ただただ、おかげさまの1年。

年度末である。企業やお役所などの組織では、年度末の締めと、新年度に向け、ラストスパートと準備。
1年を振りかえり、新たな年への準備に大忙しだ。
例年であれば、転勤の内示などもそろそろ・・・であろうが、コロナ禍のなか、
転勤者も少ない傾向かもしれない。
そんなに動かなくても仕事ができる。それに慣れてしまったから。
もしかしたら、引っ越しが少ない春になるのだろうか?
いずれにせよ、多くの人が働く企業には多忙な季節がやってきた。

それに比して、おひとり様業の私。
22回目の確定申告も無事終わり、1年を振り返る。
まずは、健康で、元気に1年を乗り切れた。
またおかげさまで仕事も、例年と変わりなく 身体的移動距離は減ったけれども
できる範囲での活動は継続でき、充実の1年を過ごさせていただいた。

自主コンサートができなかったこと、演奏活動の自粛はやむを得なかったが、
違う方法でのチャレンジをする機会になった。

日本や世界的には、いろんな意味で、膿を出す1年になったのかもしれないが、
それも、私にとってはありがたかった。
このまま、世界が日本が進んだら・・・の危機感がピークであったが、
この1年で、かなり違う環境になったと感じている。

変わらないこと、
普遍を追い求めること。
慢心しないこと。
調子に乗らないこと。

周囲の皆さまのおかげで、今、自分がこうして無事に生きて
いられるということを、片時も忘れることなく、
感謝しながら、毎日を大切にいきていきたい。

おかげさまで・・。
2021年もまもなく、2か月を終える。
この気持ちを大切に、楽しく充実した毎日を創っていきたい。

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大人になっても叱られたい

叱咤激励という言葉があるが、デジタル社会で人間関係が希薄になるなか、
この古臭いコミュニケーションはお宝かもしれない。
いろんなビジネスマンの皆さんと、日々やりとりさせていただいているが、
ときには、「そんなんでいいの?」「甘えてない?」「やるならやる、やらない理由は言い訳にすぎないよ」・・・といった言葉をかけるときもある。
一見優しい言葉は、何のためにもならず、真剣に相手のことを思うときには、
本気で叱ることも必要だと思う。
大人になると、距離感が大事で、相手の心に踏み込むこともしないで、表面的なつきあいが増えてくる。
それはそれでもいいけれど、本気で相手に向かいたいときには、表面だけのお言葉は意味がない。

厳しい言葉をメールでも、対面でも連呼せざるを得なかった相手の方より
叱ってくれる人がいないので、ありがたい存在です。ありがとうございます。

と、そんなメッセージが届いた。

大人も叱ってほしい。自信がないまま、手探りでみんな大人になってきた。
だから、迷うときには道を示し、おかしいときにはおかしい。と真剣にいってくれる人がいると安心するのかもしれない。

結局、大人も子ども。人は甘えたり、甘えられたり。

とにかく叱ってくれる人は、確かに貴重かもしれない。

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選択、決断の春に。

このコロナがきっかけでこの春を契機に、新たな道を進む人が増えている。自分の周囲でも何名かいる。

会社都合、自己都合、どちらだけでなく、このような状況であるならば、ここでチャレンジしようという選択をされている人も多い。

何かきっかけがないと、人間はなかなか変わらない。
何か節目がないと、次へ進むことが難しい。

そういう意味で、コロナという得たいの知れない存在は、人生の選択や決断の
きっかけになっている。
もちろん、そのなかには撤退、閉店という決断もあり、決して、全部がハッピーということではないが、
この時期だからこそ、同じ道にしがみつくのではなく、新たなことを始めようと
いう決断もある。

