晩年、自分のことをどう語れる?

妹からきいた話より。
父が今度お世話になる施設の方との面談のときに、初めて会う施設の担当者の方に自分のことを聞かれる前に、自己紹介?していたという。
さて、高齢になって、初めての人に自分のことをどう語るのか?なんて、これまであまり考えたことがなかった。
人から聞かれて、その質問に応える、しかもスムーズに応えられるか、話がかみ合うかなど一般には気になるが、父は自分から語りだしたという。

自分の奥さん(母のこと)は・・・・こういう活動をしてきた。
娘は(私のこと)は、幼い頃からピアノをがんばってきたので、自分も毎日仕事終わってから名古屋まで迎えに行ったこと・・・・・
自分の仕事は・・・・・。こういうことをしてきた。
聞きようによっては、じいさんのたわいもない自慢話のようであった?ようであるが、それでもしっかり自分の人生を振り返り、語っていたという。
さて、自分は80歳を越えたとき、どう自分の人生を総括し、初めて会う人に自分のことをどう話せるのだろう?あるいは、自分をどう表現するだろうか?

そのことができる父は、まだまだ元気だと思うのと、彼の人生のなかに、私のことが強く印象に残っていることは、驚きであり、ありがたいことである。
父は、自他ともに認める、誇れるアッシー君であり、私の応援者であり続ける・・。
80歳のとき、初めてある人に自分のことをどう伝えることができるだろう?
私は、やはりまずはピアノかな?
ショパンを弾いたり、今のように立ってピアノを弾いて、歌える・・・
そんなことができたら・・・。


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まいた種を育てる、見守る。

コミュニケーションクリエイターの仕事の醍醐味は、自分でいい種をみつけ、
いい畑にまいて、育てることに関わることができること。
誰も考えたことがないことがひらめくとき、!!と全身に新たな力が湧く。
この「来た!」とアイデアが湧くときは、いい曲が浮かぶ時と同じく
突然降りてくる感じだ。
そのアイデアが世の中で採用されたり、形になっていくことは本当にうれしく、
しかも一過性ではなく、継続し時間を経ながら続いていくことは最高だ。
自分がいなければ生まれなかったこの事業、自分がいたから世に出た商品、サービス・・・こういった経験は、何者にも代えがたい。

今、そんな仕事もいくつかあって、その成長、ゆくえを見守っている。
自分が種をまいた仕事、いつまでも自分だけが水をやらなくても誰かが育ててくれることにしていくことも、また仕事だ。
もちろん種をみつけてきた、いい畑にまいた・・・という事実、経験ははいつまで消えることがない。

ビジネスマッチングは今、流行りであるが、考えぬいて、本当に継続できることを提案することを意識したい。
ビジネスマッチングはひらめきだけではだめで、その両者をよく知っていなけれなならないし、もっといえば、紹介しようと思う相手に愛情や思いがなければ
成立しないし、また紹介を受ける立場もそのことをちゃんと理解できる人でなければならない。
この人がいなければ、何もなかった。
このことを忘れがちな昨今。
やっぱり、おかげさまで・・の心を忘れず、謙虚に・・。

コミュニケーションクリエイターとして、これからも種をみつけ、育て、社会に喜ばれるもの、ことを増やしていきたい。焦らず、ぼちぼちと・・。

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前世の姉妹と鴨川の河原

ほんとうにいろんな出会いがあるものだ。
京大の近くに、約30年前にみつけた、スジャータというインド?ネパール料理の小さなレストラン。本当に隠れ家のようなお店。でも、興味深かった。
そこの店主がとてもユニークな方で、たちまち虜になった。
友禅染の職人だったのに、病気をされて、瞑想を学び、そしてインドへ旅して・・・。世界的な瞑想家との出会いがあり、その学びを生涯の糧とされ、食堂経営をしながら、約40年。
私が最初にみつけた店は、その後近くに移動。長く京大の学生さんや先生たちが利用、ベジタリアンレストランということや瞑想も体験できるという点でも人気があった。
そのうち行こう、会いに行こうと思いながら月日が流れ、やっと連絡をしようと思ったら、コロナの影響でお店は閉店していた。

その店主に大急ぎで連絡をして、病気でもしていないかと確認、そして再会。
コロナによって閉店。そして、コロナがあって、皮肉なことに、ゆっくりお会いすることができることになった・・・。

「どこで待ち合わせします?」
「喫茶店は、話しづらいし、鴨川で話しましょうか」
と、さすが京都の人だ。
鴨川に座って話す。という再会のスタイルがあるとは!

