「受け手」か「送り手」か。

社会は、さまざまな役割をもった人によって構成されている。
コミュニケーションの面からみると、一対一においては、もちろん
双方向であるけれど、俯瞰してみたときに、大きく分けると、
「受け手」と「送り手」という見方がある。
もちろん今はソーシャルメディアの登場により、一見、誰もが
発信でき、送り手であるともいえるが、一過性の自分事の情報を
発信することが、「送り手」の要件ではない。
送り手とは、人々にメッセージを伝えたり、感動を与えたり、
自分が発信することで、相手が動く、元気になる。そんな役割である。
これが、歌というメッセージであれば、創る人、歌う人しかいなけれ
ば何も意味がなく、「受け手」である、「聞き手」の存在は不可欠だ。
送り手は、受け手がいてこそ、成り立つ。

日々の仕事で、聞き役、受け手の役割になることもあるが、
その聞く姿勢から何かを伝えたいということもある。無言の送り手。
オーラとか、見えない力が相手に伝わるというのも、時には存在するのだろう。

さて、自分が生きていく以上、できれば、送り手であり続けたい。
受けとめているだけではおさまらない何かがある。

伝えたいことがある。それを、ずっと模索している。

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マイナンバーは、10、10000、そして123。

アラビア数字、算用数字、あるいは洋数字とも言われる、この「数字」は、インドで生まれたらしいが、その歴史は1500年以上前というからすごい。
よく考えたら、「数える」という行為自体、その起源が気になるし、これが
近代から現代にかけて、あらゆる社会活動のベースになっていることにも、改めて驚く。
と、理屈はさておき、数字は日常生活でも大切だ。
多くの価値は数字で換算される世の中。
しかし、なんでも数字に置き換え、イコールお金、経済に結びつけるのは、ちょっともったいないかもしれない。他の活用もあっていい。

たとえば、自分の日々の暮らしに、自分だけの目安の数字をもっていると、快適になったり、健康になったり、上昇志向になったりするのでないか。

私の場合はまず、今の季節は「10」。
10度の気温が、一番動きやすいと感じている。
寒すぎるのも困るが、10度ぐらいは、少し寒めで、でも、快適だ。頭も動く。
そう、自分の最適気温が10度。
それを越えて、20度に近づくと、暑い夏に向かうことを警戒し、あきらめモードになる。だから、10度が、調子いい。もうすぐ終わってしまうのが名残惜しい。

そして10000。こちらの単位は、「歩」。毎日、1日10000歩歩くと、調子がいい。
これも続けている間に、習慣となってきた。これをクリアすると、「やったー」
と晴れ晴れしい気持ちになる。

そして123。
これはわが人生のリズム。人生は観覧車のように。これは、間違いなく123とワルツのように回る。
123は元気が出る、数字。
これは生きていく限り、こだわりたい数字だ。

そんなわけで 自分をプラスに伸ばす、こだわりの数字をもつと、心身共に元気になれるのでは。
まさしく、ラッキーを呼ぶ、「マイナンバー」」だ。

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千手観音ヘルパーを目指す?

仕事をしながら、時々、親のことで、実家にいったり、施設にいったり・・。
私としては、兼業介護(もっとも、こんなことが果たして介護か?というと疑問ではあるが)、もしくは、「ながら介護」という感覚だ。
介護というと、いかにも深刻で大変というイメージがあるが、もちろん人、家庭によりその状況は異なるが、自分の場合は、多くの方の支え、ご協力、ご支援があって、自分の生活を崩すことなく、なんとか両立できている、多少の睡眠時間が減る、行き来が増えるは今のところ、許容範囲だ。
本当におかげさまの毎日だ。

ある仕事関係の方からのメールに、
「今日は、兼業介護ですわ。」と応えると
「いやー千手観音ヘルバーですね。がんばってください」と
思いもよらぬエールが送られてくる。
思わず、京都の三十三間堂が浮かんだ。

仕事しながら、持っていく食料の準備をし、出発。移動中に電車の中でメールを見て返事しながら、あるいはネットで調べものして、歩きながら電話して、親と喧嘩して、洗濯機を回しながら、ゴミ出しをして、掃除機をかけて、デイサービスの送り出しをして・・・・その合間にピアノの練習、その合間にまた電話・・・。帰り道はマーケティングリサーチをしながら、歩きながら、歌が浮かんだらそのまま録音して、また電車の中でメール・・・最後は買い物・・・そしてスマホの万歩計を見て一万歩歩いたかチェックし、少し足りないときは、足踏みをして歩数を稼ぐ。すべて終わって帰宅したときに、「ほっ」として、濃いカフェオーレを飲みたくなる。
とそのあと、施設から連絡が入って、どきっとする。
・・とこんな日々・・・。

