今こそ、プレゼン力!を学び活かす!

言葉がすべての職業の方に。
プレゼン力がすべてなのだといいたい。

たとえば、国の前リーダーのプレゼンは好きではなかった。
プレゼンから透けてくる素顔の部分が、共感できない何かがあったし、
作り芝居のような きれいごとだけの言葉で、何も入ってこない
と思っていた。

しかし、今から思えば、あの声の高さは それなりに良かったのかもしれない。
また、前を見て話していた点も、学習されての姿勢かと思われる。
でも、共感はしなかったけれど・・。

今、コロナの影響で、報道にていろんな国のリーダーがメッセージを発する場をよく見る機会が増えているが、声の高さ、ハリ、強さ、メリハリとリズムがまず人に聴かせるかどうかの決めてになることを改めて知る。
もちろん、内容が決め手であることは言うまでもないが。

まず話し方、目線、声でもって、人は聴いてみようかという気持ちになる。
汚いだみ声で、下を向いて話しているようでは、聴く気にもなれないし、
それが自分の言葉でなく、誰かが書いた原稿を読むだけでは、まったく、なんの
価値もない。
まず記者会見前には、せめて、うがいをして、発声練習をして、鏡で自分の顔付き、目の輝きをチェックしてから臨む・・ぐらいはしてほしい。

前にも書いたが、メルケルさんの演説は心に響き、ドイツ語がほとんど理解できなくても、その語気で伝わってくるメッセージがある。
台湾の蔡さんも、そしてニュージーランドのアーダーン首相の言葉も、とても
伝わる。
言葉の中に、命と愛を感じる。そして使命感を感じる。
優しいけれども、力強い。この人についていこうと自然に思える。

今、政治家たちの演説を見聞きしながら、プレゼンについての学びをしている。
一番、人の心に響くは、生命をかけて一生懸命やっている姿。真剣勝負している人には共感が生まれ、感動を呼ぶ。
音楽をやっているおかげで、そのことがプレゼンにも通じると確信している。

まあ、人のことより、まずは、我が身からはじめよう。
とにかく、今はプレゼンを勉強するには、サンプルが溢れている。
そう思いながら、世界を視るのは興味深い。


カテゴリー: Essay (Word) | 今こそ、プレゼン力!を学び活かす! はコメントを受け付けていません

子どもはどう見ているだろう

たとえば緊急事態宣言下の日本。
自分は仕事をする立場で、生活者として、親のことを思う立場でと
いろんなことを思いながら、生きている。
他の方も、それぞれの境遇や環境のなかで、その現実をとらえて
生きておられることだろう。
さまざまな叫びや怒りもごもっともと思えるし、違う意味での
緊急事態宣言下ではないかと思う今日この頃。

さて、次代を担う子どもたちは、
今のこの世の中をどう見ているだろう?どう見えるのだろう?
そんなことも、最近気になっている。

世界的に見れば、コロナ、そしてそれに向かい合う国のリーダーのこと。
そして、それを熱狂的に信じて行動している人たちのこと。
大人はそれぞれの立場で、考えをもちながら、行動をしている。

純朴な子どもたちは、この大人たちのふるまいをどう見ているのだろう。
子どもたちに、リーダーとは?の定義はどうインプットされていくのだろう。

最後まで自分は正しいと言い切る大人を見て、
責任から逃げていこうとしている大人を見て、
親は子供に何を教えるだろう。
たとえば、
隣の国では、この国の選挙は不正があるんだ。と親が子供に教えるような家庭もあるかもしれないが、子供はそれをきいて、どんな風に育つだろう。

人として、お互いを大切にし、認め合い、協力しあえる。
そうでなければ生きていけない世の中のはずであるのに、
分断をあおる大人を見ている子どもたちは、どうなるんだろう。

日本も同じこと。
自我の目覚め、社会性、行動範囲が広がるなかで、子供は社会人としての
素地も習得していくが、周りに正しい大人がいなければ、正しく育つのか。

今、環境破壊とともに、人間破壊が心配でならない。


カテゴリー: Essay (Word) | 子どもはどう見ているだろう はコメントを受け付けていません

言葉足らずの愛を、助詞で唄う。

今年最初のライブでは、なんとか新作を発表したくて、
それでも時間をかけてじっくり・・は難しく
壮大な曲づくりはできなかったけれど、歩きながら口ずさめる程度の
小品を本番前にざっと書いた。

今の私の関心テーマのひとつである、「老夫婦のコミュニケーション」。
それを見ている目線で、歌詞を書いてみた。
それぞれ考えていることがあるだろうに、会えないまま、
ネットも使えないから、伝えることも難しいまま、
半世紀以上一緒に暮らした日々が、止まった時間となって
日々が流れる。