大変な時期にこそ、勇気をもって、一度整理して、新しく進むという選択を選ぶということは意義がある。

何もなく、無事に生きていくことも悪くない。
でも、何もないという人生よりも、何かある、何か新たな出会いがある、という道の方がわくわくする。

いろんな選択、決断を迫られる人たちが、3月からさらに増えるだろう。

関わる全ての人のその意志を応援し、大切な人たちの新たな道の出発を見守り、
そして環境が変わっても、素敵な関係づくりを大切にしたい。

私自身も、少し先を見据えながら、選択肢をつねに持ちながら、小さな決断を繰り返し、いろんな道を歩きながら、生きていきたい。

安定した先にたどり着ける一本道は、ないのだから・・。

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コロナを自分事に。

毎朝、毎晩各報道番組、紙面で示されるコロナ患者数にはどうも説得力もない。それでも毎朝、毎晩そのデータと日本地図(世界地図)が示されるのが習慣となり、今日は減っている、増えていると一喜一憂。この数字はいつかゼロになるのだろうか?
ワクチン接種で、早くマスクなしの普段が戻ってきたら、うれしいけれど、
まだまだ先は長い・・。

と言いつつ、コロナは気を付けるけれど、自分事ではないような感じもしていた。これまで、周囲に周囲に感染した人がいないためだ。

しかし、今回、東京で長らくお世話になってきた、あるお店のご主人がコロナで先月お亡くなりになったと聞き、その重症化にいたる月日の速さを、奥様からお聞きし、コロナの怖さが現実のものとなった。
あっと言う間に会えない人になってしまわれた・・・。奥様はつとめて明るく話されているけれど、どんな気持ちで病院に連れていかれたのだろうか・・・などなどいろんな思いが駆け巡る。
そのご夫妻は、小さなお店を営んでおられた。コロナで売り上げ減少、そして旦那さまのご不幸・・。そんなことでこの春にはお店も閉店しようと思うと告げられ、コロナがこういった業種にも大きな影響を与えていることにも衝撃を受ける。
お顔を存じ上げている人がコロナでお亡くなりになるとは・・・。
初めての経験だ。
改めてこの感染症を、正しく畏れ、気を付けて生きなければと気を引き締める。

亡くなられたご主人のご冥福を心よりお祈りするとともに、このパンデミックの1日も早い終息を心より願う。

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自分への誓いを毎日

このところ、といっても何年も・・ずっと早起きの生活だ。
東京にいたころからも早かったけれど、さらに加速して、今は2時、3時台起きも日常だ。
世間が静まり返った時間に、目覚めて活動開始するのは、気持ちよい。
静かにコーヒー、あるいは紅茶を入れながら、香りを楽しみながら、覚醒していく。今日しなければならないことを考えながら、さまざまな人の顔が浮かび・・。
そんなとき、ふと今日こんな一日であるようにがんばります!と、宣誓したくなる気持ちが湧いてくることがある。
甲子園の選手宣誓のように、自分の一日を、まさに野球の試合のように、1ゲーム1ゲーム、一球一球を魂込めて、勝ち抜いていこうとする気迫の誓いにちょっと近い。
「今日は〇〇をがんばります!」誰に聴いてもらわなくていいから、自分の胸のうちで、宣誓をすることで、なんだかテンションも上がってくる。
何に、誰に誓うのか?自分に対してでよい。
宣誓とは、本来は、宣伝の「宣」でもあり、多くの人の前で言うことに意義があるようであるが、自分に向かう宣誓でも、十分意味がある。

自己対話を充実させ、気持ちよい朝をスタートする。私流ではあるけれど、
そんな生き方、気に入っている。
たとえば、今日の宣言。「今日接するすべての相手に喜んでもらえるよう、心を尽くします。」

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たまたま女性である。ただ、それだけ。

オリンピックは当事者にとって、おそらく想定外の方向に向かっている。
これは、どんなマラソンコースなんだろう。
コロナと同じく、オリンピックを通じて、いろんなことを学びなさいという見えない力による道なのだろうか?