と、半日の自分の活動を思い出すと、千手でないけれど、確かに多くのことに、手を使い、いろんな顔で時間を過ごしている。

千手観音ヘルパーか。いい響きだ。かっこいい。
よし、これからは、これでいこう。

ちょっとしたきっかけで、なんでも楽しくなるものだ。
このヘルパー業、一番パワーを要するのが母との喧嘩だ。
これも親の脳トレのため、千手観音ヘルパーに課された任務のひとつだ。

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寄り添いの真の意味を問う。

毎日、なんどかの電話で実家の母に安否確認をし、週に何度か食べ物を差し入れ、デイサービスの送り出しをし、たまには花を持っていき、掃除洗濯など代行し、また施設に入所している父にも食べ物を差し入れ、介護関係、実家のご近所の皆さまとのさまざまなやりとり・・・。そんなことも今は日々の仕事になってきている。わずかながら、親のサポートをする。これが自分なりに、親に寄り添っていることだと思い込んでいるところがある。

最近、在宅介護についてのドキュメンタリーを見て、目が離せなくなった。
人生の終末を自宅で迎えたいという人も増えているようだ。
そりゃそうだろう。
と、これを想った時点で、心が痛くなる。
そう思ってもできない人・・・がたくさんいる。
他人事ではない。

在宅介護をして、在宅死を実現するには、いろんな覚悟が必要だ。
仕事に出かける生活を続けるなら、無理がある。
何かを捨てないと、できない、在宅介護。

番組の中で知ったある事例。
幼き頃に失明した娘さん(現在は40代後半)が、がんの末期を過ごすお父さん(85歳)と自宅で二人で過ごし、そして看取る様子をこの番組で見て、たまらない気持ちになった。
目が見えない娘さんをひとりでおいておけないと、入院せず、自宅での生活。
衰弱しているお父さんを触覚と聴覚で感じながら、毎日世話をする娘さん。
そして、最期の日。「お父さん、お父さん・・・」最後まで息をする父親の呼吸をききながら・・・。最後まで普段どおりに寄り添っておられる姿に感動した。

最後まで、共に生きることが、寄り添うということだ。
なかなかそうもできていない自分。

もちろん、寄り添うとは、一様ではなく、それぞれ違う。
できること、できないことの葛藤が続くが、今日も、自分ができることをする。
好きなイチゴを、にんじんサラダを、パックに詰め・・・。

言葉だけでなく、真の寄り添いについて、しっかり考え、行動しよう。
それが悔いない人生への一歩だと思うから。

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ヘルスパスポートで旅する日を

もう海外渡航できなくなって、1年と3か月が経つ。
その間、キャンセルも何度かした。

世界各地でまだまだ感染が広がり、変異種がみつかったりと、
ウイルスとの共生が余儀なくされるなか、個人の旅はもとより、
世界各地から民族の大移動となるオリパラは、どう考えても
ありえないと思う今日この頃。

早く終息の日を迎え、海の向こうに出たい。
外の空気を吸いたい、あの町のあそこで・・・。
本や音楽、映画、写真、映像などに五感を刺激されつつ、
毎日、そんなことを願っている。

今、EUでは、EU内を行き来できるようにと、「ヘルスパスポート」の発行を
検討しているようだ。
ワクチン接種をしていることが、そのパスポートの取得条件となる。
いいアイデアと思う。
どこの国籍かどうか?だけでなく、ちゃんとコロナ対策しているどうかの
見極めはとても重要。
でも、このヘルスパスポート、日本では?
オリパラするなら、それぐらい必要と思うが?
とにかく、
早く日本でもそれを発行できるぐらいの接種を促進してほしい。

まだまだワクチン接種ははじまったばかりで、自分の番にはまだ時間を
要する。早く、旅の準備が心配なくできる日にきてほしい。
いつになるのだろう。
その日のために、準備をしている。
と、南米のガイドブックや資料を熱心にひもとく知人のことを
思い出した。
そう、その日を、心からの楽しみとしよう。

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「観覧車式発想」を、商談で使う人、発見。

人生も仕事も、全部観覧車にたとえて、ハッピーコミュニケーションを目指して生きる。
これがグラン・ルー、およびコミュニケーション クリエイターとしての私のモットーで、公言している内容でもあり、公式サイトにも起業以来、変わらず掲載している。
La Grande roue (mahsa.jp)