そんな状況を娘が見ているという目線での作品だ。
最近、父の施設に持参する手紙の中に、母の直筆も入れるようにして
いることからヒントを得た歌だ。
歌詞はこんな感じだ。(一部抜粋)


「言葉足らずのてがみ」

父は 父の 父が 父も
  
父に 父を 父と 父よ。

母は 母の 母が 母も

母に 母を 母と 母よ。

思い通じると いいね。  

笑って過ごせる 日々を  

楽しい思い出 並べ 
   
生きた道のり 立ち止まる。♪

・・・・・

言葉が上手く出ない夫婦。
何が言いたいのか よくわからない。
でも、主語を言うだけで 思いがあり、
また助詞が変わるだけで、いろんな風景が広がる。
今、離れて生活して1年半になる両親のそれぞれの
言葉足らずとあふれる思いを歌にしてみた。
昨日のミニコンサートで、こちらも即興演奏で初披露。
あたたかい拍手をいただき、こちらの心があたたまった。

カテゴリー: Essay (Word) | 言葉足らずの愛を、助詞で唄う。 はコメントを受け付けていません

本日岐阜新聞ミニコンサートです。

今年初めのミニコンサートです。(岐阜新聞本社ロビー 予約制 本日満席)
会場で配布する資料を公開します。
細かいプログラムは、会場でアドリブ変更する可能性があるため、
テーマのみを記載しています。演奏するオリジナル曲の一部は歌詞を配布しています。


演奏曲の一部はネットでも公開しています。
La Grande Roue:Poem & Songs (mahsa.jp)

カテゴリー: Info | 本日岐阜新聞ミニコンサートです。 はコメントを受け付けていません

張り合いが生きがい

本日は岐阜新聞社でのミニコンサート。こちらでも、緊急事態宣言が発令される
とか・・であるが、今のところ、予定通り準備をしている。
東京から引っ越す少し前から、隔月ではじめたこの演奏活動。
自主企画とは違い、地元の公的な場所で、ひとりでも多くの、知らない方に
聴いてもらえたら・・。と、ささやかな地元へのお礼の気持ちから・・。
面識のないお客様が新聞を見て、おいでになることもあれば、ご紹介から足を
運んでくださる方もあり、コロナ前の演奏会は満席となり、賑わっていた。
笑い声も手拍子も響いていた。
状況は変わった今。それでも母親にとって、この演奏会はいきがいのひとつだ。
誰を誘うか、何を着ていこうか、演奏会が終わったあとのお楽しみは・・・。
雪の可能性もあるということで、タクシーの予約手配を手伝いながら、
彼女にとって、お出かけ、そして娘のコンサートは楽しみのひとつだということを再認識する。
そういった機会があると、気力もみなぎり、元気になる。
今の時期、かなり限られてくるけれど、小さなイベントはとても大切だ。
母にどれだけの機会をプレゼントできるのかわからないけれど、
今できることは、張り合いある暮らしをしてもらうためのサポート。
日々のなかで、小さなハレをたくさん作れたらいい。
そんな気持ちで、今日はコロナに負けない冬を元気に生きるレパートリーを
届けたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 張り合いが生きがい はコメントを受け付けていません

やれるだけ、ありがたい。

コロナとの共生。我慢が必要。仕方ない。
そんななか、雪の立ち往生に巻き込まれている皆様のことが気にかかる。
早く早く救出されるように、祈るのみ。
自然は本当に恐ろしい。
雪は美しくもあるが、生きる上での敵でもある。

各地の成人式も、PCR検査をした上での実施や、ドライブスルー、ドライブインなどこれまでなかったスタイルでの実施が話題になっていた。
一生に一度の成人式・・迎える人々にとって、このコロナ時代の記念日は
生涯忘れることはないだろう。

予期せぬことがくりかえし起こり、次々と困難が立ちはだかる。
いつ、自分にもそれが・・と思うと、決して安心はできない毎日だ。

そんななか、明日12日には再び、岐阜新聞本社でミニコンサートを実施する。

https://www.gifu-np.co.jp/info/lobby_concert/


昨年1月後、何か月も休止になっていたが、その後、主催者も万全なる
コロナ対策をして、人数制限のなか、お客様にもご協力いただき、こちら側も体制を整えて、なんとか継続している。
もともと音響の不要の会場であったが、ビニールカーテンの設置で音が聞こえづらくなるため自前の機材も持ち込むようになった。
お客様参加型のやり方も考えてやらねばいけない。
「一緒に歌いましょう~」とはいいづらい。

と、いろいろあるけれど、とにかくこのような場でも、演奏できる場があることがありがたい。
オンライン演奏もあり・・ではあるが、お客様の環境によっては、それができない方もいる。また生の方が絶対いい。