今さら、男か女か・・かという気もしている。
男性だから良い、女性だからどうこう・・ではない、
仕事をする以上、男性も女性も性別で競うことではないし、
数合わせをすることも意味がないし・・・。
数合わせ的に、抜擢されて世に出てきた女性たちは、
それは本意なのだろうか?とさえ思う。

こんな話はずっと昔からあった。
自分が社会人になった年は、男女雇用機会均等法の施行初年度
であった。
男女同じ給料。
それまでは当たり前ではなかった。でも、同じ仕事をする以上同じ給料を
もらい、そして女だからと言われないように、がむしゃらに働いた。
結果、甘えずにとことんがんばれば、普通にチャンスは与えられた。
おかげさまで、自分が生きてきた環境のなかでは、男女差別は
なかったとはいえないが、それでも恵まれていたと思う。

女性はつらい、差別されてきたという方も多いし、人はそれぞれ
背景があるため、一概に言えないけれど、
女性は女性で守られてきた時代もあったはず。

ダイバーシティのこの社会になった以上、お互いの違いを認め
協力しながら、仲よく、そして切磋琢磨して生きていけばいい。
ただ、それだけ。

女性だから、という余計な気遣いは要らない。
仕事の役割、担当を決めるときは、その仕事が全うできる最適な人を
選べばいいだけ。
できる人、やれる人がやる。それでいい。
男性だから、女性だから・・はもうやめた方がいい。

男性も女性もがんばる。理解し、共生する。
ただ、それだけのこと。

日本はネット社会になっても、島国?鎖国?
もっとまじりあわないと・・ますます取り残されてしまう。

昔にしがみつく。これほど、みっともないことはない。
潔く、捨てるものは捨て・・で良いと思う。

私が尊敬する、メルケルさんも、マザーテレサも・・。
女性だから好きなのではなく、人として立派なのだ。
たまたま女性である。ということ。ただ、それだけだ。

人は何より、まず人である。
そこから、はじめたい。


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教えて、教わること。

教えるという仕事、活動とは何だろう。
教えてほしいと求める方に、求めておられることをお伝えし、相手がその知恵なり、ノウハウなどを理解され、行動が変わること。成果が出ること。
そこまでを含めて、教える。である。

口先だけでは、なかなか教えることにはならない。

学校の先生たちは、この「教える」というコミュニケーション活動をどう心得ておられるだろう?少なくとも単なる知識の伝達ではないはず・・。
ま、大学の教授ならば、別かもしれないが・・・。

自分の場合について考えてみる。企業さん相手に、講座や個人的に指導(この言葉自体も目線が高く、自分にはそぐわないが)をするという機会がある。
よく「ご指導ください」と言われるが、いい大人に、指導なんて・・とも思うし、どこまでやればよいのかも悩ましくもある。

自分が伝えたことで、相手の行動が変わらない場合は、自分の教え方が、伝え方がまずいのではないかと考える。伝え方を変えて、再度伝える。いろんな試みをしても、伝わらないこともあるし、ずっと言い続けなければならないケースもあり、かなり根気もいる。
ただ、相手が理解され、学習成果を発揮されることがわかってくると、そして成果が出たと喜びの報告をいただくと、教えるという仕事のやりがいを実感する。
そして、教えるために、教える側は、常に全方位で臨まなければならないこともこの20年で体得してきた。
要するに、口先だけの指導、教授はない。

だから、自分が学ぶときも、一生懸命準備して、誠意をもって、全力で自らがもつ力を発揮される先生に共感を抱く。

教える。とは教えられること。そのことをわかって、現場に臨むことが重要だ。
と、日々もがきながら、お役立ちを目指し、精進中。

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3Sオンライン会議の余韻。

オンライン会議の回数が増えている。
時間も長くても1時間。早ければ30分~40分で終了というケースが多い。
なぜか、オンラインであると、オンタイム、時間どおりに、よりスムーズに
終わらせるのが是となっている。無駄なく議題を検討、決議する、結果を出す。
確かに、その意義もよく理解するし、それぞれの環境でパソコンに向かっているし、段取りよく進めるに越したことはない。
ただ、世間話や雑談、本題から少し外れる話題、いわゆるアイスブレイクというその時間はあまりない。
モニターの枠の中に並ぶ面々に対して、そういう雰囲気にならない。なりづらいのは、なぜだろうか?