先日、ある企業でのオンライン商談のロープレ研修で、架空ネタとして、「グラン・ルー」というお菓子屋さん向けの提案営業をしてもらう。というプログラムを実施した。
私がその菓子屋「グラン・ルー」の広報室長という役回りで、企業さんからの提案を受けるという役割だ。ちょっとドラマみたいで、楽しく演じさせていただいた。
何名かの営業マンが、それぞれの企画をもって商談に臨んだ。
そのなかのひとりが、プレゼン資料に観覧車の写真を使ったり、人生は観覧車のように・・の私の考え方を踏まえた、提案営業の考え方を示された。
ホームページをよく研究してくださったと思い嬉しかった。
新たな出会い、学び、実行、改善、そしてさらなる新たな挑戦・・・くるくると経験を重ね、大きな円を描き続けることが、関わる人すべてのハッピーにつながる。これは個人はもちろん、企業の在り方にも通じる。
観覧車式発想は、どの業界、どの世代の人にも、あてはまる普遍なる
考え方であり、共感を得やすいものだと改めて感じた。

自分が講演や研修のときに、必ずこの話はさせてもらうが、まさか他の人が
商談に、観覧車をモチーフに話をされるとは、びっくりした。
もっとも、菓子屋の名前を「グラン・ルー」(観覧車)と設定していたからの応用であったと思うが、それでも一人でも多くの人が、観覧車の発想をもってくれることは、本当に光栄だ。

いろんなカタチで、このグラン・ルー式のコミュニケーションの発想に出会い、
共感し、活かしてくださる方がいると、本当にうれしい。
これからも、着々と、くるくると、ハッピーコミュニケーションの観覧車を回したい。




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3.11を胸に。日常からの防災を考え、備えるきっかけに・・。防災ドラマ公開記念「携帯式ヘルメットプレゼントキャンペーン」が始まりました

すでに本ブログでもご紹介済の、東京のしなやか劇団B.LET’Sによる 防災ミニドラマ「東京(携帯式)ヘルメット物語」。
YouTubeで、公開して約1か月。おかげさまで、じわじわと多くの方に視聴いただき、感想もお寄せいただいております。
私のオリジナル曲「人生は観覧車のように」や「フランチェスコの夢」も
このドラマにマッチしているとのお声をいただき、意外な相乗効果に驚いております。

来たる3月11日は、あの東日本大震災から10年です。
それぞれが思いを寄せ、備えることの大切さを改めて自分事として、見直す機会にもしたいと思います。
この節目に合わせて、本ミニドラマをごらんいただいた方に、ドラマに登場する携帯式ヘルメットがもらえる!という企画がスタートしました。

ぜひこの機会に、改めて「東京(携帯式)ヘルメット物語」をごらんいただき、
エントリーいただければと思います。

わずか1本約7分のドラマが3本。思わず笑ったり、うるっときたり、不思議な癒し系の防災ドラマです。
へんてこな名前も、我ながら~と、実は、気に入っております。

ミニドラマはこちら
東京(携帯式)ヘルメット物語 – ビーレッツ ホームページ (jimdofree.com)

プレゼントキャンペーンの詳細はこちら

プレゼントキャンペーン | A4シェルター・タフ 折りたたみヘルメット (a4t.jp)

防災ドラマの感想などはツイッターでも公開中
株式会社マキトー・コンフォート(公式)さん (@makitou_comfort) / Twitter

プレゼント応募は、3月末日が締切です。

小さなキャンペーンですが、じんわりと、しっかりと防災を考えるきっかけになれば・・・。

そして、皆さまのさりげない日常の備えにお役に立てれば、幸いです。


プレゼントキャンペーン | A4シェルター・タフ 折りたたみヘルメット (a4t.jp)

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命までとられないから。

日々、心配ばかりしている人がいるとする。
心配するぐらいなら、心配する暇があるぐらいなら、まず行動したら?
まずやってみよう。
と言いたいし、そんな人が周囲にいたら、そう伝えるようにしている。
どう行動すればよいかわからず心配する人がいれば、何をすればいいのか
ヒントを伝えるようにする。
自分で考えることをしないと、何か言われないと不安、心配になる。
だから、自分で考えるようにしたい。
自分で考え、行動することが、人生を面白くする。