ハイブリッドの発信ももちろん検討しながら、このように演奏する場をもてるだけで、やれるだけで、本当にありがたい限り。

今できることを、やり続ける。
やれるだけ、ありがたい。
元気で、ありがたい。

(写真は昨年のコンサート再開当時の様子)

カテゴリー: Essay (Word) | やれるだけ、ありがたい。 はコメントを受け付けていません

FOOD INSECURITYに目を向ける

コロナは人々にさまざまな影響を与え続けている。
ニュースは毎日、感染者数を日課のようにトップニュースとして取り上げて
いるが、心配なのは、ここには発表されていない方の数。
医療のお世話にはなっていなくても、生きるのに困っている方は多い。

年末から年始にかけて大人食堂という活動が、東京でも行われたようであるが、
生活に困る方を支援される取り組み。おそらく各地、さまざまな形で支援をされる方がおられると思う。本当に頭が下がる。

職を失い、食べるものにも事欠くという方が大勢おられるということは本当に深刻だ。会食云々など、無縁の世界だ。

ニューヨークでは、コロナで活動できない劇場で、その劇場のスタッフたちが
食糧支援の活動をされていると聞いて、あたたかい気持ちになった。
NGOの取り組みとして、地元のお困りの方に寄付で集まった食料品を
栄養バランスを考え、袋詰めして、毎週各家庭に届けているとのこと。

コロナで対面で人に会えない。コミュニケーションできない、自宅に籠りっきりのお年寄りはこのサービスを本当に楽しみにされており、週に一度の支給に幸せを感じておられるとのこと。
劇団のマネージャーは、心の栄養を提供する劇団の仕事と、体の栄養を提供するこの食糧支援は同じだ。とてもやりがいを感じているという。いい話だ。

FOOD INSECURITY~食料不安。この言葉がNYでは日常語になっているとのこと。
日本でも同じだ。困っている人を見たら助ける。
これは当たり前のこと。

外食の時短と、この食糧支援。どちらも食だ。食べること。
生きるとは食べること。
贅沢なしで、普通に食事をさせていただける日々があることに感謝するしかない。
まだまだ自分は何もできていないと実感。小さなことからはじめよう。


カテゴリー: Essay (Word) | FOOD INSECURITYに目を向ける はコメントを受け付けていません

声をあげる覚悟と応援と・・

再び、緊急事態宣言が発出された。東京から、東京への出張は見合わせ、
そしてリモートで打ち合わせ。これができる仕事はまだ救われる。
なんども、そしてどんどん営業時間を短縮していかねばならない飲食店
の皆さまや、観光関係の皆さまは、ほんとうにお気の毒でならない。
仲間のお店も心配でならない。行って売り上げに貢献できないことが心痛い。

ある報道番組で、この宣言下でも、午後8時以降も営業を続けると決断されて
いる店主の方のインタビューを見て、釘付けになった。
東京の一等地で店を営むには、毎月高い家賃がかかり、またある程度の規模のお店であると、従業員の数も多く、人件費も莫大だ。その家族の生活もかかっている経営者となれば、営業を続けなければならない。とのこと。
もし、時短営業をしない店として店名が公開されても構わない、もし罰金を科せられたら、裁判で戦う。
語気を強め、涙目で怒りを込めて語っておられた店主の声を聴いて、胸がつぶれそうになった。
先が見えないことに対して、行き当たりばったりの対策についての、心からの叫びである。
店主の方が、どんな思いで、インタビューに応じたか。覚悟をもっておられるのだと思う。
現場を見て、声をきいて、どうすればみんなが安心して協力できるのか・・。そのことをしなければならない役割の人たちは、現場を理解しているのだろうか。

夜の会食だけが、感染源ではない。
夜のお酒を提供するお店はもちろん感染しやすいが、
町の喫茶店で大きな声で長時間数人でしゃべり続けている高齢者も同じこと。
そこには目を向けられているのだろうか。また飲食店はその店だけで成り立って
いるわけではない。その店に出入りするさまざまな業者さんもいてのお店である。この関係者も含めたら、どれだけの人々が悲鳴をあげておられることか。

また、都会と地方での営業自粛、時短要請の痛手は、かかるコストが違う分、
大きな差があるということを、もっとよく考えて、対策を講じていかなければ
ならない。
こんな矛盾だらけの穴だらけの対策に対し、怒りやあきらめが生まれ、そして
全体的に、1年前の緊張感と変わってきてしまったのは、
人々の中に、「どうせ・・」
という気持ちがあるのだろう。悪い意味で、コロナに慣れてしまったのだろう。
デパートなど人の多いお店に入るときに、手の消毒をする人は一年前に比べたら減っている。
密になっている場所も多く、かろうじてマスクだけは着用している・・という
状況に見受けられる。