テレビドラマのようだった。
出町柳の駅で待ち合わせし、鴨川の右岸におりる。
そして新聞を敷いたり、もっている衣類を下に敷いて石の上に座る。
並んで座っている。
飲み物はそれぞれ持参の水やお茶。

ちょっと昭和の女子学生に戻ったような感じだ。
「気持ちいいねえ。」
彼女はインドでの一人旅のことを語り始めた。
人々が密集した、貧困の町が目の前に存在した時に感じたこと、
もう30年以上前のことを昨日のことのように話してくれる。
そして、著名な思想家シュリ・チンモイ氏に出会ったときのこと、
活動拠点ニューヨークに何度も出かけていったこと、そして今はこの師の
残した著作を翻訳して、人に伝え、遺すことを自分の生業にしようと
生き始めていること・・・などなどを語ってくれた。

なんだか、不思議な世界にいるような感覚であり、でも、
それは違和感のない、自然なもうひとつの世界。
「なんだか、おもしろいね。前世、姉妹やったんかもしれんね」
彼女が語る内容に自然に反応するためか、そう言ってくれた。
一度会って10年ほど会えず、また一度会って10年ほど会えず、
そんな途切れ途切れのおつきあいであるが、彼女の純粋な学びの
生き方を長く尊敬している。

純粋な生き方とは。
結局はひとりひとりが平和に、心キレイに生きること。
このことの実践である。

何を信じる、何を尊敬する。それは人の自由であるが、その生きざまを
認め、心を寄せ、お互いに応援することはとても良いことだと思う。

前世、姉妹やったかもしれんね。
そんな風に思う人たちが、現世に何人かいる。
と、そんな気がしている。
人は、時代を越えて、つながっているのかも。
私の中を、周りを日々、みえない観覧車が回っているのかも。


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おかげさまで22周年。これからも、人生は観覧車のように・・・。

コミュニケーションクリエイターとしてのスタート。
心の観覧車を回すグランルーは、22年前の本日、9月17日より周り始めました。
もう地球を何周?いえいえ、もしかしたら同じところをくるくる?
とにかく、
あっと言う間の歳月です。あと3年で四半世紀。
長くも短くもあるこの歳月の日々の出会いに感謝しながら、初心を忘れず、
地に足をつけて、ぶれずに自分の役割を全うしようと思います。

これまでのあたたかいご支援に心より感謝申し上げます。
ありがとうございます!

まもなく生誕250年を迎えるベートーベンの生誕地 ボンの観覧車(2019年12月撮影)

今後ともよろしくお願い申し上げます。

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並んで話そう。

施設で暮らす父との会話。
役柄的に言いたくないことを伝える役回りになることが多く、
これまでは、言わねばならないことだけを、伝え、ときには
その言い方で、父が反応して、喧嘩のようになってしまうこともあった。
向き合い、目を合わせて、話すということは、ビジネスシーンでは有効、
相手や時によって効果的であるが、それが火種になることもある。

同じ繰り返しはいけない。今日はしっかり話さないと・・。
どうやって話すといいのかなと電車での移動中に思案する。

「こんにちは」
父は静かに部屋の椅子に座っていた。
その横にもうひとつ椅子が並んでいる。
そのまま、そこに座った。
そう、向かい合うのではなく、並んで座る。
父は実際、シャイなので、目を見て話すと威圧感を感じることがあって
抵抗してきたこともあった・・・。
並んで話すと、なんと穏やかなことか。

そこから、今後のことについて、話しづらいことも含め ひとことひとこと
ていねいに話していく。
わかっているのか、寝てしまっているのか静かなため、
「きいてる?」というと、
「きいとる」
「わかった?」というと、
「わかった」
という。
そうだ、父との対話は、並んですればよい。
こんなことに今ごろ気づいたのだ。

今伝えなければならないことを、しっかり伝え、
父もそれに反応しながら・・・決して今日は楽しい結末になる時間では
ないのに、それでも父とのいい時間がもてた。
「がんばって仕事もしてくるね。」
「ありがとう、悪いね」
と、そんな言葉がかえってきて、ちょっと気持ち悪いほどにやさしい。

コミュニケーションは、向き合う場所、角度も大変重要だ。
また目が向き合う以上に、心が向き合えるようになる工夫が大切だ。

人間とは自分勝手なもの。こんないいお父さんならば、もっと長生きしてほしいと思ってしまうのだ。
孤独を感じさせないよう。少しでもできることをしようと改めて思う。

人生の春夏秋冬。父は今、晩秋か冬か・・・。冬眠する前にもっと話さねば。
今度から、並んで、話そう。

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歳月がもたらしたGIFT

40年ぶりの再会。高校時代の同級生が、コンサートに来てくれた。
バイオリンを専攻していた友。在学中は他の同級生と同じように接し、
個人的に親しく話したり、プライベートな話題を・・ということも
なく、いわゆるいいい距離感での同級生。
でもいつもバイオリンを背中に、静かに行動する姿や
真面目な勉強ぶり、落ち着きある、印象の強い人であった。
そして、バイオリンをもって立ったときのすっとした感じが
カッコよかった。楽器を持って歩くということへの憧れがあった
せいかもしれない。