ぐるぐる迷っている人がいるとしたら、道がわからないのかもしれない。
その人が歩きやすい、歩きたい、歩くべき道をいくつか示してみる。
こっちへ行きたいんじゃないの?こっちだとあっちに行けるよ・・と。
とにかく、元気に歩き始めることができるならばそれでよい。
その道を歩くことが苦手ならば、他の道を探せばよい。

トンネルの中にずっといる人がいたら、暗闇のなか、不安でいるはずだから、
あっちに行けば光が見えるよ。とこっそり教えてあげたい。

不安でいる、元気でいられない人、そんなとき・・。人生はまあ、いろいろある。
でも、それでも生きている。今日も生きている。
仕事があるだけ、家族がいるだけ、食べるものがあるだけ・・・どんなことも
幸せである。

そう思えば、不安になっている、何もせず心配している時間がもったいない。
失敗しても、大丈夫。命までとられないから。
失敗しても、成功しても生きていれば、明日が来る。
畏れず、行動したい。

と、自分自身にも毎日言い聞かせ、そして迷っている人にも、そんなことを
伝えたい。



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名前はブランド。

今、改めて夫婦別姓について、公的な場で、あれこれ議論がなされている。
もう半世紀前から、そのことは気になっていたし、
結婚って何だろう?姓って?家族って?夫婦って?と疑問がどんどん沸いてきて、なんだか日本社会が窮屈で、古臭くて、いやでいやで・・・。
そんなことからか、未婚ではなく非婚という意思でもってこれまで来た。
結婚したら、一人前みたいな考え方は、まったく受け付けなかった。
また、結婚という契約で、どちらかの氏名が変わることに抵抗がないのだろう?
名前って、自分の一部ではないのか?名前は自分のアイデンティティではないのか?海外の多くの国では、結婚しても名前を変えないで、そのまま生きていけるのに、なぜ、このような今の時代に陳腐なスタイルがいまだ、残っているのか。
との疑念もずっと消えないまま、世の中が変わっているのに、一番大切なところが変わらない。

名前はその存在のブランドをあらわす。もちろん自分では命名できないから、
いろんな思いで改名する人もなかにはいるが、ほとんどの場合は親から授けられた名前をもってひとりの人生を生きていく。
名前があってこういう人になってほしいという思いがあって、そのように育てられたという人もあるだろう。
名は体を表す。その人自身を表す。パーソナリティを表す。

しかし、日本の姓は、家をあらわす。個の前に家がある。
家の存在が、姓の問題を浮き彫りにした。
家制度が、いつまでこの国に根深く残り続けるのだろう。
時代にあった家族というカタチがあるというのに、本当に時代遅れ
な国である。

今さらのことを、今まだ時間を割いて、無駄なお金をかけて話し合っている。
名前は、存在である。
と私は思っている。今尾昌子という商品が生きている。これが違う名前だったら、きっと違う内容になっていると思う。

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眼に浮かぶ、姉妹兄弟たち

みんな、元気かな。
とくに、東京周辺に住んでいる、しばらく会えていない人たち。
年賀状で元気な様子が分かった人もいれば、
お互い連絡がとれていなくて、ご無沙汰しっぱなしの人もいる。
季節が春に向かう今、ふと いろんな人たちの顔が浮かんでくる。
元気かな?仕事、やっぱりリモートかな。仕事あるかな?大丈夫かな?
お子さん、元気に育っているかな?夫婦仲良くやっているかな・・・。

一度に連絡とれないけれど、合間を見ながら、メールを送ってみる。
元気でーす。と、すぐ返事をくれる人たち。
近況を教えてくれて、コロナ落ち着いたら、会いたいです。家を建てるから来てほしいです。子どもの受験の報告します。いつも覚えてもらってありがとうございます・・・・。

などなど、いろんなメッセージをいただく。本当の兄弟姉妹のように、
その元気な様子、成長ぶりがうれしく、あたたかい気持ちになる。

こんなとき、眼に浮かぶ人がいたら、すぐ連絡をしておきたい。
コロナは、人と会うことを貴重な経験に格上げしてくれた。
人を大切にすることを教えてくれた。
会えることの楽しみを、以前より大きくしてくれた。

と、そんな見方もできるのかもしれない。

今日から3月。
年度末で出会いの前の、別れもありの1か月となる。
リモートでの別れもあるかもしれない。なんともいえない感じもするが。

仕事上での別れがきっかけで、兄弟姉妹のような関係に発展することもある。
3月。別れを前に、普段以上に人を大切にするひと月としたい。

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