移動中につき、通常どおりに公開できない可能性がありますので、3日朝公開分を2日夜にアップします。
生駅ピアノ、おパリで発見!


私の夢のひとつは、地元に駅ピアノを実現させること。(相手あってのことであり、タイミングもあるので、実現の可否は未定であり、妄想段階であるが)
NHKで放映されている「駅ピアノ」は人気の番組のようで、何度も再放送を繰り返している。空港や駅に置いてあるピアノを、旅行者・駅利用者・通行客などが自由に演奏する様子をカメラが撮り続けているという番組。
ま、やらせではないだろうとは思っていた。でも、こんなにいろんな駅や空港でよくピアノがあるもんだとは思っていた。
このたび、フランクフルトから日帰りのパリ行。ICEという特急での移動。パリの鉄道駅のひとつ、東駅を利用する。午後4時すぎ、買い込んださまざまな荷物をずっしりと持ち、背負い、地下鉄に乗って、東駅に無事到着。朝10時に到着し、17時すぎの出発。わずか7時間の滞在。午前より夕方の方が駅はにぎわう。
コンコースに向かう途中の大きなスペースが、オープンな待合室になっており
そこに一台のアップライトピアノがある、というか、姿が見える前から音が聞こえていたので、近づいてきたらわけだ。
そのピアノに写真の青年が座り、弾いている。聞いたことのない曲だ。とくに人が彼を取り囲むということもなく、みんなそれぞれに椅子に座り、巨大なリビングにいて、そこにあるピアノを家族が弾いているような感覚で、普通に自然に演奏が駅に響き、馴染んでいた。熱狂でもなく、空間のBGMのように・・。
彼も駅の利用者だろう、リュックが椅子の横に置かれている。
私もこの荷物さえなければ、もし誰も弾いていなければ、迷わず弾きに行っただろうが今回の荷物はとても多すぎて、また演奏している人の後ろに並んで待つのも無礼が気がして、「また、今度」と、駅ピアノに分かれを告げ、コンコースに向かった。駅ピアノ。
欧米では、こういった光景が日常であり、とても良い。
いつか、地元でもこんなことを・・・と改めて思った次第。
拝啓 マリア ベートーベン様
MARIA MAGDALENA BEETHOVEN。この方は楽聖として今なお、世界中に知られ、愛されているベートーベンのお母さまの名前だ。
来年2020年はベートーベンの生誕250周年で、(オリンピックよりこちらの方が感慨深い)その記念事業の準備などで、地元ボンの町でも準備が始まりつつあるようであるが、このきっかけに、そしてここのところ、このお母さまのお墓に久しぶりに行きたいと思っていた。
3回目の訪問になる。前回はもう3年ほど前だろうか・・。
ボン駅前からも、町の中心街かれもほど近い古墓地のなかにある、このお母さまのお墓。不思議なのは、日本の場合の多くは、家ごとのお墓であり、先祖代々が同じ墓に眠るというのが通例と思うが、コチラではいろんなケースがあるようで、ベートーベンのお墓もふるさとボンにはない。この写真は、お母さまのお墓だ。
墓石によると1787年に亡くなっているから、ベートーベンが17歳のときだ。
だから、成功した作曲家、国葬をも行うほどの人物に成長した息子のことは知らないで昇天されたことになる。
しかし、このマリアさんがいなければ、ベートーベンはこの世に誕生しなかったのであるから、この母の存在に感謝し、祈りを捧げる人は多い。実際、周囲のお墓には朽ちたものが少なくないが、このお墓はきちんと手入れがされている。
、子どもが後世に残す仕事をしたから、このマリアさんが亡くなって200年以上経過しても、世界中からお墓参りに来る人はなくならない。すごい人生だと思う。ベートーベン自身への思いはもちろん、作品が演奏され続ける限り、人々は次代を越えて愛し、それを受け継いでいくだろうが、そのお母さまの存在は絶大なのだ。
墓石に手を合わせ、「ありがとうございました。マリアさんのおかげで、ベートーベンを知り、音楽を知りました」とひとり語り掛けた。そしてひとりで「フロイデ!」と第九を歌いながら、墓を出た。ベートーベンのパレードのような気持ちで・・。(そうでもしないと、誰もいない墓地は・・・であったのもある)
私はこのままいくと、後世に残る仕事はなかなか・・・難しいため、何百年後も先祖がお参りされることはない。まだ間に合うか?いや、無理だ。と、おかしな問答を自分の中で繰り返した。
マリアさん、また来ます。あなたのおかげで、ベートーベンのおかげで、世界中が歓びも哀しみも心豊かに表現することを知ることができました。
偉大なるベートーベンのおかげで、ボンという町を小学生の頃から知り、憧れ、そして訪れる。そんな元音楽少女たちも少なくないだろう。

初企画 朗読劇で演奏のご案内
おととし、下北沢で行いました、演劇「中の嶋ライト」での演奏から約2年。同じ作家さんとのコラボで、今度は朗読劇中の演奏に初挑戦となります。
3月1日より前売り開始となりますので、こちらでもご案内させていただきます。
作品に「観覧車が登場する」ということと、タイトルの「真夏の雪」のなんともロマンチックな第一印象が、私を参加に駆り立てた要因です。実質1か月以内での仕込みになりますが、どうぞ、新世界にご興味ある方はぜひおいでください。
東京公演3月29日より31日まで、長野の上田公演4月12日・13日が現在確定しております。私のオリジナル曲がどう登場するか?もお楽しみください。
詳細は以下をごらんください。皆様のご来場心よりお待ちしております。
https://blets.jimdo.com/next-prformance-4/
海越え、陸越え、どっちが安心?
