もたない自由、もつ不自由

稀にスマホ(携帯)を持ち忘れ、何時間か外出して、電車に乗ってから「しまった」と瞬間戸惑うことがある。しかし、そのあと、取りに戻ろうと思わず、そのまま行ってしまう。
もちろん何日も出てしまう場合で、取りに帰る時間があれば引き返すが、半日ぐらいであれば、1日であればたまにはスマホなしもいい。
電車を見渡せば、ほとんどの人が下を向いている。スマホなり携帯を見ている。もちろん新聞や本を読んでいる人もいるが、最近ではスマホに向かう人が大半で、世界的にも異様な光景だ。歩いていても下を向きながらスマホし、対抗している人に気づかない人もいて、「ちょっと邪魔だよ」「危ないよ」と声を出したくなることも少なくない。
もたないと世の中を見渡す。いろんなことが見える。みんな、そんなに下向いて、何を見ているのだろう。そんな大した情報がそこにあるのかしら。
いろんなことを想像するのに、自由な自分を取り戻す時間も大切だ。だから時には忘れたり、意識して持たないで外出するのもいいことだ。
人間は自由自由と言うくせに、一見便利なツールをもつことで、自ら不自由になっているのではないかしら。とさえ思える。
前を見て、世界に大きく目を見開いて、広い視野で物事を見られる人に、前を向いて相手と対話することを楽しめる、それが最優先だと思える、当たり前のコミュニケーションをもっと大切にしたい。利便性に溺れると、考える、創造する自由をなくす・・・そのことが怖いと思う今日この頃。

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新聞と化粧品「えらび」の類似性?

メディアの役割は何だろう。企業のコミュニケーション活動にかかわるようになり、いろいろ考えさせられることが多いが、それでも毎朝、目覚めのファーストツールとして新聞やテレビのニュースは欠かせない。とくに新聞はネットでは満足せず、紙面を開き、全体を各記事を目で追いながら眺め、探し読むという点で必需品だ。仕事に即関連する情報を得るには、経済誌や業界紙も必要不可欠だ。一方、自分が共感できたり、勉強できたりする要素も非常に大切で、また各誌の主義主張と自分のそれが合致しているかという点で選定するのも良い。実は長年購読している新聞がある。仕事に直結する内容が多いという点で、当たり前のようにとってきた。毎朝、タイトルをざっとチェックし、関係する部分を読み、ときにはスクラップとスキャン。仕事にも活用してきた。そして新聞屋さんの対応がいいのも、継続してきた理由のひとつだ。
しかし、最近はなんとなくもっと違う視点の、新聞記者の個性や新聞社の個性が見えるものを楽しみたいという気持ちが高まってきた。今まで読んできた新聞の記事の書き手の目線が気になってきたのかもしれない。
もっと地べたの記事が詠みたい、もっと地域密着で、もっと読むところがたくさんあるもの
を・・・。などなど思いが募り、候補の新聞のおためし購読というものをエントリーしてみた。おためしというのはありがたい。この新聞の特徴は?記事構成は?他紙との違いは?
いろいろ見ながら継続するかどうかを確認する。
新聞は、女性の暮らしでいうと、毎日使うスキンケア化粧品の選定と同じかもしれないとふと思う。まず試してみる。自分に合っているか?長年使っているものからブランドスイッチするには少々勇気がいる。が、今年はそんなこともやってみよう。ということで、今試読している新聞は自分の現在の嗜好、思考、志向にまずまずマッチして、毎朝わくわくする。

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古希のボーイフレンドは自立型

ありがたいことに、60代後半から70歳以上のジェントルマンとの交流も少なくない。ビジネスマンとしてバリバリ活躍された素敵な皆さん。いわゆる企業戦士として活躍されたあともそれぞれの世界で素敵に生きておられる方が多い。その中で年に1回以上は会食をということで、10年以上のおつきあいをさせていただいている方がいる。新潟の仕事で知り合って以来で、東京に住んでいる者同士なのに東京にいたら出会わなかった。だから今も続いているのかもしれない。お久しぶりの会食。古希を昨年迎えられたと年賀状にも書いてあったが、今も息子さんが院長をつとめる医院の経営をサポートされている。今も現役まっただなかである。今も仕事をつづけ、趣味のゴルフも囲碁もやり、時々旅にも出る。そういえば、60代後半のとき、ひとりでシルクロードの旅に出られたことがあったな。奥様もお仕事をずっとされているので、家事も財布もすべて自分のことは自分でやる!というのが生活の基本になっているとのこと。洗濯も掃除も・・。単身赴任のときもさほど困ることはなかったとか。「自分のことは自分でやる!が一番いいんですよ。気が楽です。だからもし将来、何かあっても家族に世話にならず、余所でお金を払ってビジネス的に面倒見てみらうつもりでその準備もしていますよ」とのお話。素晴らしい。そんな親ってあまり聞いたこともないし、自分の親に聞かせたいほどの自立したお方だ。
70歳を境に、人生を終わりから考えるようになった、だから少しづつ身辺整理は始めましたよ。といたって明るく話されるのも印象的だ。
3時間半も話しつづけ、「じゃ、またお会いしましょう」た。頭も言葉も身なりもすべてシャキ!こんな自立した男性がもっともっと増えるといい。

