人生は足し算‽引き算?

年末に向け、忙しい忙しいと世間が動き始める。

予定していなかったものが入ってくる、ドタバタ・・・仕事に追われる。
うれしい悲鳴かもしれない。

でも、追われる、追いかけられるのは、結局は相手次第になってしまう。
自分で計画を立て、それにそって動く、それに加えて、相手の動きに合わせていくという仕事の仕方。

人生も仕事も足し算・・をしていると、気が付いたら年だけとっていった~。
ということになりそうな気がする。

目標に向かっての引き算でいかないと、うまく進まない。

もっといえば、大きな引き算をしながら、日々の取り組みは足し算をする。

さらに掛け算をして、効果を狙ってみる。

いろんな計算が自在にできた方が絶対にいい。

人生は追いかけたい。追われたくない。


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来年への課題と準備。

7月から開催してきた障がい者アートの展覧会企画が終わり、撤収を行った。
その絵がお店という空間にあるということで、何が変わっただろうか?
撤収しながら、お店のスタッフとの会話からいろんなことを思った。
美術なんてわからないんですけど、こういうのがあって、毎日見せてもらいながら仕事してました。すごいですね~。
すごい色彩の作品で、びっくりした。すごいね、こんなのが書けるなんて・・。
展示しているときにごらんになったお客様はすぐスマホで撮影され、SNSにのせていいですか?と言ってくださった方もあり・・。
小さな企画ではあったが、お店がコミュニケーションの空間として活気づいてくれていたなら、何よりだ。
そして、今回東京で展示された作品たちは、このまま新潟に移動し、来週からは地元のお店を彩ることになる。
来年はパラリンピックの開催都市。いろんな力がスポーツ以外ででも、発揮されることを祈りつつ。この企画をさらに拡大させていく。

来年はどんなTOKYOになるのだろう。どうせなら、せっかくだから、良かったねの声が広がる、そんな一コマに関われたらいい。

撤収しながら頭は来年のことを考えていた。

おかげさまで、東京MOSごと美術館、いったん終了です。ご支援ありがとうございました。

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真の意味での世界を担う、リーダーたちにエールを送る

今、世界の若者が熱い。とくに北欧の16歳の少女の環境保全に対する運動力は目を見張るものがあり、そのパワーに突き動かされるように、世界各国で10代の若者たちが大人たちに真剣に世界の危機を訴えている。

大人たちは何もしていない。
そのとおりだ。
もっと根本的に世の中を変えなければ、彼ら彼女ら、そしてその次の世代は
地球で生きていけなくなるかもしれない。
本人たちが、自分たちの問題として真剣に世界に問いかけ続けている。
大人たちは、もっとその現実に対して 注意を向け、協力をしていかねばならない。もちろん反省も含めてだ。

未来のための金曜日という活動がなされているそうだ。学校を休んで、温暖化を止めるための活動を続けている。若いのに、なんとしっかりしていることか。
大西洋を飛行機ではなく、ヨットで移動するぐらいだから、その意識と行動は半端ではない。覚悟ができている。

プレミアムフライデーとか、まったく逆方向の思いつきと比較するとなんだか、
日本人はずれている、ぼけていると改めて思わざるを得ない。恥ずかしくもある。
SDGsと声高に言わなくても、こうやって真剣に活動している若者たちに学び、自分ができることを今それぞれがすればよい。

若者たちが自分たちで自分たちの時代を切り開こうとしている。
反省しながら、拍手を送り、そして応援したい。

若者にとって、地球の温暖化は、まさに、自分ごとなのだ。
背筋が伸びる。口先だけでは世のなかは変わらない。

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人間は弱きもの。だから

京都に住んでいた頃。とくに学生時代に、部落や同和問題という話題に接することがあった。また、在日韓国人の仲間のことも・・・。

この話題を思い出すと、ほろにがい中学三年のことも思い出す。
在日韓国人であった友達が勉強がよくできる人であったにも関わらず、日本での将来をあきらめる発言をして、それでおつきあいが終わって・・・というショック。大学時代も、同じゼミの人で在日の人がいて、これまで知らなかった差別というものに触れ、いかに自分の知っている世界が狭いかと恥ずかしく思った。

このたび、部落に住み、しっかり部落で生きる人のことを知ってほしいと活動されている若者の活動のことを知り、胸をうたれた。
とくに、九州で太鼓をつくる職人さんのインタビューを見聞きしたときには涙があふれ、その人に励ましの連絡をしたいと真剣に思ったほどだ。

昔、差別を受けた人の子孫が、先祖たちがやってきた仕事を受け継ぎながら今、生きておられる。人が嫌がる仕事をされ、人の役に立ち・・でも、人目につかない世界で生きてこられた。

