のゆくえは、もちろん気になる。
とにかく世界があるべき方向へ、平和と自由に向かって進めばよいと
思う。自分(国)第一主義は、感心できない。

ここで、今回つくづく思ったことは、
アメリカには二大政党があって良いということ。
戦いになる。ちゃんと戦いになる。
日本ではこんな状況にはならない。

それから、女性が活躍できる社会だということ。
そして、若者も選挙に動いた。
ここも、見習うべき点だ。

対立軸がちゃんとあるということが、そのバランスが社会の発展には重要だ。
日本は、今は勝負にもならない・・・。
フェアに見えない、見えない力で、一党だけが権力をふるっている。

アメリカの今後に期待したい。
移民の人たちのゆくえも、気になる。

アメリカは、やっぱり民主主義の国であってほしい。
そして、日本も遅れを早く取り戻さねば・・。

アメリカを見ていて、久しぶりにほっとした。

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車社会で原始人!

京都から東京での都会暮らしでは、自分の足と公共交通機関で動くというのが基本であり
歩くのも全然苦にならず。東京駅から神楽坂までもよく歩いたし、一日一万歩はざらで、
二万歩歩くと良く歩いたな~という感覚。
20代・30代はNYやパリに行けば、歩かにゃそんそん!と朝暗いうりにホテルを出て
一日10時間以上歩き続け、貪欲に町をリサーチしていた・・というわが青春時代。
歩きすぎると、足の裏が熱って、靴の底がすり減っていくような感覚になったこともあった。
疲れ果てて、ホテルに戻って・・・というパターン。
あるとき、パリ郊外にあるナポレオンの夫人ジョセフィーヌの住まいであった宮殿まで
行ったこともないし、当時ナビもないのに、地図片手に地下鉄とバスを乗り継ぎ、歩き歩いてやっと到着。。。
パリ市内から、何時間もかかった・・。なんて大変非効率な
経験もあり、とにかく「足で稼ぐ」が自分のモットー。そのプロセスとドキドキ感が魅力である。
自分の足で到着ときの感激は、たまらない!

とはいえ、現実の世界に戻ると、とくに新潟や岐阜などでは、車社会である。
ちょっとどこかへ歩いていくと言うと、皆さんに「はー?」「車、のってきゃー」と、
憐れみをもって言われてしまう。
そしてよくお世話になる。とくに雪国の人には車に乗せてもらえたから、10何年も
仕事ができたようなものだ。なんせ、「足」がないと、確かに不便ではある。
本当に皆さんにお世話になってきた。

車は便利。でも、私は乗らないと決めてきた。18歳になったら免許!とみんなが自動車学校へ
行く習慣に逆らった。なんで?車なんかなくてもいいじゃん・・という感じで・・。
自分に合っていないのもある、どうせなら、運転手を雇えるぐらいまで頑張ればよい。
とも思った。そうはなっていないが・・。いずれにせよ、生涯 運転をする気がないと
決めている。
だから、このままでいい。足を鍛えて、いくつになってもどんどん歩きたい。
年老いて、免許返納して途方に暮れるより、今から車に頼らないで生きていく術を
持っている方が良い。
と思っているが、車社会では、私は使えないおばさんになる。
でも、その分、人より早く出発して、
車での移動ではないことが遅刻の原因にならないよう、時間通り到着できるようにと常に心掛ける。

原始人だ。亀かもしれない。もしくは東海道を歩いた旅人のようだ。それがいい。道中を楽しむのだ。
いい、この感覚で、町を見ながら世界を見ながら歌いながら歩くのが、自分にとっての効率が
良い。

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もし、あなたが私が認知症になっても・・

認知症と戦う夫婦のドキュメンタリーを見た。
旦那さんが、認知症になった奥さまのお世話をされ続け、そして愛妻に手紙を
書き続ける物語だ。
手紙を読むことができない奥さまに向かって旦那さんは2000通に近い手紙を
書き続けている。奥さまに語り続けている。
おそらく、その語りかけにより、今はまともな会話ができない奥さまとの
元気だったころの会話を取り戻しておられるのだろう。
旦那さまは、毎日奥さまの世話をされる。食事から排泄から・・。
まるで子供をあやすように、子供の世話をするように・・。
そして散歩に出かける。
元気だったころの奥さまは、旦那さんと手をつなぐことは恥ずかしいと
絶対応じなかったが、今は、すすんで手をさしのべ、ふたりは手をつないで
散歩をする。旦那さんは、この散歩時間が今は一番楽しいと感じておられる
とのこと・・。
認知症は良くなることが難しい病気のようで、症状は悪化する。
以前は、旦那さんの名前をしっかり呼ぶことができたのに、今はもう
それもかなわなくなった、旦那さんを「お母さん」と笑顔で呼ぶそうで・・。
そのうち、自分の存在すらも忘れていくのではないかと旦那さまは
つぶやく・・。