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あの朝から20年。やっぱり忘れてはいけない!

あの朝、クアラルンプールのホテルで帰り支度をしながら、テレビに映っている見たことのあるような高速道路がひんまがった映像~その信じられない情景を見て、「へ?この地震は日本?へ?神戸?何?ナニ~~!!」その後、関空に向かって飛ぶ予定であったため、無事帰国できるのかと、現実を信じられない気持ちで帰路に着いた。当時、会社員であった私は社長以下上司や外部パートナーの皆さんと一緒に出張。「関空から帰れへんかもしれんな」「関空から先、電車がダメかもしれんな~」それぞれ不安なまま移動し、関空に着いたらやっぱり新幹線は止まっていたため、羽田行の飛行機をなんとかとって東京へ戻り、改めて惨状をテレビで知り、体が震えた。
そして神戸周辺の皆さんはあれから、大奮闘され再び元気な神戸の町を蘇らせた。私の大好きな中華街も三ノ宮もキレイになり、活気づいている。
あのことがつい昨日のことのようなのに、もう20年。そしてそのあと、再び大震災が日本を襲った・・。20年という月日をずっと忘れることなく、しんどい思いで生きてこられている方や、その間に亡くなられた方や・・・いろんな人生があるはずだ。
時間が経つと、人は忘れがちだ。忘れないために節目を大切にする必要がある。
20年。人が生まれて成人する長い時間だ。長い道のりだ。がんばり続けておられる方に、改めて敬意を表したい。
いつもニアミスで自分自身がけがを負うこともなく、無事に生きていられる今にも改めて感謝したい。もう起きないように、いろんな思いを込め、祈る朝。

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TVCMからの再会

以前、本ブログでも記載したが、新潟で出会い、仕事でもお世話になり応援していた元アナウンサー。お互いの忙しさもあり、なんとなく疎遠になり、それでも気になっていたが会えず・・・消息を気にしていた人。その人がある日曜のゴールデンタイムのテレビコマーシャルに突如登場。映画仕立てのそのコマーシャルの主役?は、なんと新潟ではなく、南三陸のホテルで働いていたということがわかり、すぐコンタクト。それから約半年の時間をかけ、やっとやっと新潟で再会となった。
3年ぶりにお会いしたその人は、とても元気で明るく、いい感じのホテルマンになっていた。
アナウンサーとホテルマンという仕事とは、共通点も何かあるのかも?と思わせるほどに、自然な雰囲気であった。「いやー、フロントという仕事はまだ慣れないんですよ。自分にはなかなか・・・」と照れくさそうにも言う。彼がテレビコマーシャルに出たおかげで、ホテルの認知も高まり、全国からの宿泊客が増えた、そういう意味で自分がそこに転職し、縁あってテレビに出たことで東北のこのホテルに少しでも貢献できたかなと話されるその笑顔が懐かしくもあり。
まだまだ復旧ままならない南三陸の地で、自分ができることをとがんばっておられる様子が頼もしく、うれしかった。「コマーシャルでは確か、かもめが飛んでいましたよね」。昨年作った「かもめりぃ」が、ふと浮かぶ。南三陸のそのホテル。彼がそこで働いていなければ知ることもなかっただろう。人と人の再会は、こんなことがきっかけにもなるものだ。全国からの宿泊客も増えているという。コマーシャルは時々役に立つものだ。