そんな彼女から、最近、突然ホームぺージから問い合わせがあり、
それをきっかけに久しぶりにやりとりがはじまり、今回のコンサートに顔を
出してくれることに。
演奏終了後、カフェで待ち合わせし、久しぶりに話しはじめる。
不思議なものだ。高校を卒業後、まったくご無沙汰していたのに、
今は還暦に近い二人が、その空白の時間がなかったごとく、親しく話を
している。
高校生のときには、話したことがなかったような話題が次々飛び出し、
盛り上がる。話題が途切れないことがすごい。
お互い歩んでいた違う世界で、それぞれが成長してきたのか。
とにかく充実したうれしい時間となった。
昔のことも知っている、そして尊敬できる間柄。
お互いインデペンドな人生を目指してきたことも、大きな共通点。

40年前に出会い、今、再会。
ひと回り?成長したお互いが、刺激を与えあい、応援しあえる。
この関係はなんと素敵だろう。
音楽の世界で生きてきた彼女と、アウトローな道に進んでしまった私であるが、
それぞれが人生をぐるり回り、そして今、原点に立っているような・・・
そんな気がした。まさに、人生は観覧車のように・・・だ。
親が与えてくれた「音楽」という道を、活かさねばと思っている点も
共感、共有できる点。

変わらぬ友の存在が、とてもうれしく、東京から離れ、地元に戻っても
いいことがある、よかったと改めて思った次第。

彼女が奏でるバイオリンの音色も、ぜひ近いうちにきいてみたい。
きっと生きてきた年輪とともに、深みのある音色を聞かせてくれることだろう。
「バイオリンはいいね。私もやりたかった。持って歩けるし」
「バイオリンは単音。ピアノはオーケストラのようなもの。今尾ちゃんはやっぱりピアノじゃないとね」

そんな彼女が、ブログに綴ってくれた言葉。とてもうれしい秋の便りのようだ。
秋は実った人同士の、再会の季節かも・・・。
40年という歳月がもたらすもの・・・。このGIFTに感謝を込めたい。
https://y-violin.info/2020/09/14/20200914/


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あんな時代もあったねと・・・

おかげさまでコロナ禍のコンサート2回目。会場は岐阜新聞本社ロビー。
前回7月は自分でオリジナルデコレーションのアクリルボードを持ち込み、それを使って話をした。

2か月も経つうちに、主催者側でコロナ対策をさらに強化され、写真のような
透明シートの大型パネルが楽器前に設置された。
マスクを着用して演奏するよりは、とてもありがたい設定。
ただ、音響機器を使わない会場であるため、シート越しに聴く音は少し
不便があったかもしれないが・・・。
でも、もうコロナのせいで、コロナが原因で・・というのもなんだか
言い訳のひとつのような気がしており、
どんな環境でも元気をお届けすることがミッションと、今回は手拍子で入場しながら、そのまま元気に演奏をはじめ、そのまま走った。
入場制限をされての15名様でのコンサート。早々から満席になり、ありがたい。密が許された時期の三分の一ほどの人数ではあるが、ゆったりきいていただけて、これはこれでいい。

心の世界旅行~Go to マーサワールド。と銘打った今回のプログラムでNY、京都、長崎、香港、ナポリ、パリ、そして岐阜とブエノスアイレス。
各地を思い出しての名曲とオリジナル曲を綴った。
新曲も取り入れることができ、お客様にも大変喜んでいただけたようで、安堵。

コロナだからと逃げてはいけない。
もう突き進むのみ。前に進むのみ。

いつかこのシートのあるコンサートも、懐かしく思えるのかもしれない。
あんな時代もあったね、あんな日もあったね。

がんばっていれば、すべてがいい思い出になると信じている。

ユニバーサルか

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鼻歌をおみやげに・・・。

改めて、音楽の力とはすごいと思う今日この頃。
お客様に楽しんでもらうために、コロナ禍の不安を吹き飛ばすためにと
毎回、コンサートの構成や曲目を考え準備をするが、実際、自分が練習、歌い始めることで、私自身に元気が湧いてくる。そうなるとエンジン全開だ。
いろんな苦しみ、悲しみをうたった曲、それを乗り越えようという曲・・。
世界中には無数の歌があるけれど、歌ほど、音楽ほど、人々を元気にする存在はないのではと思うほどに、歌の力はすごい。
もちろんピアノなど楽器の音色だけでも癒される。これも良い。

そしてそこに歌詞がついて、メッセージとともに音楽で癒される。
これも素晴らしい。

今日14日は岐阜新聞でのロビーコンサート。コロナ対策のなか、制限しての開催であるが、この不安な感じを突き抜けて、皆さまに鼻歌をお土産にもってかえってもらえるようにがんばろうと、思う。

どんなときも逃げない。
やる以上はやる。

参加できないお客様から、「どうぞ皆さまに笑顔を届けてください」とのお言葉。ありがたい、いろんな応援を背に、今日もGO TO マーサワールド!