上述のインタビューに応えておられた歌舞伎町のその居酒屋。
焼き鳥で有名なお店だそうだ。
勇気をもって声をあげられた。
自分のことは誰も守ってくれない。
自分は社員、その家族の生活を担っていかねばならない。
その責任感と、背負うリスクの重さ・・・。
この覚悟・・・。どんな気持ちでおられるか・・・。

この行動を心の中で応援するとともに、しかし、でも・・という
気持ちが交雑する。
「みんなで今は!」
という気持ちになれなくなってしまっている日本・・・。
コロナとともに、体たらくな政治のせいで、日本の国はこの一年の間にも
じわじわと変質してきているようにも感じる。
信頼しない、信じない、というウイルスの蔓延?これではいけない。

今回の宣言で、コロナでではなく、経済で命をなくす人がいないように。
自分ができることは、まずしていく・・それしかない。

カテゴリー: Essay (Word) | 声をあげる覚悟と応援と・・ はコメントを受け付けていません

霧が晴れる日への切望。

コロナ禍のなかの、動乱。
この1年間での世界の大きな動きは、このウイルスの台頭がその要因のひとつでもあったかもしれない。
コロナがなかったら、世の中はこれほど変わらなかったはずだと思うと
その功罪について改めて思うことは多い。
そして、その余波はまだまだ続く、霧は晴れないまま、マスク暮らしは続く。

しかし、とにかく、アメリカの大統領選は終わった。信じられない議会の占拠という歴史的汚点を残しつつ、とにかく世界の大国はひとつの時代を終え、そして次へのバトンタッチ。

内心、ほっとしている。
そのリーダーはキャラクター的には、またスピーチ力では魅力的な一面もあったかもしれないが、またビジネスマンとしての才能はそれは凄いのだろう、押し切ってしまう力があるからこそ、ここまで国のカタチを変形することもできたのだろう。
しかし、分断は良くない。嘘も良くない。自分ファーストも良くない。
ずっと四年間思ってきたし、その悪しき影響が自分の国にも影響が出ないかと
どきどきはらはらしてきた。

民主主義が揺れ動き続けたこの4年。
そして今は、アメリカに限らず
香港のことも本当に心配だ。

大国の綱引きはますます目が離せないどころか、どう日本が巻き込まれていくのかも気になるが、なんとか平和に、人々が自分が思うことを、考えることを自由に発信でき、違いがあっても受容し合える世のなかになってほしい。

不当な逮捕、殺戮、憎しみ合い、貧困・・・。まだ日本には顕在化してきていないかもしれないが、他人事ではない。
コロナがきっかけとなるのかどうかわからないが、
真の民主主義が、そんな言葉を必要とせず、空気のような存在である社会に
戻ること、さらに浸透することを心から願っている。

緊急事態宣言の下、まだまだ霧は晴れない。
早くマスクをとって、新鮮な空気を心配なく吸うことができ、
自由に語り合える・・そんな世のなかを切望したい。

アメリカが好きな国に戻るか?ニューヨークに活気が今再び。
わかりあえる世のなかになるように。
心から祈り、自分が今ここでできることをやるのみ。
霧は必ず、晴れると信じている。


カテゴリー: Essay (Word) | 霧が晴れる日への切望。 はコメントを受け付けていません

決めたどおり・・以外もあり

コロナの感染拡大は、とどまるところを知らず、仕事に、暮らしに・・と
振り回される今日。
このコロナ生活に慣れてしまって、緊張感を失い、ハレの日気分を楽しみ始めたあたりからさらに感染力は増大、さらに変異種の登場で、感染は広がり続けている。
目に見えない敵を甘く見てはいけないということだろう。

コロナ前であれば、
ビジネスでも何でも、決めたことは計画どおりやる!
が基本の「キ」であったが、
このコロナのおかげで、予定変更、計画見直しが度重なる。
せっかく考えた企画も、実現できないで終わっていく、
いつまで延期かわからないけど、今は様子見・・・。

そんなわけに、みんなでさあ元気に挑戦!
という空気になりづらいのが、このコロナ禍の特徴かもしれない。
でも、今すぐ行動できなくても、少し時間をおいたらできるかもしれな
いので、できるはずなので、それを願って
いろんなケースで用意しておくのが良いと思う。

こんな場合は、あんな場合は、もしかしたら??

という具合に。

いろんな道を考えていけば、どれかを選んで進むことができる。

決めたどおりに行かなくても嘆いたり、攻めたりせず。
コロナのせい・・といいつつ、着々と代案を用意し続けよう。

その準備が躊躇なくできる人が、企業が、コロナにうち勝てるのかも。

カテゴリー: Essay (Word) | 決めたどおり・・以外もあり はコメントを受け付けていません