たまたま自分がその環境で生まれただけ。ということで、人は差別の対象になる。

男女とあれば、女性は差別されてきた。最近は逆差別かと思うほどに変化してきているように感じるが。

人間は自分より弱い存在をみつけ、上から目線で差別したがる。

みんな同じ人間なのに。自分が偉いと思いたがる。
自分のことを強いとか正義とか思いこんでいる人ほど、本当に弱きものだと
心から思う。

いろんな差別を乗り越えた社会づくりが進んでいる・・・とは正直まだまだ
言えないと思う。

華やかな世界があればあるほど、それを支えた影の存在がある。そこに感謝しなければならない。
最近、京都によく出向いているが、華やかな都の脇に、そういったエリアがまだ
残っている。
そんなことも本当はもっと知らなくてはいけない。

今機会があれば、人に会いに行きたいと思っている。

いい太鼓を作ってくれるから、和太鼓に人気が集まっているのだ。

人間は本当に弱い存在だ。それをもっともっと自覚しよう。

そして違いを理解し、尊重して助け合う。そんな社会がいい。差別という偏見が世の中からなくなることを、心から願って。

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小さなナポレオンになろう!

尊敬する人が何人かいる。といっても、会ったことがないいわゆる、歴史上の人物もいる。
手の届くところに存在する人の影響もありがたいが、何百年も前に存在したらしい、人物の方がより想像力が膨らみ、夢と希望が湧いてくることもある。

そのなかのひとりが、ナポレオンだ。

貴族社会を崩壊させた、フランスの英雄。
世界を征服しようとした18世紀のリーダー。
皇帝になり、頂点に上りつめたこの人物は、ベートーベンの交響曲を思い起こさせる勇ましさがある。
十代の頃から、多分世界史の授業と、ベートーベンがきっかけとなって、ナポレオンのいくつかの肖像画を見ながら、世界の激動を妄想するのが好きになり、いくつかのゆかりの場所にも出向いた。
そんなナポレオンも最後には、島流しの身となり、孤独な終わりを迎えたようであるが、今も私たちにいくつかの教訓を与えている。と私は思っている。

「わが辞書に、不可能という文字はない」
という有名な下り。
この言葉には、本当に勇気づけられる。
できないと思った瞬間から、すべての挑戦は終わる。
可能である、できる。やれる。と思うことから、そう信じるところから
すべてが始まる。

あとはいかになすべきか。どうすればできるかと考え、実行するのみ。

今、ラグビーのワールドカップが日本で初開催されているが、この大きなイベントも、日本でそんなことができるのか?と言われた時代があったそうであるが
あるひとりの外交ラガーマンの「やろうじゃないか!」という思いが、今日の開催につながったらしい。

いつの世も、常に挑戦する人がいるからこそ、世界が変わる。

大それた挑戦でなくていい、小さな挑戦を臆せず、やり続ける。

そんな生き方をし続けたい。

だから、小さなナポレオンを目指す。

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若者と向き合う時間。

30歳になる若者とコーヒーを飲む。仕事の話のために会ったのであるが、
そちらの話が一区切りしたあと、その青年は
「『人生は観覧車のように』の本を読ませていただきました。いろいろ考えさせられることが書いてありました」
と話を切り出してきた。正直、その若者が8年前にリリースした本を読んでくれているとは驚いた。
一生懸命働いている人、これから責任をもって人を育てていかねばならない人にも、〜人生は観覧車のように~の考え方が伝わるのだと、静かに感動。

「ぜひ、新入社員とか2年生、3年生にも生き方というか、仕事への向き合い方を教えてやってほしいです」とも言ってくれた。

もし自分に子どもがいたら、30歳の子がいてもおかしくない。そんな若者に共感をされることは、とてもありがたく、私自身の刺激にもなる。
年上には恩返し、年下には自分の経験を生かした伝達と、時にはいい意味でのナビゲーション。教育とかいうと大げさだ。導くことが大切で、主役はあくまでもご本人たちだ。
若者との出会いがうれしくてたまらない、今日この頃。