同じ空間を共有していない前提、遠慮もあるのかもしれない。

オンラインミーティングでは、3Sである、Smart、Smooth、Simpleが求められるのだろう。それを遮断してはいけない暗黙の空気・・。

人間関係をつくるのがうまい根っからの営業のプロに、この1年間の営業活動についてたずねてみたら、とても営業しづらい環境になったとのこと。
関係が作りづらい。とくに新しい関係はそうかもしれない。

オンラインには見えない壁もあるのかもしれない。
もちろん一度深く知ってしまえば、会議の前に少し雑談もしたりするが・・。
なんというか、人間らしい会話、対話が難しいというか・・。
ああ、今日の会議は怒られた~!なんて、オンラインであるのだろうか?
チャンと繋がるかなという緊張感が高まる一方、いい会議だったという余韻は
どうだろう・・・。

やっぱり生身のコミュニケーションがいい。
オンライン会議をしながら、早くこの人たちに会いたいと思った次第。



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賞味期限あってほしいもの

食べ物の世界では、賞味期限、消費期限があり、売り場では、賞味期限が近づく、もしくはその日を過ぎると、売り場から商品は消える。本当は多少の味が、風味が落ちても、食品としては食べられる消費期限まで問題はないが、安心安全を是とする売り場では、この期限チェックに厳しい。
仕入れた分、売り場に並べた分を、期間内に売り切るのは本当に難しい。
ということで、私たち生活者も、食品への賞味・消費期限には注意深い。

一方、それがない商品・・・。
たとえば、本の類。
本は腐らない。
読もうと思った時点が、おそらく賞味期限であるが、ついつい買いすぎてしまい、時間ができたら読もうと思って本棚に並べたり、積んであるうちに、買ったことも忘れてしまい時間だけが経ち・・・。
読まない本がどれだけあることか・・・。
これは私だけの現象か?
本は好き。でも、もしかしたら買うのが、持っているのが、並べているのが好き?コレクター?結果的にそうなっている一面もあり、大反省。
せめて、本に賞味期限、消費期限とあれば、それまでに読むのに。と
これまた余計なことを思ってしまう。

間違いなく、この賞味期限、消費期限は効く言葉。
本の場合は、自分で決めるしかなさそうだ。

コロナだから・・本を読もうという気持ちになりがちであるが、気が付いたら・・ということにならないように、毎日読書時間をもたねば。

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インナーワクチンも必要。

いよいよ、やっと、ついに・・というべきか、世界主要国からかなり遅れて、
日本での新型コロナウィルスワクチン接種がスタートした。
イスラエルには特別の事情もあるかもしれないが、それにしてもすごい。
もう国民の4割が接種しているとのこと。それに比べて。。。
日本では布マスクを配ったり、GO TOトラブルをやっている間に、肝心な
治療対策について、他国の対応について随分と遅れをとった。
オリンピックをやるというならば、なぜもっとさまざまな力が働かなかったのか?と思うことは多々あるが、まあ、それはそれとして、来たるべき日が来たことは喜ばしい。
コロナは、このワクチン接種により、早く終息を迎えること。
それが一番の願い。

一方、パンデミックと同時に、世界に広がるインフォデミック。
フェイクニュースなど事実と違う情報の氾濫が、世界の混乱を引き起こしている。このニュースのおかげで、コロナ禍のなか、コロナ以外の理由で亡くなる人が多数いるそうだ。間違った情報をうのみにして、誤った行動をとることが市につながる。また視野が狭くなり、他者を傷つける、分断を引き起こす・・・。カラダへのウイルスも怖いが、事実でない情報の感染は、カラダへの影響と同じぐらいに重く、深刻だ。
今こそ、情報の受容についての、ワクチンも必要だ。自身できちんと情報を選び取って正しい活かし方ができること。そういった情報需要の抗体を自分の中につくること。カラダのワクチンだけでなく、頭と心のインナーワクチンも必要だ。
心身ともにウイルスや菌に負けない、強さをもっていたい。
いろんな情報に飛びつかないように。
それには、まずはどんな情報も、まずは疑ってかかるということだろうか?
「それ、ほんとうかな?」
この目がインナーワクチンのひとつではないかと思っている。

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