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自由は責任、自由は覚悟

世界が危険な方向へ向かっていると感じる今日。20世紀までとは明らかに違う軸で動いている。二度の大戦を繰り返し、傷跡はまだ消えていないのに、戦争という名の愚行はなぜこの現代社会においてもなくならないか。人は人類史上、何を学習して、生きてきたのか。戦争を越えて学んだことは次に生かされなければならないのでは?
報道、表現の自由。これはとてもありがたいことだ。でも、なんでも許されるということではない。自分の言いたいことだけではなく、相手のことも考えた言動、行動。言い方ひとつで、表現ひとつで、反対の効果を狙えることもあるだろうに。とやはり思えてならないのは何なんだろう。
大規模のデモ行進という手段も理解できるが、今、伝えたい相手にはその手法は伝わるのか?
なんだか利害関係が一致している者たちがまとまっているだけのような・・。でもそれでも何かしないと収まらないという事態なのだろうとも思う。
自由には責任も危険も伴う。保護されていないのだから、自分の意志で行動しているのだから当たり前のこと。
兵器と情報。両方ともが武器であり、凶器である時代。
これから、世界はどこへ向かうのか?弱体化する欧米、そこと敵対するロシア、感染病に悩むアフリカ、大気汚染の中国・・・。日本の近隣も不透明、ゆくえもよく見えない。
だから、世界中が助け合って共存すべきであるのに・・。自分の自由を主張するのではなく、認め合うのが自由の第一歩だということを伝えあえる世の中にしていきたい。世の中にはいろんな人がいる、多様性を認められることが一番大切だと思う。本当に悩ましい。日本は一見平和そうであるが、実はどうか・・。

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若き日の悩み、今はどう?

hyoushisoudanshitsu新潟県の学生向けフリーペーパー「カットインキャンパス」の紙面に毎月「コミュニケーション相談室」というコーナーをもたせていただき、気が付けばまる4年が経過。これは新潟県内の各学校や主要店舗に設置、発行部数も1万部というから、学生にはかなりおなじみの媒体だ。毎回2つの悩み相談ということで、100本に近い相談に対応してきたことになる。過去の読者アンケートではこのコーナーが一番役になったと言ってくれた声もあり、実際に誰かのお役に立てて何より!とうれしく思う。それに加え、ラジオ番組「愛の元気人」でも同じタイトルのコーナーを担当、違う若者たちの悩みを毎回取り上げているが、この5年間でその倍近い相談に対応してきただろうか?相談内容は本当にさまざまだ。「店で洋服を試着した後、断るときうまく断る秘訣は?」「隣の人の目ざまし時計がうるさくて毎朝困っているけれどどういえばいい?」「誘われたときのうまい回避術は?」「冗談がすぎたときの対処は?」「SNSに上司が友達申請してきたときは?」などなど、実際に若者たちが悩んだり、困ったりしている様子が目に浮かぶ。
ああ、自分も若いときはこんなことに悩んでいたかも?ということもあるが、デジタル社会に生きる若者ならではの悩みもあり、時代の移ろいも感じる。彼らの中にはこのたび成人した人たちもいることだろう。学生のうちに悩めることは大いに悩み、その経験をもって社会人になることをすすめたい。悩むのは一生懸命生きている証しだから。
若き日の悩みを思い浮かべ、半世紀生きてきたから、こうしたらいいのでは!と言える部分もあるが、違う意味でコミュニケーションの問題は消えることなく、いくつになっても課題が残る。ちゃんと人と関わり、しっかり対話し、相互理解し、元気に生きたい。みんな、それぞれ自分のことを理解してほしい、認めてほしいと思い生きている点では共通だ。
自分の経験が少しでも、若者たちの明日へのヒントになればうれしいと、心を込めて今年も答えていきたいし、自分自身もそこから学ばせていただきたい。