このドキュメンタリーは涙なしでは見ることができない。
いつ、自分が相手がそうなるかもしれないから。
決して他人事ではない。
そうなったら、そうなったで仕方ない。もちろんすべきことはするのだろう。
でも、そんな日はできれば来ない方がいい。

旦那さんは、今となっては愛妻のお世話をする生活、
一緒にいる時間が少しでも長く続いてほしいと
の気持ちでその思いを、手紙にも綴っておられる。

愛とは・・。
夫婦とは・・。

やっぱり元気なうちから、悔いないように感謝して、大切にして
いかないと・・。
わからなくなってから、後悔しないように・・。

人生は永遠ではないが、愛は永遠。
そうありたい。
と、その話を、相方にする。
「しょうがないじゃん」
とひとこと。

人はそう言い、そう思いながら、
その時そのときで、現実を
受け止め、受け入れて生きていくのだろう。

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そんなに売りたいの?いつまで買いたいの?

今はテレビも、ネットも24時間、買い物情報が満載だ。
とくにテレビでは、健康・美容・長寿に関する情報が多い。
アメリカでも、ネットをしない高齢者はテレビ漬けになっており、その人
向けの通販番組は健闘していると聞いたことがあったが、日本もその流れにある。
家にじっとテレビ見て健康器具買うよりも、外を歩けばいいのにと思うが・・。
またパソコンを開けば、過去の閲覧歴により自分が興味ありそうと勝手に向こうが
思う情報が飛び込んでくる。はっきりいって、うざい!

とにかく、今、私たちは
寝ても覚めても、広告に囲まれて暮らしている。
みんな、それだけ売ろうと必死。買おう、買ってみようかと思ってしまう
瞬間を狙っている。

そして年末に向けて、クリスマスに向けて、この季節は一年のなかでも特に、
消費意欲をかきたてるプロモーションがいっぱい。

子どもの頃は、クリスマスもお正月も一年を代表する一大行事であった。
子ども会でもらえる、バタークリームの小さいケーキが本当にうれしかったことを
今も思い出す。

今はいつでも美味しいものを食べ、欲しいものを手に入れることができる
生活になっているため、昔よりハレ感はなくなっているようだ。
でも、それでもやっぱり楽しみたい、特別な日という感覚は今も変わらないようだ。
無理やりギフトという感じでもある。

24時間いつでも買える時代。
これはいったいなんだろう。
常に売るためのあくなき仕掛け。情報発信。それを受信し、行動する生活者。
そんなに心動かされるものがあるのだろうか?
買い物っていつまでもしたいだろうか?

何かからの逃避なのかもしれないが。
買い物しか楽しみがない人も多いのかもしれないが。

一見豊かなこの社会に、つまらなさ、想像力の貧しさを
感じてしまう。

いつまで所有、消費を核に生きていくのだろう。
最期までモノを求めるのか。
今改めて注目しておきたい。

ものを手に入れることも、クリックひとつの消費ではなく、
素敵な思い出になるようなそんな経験がいい。

昔はそうであった。

ゴミをこれ以上増やさない行動、暮らしを・・。

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瞑想、座禅どんなスタイルで?

一日の短いひとときでも、心静かに自分と向き合うことは
とても大切である。
心豊かに、深く生きるために、ぜひ毎日、自分との対話時間を
もちたいものだ。

知り合いのクリスチャンの方は、毎日、瞑想をしているという。
確かに彼は、いつも落ち着き、ゆとりがあり、世の中に対しても
どこか俯瞰した見方をする、そんな力も備わっており、私にとっては
気高き宗教者的な感じがする尊敬すべき方だ。

そして、最近再会した、禅僧との会話で、座禅の話が出たが、
目をつむって瞑想するのが、ヨガなどをする人の瞑想。
一方、座禅は本来は、目を開けていてもできるものだと聞き、
驚いた。
目を見開いての座禅とは?知らなかった。
たとえば、室内のどこかで座禅を組んでいて、突然雨が降ってきた。
そうしたら、すみやかに洗濯ものを取り入れたり、雨戸を閉めて
また座禅に戻る。ということができるのも座禅のスタイルのひとつだそうだ。
つまり、世の中と遮断するのではなく、世の中の動きも見据えながら
自分と対話ができる。この対応力こそが、本来大切なのだ・・そうだ。
納得できるような気がする。