アメリカへ行くとき、さらにそこからユーロに進むとき、太平洋と大西洋を渡る。
海、陸、海という大移動だ。
アメリカから、アルゼンチンに行くときは、海、陸、海だ。
一方、ユーロ方面を目的地にするときは、日本海さえ越えればあとは
ユーラシア大陸横断。陸の上を飛ぶ。
陸の上と、海の上。どちらが安全?安心だろう。と飛行機に乗って、世界地図の上での飛行状況をモニター画面で見ながら、あれこれ考える。
ずっと海・・・太平洋、もしくは大西洋・・・。うーん、ここで飛行機墜落したら、もう何もないな。
一方、ずっと陸・・の場合。海よりは、陸の上であれば、見つかる可能性は高いか?でも、砂漠や山の上に落ちたら?紛争地に落ちたら?人が暮らしているところに堕ちたら、大変迷惑がかかる・・・。
とにかく、いろんなことを想いながら、いざを覚悟す。
日々、世界のニュースに出てくる各地の都市の上を通過しながら、「ああ、今はダッカの上か、ウクライナか」と地名をチェックしながら、この下の世界はどうなっているのだろうかと想像を膨らませ、そんなことを想いながら、何事もなく、目的地に安全に着陸したとき、心からの安堵が生まれる。
これだけ多く飛行機に乗っても、墜落に遭っていないのは、本当にラッキーだ。
もちろん、一度遭ったら、もうおしまいなのだ。
海 を渡る、陸を越える。どっちもどっちか?
でも、基本的にその越えること自体が、好きなようだ。
メディアとリアルは別世界。
乗り継ぎというだけであり、今回、実際に町に足を踏み入れる時間は
なかったが、たまたまソウル経由フランクフルトというルートでの渡航で、
ソウル行の飛行機に久しぶりに乗る。会社も韓国の航空会社だ。
(ナッツ事件の方ではない)
最近これほどにも、日韓の関係悪化が報じられていると、観光客もいないのでは?と思ったが、意外にも若い女性グループが多く搭乗、なんだか楽しみに韓国に向かっている様子がわかる。
「何食べる?エステ行く?」「どこの〇〇に載っていた」やはりスマホを見ながら、とても楽しそうだ。
両国の大人たちが、敵対的で意地っ張りなやりとりをしているのがメディアで
報じられているが、若い人たちには無縁のようだ。
先日も、ソウルの若者たちのことをニュースで取り上げていたが、日本の文化もファッションも好きだし、とにかく両国が政治面で仲良くなってほしいと願っている様子が伝わってきた。
両国の若者たちは、互いに友好的・友和的なのだ。
どっちが大人だろうか?と淡々と楽しんでいる彼女たちと、メディアが話題にしている両国の関係は、まるで別世界。
何でもいいが、みんな笑顔、みんな素直、みんな幸せが良い。
いずれにしても、過去のことに戻るよりも、これからの人たちの幸せを考える方向に向かうのが自然だ。
また、いつか降り立ってみよう。
リアルが一番。自分の五感で感じ、判断すること。それが何よりだ。
平和なワンシーンをつくる仕事
このところ、お子様向けの仕事を 企画実施しているが、今月は、ボウリング体験の場を企画。ボウリングといえば、約40年前に大ヒットした娯楽。カラオケの前に一斉を風靡したエンタメ。各地にボウリング場ができ、場所によってはスケート場が併設だったり、とわが小学生時代が懐かしくなる、そんなスポーツ。
しかし、今どきのみなさんは、ボウリングをするのか、興味あるのか。
そんな興味もあり、企画。しかもボウリングをするだけでなく、ボウリング場の裏側も探検。マシン室も見せてもらうという社会学習付きのプログラム。
予想を超える申し込みをいただき、厳正なる抽選で選ばれた親子が参加。
子どもたちが真剣にボウルを投げ、投げたボウルもピンも見ないで、ベンチに駆けて戻ってくる姿など可愛らしく懐かしく、親御さんたちがニコニコも、ハラハラもされながら見守り激励される姿も微笑ましく、純粋な平和な日曜のひと時を垣間見た。ふと昭和に時代がタイムトリップした感じでもある。
ほのぼのした時期がもてる日本は幸せだ。いつも思うが、出会った子どもたちにはどうか健やかに育っていただき、そして大きくなったらいつかどこかでこんな一コマも思い出してもらえたら嬉しい。