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「I am Bob!」そして笑顔の力で。

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世界中で好きな場所のひとつは、空港や駅だ。いろんな人が行きかうのを見ながら、それぞれの人生を勝手に想像するのが面白くて仕方ない。一度にいろんな人を観察できるという点で最高の遊び場でもある。
今回、ヒューストン空港で搭乗を待つ間も、ずっと人々を見ていたら、コートを来た紳士がゲートに現れ、きっと医者か学者だな~。とまたもや想像。ちょっとシリアスな感じがいいじゃんと思ってみていた。先にその人は搭乗、VIPなんだろうなドクターだから。。と思いあとでこちらも搭乗。すると、なんと彼はキャビンアテンダントだった。そうか、スタッフだったのか、やっぱりアメリカの航空会社にはいろんな人が働いていて面白いな~。彼のホスピタリティはなかなかグッド。各席を周り挨拶もしている。そして、私にも名前の読み方をたずね、「I am BOB 」と自己紹介をした。あ、簡単な名前だからすぐ覚えられそうだと思いながら楽しく観察していた。さっき学者と思っていたのが面白くて、その記念にと撮影を求めたら恥ずかしげに承諾。そのときの1枚がこれだ。食事サービスが終わってから、機内が暗くなった。そのあと、彼は私の席に近づいてきた。「なんだなんだ?」彼は席に横に座り、
同じ目線で話しかけた。どうやら、こちらが気が付かなかったことで、何か行き届かないことがあったとかで謝っている、そして私と隣に座っていた女性(シアトルの人で、旦那の転勤の準備でグアムに行くらしい)の二人の笑顔に救われた。といって、何度もサンキューといい、そして泣き始めた。「どうして泣いているのだろう?」わかりづらい英語だったので、その隣の女性のサポートも得ながら一生懸命に聴くと、どうやらまだこの職場は最近変わってきたばかりのようで、その直後に一人の知人(お客さん?)が亡くなった、そしてほんの最近も1名亡くなり、自分はその人を助けることができなかった・・・そんなことがあり、落ち込み元気がなかった・・・のに、二人の笑顔を見て救われた・・・といって泣いておられたようで、ああ、そうか。彼も大変な時期を乗り越えてこられたんだなということと、たった一人か二人の客の普通であるけれども、ちょっと笑顔交じりの返事だけで、救われたりすることがあるんだなと内心、驚いた。こちらは何も事情も知らず、普段どおり接していただけだったが。
このBobは、本当に親切ないい人だ、そして真面目な人だ。私は冗談交じりに、あなたを
空港でドクターだと思いましたよ。と言ったら笑っていた。
成田に着く直前に、写真をメールするからといったら、ペーパーナフキンにアドレスを書いて渡してくれた。
情感豊かな人はなぜか信頼できる。嘘がつけないだろうから。Bob、またいつかお会いしましょう。元気にがんばってくださいね!
笑顔が知らない人をも勇気付けたり、元気づけることができる。笑顔のパワーは素晴らしい。

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何を叩く?思いがけぬ天からの贈り物

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前日のブログに登場したAlexaはこのライブハウスと関わりが深い。ここはニューオーリンズジャズファンならば、知らない人はいないPreservation Hall。
以前、たまたま出張先のホテルのエレベータ内で遭遇したミュージシャンもここの育ちで、ここで演奏するプレイヤーたちは来日回数も多く、世界中にファンがいる。
ここで演奏を聴きたいと言えば、わが友は指一本でここのマネージャーにコンタクト。TOKYOからの友達MASAKOが行くから頼む。ということで、連日3部制のライブがいずれも長蛇の列であるにも関わらず、予約客と同じく行列をパス、さらに身内しか座れない特等席に座ることを許される。特等席とは、プレイヤーたちに一番近く、彼らの演奏の横顔が見える
本当に特別席だ。通常は前からしか見えないが、横から、後ろからバンドメンバーの演奏風景と音と汗と呼吸を誰よりも一番感じることができる場所だ。
演奏前にその席に通され、ちょっと緊張しながら座る。まだバンドメンバーもそろっていない。気が付くと、私が座った横に、初老の紳士が静かに座っていた。もしかして、彼が今日演奏するのかな?そう尋ねると静かに「そうだ」と答えたが、どうも喉の調子が悪いようで、なんども喉の調子を伺っている。演奏前なのに。心配になり、わがドラえもんの福袋?のごとくいろいろ入っているマイバッグを探り、キャンディをみつけ、彼に差し出した。すると、彼は大変悦び、そのキャンディーを口に入れた。「ああ、これはいい。喉にいい」「風邪ですか?」「そうじゃないが、乾燥しているから、ああこれはいい」と上機嫌になり、そこからしばらく会話をする。彼は過去に7回来日しているそうで、おととしに最後日本に来ているようだ。そんな話をしながら、彼は自分の楽器に近づき~そのとき、やっと彼がドラマーだと分かった。素人と思われるので「何を弾くのですか?」とどうも聞けなかったのだ。彼はそのそばに置いてある自分のバッグからなんと、ドラム用の新品のスティックを一組出し、「ペンははあるか?」と聞いた。ボールペンしかないけれどといって差し出す。すると、彼はそのスティックのステッカー(使うときにそこを剥がすもの)に、そのペンで自らの名前を書き、「FOR YOU」といって私にプレゼントをしてくれた。そのサインには、Earnet Elly
と書いてあるようだった。(あとで確認するとプレイヤーネームはEarnie Elly)
へえ、ドラムのスティックをジャズドラマーからプレゼントされるとは。キャンディ1個で瞬間で打ち解けてしまった・・。そして私もコートにつけていた観覧車のピンズと名刺を彼に渡すと、とても喜んでくれた。演奏がはじまるまでのわずかな時間の出来事。行列から解放され、お客さんがどんどん入ってきた。彼は「たくさん人が入ると気分がいい。空気があったかくなるね」と笑顔で言った。名言だ。そう、ライブハウスの魅力はそれだ。会場はたちまちあったかい空気に包まれ、他のアーチストも順番にそろった。ピアノ、オーボエ、トランペット、トロンボーン。
普段着のジャンパーのような恰好が自然だ。気取りがないのがいい。さっき親しくなったドラマーもジャンパーを脱ぎ、ドラムセットに着席。するとさっきまでと違う、ミュージシャンとしての堂々とした風格と年輪を感じさせるオーラが漂い、それだけでこみあげるものがあった。
演奏中は写真撮影はもちろん禁止だ。当たり前だ。当たり前のルールがここにはちゃんと残っているのがいい。わずか1時間たらずの演奏中、いろんなアイデアが湧き、またミュージシャンたちから多くのヒントを得た。ジャズのいいところは即興、アドリブだ。そしてそのアドリブでのチームワークがバンドの場合最重要。練習していなくても、それぞれがプロだからどんなリクエスト曲がきても、なんとかやってしまう。決められたことでなく、そのとき生きている瞬間の気分をそのまま演奏にする。ジャズはやっぱりいい。
ずっとそのドラマーのことをみつめていた。彼はもしかしたら、すごい人なのでは?ルイ・アームストロングより少し後の世代かもしれないが(確かに。あとで調べたら1948年生まれ)安定感と迫力でその年齢を忘れさせた。永遠のパワーを感じた。
ライブが終わった。彼とハグした。「いつ、戻ってくるかい?」早いうちに、またきっと。
ドラムのスティックという贈り物。思わず、ピアニストだけでなくドラマーを目指すか?とつい思ってしまった。何を叩く?そう、考えてみればスティックさえあれば、いつでも練習できるのだ。幼い頃からドラムを学んだというアーネスト。人生その道に生きる。という感じ。
生涯自分を表現できる仕事って素晴らしい。特等席に導いてくれたわが友に報告したら、「How Cool!」と感動していた。ニューオーリンズに少女時代にもし行っていたら、人生違っていたかも。さっそく偉大なるドラマー、Ernest にサンクスカードを送るとしよう。