また、そうこうしていたら、Eテレにてタイで出家された、日本人僧侶が
手動座禅の話をされていた。
手を動かしながら、そのひとつひとつのアクションを感じ、自分が
今生きていることを感じながら、自分と向き合うスタイルだそうだ。
この手法、初めて知った。

ということで、座禅にもいろんな手法がある。

いろんな形が合ってよい。自分がやりやすい、
気づきやすいスタイルが良いのだろう。
世の中がどんどん狭くなり、生きづらい面も多い。

だからこそ、自らがしっかり生きるために、
自分に向き合う時間を大切にしたい。
そして、無になる状態になる。宇宙と一体になる。
そんな安らかなひとときが得られると、
その度ごとに、成長できるのだろう。

まさに追われる生活から脱するために。
大切にしたいひとときだ。

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期間限定の重さ軽さ

最近、来年1月に閉館するという、名古屋の昭和の繁栄を支えた
中日ビルの存在に改めて心寄せている。
これで最後のビアガーデン営業と言われれば、今まで行ったことがなかったのに
では、行ってみよう、名古屋の繁栄のシンボルであったこのビルから
名古屋の街を俯瞰しておこうと、ビアガーデンに足を運び、主要フロアで
開催されている昭和の写真展などを見ながら、古き良き時代をしみじみ味わう。
両親たちの若い時代、名古屋は栄は、憧れの都会であっただろう・・と彼らの
青春も勝手に想像する。
今はなき、中日劇場というのも、よく聞いた名前。
そして、そこにあるカフェレストラン。
これまで足を運んだことがなかったのに、閉館何か月か前にその存在を知り、
気に入って何度も訪れる。

世の中に、期間限定とか〇〇限定と言って、販売している商品は無数にあるが、
その期間限定は少々怪しい場合もあり、好評につき、延長・・などと
平気で言う。
でも、人々はその限定宣言に弱い。

しかし、こちらは正真正銘、ビルの老朽化による閉館であるので
もう間違いなく、なくなるのだ。
と思うと、この期間限定は、重くて、名残惜しい。

もう閉館まで、カウントダウンに入っている当ビル。おそらくこれから
思い出つまったこのビルには、閉館が近づくにつれ、多くの人が足を
運ぶだろう。

今年は、栄にある75年の老舗百貨店が閉店。そしてこのビルも・・。

期間限定。
人間は、期限を切られると弱いという身勝手な動物でもある。
ずっとあると思っているものも、実はすべて期間限定だ。
自分自身も、惜しまれる 期間限定品でありたい。

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出会いの数だけ、豊かな人生。

毎週、動いているといろんな出会いがある。
今週も、東京、京都、名古屋、滋賀、岐阜・・・。
新たな出会い、なつかしの再会・・。
とにかく動いているだけ、出会いがある。
動かなければ何もない。

東京だけで活動しているよりも、いろんな地域に出向く方が
出会いの種類も多様で、実に面白い。
実はそうだった!ということは、最近わかってきた。

たまたま出会った町で、人を見ているだけ。それでも
その風景との新たな出会いになる。

とにかく、もっともっと見聞を広げよう。
その昔流行った曲のように、
♪日本のどこかに私を待ってる人がいる♪
という言葉の意味が、しみじみわかる今日この頃。

外国に出向かなくても、日本国内にでも、
まだまだ見知らぬ世界がある。
また地域違えば、気候も言葉も食も地域地域も違って
また違う県でも、隣接している町では、文化が共通していること
を発見したり・・。行かねばわからないことばかり。

すべては経験だ。

出会いとは、知らない世界に出会うということ。
動けばまだまだ無限に出会える。

いい出会いが多ければ、人生が、心が豊かになる。
お金がすべてではない。心豊かな人生は、経験で
作ることができる。

だから、電車に乗り、だから てくてく歩く。
ときには松尾芭蕉のように、ときには・・・。

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来年は信長ロードを進む!?

ザビエルのゆかりの地での演奏プロジェクトがおかげさまで、進んでいる。
3年前の平戸から、そして12月の山口へ・・。
ザビエルが目指したのは京都。でもその願いは叶わず・・・。

一方、わがふるさと岐阜の名付け親である、織田信長。
かれは、愛知、岐阜、安土、そして比叡山を焼き討ちし・・
京都で・・・人生を閉じた。

京都は、両者にとってゴールであったが、いずれもいい結果ではなかった。

さて、このたび、滋賀県の安土にほど近いお寺の住職をたずねる。
約二十年ぶりの再会だ。京都の禅の大学の仕事でお世話になった方。
観覧車の発想の根底には、禅があったかも。と、近年、円相を見るたびに
思ってもいた。