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こっちがしなきゃいけないのに。

ご自身やご家族が闘病されている方たちから、ありがたい応援の言葉をいただいたり、思いがけぬ贈りものが届いたり。


「21周年おめでとうございます。これからも皆に元気に分けてあげてください・・」

と書いてある手紙に、胸が熱くなる。

元気か。そう、元気を与える、元気を伝えるのが私のとりえなのだ。

家族が大変なときに、私に21周年のお祝いだとお手紙や21にこだわったお酒をとわざわざ送ってくださるその気持ちに涙が出そうになる。

「私は明日から手術です。お父さま大変ですがのこと、無理されず頑張ってください。次お会いできるのを楽しみにがんばってきます。」

と、別の方からのメール・・・にも心うたれる。

振り返れば、本当にいろんな人の顔、しかもいろんな表情のお顔が浮かぶ。

私が元気にがんばってね!と言わなきゃいけないのに、
皆さんが心配してくださったり、応援してくださったり。

なんとまあ、ありがたい人生かと。

今度は、こっちがしっかりもっと応援する番だ。


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応援という最高の贈り物。

世の中には、いろんなギフトがある。何か物をあげる、もらうというのも有難いし、自分もそういう機会を考えること自体、少なくない。

ただ、何かをもらって嬉しい以上に、自分のことを気にかけてもらえることが嬉しい、そう、その気持ちが嬉しいのだ。

このたび、創立記念日ということで多くのメッセージをいただき、それぞれに何度も読み返した。儀礼ではなく、心からの応援、激励。これこそが、何よりのギフトだ。

人を助ける、応援する。

このこと自体が立派な贈り物。

不思議なものでこのギフトを受け取ると、もらうだけでなく、自らも誰かにそれを贈りたくなる。

応援というギフト。誰にでもあげることはできないのかもしれないが、あげたいと思える相手とは、信頼関係や尊敬の念があるはずだ。

応援というギフト。

本当にかけがえのない大切な贈り物。

いっぱいもらったら、今度はいっぱいお返ししたくなる。

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ふるさとの歌が、またできた。

先の投稿でも書いたが、わがふるさと、岐阜の長良川の夏~初秋の風物詩は鵜飼い。写真はそのクライマックスのときの写真だ。ちょうど対岸にいて、この水面に移る漁火に感激してシャッターを押した。

この様子から、松尾芭蕉の一句が思い出され、とても共感。

この短い句とこの風景はまさにぴったり合う。
おもしろうて、やがて悲しき 鵜飼かな。

この句に勝手にメロディがついて、すらすらと曲ができた。
タイトルは「やがて・・・」早速、グラン・ルー記念日のコンサートで初披露。
地元の方が多いだけに、大変ご好評をいただいた。

やがて・・・

おもしろうて おもしろうて 
やがて かなしき 鵜飼かな
おもしろうて おもしろうて
やがて かなしき 人の世は   

闇に映える 漁火の夢が
ほどなく消えて 水面落ちる 
闇が包む  すべての時を
見た夢は何 消えて流れて

おいかけても おいかけても
やがて 旅は終わりだと

探しても 探しても
やがて かなしき 人の世は

闇を照らす 漁火ひとつ
ふたつみっつ そしてむっつ
拍手が沸いて 時は止まり
そして闇が包み、終わる。

おもしろうて おもしろうて 
やがて かなしき 鵜飼かな
おもしろうて おもしろうて
やがて 涙 あふれてる 

単純だけれど、ちょっとだけ、侘び寂びを。

 

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おかげさまで、21周年記念日

1998年に脱サラをして、21年の歳月が経った。
今日、9月17日はおかげさまでの創業記念日だ。
35歳で元気よく、勢いづいて広い世界に飛び出し、走り出した小娘も
もういいお年頃。
人生は観覧車のように・・と思い続け、唱え続けて、20年以上、軸を
変えることなく、歩き続けてくることができて、本当に良かった。
登山をする人生ではなく、世界をぐるぐる回る、あるいは回す人生なので、
どれだけ上昇したのかとか、高いところまで登ったのかはわからないが、
とにかくよく回った、回した。という感じだ。
新しい出会いがあれば、新しい観覧車が回り始め、ずっと回っている観覧車も
あり、知らない間にあちらこちらで、「ぼくの観覧車も回っていますよ」
なんて、言ってくれる若手社長たちもいる。
自分の思い、考え、感性に共感、共鳴いただける人たちに囲まれて、
静かに21年目をまた始めることができることは、とてもうれしい。

自分の存在が誰かの、どこかの役に立っていること。

このことを日々感じながら、努力できることに喜びを感じる。

人には生まれながらに、背負うべき荷物があるそうだ。

言い換えれば、役割。

自分に与えられた役割は、コミュニケーションで世の中を元気に優しく

することだ。これは21年経っても、これからも変わらない。

自分の役割をしっかり全うできる、一人前の人間に。

おかげさまで21周年。見守ってくださる全ての皆様に感謝を込めて。

今日は、岐阜新聞でもロビーコンサートを行います。

22年に向け、どうぞ今後ともよろしくご支援ください。


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