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一粒、一錠で・・

薬屋さんは、今、ドラッグストアと普通に呼ばれているが、ドラッグドラッグ・・・よく考えたら、決して健康的な意味ではないのだが・・。

そう、薬とは薬物であり、ときとして毒になる。危険性がある。
作用があり、反作用がある。後遺症にもなる・・。
使い方が難しい。
この選び方、使い方を間違うと、疾病が回復するどころか、反対の道をたどることになる。
今、親の状況回復のため、さまざまな専門家の知恵を借り、塩梅をはかりながら
日々格闘している。
そこで気づいたことがある。
「薬を飲んでいるから大丈夫」
ではない、ということ。
症状から、その処方が良いであろうと、医師が責任をもって処方されたその薬。
服用する人間ひとりひとりが、違う体質であり、その反応は一律ではない。
本当に薬が効くということは凄いことであり、効かないことも大いにありうる
一種の賭けのようなものだ。
たとえば、認知症の薬ひとつとっても、薬によって行動を促進するもの、抑制するものがある。また、あまり効きすぎると逆効果になることも大いにある。

今回、まさにこの状況下で、日々模索している。
今は便利な時代である。ネットでいろいろ調べることができる。
専門家の力を生かす、サードオピニオンの活用はもちろんであるが、疑問に
思ったら、調べて質問すること、提案することが大切だ。
専門家といっても、医師から薬剤師・・・いろいろあるが、日ごろからの
ネットワークが身を助けてくれることもある。
与えられたまま、受け身でいるだけであると、解決にならないことがある。

最近はそんなことにも直面しながら、
薬の怖さと凄さを痛感している。

まさに薬は毒。毒だから菌が死ぬ。毒だから命も危険。
薬って、草冠に楽しいと書くから、もともとは生薬からきていたのだろう。
化学の発達、西洋医療の発展により、いわゆる薬が多様されるようになった。
薬で抑える。薬で促進する。
即効性ある分、怖い。
生薬が一番なのだけれど、もうそれでは間に合わないこともある・・。

最近、この一錠、一粒の重みをかみしめつつ、
いのちについて、考えさせられている。

薬に頼らず、生きられるよう、心身ともに強い人間になりたい。
自分は、まだ間に合うだろうか・・。

とにかく、受け身であってはいけない。自らが関わること。
とくに調べることができない老人の代わりに・・・。
症状を嘆く前に、できることがあったら、行動すること。
今の私にとって、これらが生の教訓である。

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911とエスキモー

こんな小物が事務所にある。
気が付けば19年間、ずっとデスクの上にある。
あんまりじっと見たことがなかったが、改めてよく見ると
エスキモーが犬を抱いている。
現地ではもうすぐそんな季節がやってくるだろうか・・・。

これは、2001年9月11日のNY同時多発テロが私に
遺した、数少ないアラスカ土産となった。
まさか、アラスカのオーロラの町、フェアバンクスに
行くことになるとは、夢にも思わなかった。
この日。シカゴ経由NY行の飛行機は、大雨の中、

何時間も遅れて成田を離陸、どこも経由せず
上空をくるくる回って、アラスカに緊急着陸した。
あれから、19年。
21世紀になってまもない世界を震撼させたこの事件。
テロという言葉が身近になってしまった、きっかけになった事件。
そのとき、私はNYに行けずに、アラスカへ・・。


本当に人生はわからない、不思議すぎる。
20年を迎える前の年に、コロナ感染というパンデミック・・。
今は飛行機に乗って、NYに行くこと自体が危険と
思えてしまっている。
ふと、この小さなエスキモーを見ながら、
アラスカでは、今コロナはどうかと想像してみる。
世界にこんな共通語ができてしまったことは皮肉だ。

コロナがテロでないことを祈りながら、
このあっと言う間の19年という歳月に、いろんな思いをはせる。
同じ飛行機に乗っていた仲間たちは、みんな、
元気だろうか・・・。
何年経っても、犠牲者のご家族や身近な人には
決して忘れることができない、事件である。

私にとっては、人生とは生かされているということを強く学んだ、

教訓の経験だ。
風化してはいけない。平和にならなければならない。
来年で20年・・・。

エスキモーのあの街で見たオーロラを、思い浮かべながら。


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