お寺の維持が大変な昨今、あれこれと考えておられる。
私が20代でお世話になった方であるし、何かお役に立てないかとは
思っていた。
すると、地域の人向けにコンサートをと要望される。
お寺でお経を読むなど敷居が高いイベントではなく、直接仏教の話ではなく、
よりよく生きるということについて、音楽で伝えることができないか?
との命題だ。

ということで、この冬には、安土に近いお寺のある町で
コンサートができそうだ。タイトルは観覧車と円?縁?
岐阜に続く、信長ゆかりの地として、信長の曲も演奏できる。

私のザビエルロードは長崎から京都に向かって、そしていつかスペインで・・。
そして信長ロードは、岐阜から愛知、そして滋賀(安土)そして京都へ・・。

という2つのコース行脚が、実現し始めている。ー

ほんとうに動くと何が新しいご縁に出会うものだ。

そろそろサビエルと信長の間を生きた、ルイスフロイスの生きた軌跡も
気になってきた・・・。こちらは、リスボン、長崎、岐阜、安土などの
コースになるかな。いつか、こちらも。

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楽しい友人は、別世界人。

「東京ライブはいつやるの?」
と、いつも待っていてくださる方。
「マーサさあ、立ってピアノ弾いて、かっこいいよなあ。」
「歌もトークもいいけど、ピアノがなんともさ、俺にはさ・・・」
と、そんな言葉をかけてくださる ライブのお客様 Iさん。
年頃はたぶん、ひと周り上ぐらい。

職業は骨とう品やさん。
東長崎にお店を構える。
今月で道路拡張工事により、お店を近くに移動されるとのこと。

もう2~3年お会いしていないが、偶然、西武池袋線沿線に用事ができ、
瞬時に思い出し、すぐコンタクト。そして幸運の再会。

熊本生まれで、東京暮らしが長い。
アンティークショップを何十年も続けているという不思議な方だ。
ライブのときも、花束とかでなく、店の商品でコーヒーカップなどを
もってきてくれる。ちょっと不思議な方。

仕事で出会ったわけでもなく、たまたま地元のアーチストからの
紹介。さらにそのIさんは、自分からどうこう言ってこない
控えめな紳士。
でも「これから行ってもいいですか?」
というと、駅まで迎えにきてくれる。

アーチストとしての私を客観的に見て、そして静かに
応援してくれる人。
正直、働き者にはあまり見えないけれど、
なんだか、ふんわりとした生き方に好感をもつ。

今回、久しぶりに東長崎の駅前でコーヒーを
ご馳走になり、
ああ、こういう方に応援いただけるのも
うれしいなと思った次第。

もし、彼の店に骨とう品のピアノでもあれば
すぐにライブをするのだけれど。

不思議な職業。古物商。
人のいろんな人生を見せる仕事でもあるんだな~。
また Iさんに会いに行こう。

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さらば、ひとつの時代。そして・・・

14年前に、通いはじめた新潟。
その2~3年後、あるきっかけで新潟市のシティプロモーションの役割を
いただいた。そのとき、新潟市は政令都市になるタイミングで、新しい
新潟市をどうやってアピールするかについて、市民のアイデアを生かし
町を活性化する活動を一緒に推進してきた。
たれカツを新潟市のB級グルメにしよう、新潟美人を新潟の売りにして
イベントを継続実施して、観光に生かそう、障がい者と一緒に駅の広場
でキャンドルナイトを実施しよう、岩室温泉を熱海でアピールしよう、
町なかにもっと人を呼ぶためのお酒イベントをしよう・・・などなど
さまざまな事業にかかわってきた・・・。成果を出し、その結果、今も
継続されている事業もあるし、そこで出会った人達と今は違う事業に
取り組むなど、私自身の成長、学びも多くあった・・。
時間の経過とともに、いつの間にか、組織の変化とともにその考え方や
枠組みが変化し、なんどなくフェイドアウトしていったこの事業。
(そのなんとなく・・・・は実は本意ではないが)
その間、職員研修を担当させていただいたり、若き職員との
関わりをもてたのも貴重な経験となり、自分にとってありがたき
貴重な新潟時間が育った。

このたび、市長が代わった。
当時お世話になった方からの交代。
いいも悪いも、市政にとって時代が変わるという節目。

これからどんな町になっていくのか、市民の皆さんがいろんな思いで
いることだろう。
権力を乱用せず、本当に町が活性化するように、市民がいきいきと
仕事し、生活できるように・・・・と新たなリーダーによそ者の
私も思わず期待を抱く。

最初は良かったな。
どんな人もそうかもしれない。
最後カーテンコールになる日まで、そのままいってほしい。
感謝されて職務を終えることが一番大切だ。

新しい新潟市。
何から変わっていくのだろう。
よそ者ながら、とても気になる。そして期待したい。

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