「自由」について今こそ。
新作ではないが、やっと観ることができた映画。「スノーデン」。そう、情報スパイとして、米国から追われ、亡命を続けている元CIAの実在の人物のことを描いた映画。ストーリーも実際、実話にもとづいているというから、気になっていた。
911で世界では、テロが当たりまえのようになってしまった。
自分の、自国の安全を確保するのが難しい。そして、その安全は、情報の監視という点からもつねに脅かされていることを、改めて知る。
今回の映画でもっとも恐ろしいと思ったのは、日本の国家安全を握る重要な情報はアメリカの手中にあるということ。もし、同盟国でなくなれば、日本を消すことは容易だということ。今日の味方は明日の敵になるかもしれないが、日ごろからの関係づくりのむつかしさを改めて知る。
そして、アメリカの情報機関では、世界中の人々の情報を監視することができるとのこと。情報を監視ということは、身を拘束されていることと同義である。
なんでも、好きなように情報のやりとりができ、好きなように情報発信をして、共有しているかのような日頃の生活の中、裏では自分がどんな嗜好があり、交流があり・・・といった個人情報が盗み取られているのだ。
Amazonで検索した情報がすぐ、他のサイトを見ていても広告として目に飛び込んでくる。人の行動を先導する。気持ち悪い世の中だ。
ネットがないと生きられない・・というのは、実は不自由なのかもしれない。
いや、不自由なのだ。
自由とは何か。もしかしたら、ネット社会から遮断された自分を確立する準備をした方が良い。といいつつ、ブログを毎日書き続けているが、これは不自由に向かっているのだろうか?目指すのは反対の方向であるが・・。
命名の想像コミュニケーション
人には名前があるように、自分の持ち物にも名前を付ける楽しさを
最近、覚えた。
たとえば、車は「ひふみくん」ナンバーが123だから、そんな名前にする。
「事故おこさんように、たのみます」と、車に声をかける。
引き続き、最近入手した楽器には、今命名を悩み中だ。
「ピアソラくん」にするか、「ピアフ」にするか?ピアフは苗字だとすると、「エディット」がいいか、はたまたイタリア生まれなら、マルチェロか。
名前によって、その楽器の性別も変わるので、そのあたりのイメージングも重要だ。
客船にもクィーンエリザベス号とかあるように、大切なものには名前をつけるのが良いと思う。呼びかけたりすることで、愛着も芽生え、大切にするようになる。名前をつけることで、モノにも魂が入るような、まさに人格化され、
自分のパートナーのようなありがたい存在になる。そして、そのモノを通じて、成長したり、夢をかなえたり、そしてより幸せに。
と、大切なものには、そんな想像的コミュニケーションを楽しむようにしている。
赤いお目めにエール
いろんな課題を抱えておられる事業者さんとお会いする。女性の起業も、シニアのそれも増えている。いろんな経験をもつ人が、自分の力で新しい市場を作ろうと頑張っておられる。
しかし、思った様にはうまく進まない。思いがあっても進み出す術や勇気がいるイマイチ持てない、自信がない、などさまざま理由でお困り、お悩みの方が会いに来てくださる。
そして時には、話しているうちに涙を流される方もいらっしゃる。話をしているうちに、溜まっていたものが溢れ出すように。誰にも言えない悩みだったり、プレッシャーだったり、わからない不安だったり、いろんなことを抱えて日々過ごしておられるのかもしれない。その気持ち、理解できる。
泣くのは、浄化作用。混乱していた心を静かに見つけ直すために、一度出すだけ出す。心のオリをとるような感じかも。
泣いて笑ってこころのクリーニングをして、自分の夢に向かって動き出して欲しい。もちろんその人それぞれの人生であるので、その方がいろんな外野の声を参考に判断されたらいい。
赤いお目目の頑張る人を応援したい。
泣けることで、整理ができ、頭がクリアになって動き出せるなら、