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報道の自由と素材になる不満と

最近話題になり、中身とは関係なくヒットしてしまっているらしいアメリカ映画。その素材が問題となり、サイバーテロから報復、国際問題へと事態は深刻だ。一方で、自由の国、フランスでテロが発生。風刺という手法が、憎悪からあってはいけない事件へと発展してしまった。
報道の自由は民主社会の基本ルールだ。確かにそうだと思う。しかし、こういえばそのネタになった相手は、どう受け留めるかも織り込み済みで発信する責任はあると思う。映画もあえてマスメディアと言わせていただくが、メディアは国をも動かず、戦争をも引き起こす危険な面ももっている。
報道、発信の相手とは、顧客といったビジネス上のマジョリティの受け手ではなく、映画にせよ、雑誌にせよ、マスメディアなのであるから、多種多様な人が受信する。それも自由だ。またひとたび知れば面白がる人もいて、怒り狂う人もいるから、映画も風刺も面白い、そこがエンターテイメントだというかもしれないが、そのことにより死傷する人が出ることも考えているだろうか?
「そんなこと言っていたら、いい映画なんか、報道なんかできないよ。」と言われるかもしれないが、ネット社会である今日、いろんな受け手がいてそれが過熱しやすいことも心得て、自らの発信、報道について取り組むべきではないか。
ネット社会のなかで、現実で映画のようなことが起き、どれもこれも恐ろしいと思う。
発信する人たちは、本当にプロと言うならば、自分たちの行動がもたらすかもしれない世の中への影響についてよく熟慮し、人々が平和に、幸せになるためのことだけを発してほしい。と、最近の世界を揺るがしている2つの事象から共通点を感じているのは私だけだろうか。人は誰でも、自分がネタにされたり、自分の意に沿わないことを他人に言われたり、されたり、面白おかしく扱われることは面白くない。バカにされているように思ってしまうことも自分がその立場だったらあるかもしれない。メンツがある立場の人ほどそのはずだ。ま、マスコミも映画会社も、そんなこともわかっているよ。ときっというだろうが、そのことにより傷を受けたり、恐怖におびえている人がいる現実に目を向けてほしい。この頃は、情報社会が悲しいとも思える。

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